全248件 (248件中 1-50件目)
小沢さん、こんな発言をしてしまった。キリスト教文明は排他的確かにクリスチャンの私が、あながち嘘とはいえないと感じてしまうのだから、いわれても仕方がないのかもしれない。なぜか。教会は布教・伝道以外に、社会活動が盛んである。とても素晴らしいことなのだが、かなりの割合で、一方だけのイデオロギーが持ち出される。私が代議士秘書をしている時、牧師は私がその政党に属していことが不満であった。牧師夫妻と明治神宮あたりを散歩していたら、神社の鳥居をくぐり抜けることは絶対しなかった。まあ、信念は信念でいいんだ。問題は小沢さんの発言によって、キリスト教団体がどう感じるかだ。つまり、彼らは「前政権党」を支持したりはしない。もちろん、「某宗教団体」の政党など論外であろう。だからこそ、比較的キリスト教団体と相互理解の可能な現政権党の中心人物にこんな発言をされると、大きな波紋を呼ぶのでは。それとも、小沢さんは「人口の1%しかいないクリスチャンの票」をそんなに重要だとも思っていないのだろうか。もっとも。キリスト教団体もこの際、なぜ排他的と言われるのか考えてみれば、信者は増えるんじゃないかと期待する。
2009年11月11日
コメント(1)
ついに来た。新型インフルエンザの嵐。そして、娘達は最強になった。クラスの一人が感染し、2日後に長女「ま」を含む5人程度が早退。それが金曜日。あけた週の初め、12人が感染。そして学級閉鎖。長女発熱4日後に次女「み」が感染。娘達はタミフル服用後に元気になったのだが、外出禁止でストレスがたまる一方。このときぞとばかり、たまっている「天地人」やその他のDVDを観る。やっと学校に復帰するも、入れ替わり立ち替わり学級閉鎖がある。空室の教室が目立つ中、教育研究会が行われるも、毎年恒例の「学校へ行こう週間」は中止。月末の学習発表会はいったいどうなるのか、不安なまま過ぎていく毎日。かかりつけの小児科では、「熱のある方は車で待ってください」となっている。圧倒的に車中で待機している人多し。ウイルスっていうのは、健康体を好むのだろうか。どうみても中学生男子が重症に思える。薬剤師情報によると、処方箋はほとんど子供向け。大人は「若い」人がほとんどらしい。どうやら40才あたりが境目。私?二人の子供を抱きしめても、ほおずりをしても全く感染していない。ただし、季節性インフルエンザのワクチンは見事に「はずれ」て、未接種のまま冬を迎えそうである。
2009年11月06日
コメント(0)
近所の小学校が、PTA教育講演会を開催した。普段は他校の催しに参加することはないのだが、今年は「被爆ピアノからのメッセージ」と題し、64年前に広島に投下された原爆の被害に遭ったピアノで奏でるコンサートが行われるということで、子供たちを連れて出かけた。ピアノの調律師Yさん、現在4台の被爆ピアノを所有している。今日のピアノは、その中でもっとも爆心地に近い(1.8キロ)場所で被爆したものだという。80才になる女性が、「私はもう高齢なので、このピアノをあなたに託します」と、Yさんに引き渡したとのこと。そんなYさんの短い講演の後、ピアノ演奏をバックに、実際にある被爆ピアノの絵本の読み聞かせ、そして、地域のプロのピアニストの演奏があった。閉会後は一人ひとり、ピアノに触れてみることもできた。爆撃のガラスの破片が刺さった後も残されており、それは原爆資料館で見る悲惨な蝋人形の姿を思い出させた。ありきたりの講演会は必ずどこかで睡魔に襲われるが、本日の講演会は退屈することもなく、また、じゅうぶんメッセージの伝わる内容で、感動した。
2009年09月13日
コメント(0)
年に二度行われるこの委員会。メンバーは学校医3名+歯科医3名+学校薬剤師1名。学校側からは校長・教頭・主幹に加え養護教諭・体育主事・そして食教育担当教諭。PTA側から会長。構成メンバーは以上である。 子供の体力低下が懸念されているが、我が校では体力向上のためにいろいろな工夫をしており、NHKの全国版でも取り上げられるほどになった。食教育においても健康においても、大きな問題を抱えた児童はそう多くはない。今回は当然のごとく、新型インフルエンザ対策についてが話題になった。医療側の委員さんたちの意見として… ○医療機関としては従来の季節型インフルエンザと同様の扱いをしている。感染力は強いが、症状としてはさほと重くない。「新型インフルエンザによる○人目の死者」といったように、いたずらに不安を煽るマスコミの報道の仕方に大いに疑問を持つ。 ○予防のためのマスクは効き目がないと分かっている。罹患した側のエチケットの教育を徹底して欲しい。即ち:罹患すれば学校を休む。大人ならば出社しない。人に伝染さないという、最低限のエチケットを守る。咳をするときは口を被う。罹患した側は必ずマスクをする。 ○イソジンなどのうがい薬の正しい使い方を伝える。よく「水でうがいをするのと効果は同じ」というのは、間違った使い方をするからだ。正しい使い方を周知させてほしい。 ~やはり医療側からの提言は 非常にわかりやすく、説得力のあるものだっただって…以前の日記にも記した通りずいぶん長いこと…マスコミって、自分たちがやってることと放送していることが見事に矛盾しているもので。さあ!秋から冬に向けて我が家も戦う覚悟。薬や予防注射の副反応がきつい夫。喘息既往症のある長女。そして心疾患の次女。 私自身は…「女メタボ」。
2009年09月12日
コメント(2)
「ああそうですか。そういう結果だったんですか。」という感想であった。きっと4年前に小泉チルドレンに投票した人たちが、そっくりそのまま民主党に流れたんだろうな。いずれにしても、勝ったのはマスコミなんだ。彼らの描くシナリオ通りに進んでいく。小泉さんの選挙:キーワードは「自民党をぶっ壊す」「郵政民営化」「構造改革」「小さな政府」今回の選挙:キーワードは「政権交代!」「自民党に愛想が尽きた」「こども手当て」「高速道路無料化」どちらにせよ、全くもって興味の持てない内容である。マスコミが一つのキャンペーンをはれば、有権者の多くは政党のあり方や政策の深い内容なんて吟味せず投票するはず。メディアは一つの政党に追い風を吹かせ、「マニフェストの増刷が間に合わない」と報道する。そうすれば、翌日は街宣車のまわりで、「マニフェストあります」のノボリを見つけ、「じゃあ一部もらっていこうか」となる。それを熟読し、付箋をつけて同意できる点、もう少し説明が欲しい点などを整理するのであろうか? そう。有権者の中には、マスコミのはった「キーワード」のみを参考にして投票するひとは少なくないかもしれない。小選挙区比例代表制の奇妙さ、候補者のレベルの低さ(政治家のレベルが低いから、官僚が強くなる。そんなことも分からないのか?)もさることながら、マスコミの怖さが身に染みる。彼らは新政権発足後も、自分たちの都合のよい政治をしてもらればよしとするだろう。自分たちの利となれば、新政権を支え続けるだろう。 しかし、少しでも自分たちの意に反した政策をかかげようものならば、どういった報道体制を、どういった風を吹かせるか、見ものである。まあ、闇の帝王、小沢さんはそのへんもしっかりしてそうだし。案外長続きしそうな気がするのは私だけだろうか。~最後に静岡?区のKMさん、おめでとうございます!あなたのご当選は、本当に私を元気づけるものでありました。どん底を味わってからの4年間の軌跡。子供たちに聞かせてやりたいと思います。あの時、我がボスと同じ立場でいらしたので、本当にうれしいです。
2009年09月04日
コメント(2)
この話題は、日曜日までとします。未来のためのQ&A番外編熊娘ブログ熊娘ブログ2
2009年08月24日
コメント(0)
日本PTA連合会みやぎ大会参加のため、2泊3日で仙台へ行って来た。仙台は私の好きな住みたい街の一つ。「都会すぎず、田舎すぎず」、街がきれいで…。そしてもう一つの発見は、女子高生が清楚だこと!!わが子たちにはあのようになって欲しい~と思ったのだ。さて。ホテルで民主党が300議席に届くかも知れないという各紙の見出しを目にし、複雑な気持ちになる。前回も述べた通り、現在の私には支持政党がない。かといって、マスコミの発する8割の情報はゆがんだものと感じてしまう。一般国民はこの『300』という数字と、『政権交代』、『民主に追い風』という見出しを、投票するにあたってどのように位置づけているのだろう?今回の日本PTA大会分科会の一つでは、「青少年ととメディア~リテラシーへの取り組み、メディアから見たPTA~」が研究課題だった。日P前会長は実に歯切れのよいパネリストであった。メディア側・BPO側は日P前会長の質問等に回答する際、もっともらしいことを言うが、結局は「上から目線」なのである。話をそらせるのも上手である。 粗悪な番組があっても、「我々は制作者側に提言しているが、あまり言うとパワハラになる」だのと逃れ、「視聴者側もちゃんと吟味してほしい」だの(確かにもっともなことではあるが)と逃れ…。都合が悪ければ「クレヨンしんちゃん」のみをスケープゴートにする。そうじゃないんだな。要するに、マスコミのレベル=国民のレベルであることには間違いないと思う。表現の自由だの、政治が規制するのはけしからん~という前に、自分たちが自浄努力しろよ~と言いたい人が、会場にはいたんだと悟って欲しい。 BPOといっても、馴れ合いの組織というイメージがぬぐいきれない。そう思っている人もいるんだって。 別に…視聴率至上主義ならそれで構わない。スポンサーが大事です。そういってくれた方が我々としてはスッキリする。 メディア側は、政治批判もした。そして、私はその中にある本音を聞き逃していない。小泉改革はひどいもんだったと。また、メディア規制に関しては「民主党の力で」よい方向に行きつつあると。よい方向って?メディアに都合のよいようにとしか聞こえなかった。 小泉さんが本当に自民党を壊してしまったことには異論がない。しかし、「民主党の力で」メディアは守られるわけなんだ。 それは、うがった見方かもしれない。でも、そう考えれば、『300議席』『政権交代』『民主党に風』なる言葉のマジックが分かってきそうな気がする。まるで、4年前の『郵政民営化』のように。 マスコミは4年前、自分たちが小泉郵政選挙一色の報道をしたことを忘れないで欲しい。それに踊らされ、自民党が大勝したのもまた事実である。 マスコミが反省~するわけないか。幻想だわな。 小選挙区制度は、無所属議員にとっては実に不利である。また、その時の「風」で、政権党の大逆転もあり得る。~中選挙の頃が懐かしい。政党でなくて、人で選ぶことが出来た。同じ政党に、信頼すべき人とそうは思えない人っているわけだから。
2009年08月23日
コメント(0)
気づいてみれば前回の更新は5月21日。村上春樹が新刊なんか出すものだから、それがきっかけで、また「読みあさり癖」が始まり、ブログの存在を忘れ…娘たちの通院、定期検診で一喜一憂しつつ、夏休み終盤にさしかかろうとしています。娘たちは3泊4日のキャンプに出かけました。文科省の後援を得た、とある財団の主催で、今年で2回目の参加です。子どもたちだけで小中学生の縦割りのグループを作り、高校生以上のキャンプリーダーたちが世話をします。子どもたちの自主性は養われるし(帰宅して何日か経つと忘れてしまいますが…)、仲間づくりの大切さも学んでくるので、これからも参加させるつもりでいます。=======================================ああ…。今の日本のシステム下での二大政党だなんて…興味も湧かないし、期待もしない。かといって、組織に所属しないで選挙を有利には戦えないので、信念を持って政治家を志す人も大変でしょう。どんな道を取るべきか…。 私は「支持政党難民」、そして「支持候補難民」。 A党をずっと支持したいけれど、昨今の体たらくをみれば気持ちも離れる。かといって「A党には愛想がつきた、B党に一度やらせてみるか」といった気持ちにもなれません。だって…大衆迎合型とおうか、人々に「不満でしょ?不満でしょ?我が党はその不満を全部解消してあげますよ」と言いつつ、政権を取ったら、聞こえのいいことばかりも言えなくなり、現実路線を取らざるを得なくなるのは目に見えているからです。子ども手当?ゴメンだけれど、私にとっては義務教育を終えてからの方が切実なの。国立大学に受かっても年間50万円もかかるんじゃ、一般家庭は一人っ子でいいやと思ってしまうよ。高速道路無償化…。あんまり賛成しないな。車に乗らない人や、殆ど高速を使わない人の税金まで使うの?こういうと、必ず「欧米では無料だ」と主張する人が現れるんですが、そうじゃない。ヨーロッパでも徴収する路線、そうじゃない路線ってあるんです。また、北欧に行けば整備されていない道が続いているところもある。第一、日本の地形じゃ、延々と草原の続く欧米(除北欧)のように簡単に道路はつくれないんです!! それこそ、北欧と同じようなんだから!!立候補者もまあ、ホントに、前回の小泉チルドレンよりも、更に訳のわからない人がバンバン出てくるし。そんなメンバーで、「官僚主導」をから脱却することが出来るわけない。申し訳ないけれど、官僚が可哀想。本当に求める政治家とは、地道に勉強をして、判断力があって、官僚を使いこなせて…何よりも利益を求めず、愚直に進んでいける人です。こういう人は、絶対にマスコミに取り上げられないし、選挙では弱い…。うーん、熊代昭彦は理想の政治家でした。小泉さんに刺客を突きつけられるまでは。今回無所属で出馬しますが、苦しい苦しい戦いです。
2009年08月17日
コメント(2)
「更新しない癖」は度々やってくる。新年度がスタートした。予期していなかった校長の交代。新体制でのぞむ執行部だが、今年のテーマは「無理なく参加できるPTA」。それでも、一生懸命になりすぎ、走りすぎるメンバーがおり、その都度ブレーキをかける必要がある。ひとつだけ学んだことがある。高学歴で知識豊富な人間でも、その人が就職したことがなく~すなわち社会でもまれたことがなければ、これもまた厄介なもの。物事の順序を知らないというのは恐ろしいことだ。~今はそれに頭を悩ませている。さて。次女「み」は裸眼0.2。とうとう眼鏡着用になってしまった。着用してもなかなか視力が出ず、陰険な眼科医が「そこが問題なんですよ」と。不安に陥れられた私は、「目の問題じゃないってことですか?」と尋ねれば、「まあ、この子は(心疾患持ちだから)当然脳の検査もしているでしょうからねえ」と、また突き落とす発言をする!! 人を不安にさせるような発言をする人には医者にはなって欲しくない。長女「ま」。昨年も今年も尿検査で「潜血」の反応が出る。医療機関で調べてみたら、反応は出ない。これもまた不安である。~よって4月は一年中で一番イヤな時期となる。そして! 4月22日、「ま」はインフルエンザA型に罹患した。すさまじい感染力だった。後ろの席の子が発症して2日後に「ま」が発症。そして次々にクラス内で感染者続出してしまった。折しもメキシコでの新型インフルエンザが騒がれた時期。今になって思えば、あれって新型だったの? ちまたの「A型」って、実は新型で、既に日本に上陸していたの? と考え込んでしまう。それにしても、マスコミはやっぱり最低だな。「マスク売り切れ続出」の報道を繰り返しながら、騒ぎすぎじゃないかとか言ったり、マスクは欧米で奇異に見えるといいながら、記者はちゃんとN95マスク着用して取材している。政府の対応を非難したり(何をやっても非難するんでしょ?)「専門家」と称する人(実はそうじゃない人)を招いて発言してもらうものの、胡散臭いし。もう、淡々と事実を教えてくれればいいの! ワイドショーの司会者やコメンテーターの発言にはうんざり。国の政策云々よりも、ああいった人たちの私的な意見を鵜呑みにして、浅はかな国民は右往左往するんだから。そういいながら、私にも言い聞かせる。「だったらテレビなんか見るなよ!」はい。全くその通り。
2009年05月21日
コメント(6)
この地方に越してきて、いくつかの教会から選んだのは、バプテスト派の教会である。元々はD大学系の教会で洗礼を受けた私なので、本来ならばそちらに行った方がよいのだが、子どもの「日曜学校」が第一の選択肢となった。大学生の若者も多く、子どもにとってはとても楽しいひとときを過ごせるからだ。本日は牧師長男の結婚式だった。大学院修士課程を終えたばかりの彼のお相手は、まだ大学3年生の乙女である。もう少し待てなかったのか?と思ってしまうが、個々の事情もあるのだな。牧師長男は自らバンドを組んでおり、この教会でもまた、彼のギターと妹のベース(現在は休養中)、教会員仲間のオルガンとドラムで賛美されている。最初はそのノリの良すぎる所に戸惑いもしたのだが…。就職地は、楽器製造会社の集まるH松。当然その中のひとつの会社に就職。4月からの生活をスタートする。新婦はあと一年大学生活が残っているが、単位も殆ど取れたし、うーん、これが彼らのタイミングなのだろう。もう離れたくなかったのだろう。いいな。若いって。子どもたちは大はしゃぎ。大好きなお兄ちゃんお姉ちゃんの結婚式だもの。「ねえ、S兄のこと好き?」「なんで結婚するの?」~そんな応えにくいこと、聞くなよとも言えず、無邪気な子どもたちと、照れる若者の会話が微笑ましい。 司式は友人の牧師によって執り行われ、その後持ち寄りの会食が行われた。新郎新婦は当然お金もない。でも、とっても暖かな披露宴だった。新郎が組んでいるバンド演奏で締めくくったが、最後の曲は新婦の父も参加した。いつも歌っている賛美の曲をアレンジしたもので、新婦父のエレキギターは「渋い泣き節」という感じで、感動を与えた。初耳だったのだが、新婦父は、70年代後半から80年代に活躍したバンドの「初代」ギタリストだったらしい。帰宅して早速検索してみると、どうやら彼が、病気を患ったのが原因なのかなと推察できた。こちらの地元で、ライブを中心に活躍していたが、 2年ほど前に活動を休止したようだ。いろいろな事情もあるだろうが、もう一度活動再開して欲しい。素朴で暖かい雰囲気に包まれた日であった。
2009年03月22日
コメント(0)
祝 辞 卒業生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。この晴れやかな場でお話をさせていただけることを、大変光栄に思います。 初めて校門をくぐったあの日から早や六年。小さかった皆さんが、昨年春には、大きくなった手で、新一年生の小さな手をひいて、教室へと導いてくれました。晴れの日も雨の日も、毎日の登下校の安全に努めてくれました。 豊かな自然に恵まれた環境の中で、友達や先生との貴重な出会いがあり、全く知らなかったことを、毎日の授業の中でどれだけ学んだことでしょう。 成功した喜び、失敗した悔しさ。語り尽くせない、たくさんの思い出を胸に秘め、皆さんは、旅立っていくのですね。いったいどんな未来が待ち受けているのでしょう。その道は、決して平坦ではありません。皆さんの未来に向かって、後押しできるような、ちょっとしたお話をさせていただきます。 先頃話題になった映画「おくりびと」。実際の演奏者は、指揮者・飯森範親ん率いる山形交響楽団でした。飯森さんは、ドイツのヴュルテンベルク・フィルハーモニー管弦楽団の音楽総監督でもあり、国内外で活躍されています。みなさんのよく知っている、「のだめカンタービレ」で、俳優さんの指揮指導もされていました。 一七年前、とあるコンサートホールの開館記念で、新作オペラが上演されることになり、私は群衆役で出演する機会がありました。 作詞家、作曲家、出演者、そして振り付け・演出から衣装に至るまで、超一流といわれる人たちが総力を挙げて創り上げた舞台でしたが、唯一、指揮者が選ばれる時だけは違っており、作曲家は、「誰か良い指揮者とやりたいんだけれど、でも、今いるような人たちじゃなくて、もっと新鮮な人がいい なあ」と主張しました。当時、開館準備にあたっていた、新米の若手スタッフの頭に真っ先に浮かんできたのが、以前ベルリンで知り合った、飯森範親さんだったのです。 さて、公演に向けての練習が始まりました。演出家や振り付け師の、指導と言うよりは、怒鳴り声に耐える歌手たち。プロの練習というのは、本当に身震いするほど厳しいものでした。 やがて、飯森さんとオーケストラとの音合わせの時がやってきました。演奏途中で、彼は手を止め、ある楽器のグループに、もう少し強い音が欲しいと注文をつけました。その途端、グループの一人が言いました。「指揮棒の振り方が不明瞭なので、演奏できません!」と。 一瞬周りは静まりかえりました。そして、飯森さんはその後静かに、再度指揮棒を振り始めました。 帰国直後で、殆ど無名に近かった彼は、大舞台での大抜擢に、相当な重圧感を持っていたに違いない。なのに初っぱなから、ベテラン演奏家に鋭い言葉を浴びせられた時、いったいどんな気持ちでいたのでしょう。 そのような厳しい練習を経て、舞台は大成功でした。華々しいデビューを飾った彼には、いくつかの大きな仕事が舞い込みましたが、不調が続いた時期もあると聞いています。しかし、それから一七年。着実に、一歩一歩進んでいきました。彼がテレビに映る姿や新聞記事をみるたびに、心から「よかったね!」と思うのです。 彼を推薦した、当時のコンサートホールの新米若手スタッフも、今では東京オペラシティの音楽プロデューサーとして活躍しています。彼もまた、あのステージでは、つらい裏方を地道にこなしてきたのですから、同じく「よかったね!」と囁いています。 その二人の対談を、飯森さんのホームページ上で見ることができますが、その中で彼は当時を振り返り、「ものすごい練習量だった。舞台は大成功だったけれど、あのときの経験がなければ今の僕はない」と言い切っています。 そう。あの時オーケストラ団員に浴びせられた屈辱的な言葉でさえ、それを乗り越えた彼にとっては、貴重な歴史のひとコマなのでしょう。 皆さんが思い描いている将来の自分。これから先、幾度となく、飯森さんが出会った場面のような、つらく苦しいことに遭遇するでしょう。泣いてもいいし、少し休んでもいい。そこから立ち上がることが、生きる力となって、たくましく歩んでいくことを願っています。 そして、ふと後ろを振り返った時、「あの経験がなければ今の自分はない」と言えたなら~それはなんて素晴らしいことでしょう。そんな日が訪れることを信じて進んでください。 最後になりましたが、本日お子様のご卒業を迎えられました保護者の皆様、誠におめでとうございます。心よりお慶び申しあげます。新しい環境での、お子様とご家族の、益々のご健勝とご活躍をお祈り申し上げます。 また、お忙しい中ご列席くださいました、ご来賓の皆様、地域の皆様におかれましては、登下校中や、数々の行事を通して子ども達を見守ってくださいましたことに、厚く御礼を申し上げますと共に、今後とも引き続きご支援を賜りますよう、お願い申しあげます。 そして先生方には、厳しくも、愛情溢れるご指導をいただき、心より感謝申しあげます。この先も、巣立っていく子供たちを、変わらぬ愛情を持って見守ってくださいますようお願いいたしまして、本日ご卒業の一四〇名の門出にあたり、お祝いの言葉とさせていただきます。 平成二一年三月二一日M小学校PTA会長 うり野坊子
2009年03月21日
コメント(4)
パリ後半の日記が少し残っていますが、帰国してからすぐに、個人面談、総務委員会をこなし、21日に迫った卒業式の祝辞を書いています。では。近日中に。
2009年03月18日
コメント(6)
木曜日「パリのおばあちゃま」と呼んでいる女性がいる。絵に描いたような上流階級の人で、彼女とは12年前に当地の教会で知り合った。特に妊娠、出産の頃に助けてもらった。大恩人なのだ。おばあちゃまの長女と、カルティエ日本支社のトップであった「元夫」は、15年ほど前に東京で暮らしていた。元夫は日本人女性と不倫をし、長女は離婚せざるを得なかった。現在、元夫は件の日本人女性と二人の子どもたちと共に、パリ、それもおばあちゃまの家のすぐ近くに暮らしている。長女の子どもに会おうともしないらしい。生々しい話である。本日はおばあちゃまの家が最後の訪問地だった。約束の時間に遅れること30分。運悪く、現在トロカデロ駅が閉鎖されており、メトロを乗り換えていると、もっとひどいことになる。仕方がない。一番近い駅で、ひんしゅく覚悟でタクシーに乗り込もうとする。案の定、断られる。しかし、これ以上遅れるわけにはいかない。「小さい子が疲れている」と無理を言う。運転手は「乗ればいいよ。でも、ミニマム6ユーロだよ」と言って出発する。迷っている暇はない。メーターは4.4ユーロだったが、しっかり6ユーロを支払う。私も娘たちもお礼を言うが、知らん顔だ。その話をすると、おばあちゃまの友人が、「運転手、怒ってたでしょう?」「態度が悪いのは、もしかしてアルジェリア系じゃなかった?」と訊いてきた。確かにそんな感じの人だった。ぼられたかな。でも他に解決法がなかった…。朝から出かけ、まずはカタコンブ見学をした。子どもたちは何百万という骸骨にショックを受け、早足で出口まで出ようとするが、迷路のような地下道路に、辟易した模様。その後は昼食をとり、パスツール研究所の博物館へ行く。 研究所でパスポート審査を受け、入室する。パスツールが家族と過ごした場所であり、実験室もある。係のおばさんが親切に説明してくれる。我々と同時に入室したのは、日本人の研究者らしき男性と、高校生くらいの息子。同行のフランス人がたどたどしい英語で説明している。 悪くないなあ。こういう日本人は好感が持てる。あの「ブランド買いあさり族」とは大違いだ。日本人男性に「学校休んで遊びに来たの?」と訊かれた。うーん、間違いじゃないけれど……。「パスツールを題材に、夏休みの自由研究をすすめていくつもりです」なんて、トンチンカンな受け応えをしてしまった。 ここでも、長女「ま」よりも次女「み」の方が、熱心に質問をぶつけてくる。「女の子でも、理系に進んだ方が役に立ちますものね」と言いつつ、「そのまんま体育会系」の長女「ま」の将来がちょっぴり心配になってきた。 研究所は楽しかった。ついつい長居をしてしまったので、冒頭で話したとおり、おばあちゃま宅を訪問するのにタクシーを使わざるを得なかったわけだ。帰りは冷凍食品専門の店で、私はクスクス。子どもたちには~またもやエスカルゴを買って帰った。
2009年03月14日
コメント(4)
火曜日お友達(ルイーズ・アデル姉妹)宅に泊まった娘たちは、彼女らの父親に連れられ、一昨年通った小学校へ行く。児童が入室したら玄関の鍵は閉められる。我々家族はその後にディレクター(校長室)に呼ばれており、皆で挨拶した。簡単なインタビューの後、一日の給食代を払い、学校を後にする。夫とはサン・ラザール駅で別れ、FNAC開店を待つ。http://www.fnac.comフナックとは、日本で言えば紀伊国屋丸善+大型家電販売店がくっついたような店で、日本からは年に2回インターネットで、またフランスに来ると真っ先に買い物をする店である。子どもたちの学習参考書、本、DVDやCDと共に、村上春樹「海辺のカフカ」の仏語訳を買う。村上に限らず逆輸入は結構多いのだ。「アルプスの少女ハイジ」、「家なき子レミ」、「(アニメ版)厳窟王」など。ちなみに、現在FNACおすすめの場所に置かれている日本人作家は、ダブル村上(春樹と龍)、そして小川洋子であった。あ、宮崎駿も。ちなみにこちらでは「ポニョ」は4月8日から上映されるらしい。食料品を買い込み、夜のお客さん(マラン夫妻)のために準備する。夫が16時30分の下校時に小学校に迎えに行くものの、長女「ま」に「なんで出来たの?」と言われた。娘たちは、ルイーズと一緒に別のお友達の家に行き、そのままルイーズ宅に戻った。その間夫はカフェで時間をつぶした。もちろん彼は書類を持っているので、どこでも仕事はできるのだが、ちょっと可哀想だわな。マラン氏の妻はドイツ人である。ドイツの政治行政を批判していた。もちろんフランス人の中にもサルコジ現大統領を批判する人は結構存在する。いずこも同じなのだ。ただ、日本のマスコミだけが、「けなす」ことのみに専念し、「突出した幼稚さ」をさらけ出しているのだ。 水曜日こちらに来てグラスとコーヒーメーカーを壊したので、安い店を探すために午前の遅い時間に出かける。近くに百円ショップならぬ1ユーロ~ショップが存在する。グラスは見つかるが、さすがにコーヒーメーカーは見つからない。そりゃ、いくらなんでも百円ショップにコーヒーメーカーは存在しないわな。子どもたちの好きな乾燥ソーセージとフォアグラ(購入は今回が初めて)を買い、エスカルゴを食べに行く。これを食べさせないと一日に何回「エスカルゴ」と叫ぶか…。ノルマは果たした。午後は予約していたバレエ学校に行く。次女「み」はバレエを習っていないが、春に始めると伝え(ウソ)、二人を連れて行く。私のドジで時間を間違え、今回は長女「ま」のみ受講する。もう一度土曜日に挑戦するので、時間を間違えないようにしよう。その後、バルベスまで足を伸ばす。この町はアラブ人だらけで、駅を降りるとイカサマ商売人があちこちに立っている。目的は地下鉄出口の売店とTATI。http://www.tati.fr/www売店ではパリの絵はがきを一クラス分。前回は長女「ま」がクラスメートに配ったが、今回は次女「み」が配る。TATIはいわゆる激安ショップ。コーヒーメーカーを探すが、今回はめぼしいものがなく、敗北感を味わい外に出る。TATIは恐ろしい。ウエディングコーナーがあるのだが、ウエディングドレスがたくさんハンガーに掛けられ、客は好き勝手に探している。裾が地面に付こうがお構いなし。平均的フランス人がここで調達するとは思えないし、実際はアフリカ系、アラブ系の客が目立つのだが、見栄えが高級品と違うのかどうかもわからない。一回切りの衣装はここで選んでいいか?一生に一度だからこそ高級なものを選ぶか?なんだか私には価値がわからなくなった。ちょっと変わったルートで家に帰ろうと思ったら、夜なので、一瞬方角がわからなくなった。 うろうろしていたら日本人女性の二人連れを見かける。両手いっぱいにブランド品の紙袋。私はあのタイプ(女性の2~3人連れで、こぎれいにお化粧してブランドものを買いあさる)が大の苦手なのだ!!!(偏見に満ちててごめんなさいっ)近くの店で冷凍食品を買う。またもやエスカルゴ。こうなったら、帰国するまで冷凍食品で行くしかない!!
2009年03月13日
コメント(2)
金曜夜にパリに到着してから。土曜日ベトナム系フランス人の夫と、長男・長女・次男と暮らすフレデリック宅にお邪魔する。パリ郊外の小さな街の市政百周年を記念して大々的なお祭りがあった。馬に乗れたりアクロバットを観たり、子どもたちは大満足。長女「ま」はお年頃か、恥ずかしがって、長男のグウェンダールの顔がまともに見られない。彼は「ま」が大好きみたいなのだが…。 日曜日午前今回はアメリカンチャーチではなく、16区にあるプロテスタント系の教会へ行く。フランスにおけるプロテスタント教会は、アンリ四世が「ナントの勅令」を発布してから、市民権を得た。人口の85%がカトリック信者であるが、プロテスタント信者は熱心で、裕福な家庭が多い。宗教戦争に翻弄された先祖を大切にしているように思える。妊娠・出産からお世話になった、年配の女性たちに会うことができた。 先日大学にもいらしたパリ10大学教授宅に行く。これで三回目になるが、子どもたちは少し都会を離れた自然を満喫する。 月曜日日中モンパルナス駅で写真を撮り、一週間用のNAVI(東京で言うと「スイカ」のようなもの。)相変わらず物乞いの多い街である。その足で子どもたちをルーブル美術館に連れて行く。美術館に行きたいと言ったのは長女「ま」である。しかし本人は途中で疲れ果て、「いつ終わるのぉ?」と言い続ける。やはり体育会系だ。次女「み」は絵や彫刻の説明を求めるわ求めるわ!! 月曜日夜子どもたちは前回のクラスメートの家に泊まりに行ってしまった!!先方からお誘いがあったのだが、簡単な日常会話しかわからない彼女らは、送っていった我々を邪魔者扱いし、寂しがることもない様子だった。まあ、おかげさまで我々夫婦は、日本のY国立大学で教鞭を執っていたアランと一緒に、イラン料理レストランに行った。アランには日本人の彼女がいて、将来は日本に住みたいらしい。普通のフランス人は、信号が赤でも平気で道路を横断するのだが、彼は「ダメダメ。信号は守らなきゃ!」と、律儀に青信号になるのを待っている。我々が逆にたしなめられるなんて、いったいどこの国にいるのかわからなくなってきた。
2009年03月10日
コメント(2)
こんばんは。 突然ですが、今週金曜日からパリへ行きます。 コンスタントに年1~2回行っていたのに、前回の渡仏から約2年近くも開いてしまった…。 今回は10日のみの滞在ですが、夫が別の機関に宿泊する2日間を除き、お祭り、学校訪問、バレエ教室、昼食会、夕食会で埋まってしまいました。その空白の2日間を、トゥルーズにするか、ベルギーにするか、ロンドンにするか、ハウルの街ストラスブールにするか、他の地方都市にするかで迷っております。あちらに行ってから決めようと思います。 今回のアパートは、パスツール研究所のすぐ近くなので、子どもたちをつれてミュゼを見学し、夏休みの自由研究の題材にすると張り切っています。もちろん、娘がじゃなくて私が。 せっかく命の洗濯に行くのに、私の顔面左半分は、ボクサーか、はたまたDV被害者かのように、青あざが…。 先週金曜日深夜、トイレのタオル掛けに強打してしまったのです。左眉毛の上でした。夜中のトイレはまぶしすぎるので、いつも真っ暗で用を足しているのですが、あの日は「熱さまシート」を張って床につきました。-そして-。朝目覚めた時に目が開かないのです!何のことはない。血がこびりついていたからです。 次女の時で経験済みですが、額周辺を打つと、青あざはだんだんと下に降りてきます。まぶたの上から左目外側、そして今は頬の上。金曜日までに治るはずもなく、このまま旅立つわけです。 格好悪い~の一言に尽きまする。
2009年03月04日
コメント(6)
うちの夫(以下マロ夫)は、本当に上品なのである。子どもたちの汚い言葉は御法度。勿論私が時折口にする上品でない言葉(一般的ではあるとは思うのだが)にもしかめっ面。私自身は自分の日本語に自信があったのだが、彼の言語運用能力は本当に非の打ちどころがないのだ。言葉だけではない。「低品なテレビ番組はみない」。それはとりもなおさず、「テレビを視聴することは皆無に等しい」わけだ。もちろん、大河ドラマのようなものをみはじめると、週に一度の視聴が一年間続く故、「やめられなくなる」のが怖い~だから最初からみないという理由もある。しかし、私たちの年代ならば、「8時だよ!全員集合」は知っているはずだが、その名前すら知らなかったのだっ!さて。昨日「流浪の民」のことについて話したが、「慣れし故郷をはなたれて、夢に楽土求めたり」のくだりで、当時の男子生徒はかなり受けた。そして口々に「慣れし故郷を『鼻垂れて』」と歌った。歌の途中で笑い転げるのだ。そんな話を夫にすると…「下品だね」と一言。いや、「鼻垂れて」って言いたくなるよ!あの年齢だったら絶対言っちゃうよ!どうやら、この類の見解の相違は、永遠に一致を見ないことがわかった。
2009年03月02日
コメント(4)
私たちの次回コンサート曲目の中に、シューマン「流浪の民」がある。独特の音のつくり。難解な歌詞。遠い昔、中学生か高校生の頃。意味もわからず歌っていた。ヨーロッパでは今もジプシーの生活をかいま見ることがある。あちこち移動していて、子供たちの教育を受けさせるのに自治体も苦労している~そんなことを話したことがある。 北朝鮮に拉致された横田めぐみさんが、この曲を合唱のソプラノ・ソロで歌ったテープが残っていた。テレビ番組で放映されていたのを思い出し、楽譜を見せながら娘たちにめぐみさんのことを話した。「慣れし故郷を放たれて、夢に楽土求めたり」~めぐみさん自身がこの歌詞を歌った時に、だれが彼女の壮絶な人生を予想できただろう。そう思いながら話してたら…「ママ、泣いてるでしょう!」と長女「ま」。 流浪の民 撫の森の葉がくれに 宴ほがい賑わしや 松明あかく照らしつつ 木の葉しきて倨居する これぞ流浪の人の群れ 眼ひかり髪きよら ニイルの水に浸されて 煌ら煌らかがやけり 焚火かこみつ 燃ゆる赤き焔めぐり男息ろう 燃ゆる火を囲みつ 強く猛き男息ろう 女たちて忙しく 酒をくみてさしめぐる 歌いさわぐそがなかに 南の邦恋うるあり 厄難はらう祈言を 語り告ぐる媼あり 可愛し少女舞い出でつ 松明あかく照り遍る 管絃のひびき賑わしく つれたちて舞い遊ぶ すでに歌いつ労れてや 眠りを誘う夜の風 なれし故郷を放たれて 夢に楽土求めたり なれし故郷を放たれて 夢に楽土求めたり 東空の白みては 夜の姿かき失せぬ ねぐらはなれて鳥鳴けば 何処往くか流浪の民何処往くか流浪の民 何処往くか流浪の民流浪の民
2009年03月01日
コメント(4)
とりあえず、朝のオヅラ(小倉某はカツラだからこう呼ばれているらしい)の番組に飯森範親のインタビューが出るかもしれないということで、「特ダネ」を観る。~苦痛だった。番組を観ていると、限りなく不愉快になるんだもの。麻生総理が合衆国に公式訪問したが、レーガン~中曽根やブッシュ~小泉の時のように、もてなしてくれない。なめられている。支持率の低い内閣だから行くだけ恥だとか、本当は相手にされていないだとか‥‥。もう好き勝手、言い放題。別に、麻生さんを養護するつもりは毛頭ない。しかし、いくら政治が情けないからといって、このような物差しで自国を判断し、自国を貶める国家・国民が他にあるだろうか。マスコミ人間にはプライドがないのか?いったい何様なのだ! いつも言っていることをもう一度記す。我が娘たちにはマスコミ関係には就職させたくない。それでも飯森範親が出てくるまではスイッチは切れない。そして、短いインタビューではあったが、ちゃんと彼の指揮とインタビューは流れた。彼の駆け出しの頃を思い出す。「指揮の振り方が悪くて演奏できません」とオーケストラに言われていた若き頃の彼を。応援してるよ!飯森範親坊~でも低俗番組はごめんだ~!!
2009年02月25日
コメント(2)
http://blog.goo.ne.jp/chef-norichika/m/200902↑私がオッカケしている指揮者、飯森範親。昨日アカデミー賞外国語映画部門を受賞した「おくりびと」。何かと話題なので、観たい観たいと思いつつ、今日までチャンスがなかった。youtubeで検索、同作品の予告編をみる。最初にベートーベン「第九」の演奏が……あっ!……一瞬しか映らなかったが、指揮者は紛れもない飯森範親!「おくりびと」の舞台は山形。とすると、山形交響楽団か?~ということで、イイモリノリチカドットコムを久しぶりに覗く。どうやら明日朝「特ダネ」でインタビューが放映されるかもしれない。あんな俗な番組に出てほしくないのが本音。にわかファンやミーハーが増えるのが心配なのだ。
2009年02月24日
コメント(2)
自宅近くのフィットネスが閉店して以来、身体を動かすことが極端に少なくなった。ここ3週間ほど、ひどい咳に悩まされ、さりとてインフルエンザだらけの病院には行きたくない~そう思っていると、どんどんひどくなり、気管支炎を通り越して肺炎寸前になってしまった。おかげで、インフルうようよの病院に点滴のために通う毎日である。まあ、忙しくなるのは2月から。年末から何故か村上春樹に取り憑かれ、読みあさっている。身体を動かせない今だから、もっと深く入り込んでみよう。「ナカタさん」とは、「海辺のカフカ」に出てくる、(自称)「頭の悪い」初老の男性である。9才の頃、疎開先で先生に引率され、キノコ狩りに行った時、突然児童みんなが記憶を失うという事件があった。ナカタさん(中田君)以外の児童は徐々に記憶を取り戻したが、彼のみ、3週間ほど意識を取り戻さず、目を開いた時には文字も書けなくなっていた。ナカタさんは、障害者手帳を持ち、(彼の言う)「知事さんからホジョをいただいて」暮らしている。彼には猫と話すことができる能力があり、「猫探しの名人」としてお小遣い稼ぎもできた。そんな質素でほのぼのとした彼の人生は、この物語の中で大きな存在感があり、また、物語の鍵を握る一人である。物語が終盤になると、ナカタさんは眠るように息を引き取ってしまった。それは全く予想をしていなかったので、凄く悲しかったのである。思わず本を置き、天井を見つめなたら呼吸をしてしまった。~それと時を同じくして~である!長女の反抗的な態度に困り果てた。「どんなに言ってもアンタは分からないのね。どうしていいか私ももう分からないわ」と投げやりな言葉を発してしまった。「ふん。産まなければよかったでしょ」「生まれてこなければよかった」えぇええええーっ?どこでそんな言葉覚えたんだっ?この私でさえ、母親にそんな言葉を浴びせたことなんてない!!この言葉。ナカタさんが亡くなって意気消沈している時だったからこそ、余計に身にしみた。単にナカタさんの死が 悲しいだけでないのだ。ナカタさんは所謂「障害者」である。「ナカタは頭が悪いですので」といつも前置きをして喋り始めるのだが、彼の中には欲もなく、人を恨むこともない、純粋に与えられた毎日を生き抜いていく姿勢があったのだ。そんな人がこの夜から去り、反抗的な娘がより反抗的な態度をとった瞬間…私は言葉を失い、困り果てた。村上春樹の時にはグロテスクな場面を含むファンタジーの世界。理解に苦しみながら、否、いちばん理解に苦しむのは~現実の世界なのだ!!と悟ったのである。昨晩はなかなか寝付けなかった。 「事実は小説よりも奇なり」って、いったい誰のことばなんだろう?
2009年01月26日
コメント(4)
いよいよ隣人の少なくなったこの宿舎。お正月は大嫌いだ!淋しくてしょうがない。例によって夫は大晦日も三が日も研究室に籠もる。何を言っても無駄ムダムダ。子ども達が可哀想。「パパ遊んでくれないから」と次女。「おとといM公園に行ったでしょ」と夫。ほんの3時間。罪滅ぼしに?子ども達は勝手に遊んでた。アンタは見てただけ。「大切な時間を費やした」って??もう頼むもんですか!期待するもんですか!そうやって8年もこの田舎に閉じこめておいて。「メリハリをつけたらいいんだよ。毎日遅く帰ってもいいのなら一日くらい休めるよ」ですって?休んだって、いーーーっつも書類に目を通してるじゃないの!食卓でもでしょ! 私が機嫌が悪いから、遠慮してるですって??そっくりそのままお返しするわよ、その言葉!~すみません。思いっきり愚痴ってしまいました。お正月は大嫌いなの!!~
2008年12月31日
コメント(6)
もう2年も前になる。お風呂で転けておでこを強打。4針縫合。先週木曜日。校庭でタイヤ跳びをしていて、前のめりに転ける。おでこと鼻の下に擦り傷を作る。今日。校舎内で走っている男の子にぶつかられ、後ろ頭を打つ。下校時また転ける。あの場所、あのおでこを強打。恐ろしく大きなたんこぶと擦り傷。下校のバスから降りた「み」は、ティッシュでおでこを押さえていた。私の顔を見るなり、「たんこぶ打った!!」と泣きわめいた。すぐさま脳外科に直行しようかとも思ったが、今のところは様子見。大丈夫そうではあるが、しばらくは気をつけておこうっと。 「たんこぶ打った」「血がが出た」(怪我の時の迷言集)
2008年12月22日
コメント(2)
毎年秋には、フランス語圏アフリカ諸国の研修生が近くのJICA研修施設にに滞在する。自国の教育行政に携わる、日本で言えば文部科学省の役人や教職のプロに当たる人たちである。この研修には、夫が講師の一人を務めている。彼らは来日後、JICAで最初の講義を終わらせた後、学校,教育委員会,文科省等を視察し、1ヶ月後にファイナルレポートを修了、帰国の途につく。この小さな地方都市で行われることである。近隣の小学校での視察とわかり、教育委員会にお願いして、私もお手伝いさせてもらうことになった。ところが。視察当日の朝、急遽我が小学校が研修生を受け入れることとなり、私としては勝手知ったる我が校でホッとした。後で分かったことなのだが、当初の受け入れ予定の小学校の先生が急逝されたことが原因だったのだ。さて。毎度のことであるが、研修生達は新しくて設備の整った学校と、人なつっこく「まぶれついてくる」児童に感動しながら、写真を撮り、質疑応答で活発な議論を繰り返し、楽しんで帰っていった。次の日、研修生の一人が亡くなったと知る。学校を後にし、苦しさを訴えて病院に運ばれるも、手遅れだったと。所謂「エコノミー症候群」で、来日中の飛行機の中で血栓ができたのだろうということ。処置が早ければ助かっていたのかも知れないということであった。日本に着いてから苦しそうではあったらしい。しかし、それは長旅の疲れであろうと誰もが思っただろう。まだまだ研修日程を残しての死である。他の研修生はどんな思いで次の日程をこなしたのだろうか。それからしばらくして、他のグループと共に「一日宮島ツアー」が実現した。私も急遽仏語通訳ボランティアとして参加した時には、彼らは元気を取り戻していた。そして、つい先日日本を発った。最終日には亡くなった一人の記念碑を建てたらしい。エリートとはいえ、途上国の行政を支える彼らである。次に来日できる可能性があるのかさえ分からない。(ベナンからの外国人、ゾマホンを思い出すなあ…。)またいつか会おうよ!!
2008年12月22日
コメント(2)
ここのところ悲しすぎるニュースが続く。ひき逃げ、引きずり、小学生が刃物を持つ等々。更に空しさを感じたのは昨晩からの出来事。元厚生省(厚労相)OBが立て続けに何者かに襲われたこと。年金不祥事の「テロ」だとマスゴミがかき立てる。確かに年金問題が混乱しているのは事実なのだが、だからと言って彼らが殺されてよいわけはない。恐ろしかったのは、某巨大掲示板。私もついつい、ニュース関係では訪問してしまうが、今回の書き込みの多くが、「ざまあみろ!」「すがすがしいニュース」「国民を苦しめているんだから殺されて当然」という意見で溢れていることに、背筋が寒くなった。なんだかおかしくないか?「怨恨」だとしても。犯人は年金問題で大きな痛手を負ったから殺したとでも言うのか?重苦しすぎる。飛躍してしまうが~やっぱり諸悪の根元は…マスゴミだ。それに洗脳された集団心理よ。報道が悪質だから、一方的だから、相手に非があれば何を言っても許される公共の電波に触発され、本来あり得ない犯罪がもっともっと起こる気がしてならない。電波を通じて、「だからと言って殺してよいわけはない」という一言でも言ってはくれないのか?私のボスも、同省出身で殺された方と年次の近い人だ。官僚は無難に仕事をして当たり前。誰も褒めないのは当たり前。でも何か失敗をおかしたり(失敗は許されないのはもちろんだが)、国民の意図に反する結果になろうなら、容赦なく攻撃される。元ボスも、他省庁に出向し、とある団体を敵に回した頃は「(彼の)自宅の向こう三軒両隣は、流れ弾に気をつけろ」とまで言われていたらしい。国民の不幸を願って働いているわけではないのだ。多くの職員は。本当に、この国、どういう方向に進んで行ってしまうのだろう。
2008年11月19日
コメント(4)
娘達が新しいブーツを欲しいという。近くのスーパーでは足に合うサイズが見つからなかったので、本日はこのあたりでいちばん大きなスーパーまで足を伸ばした。娘達は楽しそうに選んでいた。ふと気づくと、5メートルくらい離れた場所で水商売っぽい女性が大声で電話をしている。横では娘とおぼしき女の子が大泣きしている。女性はものすごい荒れた方言で、電話の相手にまくし立てている。最初は電話でケンカをしているのか、はたまた我が子を叱っているのかと思っていた。言葉がきつすぎて訳が分からなかったのだ。女性の言葉を要約(通訳)すると、~どうやら、どこかの子供がその女性の娘ことを笑ったらしい。そして娘が泣き出したということらしい。「M小学校(スーパーからいちばん近くの小学校)の子供かどうかは知らん。子供があんな態度をとっているのに、知らん顔をしている親も親だ。親がなっていない。うちの子は大泣きしとる。ランドセル売り場でランドセルを見ていたのに、etc.」ふーん。何があったのかしら? 何のいざこざかしら? あまりの剣幕に、周りの人達も店員も「??」という顔つきをしている。そのうち、その母親の視線がどうもこちらに向いているのに気づく。「女の子二人だ。一人は骨を折っている。娘も今その子達を指さしている。間違いない。ウチ(私)が顔が広いのを知らんな。覚えておけ!」~と言うような言葉を残し、売り場から消えていった。えっ? 我々のこと? なんで??~そういえば、クツ売り場はカバン屋さんの隣だ。我が娘達はランドセル売り場の「テ・テ・テン…天使のはね♪」という、体操のお兄さんのビデオを見て笑っていた。そしてそのすぐ後にクツ売り場に来たのだ。 長女によると、件の少女はランドセル売り場を挟んだ向かい側にいたらしい。娘達が体操のお兄さんの仕草を笑ったのに、自分が笑われたと思ったのだろうか?私は売り場のお姉さんに、「何があったんでしょうか?私たちのことを言っているんでしょうか?」と話しかけた。売り場のお姉さんも、尋常ではない状況に戸惑っていた様子で、責任者を呼んできて詫びてくれた。いや、店のせいじゃないし、店だって困っているだろう。私としては、なにか「いちゃもん」をつけられた時に、助けてくれればそれでよいのだ。それにしても、大きな勘違い。大きな迷惑である。そして脅してくるなんて。しかし……。笑われたからと大泣きし、母親に訴え、母親は大声で脅す。私の中の常識をはるかに超える行動である。彼女らはどういう行動に出るのだろうか?「顔が広い」から、各小学校区の知人に電話やメールを入れまくるのか?「お宅の学校に腕を折った女児はいないか?名前を調べろ」ってな具合か?それで恐喝でもしてくるのか?ゾッとする話である。しばらくは眠れない日を過ごすであろう。
2008年11月03日
コメント(10)
骨折少女「ま」を連れて、近くの拠点病院へ行った。結果として、何とか手術をせずに済ませられそうだ。知人の経営する個人病院へ転院手続きをお願いした。 大病院でのレントゲン、CT後である。「ま」は学校へ行く気も失せたようで、帰って休みたいと言ったが、とりあえず担任に報告するため、学校に立ち寄った。先生方からの質問に、「豚もおだてりゃ木に登り」、「サルが木から落ちました」と説明しておいた。 陸上もバレエも御法度。本日行われた学習発表会のオーディション(太鼓)もあきらめざるを得なかった。 そして、今度は夕食前に次女「み」が、だるそうにカーペットの上にゴロゴロしていた。「どうしようもなく頭が痛い」と言うではないか。涙を流して訴え、今にも眠りそうになる。 5月の連休に聞いた近くの小学校の小学4年の女児の件を思い出した。とても元気な子だったのに、突然頭が痛いと言いだし、そのまま救急車で運ばれ、1週間後くらいに死亡。生まれつきの血栓だったとか。子供にも脳疾患があるなんて!と身震いしたのだ。 「み」は夜間当番医院に到着するまで、そのまま眠ってしまいそうな気配である。実は1週間前に一輪車で転けて後ろ頭にコブができてた。もしかして、遅れてやってきた脳内出血?? 当番医はベテラン小児科医。我が校の学校医でもある。彼の勘からして大事ではなさそうである。 うーん。 結果的に眠かっただけなのか?計算カードをしろと言われてイヤになったのか?近視のための頭の痛さなのか?我々と同じ頭痛持ちなのか? とにかく「み」はしょっちゅう、「頭が痛い」、「お腹が痛い」、「足が痛い」と訴える。決まって夕食時だ。 何かストレスでも与えいるのかしら??
2008年10月27日
コメント(2)
朝から大きなイベントの動員がかかっていた。子ども達を夫に託し、とある会場で夕方まで立ちっぱなしの状態であった。その間、夫は子ども達を連れて、県庁所在地のある隣の市へ行った。「うまいもの市」のような祭りを楽しみ、お城へ行った後、長距離バスで帰ってきた。心なしか長女「ま」が疲れている様子。夕食までには少し時間があったので、持久走の練習をしようかと誘ってみる。珍しいことに、彼女は拒否をする。「?」…。彼女は走ることが大好きなはずなのに、何か変だ。「あっ」と夫が昼間の出来事を話し始めた。公園で木登り遊びをし始めた「ま」。降りようとして足を滑らせ、肩から落下したらしい。下はコンクリート。かなり痛そうだったが、そのうち痛みが治まったとのことで、こちらに帰ってきた。しかし、心なしか片方の肩だけダラリと下がっているように思える。腕はかろうじて上がるのだが、痛そうだ。これは尋常じゃない。夜間・休日当番医に電話をする。整形外科医は非番で、外科医が当直だとのこと。しかしレントゲン等の診断はできるとのことで、病院へと急ぐ。脱臼どころではない、肩の骨が折れていた。 あまり痛がらないので、まさか折れてるとまでは思わなかった。要するに、彼女は我慢強すぎるのだ。同病院の整形外科医には処置の方法を電話で聞いただけで、救急処置は当直の外科医が行った。オペが必要かも知れないので、月曜朝いちで設備の整った医療センターへ行くようにとのこと。そのまま行きつけのお好み焼き屋へ夕食を取りに行く。休日当番医がC病院だと聞いた店主と常連客は、一斉に「えーっ!?」と凍り付く。そうなのだ。8年前この地に引っ越して来た時に、地元の人は「C病院だけには行かない方がいいですよ」と教えてくれるほどに、評判の悪い病院だったのだ。まあ、外科系統の救急病院である。死亡する人も多いであろうから、仕方がないと言えば仕方がないのかな。 しかし、頼りにならないのは夫である。ケガや病気に関しては鈍感きわまりない。今まで何度、子ども達の熱を見落としたことか。嘆息。体育会系の長女「ま」にふりかかった災難である。
2008年10月25日
コメント(4)
別に麻生さんを擁護する訳じゃないけれど、ホテルのバーに行ったからって、庶民感覚とかけ離れているからって…だから何なの?国民のために仕事をしてくれればよいし、こんなくだらないことをいちいち記事にしないで欲しい。 別に中山元大臣を擁護する訳じゃないし、現役大臣があそこまで過激な発言の仕方をすべきじゃないとは思うけれど、メディア上で発言している人たちって、何様なのだろう。薄っぺらな知識としか思えない。なのに、「私はなんでも知っている」「私は全て正しい」という態度にはうんざり。元大臣の言葉の裏に何があるかなんて、伝える気もないのだろう。 小学校6年生の男の子が、パンを喉に詰まらせ窒息死。なくなった児童の両親宅に上がり込み、「学校が悪いですよね」といわんばかりに誘導尋問。校長に土下座させる光景まで披露する。両親も校長も、マスコミによって物笑いの種にされている。 「たらい回しで死亡」。不幸な出来事である。しかし、関係者をひたすらせめてせめて責めまくり、残された夫にマイクを向ける。私は専門家(医師)の説明は聞きたいが、コメンテーターの言葉など、聞きたくもない。いずれにせよ、「出産は命がけ」なのだ! ペンの力を借りて正義を主張したい?日本を正しい方向に導きたい? とてもそうは思えない。 都合の悪いことは報道しない。都合のよいことだけ切り貼りして報道する。そうやって視聴率さえ取れればよい。日本国民をステレオタイプに作り上げ、人を批判することしかできない人間に仕立て上げたいのだろうか。 はっきり言って、私は今回の橋下知事の言うことが、「その通り!」と思えた。子ども達がマスコミ関係に就職したいと言ったら、よい気持ちはしないだろう。性格が悪くなりそうな気がするのだ。
2008年10月24日
コメント(5)
何度か更新を試み、その都度失敗し…。その間モンスターMは暗躍していたっ!! モンスターM娘の担任に代わる、J先生着任後一週間過ぎた頃、学校では恒例の参観日が行われた。授業後の学級懇談にて、Mの攻撃は始まった。曰く、「私は英語ボランティアとしてこのクラスに入っているが、先生が替わってから子ども達の落ち着きがなく、授業が騒がしくなった」と。他の父母を前に堂々と…である。なんてことを言うのだろう!J先生はうつむき、心なしか涙ぐんでいるように見えたらしい。その様子を見ていた校長は次のごとく応えたらしい。「それが教師の力量によるものであれば、日々研鑽を積んでいかねばならない。そうではなくて、児童が相手によって態度を変えるようであれば、それは児童にも問題があり、そこは指導をしていかねばならない」と。幸い(至極当然のことであるが)、他の父母達がMに同調するはずもなく、逆にJ先生への援護射撃をしてくれたとか。「うちの子は『J先生の授業、楽しかったよ』と言ってます」と。そうなればMは孤立無援状態である。その後に発言をすることはなかったようだ。 実は、この参観日の数日前、モンスターMは学級委員としての立場上、クラス全員に書類を配布したらしい。『産休に入られる「教諭」に、有志で花を贈りたい』という内容であったが、いらぬ一言、二言を書き加えていたとか。要するに、「(産休に入るのが)このような中途半端な時期に」だの、勝手に「学校はサポートを約束してくれている」だの、「参観日での学級懇談会で意見交換を」だの、おおよそ『普通の人間』が書くような文章ではなかった。 しかも、それは保護者内で交わされる文書であるべきところを、学校長にまで見せ、「この文書を出させていただきます」と言う、無理矢理とも思える承諾を要求したのだ。前代未聞である。 ただし、そのようなみっともない文書を出してくれたおかげで(そこはMのマ○ケなところである)、学校側は警戒し、万一J先生の授業と懇談会に混乱を来したときのために、同じ教室内に校長が「待機」していたのだろう。 実はJ先生、昨年も全く同じ時期に我が校に臨時教員として赴任されていた。若くて可愛くて、そして熱心な、将来の期待される人物である。ある休日、たまたま学校を訪れた私は、職員室のドアが開いて中から人が出てくるのが見えた。J先生であった。こつこつと情熱をもって取り組む姿勢に、多くの父母がJ先生を慕っていたのだ。ま、これからの若い教師にとっては試練。百戦錬磨の親の「イチャモン対処術取得」はよい経験になるはずであろう。
2008年10月09日
コメント(2)
「モンスターペアレント」という言葉が大流行である。"parent"を単数形で使うことに少し違和感があるのだがそれはおいておいて。あのTVドラマの内容はギャグのように思えるが、いやいや、実に現実的。身近に存在している。ここに久々迷惑M親子を登場させよう。 M 母は一応「教授職」である。しかし、それにはからくりがあって、彼女の場合は研究者でも何でもない。学生支援をするから、対外的にそういった役職名がついているだけである。通常研究者は夜中も土日もあったものじゃない。しかしM母は毎日17時過ぎには帰宅している。たっぷり休みも取る。もちろん論文実績もなさそうである。M母の娘のクラス担任は来週から産休に入る。出産2ヶ月前ギリギリ。それが学校設置者の決めたシステムである。本人も子ども達のことを考え、精一杯に努力していると思う。しかし、M母は学校にクレームを付けた。曰く、「出産予定ということは、4月の時点でわかっていたはずなのに、何故クラスを持たせたか」だの、「夏休みが終わってからほんの少ししか出勤しないのなら、9月1日から休ませられないのか」だの、「子供に支障をきたすようなことはするな」だの。挙げ句の果ては「大学ではこんな事はあり得ない」(※それはウソである。専門の教官が産休に入れば、その後は休講である。それまでに補講なり何なりで単位を修得させるだろう。)M。どういう感覚の持ち主なんだろう?男女共同参画を推進しているはずのMである。進路指導をしているはずのMである。何故素直に祝ってあげられないのか?しかも、学校にクレームを付けた時、産休に入る日付はちゃんと聞いていたずなのに、他の人には「学校は教えてくれない」と吹聴していたらしい。Mはこうやって人を陥れるのか??ゾッとする。厄介なことに、Mは娘のクラス委員になっている。子供一人につき一度は役をこなさねばならないので引き受けたのだろうが。担任が代わったり、産休に入ったりすると、保護者有志でささやかな寄せ書きやプレゼントをする場合が多い。そのことに関しても、学校に対し「私がやらなきゃいけないんですか?」と問う。~何をいちいち学校に聞いているんだ?判断力ゼロか?そんな規約はどこにもない。それこそ「気持ちの問題」である。やるならやればよい。やらないのならやらなければよい。自分で判断しろ!!M はその後、自分の所属する委員会の委員長に下記のような質問を浴びせた。幸い、委員長は私と全く々考えで、理路整然とMに説明して「さしあげた」らしい。( )内は私のこころの叫びである。断っておくが、委員長は専業主婦である。Mよりもずっと若い。しかし、とても大人の受け答えをした。○M「どうしても学級委員がやらなければいけないのか」(はぁ?やるなら学級委員が率先してやるべきでしょ!何のために学級委員になったのかね)○M「いつどうやってやるのか」(はぁ?自分で考えろ!)○「産休中、学習発表会など、他の行事の時に声をかけたら、臨採の先生に対して申し訳ないのではないか」(アンタじゃあるまいし、そんなことで気を悪くする人がいるかいな!)○M「O先生の葬儀の時は、どうやって声かけしたのか」(はぁ?次元が違うだろ!PTA規約を読み直せ!)○M「産休に入っている時は給料が出ないのだから、何かプレゼントを渡すとしたら、学校に来てもらうのはいけないのではないか」(はぁ??職務命令ではありせんよ!アンタなら休みの日に呼び出されたら怒り狂うでしょうけれどね。担任がブチッと学校と縁が切れるわけでもないんだから、親御さんの良心を受けないはずはないでしょ!)これが、常日頃「私は教授ですよ!!」と相手に対して威圧的な態度を取り、パワーハラスメントを繰り返す輩の言うことなのだろうか。 今日、Mはクラスの保護者用に案内文を送ったらしい。産休に入られる先生のために、有志で一口100円を集め、花束を贈りたい~そこまでは妥協した末の判断だったのだろう。しかし一言多かったらしい。「このような中途半端な時期に」という一言を文章の中に入れていたらしい。それは、学校が出す文章でもないゆえ、先生に見せるものでもない。逆に教師が文句を付けられるものでもない。 M。大したモンスターだ。昔は学校に一人か二人だったのが、昨今は100人に一人、否、各クラスに一人か二人は存在するだろう。しかし。これだけは言える。モンスターは自分のことを決してモンスターなどとは絶対に思わないだろう。
2008年09月04日
コメント(6)
とにもかくにも、夏休み前半は重なる葬儀、そしてPTA連合のスポーツ大会(我が校が当番校ゆえ、てんてこ舞いだった)などで訳がわからぬまま過ぎていった。0先生。昨年転任されてきた39才の「声のバカでかい」「寒いダジャレで生徒と対決する」誰にでも人気があり、誰に対しても気配りのある先生だった。今思い返しても、申し訳ないほど我々保護者(兼PTA)に対して柔軟に対応してくれ、行事には必ず顔を出し、その上、ご近所ではスポーツ少年団、「おやじの会」で精力的に活動していた。金曜夕方に挨拶を交わしたのが最後、日曜未明に虚血性の心筋梗塞(おそらく)で自然に息を引き取り、奥さんが午前7時に起こしに行った時には亡くなっていたらしい。呆然と動けぬ奥さんに代わり、6年生の長男が消防署へ走って行ったと。「お父さんが動かない!」と。 救急車が自宅に到着するも、人を乗せずに去っていった。その後、死因を検証するために、まず最初はパトカーが来る~そのあたりで、噂が噂を呼び、たまたまそれを聞きつけた一人の教師からの情報で学校が戸惑う。O先生宅で何かがあった。O先生のお父さん(校長までされた元教員)だろうか?O先生の自宅の電話には誰も応答しない。教頭が何気ない振りをしてO先生の携帯を鳴らす。奥さんが応答し、「主人は亡くなりました」と。 心疾患による死亡は、遺体が黒くなるらしい。だから、「見せたくない」との家族の希望で、最後のお別れもできなかった。通夜も葬儀も葬儀場周辺道路が大渋滞するくらいの混雑だった。親族はもちろん、学校関係者、生徒(O先生は6年生の担任である)、卒業生、スポーツ少年団関係者など。暑い盛りの葬儀に、倒れる児童もいる。6年3組のクラス代表による「お別れの言葉」、そして6年生有志による合唱「桜の下で」。 私はその2日前のワカさんの葬儀のこともあり、人生ってなんだろうと、こんな単純なことに答えが出せずにいる。いや、出せるわけはないのだ。わかるはずがないのだ。長女「ま」はとにかく 「泣くのを我慢してたよ」。次女「み」は最初は眉間にしわを寄せてあたりを見回していたものの、後半は号泣し、先生に慰めてもらっていた。~しかし、肉親の死ではない。悲しいことはわかっても、実感としてはいまひとつなのではないか。出棺の際のO先生の小学校2年になる次男の姿が焼き付いている。ひざまずき、拳を地面に叩き付けていた。あまりにも突然の死を受け入れられないのではないか。ワカさんの葬儀もO先生の葬儀も、親族には杖をついたかなりのご高齢の方がいらした。さぞつらいことだろう。若い者が先に逝ってしまうことくらい、親不孝なことはない。我々も、子ども達が成人するまでは死ねない。絶対に。 明日のことがわからないゆえ、一日一日を大切に過ごさねばならない。なのに、ついついオリンピックばかりみて過ごしてしまう毎日であった…。
2008年08月18日
コメント(4)
癌で闘病中だったワカさんが他界した。昨年暮に子宮頸癌が発覚してから、進行がとても速かった。いや、子宮頸径に見つかっただけのことで、本当は全身冒されていたのかも知れないけれど。ご両親とご主人のご希望ということで、出棺前に棺の前で「ケ・セラ・セラ」、「アヴェ・マリア(グノー)」、そして「千の風になって」をコーラスグループで歌ったのだが。もう涙ボロボロ。音も無茶苦茶。「ケ・セラ・セラ」は、ワカさんが「このように生きたい」と、とてもお気に入りだった。「アヴェ・マリア」は昨年のコンサートの時に。そして、「千の風になって」は、彼女がまだ元気だったころ、「死んだら家族にはこう言ってあげたいよね」と話していたという。声楽科卒のワカさんのお家は音楽一家だったのだろう。出棺の時、お父さんのトランペットで「ケ・セラ・セラ」を演奏するも、嗚咽をこらえてか、音が途切れ途切れ。それにも涙をそそられたが、演奏終了と同時に、「あ、やっぱりダメだ」とつぶやき、大声で娘の名を叫んだ。実は、葬儀のために出かける準備をしていると、教頭から電話が鳴ったのだ。「休みの日に、何故?」~そんな不吉な予感は的中し、6年担任のO先生が亡くなったとの連絡。金曜夕方には元気な姿をみせてくれてたのに。あんなに元気いっぱいの先生なのに。朝、奥さんが起こしに行ったら既に亡くなっていたと。次女「み」はまだ死の意味を実感できない。しかし長女「ま」は、ワカさんのことを一緒に見送りたいと言った。周囲の嗚咽にもらい泣きし、O先生のこともショックだったのか、「死」についての疑問を私にぶつけた。ある意味、葬儀という厳粛な儀式は、「いのち」を考える大切な時間なのかも知れない。さあ。明日は通夜。明後日は葬儀。ある程度覚悟していたワカさんの死。思いもかけない、夢なら冷めて欲しいとさえ思うO先生の死。ふーっ。
2008年07月27日
コメント(4)
なかなか更新できない!いつだってPCに向かっているのに、書きたいことは山ほどあるのに、気分が乗らない。こういう時ってあるのだ。別に家族に一大事が起こっているわけではないのに。あ…でも結構健康について考えることってあったな。次女「み」が一年生になって3ヶ月目を迎える。偶然他のクラスに同じ「ファロー四徴症」の女の子アヤちゃんを見つけた。病院も同じ。主治医も同じだ。一口にファローといっても程度にはかなり開きがある。アヤちゃんは重症である。今も冠動脈がない。生まれてから十数回手術を受けている。点滴によって眠っている期間が長く、体質もあるのかしら、脳が萎縮してしまって言葉にも遅れをきたしてしまい、他動のため足がピョンピョン動くので、矯正の装具を着けている。先日の運動会の代休の月曜日、アヤちゃんも「み」も心臓血管外来で受診した。その日は県内の各地で代休だったらしく、我が家は受診予約を入れてはいたものの、ひどい混雑で待ちくたびれた。しかしながら、何年ぶりかの入院仲間も会ったし、その仲間から他の子の近況も聞かされ、。入院仲間、マイちゃんは生後すぐにペースメーカーを植え込んだ。お母さんが膠原病の一種だったから。膠原病で有名な病院にかかっていながらも、妊娠中のケアは全くしてくれなかったという恐ろしい事実に身震いをしたものだ。マイちゃんもまた「み」と同じく一年生。生後にそんな大変な出来事があったなんて信じられないくらい元気で体格も良い。マイちゃんの学校にもまた、「み」と同じ病気の男の子がいる。~なんて懐かしい再会…なんて懐かしい名前をきいたことか。でも。マイちゃん、ある日のこと。初めてのプール授業を控えて教室内で着替えをしていたら、周りのお友達がペースメーカー植え込みのあとを見て口々に叫んだらしい。 「マイちゃん、なあにそれ? ロボットみたい!」子ども達は正直なことを口にしただけ。まだ一年生だもの。「み」だって、入学してから何度「チビ!」と言われたことか。悪気なんて全くなかったろう。だけどロボットと言われたマイちゃんは傷ついた。 もう二度と水泳の授業なんて受けたくないと。~その話を聞きながら、アヤちゃんのお母さんが涙ぐんだ。アヤちゃんは一人っ子。きょうだいが与えられたらなと、お母さんは望んでいるけれど、アヤちゃんのお世話はかなり大変だ。「あの子があれだけ手がかかるのでね。主人といつも言っているんです。赤ちゃんポストから2,3人もらいたいよねって。」う~ん。ちまたで議論になっている出生前診断。男の子、女の子の産み分けだけのために使うのは私は賛成できない。だけど、障害を持った子どもの親には何らかの対策があってもよいのではと思う。線引きは難しいけれど。
2008年06月30日
コメント(6)
(先週のPTA総会準備のため、目が回りそうでした。やっと更新できます。)Mちゃんとその母・Hさんに会ったその日は、子ども達はとても和やかな雰囲気の中で遊んでいた。ただ、Hさん自身のことが少し気になった私は、牧師夫人に「ちょっと心配かなあ」と言い残して教会を去った。牧師夫人も「やっぱり?」とつぶやいた。一週間後の礼拝後、牧師夫人が話しかけてきた。「うり坊さん、Hさんに住所や電話番号などを教えてないよね?」と。もちろん教えなどいない。実は、初めて彼女たちが教会を訪れたすぐ後に、次のようなことが起こったらしい。初めての教会で、人々に親切にされ、大変満足して帰宅したHさん。明くる月曜日には人が変わったように錯乱状態だったという。教会の向かいに住むアヤさんの家に突然押しかけ、興奮した状態で訴えてきた。「うちの子Mはあの教会の牧師にいたずらをされた。服を脱がされ下半身を触られ、Mは泣きわめき、手がつけられない状態になった。おそらく、他の女の子達も同じようなことをされているのに、言い出せずに我慢しているのだ。あなたもあの教会にだまされているのよ。 そういえば、Sちゃんという女の子がいたけれど、うちのMと体格が似ているから、被害にあったかも知れない。すぐに彼女の家に行って伝えなければ。」~と、弾丸のようにまくし立て、アヤさんの了解も得ず、Mちゃんを預けてSちゃんの家に直行したらしい。留守だったけれど。もちろん、牧師の話はあり得ないことだ。Sちゃんが不在だったので、アヤさんの家に舞い戻ってきたHさんは、身の上話を始める。両親とも生き別れ、離婚し、母子でギリギリの生活している。二日に一度食べればよい方で、娘のMちゃんにはヨーグルトしか食べさせていない。自分は警察と議員に不法侵入されたことがあり、パソコンのデータを見せろと脅され、挙げ句の果て、彼らが強引にパソコンを押収しようとした等々。アヤさんは最初は困惑していたものの、最後には怒りに変わり、その後も続くHさんからの執拗な電話攻勢にも、「もうどうぞご勝手に。教会にだまされているのなら、私はだまされ続けていいから」と伝えたそうだ。牧師夫人は、夫にあらぬ疑いをかけられ、熱を出して寝込んだ。そして、Mちゃんの通っていたキリスト教系のS保育園から、HさんMちゃん母子の事実を聞かされる。Hさんはやはり精神疾患だそうだ。市当局はそれを把握しており、専門チームが定期的に見守って(?)いるらしい。Hさんの妄想は手がつけられない。しかし、その妄想内の話は実にうまくできているらしい。専門的なことにも詳しい。妄想内なのか現実なのか、その狭間で彼女は人と衝突するのだ。彼女は「いろいろなところで被害に遭っている」ので、訴訟をしまくっているそうだ。お金がないと言うわりには大きな車に乗っていたり、食べるものに苦労するというわりには、子どもの体格は素晴らしい。天涯孤独だと言うが、実は隣の市に住むHさんの母親は健在らしい。 ~そうなのか。ただ、我々の教会だけでなく、他の教会や複数のお寺にもにも足を運んだことがあるらしく、彼女自身もどこかで救いを求めているのだろう。しかし、人とまともに交わることができないゆえ、救いようがない。彼女ひとりのことならば、「知らない!」で済ませられるとしよう。問題は娘のMちゃんだ。Mちゃんの行動が、一種の発達障害から来ているもので、加えて離婚という経緯を経た故に母親のHさんがあのようになったのか、それともHさんが元々疾患を持っていたので、彼女との関わりの中で培われつつあるMちゃんの「人格」なのかは、私にはわかるはずもない。ただ、福祉に携わる人たちや肉親の愛で、かなり改善、矯正できるであろうMちゃんなのに、あの母親に養育されたままでは、将来も暗い気がする。かといって、児童相談所に通報するまでもなく、市当局も把握しているわけだから、私たちのすることはないだろう。多分、Mちゃんの小学校入学までは、もう会うこともないだろう。
2008年04月22日
コメント(6)
ボスが厚○、夫が文○。二つの行政専門家に鍛えられた上、遠い昔、ボランティアではあるが、いのちの電話相談員の研修・相談員を経てきた私である。素人ではある。通常はずぼら・鈍感であるが、なにやらピンと来る時は来るものである。先週、4才の女の子を連れた女性が初めて礼拝に訪れた。礼拝後に軽い昼食をとっていたが、どうも女の子(Mちゃん)の様子があまり穏やかでない。大人を極端に怖がっている感じを受けた。自分では食事を口に運ぼうとしない上、母親が食べさせようとすると、身をよじって嫌がる。ひたすら指しゃぶりをする。そのうち時間が経つに連れ、子ども達とはうち解けたようにみえた。あ、初めての場所に緊張していただけなのか。うん。でもどこか気になるMちゃんの行動…。母親はフラメンコダンサーを目指してスペインに渡ったらしいが、どのような生活をしたのか要領を得ない話し方が気になった。帰国してもダンス一辺倒の生活だったようだが、ヘルニアを患い自宅療養を余儀なくされたとか。Mちゃんを出産し程なく離婚。毎日ギリギリの生活をしているそうである。「どこの幼稚園(保育所)ですか」と私は問うた。すると、「S保育園に行かせていますが、今は事情があって休ませています」と返してきた。S保育園とは、車で片道25分くらいかかる、子育て支援に熱心なミッション系の保育所である。しかし、母子の住まいは我が小学校のすぐそばだとわかった。Mちゃんの今後を少しは心配しているような母親は、「小学校ではいじめがありますか?」といきなり聞いてきた。私は「深刻なものがあるかどうかはわかりませんが、小さなことならあるでしょうね」と応えた。そんな話をするうちに、彼女の言っていることがどんどん不可解に思えてきた。曰く、「3歳児検診など、集団検診で発達に遅れがあると見なされた場合、行政はその子達を一つのグループ内に入れて『投薬』を始めるんです」だの、「ヘパリンの薬害は、ずっと前から指摘されていたのに、国も県も動こうとしなかった上に、意識的に犠牲者を出しているんです。私はあるグループにお願いして、アメリカからの資料も手に入れました」だの、「○○大学の××教授の著書を読んで更に疑うようになりました。その先生に会いに行きたいんです」だの。「自治体の病院や機関に納得がいかなければ、Mちゃんに合った専門家をさがすことも必要ですね」と私が言うと、彼女はすかさず「隣の市まで行ったんです。でもすぐにこちらの自治体に『通報』されてしまって。とにかく県は国に牛耳られているんです。恐ろしいことです」と返してきた。なんだか変だぞ。お子さんも心配だが、むしろ彼女の方がもっと心配だぞ。だからといって私がアクションを起こすわけにも行かない。彼女が続けて教会に来るようであれば、徐々にわかってくるだろうけれど、なんだか心配。2年後には確実に我が小学校の児童になるMちゃん。保育所を休ませていながら、いきなり小学校に入学となった場合~それも母親が我が子の発達に関して疑いを持っているのに受診を拒否しているMちゃんの場合~母親自身も担当教師も、すんなり穏やかには話し合いできない場面が出てくるのではなかろうか。そして一週間後の本日。礼拝が終わったあとで、牧師夫人から「やはり」な事実を聞かされたのだ。(以下次回)
2008年04月13日
コメント(8)
たかが漫画。されど漫画。 昨今、「クローン技術」という言葉に出くわすたびに、20年以上も前に読んだ単行本のタイトルを知りたくなる。だけどタイトルも作者も思い出せないのだ。ただ、作者の言いたいことが痛いほど伝わってきたし、実際二十数年後になった今でも、作者の「先見の明」に身震いがするのである。 あらすじは下記の通り。 両親と共に車に乗り、「昔お世話になったことのある大学病院医師」との夕食会へと急ぐ高校生(中学生?)の理恵は、その途中で大事故に遭う。両親は即死。理恵は瀕死の重体であったが、病院医師団の懸命の努力により一命を取り留める。ひとりだけ生き残り、生きる希望を失った理恵を医師団は励まし続ける。やがて理恵はその病院の看護師となる。 ある日、いちばん親しい同僚A子が、X病棟へ配置換えとなる。そこは、病院内部の者でさえ立ち入り禁止となっている、特別研究病棟である。配置換えとなったその日からA子は人が変わったように冷たくなった。A子の婚約者である薬剤師Bは、その原因を突き止めるためにX病棟へ忍び込み、それから姿を消してしまった。 理恵と同じ科で働く外科医Cは、そんなX病棟の胡散臭さを嫌い、「俺の前であそこの話をするな」と釘を刺す。 しかし、親友A子のことを心配する理恵もまた、X病棟へと誘い込まれて行く。 そこで目にしたのは、複数の自分自身の姿である。瀕死の理恵を励ましてくれた医師団もまた、そこにいた。「お帰り、理恵!君の方から帰ってきてくれたんだね」と医師団はほくそ笑む。 車いすに乗った別の理恵が言う。「驚いたでしょう。あなたは私。私はあなたなのよ。私はあなたのクローンなのよ。この日をどんなに心待ちにしたか。暗いこの部屋で耐えた私の気持ちがわかる?さあ、今日から日の光を浴びるのは私なのよ」 と。 そこで二人の間に争いが始まる。その時、X病棟で事故が起こる。(うろ覚えなのだが、何かの装置が爆発したような記憶がある) 激しくもみ合う二人の理恵であったが、最後にはクローンの理恵が犠牲になる。「やはりあなたを憎むことはできない。でも、一度だけ本物の理恵になりたかった」と言い残し、息を引き取る。 爆発(か何か)で、医師団も全滅する。そして、最後に薬剤師Bの姿も発見する。しかし・・・彼は生命維持装置に繋がれ、首から上だけで生きていた。A子が洗脳されていた事実、X病棟の事実をを知った彼は、医師団によって実験台とされたのであった。 Bは言った。「明かりを消してくれ。もう休みたいんだ」と。理恵は生命維持装置のスイッチを切った。 病院に平和が戻った。医師Cは理恵に「科学の進歩と人間の欲望云々が・・・」と言っていたような気がする。うーっ!苦しい!単行本のタイトルさえ思い出せないゆえ、この手に入るはずもない。しかし、あまりにも生々しいストーリー展開に、今なお身震いする私なのである!
2008年04月09日
コメント(2)
祝 辞 新一年生の皆さん、ご入学おめでとうございます。あいにくの雨ですが、皆さん、元気ですね。 皆さんは、ほんの少し前まで幼稚園や保育所で、お友達と楽しく過ごしてきましたが、今日からは、このM小学校の児童となり、百人以上のお友達ができますね。 小学校では、お勉強が始まります。それだけではなくて、給食のご用意もお掃除も始まります。学校へも、今までのようなおうちの人の送り迎えではなくて、上級生のお兄さん、お姉さんを先頭に、自分で登校します。何もかも新しいことだらけだけれど、とっても楽しい学校です。あっという間に一日が過ぎていくことでしょう。 PTAというのは、お父さん、お母さんが先生達と一緒になって、皆さんの学校生活が楽しく、すばらしいものになるように応援していく会のことです。いろんな活動を通して見守っていますよ。 保護者の皆様、高い席から失礼をいたします。本日はお子様のご入学、誠におめでとうございます。晴れの入学式を迎えられましたことを、心よりお慶び申し上げます。 先ほどお子様にもお話し致しましたが、PTAでは、環境整備、緑化、安全確保など、様々な活動を通して、児童の健やかな成長と、よりよい教育環境の推進を目指しております。積極的に参加することで、より多くの会員との交流が出来ますし、学校外での活動においても、様々な情報交換ができます。可能な限り、いろいろな場面でのご協力をよろしくお願い致します。 最後になりましたが、校長先生をはじめ、教職員の皆様、また、お忙しい中多数ご列席いただきましたご来賓の皆様、新一年生を暖かく見守っていただき、地域・学校・行 政と連携して、安全で子ども達が生き生きと学校生活を送ることができますように、これまで同様ご協力をお願いしまして、私の挨拶とさせていただきます。平成二十年四月七日 M小学校PTA会長 うりの坊子
2008年04月07日
コメント(2)
夫の術後経過は順調である。病院というのは、100人いれば100の、いや、その家族分以上の生き様が交錯する場所。手術室や大部屋を体験するとなおさら強く感じる。昨晩、病院廊下で懐かしい人に出会った。2年前まで長女「ま」と一緒にバレエを習っていた、チハルちゃんのお母さんと妹だ。とっても綺麗なチハルちゃん。バレエに興味がなくなってやめてしまったので、どうしているのかなと思っていた。 昨年5月に行われた学校の検診で、心雑音が見つかったらしい。そのために精密検査を受けたら、心臓は正常であったが、血液検査で肝臓の異常が見つかったそうだ。9月から投薬を始めたが、学校は皆勤に近いほど元気に通っていた。自覚症状が全くないのだ。この春休みにきちんと治そうと入院したが、胆汁や黄疸が出てくる。原因が特定できない。3つほどの原因が考えられるが、今の病院では限界なので、明日救急車を使用してH大病院に転院することになった。屈託のない愛らしい性格のチハルちゃんだけれど、投薬により頬がパンパンにふくれあがっており、闘病の苦しさを物語っている。病院食もつまらないし、なにより「学校に行きたい!」 と泣いてしまうチハルちゃん。お婆ちゃまに「早く学校に行くために病院を変わるんだよ」と諭されているけれど、そんなの、頭ではわかってても、気持ちがついて行くわけがない。次女「み」の心臓や夫のそけいヘルニアのように、外科的処置を施して改善される病気ならば、それは幸運と言えよう。なかなか原因が特定できず、検査投薬続きだなんて、この上なく辛いものだ。 私は、自分が卒業式で語ったモンテ・クリストの言葉を思い出した。「待つことと希望を持つこと」。夫の手術で再確認したこの言葉。私は待つことがこんなに苦しいとは思ってもみなかった。素朴な言葉だからこそ難しいのだ。しかし、心に刻んでいたい。
2008年04月03日
コメント(4)
長い一日だった。いや、眠れぬ昨晩を入れると長い二日。朝は自宅でゆっくりと過ごし、美容院へ。その後うどんを素早く食べて、いざ病院へ。夫はシャワーと浣腸を済ませ、点滴を受けている。点滴をつけるだけで病人にみえる(いや、本当に病人なのだが)。15時半からの手術予定が15時からに早まる。看護師が「急にいわれても、点滴が終わらない」と焦る。ここまで来ればまな板の上の鯉。「行ってらっしゃい!」と送り出し、控え室でPTA会計のデータ管理のために表計算ソフトと睨めっこ。別の手術を受けている家族と一緒になる。あちらは4人。ICUの患者なので、事態は深刻らしい。30分から1時間といわれた手術時間だが、2時間過ぎてもいっこうに終わらない。かなりイライラしてくる。やまひで先生とこひみみちゃんのメッセージを読みながら、神様に祈る。2時間20分くらいで手術終了。ひとりで待つのは本当に長かった。次女「み」の手術は2時間どころではなかったが、夫と共に待っている時は案外短く感じられたのに。術後の夫は案外平気な顔をしている。主治医によると、筋肉に張り付いた組織を取り除くのが大変だったらしい。傍では若い研修医も熱心に見学していたらしい。術後2時間ほどで麻酔が切れてくる。水分摂取は禁じられているが、スプーンで少量の水を含ませる。私の帰宅時には37.4度の微熱があったが、起こりうることだったので慌てずに、看護師にお願いして病院を出る。本当に長い一日だった。夫はポツンと言った。「手術を受けている時は、『み』のことを考えていたよ」と。それを聞いて涙が出てしまった。小さな身体で大手術に耐えた次女「み」。夫の一言に命の重さを感じた。
2008年04月02日
コメント(7)
夫は病室で過ごす。子ども達は実家。もしかして、結婚してから初めてのひとりの夜?(お産入院以外で)そけいヘルニアのオペ自体はたいしたことはない。問題は夫の薬などに対する敏感反応。なんせ、ステロイドの注射でしゃっくりを起こすわ、耳鼻科の吸入で気が遠くなるわ、風邪薬なんぞ飲もうものならひたすら眠りまくる…etcの夫の体質。麻酔が心配だ。麻酔医が担当するのは全身麻酔のみらしい。局所麻酔は外科医がするそうな。いや、別に、疑ってはいないのだが。担当医師も誠実で好感が持てるので、彼に任せておきなさいっつーのに!本当に小心者の私である。フランスで出産する時には、無痛分娩担当の麻酔医が懇切丁寧に説明してくれ、麻酔用の検査もし、念書も書いた。次女「み」の心臓手術の時だって、麻酔医の部屋まで行って話を聞いた。忘れもしない、ブルガリ麻酔医(彼の話を聞きながら、ブルガリの眼鏡が気になって仕方がなかった)。だからこそ心配なの。麻酔医がいてくれないことが。まあ、杞憂だろうけれど。嗚呼、この不安な日々よ!早く過ぎ去れ!
2008年04月01日
コメント(6)
夫が明日から入院手術のため、子ども達を実家に預けた。どちらかが外泊だの入院だので欠けるということは過去にもあったが、よく考えてみれば二人揃っていない生活は初めてなのだ。静かだ。恐ろしいくらいに。そして、仕事もはかどるし、何とも楽な生活よ。老後ってこんなものなのだろうか。もっとも、孫を預かる我が実家は、てんやわんやだろう。さて。ブログ仲間には、家族年間医療費30万円を超えるご家庭がある。さすがに我が家は15万くらいで収まったが、これでも半端じゃない医療費。我々も年をとり、身体に「ガタ」が来ている、これからまだまだ増えるのだろうな。夫の病名はそけいヘルニア。そう深刻な病気でもないが、手術は人間のすることゆえ、100%安心ということはないだろう。このもやもやした気分は早く過ぎ去って欲しい。手術も早く終わって欲しい。義姉の調子が悪い。膠原病(全身性エリテマトーデスか?)の症状が出ているらしく、先週から検査続きである。 膠原病でないことを祈るが、万一そうであったとしても、適した治療法が見つかるよう祈る。父は前立腺肥大である。彼は極度の心配性で、最初から癌ではないかと嘆いている。フランスでいちばん仲のよいお友達(女性)の姉が乳ガンで、経過が芳しくないという。なぜに人は病気に罹るのだろう。もともと100%の健康体でいられる人間って、案外少ないのかも知れないな。
2008年03月31日
コメント(2)
PTA組織の顧問は前会長である。副会長を経て会長を2年務めたベテランである。我々現執行部が素人揃いで不安だったので、彼は快く顧問を引き受けてくれた。前々会長グループ(というより、主に前々副会長の女性達が、いわゆるモンスター親で、PTA総会荒らしをやった人たち) から我々が脅されたり突き上げを食らったりしないように我々現執行部を支え、助けてくれていると思いたい。でもなんだかな~、言っていることがよく変わるし、八方美人ぽいし~と途中で疑問に思うことが度々あった。たかが顧問、されど顧問。決算報告や新年度予算を決める際は彼の意見を尊重せねばならない。たとえ言うことがコロコロ変わったとしても。そして先週末、たまたま学校で出会い、会計の細かいことなどを話した後、下記のようなやりとりがあった。顧問:それから、あの、ちょっと…話は変わるんですけれどいいですか?うり坊:なんでしょう?顧問:卒業式祝辞で、壇上で最初に『高いところから失礼します』と言われたじゃないですか。あれは、言わない方がいんじゃないですか?うり坊:(はあ??と耳を疑う。)顧問:来賓だからです。うり坊:私は来賓ではあっても、いちPだし、ましてや卒業生の親御さんの前です。来賓・地域の方々は目上の人ばかり。普通にやってきたし、普通に出てくる言葉だったんですが・・・。顧問:そうなんですか?私:現に、私の前に挨拶をした市教委の方もその言葉を使われましたよ。顧問:それは聞いてなかったです。でも教育委員会だから(モゴモゴ・・)私:運動会の時も(朝礼台の上から)言いましたよ。顧問:いや、あれはスピーカーが聞こえにくいんですよ私:(スピーカー云々なんて関係ねぇだろ!)と言いたくなる。 ~そのうち、今度はなんだか顧問の意見が揺らいできて(黄信号??)、顧問:○○さん(前々会長)もボクも言ったことがないから。もし、それを言わなきゃいけないのであれば、今まで失礼なことをしたのかなと思って。~という論調に変わってきた。言おうが言うまいが、関係ないっつーの!正解なんてないっつーの!どこまで文句言うんだ??と悲しくなった。私は、少し言い方を変えて、うり坊:「じゃあ、たとえば、いろんな挨拶の最後に言うこともありますよ。『~を祈念しまして、高いところではありますが、挨拶とさせていただきます』って感じで。顧問:はあ、はあ、はあ、はあ!…そいういのはありますね。聞いたことはあります。最初か最後かと言うことだけですね。いやいや、気にしないで下さい。うり坊:気にしますよ!そんなこと言われたことないから。ダンナにも聞いてみます。教育長代理で何度も挨拶していますし。~と返しておいた。ちなみに夫は「(高いところから云々の発言は)何もおかしくないよ。ただ私は言ったことない。挨拶はできるだけ短い方がいいから」と。しかし。人の挨拶が気にいらんか?それとも、本当はずっと会長でいたかったのか?人の挨拶に文句をつけるなんて、それも「高いところ」ごときで言うか??失礼じゃないか?悪いけれど、私は街頭演説だって、政治家の前だって、お偉いさんの団体でだって、ずっと挨拶してきたんだっての!!
2008年03月30日
コメント(6)
来賓代表での祝辞。下記を披露。長女「ま」は、「ママ、長かったよ!」と言った。 「校長先生よりは短いでしょ?!」と私。あ~あ。一晩考えた文章に、我が子は感動すらしない・・・。~以下~ 祝 辞 卒業生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。この晴れやかな場でこうしてお話をさせていただけることを、たいへん嬉しく思います。 お家の方に手を引かれ、初めて校門をくぐったあの日から、6年が経とうとしています。 四季折々。うららかな春の日差しの中で、反対に、うだるような暑さの中で、また、足もとの悪い雪道の中、地域の方々に見守られながら、低学年の子ども達を連れて、毎日元気に学校に通いましたね。 友達がたくさん出来たことでしょう。全く知らなかった難しい漢字や計算、自然や社会のことを学び、どんどん吸収してきたことでしょう。 運動会、持久走大会は、自己との戦いでもあったのではないでしょうか。 そして文化の香りが漂う学習発表会では、先生方と一体となって練習し、本番を成功させた時の喜びは、言葉にできないくらいだったのではないでしょうか。 たくさんの語り尽くせないほどの思い出を持って、皆さんは今、旅立とうとしています。 そんな皆さんにどんな言葉を掛けようかと、ここ数日考えておりましたが、最近読み直した一つの物語をご紹介したいと思います。 学校の図書室にもあります、アレキサンドル・デュマの「厳窟王~モンテ・クリスト伯」から。 南フランスのマルセイユという港町に、エドモンという青年が、航海を終えて帰ってきました。将来の船長を約束され、愛する人との結婚式も間近に控えており、彼の人生は順風満帆かと思われました。しかし、エドモンをねたむ3人の悪党らによって、無実の罪を着せられ、海に浮かぶ小さな島の牢獄に入れられました。 絶望にうちひしがれていた彼は、ある日、隣の独房に人の気配を感じました。彼の運命を変えるきっかけとなった神父との出会いでした。その神父は、自分の持っているありとあらゆる学問・知識をエドモンに伝えます。そして最後に、地中海に浮かぶモンテ・クリストという島に、莫大な財宝~宝が眠っていることを伝え、獄中で死んでいきます。 その後エドモンは脱獄に成功し、モンテ・クリスト島の宝を手に入れ、名前もモンテ・クリスト伯爵と名乗り、パリの社交界に現れます。牢獄にいた期間は実に14年。皆さんが生まれてから生きてきた年月よりも長かったのです。 さて、彼の名声は瞬く間に拡がり、人々の信頼を得ます。そして、彼を陥れた悪党らを、神様は許さなかったのでしょうか。彼らは次々と滅んでいきます。 モンテ・クリストが最後にすべきことは、将来のある若い人たちを幸せにすることでした。彼は若者たちに言いました。 「人間の知恵は、次の言葉に要約される。待つこと、そして希望を持つこと」であると。 ~「待つこと」そして「希望をもつこと」。 これらはごくごく平凡な言葉です。しかし、私などはなかなか実行できません。 勉強や友達との関係に悩んだ時、将来のことで迷っている時、何かにつまずき焦っている時や、こんなに努力しているのになかなかよい結果が出ない、気が気じゃない。希望を持ちたいと思っているけれど不安でたまらない。 これから先、幾度となくそんな場面に直面するでしょう。 そのような時には、このモンテ・クリストの言葉を思い出してみてください。新しい生活に、ゆったりとした気持ちで、希望を持って臨んでください。応援していますよ。 最後になりましたが、本日お子様のご卒業を迎えられました保護者の皆様、誠におめでとうございます。心よりお慶び申しあげます。お子様が成長を重ねる毎に、ご家族の喜びの数も増えていくよう、お祈りしております。 また、ご来賓の皆様、地域の皆さまには、学校・保護者のみでは支えきれない登下校中の見守りや、数々のふれあい行事を通して子ども達を見守ってくださいました。子を持つ親として、ここで厚く御礼を申しあげますと共に、今後と引き続きご支援を賜りますよう、お願い申しあげます。 そして先生方には六年間の長きにわたり、愛情溢れるご指導をいただき、保護者に代わって心より感謝申しあげます。この先も、巣立っていく子供たちの良き相談相手として、 変わらぬ愛情を持ってご指導をいただきますようお願い致しまして、本日ご卒業の130名の門出にあたり、お祝いの言葉とさせていただきます。平成20年3月22日 M小学校PTA会長うりの坊太
2008年03月22日
コメント(6)
日本の卒業式・・・洋服は黒にコサージュがお決まりのか。知らなかった。~というより、深く考えていなかった。私はシルバーグレーのアンサンブルに小さなエメラルドのペンダント。夫に至ってはチノパンにカーディガンという普段着!普段着の男性なんて二人だけであった。夫と、もうひとりはアメリカ人だけ。 どうも、「式」や「しきたり」に弱い我々夫婦である。 さてさて。先週言い争った相手である副園長(牧師夫人)に対しては、最後まで「ほのぼの」とは正反対の気持ちであった。卒園式自体は、今まで各教師がやっていた司会、ナレーションの全ての権利を副園長は奪ってしまい、「もううんざり!」という気持ちであった。どこまで幼稚園を私物化するのか?最初から最後までマイクを握る彼女の声に(おまけに園児の歌に合わせ、キョーレツなビブラート付きの歌声も披露してくれる)、私は式が終わるまで必死で我慢した。一度嫌悪感を持ってしまうと、なかなか取り去れない。実に子どもっぽい私である。 そして式はやっと終わった。教室で担任や保護者とお別れを言い、幼稚園を去ろうとした時のこと。ひとりの母親が声を掛けてきた。顔だけは知っているが、挨拶程度しか交わしたことのないその女性は、Y君のお母さんだそうだ。涙をにじまながら彼女はこう言った。 「あの、本当にありがとうございました。うちの子は発達障害なんです。いきなりこんな事を言ってご免なさい。先生達にもいろいろお世話になりましたが、『み』ちゃんと同じ班になった時に、本当によくしてくれたそうなんです。うちの子が帰宅してからも『み』ちゃんがしてくれたことをよく話してくれたので。とても感謝しています。」 ほう・・・「人間拡声器」のようにうるさい次女「み」も、人のために役立つことがあるんだ!そういえば、我が小学校は特別支援の教室が二種類あり、片方の教室(KK教室)には、近隣の小学校からも週1~2回、発達障害等を抱える子ども達が通ってくる。ああ、そうだったんだ!いつぞや、コーラスの練習のために幼稚園にいた時、我が小学校のKK教室の担任と、市教育委員会の担当の先生(偶然我が小学校元教諭)にお会いしたことがあるが、実際はY君以外にも同じ問題を抱えた園児がおり、調査にいらしていたのを思い出した。私は彼女に問うた。「Yくん、小学校はどちらですか?」「S小学校です。でも、受け入れが決まれば、週2回はM小学校(我が子の小学校)へ(KK教室)行くことになります」。 私も嬉しくなり、「じゃあまた会えますね!それからS小学校の校長も(M小学校から異動されたので)なんでも相談に乗ってくれますよ」 と話した。 話のついでに次女「み」が心臓病であること、手術も経験していることを伝えた。彼女は、一見健康そうな「み」の事情を知り、しみじみと語った。「(発達障害の子どもを育てるのは)長い道のりです」 と。長い道のり~。心臓病もまた、一生つきあっていく長い道のり。 幼稚園に対してはいろいろな苦い思い出があるけれど、最後の最後にほのぼのとした気持ちにさせられた。まあ、「終わりよければ全てよし」とするか。
2008年03月18日
コメント(4)
次女「み」は小さい。幼稚園年少と思われても不思議ではない。しかし彼女は4月から1年生である。その上、私のお供で小学校に入り浸っている。職員室にも平気で入っていく。そしていつも教頭にからかわれる。そのやりとりを傍で見ながら教務主任が笑っている。息子二人が成人した教頭にとって、次女は人形みたいに可愛いらしい。 教頭は、グラウンドの隅で飼われている鶏の卵を、しょっちゅう次女にくれる。「ワシの産んだ卵じゃ!持って帰れ!」と。 ウコッケイの卵なので、普通の卵よりは一回り小さい。昨日、卵を買い忘れた私にとって、もらった卵は救世主だった。お弁当のためにゆで卵にすることにする。そして茹で上がり、包丁を入れる。 えっ??何なの??ないっ!!黄身がない!! 突然変異。。ウコッケイは病気なのか?トリインフルエンザか?尋常ではない。記録を残すためにカメラで撮影し、食べる気もしないのでゴミ箱に捨てる。インターネットで検索すれば、何とか答えが出てくる。「血のかたまりや細胞組織が卵管を通る際に、勘違いして卵を形成する」らしい。しかし黄身なし卵は気味が悪い。その気味の悪さは不吉な予感として、本日の出来事となる。 幼稚園副園長(牧師夫人)と大げんかをした。見事に派手にケンカをした。それも次女「み」と担任の前で。 許せなかった。副園長に対する鬱積した6年間(長女3年次女3年)の不満が、卒園式まであと1日を残すのみとなったこの日に爆発した。保護者の中には、少なからず「言いたいことがあるけれど、こどもが人質だからね」と思っている人がいる。私は小学校のことが忙しくて手一杯なので、幼稚園に関しては我慢するつもりだった。しかし、許せなかった。彼女が聖職者の妻だから、余計に許せなかった。我慢するつもりだったのに。もういい。なんと言われようと。私は間違っていない。あの人に嫌われようと、私の人生にちっともマイナスにはならない。間違っていることがあるとするならば、それはわが子の前で言い争ったことのみである。とにかく言わずにいられなかった。そんな気持ちで、次女「み」のピアノレッスンに向かう。その場で知った過酷な事実・・・ピアノの先生も私も所属するコーラスグループの中のひとり、Uさんが・・・癌であるという事実。5才の一人娘を残して、ほぼ全身転移した癌細胞。長く持って余命1年くらいではないかということ。彼女はまだ36才であるということ。 なんなのだ?過酷すぎやしないか? 年が明けて身近な人の癌に冒されたり、亡くなったり。それも育ち盛りの子ども達を残していくのだ。やるせなさ過ぎる・・・。
2008年03月14日
コメント(9)
夫。転んで痛めた背中が痛い(時間がなくて整形外科は未受診)。喉の奥がつっかえたようだ(耳鼻科受診するも、異物はない)。足の裏が熱い(神経内科で軽くあしらわれる。「そんなことで受診するな」という感じだった)。しかし極めつけはそけいヘルニア。これはオペが必要。しかしヘルニア周辺が冷たかったり痛かったり。~男は皆そうらしい。なかなか病院へ行かない。そのくせ臆病なので、周りの家族を心配させる。困ったものだ。本日はそれらの症状に加えて、アレルギーのような咳が止まらない。早く病院へ行けっていうのに!!PTA。 会長職は貧乏くじ。誰もやりたがらないし、任期を終えるとクジで選出された他の役員は去っていく。引き継ぐ相手がいないのなら、私が継続せざるを得ない。現役員および総務委員の2名だけが残ってくれるので、彼女らと頑張るしかない。問題は新役員の選出。立候補もなければ話し合いでも決まらない。クジで当たった人の一部がゴネるわ怒るわ。新旧で調整とつけようとするも、これがなかなか容易ではない。そうこうするうちに予算の執行。来年度の予算案。そして4月には恐怖のPTA総会が訪れる。ストレス多いはずなのに・・・痩せない!本日の大当たりならぬ大たたり~罰金!!~ レンタルDVDの返却日から3日過ぎた。返却&延滞金を払うためにビデオ屋に急ぐ。夫が冷たく「期日後に返すなんて、感心しないな」と釘を刺すので、家計ではなく私の貯金から延滞金を払う。そのためにお金をおろすために立ち寄った郵便局からビデオ屋への道で起こった出来事。近道を通ろうと、信号を避けて手前で右折。その道は橋へと続く。橋を渡る時、正面にパトカー発見。「不審者続きですものね。学校帰りの子ども達のも守りありがとうございます」と、感謝しながら、橋を渡り終え、パトカーを横目で見て通り過ぎる。~あれ??パトカーが追ってくる。えっ??私??何で?? どうやら「右折禁止」らしい。全く気づかなかった。「今の場所は違反です」の妙に柔らかい声。その声に対し、はらわたの煮えくりかえる思いでパトカーに乗る。また繰り返しだ。以前の「一時停止違反」とおなじ罰金7千円。また繰り返しだ。「ハンコ持ってます?」~「持ってるわけないだろ!」なんで? そりゃ間抜けなのは私。違反をしたのは私。でも、警察なら「待ち伏せOKなのねっ!!」。どんなに丁寧な言葉で接してきても腹が立ばかり。言わなきゃよい捨てぜりふを吐く私。「私が間抜けなのは認めますが、私、何も迷惑、かけてません。どうして暴走族をもっと取り締まれないんですか?」「身分証明書を提出しているにもかかわらず、何でハンコが必要ですか?」~言うんじゃないってば!言っても無駄!!晴れて解放される瞬間、私は切られた青い切符をパトカーの車の中で手のひらでクシャクシャにした。あとで夫がボソッと言った。「それは公文書破損だな」。悔しい思いを抑えながらビデオ屋へ。延滞金1,571円。。。主婦には痛い金額だ。しかし。晴れて警察官になったはずの彼ら。年度末予算のこともあり、必死だろう。多分、ノルマ(?)が達成できてないのではないかな。私のような間抜けが違反するのを見ながら「ほれ!バカなヤツが来たぞ。うっひっひ!!」と思いながら日々精進しているのだろうか?それとも、半べそを書き 、7,000円の捻出方法に頭を痛める女を目の当たりにし、「やった。あと何人捕まえればノルマは達成できるか?」と考えているのだろうか?それとも可哀想な主婦に同情しているだろうか?でも、私は本当は声を大にして言いたい!「人から7,000円奪っているんだから、ここのところ立て続けに起こっている強盗や不審者を、早く捕まえろよ!!」
2008年03月04日
コメント(8)
先週金曜日は何があったのか?その次の土曜日が餅つき大会&参観日であったため、準備のために午後から学校へ行き、そのまま夕方のアスリートラブの終わった「ま」を、ピアノのレッスンに連れて行く。発表会用の楽譜をコピーする必要があったので、近くのセブンイレブンに立ち寄り、教室前に 「ま」を降ろす。そしてホームセンターと、隣のスーパーへ。その後次女「み」を連れて夫の研究室へ。持ち帰りのお好み焼きを注文していたので受け取りに行 く直前、トイレに用を足しに行く。いつもの通り、携帯をジーパンの後ろポケットに入れている。「よく便器に落とすから取り出しておかねば」と、ポケットに手をやり、携帯を取り出そうとした瞬間!!!手が滑って便器に落とす!!悪夢??洒落にならん!!急ぎ、研究室の小型温風器で乾かす。その足でお好み焼き屋に注文の品を取りに行く。そして「ま」のピアノ教室に彼女を迎えに行く。そのまままた夫の研究室に直行。皆でお好み焼きを食べる。帰宅。そして、カバンのないことに気づく。「どこまであったか」が定かでなく、冷静に確認することもできないほど動揺した私は、学校~セブンイレブン~スーパー等へ探しに行く。しかしカバンは見あたらず。幸い中には財布を入れていなかったが、貴重品は貯金通帳、健康保険証(!)、そして度数のかなり残っている図書カード。そのまま近くの派出所に届け出る。我 が車は、昨年二度も修理をした車である。そうしてせっかく綺麗になった車なのに、カバンのことで頭がいっぱいで、全く心に余裕のなかった私は、コンビニか ら出発しようと車をバックさせた時、電信柱にぶつかってしまっのだ。柱の存在に全く気づかなかったのだ。後ろボディの小さな傷、と後ろバンパーの破損だっ た。携帯は奇跡的に復活した。しかし、カバンは見あたらない。暗い気持ちのままで次の日の行事をこなす。翌日カバンは見つかった。予想外のところ~お持ち帰り専門のお好みやさんで。親切な人に見つけてもらってよかった~つくづくそう思う。 しかし。大変な一日だったというか、よくもここまで悪いことが重なるもんだ。正直、車を運転する気力がなくなってしまった。
2008年02月05日
コメント(9)
今日で9才。10年ひと昔。年もとればシワも増えるのは当たり前か・・・。彼女の生まれた日は、こんな日だった↓。 http://plaza.rakuten.co.jp/9bisnicolo/diary/200702050000/本日のメニューは子ども向けに、オードブル・カボチャとキャベツのスープ・若鶏唐揚げ・チーズオムレツドミグラスソースがけ。そしてガトー・ショコラ(もちろん手作りではない!)。特別な日なので、今日は優しく接しようと思いながら、はやり叱ってしまった。~女同士の闘いはこれからも続く。精神を鍛えなければ!
2008年02月05日
コメント(2)
昨日2月1日は「とんでも日」。携帯が壊れ(後で復活)、車で何度もヒヤッとし、カバンを紛失。詳しくは後日記します。今日は「餅つき大会・ふれあい参観日」なので。「さんりんぼう」の標記は「三隣亡」と「三輪宝」の二つがあり、前者が一般的のよう。踏んだり蹴ったりの日ってあるものだ。
2008年02月02日
コメント(2)
全248件 (248件中 1-50件目)