政治っぽい話(憲法九条とか) 0
『~へ向かう記憶』 0
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1、夢の話内容はR指定になっちゃうので詳しくは書けませんが、楽しい(笑)夢を見ちゃいました。こないだから読んでいる河合隼雄「ユング心理学入門」によると、アニマの発達段階として二番目にあげられているロマンチックなアニマだと思う。彼女は妊娠してました。子供の誕生は新しいなんらかの発展を意味していると思われますが、まだ2ヶ月だとのこと。何かに気づき始めている予兆だと思いたい。2、鹿の話570さんとこのブログのコメントから面白画像をみせてもらった。ビックリマンシール風だそうです。全く違和感ないっす。http://netamichelin.blog68.fc2.com/blog-entry-2138.html3、官僚官僚は金や名誉じゃなくって人事で動く、と、かつて官僚だって、のちに佐賀市長をして、いまはベンチャー企業とかに関わってるなんとかさんが言ってた。名前忘れました。社会保険庁が出してきた、年金業務を引き継ぐ「日本年金機構」の組織案は現状の人事の仕組みを引き継ぐ可能性のあるものだって。なるほど。本当に官僚というのは人事で動くんだな。4、ワンピース49巻影のことを小難しく考えようかと思ったけどやめた。どうもそれはワンピースの楽しみ方じゃないような気がする。それよか、ロピンの変化の方が面白い。思えばウソップって自分の意思で海に出たんだよね。ゾロもナミもチョッパーもサンジも変態の人も半ば強引にルフィによって引き込まれてきたわけだけど。ロビンもそうなるのかな。でもウソップはルフィに突き放されたりするし、あのメンバーの中で一番迷い多き人なのも当然かな。彼がひとりで全メンバーの迷いを背負ってるような気がする。ある意味、いちばん読者に近くて、ルフィと読者のよき仲介者になっている。だからウソップだけは自分で成長しないといけない。と書くと49巻でウソップが大活躍したかのようだけど、全くいつもどおりなんだけど、そのいつもどおりっぷり・・・ネタバレになるので書かないけど、エニエス・ロピーからサウザンドサニー号での出航までに彼がした体験をふまえても、全く彼の戦いっぷりが変わってないところがいいです。ジャンプマンガはすぐに心的成長と力の成長をいっしょにすませちゃう。それは確かに人の成長を象徴的に書くとそうなのかもしれない。でも、49巻で・・・ソゲキングになってからかな、ウソップがほんのり積極的になったことに、ウソップ自身の内面の変化がじんわりおこっている。ウソップが48巻でネガティブさを肯定していたのは面白かった。でもあのネガティブさは怪我の功名と言うようなもので、多分ウソップはこの先何度も何度もそのネガティブさで逃げようとするんだろう。その速度はとてもリアルだと思う。
March 5, 2008
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描いてみてわかった。目がでかい。つんつんヘア。目つき悪い。眉間にしわ。もっと髪長いイメージだけど、ありゃ刀のイメージか・・・手がつめたいっす。まえからほんのり疑問に思っているんですが、たしか死後の世界・・・ソウル・ソサエティは年をとらないんじゃなかったっけ?ほら、インコの子・・・チャドが助けてあげた・・・とソウル・ソサエティで再会した時、そんなこと言ってなかったっけ?記憶違いか?まいいや。それはともかく、死神たちは年をとっているし、世襲制度みたいなのもあるみたいだし、ものっすごくゆっくりだけど成長したり老化したりするんだよね。で、まぁ、疑問なんですけどね、ソウル・ソサエティで死ぬとどうなるの?ソウル・ソサエティでは擬似家族を作るという話があったから、あちらで子供が生まれたりはせんのよね。でも、やちるもルキアも赤ちゃんか子供の時に死んでソウル・ソサエティに来て、おおきなった。さらには、朽木家とか志波家ってのはなんか家系が引き継がれている。てことは、ソウル・ソサエティでも、戦闘以外でもわりと死んでる?確か、魂の数は一定のバランスを保っているって言ってた。でもクインシーの弓は魂を消去しちゃうのでダメなんだとかなんとか。ということは、ソウル・ソサエティでの死=現世での誕生、なのかな?でも、確か地獄もあったよね。死神が管轄してないっぽい世界。そういえば、さいきん黒いチョウチョ出てこないね。う~ん。
February 5, 2008
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いろいろヒットするなぁ・・・お客さんの名刺を探して名刺フォルダをぺらぺら。数年前に終わった物件で、制作サイドとしては二度とあうことのない人の名刺がいっぱい。整理しなさい。いや、仕事しなさい!きのう、ガーガ君が人を描いたのをはじめてみた。なかなかぐっどでした。パパの遺伝か、考えて描くんだよね。
February 5, 2008
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まるでオレはハードボイルド同心~♪忙しいふりして~♪ブログ~する~♪って、これで終わったらテーマやタグをたどってきた人に申し訳ないからプチ物知りさんだ。(外部記憶による:wikipedia)同心の語源について、ウィッキー・ぺディ雄さんによりますと、『同心は、元々中世後期の日本において「一致団結」を意味する語として使用され、「一味」や「一揆」と同義語であった。戦国時代に入ると、戦国大名の家臣(下級武士)たちは、主家への平時の奉公や軍役をこなすために相互に団結して事に当たるようになった。そのため、下級武士を「同心」と呼ぶことが一般的となり、後の江戸幕府も幕臣の役職名として「同心」の称を採用したのである。』のであ~る。
December 19, 2007
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また素敵なダメ親父が出てきた。小銭形平次かっこいいよ。長谷川さんに続いてまた魅力的なキャラが・・・って、空知さん、あんた、時代劇バカにしてない?ハードボイルドって・・・wikipediaによると『ハードボイルド (hardboiled) とは、元来は「堅ゆで卵」(白身、黄身の両方ともしっかり凝固するまで茹でた鶏卵)のこと。転じて、感傷や恐怖などの感情に流されない、冷酷非情な、(精神的・肉体的に)強靭な、妥協しない、などの人間の性格を表す』あ、本当に卵だったんだ。なんつーか、あの過去設定がまた・・・ていうかあんな過去あるのに、ダメ人間じゃない。二日酔いも治ったし、今夜はカミュでもやるか。
December 15, 2007
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わたく~し、48巻のウソップ君には感動した。物事をマイナスに考えることでオレに勝てると思うな。みたいなこといってでしょこのセリフに・・・、感動した。いいなぁ、ウソップ。ウソップのいないワンピースは岩木のいないドカベンみたいなもんだなぁ。ハマーのいないピュ~と吹く、Drマシリトのいないアラレちゃん。警察長官のいないパタリロ。冷越豪のいない奇面組。田村さんのいないえの素。キムにいじゃないけど、考えられへんわ。そういえば、オールディーズの漫才、面白かったのになぁ。オールディーズがなくなったことはベイブルースがなくなったのと同じくらい悲しかったわ。栩野といえば、帯谷さんもすきやったのに。。。あほんだらあほんだら言う人ね。ポットの人。残念ですよねぇ。って、河本と一緒に並べたらあかんよね。河本はなんでやったっけ?急死やったよね。あ、そういえば、ご存知ですか?木村進っていまこんな感じ。一度見てみたいわぁ。http://homepage1.nifty.com/fujii-seikotuin/kimura.htmもう、HP更新されてへんし。作ったろかな。すきやったなぁ。あと、室谷信雄な。わ~れ~、言う人ね。この人も喉頭ガンで引退しはってんね。花紀京もすきやった。岡八郎よりも京やんが好きやった。京やんも病気やねんねぇ。ハっちゃんも亡くなりはったし、間平ちゃんも池やんも和子さんも長生きしてほしいなぁ。
December 6, 2007
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リボーン面白いなぁ。ついつい見てたら、53話まで見ちゃった。追いついちゃった。それは関係ないんだけど、久しぶりに、一人になって考えたい気分。イイこともあれば、悪いこともある。というのは別に、オレの話ではない。運を呼び込む力、というのは、人間関係の中で培っていくことが出来ると思う。あ、これはリボーンと関係するか。^^;別にそんなつもりで書き始めたんじゃないけど。その時のそのシチュエーションに、自分のそばにどういう人がいるか。それで結果が変わるといことは多々あること。その点は因果応報だろうね。イイこともあれば、悪いこともある。でも、イイ時にどう振舞ってきたかで、悪い時にどういうめぐりあわせになるか、変わってくることもある。なんて思ったり、思わなかったり。ちょっとたそがれたい気分。
October 20, 2007
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噂によると再開したそうで・・・気にはなっているんだけど、全く話を知らない。つーか、真っ白の原稿をジャンプに載せた段階で、一気に圏外。絵の質はとやかく言わないっていうか、意図したものならなんでもいいけどね。いくら人気があったって・・・。漫画家の生産力には色々あるだろうから、漫画家よりも編集部に腹が立つ。そのクオリティーを守るのが編集部の仕事だろうに。ていうか、ジャンプは何でかたくなに毎週必ず描かそうとするんかいな。お休みを堂々と認めてやりゃいいのに。でも、なんか、評価高いな。気になるって言うほどじゃないんだけどぉ。ま、気になるって言うかぁ・・・、いや、でも、このまま数週でまたドロップアウトってのもありうるしな。それにつけても、尾田っちは偉いなぁ。やっぱり例外かな。
October 13, 2007
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沖田にみえる?見えるよね。言われてみると銀魂のエンディングが半裸祭りになっとる。でもさ、でもさ、アニメーターっつってもオッサンもいるだろうし、ていうかさ、ていうかさ、上のイラスト描いてるオレってキモくない?衆道の気があんのかな?それで沖田って、はっはっは。そこでもMかよ。さ、そろそろ仕事でもしやすか。
October 12, 2007
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あれ?「たま」がちがうような・・・まいっか。神楽と総吾が合体したのさいこー。ボケとボケが合体しても、やっぱりボケ。みんなでボケるのたのしーなー。すき焼きの話も楽しかったし。そういえば、吉本新喜劇でも、みんなでボケるの楽しい。辻本やくざ三人組のローテーショントークとか。横丁へよ~こちょ(関西ローカル?)で「妖怪鼻油わっさわっさ」がでてきたときのスケートとか。
October 12, 2007
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「ジャスタウェイ」でぐぐると9万件もヒットする。そこで一言、今日は橋の上で大粒の雨。珍しく用意がいいのを得意げに傘を広げる。夏は確実に力を弱めている。赤みを帯びて遠ざかる光のように季節が巡る。と、不思議親父を気取ってみました。
August 31, 2007
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あらためてアニメのデスノートを見てみた。ライトの演技はすばらしいっすね。絵も声も。一応ストーリーですけど、それに名前を書くとその名前の人物が死ぬ、という死神が持つノートというのがあって、それを人間が手に入れて・・・、という感じです。そういえば、俺は死刑反対なんですよ。ま、それはそれとして、子供の頃見ていた、たいていのアニメでは主人公が嫌いなんすよね。タイムボカンとか、ロボットものとか、ガンダムでもしゃーのほうが好きだし。でも、デスノートはずっとライトを応援してしまう・・・。ナルトでナルトよりも大蛇丸がすきだし・・・あ、ブリーチは一護を応援しちゃう。やっぱり黒いもんがはいっとると好きになるのかな。北斗の拳では前半のラオウ、最後のほうの(ユリアを失ってからの)ケンシロウ。封神演義では聞仲。蒼天航路では曹操、でも呂布のくだりは呂布。めぞん一刻では五代くんよりも三鷹さん・・・。シティーハンターよりもエンジェルハートの冴羽?。アップルシードのブリアレオス。バスタードのダーク・シュナイダー。寄生獣のミギー。あれ、何かこうとおもってたんだっけ?えっと、えっと。デスノートではライトの描写がすき。とくに薄ら笑いとか、勝ち誇った時とか。オレはデスノートで人を殺すことの一切に賛同できないし、どちらかの立場に立つなら間違いなく、拾ったノートで犯罪者の裁きを始めたキラを追うほうだと思う。けど、それでもライトを応援してしまう。ああいう腹黒い鬱屈した人間が正義心を発揮するのは好きだ。パタリロの正義のように打算的であったり、アラレちゃんの正義のように単なる偶然であったりするのも好き。正義を信じていない人間が正義を発揮するのが好き。ヤッターマンみたいに無邪気に正義を信じられると吐き気がする。それは子供の頃からそうで、俺はいつかヤッターマンがやられる日を楽しみにしていた。少しでも出し抜かれると楽しかったもんです。もしデスノートを持ったらどうしよう。とりあえず、死神と仲良くなって、いろいろしてもらおう。リンゴと引き換えにお金持ってきてもらうとか。
August 22, 2007
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ジャンプではうすた先生森田先生以外は読むものがなくなって、さすがにオレもジャンプから卒業かぁ、とおもったのはもう何年前だろう。尾田先生のもジャンプというより単行本で追いかけてたし、森田先生もヤンジャンに移ってしまって、うすた先生のを時々読むくらい、月曜日はジャンプの日じゃなく、ヤンマガとスピリッツの日なって久しいわけだが・・・ここ最近、デスノートから始まって、ナルト、銀魂、ブリーチ、リボーンとジャンプアニメの大逆襲が始まってしまってしまってしまったのはなぜ。おじさんにはすっかり無くなったと思っていた少年の心が、まだあったというのか?それとも、最近ネットで知り合ったマンガ伝道師みたいなひとたちのせいだろうか。ブリーチまではいいとして、リボーンまで面白いと思うか?もうなんだったら、主人公くらいの子供がいてもおかしくないよ。まー確かに、ケロロ軍曹も面白いと思ったけど・・・。そうだ。きっと、あのマンガグールーたちのせいにちがいない。で、まぁ、リボーン。あの少年、なまえなんだっけ、あの、シーチキンみたいな名前・・・ツナ!ツナがねぇ、逆上がりも出来ないって言うじゃん。じつはね、おじちゃんも、出来なかったようなきがする。嫌なことは忘れちゃうので、忘れちゃったから、よくわからないんだけど、いや、もしかすると一度くらい出来たかもしれないけど、前からは回れたような気がするけど、ツナのキャラ設定がね、妙にチクチクするのよね。おじちゃんの、触って欲しくない記憶にチクチクするの。今でこそ、立派なお腹に育ったわけだけど、ココロもメタボリックなわけよ。まーでも、偽りの記憶の園に生きる仮想のジェントルマンのオレにとって、リボーンではシンパシー感じるキャラが出てこない。死ぬ気でやれだぁ。くそっくらえだ。死んだらどうすんだ、ばかやろう。生き物は60割くらいの力で生きるのがベストなんだよ。がんばらなきゃ生きられないって言うのは、勝ち組が作った幻想だ。勝ち組はがんばらなくても勝ってるんだ。いまさら人生振り返って、あの時死ぬ気でやってたらなんて・・・思うわけ・・・ねぇよなぁ・・・ぐすん・・・っていうか、あの時がんばってたら今の自分はないわけで、このいとしい鬱屈は今のオレの重要なアイデンティティになってるもんな。指輪物語のゴクリのいとしいひとくらいいとしいもんな。でもなぁ、銀魂だと断然、長谷川さんにシンパシー感じるな。あの人は立派だよ。リアルスナフキンだよ。都会のノマドだよ。死んだ目でいいじゃない。キラキラした目は、まぶしすぎるんだよ。ブリーチだとザラキ隊長。ナルトでは大蛇丸さま。ワンピではドクトリーヌ。この人たちは本質的に迷いの人たちなんだ。迷いの上に自分の城をたててる。迷いをちまちま否定せずに、丸ごと飲み込んで強固な地盤にしてしまって、強くそびえたつ城のような人格を形成して、そしてやがて運命を城と共にする。で、まぁ。リボーンのどこが面白いと思ったかを書こうと思ったわけだけど、同でも良くなってきたのでまた今度。
August 8, 2007
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最近のヘビーローテーションは、中島みゆきの「歌姫」です。さ、教の日記いや、今日だってば。教の日記いや、今日だってば。パソコン、このやろー、ちゃんと変換しろ。おめーはやっぱりパソコンだなぁ。マックみたいになれねーか。※注 マックの標準辞書「ことえり」は初期の状態だとかなりクレイジーな変換をしてくれることで有名です。※注の注 最近は改善されているとのもっぱらのうわさですが、クレイジーからワンダフルに変わったくらいです。じゃーいいや。もう、教でいいや。おら、宗教家になりたいなって時々思うんだ。うん。どっかの宗教に入るくらいなら、自分が教祖になる!まぁ、でも、めんどくさそうだし、なんにしても信じきるって出来そうにないから、信者に信じきられたらいやだな。そうなったら宙返りしちゃおうか。あ、そうそう。今朝、猫の死体を見た。前からおねーさんが自転車で猫の死体方向にまっしぐらに突っ込んできた。こりゃもしかするといいリアクションが期待できるかも、ちょっとわくわくしたけど、全く期待はずれだったよ。あ、そうそう。車で走ってる時に猫の死体みるとついニャーンって言ってしまいません?猫の死体も見たし、電車に乗って会社に行くことにして、電車に乗った。電車はいつもの通り、予定通りに駅に着いた。ただ一つだけ、いつもと少し違った。うん。寝過ごした。猫の祟りかもしれない。ごめんね。ごめんね。グロッとか思ってごめんね。寝過ごしたためか、いつもよりも外は暑かった。事務所に付いた時には、今日一日の体力の80%を消耗していた。というわけで、仕事をすることにした。仕事といっても一日中パソコンの前に座って、キーボードやらマウスやらでかちゃかちゃやってればいい。ネットで遊ぶのと一緒。なんとなく、もし外人に生まれたなら、なんて名前がいいかなって考えてみる。キーンがいいな。なんか、アラレちゃんみたいで。あと、超音波みたいで。朝起きるとき、起こされる時、子供が激しさをましているような気がする。パパは夜遅くまでゲーム・・・仕事して寝不足なんだから、もっと優しくしてよ。それにしても、この日記のタイトルは、ジャガーのような気がしてきた。13巻ではジュライの話が、なんか良かったなって感じ。良かったのか?スペツナズとアニソンのデビュー前の顔も衝撃やったけど。でも一つ残念なことが・・・毎回楽しみにしていた無我野先生の新年イベントが・・・
July 27, 2007
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おいどんも歳とったばいとつくづく思った。昨日コンビニでジャガーの13巻を買ったんやけど、2話だけよんで、やっぱり面白なーと思いつつ、まだ意識がはっきりしているのに、本を閉じて歯磨いて寝ました。ありえる?面白いと思ってるのに、遅くなったから寝ようなんて、ありえ~る?うるとらありえ~んッスよね?でもさ、たしか、ハマーってさ、最初出てきたときはわりとピュアなキャラだったよね。な~んであんなにスレちゃったんだろう?ハメ次郎も会社辞めて仕事してないみたいだし、ポギーは迷いすぎだし、なんか、ジャガーさんに出会う人、みんなおかしくなっていくのに、本人たちは満足してる、もしかしてジャガーファンもひそかにおかしくなっていってるんじゃないだろうか?いいよ。べつにいいんだよ。さぁ、いけない扉を開こう。愚民ども。
July 25, 2007
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めっさかっこいいザラキをみつけたので、つい拝借してきてもた。元ネタサイトタイトルとぜんぜん関係ないけど、ザラキ・・・漢字はっと、更木・・・読めないね。これ・・・というわけで、カタカナのままでええやんね。バウントの話での、ザラキとイチノセの戦いについて。ていうかその前にこの手のマンガってさ、話が進むと、なんでみんな空飛べるようになるんだろう?ま、しゃーないか。知らない人のために。ザラキさんという死神さんは、戦い好きでめっちゃ強いおっちゃん。隊長さんです。死神の掟で、一騎打ちに勝てば隊長が入れ替わるというルールがあって、イチノセさんという死神さんは、自分が慕っていた隊長さんを一騎打ちでザラキに殺されたという経験がある。それで現世に出奔しちゃった。それから長い年月が過ぎて、ザラキに出会ったイチノセは、ザラキと対決する。このときに、ザラキが言ったセリフが、ちょっとひっかかってる。イチノセはかつて慕っていた隊長には理想があったという。また、いま主と仰いでいる人の理想ために闘うんだと主張する。なるほどな。そういうことを思える人に出会えるのも、ええよな。そのために闘うなんて、それもええよな。それに対してザラキは単に楽しいから闘うという。そのザラキが、イチノセに、怨念でも何でもいいから自分の感情で闘ったほうが力がある、みたいな事を言った。あんまり考えたことのないこの発想に、おんや? と思った。そっか。ザラキにとっては戦いが自己表現なんだ。感情と実現したい自己の差が小さいほど、うれしい時も悲しい時も、その人は生き生きして見える。ザラキのような言い方をされてしまうと、仕事が自己表現だというのも悪くないと思えてくる。このエピソードはアニメオリジナルということなので、ザラキに言わせたことが原作者の意図するものかどうかはわからないけど。ブリーチをぶっ通しで見て、全体としてストーリーの背景がギシギシきしんでいるのに、まず思い切って目を瞑ることにして(笑)、ああいう「力」への単純化で表現されているもののうちには、子供たちによく感じ取って欲しいものもあるなぁと思ったなにが正しくて、何が悪いかは自分で判断してかなくっちゃならない。情報が多くなり、価値観が多様化する社会ではそれが求められる。主人公、一護は、まず、家族、友達を基準として価値判断をし、やがてそれを社会へと拡大していく。その過程で、一人で悩んだり、自分を過大評価したり、過小評価したりしながら、人間関係の中で落ち着くところを見出していく。一護は、バブル的な勢いで「力」の成長をしているけど、精神のほうは実にまどろっこしい速度でしか成長していない。この作者は、物語の背景よりも、人間描写に長けているようですね。その判断を貫く意志の強さを「力」に象徴化していく。「力」はいつも期待通りに発揮できないだけじゃなく、すぐにそれを上回る「力」が現れるのは、思春期の子供たちにとっては日常的な問題だと思う。社会の中で自分を見つけていくとはそういうことだろうし、ネバーギブアップの精神で、そしてごちゃごちゃ考えるよりも思ったとおりにやったほうがうまくいったのかもしれないと、永遠の思春期のおぢさんは思ったさ。さて、そこでもう一度、ザラキ。順番なんだと思う。理想に先立つある種の「感情」が必要だということだろうと思う。それがどんな種類の感情なのか・・・。少年まんが雑誌でそのあたりまでやんわりとでも書いてくれるようになりゃええのになぁ。
July 20, 2007
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ブリーチ見たよ。ここに書きに来る時間も惜しんでだか惜しまずにだか、ブリーチを見た。見た。見た。どれくらい見たかっつーと、カリヤ(アニメだけなので漢字知らない)があっちの世界に攻めていって白夜(こんな字でいいのか?)と闘い始めたところまで見た。見たっつーか、仕事しながらなんで、半分以上は音だけかも。ブリーチは、死神・・・ていうか、あまり死神じゃないとおもうんだけど・・・の力を手に入れた高校生・・・って、デスノートとはぜんぜん意味が違うんだけど・・・のお話。週刊少年ジャンプ連載・・・だけど、今回原作は一切読んでないっす。なんつーのかなー、キャラクター設定はかなり面白いですね。たくさんキャラが出るわりに、みんな個性があって。特にアニメの場合は声優さんの力もあいまって、ザラキとかいいかんじ。ただ、その反面、世界観が安定してない・・・というかストーリーを展開しながら作っていってる、週刊連載のつらさがはっきりわかるのがつらい。細かいところはさておき、大きなところでずれてくるのは、つらい。それでもキャラの魅力で十分面白い。ていうか、世界観にはいくつか新しいアイデアはあるけど、それもどうでもいいかもしれない。というのも、今のところそれがストーリーに絡んでこないんだもん。この世で生を受けた者が死後にたどり付く先は、ほとんど現実世界とおなじような(なぜか日本の江戸時代のような風俗^^;)世界。そこは死神によって支配されている。死神の上位となるような神はたぶん存在しない。輪廻はなく、一方通行の世界。死神だけが現世と行き来できる。また、その世界と現世の間に怨霊のようなものが住んでいる世界がある。死神はその世界に住む怨霊が現世で悪さしないように、現世で怨霊大事もしている。というんだそうだ。また、それとは別に、地獄が存在している。この設定だと、死神と人間にどんな関係性が発生するのかとか。それ以前に、では魂はいかにして発生するのか、また死神はいかにして発生するのか、またなぜ人の魂のみとそのような関係にあるのかとか、とっても興味深~~~~~~~い、おいし~~~~設定があるのに。そして一番気になるのが、地獄の存在。地獄を稼動させている力とはいったいなんなんだろう?また、地獄の価値判断基準とはいったい?そんなことはさておいて、主人公たちは「友達」をまもるために命をかけて闘うのだった。うん。もう設定はそれを浮きだ足させるための部品にすぎない。また主人公の友達たちは、あるいは血筋のために、あるいは任務のために命をかけるのだ。また、それかよ。そればっかりだよ。少年ジャンプ。子供はそれを求めているのか?本当に求めているのか??解決方法はひたすら「パワー」。敵対者もひたすら「パワー」。最後の最後は「パワー」VS「パワー」。思いが強ければパワーアップするって、そんな世の中ちゃいますよ。でも、キャラがええ味でてるので、おもしろい。たぶん、ぜんぜん違うストーリーでも、このキャラだと面白い。あ、そっか、ドラゴンボールもキン肉マンも、キャラか・・・。
July 18, 2007
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いつ出来るかわかんなくなってきた(明日にでもできそうだけど、ずっと出来そうにもない)ので、途中をアップ。銀魂の沖田君。銀さんとかヅラとか高杉よりも鬱屈している分、なんかすきなんだよねぇ。高杉よりも!高杉といえば、ほんものの高杉晋作のほうは、竜馬がゆくのイメージがええな。そして顔はというと、小山ゆうのお~い竜馬の高杉が出てくる。それはそうと、今日はちゃんと日記を書くぞ。日記というのは、その日にあったことを書くものなのだ!夏休みの日記を一度もまともに書いたことがないけど、大人になったらかけるもん。えっと、今日は朝から小雨で、会社にいった。今日はかなり涼しいですね。まだ会社にいます。蝉がフェイントくらって自暴自棄になってないか心配です。冷蔵庫にお客さん用のウーロン茶が入ってなくてショックでした。ドキンちゃんについてかかれたブログが面白かった。あと、抹茶の賞味期限が切れていて、おなかすいた。さ、日記も書いたし、何か書こうかな。ていうか、まじで腹減った。よし、紛らわすために、まじめに書こう。というわけで、銀魂についてはまたゆっくり書くとして、銀魂とナルト、ワンピースに共通するキーワードについて書こっかな。少年ジャンプの人気漫画、銀魂の主人公、銀さんは、オレの武士道を守るといいます。ナルトの主人公、ナルトも、オレの忍道を貫くといいます。ワンピースの主人公、ルフィも、何があろうとオレの仲間を守るといいます。これらのセリフは主人公が社会のルールでは対処できない問題に直面する時に、そのルールを破る根拠として示されます。この三つに共通するのは、何が正しいかは自分で決める、という強烈な意志です。法律やルールを犯してでも、本来その根拠となるような何かに忠実であろうとする強い意志です。同じ少年ジャンプのマンガでも、10~20年前ではこのようなメッセージは強くなかったと思います。たとえばドラゴンボールや北斗の拳、キン肉マン、男塾、ジョジョなどでは、主人公はもっと自由に理由をつけずに闘っていた。理由など考えなくても敵はあからさまに「悪」だったり、もしくは「運命」としてただ乗り越えるべき試練として受け入れられていた。ジャンプのマンガを全部読んでいるわけじゃないので正確じゃないかもしれないけど、それが変わったなと思ったのは封神演義とるろうに剣心だったとおもう。敵対者が単純に悪とは言えないばかりじゃなく、人公側の正義にも疑わしい点がでてきたりしたんですね。後で振り返れば、ウルトラマンのメフィラス星人なんかもそうだったらしいけど、ヒーローもの、少年漫画にはつきものの、絶対的な正義はあるのかという矛盾が、ここにきてサブテーマからメインテーマになってきているようなんですね。それをはじめて感じたのがワンピースでした。ワンピースは主人公は「海賊」です。略奪行為はしないけど、仲間を守るためならかなりの破壊活動を行うため、犯罪者として指名手配されています。彼らはいったい正しいのだろうか?それでもまだ主人公は自分に疑いを持たない点、ヒーローの資格があるとは思うのですが、ナルトではもっときわどいことになってて驚いた。ナルトの主人公は、自分の中に、かつて里を襲ったという妖狐(善悪を判断しない破壊)が封印されている。自分自身の存在理由さえ信じられないところから、何とか正義を見出そうとしていく。しかもナルトの職業である忍者は、物語の世界では各国の軍事的均衡保つ武力としてかかれており、ナルトの出生には見つけることが出来ない。銀魂はギャグマンガなのでその分割り引いて考えないといけないですが、主人公、銀さんにいたっては、だらだらと自堕落な日常で、もう積極的な正義を見出すことは出来ない。いつも受動的に事件に巻き込まれていく。だけど、いざとなると、自分尺度の決定を下す。これらのマンガでは以前からあったありきたりなキーワードが、かつてなかったほどに強く明確に打ち出されています。「仲間」と「約束」です。単純な正義が見出せない時に、仲間と約束を大切にしろというわけです。でも、ここまで鮮明なメッセージを出すなら、なぜ「話し合い」が入ってこないのか、実は危惧しています。これらのマイルール的なものが社会的に許されるためには、たとえ事後的になっても話し合いが必要なはずなんです。それぞれの物語の背景となっている世界では、そのための条件すら整わないわけです。現実では、法そのものが矛盾をしていたり、モラルハザードがおきていたりと、制度上の問題から「仲間」や「約束」を守らない決断をすることもしばしば。また高度成長からバブルのときに信じられてたような、科学技術が解決してくれるドラえもん的未来を夢見ることも、もう難しいです。冷戦のような二極化した世界ではなく、いきなり国家じゃない敵対者によって平和な都市が破壊されるという状況も、単純なヒーロー像から力を奪ったと思います。かつて僕らが見たヒーローたちの正義のように、あいまいなままでは信じることが出来なくなったってきた。だから「仲間」や「約束」を守ることに力点が置かれるのかもしれないけど、ただただ主人公たちがわが意志を貫くことを強調することが目立っていて、その背景となる、道徳とか自然権とかについての描写がまだまだ薄いように思う。なぜ、仲間を守るべきなのか。なぜ、約束を守るべきなのか。そのマイルールの根拠となるものについても描いて欲しいもんです。で、オレがたびたび今後の展開に期待とか言っているのは、コーユーことなんです。こういう個人的なルールがいかに社会に適応していくのか、そのあたりをどう描いてくれるか・・・、楽しみにしてるんです。きっと彼らならそれを無視できないと期待してるんです。
July 10, 2007
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宇宙人だからですか?ハイッ! そーですっ!!でかい犬とでかい猫っ!立て札でしゃべるペンギンみたいなのと、パンダみたいなの(それはらんまだよ。)ほらね。ほらほら、また読んでる人にしかわかんないじゃん。そのまえに、おれは、銀魂はアニメの方しか見てないから。実は比較のしようがない。えーっと、『銀魂』(ぎんたま)は空知英秋のマンガ。週刊ジャンプに連載中。アニメもやってる。江戸時代にいろんな宇宙人がきちゃって、いきなり宇宙に開国しちゃったよ、っていうかんじのギャグ漫画。『うる星やつら』はいわずとしれた、高橋留美子のマンガで、漫画史に残る最高傑作の一つ。麻生大臣、そのマンガのノーベル賞はうる星やつらにあげてください。まーなんだ、エリザベスちゃんとか神楽ちゃんとか、うる星っぽいなーっておもっただけだよ。それだけなんだ。すとーりーとか、たぶん違うよね。アニメちょっと見ただけだから、よくわかんないし。アニメでは、かなり気になることが・・・ひとつは政治が頽廃しているのに経済が繁栄していること。もうひとつは、政治と市民の距離がとても離れていること。ま、ギャグ漫画だから、別にいいんだけど、すくなくともうる星では政治はほとんど出てこなかったからね。出てくる以上はギャグにしたって、その距離感は、現実の何かを繁栄しているのかな。明治時代の政府のイメージだろうか?それもちがうとおもう。とはいえ、日本の議会制民主主義のイメージとは違うから、その辺がちょっぴり気になりますなー。そのギャップは何を意味するんだろうなー。ちょっくら考えてみっか。あー、なんかうる星おもいだしちゃったなー。レベッカと同じ時代だねー。あー、あー、なんか、やる気がなくなってきたぞー。思えばあの頃はさ、何も考えなくてもなんとなく明日を信じられたもんだよねー。自分に自身が無くても、未来の夢が無くても、ただなんとなく、将来の夢はサラリーマンって書いちゃうような子だったオレでも、なんとなく明るい未来を信じていた。
May 22, 2007
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ついに日記記入率が80%をきってしもた。100%めざしてたのに。。。それもこれも、NARUTOの毒のせいや。NARUTOでちょっぴりヘビーな書き方をしてしもたがために、軽い視点で書く事になんや欲求不満を覚えてしまう…。ちばてつやや白土三平とか鴨川ツバメとか江口寿で書きたいネタはいっぱいあるんだが、実家にしまいこんどって手元になくてかけへん。ちゃんと覚えてないし。というフラストレーションもあいまって、またNARUTOかこっかな。また古本屋で1~10巻を買って、6巻の途中まで読んだ。また夜中に読んでたんだけど、若かりし頃は全部読んだんやろなと思いつつ、眠くてギブアップしてもた。特に最初のほう、アニメって原作に忠実やってんね。とはいえ多少は、微妙な意図的な変更箇所は別にしても、やっぱり原作の表現を正確にトレースしてない箇所があった。チャクラとか戦闘シーンの表現はさすがにアニメのほうが迫力あるけど、心象表現すこし違った印象になってたり、間の取り方で文脈が微妙に変わっていたりと、原作を読んで納得するシーンもいくらかあった。ま、微妙なとこなんやけど、放映時間にあわせて間を作ってたり、絵の質の違いってのもおおきいんやろ。最初に下忍の説明会で、ナルトがサスケに化けるエピソードも原作のほうが自然だったし、ザブザのエピソードでも全般に原作のほうが自然だった。そして逆の部分もあるんやけど、アニメのほうが補完されていてわかりやすい箇所がある。とくに後のほうでは、オリジナルシーンがいっぱい追加されますが、そのなかで重要な補完があったりする。オレの好きな大蛇丸の君麻呂に対して言ったセリフもアニメだけのもの(だよね?)やけど、「きっと、生きていることに意味なんて無いのよ」「でも、生き続けることによって面白いことを見つけられるかもね」「あなたがその花を見つけたように」「私があなたを見つけたように」大蛇丸の思想がはっきりしてくる。このセリフにはアニメスタッフも恐るべしと思った。また、サスケが里を抜けようとしてナルトと闘うシーンのラスト。アニメのほうはあのシーンのラストで、厳しい表情から多少和らいだ微笑にちかい表情が加えられているんだけど、これは原作にはない。どちらも当然作者も了承しての追加だと思うんだが、より意味がはっきりしてくる。原作を補完しているのか、それともアニメ向きに追加・変更されたのかよくわからないけど、一貫したテーマ・・・個人と社会とのかかわり方について・・・からは逸脱しないと思うのだけど、気になる箇所ではある。とりあえずもうちょい読んだら、個人と社会のかかわり方について、それぞれの立場から考えて行こうと思う。ナルトの立場、サスケの立場、大蛇丸の立場、我愛羅の立場、ハクや君麻呂の立場、イタチの立場がそれぞれ特徴的やとおもうんやけど、そのあたりをつらつらと書きたいなー。もひとつ書きたいのは軍事力についてですな。砂が木の葉を攻撃した理由は、軍縮が原因ですわな。軍縮によりパワーバランスが崩れる・・・これってめっちゃリアルな話で、パキスタンとインドの核開発競争みたいなね、軍事力が外交上重要な役割を果たしているところでは下手な軍縮はできないっていうお話ですわな。軍事力の均衡が必要で、木の葉が突出することで周りが危惧を抱く・・・それはヨーロッパでの戦争の歴史そのものでもある。つまり、木の葉くずしがおこなわれたのは5大国の外交の失敗ともいえるんですよね。この軍縮したから戦争になたっという、パラドキシカルな問題に最後まででにいくらか答えを見せてくれるのかなーって期待しているんやけど・・・世界的な作品になってしもた以上は深入りできなくなったんじゃなかろうかと心配であったりする。というのも暁って存在がなんとなく、某テロ集団とイメージがかぶるからななんやけど。。。そこは進行中のお話というとこで、期待しつつ見守っていきたいなー。たくさんのファンがいるんやからね。岸もっさん!つーわけで、今ハクを描いとります。
April 24, 2007
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実は、マンガ日記の更新ペースが落ちたのは、仕事のせいも多少はあるけど、ほんとはナルトのせいなんだ。うん。アニメはテレビの方をたぶん全部、コミックは30巻まで読んだ。ちょうどアニメのすこし先のところまでだ。うん。ナルト、ハク(カタカナでいいのか?)、サスケ、リー、ネジ、我愛羅と、自己の存在理由を問う話が連続する。ハクの話が一番泣けたなぁ。ザブザが泣くとこで超泣けたわい。あ、キャラが超かわってしもうた。ま、とにかく、最初は思春期を懐かしむ感じだった。だから軍事力と平和についてって観点から書こうなんて、気楽に思っていた。のだが、大蛇丸が出てきたあたりから、あることに気づき始めた。それは、妙に大蛇丸に納得してしまう、心の闇の存在。その気になれば世界を憎みきれてしまいそうな自分。それを自覚的に、または無自覚に抑制してきた自分。存在理由を自分の外側に必要としないでいようと努めてきた自分。大蛇丸は不死をめざす。しかしそれは生きつづけることではなく、それを通じて自己を表現し続けることを自己存在の根拠としているようで、ある種の美しさを伴っている。それはナルトの生命の美しさとは対極に位置づけられてはいるが、どこか同類の生き生き感がある。サスケのようなある物事を目的として生きているのではなく、自己表現そのものが目的となっているものの生き生き感である。ロック・リーにも同じ生き生き感がある。生き物はただ生きることで既に十分美しい、それ自身であろうとすることの美しさを、自己表現といっていいのだと思おうけど、それにどこまで迷わないでいられるか、また迷ったときにどうするか、ナルトの強さはそこにある。大蛇丸とナルトとどこが違うかというと、ナルトやリーは社会に評価基準においているが、大蛇丸は自分を基準においているということ。いずれにせよ舞台は社会に他ならないが、自ずとその表現は変わってくる。でさ、アタイさ、いままで自分を基準におこうと、してきたんだよ。お、変なキャラ出てきたぞ。でさ、でさ、そしてさ、そのこと自体がさ、社会とアタイを隔てる真空の闇をつくってきたんだよ。そしてもしアタイに力がなければ、この闇をアタイを蝕んでいくんだよね、きっと・・・。キショ!キモッ!それが上に書いた、社会を憎みきる可能性につながっていくんだけど、いまさらながらこの危うさに気づいた。一歩間違えればオレは、とてもつまらない人生を送ってしまうんだろうってね。最近、ある友達とのやり取りでも気づいたことなんだけど、何かを媒介として社会に通じているという意識はほとんど持っていない。人は関係性の総体だといっていいと思っている。つまり、媒介は必要なく、基本的に社会のすべては人で構成されるとおもっています。だが、自分がそれに対していつでも客観的で支配的であろうとすると、結局真空の闇で自分を包んで守る・・・我愛羅のフルオートの絶対防御は無意識の自己防衛をうまく描いていると思う・・・しかないわけだ。そこで自分の意思に反して、無意識に客観的な結果を求め、かえって関係性から自分が浮き上がってしまい地に足がついていない状況になってしまう。サスケのように。この媒介について、オレは無自覚でいすぎたと気づいたわけだ。そのことがあって、他のマンガのこともあまり書く気になれなかったんだけど、またもや同じ友人とのやり取りのなかで、自分が前提条件としているもののネガティブさに気づいた。オレはこうみても超プラス思考なんじゃ。超大抵のことなら超プラスに受け止めることができるんじゃ。あ、また超キャラが出てきた。超天性・・・、って、ここに超を使っちゃうと意味が変わってくるじゃん。あ、また違うキャラが・・・天性のものもあるだろうけど、オレ自身が意識して改造してきた性格じゃん。20歳前後の頃、何年かかけてセルフ自己啓発キャンペーンをしたんじゃん。で、プラス思考に自分を改造したんじゃん。ええい、うっとうしい。しゃーんなろーっ!でも、幼い頃から思春期を通してずっと持っていたネガティブな性格が、やはり根底あるようなんだ。この二重性こそが自分の個性なんだろうけど、我愛羅が積極的に社会との関係性の経験値を上げていこうとしたことには、自分にも心当たりがある。そのキャンペーンの一環としてだけど、人との関係性に自分から飛び込んでいかねばならないと考え、そして実行し、ある程度の成果を得たわけだ。そのおかげで多少は自信と社交性をもてたのだろう。しかしその後も、自分と社会との連関を、いつも恣意的なものであるようにとしてきた。それはおそらく前向きな動機からではなく、たんなる防衛かもしれない。だってその二重性のおかげで、素の自分っていうがわからなくなってしまったのだから。その二重性という矛盾が、自己表現すべき自己をわかりにくくしてしまっている。ナルトみたいになれればなと思いつつも、大蛇丸のある部分に光すら見出すことも忘れないでいたい。そうやって真空の闇に混沌を流し込んで、二重性が渾然としていけば、いつかの総体が具現されるのだろうか?あー、書きながらだいぶ考えをまとめられた。すっきり。さて、どれくらいの人がこれを読んで引かずにいられるのだろうか?(笑
April 18, 2007
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今描いてる大蛇丸の参考にしようとでイメージぐぐって見ると、江戸後期から明治にかけて書かれた『児雷也豪傑譚』にでてくる児雷也の敵が蛇を使う妖術使いなんだと。蝦蟇使いの児雷也の奥さんが蛞蝓使いの綱手。大蛇、蝦蟇、蛞蝓の三すくみってこの話から来てるんか。上の浮世絵は歌川国周ってひとの明治の作品の大蛇丸。ウロコをモチーフにしたって言う着物がおしゃれじゃ。こちらのサイト↓から拝借・・・いっぱい圧縮しかたら許してね。立命館大学アート・リサーチセンター所蔵浮世絵名品展 第一期 出品目録お話はこちらのサイトを参照http://www.kiseido.com/printss/jij.html
April 12, 2007
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ナルトっていえばぐるぐる。ほっぺにぐるぐるなるとがあるからナルトだ。って思ってたよ。ちがったのね。なかったよ、ぐるぐる。少年主人公のニンジャねたなんて、おっさんが見ておもろいもんかよ、って無視してきたが、ヨーロッパでも放映されていると聞いて、そんな人気あるんかと気になってはいたが、ちょっと意地はって無視してた。で、カレー屋さんにコミックがあったのをついつい読んでみれば、あらら、これ面白そうよ・・・で、まぁ、最近youtubeでアニメをぼちぼち見てるんだけど面白い。かんなり面白い。まだ連載中のマンガやし、ていうかまだ最初のほうしか見てないんやけど、戦争と社会の描写とか、今までの少年漫画ではなかったような深い突込みをしているのに驚いた。ワンピースの革命にも期待しているんだけど、おなじ雑誌に二本もこんなすごいマンガがあったとは。つい、指輪物語とかゲド戦記とかと比較してみたくなった。そのためには続きを読まないといけないけど・・・今のところ、オレらが少年時代に読んだマンガにはなかったいろいろが認められる。忍空とか、るろうにとか(あ、ごめん、どっちも子供のころじゃないや^^;)で描ききれなかったものがワンピースやナルトでついに結実しつつあるんかなと、おもったりしてみたいり。
March 30, 2007
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スカイピアの話のほうがおもしろくて、ルフィは結局戦争に加担していないよね。これ一万もするよ。ていうか、楽天アフィリエイトの画像きたねーなー。小さいし圧縮かけすぎ。微妙なんやけど、スカイピアでは侵入者と原住民の戦いなんやけど、ルフィは冒険の目的は、栗のオッサンとの約束を果たすことに終始する。アラバスタのときはクロコダイルって言う悪者がはっきりいたけど、スカイピアノ場合は問題はエネルじゃなくって歴史をずっとさかのぼることになるやろ。問題はかなり微妙で、もしエネルがいなかったら、ああいう結末にはならなかったんじゃないかとさえ思える。だって総力戦に出るきっかけが双方にないわけだから、双方が譲歩するなんてことはなかなかむつかしかろ。そして結果的に歴史が実証されて、結果的に大地信仰みたいなものをドラムの話からだんだん話は難しくなっとる。子供たちはあのストーリーをどう受け止めているのか聞いてみたい。尾田先生は意識的にルフィを中立したんだと思う。インディアンよりもパレスチナをどうしてもイメージしてしまうんやけど、ワイパーたちに頑固さはよく書けてると思うし、偶然の結末というのもよくできていると思う。イスラエルとパレスチナをイメージしたら、お互いが許しあうことが如何に難しいかようわかる。スカイピアみたいに二勢力だけの対立に単純化したとしても、ややこしい。もしルフィが仲良くしようなんていってそのとおりになったりしたら、超つまんないお話になっちゃうやろな。そして歴史の解明がなければ、シャンディアたちに対する差別はなくならないかもしれない。あの鐘の証明がなければ・・・。一時的ものになるかも知んないし、ロビンが追っているのとは別にしても歴史がとっても重要な役割を果たしたんよね。いうまでもなく、OEN PIECEでは最初から約束ってのが強いキーワードになっとる。信頼ということも強いキーワードになっとる。そしてその信頼を裏付けるのは、許容ということだ。ルフィは誰でも分け隔てなく許容する。理解するわけじゃない。ただ容認する。受け入れる。これは民族対立とかにも通ずることなんよね。尾田っちがどこまで意図しているのか、または表現しようとしているのかはわかんないけど、グローバル化社会でのアイデンティティの持ち方について、何かを示してくれるんやろうと、めっちゃ期待しとる。皆さんもその辺も注目してみるとおもろいんちゃうかな。なんでルフィがその判断をしたのか、尾田先生はその都度かなーり考えているように見受けられるんやけど、年齢的に考えてもすごいなぁ。子供向けにかいとってな、あんまりこんな漫画ないよ。その、内容の賛否はいろいろあるやろうけど。そしてですよ。オレ的にはこれが一番すげぇとおもうんやけど、たいていこういう問題を扱うと、お話がシビアになって、暗い調子になっていくもんや。るろうにとか封神演義とか、お話が深まるにつれて、最初の軽い調子がうるれて、なんや硬い調子になってしまったでしょ。尾田先生はこの点非常に気をつけていると思う。明るさをなくさないように・・・まぁロビンの話なんて重いから、よくも明るく回帰できるもんだと感心するよ。ていうかいまだかつて例がないんちゃうかな。あのペースで描いてて、あんなにぶれない・・・、ほんまに前例のない構成力やよね。と、どんどん期待は膨らんじゃうのでした。そういや、ストーリーのレベルを一定保つ工夫では、ジョジョもうまいことしてたな。ジョジョも好きなんでまたゆっくりぃぃぃぃぃぃ、かぁぁぁぁぁぁぁくぅぅぅぅぅつぅぅぅぅぅぅぅぅもぉぉぉぉぉぉぉりぃぃぃぃぃぃぃぃ。
March 20, 2007
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尾田っちが戦争をどう描こうとしてるのか、今のところわからん。アラバスタの話では世界政府から公認・・・どういう根拠によるのかわからないけど・・・を受けている王下七武界の一人、クロコダイルが民衆蜂起を利用して王政の転覆を図るわけや。アラバスタの国王がいくら開明っぽいといっても、実際に民衆蜂起を抑えられなかったし、なによりも王不在時に軍のトップが王政を牛耳っていたように、かなりの中央集権だ。それにいくら国土が広いとはいえ相当数の軍を持っていながら、クロコダイルに活躍の場を与えているし、支配体制はそれほどうまく機能していないようにも思えるんよね。そしておそらく、そうさせているのは世界政府さえも脅かすような海賊の存在だろう。そして革命・・・これが民主主義革命なのかどうかはわからないが、これが海賊たちとどう対立していくのかは楽しみだけど、不安を別の形で解消して行こうとする動きなんだと思う。七武海っていうのは、相当に妥協的な存在であり、普通に考えれば任命責任を政府が追及されようものだけど、そのあたりをもみ消すことにアラバスタも同意せざるをえなかったのだろうか。現実問題として世界政府サイドでもめるわけには行かない事情がある。つまり、世界は戦争状態にあるわけだ。世界政府は国連よりもかなりの特権を持っていて、独自の軍隊、独自の司法制度をもっているのだけど、それでも世界を掌握しているわけじゃないんよね。最初のほうのエピソードでいともたやすく海賊勢力に征服されてしまった島がいくつか出てきてたし。さて、こうなってくるとホント楽しみなんやけど、ルフィたち海賊はいまのところは、世界政府の正義とも、革命の正義とも対立しとるわけで、それじゃまったくハッピーエンドは期待できへん。オレはここんとこをいっちゃん尾田っちに期待するところやし、さすがやなぁとおもとるとこやん。革命・・・何の革命家わからんけど、とにかく革命・・・がなくて、単に世界政府と海賊の争いやったら、結局ありきたりのエンディングにしかならへんやろう。実はルフィって、いままでものすっごい個人的な事情だけでたたかっとるやろ。途中でいずれかに協力するのか、もしくはこれを最後まで貫いていくのか。いったいなにがのこるんやろうね。
March 20, 2007
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ジャンプに連載中のワンピース。このウソップは英語ばっかりのサイトからぱくってきたんやけど、オレはウソップが一番好きだ。一番感情移入できる。ウソップの存在だけじゃないんだけど、ワンピースはまさに成長してるマンガや。なんにしても、歴史に残るような作品だってことに誰も異論はないやろ。まだ連載が終わっちゃいないんやからなんとも言えんのやけど、売り上げとか別にしてマンガだけで見ても、Sクラスやよね。メッセージ性の高さ、しかも社会的価値観にかかわるようなメッセージですから、ドラゴンボールやスラムダンク、北斗の拳とも比べられない。ウソップという存在のみならず、仲間の一人一人をみていっても、尾田っちが指標する自由、価値観の許容というところにはとても共感するもんがある。そしてなにより、感動しちゃうのよ。泣いちゃうよ。いい大人がマンガ読んで泣いちゃうよ。羊号、じゃないわ、メリーの話なんて、泣かずにおれまっか。ヒラルクの話もええはなしやったよ。鹿さんがんばれ!主人公ルフィは多様な価値観を受け入れるやろ。孫悟空とおなじ超越感を感じるルフィだけど、ルフィは悟空よりもよりもずっと多く、リアルな決断をしている。尾田っちは決断ってのを意識的に書いているように思う。自分で考え、決めるってことの重要性とかね。いわば、右か左か選べない、自分で道を切り開いていく決断。ゾロ、サンジ、ナミはルフィが選んで仲間にした。ウソップ、ロビンは成り行きだったけど、結局その清算を後で払うことになった。このあたりは、並みの構成力じゃないですよ。尾田っちすご。そしてなにより、まず、これが言いたかってんけど、第一巻の最初のページでロジャーが出てきるんやん。ロジャーが秘宝をどうのこうのいうところから始まるやんか。そこやねんけどな、ロジャーの口ひげな、鼻毛に見えてしゃーないんですけど。な。ビールおかわり。あ、ごめん。その他醸造酒や。うまい生、まずいよね。ところで、ルフィはどうして女子に興味が無いんだろう?それを補完するようにサンジがおるやろ。ルフィはくそ正直だよな。それにはウソップだ。ルフィは何もかもを許容する。それにはゾロ。ルフィは計画性が無い。それにはナミ。ルフィはいつも楽観的だ。それにはロビン。く、く、くっくろびん! あ、すまん。で、ルフィーは何も作らない。(笑それにはフランキーだ。そして、決めるのはいつもルフィだ。ワンピースには作者尾田っちのいろんなメッセージがこめられている。ティーチにいわせた「人の夢は、終わらねぇ!」なんて最高だね。子供に読ませたいマンガナンバーワンだよ。これはドラゴンボールには無いこと。ドラゴンボールは結局行き当たりばったりだからね。夢を紡ぐには努力が必要だ。その努力しだいで、夢は終わらねぇ。いい言葉じゃねぇーか。うーん。ワンピースは書き出すと色々あるなぁ。今後なんかいかに分けてテーマごとに書いていこう。次回は、反乱と戦争について書くつもり。夢、法と無法、仲間・・・いろいろ。。。じゅるり。うまそうなねたじゃ。
March 14, 2007
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オレがもっとも敬愛する漫画家の一人、うすた京介先生の最高傑作。ただいまジャンプ連載中。現役最高ギャグマンガ。これを読まずして死ねるか。かーちゃん質に入れてでも読みやがれ。でも、オレはひとこと言いたい。たしかに、これだけのギャグを毎週繰り出す難しさはわかる。コントで新ネタを毎週作り続けるようなもんだし。それはわかる。せやし、休んだかて文句いわへんわ。休むときは休むでええやん。作者取材につきって書くなっちゅうねん!どこいっとんねん!スタジオの話のときも、無理やりって書いてたやん!白いワニでええやんっ!!あかんかっ!!!えー、いわずと知れた、ギャグマンガ四天王のうちの一。ギャグマンガ四天王とは、内閣のマンガ文化国際化諮問会議でとりまとめられたものだ。四天王にうる星やつらをいれるかどうかで衆議院解散総選挙になったことは記憶に新しい。まー、ギャグマンガですから、ストーリーなんてどうでもええでしょ。ストーリーっつぅーと、ホナウドとかます太郎とか、主人公というか、メインキャラが一切出てこないはなしがこれまた面白い。むしろこっちのほうが面白い。特にホナウドの話は最強。あ、ホナウドの話しちゃうわ。あおすじなんとかや。どうでもええわ。ホナウドの話では定番展開(たとえば主人公が一回負けて努力してなにかを超越して敵に勝って、その敵が味方になって・・・)がネタにされとる。徹底的にからかいつくすと言う感じで、最高ですよ。ホナウドの話はこのあと何時間でもかけそうなんですけど、でも先日の日記でドラゴンボールを半肯定してもうたから、なんかかきにくなってしもたな。でもマガジンの花形とかね、ああいう安易なマンガが陵辱されつくしているネタなんよ。それに、最後の落ちはヨギータのショート落語、守りたい、みんなの地球。にも通じるのかな?マンガがどういうメッセージを発するのか、っていうことへの痛烈な批判でもあると思う。ピューと吹く!ジャガーが面ろいのは、そういう隠れたメッセージを暗示させるところやね。単にもろいだけじゃなくって、うすた先生がどこに突っ込みを入れようとしているか、その着眼がすでに面白い。タブーをいらおとするし、時々読んでるほうがハラハラするぜ。あとはー、一話もんのキャラが面白い。全力でつっこむ人、突吉こむ平すきやなぁ。もう一回でてこんかなぁ。あの名せりふ、「凍るに狂うと書いて凍狂(トウキョウ)」が出てきた回じゃ。ほかに・・・忘れた。そ、そして、忘れていけないのが、ヒロインさ。ジャガーさんたちボケをさらっと受け入れることの出来るすっごいキャパの広い、スーパーヒロイン。マサルさん時のモエモエですわよね。ジャガーではサヤカちゃんですよ。あんな人、世の中におるんかい、言うくらいの理想ですよね。ていうか、ジンナイ死ねっ!ひとつ気になるのは、ぴよ彦とハマー、ポギーがだんだんダメ人間になっていくこと。まさにジャガーさんは逆ドラえもん化していること。トリックスターとしてのジャガージュン市の要素かな。この鬼才、うすた先生の作品に匹敵するギャグマンガは現在無い。(おい、いいきってええんか?)まさに日本を代表するモンスターになりやがった。グレイテストや。グレイテスト、モンスター。モンスト、モンスター、モンテストやー。
March 13, 2007
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完全版しか楽天に画像なかった…こないだの日記に近所の本屋さんのことを書いていて、思い出したシーン。けっこう店内が明るかったとおもう、なんか光あふれるイメージ。Dr.スランプの連載が終わって、しばらくして、平積みにされていたドラゴンボールの第1巻を発見した瞬間。当時はちょうどジャンプを読んでなかったし、まわりもそんなにマンガ好きがいなかったため、あんまりタイムリーに情報を持ってなかった。ていうか新連載が始まっているのも知らんかった。コンビニで立ち見読みとかせんかったなぁ。なんでやろ。コンビニがなかったんかなぁ。それはともかく、今でも鮮明に覚えているくらい、ワクワクしたんよ。鳥山明の新連載だ! とにかくDr.スランプが好きだったし、終わっちゃって間のなくだったってのもある。もう出た、うっひゃー、みたいなん。こっちも完全版しかなかった…もともとDr.スランプが好きだった。アニメもしていたし。ギャグマンがだけど書き込みの細かいきれいな絵っていうのが気に入ってた。アラレちゃんも連載当初は二頭身じゃなかったし。センベイさんももうちょっと背丈あったし。メカ好きお子様だったオレとしても、メカの造形のかっこよさにもあこがれたし、いろいろまねをしてかいたりした。ストーリーに関係ない扉の絵にでてくるメカとか、だいたいディフォルメしたずんぐりむっくりの乗り物なんだけど、とにかくかっこよくって、リアルにみえて、ライブ感があるっていうんかな、絵を見ているだけでも楽しかった。というわけでオレ的には、鳥山明=ギャグマンガ+メカがうまいっていうイメージで、今でもそれは変わっていないよね。だから当然、ドラゴンボールもギャグマンガとして期待したし、メカイラストを期待した。そしてドラゴンボールはこっちの予想を超えて、それに西遊記モチーフの冒険っていう要素も加わっていて、コミックを買って読んだかわいい少年のオレ様は大満足した。ホイポイカプセルから出てくるメカにも大満足。その最初の出会いの瞬間が鮮明なのは、その期待の大きさと、結果の満足さに美化されとるんかもしれん。ところが、いまやドラゴンボールと言えば、世界規模の大産業。超ビッグネームになってもた。しかも、dragon ballでイメージ検索すればスーパーサイヤ人ばっかり出てきよる。あのかわいいちっこい悟空はめったにおらへん。海外のサイトもいっぱいヒットするけどサイヤ人ばっかりや。漫画では見知らぬキャラもいっぱい出てきよる。オレが子供のころに感動したドラゴンボールはあんまりでてこーへん。wikipedeiaでも格闘漫画と書かれてしまっている。ドラゴンボールはピッコロっていうかマジュニアの話でひと段落なんよね。それは作中でもあきらかにそうやと思われる展開やったし、オレもそのつもりで読んでた。だから「もうちょっとつづくよ」とかかれて次の話が始まったときは、まーうれしかったもんです。うれしかったけど、エピソードを重ねるごとにストーリーの質は落ちてった。まだ最初のサイヤ人のエピソードまではよかったんだけど、だんだんとね。ところがそれに反してドラゴンボールはどんどんメジャーになってった。Wikipediaにもかいてったけど、もう産業規模が大きなりすぎて、いろいろ難しい事情があったみたいやね。まーそれでも、孫悟空のキャラはぶれんかったよね。孫悟空って全般を通じて軽いでしょ。なにごとも、ま、いっか、みたいなね。その軽さ、アラレちゃんにも通じるのかな、最強の軽さ。本気で悩みがないのかもしれへん。かっこつけへん。飾らへん。見え張らへん。欲張らへん。それも自制してそうするんやなくって、ナチュラルに。強くなることにも思い悩んだりせぇへんよねぇ。あのウルトラマンでさえ悩んだと言うのに(笑wikipediaで鳥山明がインタビューに、連載中はつらかったけど、がんばって描き切ってよかった見たいな事を言ったと書いてあった。作者も悩んでいたんだ。あらら?最後のほうはおもんなくなったぞーって書こうと思って書き出したんやけど、憎みきれない孫悟空。う~ん。世界規模のヒーローなだけのことはある。なんかもう一度読みたくなってきたぞ。
March 12, 2007
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