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2019.06.06
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カテゴリ: 観照 & 探訪
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先月(5月)、信樂山中にある ミホミュージアム に行ってきました。
この景色は、ミホミュージアムの本館の入口全景です。簡単なご紹介を始めます。

久々にミホミュージアムを訪れたのは、この引用した案内に見えますが、 大徳寺龍光院蔵の「曜変天目」茶碗の実物を拝見したかったから です。5月19日でこの春季特別展は終了しました。終了の数日前になんとか出かけることができました。 (資料1)

琵琶湖線JR石山駅からミホミュージアム行きのバスにて、ミュージアムのゲートまで。直行なのですがけっこう所要時間がかかります。会期の終わりに近づいたからでしょうか、平日でしたがバスは補助席も使い満席でした。

広い駐車場が傍にある大きいレセプション棟の前から、舗装された幅の広い坂道の道路を上って行きます。


          道路の両側に歩道があります。花を眺めながら・・・・。


ミュージアムの敷地は広く、 美術館棟に向かうにはまず専用のトンネルを通り抜けることになります
初めて訪れた時には、美術館棟に行くために、山を刳り抜いたこのトンネルを抜けること自体が驚異でした。
柔らかな光に導かれるトンネルです。




      山と山の間の谷を跨ぐ形で、ミュージアム専用の吊り橋!!
      なんと壮大ではありませんか。
      そして、橋の向こうに、美術館棟のガラス屋根の入口が見えます。

   橋上から遠望した信樂の山並みです。

橋を振り返った景色です。2つの山にミホミュージアムの敷地が広がっています。

いよいよ、美術館棟が近づいてきました。
 これで、冒頭に載せた入口の景色になります。

このミホミュージアムは、美術館棟全体の約80%が山の中に埋設された形になっています
山が開削されて建物が建設された後、山の形、外観を復元するように周囲を埋め戻して、この地域の自然景観と調和し、自然を維持するというコンセプトのもとに建設されたそうです。

初めて、このミュージアムを訪れたとき、建設プロセスの動画を拝見しました。
この場所は、森林法保安林区域・砂防法指定区域・自然公園法県立公園第3種特別地域であることとの関係もあるようです。 (資料2)

設計は中国系アメリカ人の建築家I.M.ペイ氏です。
I.M.ペイ氏は、この春季展の開催期間中ですが、5月16日に102歳で逝去されたということが、ミホミュージアムのホームページに報じられています。合掌。

今回の展覧会は、美術館棟2階になる北館に展示されていました。
正面入口を入り、エントランスホールを右折して、廊下を進みます。

右折した時に、展覧会係員の方から、整理券を手渡されました。会場への入場制限されていて、入場の時間指定がされていました。その理由は具体的に後でわかりました。
指定された時刻に会場前で待機するまで、南館の当ミュージアム所蔵品の展示を鑑賞しました。見応えのある作品が数多く展示されています。


指定時刻の少し前に、ガラス屋根と外側がガラス壁面主体の廊下を進みます。
ガラス越に眺めた山並みです。

少し先から、方向を変えて眺めるとこんな景色です。

少し建物の上部が遠望できるところをズームアップしてみました。
ミホミュージアムは秀明文化財団により運営されています。その財団の母胎である「神慈秀明会」の建物の一部が見えているようです。

ガラス越に見える美術館棟1階北側の一部。

突き当たりにミュージアムショップがあります。その手前に、2階への階段があり、そこに春季展の案内が出ていました。階段を上がった右方向の廊下が集合地でした。

入場指定をされている理由がすぐにわかりました。北展示室(北館)に入るとすぐに、展示室の通路の中央部分3分の1が「曜変天目」鑑賞用の行列待ちスペースが設定されていて、この展示室区画の突き当たりに「曜変天目」1点をガラスケースに納め、360度でぐるりと回りながら鑑賞できるように会場設定されていたのです。この行列待ちのできる規模で入場制限されていたのです。

上記引用の部分図です。この曜変天目がやはり今回の展示品の中のメインです。

既に奈良国立博物館で開催された藤田美術館展のご紹介しています。出品のメインだった曜変天目の曜変具合とはまた異なる曜変の有り様でしたし、輝きでもありました。

大徳寺の塔頭・龍光院は、黒田長政が父・黒田孝高(如水・官兵衛)の菩提を弔うために、江月宗玩和尚を開祖として慶長11年(1606)の建立されました。江月宗玩は、堺の豪商天王寺屋宗及の次男だそうです。 (資料1)

津田宗及は、堺の会合衆の一人。千利休・今井宗久とならぶ茶の三宗匠の一人です。織田信長から引きつづき豊臣秀吉に仕えた茶人でもあります。 (日本語大辞典・講談社)
勿論、信長・秀吉とは一方でビジネス上の関係が緊密だったことでしょう「織田信長と結びついて活躍し,所領の管理,年貢などの販売,物資の調達など,広く畿内から九州におよぶ商活動を行ったと考えられる政商であった。」 (資料3) 。秀吉の茶頭として仕えたときにも同様の役割をになっていただろうと思います。しかし、宗及は北野の大茶会の後、茶頭を解かれています。茶頭の主役は千利休に変わっていきました。
津田宗及は茶会記を残し、それは『天王寺屋会記』に収録されているそうです。 (資料3)

この天王寺屋伝来の茶道具の名宝が、江月和尚の住する龍光院に寄進された縁で今日まで伝えられ、建立以来400年の歳月を経て、この春季展でその一端が展示品に加わっていたのです。
茶道具関連品の他に、江月宗阮和尚をはじめとする和尚たちの 頂相図、墨蹟、仏像や羅漢図など が展示されていました。以前に古田織部についての小説を読んでいたとき、茶碗の切型のことが描写に出て来ました。この 切型の実物 がどういうものかを展示品として見ることができ、興味深さが増しました。

そして (はそうあい)
調べてみますと、この語句は禅語で『碧巌録』に出てくるそうです。 草鞋は「わらじ」のこと
「『草鞋を破る』と読めば草鞋をすり切らして長旅をする意、所謂『行脚』の事で、名師を求めて諸方の禅寺を遍参して修行する事です。『破れ草鞋』と読めば履き古されてすり切れ、今は路傍の片すみに打ち捨てられて誰一人として見向きもしない破れわらじの意となります。」とのこと。禅門で重用される語句の一つだと言います。
禅の修行は、真の「無一物」の境涯を突き抜けることのようです。破草鞋のように生きた人の一人に、近世の名僧、渡辺南隠禅師(1834~1904)がいらっしゃったというのを学ぶ機会にもなりました。 (資料4)

そこでふと思ったこと。「破草鞋」という語句を重用し修行する場である寺が、数多くの名宝を所蔵するというのは一つのパラドクスのように感じます。

ミュージアムショップで今回の春季展図録を購入しようとしたら、なんと売り切れでした。増刷するということでしたので、予約手続きをしました。これで、後日また楽しむことができるでしょう。




2階の北館は、階段を上がった正面の先がガラス壁面に囲まれた中庭で枯山水式庭園になっています。




エントランスホールから南館の方に進むと、一画が地下1階からの吹抜けの空間になっています。1階の通路から見下ろした景色です。

見上げると、現代建築らしい金属パイプ構造のガラス屋根が眺められます。

南館は1階と地下1階の双方に様々な文明・文化から収集された作品が分類されて展示されています。
その一隅に、 ミホミュージアム所蔵の曜変天目茶碗 が展示されていました。
「前田利常以来、前田家に伝来し、前田家の道具帳にも詳しく様子が記載されている。箱蓋表の銀粉字形『曜変』の文字は小堀遠州の筆と言われ、青貝の天目台と二重蔓牡丹唐草金襴の袋が添っている。大名物。『大正名器鑑』所蔵。」とのことです。中国・宋時代の作品です。 (資料5)
その曜変天目はホームページで紹介されています。こちらからご覧ください。 ​ガンダーラ仏像の右側に載るのがそれです。


美術館棟の正面入口を出る前に、館内から眺めた景色です。


さあ、再び淡い光のトンネルを通り抜けましょう。



レセプション棟前に戻り、バスの発着所まで歩き、帰路に。バスの発着所が変化していました。
以前はもっとレセプション棟に近かったように記憶するのですが・・・。

今回のご紹介を終わります。
ご覧いただきありがとうございます。

参照資料
1) ​ 春季特別展 展覧会チラシ ​(pdfファイル)  :「ミホミュージアム」
2) ​ 建築データ ​  :「ミホミュージアム」
3)​ 津田宗及 ​  :「コトバンク」
4) ​ 禅語 破草鞋 ​  :「臨黄ネット」
5) 図録『MIHO MYSEUM 北館図録』 MIHO MUSEUM  p154-157

補遺
ミホミュージアム ​  ホームページ
江月宗阮 ​  :「コトバンク」
江月宗玩 ​  :「遠州流茶道 綺麗さびの世界」
第51話 津田宗及 ​  :「なにわ大坂をつくった100人=足跡を訪ねて=」
曜変天目茶碗 ​  :ウィキペディア

   ネットに情報を掲載された皆様に感謝!

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。) ​​​​​​​​​​





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Last updated  2019.06.06 22:24:52 コメント(2) | コメントを書く


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