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2022.07.15
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カテゴリ: 観照 & 探訪

本堂の西側 に「 鐘楼 」が見えます。この鐘楼の南西方向に楼門があります。
楼門は既にご紹介しています。 鐘楼の南西方向の境内地探訪から始めます


まず、目に止まったのが 「中興上人良恵大徳供養塔」石標 が傍に立つ「 五輪塔 」です。

傍に、この「 案内板 」が設置されています。
鎌倉時代、1253年頃に十三重石宝塔を再建し、西大寺叡尊上人発願の丈六文殊像を造立、伽藍の復興等を為し遂げたことで、中興上人に。これを機に、西大寺の末寺に属したそうです。
大塔宮在せし寺や百日紅  小牛

基壇を三段にした「 五輪塔 」が目にとまります。傍に 「大塔宮護良親王供養塔」石標 が立っています。
供養塔の近くに、 案内文 も掲示されています。
「護良親王は延慶元年(1308)、後醍醐天皇の第三の皇子として誕生。

 『大塔』の名の由来は岡崎の法勝寺九重大塔のほとりに門室を構えられたことによる。
 17歳で三千院門主、19歳で天台座主となられる。『太平記』には武芸を好む異例の座主であったという。
 元弘元年(1331)8月、後醍醐天皇の倒幕計画が漏れる『元弘の変』が起こり、天皇が笠置山に遷座籠城されると、宮は尊澄法親王とともに参戦される。しかるに、幕府の大軍に攻められ、笠置城が落城後、般若寺に潜伏される。幕府方の追手按察使候人好専が500の兵を率いて探索に来たとき、機転を利かし堂内にあった大般若経の唐櫃に潜み、危難を遁れられる。(『般若寺の御危難』)
 宮様はその後、熊野へ落ちのびられるが、後醍醐天皇が隠岐島へ流された後も、天皇に代わり令旨を発して楠木正成や赤松円心などに倒幕挙兵を呼びかけられ、自らも吉野山で兵を挙げ転戦される。
 吉野山では村上義光が親王の身代わりになり壮絶な最後を遂げた話が有名。

 後醍醐天皇の建武の新政では征夷大将軍となられる。『宮将軍』
 しかし足利尊氏と対立し、捕らわれの身となられ、鎌倉へ送られ二階堂谷東光寺土牢に幽閉される。そして、北条氏復活を企てた『中先代の乱』で、足利直義の命で殺害されたと伝える。(一説に、生き延びたとも)建武2年(1335)7月23日薨去、享年28歳の御生涯であったと。
 明治に親王の御霊をまつるために建てられた鎌倉宮には、東光寺の土牢が復元され、親王に関する資料が公開されているが、『般若寺唐櫃』の複製が展示され、唐櫃から立ち上がられた親王の御姿の絵も掲げられている。
 般若寺には大塔宮護良親王をしのぶ歌碑と句碑があります。

 『般若寺は 端ぢかき寺 仇の手を
    のがれわびけむ 皇子しおもほゆ』  森鷗外
 『大塔宮 在せし寺や 百日紅』  小牛       
                        南都 般若寺  」 (全文転記)

般若櫃うつろの秋のふかさかな  青畝


石塔と地蔵菩薩石仏 。お地蔵さまの涎掛けには次の文が記されています。
        「 地蔵菩薩 おんかかかび さんまえい そわか 南無大師遍照金剛


楼門の北側、築地塀の傍に、 「平重衞 供養塔」石標 とともに「 五輪塔 」が安置されています。

傍には、この 案内文 が設置されています。

平重衡は、「以仁王の乱」を平定し、滋賀県園城寺を焼討した後、1181年12月25日、南都攻めに向かいます。興福寺衆徒7000人はこの奈良坂般若寺の地で、28日に平家勢4万を迎え撃つて戦いました。この戦の折に、般若寺の大凡が焼失します。
その後、平家は源氏に敗れます。平重衡は囚われの身となり、一旦鎌倉に送られます。しかし、その後、京に送り返されます。
「南都を焼いた張本人として重衡を恨んでいた南都の大衆は身柄を引き取り、木津川の河原で処刑、その首を持ち帰り般若寺の門前に晒したという。かつて般若寺の東の山麓に『重衡の首塚』と伝える塚があったが今では不明。」 (一部転記)
そんな経緯から、ここに供養塔が建立されたようです。


お地蔵さまが集まっていらっしゃる
般若寺やほとけの庭に秋ざくら  明奎
序でに、秋ざくら(秋桜)はコスモスのことなんですね。キク科の植物でメキシコ原産と言うことを初めて知りました。 (『新明解国語辞典 第五版』三省堂)

鐘楼辺に向かいましょう。

不動明王の銅像 が石の上に建立されています。傍に 「カンマン石」と題する案内文 が設置されています。
「カンマンは不動明王を象徴する種字(梵字)です。この石の突起部にお腹や背中を押しあてると健康が増進します。」 (転記)

般若寺のつり鐘ほそし秋の風  子規
般若寺の石仏かざる水仙花  明奎 (資料1)



鐘楼 は朱塗りで、子規の句に詠まれたとおり、すらりとした 梵鐘 です。
記念写真用の顔出しパネル が設置してあるのがおもしろい。聖観音立像とコスモスの図柄のようです。
鬼瓦

鐘楼の北側の境内地 です。

ガラス張りの電話ボックス様の覆屋の中に 「平和の塔」 が建立されています。
南北側に 千羽鶴 が沢山奉納されています。

「平和の塔」案内板 が西側に設置されています。
         1989年8月3日に平和のシンボルとして建立されました。
この平和の塔には、 「広島の火」と「長崎の火」を合わせて「原爆の火」として保存 しているそうです。その経緯が説明されています。



平和の塔の北側には、 「石塔部材群 <鎌倉、室町、戦国時代>」 が保存されています。
「戦国時代、般若寺の近く(南西700m)に松永弾正久秀が築いた多聞山城(現在市立若草中学校敷地)という城があって、日本で最初の天守閣(四層櫓と推定される)を備え、壮麗な城構えはヨーロッパにまで名を知られたといいます。松永は織田信長に敗れ、城は信長の命令で打ち壊され、建物は京都へ、城壁石材は郡山城へ移されました。
 石垣は寺の礎石や『般若野』(般若寺の南側にあった南都奈良の惣墓所)の墓石、石仏などが徴発利用され、今も郡山城に多数残っています。
 般若寺境内に散在する五輪塔、宝篋印塔、石仏などの部材は多聞城跡の住宅地(城の北側空堀跡・現在の呉竹町など)から寺へ奉納されたもので、元の『般若野』から運ばれたものと推定される。現在も若草中学校の南入口近くには大量の石仏などが集められている。(階段下の右側にあり)」 (案内文転記)

五輪塔ひっそりと


鎮守社と思われる小社 があります。


もう1箇所、別の場所に覆屋が設けられた少し侘しさを漂わせる建物があります。
傍に案内板が設置してあり、「 鎮守社 」だそうです。



境内地の北西隅に近い場所だったと記憶します。 覆屋が設けられ、数多くの石仏が集められ て祀ってあります。 中央の地蔵菩薩立像 は近年の造像のように見受けられます。他はかなり古い時代に作られたお地蔵さまのようです。
これもまた、各所から奉納されてここに集まったいらっしゃたのでしょうか。




双体像形式のものが結構あることに気づきます。これは地蔵尊の双体型でしょうか。
道祖神系の双体像が混じっているということも考えられるのでしょうか。不明です。

いずれにしても、般若寺に石仏や石塔あるいはそれらの部材が数多く集まっていることを再訪して知った次第です。

般若寺探訪では、見落とした箇所があることでしょうが、これで今回の探訪ご紹介を終わります。また、異なる季節に訪れてみたいと思っています。


般若寺を出た後、県道754号線を少し南に歩き、 復路は般若寺バス停から JR奈良駅までバスを利用しました。 バス停から般若寺への道路標識が見えました

ご覧いただきありがとうございます。

参照資料
1) ​ 春の花だより 4・30 ​   :「般若寺 花だより 住職BLOG」

補遺
コスモス寺開花情報 8・27 ​ :「般若寺 花だより 住職BLOG」
平和の塔 ​  :「八女市」
福岡県に広島原爆の残り火「平和の塔」8月6日の炎が燃え続ける場所 ​ :「Tabetainjya」
原爆の残り火「平和の火」 ​  :「宝徳寺」
長崎を最後の被爆地とする誓いの火 ​  :「長崎市」
ナガサキ誓いの火 ​  原爆ノート  :「NHK」
多聞城 ​  :「いかすなら」
護良親王 ​  :ウィキペディア
護良親王 ​  :「コトバンク」
平重衡 ​   :ウィキペディア
奈良坂 ​   :「コトバンク」

  ネットに情報を掲載された皆様に感謝!

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Last updated  2022.07.15 18:16:14
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