いちじょう じ あそ いとう じんさい
一乗寺に遊ぶ
伊藤 仁斎
しゅうしょく そうぼう すいび のぼ くも ろうじゅ まじ かり はじ と
秋色 蒼茫 翆微に上り 雲は老樹に交わり雁 初めて飛ぶ
さんえん かき じゅく からす ふく さ けいかん きのこ おお ひと お かえ
山園 柿 熟し 鳥 銜んで去り 渓澗 蕈 椆 く 人 負うて帰る
まち とお み ちり ばくばく はやし ふか ただみ きり ひひ
市遠ければ看ず塵の漠々たるを 林 深ければ只見る霧の霏々たるを
たず ほっ たじつ み す ところ ひえい さんぜん やすい いそ
尋ねんと欲す他日身を棲ましむる処 比叡 山前 野水の磯
(詩文に合わせた挿入写真を作る)
1、秋に気配を感じる瓜生山に上り中腹から初めて雁の群れを見た。
2、更に進むと山園の柿をカラスがつついていたが、そのうち柿を銜えて飛んで行
った。羽音が耳をつく。
3、進むにつれ林は深くなっていった。
作者 伊藤仁斎
1627~1705 (寛永4~宝永) 江戸初期の儒者。幼名は源七・源蔵。名は維貞。字は源佐、号は仁斎。別号古義堂・棠隠。
京都の人。古義学派の創始者。その塾古義堂に全国より集まる門弟3000余、学界の一方の勢力と
なった。
一生仕官せず、貧苦の中に学問に努め、寛文(1661~1673)初年朱子学を宋儒の独断論
として、直接孔孟の原点に聖人の本旨を求める復古学を主張。朱子学の理気説と現実を無視する静
的世界観に対して、宇宙人道の活動的立場をとる一元気論を唱えた。学風は道徳論が中心で、
仁と義の解明を通して政治論が展開された。死後、弟子たちから古学先生と諡された。以後、
長男東涯が古義堂を守り、江戸の荻生徂徠と拮抗し学界を動かした。
主著「孟子古義」「童子問」「語孟宇義」など
(角川書店.日本史辞典)