アルタクセルクセスの王宮址遺跡

アルタクセルクセスの王宮址遺跡

2005年01月23日
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カテゴリ: 歴史・考古学
 ・・・・皆様こんにちは、わたくし「オシリス葬祭」営業部のランプシニトスと申します。この度はわが社のご奉仕について説明させていただきます。

 イアルの野は一面の葦の原で、緑溢れ水量豊かなそれは素晴らしく美しい田園地帯です。故人はイアルの野で現世と同じように自給自足の悠悠自適な農耕に従事し、神々に親しく接しつつ永遠の生命を得ます。

 お葬式の手順ですが、ご不幸のあった家庭の女性の方々には顔に泥を塗ってもろ肌脱ぎになっていただき胸を叩きながら大声で泣いていただきます。男性も同様です。こうして死者への哀悼を示すのです。しめやかなムードを盛り上げる泣き上手な「泣き女」もこちらでご用意させていただきます。
 さて肝心のご遺体ですが、これは既に述べましたとおり腐ってなくならないよう、葬儀が終了しましたのち、専門職人の手でミイラに加工する必要があります。こちらに木製の見本模型がございますが、松竹梅3コースございます。
 「松」コースの場合、鼻孔から腐りやすい脳髄を刃物や薬品で取り出し、黒曜石で腹部を切開してこれまた腐りやすい内臓を取り出します。取り出した内臓は椰子油で清め別途壷(カノプス)に収めますのでご安心ください。心臓のみは故人の記憶や精神が宿る神聖な器官ですので防腐処置ののちご遺体に戻します。内臓を取り出した腹腔には防腐のため没薬と香料(肉桂と乳香を除く)を詰めて縫い合わせ、ご遺体を天然ソーダ(ナトリウム化合物)にきっちり70日間漬けます。
 こうすることで水分が抜かれて腐りやすい脂肪などは取り除かれ、肉体の保存率が良くなります。これが済みますとご遺体を取り出して洗い、亜麻布の包帯で丁寧に巻き、防腐のための蜂蜜を塗りさらに樹脂(天然ゴム)を塗りつけて真空パックして、ご親族にお引渡しということになります。ミイラを収める人型の木棺の料金もセット価格に含まれて居りますのでご安心ください。
 「竹」コースの場合、内臓を取り出す過程を簡易化するため注射器で薬品を肛門から流し込んで栓をし、全身を70日間ソーダ漬けにいたします。その後栓を取りますと溶けた内臓が流れ出ます。このコースでは、包帯を巻く作業以降をご遺族にご負担していただきます。「梅」コースの場合、下剤で腸内を洗浄するだけでソーダ漬けにし、その後の作業はご遺族の負担となります。このコースの場合、ご遺体が腐る多少のリスクがございます。
 先日ミイラ職人が死後間も無い美貌のご婦人の遺体に辱めを加えていたというショッキングなニュースがございましたが、わが社ではそのようなことを防止するため死後4日目以降にミイラ製作に取りかからせていただいております。なおナイル河で溺死もしくはワニに襲われた方のご遺体は神に属しますので、わが社ではお扱いいたしかねます。

 愛するご家族とのお別れを演出し、故人の来世における永遠の暮らしを幸福なものとするために、我が「オシリス葬祭」に是非ともご用命くださいませ。
 なおイアルの野での農耕作業が面倒だという方のために、故人に代わり農耕に従事させるためのウシャブティ(像)のご用命も承っております。・・・・

 ・・・とまあふざけたことを書いてみたが、これはヘロドトス「歴史」巻2、85~90節に書いてある古代エジプトの葬送に関する記述をいじったものである。
 価格についてはヘロドトスは書いていないので、古代エジプトで雄牛1頭が銅50デベンしたという取引記録に基き、現代日本の牛1頭(去勢牛)の平均価格40万円を基準として、松竹梅それぞれ社葬規模・参列者100人規模・40人規模の葬儀の葬儀会社による設定平均価格に換算してみた。特に日本で高価なお墓の値段を考慮していないし、まあ「お遊び」なので当時と現代の物価の違いは言いっこ無しである(なお銅の生産量が桁違いな現代では、銅1デベンはおよそ30円くらいでしかない)。なおドイツでは墓地代も含めて葬送・埋葬におよそ50万円かかるらしい。
 現代の法律では遺体を埋葬せずミイラにしたら犯罪になるんだよなあ(一部の共産主義国のぞく)。そういや最近そういう宗教団体があったっけ(あれは「死んでない」と言い張っていたのだから違うか)。

 なんでこういう日記を書いたかというと、以下のニュースを見たためである。

(引用開始)
<ミイラ発見>エジプト・カイロの遺跡で 早大研究所が発表
 エジプト・カイロ近郊のダハシュール北遺跡を調査している早稲田大学エジプト学研究所は21日、約3750年前の古代エジプト中王国・第13王朝期と見られるミイラを発見したと発表した。未盗掘で、未破壊の完全な形で発見された例としては最古級という。保存状態は極めて良く、当時の墓制や宗教慣行など今後の研究に寄与しそうだ。
 ミイラを納めた木棺は今月5日、地下約5メートルで見つかった。棺には「セヌウ」という男性の名前と、行政官を意味する「アチュ」という称号が書かれている。ミイラは白い布で包まれ、顔を覆うマスクには青や赤、黒など鮮やかな彩色が残っている。ミイラ自体の調査はまだだが、装身具など豊かな副葬品があるのは確実という。
 ミイラや棺は副葬品目当ての盗掘で破壊された例がほとんど。しかし、今回は、棺を収めた穴の上部に岩が詰められていたことなどから発見されにくく、無事だった。

 内田杉彦・明倫短期大学助教授(エジプト学)の話 保存状態のいい史料が少ない時代のものであり、貴重な発見だ。当時の宗教慣行などを知るうえで重要な手がかりになる。【栗原俊雄】(毎日新聞) - 1月21日20時23分更新
(引用終了)

 いやはや大発見だ。あれ、コメントを求められている内田さんて、去年酒席でご一緒したなあ。吉村先生も学会でお見かけしたことがある(とても忙しそうだった)。突っ込んだ質問をした聴衆(おじさん)に「それはご自分で調査なさってください」と答えていたのが印象に残っている。早稲田の調査隊には昔テレビ番組で高橋由美子や宜保愛子が参加していたが、宜保さんはともかく高橋由美子みたいなのが参加してくれたら調査も楽しいだろうなあ・・・・。
 ・・・さて、手元の本にはエジプトでミイラがいつ頃から作られ始めたのか書いてないが、乾燥したエジプトでは遺体が自然にミイラになることもあり、それを見たエジプト人が来世観と結びつけて人工的にやり始めたらしい。
 ミイラ作りは最初は王の独占物で、臣民は王に仕える事で永遠の生命の分け前に与るという考え方だったらしい。ところが第6王朝の崩壊で王権が失墜した第一中間期(紀元前2145年頃~)からミイラ作りは臣下にも広まり「大衆化」していった。ミイラを作れない貧乏人は「死者の裁判」の観念を発達させ、正しい行いをすれば肉体を失ってもあの世で永遠に暮らせると信じた。

 副葬された財宝目当てのみならず、ミイラは薬(漢方薬)になるというので、アラブ時代以降は盗掘されることも多かった。
 ヨーロッパ近代初期では死んだ王の心臓とかを取り出したりしているが、あれは古代エジプトの風習と何か関係するのだろうか(eugen9999さんによれば、ハプスブルク家に起源があるようです)。上にも書いたけど、共産主義国ではミイラ製作が絶対権力の象徴として今も健在ですね。

歴史(上)
エジプトの考古学





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最終更新日  2005年09月13日 00時29分14秒
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