(承前)
5月20日は魚津ー富山間の銀輪散歩でありましたが、本日21日は神通川銀輪散歩であります。と言っても午後3時過ぎの列車で帰阪する予定なので、そう遠くへは行けない。駅前のホテルをチェックアウトして松川沿いを神通川方向へ走る。
先ず目指すのは呉羽山を越えた峠茶屋三叉路にあるという高市黒人の歌碑である。
(松川沿いの桜並木の道)<参考> 松川
桜木の 青葉の道ぞ 松川は
名のみし松の 桜川なり (偐家持)
(松川。奈良の佐保川に似た眺めである。)
松川に別れて県道44号線に入る。直ぐに神通川である。富山大橋にさしかかると、路面電車がやって来た。自転車を停めてパチリ。路面電車は風景を和ませ、趣のあるものにしてくれる。
(富山大橋)
橋を渡ると道はゆっくり右にカーブし、やがて呉羽山への長い登り坂となるが、勾配がそれ程でもないので、楽に行ける。
呉羽山は、司馬遼太郎「街道をゆく」の「郡上・白川街道と越中諸道」の中でも述べられているが、呉東・呉西とこの山を境に富山県を関東文化圏と関西文化圏とに分かつ人文的な分水嶺の山なのだそうな。
(峠茶屋への道)
(呉羽山)
坂を登り切った処が右・呉羽山公園、左・城山公園の入口になっている。この山を歩いたのはもう10年以上も昔のことになるが、今回はパス。峠から少し下ると峠茶屋。三叉路の中央に高市黒人の歌碑はあった。
(高市黒人万葉歌碑)
歌碑は老朽化し、その台座の一部も破損していて痛々しい。文字も殆ど判読できない。黒人さんは見捨てられて居りますな。
賣比能野能 須須伎於之奈倍 布流由伎爾
夜度加流家敷之 可奈之久於毛保遊
婦負
の野の
薄
押しなべ 降る雪に
宿借る今日し 悲しくおもほゆ (高市黒人 巻17-4016)
この歌の末尾の句は於毛保遊(おもほゆ)と於毛倍遊(おもはゆ)の2通りあるのだが、こちらの歌碑は前者によっている。ススキを押し倒して降り積もる大雪の中、夕暮れて旅の宿りをする黒人の寂寥感が迫って来るいい歌であるが、初夏の車の行き交う三叉路ではそれを偲ぶよすがもなきことなれり。
<参考> 高市黒人
婦負郡
黒人の歌碑から来た道を取って返す。来る途中で目にした五福公園で少し休憩。アカシアの花とカエデの種子が目に止まったので、写真に撮る。
(アカシア)
(カエデの種子)
富山大橋西詰で右折、左岸堤防の道を上流へと行く。目指すは鵜坂神社と堤防上にあるという家持歌碑である。
(神通川左岸から眺める富山大橋)<参考> 神通川
(神通川に右から井田川が注ぐ。)
(井田川。神明橋上から。奥は神通川)
(有沢橋)
有沢橋を過ぎ、次の婦中大橋の手前に歌碑と鵜坂神社がある筈。堤防の道は風が心地良いが、車が結構走るので要注意だ。
(神通川堤防の万葉歌碑)
宇佐可河泊 和多流瀬於保美 許乃安我馬乃
安我枳乃美豆爾 伎奴奴禮爾家里
婦負郡鵜坂河の辺にして作れる歌一首
鵜坂川
渡る瀬多み この
吾
が
馬
の
足掻
きの水に
衣
ぬれにけり
(大伴家持 巻17-4022)
早月川では鐙を濡らした家持、神通川では衣まで濡らしてしまいましたか。鵜坂川は神通川の古名(もっとも支流の井田川だという説もある)。歌碑から直ぐに鵜坂神社はある。境内にも家持の歌碑がある。
(鵜坂神社)<参考> 鵜坂神社
(本殿)
文字数制限の限界近くになりましたので、ここでページを改めます。続きは(その2)に記載します。
<続編> 神通川銀輪万葉(その2)
<追記・注>
写真2枚(「高市黒人万葉歌碑」<縦長タイプ>と「神通川堤防の万葉歌碑」)
が横倒しの歪んだ画像になっていたので、2020年11月2日これらを復元修正しました。
●
過去記事の写真が歪んでいたりすること
2020.10.12.
飛鳥川銀輪散歩(下) 2024.11.11 コメント(4)
飛鳥川銀輪散歩(上) 2024.11.10 コメント(2)
PR
キーワードサーチ
カレンダー
コメント新着