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「かくあるべし」から、「事実本位」に切り替わり、地に足がついた行動ができるようになったとします。その次には、問題点や課題を見つけて、その解決のためにエネルギーを投入していくことが大切になります。問題点や課題を見つける、発見する、気づくときの心構えにつて投稿します。これは普段の生活の中で、ごく小さな不便、不満、不安、不快、不足、不振をきちんとキャッチする癖をつけていくということが肝心だと思います。これらを小さいことだからといって我慢する、無視するようでは、宝物に気づかないのと一緒です。小さいものがそのうち大きくなりすぎると、今度はどこから手を付けてよいのかわからなくなり、指をくわえて眺めるだけになってしまいます。ここでポイントは、ごく小さな不満などを、きちんとメモしてストックする習慣を作り上げることです。そして小さいうちに処理してしまうようにするのです。たとえば、小さな不便・・・掃除のときに隅っこのゴミがうまく取れない。これをきちんと掴まえてメモしていると、ある日突然アイデアが湧いてきます。そうだ、1.5mくらいの棒に小さな刷毛をテープで固定する。これを使ってゴミを一旦吐き出す。それをあとでまとめて掃除機で吸い取る方法がある。小さな不満・・・田舎で野菜つくりをしているが、1週間も夏日が続くと、定植した苗が枯れることがある。最初はペットボトルに水を入れたり、敷き藁を敷いたりしていたが今一つだった。自動灌水設備にすると金がかかりすぎる。近所の人に聞くと、黒マルチ栽培はどうかという。たっぷり水をやって、黒マルチをしてから定植をする。日照りの時は水が蒸発しにくい。雑草除けにもなる。究極は近所に人にお願いし、少しお金を支払って水まきを手伝ってもらう。最終的には7月3日に投稿した自動水やりチューブによって解決した。小さな不安・・・集談会後の懇親会でどうも飲み過ぎになる。次の日は身体が重くなる。これを何とかしたい。最初の一杯のビールはみんなより後に飲み終わるように気を付ける。最初は飲むよりも食べるほうを主体にする。お冷をもらい、ビールとお冷を交互に飲むようにする。ビールは3杯までと決めておく。小さな不快・・・我慢できないことはないが歯が痛む。気がすすまないが歯医者に行く。親知らずが虫歯になっていた。歯医者は親知らずは抜いた方がよいという。それから歯垢は定期的にメンテナンスをして取り除くものだという。歯磨きのやり方、キシリトールガムを噛んで顎を鍛えるように指導された。小さな不足・・・年金だけでは貯えが減っていくばかりで不安だ。そろそろ定年になるし、冠婚葬祭費、家電の買い替え、自動車の買い替え、家の修理費、税金や保険の不足はどうしようか。せめて自分の小遣い程度は働いて稼ぎたい。あとは節約するしかない。不要不急なものは買わない。小さな不振・・・昼寝を30分とると調子が良いが、昼寝を抜くと昼からだるくなる。ただし横になると完全に寝てしまうのでかえって調子が悪くなる横にならないで机に伏せることで体調維持につながるので習慣化したい。現実的な小さな不安を放置していると、釣りの時に絡まった糸がほどけなくなって、四苦八苦する状態とよく似ています。
2022.08.12
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稲盛和夫氏のお話です。以前、私はよく新しい考えやアイデアを思いついたとき、「こういうことをひらめいたが、どうだろう」と幹部を集めて意見を聞くことがありました。そういうとき、難関大学を出た優秀な人ほど反応が冷ややかで、そのアイデアがどれだけ現実離れした無謀なものであるか、ことこまかく説明してくれることが多いのです。彼らのいうことも一理あり、その分析も鋭いものなのですが、だからといってできない理由ばかりあげつらっていたのでは、どんないいアイデアも冷水をあびせたようにしぼんでしまい、できることもできなくなってしまいます。そういうことが何度もくり返されたあと、私は相談する相手を一新しました。つまり新しく、むずかしい仕事に取り組むときには、頭はいいが、その鋭い頭脳が悲観的な方向にばかり発揮されるタイプよりも、少しばかりおっちょこちょいなところがあっても、私の提案を「それはおもしろい、ぜひやりましょう」と無邪気に喜び、賛同してくれるタイプの人間を集めて話しをするようにしたのです。むちゃな話だと思われるかもしれませんが、構想を練る段階では、実はそれくらい楽観的でちょうどいいのです。ただし、その構想を具体的に計画に移すときには、打って変わって悲観論を基盤にして、あらゆるリスクを想定し、慎重かつ細心の注意を払って厳密にプランを練っていかなくてはなりません。大胆で楽天的にというのは、あくまでアイデアや構想を描くときに有効なのです。そしてその計画をいざ実行する段階になったら、再び楽観論に従って、思い切って行動にとりかかるようにする。すなわち「楽観的に構想し、悲観的に計画し、楽観的に実行する」ことが物事を成就させ、思いを現実に変えるのに必要なのです。(生き方 稲盛和夫 サンマーク出版)神経質者は、構想、計画、実行とも悲観的な傾向があるのではないでしょうか。神経質者が行動する時は、「悲観的に構想し、手も足も出なくなり、せっかくのチャンスをみすみす逃してしまう」ことが多いのではないでしょうか。どうしてそんなことになるのか。それは人間の進化の過程で、悲観的な経験をよく多く、より強く記憶にとどめるようになったからです。アフリカの東部に起源をもつ人間の祖先は、肉食獣の脅威にさらされながら生きていました。少しでも油断をすると明日の命はないわけです。当然慎重にならざるを得ない。その遺伝子を受け継いでいるのです。楽観的な考え方よりは、悲観的な考え方を重視する人間の方が生き延びることができたのです。ネガティブな記憶、マイナスの記憶、否定的な記憶がより多く、より強く記憶され、行動する時にそれらを、成功体験よりも優先的に引き出して検討を始めるのです。神経症の場合は、心配性で敏感気質、自己内省性が強いという特徴がありますので、さらにバイアスがかかりやすいのです。誰でも、ミスや失敗をしますが、成功体験もあるはずです。行動する時に、成功体験を思い出して、「面白そうだ、思い切って挑戦してみよう」「今度もまた成功するような気がする」「挑戦する前からわくわくしてきた」という気持ちになれば、楽観的に構想することができるのではないでしょうか。そのためには、ネガティブな記憶、マイナスの記憶、否定的な記憶は、そのまま「あるがまま」に認める必要があるのではないでしょうか。それらを抱えたまま、ポジティブな考え、プラスの考え、肯定的な考え方を生み出す習慣を作ることが肝心なのではないでしょうか。それとともに過去の成功体験を日頃から整理しておく。日々の生活の中で、小さな成功体験を数多く作り出す。森田理論では神経症的な不安はあるがままに受け入れて、なすべきをなすことを勧めています。それと同じことだと思います。そのように心掛けて、バランスを維持していくことが、神経質者が人生という荒波に乗り出して、味わい深い人生を送るために必要になる考え方だと思います。
2022.08.07
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植村直己さんは、1976年半年かけて北極圏犬ぞり単独走破した。その距離は12000キロでした。犬はいるが一人ぽっちである。そのうえ極寒である。寒さと戦いながら、孤独との戦いである。いかに乗り越えていったのか。植村氏は次のように述べている。6ヶ月と旅の期間は長かったけど天測したり、写真を撮ったり日記を書いたり「仕事」をいっぱい持ってましたので、自分をかえりみる余裕がなかったです。これはプラスでした。自分のことを考えるようになったら、もう発狂していたでしょうね。余裕ができるとなぜ自分はなぜこんなことをやっているんだろうなんて思ったりして・・・。独り言を言っていたと思います。それと、犬にどんどん話しかけるのです。犬も反応してくれますから。自然には一つのルールがあるんです。これまで経験したことの範囲内で行動しなければ危険が待ち受けている。自分の行動なんかは、あの北極海からみればアリんこなんかより、もっと小さな存在ですから絶対自然の力に逆らっちゃいけないんです。(植村直己 挑戦を語る 文芸春秋編 139ページ)森田理論を学習しているものとして3つの点で参考になりました。1、注意や意識が自己内省的に傾斜し、さらに他者との交流がなくなると、精神的には大きなダメージを受けてしまう。私たちは性格傾向としては、自己内省性が強いと言われています。これも優れた特徴ですが、外向けに注意や意識を向けることがそれ以上に大事になります。外向きに目付をして、生の欲望に邁進することを第一優先順位すると問題は解消します。2、一緒に行動していた犬がいたということ。私たちの仲間にも犬を飼っている人がたくさんいます。それ以外にも、猫やインコ、金魚やメダカを飼っている人もいます。花や盆栽、自家用野菜を作っている人もいます。幼い子供を育てり、介護の必要な親や配偶者の世話をしている人もいます。生き物の世話をすることは、自分の精神の安定に大きな働きをしていると思います。3、感情は自然現象であり、人間の意志によってコントロールできるものではないということです。自然現象には逆らってはいけない。不安、恐怖、違和感、不快感はイヤなものですが、基本的には手出し無用なものです。特に神経症的な不快な感情は、欲望の裏返しとして発生しているものです。不安などと格闘するよりも、生の欲望の発揮にエネルギーを投入して、不安と欲望のバランスを図ることに専念するべきだと考えています。
2022.08.06
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落語家の立川談四楼氏のお話です。古典落語は200も300もあるそうですが、昭和の名人に先代桂文楽がいました。普通の落語家は古典落語をを次々に覚えて芸の幅を広げます。桂文楽は100くらいの噺を覚えた後は、その数を増やさなかった。その代わり自分の覚えた噺を磨くことに心血を注いでいた。ネタはすべて18番だった。うなるほどうまかった。しかも20分の噺を演じると、20分きっかりで下りてきました。精密機械と噂されていました。談四楼氏の師匠は立川談志師匠ですが、その談志が言ったことがあるんです。「恐ろしいのはコツコツやるやつだ。一つのことを30年やったやつにはかなわねえ」先代桂文楽師匠のような人を見ていて、つい本音を吐露したのでしょう。あれもこれも幅広く手を出すことも大切ですが、深堀する人はより多くの感動をもたらす。(落語家のもの覚え 立川談四楼 ちくま文庫)高良武久先生は、講話の中で、対人恐怖症を治すには、10年一つのことに取り組みなさいと言われました。10年も一つのことを追いかけていると、誰でもその道の専門家になれます。すると自分に自信が持てるようになります。自分の存在価値を認めて、自己肯定感が高まります。そうなれば、周りの人が自分のことを否定しても昔ほど気にならなくものです。つまり対人恐怖症に振り回されることが少なくなる。それは自分にはこれで生きているのだという覚悟が生まれるからです。自分で自分の存在価値を認めることができると、自分を守る強力な味方ができたようなものです。私はこのブログをはじめて10年目の後半に入っています。気付いたことをまとめてみました。・自分ではよく気づいていませんでしたが、森田理論の深耕ができたようです。ブログをやっていなかったら、森田理論の表面的なことしかわからなかったと思います。ネタが見つかると、森田先生の言いたいことは何だろう、自分に当てはめて考えるとどうなのだろうと考える習慣ができました。たとえ間違っていても、長く続けていると、そのうち間違いに気づいてきます。・集談会ではいろんな質問が寄せられます。それらに対して自分なりの考えを話すことができるようになりました。たとえば最近では「ウクライナ問題をどう考えていますか」という質問がありました。この問題は以前このブログで取り上げたことがありました。自分の意見をすぐに述べることができるようになりました。これは応用力が効くようになるということではないでしょうか。イチロー氏や王貞治氏の話を聞いていると、野球の話をしながら、いつの間にか人生論の話をされているように思います。それとよく似ています。・ブログを始めたときは10名から20名くらいのアクセス数でした。下積みの期間が相当長かったです。そのときは1日で1000人以上もの人がアクセスしてくださるとは夢にも思いませんでした。経験のないことは想像することができないのです。それが徐々に認知されて、急激にアクセス数が上昇するという体験をしました。人生というのは、不遇な時期をあきらめず辛抱していると、ある時期に爆発する時を迎えることがある。綾小路きみまろさんのようなものです。どこかで神様のような人が、じっと見守ってくださっていたのではないかと思うようになります。森田では規則正しい生活、凡事徹底が基本ですが、その次には仕事でも趣味でもどんなことでもよいので、中期目標、長期目標を立てて、ゆっくりでよいので継続していくことをお勧めします。長期目標を持っている人は、人生が退屈だ、つまらないなどと考えることはなくなります。
2022.08.02
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私は夜寝る前に仏壇に手を合わせています。これが意外と有効なのでご紹介します。まずご先祖様一人一人の名前を読み上げて感謝します。つぎに、私の信条を読み上げます。以下は、紙に書いてあります。私はグチは言いません。自分を否定、非難しません。他人を否定、非難しません。他人に対しては、傾聴、共感、受容、許容の気持ちを大切にします。自分に対しては「裏を見せ表を見せて散るもみじ」を心掛けます。これはご存じのように良寛さんの句です。弱点、欠点、ミス、失敗は隠さないであるがままに公開するということです。最後に、「今日の感謝の言葉」を読み上げます。今日も素晴らしい1日を送れたことに感謝します。いつも見守ってくれている両親、ご先祖様に感謝します。いつも支えてくれている妻○○に感謝します。自分のもとに生まれてくれた子供○○に感謝します。今日も無事に仕事が終わったことに感謝します。今日も3度の食事ができたことに感謝します。心身共に健康に過ごせたことに感謝します。私を助けてくれたすべての人に感謝します。森田先生、水谷先生、長谷川先生、齊藤先生ありがとう。森田に導いてくださった生活の発見会と集談会で出会った人に感謝します。本当にありがとうございました。時間でいえば数分ですが、生活信条と感謝の気持ちを読み上げています。毎日確認することで少しは意識づけできるのでないかと思っています。歳をとるとやりきれない後悔・懺悔の夢を見ることがあります。過去のミスや失敗はなくすることはできません。これからの人生で穴埋めしていかなくてはいけないと思っております。今の時代、仏壇のない方も多いと思います。でもご先祖様の写真はあると思います。その写真の前で、自分を見守ってくれているご先祖様に感謝する。自分の信条や心構えを確認することはできるのではないでしょうか。その思いがご先祖様に届いて、何かのときに自分の後ろ盾になってくれていると思うと、多少なりとも安心感が生まれてくるように思います。
2022.07.24
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定年後の時間を持て余している人がいます。反対に現役時代には仕事や子育てに追われてやりたくてもできなかったことに積極的に取り組み、人生を謳歌している人もいます。私の友人は放送大学に入り心理学などの学習に取り組んでいる人もいます。格安の授業料で冷暖房完備の部屋が自由に使えると言われています。私は本を読むのが趣味なので、この提案に乗り気になっています。今までの投稿を整理して、分かりやすい本にすることが夢です。定年後の生活を豊かにするのは、現役時代からやってみたいことを20個くらいリストアップしておくことが有効だと集談会で教えてもらいました。今日はそれをご紹介します。その前に森田では規則正しい生活を送ることと、凡事徹底を心掛けることが大切だと言います。その上でやりたいことに手を出すことが肝心だと思います。1、優れたテレビ番組を録画する。永久保存版はDVDにダビングする。適宜知り合いにその情報を教えてあげる。貸してあげる。2、近くの景勝地、植物園、公園、美術館、博物館、工場見学をする。3、音楽や演芸の好きな人はコンサート情報やイベント情報を集める。4、ウォーキングを始める。ストレッチを始める。5、図書館の図書の予約システムを利用して読書に励む。6、家族や友達と会って飲食やカラオケを楽しむ。7、無理のないスポーツを始める。水泳、卓球、グランドゴルフなど。8、公民館活動に参加して、楽器演奏、コーラス、踊り、伝統芸、料理に取り組む。9、犬や猫、鳥、金魚、メダカなどの飼育を始める。10、家庭菜園、観葉植物、花卉園芸を始める。11、絵画、絵手紙、書道、手芸、陶芸、木工などに取り組む。12、小旅行、スポーツ観戦、観劇、音楽会、映画鑑賞を楽しむ。13、シルバー人材センターやハローワークで新たな仕事を見つける。14、自分の得意分野を活かしてボランティア活動を始める。15、ハイキング、登山、トレーキング、釣りなどを始める。16、パソコン、インターネット、スマホの使い方、活用方法を研究する。17、囲碁、将棋、トランプ、健康マージャンなどを始める。18、森田理論や歴史や終活などのテーマを決めて生涯学習を始める。19、神楽などの伝統文化の維持・継承活動にとりくむ。20、心身の健康増進のための学習と実践に取り組む。これらが軌道に乗ってきたら集談会で発表して、みんなに刺激を与える。それぞれがさまざまな情報を提供し合うようになると、集談会に参加することが楽しみに変わります。
2022.07.22
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人から指示や命令されたことは、積極的になれない。しんどいことや面倒なことは最初からやる気になれない。何かに挑戦することは尊いことかもしれないが、私はそんな気持ちになれない。サボりたい、楽をしたい。その日を楽しく過ごすことだけを考えている。暇を持て余して退屈になりますが、そんな生き方しかできそうもない。生活がある程度安定してくると、新たなことに挑戦することはなくなります。そんな生活で十分満足している人は何ら問題は起きません。ところが神経質者は生の欲望が強いので、虚しさを感じるようになります。ではどうすればよいのか。今日はこの問題を取り上げてみました。その状態は、脳の中では防衛系神経回路が作動しています。建前でいくら「やる気を出せ、情熱を持て」と叱咤激励しても、報酬系神経回路がお休みしているのでどうにもなりません。その結果、現状維持、消極的、後退的、逃避的、回避的な生活に甘んじるようになります。その問題を解消するためには、ドーパミン主導の報酬系神経回路を活性化することが必要になります。やる気の脳回路を作動させるのです。そのためには、否定語は使わないで、肯定語を使う習慣を作るようにするのです。イヤ、嫌い、ダメ、やる気がしない、できるわけがない、無理だという言葉ばかり使っていると、その言葉に刺激されて本当に何もできなくなります。面白いかも、楽しそう、なんとかなるかも、このやり方でやってみよう、ダメでもともと・うまくいけば儲けものなどの言葉を使って手を出していると、そのうち弾みがついてくることがあります。次に絶えず課題や目標を意識することが大切になります。これは仕事だけに限りません。生活全般の中でも同様のことが言えます。趣味や日常茶飯事の中で小さな問題点を見つけて、課題、目標を意識することです。小さな課題や目標を数多く持っていることが肝心です。大きな課題や目標の場合は、気が重い、どこから手を付けてよいのか分からないということになりやすいからです。そのためには、頭の中に浮かんだ小さな気づきをきちんとキャッチすることが大切になります。すぐにメモするなどしてストックするする習慣を作ることが欠かせません。これは意識しないと習慣化できません。結果的に神経質者の強みを発揮できなくなってしまいます。それが出来たら1週間、1ヶ月の短期目標を立てましょう。そして1年から3年の中期目標、一生涯の長期目標も視野に入れて取り組んでみましよう。遊びでも仕事でも自分の課題や目標を見つけて、全力投球している人に、生きることはむなしいと感じている人はいません。
2022.07.17
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昨日に引き続き、落語家の立川談四楼氏のお話です。落語家というのは、付き人見習い、付き人、前座、二つ目、真打と昇進していく。大まかにいうと、付き人は1年から2年、前座は5年、二つ目は8年から10年、真打は15年くらいかかる。なかには前座から2つ目に昇進できない人もいる。一人前の落語家として扱われるのは、二つ目からです。付き人、前座はひたすら修行の毎日です。挨拶、掃除、片付け、お茶くみ、鞄持ち、車の手配などをこなす。落語の修行をしたくても、落語の稽古をつけてもらうことはない。師匠の身近かなところにいて、立ち振る舞いや気配り、芸を覚えるということになる。付き人は、自分の師匠の身の回りの世話をする。立川談志師匠から、着物のたたみ方、現場でのルール、談志の好みなど徹底して教え込まれた。そのときに「立川寸志」という芸名をもらったと言われている。1年ほど経った頃、寄席の楽屋に入って前座としての修行が始まった。寄席に出入りする落語家やその他の芸人の世話をする仕事です。下足番、上着の着脱、受け取り、ハンガー掛け、お茶出し、高座返し、太鼓叩き、タバコを買いに行く・・・。寄席には落語家だけではなく、漫談師、漫才師、手品師、曲芸師などがやってきます。この人たちの名前を憶えて、それぞれの好みに合わせた的確な対応をする仕事です。たとえば、お茶出しでいうと、まず出すタイミングがある。そしておいしいお茶を入れることが求められる。お茶出しをついうっかりして、忘れていたというのでは話にならない。熱いお茶を好む師匠もいれば、ちょっと温めのお茶を好む師匠もいる。きちんとこなしていると、師匠から評価されるようになる。度重なると、「今度、ウチにいらっしゃい。稽古をつけてあげるから」と言ってもらえる。ここで「落語修行をしているのに、なぜお茶くみや雑事なんかをしなければならないのだ」という気持ちで取り組んでいると、いつまで経っても声はかからない。落語家の登竜門である二つ目にはなれない。前座時代の落語修行ですが、基本と基礎を固める時期です。前座は決まった文句のマクラしかやってはいけないのです。古典落語もアレンジを加えてはいけない。基本を忠実にこなすしか道はない。才能があれば、個性を発揮して、お客様が喜ぶような噺をしてもよさそうに思うが、そこをぐっと我慢して基本を固めることに専念しないといけないのです。基本に徹して基礎を固めることで、初めて応用とステップアップが可能となるのです。(ほめる力 立川談四楼 学研参照)これは森田理論学習でも同様です。私は基本と基礎固めに3年を見ています。1年目は森田理論学習の要点に従って、森田理論の基礎を固める。2年目は森田理論の全体像を把握する。森田理論には4つの大きな柱がある。それを理解して深耕する。3年目は実際の生活面に応用して検証・活用していく。その結果や情報を集談会で共有化していく。基本と基礎がきちんとできれば、その後神経質者の人生観の確立に向かって飛び立つことができるようになります。このプロセスを無視して、独自の道で森田を極めようとするのは、あまりにも早計ということになると思います。基本と基礎が確立していないと型無しになってしまいます。
2022.07.15
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元中日ドラゴンズの山本昌さんは、「多趣味のプロ野球選手」として知られていた。ラジコン、クワガタ飼育、テレビゲーム、スーパーカー、釣りなどである。山本昌さんは凝り性でとことんのめりこむという。たとえば、クワガタ飼育では、血統や産地にこだわり、インターネットのオークションなどでオオクワガタを購入、自宅にクワガタルームを作り、室温管理をしながら幼虫の飼育にもトライしていた。また、ラジコンでは、全日本選手権のアマチュア部門で4位に入賞したこともある。愛車は40年前に生産されたランボルギーニ・ミウラを大事に乗り回しているという。その山本昌さんが、興味深い話をされている。趣味を楽しむために大切なのは、「本業・仕事が第一」という意識を忘れないこと。仕事に影響を及ぼすほどのめりこみ過ぎてはいけない。(山本昌という生き方 山本昌 小学館 145ページ)この点森田先生も同じような話をされているのでご紹介しておきたい。水谷氏が学校の勉強に意欲的になれないので、形外会で披露する滑稽劇の練習に精を出した。案外うまくできました。これは「ともかくも手を出した」ことになるのでしょうかと質問された。森田先生は、それは「手を出した」ことにならない。君が学校の勉強に精を出したら、それがともかくも手を出したことに相当する。苦しいながらも本を読むことを、「ともかくも」というのである。「ともかくも手を出す」べき事には、少しも手を出していないから、稽古もなかなか苦しいのである。(森田全集第5巻 301ページ要旨引用)山本昌さんも森田先生も、趣味に没頭する前に、自分の本業である仕事や勉強の方に真剣に取り組むべきであると言われている。一般的には、仕事や勉強するのは苦しくてつらい。その苦しみから逃れるために、趣味に没頭してしまう。ますます仕事や勉強をしなくなる。手を抜いてさぼるようになるのだ。これでは会社のお荷物になり、学業成績は振るわなくなる。このやり方は間違っている。まず本業である仕事や勉強に真摯に取り組む。その空き時間を見つけて趣味に没頭する。この順序を間違えないことだ。こうなれば、趣味の方で気分転換がはかられ、本業の方もますます成果が上がるようになる。ではつらい仕事や勉強にどのように取り組んでいけばよいのか。最初はイヤイヤ仕方なく「ともかく手を出す」ようにする。最初はイヤイヤ始めたことでも弾みがついて、楽しくなることはいくらでもあります。この経験を思い出すことだ。次に大切なことは、仕事や勉強に一心不乱になって取り組むことだ。森田では「ものそのものになる」という。すると問題点や改善点に気づいてくる。発見できる。好奇心が刺激される。興味や関心が高まる。つまり感情が動き出してくる。工夫やアイデアが生まれる。課題や目標が生まれてくる。やる気が情熱が生まれてくるのである。ここで本業というのは、仕事や勉強と言っているが、私はその前に日常茶飯事を取り上げたい。他人任せにしないで、雑事に丁寧に取り組むことを心掛ける。凡事徹底ということです。これがリズムに乗って規則正しく行われるようになれば、これが山本昌さんの言われる本業に相当するのではないかと考えます。
2022.07.12
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国民栄誉賞を授与された松井秀喜さんが、巨人からニューヨーク・ヤンキースに移籍したばかりの頃の話です。当時の松井選手は、極度のスランプに陥っていました。ホームランを期待されてヤンキースに入団したのに、試合ではいつもボテボテのゴロばかり。手厳しいことで知られるニューヨークのマスメディアは、そんな松井選手を「ゴロキング」と呼んで連日酷評しました。しかし、そんなとき、ある記者から「ゴロキングなどと叩かれて気にならないか」と聞かれた際に、松井選手は平然として次のように答えたのです。「まったく気になりません。記者さんたちが書くことは僕にはコントロールできません。僕は自分でコントロールできないことには興味を持たないようにしているんです」松井選手は「自分にコントロールできないこと」を気にしても、自分のパフォーマンスを落とすだけだと熟知していたのでしょう。そして、練習で技術を磨いたり、筋トレで体を鍛えたりといった「自分がコントロールできること」だけを追求して結果を出そうとしていたのではないでしょうか。(脳の老化を99%遅らせる方法 奥村歩 幻冬舎 155ページ)松井さんがこのような認識を持っていたことに驚きました。森田理論を学習している私たちも見習いたいところです。神経症を克服した人は、神経症的な不安は気にはなりますが、それにいつまでも関わることはしません。神経症的な不安は、強い欲望を持っているから生まれてくるのだというとらえ方をしています。神経症的な不安は、人間がコントロールできないものだと思っているのです。欲望の反動として不安が湧き上がっているのですから、手出し無用と考えるのが自然ではありませんか。コントロールできないことは、そのままにしておくのが一番だと思っているのです。第一エネルギーの無駄遣いにつながります。そして、不安を目の敵にすると、自己否定感で苦しむことになります。逆に現実的な不安はコントロール可能です。これには積極的に取り組む必要があります。例えば、地震が来たらどうしようというような不安です。こういう不安を感じたら、家具などを固定する。非常食やミネラルウォーターや防災グッズを用意しておく。避難経路を確保して、地震訓練に参加してみる。地震保険を検討してみる。手をつけることはいくらでもあります。この他、現実的な不安は次々と待ち構えています。そちらの方に注意や意識を向けて、対策を立てて実行することが肝心です。特に日常茶飯事に手を抜かないで、真剣に向き合うことが大切です。「凡事徹底」は森田の行動のポイントです。神経症に陥ると、現実的な不安には手を抜いて、コントロールできない不安と格闘しているのです。やることなすことが逆になっているのです。このことを自分の信条として、自分のできることに向かって努力し続けていた松井秀喜氏には、国民栄誉賞に加えて、「森田正馬賞」を授与してもよいのではないかと思っています。
2022.07.02
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森田理論は実際の生活の中で大いに応用していきたいものです。森田理論のどこをどのように応用していけばよいのか。今日はそのヒントとなるものを紹介します。今日は項目だけです。この中から1つでも2つでも、自分のものにしてほしいと思います。1、感情の法則・・・感情はひと昇りひと下りして、最後には消失するものですから、腹が立ったときは、しばらくそのままに放任しておく。感情は慣れてしまうと、にぶくなり不感となりますので、最初の気づきをきちんとキャッチしてメモしておく。それをもとにして行動を起こす。2、神経質性格にはマイナス面だけではなくプラス面もあります。感受性が強い、細かいことによく気が付く、分析力がある、真面目で責任感がある、粘り強い、大きな夢や希望を持っている、などです。プラス面に焦点をあててできるだけ伸ばすようにする。3、不安には現実的な不安と神経症的な不安があります。この2つをきちんと分けることが大切です。現実的な不安には、対策を立ててすぐに行動する。神経症的な不安は、欲望の反面として出てくるものです。ですから、生の欲望に焦点をあてて努力する姿勢が大事になります。そして次に欲望は暴走しやすい特徴があります。そのときは不安を欲望の抑止力として活用することです。4、神経症が治るということは、頭の中を神経症で一杯だった状態から、90%、80%・・・と減っていくことである。減っていった10%、20%・・・が神経症が治ったと認識することです。50%も減っていれば、神経症の克服宣言をするようにする。5、リズム感のある規則正しい生活を心掛ける。日常茶飯事に丁寧に取り組む。凡事徹底を心掛ける。行動する前は、イヤイヤ仕方なしで構わない。とくかく体を動かす。はずみがついてきたら、一心不乱、物そのものになって取り組む。「休息は仕事の中止ではなく、仕事の転換にあり」を心掛ける。6、気付き、アイデアが浮かんで来たら、すぐにメモしてストックを増やす。全部できなくても60%できれば上出来と心得て行動する。四方八方にアンテナを張って、「無所住心」の気持で心を外向きにする。7、物、己、他人、時間、お金の能力を最大限に引き出して活用する。潜在能力を最大限に引き出して、居場所や活躍の場を用意する。8、人間関係は不即不離を心掛ける。引っ付きすぎず離れすぎず、必要な時、必要に応じて、必要なだけの人間関係を心掛ける。相手の気持ちや欲求をよく聞く。自分の意見を述べるときは、「私メッセージ」を活用する。隔たりがあるときは、話し合いによって調整して行く。譲ったり、譲られたりの人間関係を心掛ける。挨拶は人間関係の基本なので、きちんと行う。9、観念中心の「かくあるべし」を自分や他人に押し付けない。事実に寄り添い、そこを出発点にして、目の前の課題に取り組むようにする。観念中心から「事実本位」の生活に切り替えていくことです。最近は特にここに力を入れて投稿しています。10、心の中にヤジロベイ、サーカスの綱渡りをイメージしてバランス感覚を持つ。バランスが崩れると、すべての存在基盤が崩れてしまうことを認識する。これは精神拮抗作用の応用です。不安と欲望の単元はバランス感覚の説明になっています。11、世の中は絶えず高速で流動変化していると認識する。いちいち不安にとらわれるのではなく、どうすることもできない不安は、それを抱えたまま次の不安に飛び移ることを意識する。変化の波に飛び乗って生きていくことを意識する。12、物事を早合点しない。先入観や決めつけで判断しない。事実をよく観察する。他人の話を信用しないで自分の目で確かめるようにする。事実は両面観を応用して多面的な角度から見るように心がける。
2022.06.23
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「めんどくさい」という言葉は、手間がかかる、わずらわしい、厄介なこと、楽しくないときに使う言葉です。幼い子供や介護の必要な親の「めんどう」をみることは尊いことです。ところが「めんどう」に「くさい」がつくと、途端に否定的な言葉に変わります。実は、アニメ映画の巨匠である宮崎駿監督は、アニメーション制作の過程で、何度も「めんどくさい」という言葉を漏らすのが口癖だったそうです。普通「めんどくさい」と思いながら、手掛けた仕事は、魂の抜けたような仕事になりとても多くの人に感動を届けることはできないように思われます。でも宮崎監督作品は、日本のみならず世界中の人に感動を届けています。どこが違うのでしょうか。「めんどくさい」ことは、単純作業がいつまでも続く。刺激がなくなり、途中で飽きてくるということではないでしょうか。疲れも蓄積してきます。森田理論では、このような場合は、仕事を変えるとよいと言います。頭を使う仕事から、例えば体を動かす仕事に変える。身体を使う仕事でも、手を使う仕事から、足を使う仕事に切り替える。仕事を変えると新たな緊張感が生まれてきます。それとは別に、単純作業に精魂を込めて丁寧にこなす意味は大きいものがあります。雑事や雑仕事と言われるものに、一心不乱に取り組むということです。宮崎駿監督は、その量が積み重なった時の成功体験を数多く持っておられた。雑事こそわが命といった信念を持っておられました。「めんどくさい」といって、いい加減な仕事ぶりでは、決して人を感動させることはできません。私は雑仕事を丁寧にこなしていると、余計な仕事が少なくなり、仕事に余裕が生まれて、仕事を追いかけていくことが可能になるという成功体験を経験しました。そういう経験があると、少々「めんどくさい」と感じることでも、今頑張れば最後はきっと良い成果が出ると確信が持てるのです。「めんどくさい」ことは、最初のうちはなかなかエンジンがかかりませんが、そこをぐっとこらえて、真剣に取り組んでみる価値があると思っております。
2022.06.19
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私はメダカを飼育しています。今は直径50センチの火鉢の中で飼っています。水は40リッター入ります。水の中に竹炭を入れています。これが水を浄化してくれています。その他に水草を入れています。餌は朝晩2回やります。餌をやると底にいたメダカがすぐに餌に飛びついてきます。この時間がとても楽しみです。私の知り合いの中には、犬、猫、インコ、土佐金、ランチュウ、熱帯魚を飼っている人もいます。おおきな水槽を設置している人もいます。ペットがいると餌やりなどの世話をしないといけませんので家を長く空けることが出来なくなります。少し窮屈な気もしますが、それ以上に精神的に癒されているのだなと感じます。生活の発見誌には、我が家の犬や猫の紹介記事があります。それを見ると家族同様のほほえましい関係を築いておられるようです。集談会などでもぺットの話でよく盛り上がっています。私はメダカ以外にベランダや田舎の庭で花を育てることが楽しみです。季節の花が咲き乱れています。特に水仙、コスモス、チューリップ、ヒヤシンス、ムスカリ、あじさい、ダリア、シクラメンなどが好きです。将来は田舎の庭をあじさいで埋め尽くしたいと考えています。庭木では金木犀、シャクナゲ、さざんかなどがあります。特にシャクナゲは5月に真っ赤な大輪の花をいっぱいに咲かせて見事です。その他果樹にも関心があります。田舎で、柿、栗、梅、ゆず、山椒を育てています。梅は収穫すると梅酒を仕込みます。ブルーベリーやイチジクも植えましたがうまく育ちませんでした。それからなんといっても家庭菜園に凝っています。収穫物はこのブログで、写真で紹介しています。野菜がすくすくと育って、食卓を豊かにしてくれるのですからたまりません。近所の人や子供に送ってあげると感謝されます。私の周りはいつも動植物であふれています。妻と一緒に命あるものと関わることで、自分たちの心の安定に大いに役に立っていることを実感しています。私の友人の中には親や妻に先立たれて一人で生活されている人もいます。そういう人の中には、酒、ギャンブル、趣味、スポーツ観戦、観劇、グルメ、旅行などで心の安定を保っておられる方もいます。私はそういう人に、動植物の世話をする魅力を伝えています。世話をすることは相手の為ですが、最後には自分の為になっているように思います。これが抜けると、油の切れた歯車を無理やり回すようなことになってしまうと思っています。
2022.06.18
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2つの鉢でメダカを飼育している。右の丸いツボの鉢は直径30センチある。約7リットルの水が入る。リサイクルショップで2000円で購入しました。白いメダカが6匹元気に泳いでいる。このメダカはホームセンターで1匹170円で購入しました。左の鉢は上からカルキ抜きの水を継ぎ足してやると、底面スノコから汚れた水が排水されるようになっている。つまり水替え不要である。メダカを飼育するまではこんな便利なものがあることを知らなかった。ホームセンターに行けば大きさや形の違うものがいろいろと取り揃えられている。私は20センチ角の小さいものを購入した。ここには赤と黒のメダカが4匹泳いでいる。いずれの鉢にもホテイアオイという水草を入れている。これに卵を産み付けて、メダカが増えてくるそうだ。ちなみにメダカの寿命は1年から2年だという。餌は「めだかの主食」の顆粒タイプを朝と夕方与えている。餌を与えると底にいたメダカがすぐに水面近くに集まって来て餌にぱくつく。最初のうちは人間が近づくと逃げ回っていたが、現在は近寄ってくるようになった。見ていて癒される瞬間である。食べ終わるまでメダカの鑑賞をしている。ただし餌の与え過ぎには注意している。丸いツボの鉢は1週間に一回スボイドのような吸引器で底にたまった糞や餌の食べ残しなどの汚れを吸い上げている。水位が3分の一になるまで吸い上げて、カルキ抜きの水を少しずつ継ぎ足して満杯にする。こうすると底まで水が澄んでくる。メダカの飼育にはフィルター付きのろ過機は不要だと思う。それでもメダカが気持ちよさそうに泳いでいるような気がしている。私の知り合いは火鉢で飼っている。底に竹炭を入れている。私もそれを真似た。なお備前焼の鉢は水質をよくしてくれるそうだ。でもやはり10日に1回くらいある程度の水替えは必要になるだろう。ベランダで飼育しているので日が当たる時間帯は発泡スチロールをかぶせている。ホームセンターに行けば、白、ピンク、赤、まだら模様、光るメダカなど様々なメダカが販売されている。慢性的にストレスでイライラしている人は、メダカの飼育に取り組むことをお勧めします。メダカの世話をすることで、ストレスやうつ状態の改善ができます。
2022.05.21
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今日から大型連休が始まります。この大型連休を森田実践の機会ととらえて取り組まれたらどうでしょうか。森田は最終的には「生の欲望の発揮」にたどり着きます。つまり、課題や目標を持って積極的な生活を続けることです。でも、いきなりエベレストを目指すというような目標は、絵に描いた餅になってしまいます。今日からの3連休、一日置いてまた次の3連休、そして最後に2連休があります。この機会をとらえて、小さな課題や目標を立てて有意義な生活を送るというのは如何でしょうか。ではどんなことに取り組んだらいいのか。参考のために、私の課題や目標をご紹介します。大目標1、夏野菜(トマト、ナス、シシトウ、ピーマン、カボチャなど)の植え付けタマネギの収穫、ジャガイモの土寄せ、畔の草刈り2、植物公園のバラ展に行く。3、友人が訪ねて来るので懇親会。4、ベランダの花の植え替え。5、冬夏服の入れ替え、本の整理整頓6、読書、FPの学習、仕事のマニュアル作成7、集談会の説明用の趣味や一人一芸、家庭菜園の写真集を作る。習慣化している日々の実践1、6時20分起床。2、毎日ブログの記事を1本作成する。3、しば天踊り、ドジョウ掬い、ストレッチ、メダカの餌やり、草花への水やり、サックスの練習、カラオケの練習、腹話術の口上の練習、30分のウォーキング、瞑想などに取り組む。以上を日付ごとに落とし込んで実践していく。
2022.04.29
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森田先生は18歳からずっと日記を書いておられました。日記の内容は簡単なものである。1行か2行である。感情的なことは書いていない。その日の出来事や行動記録である。私は森田先生の真似をすることを目標にしているのですぐに実践してみた。私は日記を書き始めて17年目に入っている。習慣になっているので、書かないと落ち着かない。最初の1年はスケジュール帳に書いていた。次の6年間は3年連用日記に書いた。そして次の10年は10年連用日記に書いている。10年連用日記は10年間の日記の内容がすぐに分かる。来年は新たな10年連用日記に切り替わる。その日の天候、夕食の内容、主な出来事、社会の出来事などである。次に行動記録である。実践したことを書いている。失敗談や成功談を書いている。不安などの感情については一切書いていない。私も森田先生と同じように簡単なものである。年が変わると、前年を振り返って、トピックスを書き出している。これが積み重なると懐かしく思い出す。時々自分史を書くという話を聞くが日記を書いているとすぐにできる。10年連用日記で役に立ったのは、自家用野菜の植え付けや手入れである。野菜は種まきや植え付け時期を間違えると、収穫に大きく影響する。それから、毎年の恒例行事が書いてある。車検や免許更新、家族の誕生日、命日、老人ホームの慰問活動、花見や紅葉狩り、それから加工食品作り、人との交流、お中元やお歳暮、風水害、地震、大きなイベントなどである。日記に触発されての恒例行動が多くなる。たとえば家族の命日にはお経をあげている。子どもや孫の誕生日には電話やメールをしている。日記からヒントを得て、毎年同じ時期に同じような行動をとっている。つまり1年の生活のリズムができてくるのがよい効果を生み出している。集談会の前には、直前の1ヶ月を振り返って印象的なものを書き出している。その中から自己紹介で1個ないし2個を取り上げて発表している。最近3行ポジティブ日記の効用について知った。これは寝る前15分以内に、今日の出来事で楽しかったことを3つだけ書く。これは「3行ポジティブ日記」というそうだ。誰でも毎日生活していると、楽しい出来事、苦しい出来事が次々と起きます。その中でポジティブな出来事を3つだけ拾い出して日記に書く。これを実践していると「幸せ収集能力」がついてくる。意識づけをしているとこれが夢に出てくるようになる。長く続けるためには、簡単に3分以内で書く。今後はこれを取り入れてみたいと思っている。(3つの幸福 樺沢紫苑 飛鳥新社 132ページ参照)
2022.04.21
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野村克也氏の話です。「自分がどんなに苦労してきたか」「どれほど不遇な人生を送ってきたか」といったことを強調するばかりで、困難な状況から抜け出すための努力を怠っている人のことを、私たちは「苦労人」とは呼ばない。大切なのは「苦労すること」ではない。「苦労を経験したことをきっかけとして、そこから自分が何を感じ、どう考え、どんな行動を起こしたかが問われている」(凡人の強み 野村克也 KKベストセラーズ 42ページより引用)自分の不遇な境遇をことさら強調する人は周囲にいくらでもいます。自分の生まれた国、生まれた時代、生まれた環境、生まれた家、生んでくれた両親、配偶者、生まれてきた子ども、会社の人間関係、神経質性格など嘆き悲しみことはたくさんあります。森田理論学習で、グチは行動をにぶらせ、仲間を悩ませるだけであると学びました。グチは言っても仕方がないことを、くどくどと相手に訴えることです。グチは一時の気休めになっても、言えば言うほど自分がみじめになるだけです。特に症状についてのグチは、注意や意識を症状に集中することになるので、症状を強化することになってしまう。また、自分がみじめになるだけではなく、グチを聞かされる相手も、不快になり、やがて、それらの人から敬遠されてしまうことになる。(森田理論学習の実際 生活の発見会発行 40ページより引用)毎日グチをこぼしながら生活している人は、事実、現実、現状を非難、否定している人です。そこから生み出されるものは、恨みつらみ、嫌悪感だけです。「かくあるべし」という観念優先の世界に自分の居場所を置いている人です。NHKに「逆転人生」というテレビ番組があります。ここに出てくる人は、最悪の人生を味わった人です。本来なら人生をあきらめても仕方のないような人が多い。でもその人たちはその最悪の事実を受けいれている。最悪の状態を出発点にして、打開策を見つけて、這い上がろうとしている。それを神様がじっと見ているような感じがします。そしてその真摯な姿勢に対して復活の手助けをしているように見えます。「捨てる神あれば拾う神あり」という感じです。森田理論は人間に備わった観念や理性を否定しているわけではありません。問題のある事実・現実・現状を否定するために使ってはいけない。現実の問題もそうです。感情の事実もそうです。あくまでも事実・現実・現状を最優先に取り扱う必要がある。あるがままに受け入れる態度が肝心であるということです。その次に観念や理性を働かせて問題解決に向かうことです。神経症でのたうち回っている人は、優先順序が逆になっているのです。私は、苦しいときに現実に真摯に向き合っている人を目にすると涙が出てきます。感動の涙が自然に流れでます。そしてそれは私の生きる勇気に繋がります。私もそういう生き方をしたいと思っています。間違っても「かくあるべし」を持ち出して、自分や他人を非難・否定することだけはしないようにしたい気持ちでいっぱいです。それは自分にも縁のある人にも不幸の種を振りまくことになるように思います。現実には難しいことですが、その方向で生きていることが大切なのではないでしょうか。
2022.04.06
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バスケットボールに3点シュートというのがあります。これはゴールから6~7メートルの距離に、半円状に引かれた線があります。この線より遠くからシュートを成功させれば3点もらえます。この線より内側から成功した場合は2点です。遠くからの方が難しいので1点多くもらえるのです。アメリカのプロバスケット選手を対象にした調査・研究があります。3点シュートは一流選手でも難しく、3回に1回しか成功しません。2点シュートなら半分くらいの確率で成功します。シュートが失敗すると、相手にボールを取られて、形勢が悪くなることがあります。3点シュートを狙うかどうかの判断は重要です。調査・研究の結果、3点シュートを選ぶかどうかは、直前の3点シュートが成功したか失敗したかに大きくかかわっていることが分かりました。ある年に最も活躍した最優秀選手の1年間のプレーを詳しく調べてみると、3点シュートに成功した後に繰り返し3点シュートを選ぶ確率は53%でした。いっぽう、失敗した後は、なんと14%しか3点シュートに挑戦しませんでした。この調査・研究が何を意味しているのか。充分な技術や経験のある一流選手でさえ、直前の成功や失敗が次の行動の選択に大きく影響しているということです。(人生100年時代の脳科学 中村克樹 くもん出版 93ページ)これは自己肯定感の持てない人は大いに参考にしたいものです。日常生活の中で小さな成功体験を積み重ねていくことです。できた、やった、うまくいった、気持ちがよい、うれしい、楽しかったという快の感情が湧き上がってくるような体験を一日のうちにどれだけの数持つことができたのか。これらは日常茶飯事に丁寧に取り組んでいくと、積み重ねることができます。逆に言うと「凡事徹底」というスローガンを軽視している人は、ダメだ、悪すぎる、失敗だ、退屈だ、意味がない、イヤだ、憂うつだという気持ちに支配されるようになります。そして自己嫌悪、自己否定の悪循環が始まります。森田理論学習の要点の18ページには次のように書いてあります。理想は高く、実行はこきざみに、小さな成功体験を積み重ねること。小さな成功体験を積み重ねていくことによって、だんだんと目標に近づくことができ、同時に勇気や自信がついてきます。このような快の感情を日記に書き連ねていくようにしたらどうでしょうか。今日よかったと思うこと、楽しかったことを3つほど日記に書く習慣を作る。これに真摯に取り組むと「森田の達人レベル」に達することができるように思います。
2022.04.03
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2月号の生活の発見誌に「皮切り」という記事があった。外科の手術でも皮膚を切るときだけが痛く、その後は何ともないものです。熱いお湯に入るときもちょっとはじめがつらいだけであります。神経質のいろいろな症状に悩んでいる人にとっても、この「皮切り」が大事で、ちょっとはじめに思い切ってやってみれば、なんでもなくできることが分かるのであります。「めんどうだ」「おっくうだ」「やる気が起きない」「しんどい」「楽をしたい」などという気分本位に振り回されてしまうことがあります。その気持ちを押しのけて、我慢して行動すればよい結果が生まれることはよく分かっているのですがなかなか行動にふみきれない。朝からこんな状態では、その日が終わるときに何か物足りなさが残ります。第一日記に書くことが何もないという状態になります。どうすれば上手に「皮切り」ができるのでしょうか。森田先生は次の日が楽しみな遠足というときは、自然に時間になれば目が覚める。ただちに準備に取り掛かることができると言われる。作家の人などは、前の日に文章を途中まで書いて止めておく。例えば、「私は」と書いて、止めておくと次の日は早速筆が運ぶという。これらは、「呼び水」というやり方だと思います。井戸水を組み上げるときは、最初に呼び水を入れてポンプを漕ぎます。すると、呼び水がきっかけとなって、水を汲み出すことができます。私はこのやり方をまねしています。私は土日が休みですが、金曜日にはやるべきことややってみたいことを紙に書きだしています。その項目を無理やり10個以上になるようにしています。例えば、・本箱の整理整頓・ベランダの花の植え替え・カラオケの練習・サックスの練習・一人一芸の練習・米を搗きに行く・ブログの記事を書く・読みかけ中の本を読む・ホームセンターで買い物をする・you tubeでアジサイの手入れを研究する・近くの山にハイキングに行く・食材の買い出しに行く・図書館で本を返却するこのやるべきリストは普段から、土日にやってみたいこととしてリストアップしています。当日は身支度が終わると午前と午後に分けて、機械的にどんどん懸案事項を片づけていくといったイメージです。土曜日にやり残したことは、日曜日に回すこともあります。一日という時間は、充実感とともにあっという間に終わってしまいます。無為に過ごすと後悔が残りますが、リストアップしたことをこなしていると相当多くのことを手掛けたという気持ちになります。最初は気分本位になって腰が重いと思っても、今までの経験上行動した後には、やってよかったと思うことが多いように思います。
2022.03.25
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元広島カープの監督の野村謙二郎氏は次のように言っている。最近の学生や若い人たちに一番欠けているのが目標だと思いますね。別の言い方をすれば「漠然と生きているな」ということです。「何をしたいか分かりません」と言う人が多いので、目標を設定して欲しい。そこがないというのが一番困ります。最初の目標が途中で変わっても構わないから、目標をしっかりと持ちなさいと言いたい。(自分にしかできないことは何だろう 越智光夫 PHP 177ページ)人間としていて生きている限り、目標や課題に真摯に向き合うことは欠かせないと思います。それに向き合うことで、初めて人生は活性化してきます。その目標や課題ですが、最初のうちはごく身近で小さいものになります。規則正しい日常生活を送り、凡事徹底を心掛けていれば、問題点や課題が見つかります。それらをしっかり意識して取り組んでいくことです。森田でいう実践・行動の原点と言われているものです。その段階がクリアーできたらステップアップした目標に付け替え変えましょう。自分のやりたい事、夢や希望に向かって努力することは楽しいものです。これが人生の醍醐味だと思います。森田では「努力即幸福」と言います。ここでは森田理論を学んでおられる方のために、森田実践の一つとしてどんな目標があるのか、そのためのヒントを提案してみたいと思います。1、規則正しい生活を送る。生活のリズムを大切にする。2、凡事徹底を心掛ける。物そのものになりきるということです。3、無所住心の態度を心掛ける。興味や関心、好奇心を発揮した生活を送る。3、物の性を尽くす。己の性を尽くす。他人の性を尽くす。時間の性を尽くす。お金の性を尽くす。そのものの持っている価値や能力を最大限に引き出して伸ばす。4、不安と欲望の調和やバランスを心掛ける。生の欲望を前面に押し出しながらも、不安を活用して暴走を抑える。また不安に振り回されて生の欲望を放り投げてはいけません。中庸、ホドホドを心掛ける。5、変化対応力を鍛える。行雲流水の意味するところと同じです。変化に意識を持って行き、変化に積極的に対応する力をつける。意識の外向化のことです。仮説を立てて行動力を高める。6、観念優先の態度を事実優先の態度に改める。事実、現実、現状を最優先して、頭で考えたことを最優先にしない。これらは森田理論の学習の中で聞いたことのあるものばかりです。知っているだけで実行しないというのは、とても残念なことです。注意点としては、これらは手あたり次第取り組むものではありません。「二兎を追うものは一兎も得ず」ということわざもあります。自分はこの分野だけは徹底して取り組んでみようと対象を絞ることが肝心です。私の学習仲間で森田の神髄に近づいているなと感じる人は、一つか二つに絞って何年にも渡って愚直に取り組んでいる人です。例えていえば、富士登山の入り口は吉田口、御殿場口、富士宮口、砂走ルートといくつもありますが、どの道を選んでも頂上に立つことができるのです。頂上に立った人は、晴れやかで自信に満ちた生活を送っています。いくら後悔でいたたまれない人生だったとしても、最後に報われればそれでよいのです。最後が満足感と感謝の気持ちになれるかどうかがポイントです。
2022.03.16
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宇野千代さんの言葉です。「忙しい」というのは追いかけられるということではない。朝から晩まで、何かに追いかけられているような気持で、暮らすことは禁物である。いつでも、こちらから追っかけるような気持でいることである。それがどんな仕事であっても、仕事を追っかけていると、とても気持ちがよい。ストレスを感じるような暇がない、という状態になったら、しめたものである。(宇野千代 幸福の言葉 海竜社 45ページより引用)確かに自分のキャパを越えたたくさんの仕事を抱えているとイライラします。またどこから手を付けてよいのか分からない難しい仕事も困ります。指示命令されて仕事を強制されるとやる気が出てきません。この点に関して、以前「仕事を追いかける人と仕事に追われる人」の違いを投稿しました。(2013年1月12日 仕事を追う人、仕事に追われる人)その内容は、毎日細かい仕事をていねいにこなしていくことで、しなくてもよい仕事を極力作り出さないということでした。キャパを越えた仕事を抱えている人は、上から無理やり能力以上の仕事を押し付けられて、反発しながら焦りまくっている場合もあります。この場合は、上司に相談して仕事の量を調整してもらうことが必要になります。そうしないと、最後は火山の大爆発のような悲惨な状況が起きます。双方にとって問題になります。私は以前買掛金の管理の仕事をしていました。仕入れ先から来た請求書と弊社の仕入額を照合して、仕入先に支払額を確定させる仕事でした。今振り返ってみるととても面白い仕事でした。それはコツが分かっていたからです。100件以上の仕入れ先のうち半分くらいはぴたりと一致します。ところが大口の仕入れ先などをはじめとした残り半分くらいは差異が出ます。それは、割引交渉、返品交換が絡んでいるからです。営業マンの段階で日常的に発生しているのです。たとえば、担当営業マンが仕入れ先に対して、値引きを要請します。この場合、一旦本来の正規の伝票が届くことが多いのです。その後、数日して、正規の伝票を取り消して、新たな値引き後の伝票がきます。一つの商品に対して3枚の仕入伝票が来るのです。事情があらかじめ分かっていないものが、こうした伝票を扱うのですからとても厄介です。営業マンが相手の承諾がないにもかかわらず、値引き後の金額で仕入額を確定している場合は、必ず差異が発生します。私が取り組んだのは、売上伝票と仕入伝票をきちんとメーカー別にきちんとファイルする事でした。売上処理伝票を連番別にきちんと並べておく。次にメーカーごとに仕入伝票を日付順に並べておく。これは、買掛金管理の仕事の中では、手間ばかりかかる雑仕事になります。ところがこの雑仕事をきちんとしていると、問題の売上伝票や仕入伝票を即座に取り出すことができるのです。私はどんな伝票も1分以内に取り出せることを目標にして取り組みました。これは無駄な仕事を作り出さないという面で大きな成果がありました。同じ仕事をしている仲間の中には、一旦チェックが終わった伝票を段ボールの中に放り投げている人もいました。そうすると、問題が発生した売上伝票と仕入伝票を探すのに30分以上もかかることになる場合があるのです。いくら時間があっても仕事に追い回されることになります。それでもどうしても金額が合わなくて、一旦保留にして支払額を確定することがありました。その場合は、仕入れ先に事情を説明しました。次月中には必ず違算を解消することを約束しました。2か月後にはそれまでの違算をゼロにすることを目標にしました。過去の違算を放置していると釣り糸が絡まったようになります。処理することが困難になるのです。そして、その違算を弊社が負担することになると後始末が大変になるのです。仕事に対する情熱がなくなるのはこんな場合です。これは森田理論学習の中の、人生は雑事の積み重ねである。「雑事こそ我が人生」という考え方になると思います。平凡な仕事に心を込めて丁寧にするということです。別の言葉でいえば「凡事徹底」です。私の座右の銘です。この仕事をしていると1枚1枚の伝票をお金を取り扱うような気持になりました。今考えると雑仕事の積み重ねは、とても大きな威力を発揮するのです。
2022.03.02
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野村克也さんのお話です。中途半端な安定を手に入れている選手ほど、変わることを怖がるものである。たとえば毎年2割5分前後の打率を上げているバッターがいたとする。2割5分程度では、とても一流のバッターとは言えない。よほど守備がうまくなければレギュラーの座は確約されないだろう。バッターは3割を打てるようになってこそ、初めて一流と言える。2割5分の打者が3割打者になるためには、今の自分から変わるしかない。行動を起こさないといつまで経っても3割打者にはなれない。ところが私がこうした選手に、「変わらなければダメになるぞ。思い切って変われ」とアドバイスしても、躊躇してしまう選手の方が多いのだ。変わることによって一流選手の仲間入りをする可能性よりも、変わったために失敗をして、現状よりも状況が悪くなるリスクのほうに意識が向くのである。つまり変わる「勇気」が持てないのである。しかし変わらなければ人は成長しない。進歩とは変わることである。変わることのできない選手は、やがて変わる勇気持ったほかの選手に追い抜かされてしまうことになるだろう。自分は「現状維持でもよい」と思っているかもしれないが、みんなが成長を目指して戦っている競争社会において、現状維持であることは後退を意味するからだ。(凡人の強み 野村克也 KKベストセラーズ 79ページより要旨引用)含蓄のある言葉ですね。確かに野球選手は、今年はよかったと満足していると、次の年は他のチームに研究されて成績を落とすことが多い。2年目のジンクスと言われている。今年の成績に慢心して気が緩んでしまうと、次の年に反動が起きる。成績が落ちてきて、これではいけないと思っても、一旦弛緩状態に落ちた気持ちを、急に緊張状態には切り替えられない。防衛系神経回路が作動しているのでどうすることもできない。神経症の場合はどうだろう。不安神経症の人は、命に直結する不安であることが多いので、必死になって森田療法に取り組む傾向が強い。そして早々に神経症を克服してしまう人を見てきた。それに引き換え、強迫神経症、普通神経症の人は、なかなか神経症から卒業できない。私もその一人だった。不安神経症の人は背水の陣を敷いて森田に取り組むことが多いからかもしれない。強迫神経症、普通神経症の人は、本人の意思にかかわらず、命に直結した苦悩ではないので、背水の陣を敷くことができないのかもしれない。なんとしても神経症を克服するのだという真剣みが不足する。林成之氏は、人間の脳は、整ったものやバランスの良いものが好きという傾向があるといわれる。これは脳が「統一・一貫性を好む本能」を持っているからだそうだ。現状に極端な不満がない場合や現状にある程度満足している場合は、その状態をいつまでも維持したいと思うようになる。別にエネルギーを投入する必要を感じない。もし手を出して失敗でもしたら目も当てられないという気持ちになる。つまりやる気や意欲が湧き上がらないようになっているということだ。この場合は、挑戦することよりも、専守防衛に力を入れることになる。行動は、無難に現状維持、あるいは消極的、逃避的、自己内省的になる。現状にある程度満足できれば、新たな目標に向かって挑戦するよりも、現状を死守しようとするのだ。人間は、リスクをとって新たなことに挑戦はしない。それよりも現状が今よりもさらに悪化することを避けようとする傾向が強い。これに対して、野村克也氏は人間は課題や目標に向かって、たとえ失敗というリスクはあっても、果敢に挑戦していく姿勢を持ち続けることが大切なのではないかと言われている。人間はそのように生きていくことを宿命づけられている。私も野村克也さんの考え方に賛成です。何も大それた課題や目標に挑戦しなさいということではありません。森田でいうのは、普段の生活の中で、ささやかな課題や目標を持って、丁寧な生活を心掛けましょうということです。そして生活を精一杯楽しみましょうということです。ささやかな幸せはそこら中にたくさん転がっているのですから。そんな生活を続けているとしだいに大きな課題や目標が見えてくるのです。現状維持に甘んじることは、人間としては後退、堕落していくことかもしれません。
2022.02.18
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森田先生のお話です。神経質は、その事柄よりは、むしろ自分の身体の感じの方へ、こまごまと注意を集中して、その不快の気分におびえるようになる。すなわちその事件は、とうに過ぎ去っても、ついにはその事実とは、関係を離れて、自分の恐怖のみに支配されるようになる。たとえば、丸太橋を渡るときに、普通の人は、向こうの岸の方ばかりを見つめて、スラスラと渡るが、神経質は、自分の足元ばかりを気にして、少しも向こうの方を見ることができないのと同様である。(現代に生きる森田正馬のことば1 生活の発見会編 白揚社 73ページ)丸太橋を渡るときは、足元や眼下の川の流れに視線を移してはならないと言っておられるのである。そうすると不安が不安を呼び、恐怖が恐怖を増幅させることになる。いったん不安や恐怖に取りつかれると、悪循環が始まり、手も足も出なくなります。私は大学生の頃、神奈川県の丹沢山系で沢登りに夢中になったことがあります。川沿いの15mくらいのほぼ垂直に近い岩場を制覇していくスポーツです。もちろんヘルメットを着けて、踏ん張りの効く靴を履いています。あとは指先の力を出しての体力勝負です。沢登りの専門家の指導を受けていました。指導者は命綱もつけずにものの数分で制覇してしまいます。そして頂上からロープを降ろして、それを命綱として、挑戦していくのです。それでも、結構恐ろしいのです。宙づりになった時は生きた心地はしません。私はなんとか最後まで登りきることができましたが、仲間は途中で早々にリタイヤする人もいました。その時にしつこいくらいに注意されたのは、次の3点でした。・視線は常に目の前か、上に向けること。間違っても眼下に向けてはいけない。・常に手足を使って3点確保を維持すること。残りの1点で、次の新たな確保点を探す。3点確保ができていないのに、次の確保点を探してはいけない。・万が一落下したときは、岩場にへばりつかないで、身体を岩場から離すこと。その方が大けがをしない。ここでのポイントは、視線を目の前の岩場において、3点確保に神経を集中させるということだと思います。少しでも気が緩んで、眼下に眼を落すと、急に体が硬直して、ぶるぶる震えだして体の自由が効かなくなるのです。頭が真っ白になります。最悪の結果となります。こういう緊迫した状況では、常に恐怖が付きまといます。それを回避するためには、目の前のことに集中して、今なすべきことに取り組むしかないのです。3点確保して頂上を目指すという目標に向かって、登っていくことが恐怖から逃れる最大で唯一の方法なのです。一旦登ってしまうと、征服欲が満たされて、自信がつきます。その経験は沢登りのコツを掴むことになり、次へのステップとなります。こういう経験が、どんどん目標を押し上げていくことになるのだと思います。将来はアイガー北壁に挑むという大目標も、最初は小さな一歩からということになります。自己内省はほどほどにして、目の前のことに精魂を傾けて取り組むことが大切になるのだと思います。
2022.01.30
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このブログでは、日常生活に丁寧に取り組むことを提案してきました。規則正しい生活、凡事徹底、物そのものになりきるということです。これらは真っ先に取り組むべき森田実践となります。では日常実践にはどんなものがあるのか。第38回森田療法学会でそのヒントをもらいましたのでご紹介します。一般演題、1-10外来森田療法における「作業」の役割からの引用です。ここでは3つに分けておられました。1、生活維持のための作業飲食、排泄、整髪、更衣、掃除・洗濯、整理整頓、献立・調理、買物など2、社会生活のための作業交通機関の利用、公的機関などの利用、仕事、教育、他者との関わり、貢献など3、豊かさのための作業趣味活動、社会参画、体力づくり、休養(身体養生)、セルフケアなど日常生活は毎日取り組んでいることです。これに取り組まないと生活が乱れて停滞してきます。おおむねこの3つに分けて自己点検することが役立ちます。私はこれらに次のようなことを付け加えることを提案したい。1では、家屋の維持と修理、自給野菜作り、加工食品作り、車の洗車などを付け加えたい。2では、仕事や勉強などは多くの時間をかけています。この時間をいかに充実させるかはとても大切です。一心不乱に取り組むことで、問題や課題を発見することが重要です。気分本位になって回避していると味気ない人生になります。やる気を高めるためには、物そのものになることが肝心です。人間関係では森田理論の不即不離を活用することをお勧めします。引っ付きすぎず離れすぎず臨機応変で広く浅い付き合いを目指すことです。これは人間関係の生きづらさを格段に低減させてくれます。社会貢献ですが、集談会の中で世話活動に取り組むことも立派な社会貢献になります。世話活動は煩わしいものですが、関わると人間関係が広がります。また仕事に応用できるノウハウが身につき、自信になります。自信の数が増えてくると、自己肯定感が持てるようになります。3ですが、趣味の数は人生を豊かにしてくれます。それは、自主的で楽しく取り組むべき課題を持てるからです。私は10個以上持っています。ペットや園芸なども手掛けたい。お金がかかりすぎるものは趣味の範疇を逸脱しているものだと言えます。たとえばギャンブルやグルメ三昧などです。それから娯楽三昧の人やテレビを見ることが趣味ですという人がいますが、自分は何もしないで、他人から快楽を与えてくれることを求めているというのは趣味とは違うように思います。瞬間的には楽しいのですが長続きしない。また普段の生活の中で運動することは大切です。特に足腰です。毎日最低でも6000歩、できれば10000歩くらいは歩くことです。携帯にも万歩計がついています。一回計れば大体わかります。それと脳を使うことを心掛けて、認知症を予防したいものです。2025年には約700万人の人が認知症と予想されています。高齢者の5人に一人だそうです。私は毎日このブログを書いて脳を活性化しています。ネタを仕入れるために本もよく読みます。社会貢献と森田学習の深耕と脳の活性化を兼ねています。人間の機能は使わないと廃用性萎縮現象を起こします。一旦萎縮したものは復活しないということを肝に銘じておきたいものです。それから社会活動は地元の公民館活動をお勧めします。公民館ではさまざまな文化活動を行っています。男の料理教室、味噌作り、公民館祭りなどへの参加はとても楽しい思い出です。
2022.01.14
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彫刻家の佐藤忠良さんの言葉です。人生の80%は準備、雑用だ。これができて初めて創作にとりかかれる。準備や雑用で人生の80%が占められているというのは驚きです。また、そこが出発点になり、目標に挑戦する権利が与えられているという。これは再考してみる価値がある考え方だと思います。雑用という言葉は、小さすぎて取るに足らないもの、無視してよいものと決めつけてしまう傾向があります。雑事、雑用、雑誌、雑記帳、雑仕事、雑念、雑木林、雑草、雑魚などを思い出してみるとすぐに納得できます。こんなふうに、価値のあるものと価値のないものを簡単に区別してもよいものでしょうか。特に神経質者は、料理、洗濯、掃除、片付け、親戚・近所付き合い、洗車、子育ては煩わしいだけで、しなくて済むならばパスしたいと思う人もいます。経済的に許されるなら、煩わしいことは他人に肩代わりしてもらいたい。そして自分は人ができないような大きな価値のある目標に挑戦する。スポーツ、文学、芸術、指導者、経営者などに専念する。そのほうがやりがいを感じるし価値があると信じている。あるいは、とことん享楽的、刹那的、消費的、快楽的生活を楽しむ。雑事から足を洗ってエネルギーを温存したいというのである。私はそういう考え方は、ザルで水を掬うようなものだと思います。掬ってもすぐに流れ出して、果実を手にすることができない。あるいは、砂浜に家を建てるようなものだと思います。しっかりとした基礎ができていないので、いずれ倒壊してしまう。ある女優さんで仕事が忙しくて、子供にはふんだんに小遣いを与えて、子育てを放棄している人がいました。その子供が刑事事件を起こしたとき、「あんなに何不自由ない生活をさせていたのに、どうしてこんなことになるのか信じられない」と弁解していました。できるだけ子供と一緒の時間を作る。一緒に遊ぶ。学校行事にはできるだけ参加する。3度の食事はできるだけ作ることを優先することが大切です。最近、足腰の悪い老人が電動の四輪車で街中を動き回っています。まだ歩けるときに、楽ができるといってそんなものに頼っていると、そのうち足の筋肉が退化して、寝たきりになるのではないでしょうか。そして頭もぼけてきます。これを廃用性萎縮と言います。森田は雑事を丁寧に取り扱う理論です。雑事こそ我が人生という考えです。凡事徹底の中で、小さな達成感、感動や喜びを数多く味わいましょうという考え方です。私はこういう心がけを持っている人に魅力を感じます。普段の生活の中に小さなやりがいを持つことができれば、それが即豊かな人生につながるのではありませんか。私は、集談会の中で、小さな楽しみを見出した人の話を聞くのが楽しみです。
2022.01.08
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神経症の苦しみの渦中にある人は、難しいと思いますが、少し楽になり苦しいながらも生活が回り始めた人にぜひともお勧めしたいことがあります。他人を楽しませることに全力投球することです。その1、川柳を作り知り合いにメールで配信する。その2、おもしろ小話を作り配信する。その3、ひょっとこ踊り、高知のしば天踊り、安来のどじょう掬いを覚えて披露する。その3、美しい四季折々の写真を撮ってラインで送る。その4、楽器演奏を始めて披露する。サックス、フルート、オカリナ、琴、三味線など。その5、一人一芸をマスターして披露する。バナナのたたき売り、手品、獅子舞、ガマの油売り、腹話術、傘踊りなど。その6、you tubeでおもしろい動画、感動動画を見つけて配信または情報提供する。私の知り合いの人は、これに力を入れています。その情報の仲間の輪が広がり、毎日が笑いと感動の嵐ですということです。そういう仲間が全国各地にいるというのはうらやましい限りです。以前は病気などで苦しんでいた人ですが、今では元気になられました。私もそのおすそ分けをもらって楽しんでおります。以上の中から、1つ、2つ選んで、最低1年は続けてみる。たぶん、症状に劇的な変化が起きるはずです。その理由は、あなたに生きる目標ができるからです。そして、人が喜んでくれるのに刺激されて、益々やる気がでてきます。1年経過して、症状を取り去ることばかり気にしていた状態が、少し軽くなっているなと感じるようになれた人は、ほぼ神経症から解放されると思います。そこまできたら、森田理論学習で後付すれば、これからの人生に希望が持てるようになります。
2022.01.03
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森田では、周囲の変化を見極めて素早く対応する能力を身につけることを目指しています。そのためには、周囲にアンテナを張り巡らして、目の前の変化を正確に察知する必要があります。その変化を正確に見極めたうえで、適切な対応策を講じることが大切です。ところが、神経症で苦しんでいる人は、目の前の変化を見落とすことが多い。それは注意や意識が外向きになっていないからです。極端に内向化しています。絶えず考え事をしていて、目の前の事実が見えていないのです。さらに事実を確認しないで、人の話を鵜呑みにする傾向がある。或いは、事実確認しないで先入観、思い込み、決めつけで事実を捏造する。しかも、マイナス思考、ネガティブ思考になっている。結果的に、事実を見誤り、的外れな対応になる。そして事態は益々悪化してしまいます。人間関係の面では、別のことを考えていて、相手の話を上の空で聞いていることがある。「その話はさっきから何度も話しているじゃないの。あなた聞いてなかったの」などと言われて恥をかくことがあります。これでは相手はあなたのことを軽蔑するようになります。ぼんやりして、変化を見極めることを軽視していると、危険な目に合う確率は格段に高くなります。アフリカのサバンナでは、真っ先に肉食獣の餌食になるでしょう。また自分の体調の変化に気づくことが遅くなると、重大な病気に罹ることも多くなります。ガンになった人を見ると、時々年1回の検査を受けていなかったという人がいる。自分の身体であっても体調の変化はよく分からないわけですから、時々専門家に検査してもらうことは必要だと思います。変化に素早く対応するためには、目の前の事実をよく観察することが大切です。車の運転をするときは、自然に意識や注意は外向きになっています。初心者の時はウインカーやバックミラー、シフトレバー、ブレーキ、アクセルなどが気になり、車を操作するだけで精一杯です。これは森田でいうと注意が自分の心や動作に向いている状態です。注意の大半が内向している時は、周囲の状況が見えていませんので、時として交通事故が発生します。その段階を乗り越えると、自分の不安や動作にばかり向いていた注意は外向きに変わってきます。ウインカー、バックミラー、シフトレバー、ブレーキ、アクセルに気をとられることはなくなってきます。そこに向けられていた注意は常に外向きになり、他の車の動き、歩行者の動き、道路の状態、気象状況、交通検問、スピードの監視、交通情報などに向くようになります。また目の動きも適切になり、危険を回避しながらスムーズに車線変更も出来るようになります。いくら不安な問題を抱えていても、注意の大半は安全走行のために外向きになっているのです。「無所住心」という森田の考え方は、不安や症状に注意を向けるのではなく、目の前の出来事や変化に注意を向けていくことをいいます。変化に対応していくためには、普段の生活の中で、「無所住心」を心掛けることです。ポイントは、意識や注意の外向化を推し進めるということです。森田先生は目の前の出来事を実によく観察されていました。事実の裏を取るために、自ら現地に出向く。自ら実験をして自分の目で確かめる。決して人の話をそのまま鵜呑みにすることはない。自分の目で確かめたものを、初めて事実として認めておられました。森田療法もさまざまな療法を試して、効果があるものに絞り込んで森田療法として確立されてきました。要するに、観念優先、先入観、思い込み、決めつけで、事実を見誤ることは、意識して避けておられたのです。森田先生の「事実唯真」という考え方は、森田の核心部分です。私たちも、事実をよく観察して、刻々と変化する状況を正確につかむ。その変化の波をきちんとキャッチして、生活を前進させていきたいものです。大河の流れに逆らって、川上に向かって泳ぐことは、すぐに消耗して自滅してしまいます。それよりは、大河の流れに沿って、泳ぐ方がよほど理にかなっています。
2021.12.25
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藤由達蔵氏のお話です。シンクロナイズドスイミングのソウルオリンピック銅メダリストの田中ウルヴェ京さんが次のような話をしてくれました。シンクロの選手が胸を張って笑顔で入場行進するのを見て「試合前によくあれだけの笑顔ができますね」と驚かれることがありますが、逆なのです。一生懸命笑顔をつくって胸を張って歩かないと、プレッシャーに押しつぶされてしまうのです。シンクロの選手は、試合にふさわしい気分を作るために、あのような表情と動作をしていたのです。トップアスリートは動作や姿勢が気分をキープしたり、高揚させることを知って実践しています。私たちも、動作や姿勢次第で、味わいたい気分を生み出せるのです。私の場合は、二の腕の力こぶが出るように肘を直角に曲げて、握った拳を上方に突き上げる動作をします。ガッツ石松さんのガッツポーズです。これをすると、勇気がみなぎります。他人によって違いますので、あなたの気分が高揚するポーズをとってみてください。そして言葉です。その言葉を口にするだけで、勇気が湧いてくる言葉を声に出してみてください。私の場合は「やったー!」と叫ぶだけで、何が「やった」のかわからなくても、「やった」気分になってしまいます。他人によっては、「良かったね」「すごいね」「うれしい」など様々でしょう。自分の高揚する言葉を探してみてください。このように、「感情表現の3要素(表情・動作・言葉)のすべてを変化させると、それだけであなたの気分は一変します。ダメ押しに、大笑いしたら、いやな気分は一気に吹き飛びます。笑った瞬間、ふっと心が空っぽになるのを体験するでしょう。これが白紙になれた瞬間です。この時間をとることで、気分は簡単にリセットできます。(結局、「すぐやる人」がすべてを手に入れる 藤由達蔵 青春出版社 106ページ)これは森田理論の「外相ととのえば内相自ずから熟す」ということですね。生活の発見会発行の森田理論学習の要点に次のようにあります。心の中がどんなに苦しくても、まず形だけ整えてみる。「やる気」を待つのではなく、外側(行動や態度)をひとまずととのえれば、不快な感情も、その外側につられて後退してゆくものです。私は集談会で素敵な言葉を教えてもらいました。靴がそろえば心がそろうこの言葉を肝に銘じて生活しているところです。
2021.12.20
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2021年12月の生活の発見誌の「中高年のひろば」に元気が出てくる記事があった。80歳の手習いという男性の記事である。4日に一度料理に取り組んでいるという。80歳になると、老人ホームという人もいる中で素晴らしい人である。レシピは、料理本、テレビの今日の料理、パソコン検索、新聞や雑誌など。画像の場合は、何回も見てから秘蔵のレシピ帳にタイトルと講師名を書く。具材、調味料などの内容と、その調理の仕方を説明順に書く。食材の野菜は家庭菜園で無農薬で作っている。ナス、キュウリ、トマト、ウド、タラの芽、フキ、ラッキョウなど15種類作っているそうだ。ちなみに、高原野菜として立派な白菜がテレビに映されるが、これは多量の農薬が散布されています。そうしないと、大半は虫に食べられて売り物にはならない。これは実際に作ってみるとよく分かります。自家用野菜は虫よけの不織布をかけて無農薬で作っているのです。この方は料理挑戦の意味について次のように説明されている。1、また一つ趣味が加わった。2、菜園作業に新たな励みが出てきた。3、家人それぞれの料理にまつわる会話が増えた。4、食の幅が広がった。5、具材買い出しで、スーパー行きが増えた。6、退職後に、家人が作ったものをただ食べるという居候的立場から、多少なりとも作る側にも入ったという安堵感は大きなポイントである。日々の食生活を楽しまれている様子が目に浮かぶようです。このような気持ちを持っている人がボケないで長生きされるのだと思います。私は集談会の「生活森田・応用森田・活用森田」でこのような話を聞けることが何よりも楽しみです。励みになります。特に食生活は生活の要だと思います。私の理想はお米は田舎でたくさん収穫できますので、さまざまな釜めしと自家用野菜をふんだんに使った具だくさんのけんちん汁をメインにした食事です。それに酒のあてがあれば申し分ないと思っています。私も公民館活動の「男の料理教室」に参加することがあります。その時に作ったものです。なお私は集談会に参加できなくても、生活の発見誌をとって隅から隅まで読むことを実践することは、とても大きな刺激を与えると考えています。これをジャンル別に分けて、書き出したり、切り抜きをして、オリジナルテキストを作成することで、大きなやりがいができます。発見誌はとことんまで活用したいものです。これこそが森田実践だと思っています。興味のある方は下記のURLをクリックしてみてください。生活の発見誌を読むには
2021.12.07
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みなさん冬の季節はどんなイメージをお持ちでしょうか。しんしんと寒さが増して体が冷える。実りの秋が終わり、やがてすべての生きものが枯れてなくなる。あるいは冬眠に入る。活動力が低下する。じっと耐えて、貯えで命をつなぎ、春の息吹を待つ。人間が老年を迎えると、体力、気力、能力、行動力が衰え、病気に罹りやすくなる。しわやシミが多くなり、身体の艶や張りが失われてくる。歩行困難、介護、寝たきり、認知症、アルツハイマーなどになる人もいる。以前持っていたものが、どんどん失われていくのが老年期です。そこで希望を失い、人生に絶望感を抱いてしまう人もでてくる。これは今は若くて元気な人も歳をとってくると誰もが通る道になります。人生の冬枯れの時期をどう受け止めて、どう生きていけばよいのでしょうか。私は老年期というのは、子育ても終わり、仕事から解放され、豊富な人生経験を積み、自由に使える時間がふんだんに与えられている人生で唯一の期間だと思っております。自由ですから自分の好きなことに取り組んでいけばこんなに楽しいことはありません。自由時間を活用して楽しくて面白い人生にするためにどんな心構えで過せばよいのか考えてみたと思います。まず老年期に至ると体と心のメンテナンスを心掛ける必要があります。身体のメンテナンスは、まず足腰の運動です。車などに頼らずになるべく歩いていくことを心掛ける。それも3分早歩きをして、3分ゆっくり歩く。それをくり返す。つぎにできれば市民菜園を借りて自家用野菜を作る。料理に精を出す。果樹作り。加工食品を作る。お菓子つくりをする。庭の手入れ、花を育てる。これらで無理なく体を鍛えることができます。ペットを飼い世話をする。心のメンテナンスですが、今日やることがあることが大切です。これが習慣化していることが肝心です。そのためには前日の内に次の日にやることは整理しておく。少なくとも5個や6個は用意しておく。私は老眼鏡をかけながらですが、本を読む。このブログの原稿を作る。カラオケの練習をする。毎日一人一芸の一通りの練習を欠かさない。どじょう掬い、しば天踊り、腹話術、アルトサックス、手品、皿回し、けん玉。お誘いがあれば、居酒屋などで大いに友人と話をする。公民館活動に積極的にかかわる。やりたいことがあるとすぐにメモする。そしてストックを貯める。積極的に手を出すようにする。つぎに老年期に至るまでにいろんな経験をしてきました。自分では意識していないかもしれませんが、これは貴重な財産です。自分が仕事や趣味の中で身につけた知識や技術やノウハウはそのまま埋もらせてしまうのは実にもったいない。これを多くの人に還元していくことが生きがいに繋がります。自分はどんなことが還元できるか。リストを作って手ずくりの名刺などに書き込みみんなに配る。完璧なものでなくても、少々自信があることなら何でも書いておくことです。私の場合で思いつくままにあげてみると次のようなものがある。1、森田理論の活用や応用方法2、パワーポイントの活用方法、ホームページの作り方の基礎3、アルトサックスの演奏や楽曲の提供、チンドン屋のパフォーマンス4、チヌ釣(クロダイ)の極意5、自家用野菜の上手な作り方、土つくり、輪作の組み方6、福助(大菊)の作り方7、全国各地の観光地の紹介(北海道から沖縄まで)8、資格試験取得のコツ9、トライアスロンの挑戦指南10、ドジョウ掬い、浪曲奇術、腹話術、獅子舞、手品の指南その他にもまだいろいろとあります。これらを教えることで自他ともに元気が出てくる。
2021.11.23
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青山学院大学陸上部監督の原晋さんのお話です。私が3割理論と呼んでいる考え方がある。理論と言っても、別に根拠があるわけではないが、サラリーマン時代からなんとなく嗅覚で全体の3割に目をつけてきた。何かことを起こす場合、100%、10割の支持を得ることはありえない。そもそも、私は「人間は信用ならん生き物だ」と思ってきたし、自分自身もポリシーのない、虫のいい、八方美人のダメ男だと辛く評価してきたので、10割の支持などとても考えられない。5割はどうかというと、半数の人の支持を受けるためには、やはり大勢に迎合しなければいけないところが出てくる。迎合すれば半数の人から賛同を得ることができるかもしれないが、自分の信念を貫けないためにポイントがボケてくると思う。ポイントがボケてしまうと、今度は目標を達成することが難しくなる。では3割ならどうだろうか。3割なら、自分の信念を貫き通しながら、賛同も得られる可能性が出てくるかもしれない。一方、1割しか支持を得られないとなると、それは単に私のわがままでしかなくなってしまうだろう。そう考えてくると、だいたい全体の3割を目安に理解を得つつ、自分の信念を通して物事を成し遂げていくというのがベストのように思われる。それが私の3割理論である。(勝ち続ける 原晋 祥伝社新書 184ページより引用)何かことを起こす場合、全体の3割の支持が得られれば、思い切って挑戦してみた方がよいという考え方である。もし10人いれば3人が賛成で、7人は様子見か反対ということになる。7割は半分以上なのでとてもハードルが高いように見える。これは組織のリーダーなどには大切な考え方であると思う。目標や方針を決定する際は有効であると思う。ではこの話は神経質者の場合には役に立たない話なのか。私は十分役立つ理論だと思う。神経質者の場合は、もともと完全欲が強く、完璧を求める傾向がある。観念で100%の成功が確信できた場合に、やっと行動に移すという傾向がある。少しでも不安や障害が予見されるとすぐにしり込みしてしまう。「どうせ失敗するに決まっている」「失敗して恥をかくだけだ」という気分に振り回されて、二の足を踏んでしまうことが多くなる。チャンスの多くを見逃してしまう。そのうち暇を持て余すようになってしまう。残念な人生になってしまう。成功の確信を30%に下げるという考え方を採用するのは如何でしょうか。「考え通りに進まないのが当たり前。うまくいけば儲けもの」という気持ちで取り組んでいくということになります。この場合、70%くらいは初期の目的は達成できないという前提に立っている。そういう時は、潔く負けや失敗を認めて、新たな行動に移ればよいのです。でも残り30%は、思惑通り事が運ぶ可能性が残されている。競馬の予想屋さんに聞いてみると、当たり馬券の確率は10%以下であるという。でも10%の当たりで、それまでの損失を取り戻せるとすれば、挑戦する価値があるという。だから予想屋で飯を食っていけるという考えをしている。それにかけて見るという考え方である。仮に予定通りに進行すれば、ことのほかうれしくなります。この考え方だと100%を目指していないので気楽に取り組むことができます。また全く手の届かない目標を設定することがなくなります。あまりにも大きすぎる目標は、それは目標というよりも妄想に近くなります。課題や目標を妄想や願望にしてしまうと、挑戦する意欲は出てきません。何よりも手足を動かす回数が格段に増えてきます。これが本来の人間の進むべき方向です。そして小さな成功の体験が得られます。その数が増えてくれば自信につながります。自信が積み重なっていけば、自己肯定感が高まってきます。いいことずくめです。行動する前には、注射針を打たれたときのような痛みを感じることがあるかもしれませんが、それはなんとかクリアしたいものです。
2021.11.20
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シンクロの井村雅代コーチのお話です。シンクロという競技は、チーム全体の動きの同調性や調和性、美しさやダイナミックさを競います。ですから、突出した力のある選手がいることよりも、メンバーの力が均一化していることが重要になります。あるレベル以下の選手がいると、どうしてもチームとしてのバランスが崩れてしまいます。そこで大きな問題が起こってきます。練習や本番で、演技のレベルをどの選手に合わせるかということです。普通に考えると、中間に位置する選手のレベルに合わせればいいと思うのではないでしょうか。でも、それでは試合で結果を出すことはできません。どうするかというと、私は必ず一番上の選手のレベルに合わせます。もし、3番目の選手のレベルに合わせたとしたら、1番目と2番目の選手は、力を落として演技することになります。スポーツであれ、ビジネスであれ、チームというものは全員が上を目指し、全力を尽くしている時にこそ、最大の力を発揮します。それなのに、力を加減している人が交っていては、チームの士気が落ちてバランスが崩れ、最高のパーフォーマンスを発揮することはできません。最高の結果を導き出そうとするならば、チーム全体のレベルを、中間ではなくトップに合わせるべきです。それでこそ、選手一人ひとりが、自らの限界に挑戦し、100%以上の力を発揮することに繋がるのです。(結果を出す力 井村雅代 PHP 62ページ)これを一人の人間に置き換えてみた場合、絶えず挑戦する気持ちが大切ということではないでしょうか。いまの生活に何も問題がなければ、現状維持で満足してしまうことが多くなります。あえてしんどいことに取り組む必要はない。エネルギーを温存して人生を楽しんだ方がよい。生産的、建設的、創造的な生き方よりも、享楽的、刺激的、刹那的な満足を得た方がよい。人間は少し気を抜くとつい気分本位になり、努力することを放棄してしまいます。その瞬間は楽ができて、儲かったような気持になります。ところが取り組むべき課題がないのですから、暇を持て余すようになります。「退屈だ。何か刺激的で面白いことはないかな」と考えるようになります。「まだ夕食まで4時間もある。どうやってその時間をつぶそうか。テレビを見ても同じような番組ばかりだし」などと考えるようになると、精神的にはとても辛いです。そういう方は、「凡事徹底」に取り組むことです。まずは食事です。食事のメニュ作り。食材の買い出し。料理の工夫。後片付け。加工食品作り。自家用野菜つくり。料理教室や料理本で創作料理の研究。その他、洗濯、掃除、整理整頓、不要物の処分、不具合箇所の修繕。住環境の改善。ペットや観葉植物などの手入れ。友人や親戚や隣近所の人との付き合い。これらは一般的には雑事と言われていますが、人間の生活は雑事の繰り返しです。雑事に真剣に向き合うことで、ささやかな成功体験や気づきや発見がどんどん増えてくるようになれば、生きていて楽しいと思えるようになります。
2021.11.15
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森田先生のお話です。今日、患者が、鋸で木を切っているところを見たが、ここの患者は、鋸の種類を選ばないうえに、いくら鋸が切れなくなくとも、平気でひいている。鋸の切れ味などはまったく無頓着である。職人は、道具を大事にして、常にこれを研いでいる。素人は、その研ぐ時間で、少しでも、木をひいた方が、その時間に、余計に能率が上がると思っている。それは大きな思い違いである。(森田全集 第5巻 251ページ)今日は鋸の目立てについて投稿してみよう。早速新しい鋸を買ってカイズカイブキの下枝を切ってみた。よく切れる。小さい枝は訳はない。ところが、大きな枝は難儀した。切り進んでいくと、鋸が動きにくくなる。引くだけの方がうまく切れる。そのうち斜めの切込みを入れると、割合スムーズに鋸が動くようになることに気づいた。これで何とかしたいと思っていた下枝や枯れ枝を全部切り落とした。すっきりして、庭の見栄えがよくなった。次は木の形を整えたいという意欲が湧いてきた。まだ新しいので刃を研ぐ必要はないが、鋸の周りに茶色のヤニがびっしりとついていた。これが抵抗となって、木がスムーズに切れないことが分かった。早速SNSで調べてみた。重曹液を吹きかけて、目の粗いスポンジのようなものでこすると取り除くことができることが分かった。ためしにやってみると見事にヤニを取り除くことができた。これが分かったことだけでも、うれしいかぎりである。さらに家に帰って、you tubeで検索すると、鋸の研ぎ方の解説動画があった。それによると錆びた鋸はまず砥石を使って錆落としから始める。錆が取れると、鋸が銀色に輝くようになる。これからいよいよ鋸の目立てに入る。3段階の工程がある。第一段階・・・刃のつき具合を見て、同じ方向にやすりをかけていく。その際光を当てて光るようにすると、やすりをかけたところが銀色に光るようになる。第二段階・・・次に逆の面に焦点をあてて、同様に流して研ぐ。第三段階・・・先のとがったところを平らにするつもりでやすりをかける。以上ですが、大変根気のいる作業となります。その際、刃は小さいので、老眼の人は見えにくい。老眼鏡とそれにセットできる拡大鏡は必須である。それと、鋸を固定するものがあるとよい。ないときは、足先でしっかりと押さえつけて行う必要がある。やすりはホームセンターで調達する。私は草刈り用にグルグル回るやすりを持っている。さて、森田先生の話に戻そう。入院患者の場合は、木が切れなくなって、しんどいにもかかわらず、切れ味には無頓着であるといわれている。これは、三つのパターンが考えられる。まず鋸は切れなくなったと思ったら、刃を研ぐ必要があるということを知らないからではないか。そういう知識があれば、入院中は時間はいくらでもあるわけですから、「ヤスリはありますか」と訊くはずである。もしなければ、金物屋に買いに行くでしょう。つぎに、そういう知識があっても、神経症のことで頭がいっぱいなので、そういう気づきが湧き上がってこないということかも知れません。目の前の作業は機械的にしているだけで、気持ちが入っていない。傍から見ると何とももどかしい状況ですが、本人の状況を考えると、刃を研ぐことを考えろというのは今の段階では酷かなと思います。そういう感情が湧き上がっても、鋸の目立てをやったことのない人は、やり方が分からない。教えてくれる人がいれば、やってみたいとは思うが、うまくできるかどうかも分からないことに挑戦しようという意欲がわかない。最初から難しい、面倒、厄介だ、時間の無駄だと考えてしまう。つまりハードルが高すぎてて手も足も出ないということではないでしょうか。この場合は、鋸の目立てが分かった人が、実際に目立ての実技を行うとよい。居なければ、職人に頼んで鋸の目立てを見学させるとよい。「百聞は一見に如かず」という言葉がある。森田先生の真意は、木を切ることを通じて、感情がどんどん動き出して、やる気や意欲が高まっていくことです。実技や見学によって、「一ついいことを覚えた」と言って、早速試してみるようになることが肝心である。感情を流すきっかけづくりをしてあげることはとても大切である。森田で恩恵を受けた人は、神経症で悩んでいる人たちに、積極的に提案してあげたいものだ。10人の人の中で、一人でも興味を持つ人が出てくれれば本望である。私はそういうつもりで普段取り組んでいる生活を紹介している。これを「生活森田・応用森田」と呼んでいる。
2021.11.12
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仕事に対して全くやる気がない人がいる。人が見ていないと手を抜く。さぼって休む。ノルマがあってもギリギリか、ほとんど未達に終わっている。給料さえもらえればよしと考えているような人です。積極性や会社への貢献度は考えたこともない人のことです。真面目に仕事をしている人から見ると不愉快極まりない。自分は我慢して仕事をしているのに、その人は楽をしているように見えるのです。その人の仕事を自分がカバーしなければならないというのは許せないと思うのです。上司は自分にまかされている部署のノルマが果たせないので腹が立つ。あのやる気のない人を排除したい。移動させてやりたいと考えるようになります。会社にとっては、寄生虫がいるようなもの、あるいは扶養家族を抱えているようなものです。当然周りの人から非難されます。やる気のないダメ社員として軽蔑されます。本人はいたたまれない気持ちになります。人間関係はどんどん悪くなります。現在の仕事に積極的になれない人は、人間的にどうしようもないダメ人間なのか。私はそうは思いません。誰でも熾烈な競争に打ち勝ってこの世に生まれてきたのです。この世で自分の持てる力を存分に発揮して、課題や目標に真摯に向き合っていきたいと思っている生き物だと思っています。そして人間として生まれてきた喜びを全身で味わいたいと思っているはずです。人間はもともと誰でもやる気や意欲を持った生き物であると信じています。その人間が今の仕事に対しては、やる気が湧き上がらないという状況に追い込まれている。人間の本来性から外れているわけですから、本人は相当苦しんでいるはずです。その人を周りの人が寄ってたかって、厄介者扱いしているのです。本人もかわいそうですが、そのような取り扱いをする権利があるのでしょうか。立場が変わると、今度は自分がその対象とされてしまう可能性もあります。この悪循環を断ち切ることはできないのか。できると思います。森田理論の事実を十分に観察するということで可能になります。「百聞は一見に如かず」「百考は一動に如かず」という言葉があります。それくらい事実の持つ意味は大きいものがあると思います。ある工場で製造機械の故障が多くて、その都度製造ラインが止まり、作業効率が悪いという問題があった。修理に追われて、毎日残業を余儀なくされていた。解決策が見つからないので、故障個所に、日付、故障原因を記載した荷札をつけることにした。荷札は日を追ってだんだんと増えていき、まるでおみくじの木のようになった。故障の多いところは真っ白になるほど荷札が取り付けられた。そのうち修理担当者とその機械を操作する人との対話が始まったという。作業者は、修理の人に故障直前の作業の様子を詳しく説明するようになった。修理の人は、少々乱暴に扱っても故障につながらないような、補修を考えるようになった。そういうことを積み重ねているうちに、トラブルが減ってきて、残業をしなくて済むようになった。定時前に作業が終わり、掃除をして、物の置き場所や置き方まで工夫されるようになった。修理担当者は、修理に忙殺されなくなり、作業機械の改善や開発ができるようになった。(状況が人を動かす 藤田英夫 毎日新聞社 212ページ)これは相手を責めないで、事実をあぶりだした成果です。事実を観察していると、感情が動き出してくる。気づきや発見があり、興味や関心が高まってくると、人間は行動したくてたまらなくなる。つまりやる気に火がついてくるということです。人間の本来性が目覚めてくるのです。これでもかというくらいに事実を目の前に提示されると、心を開いてくるということだと思います。そんなこともしないで、やる気がない奴と一方的にきめつけて、否定することに何の意味があるのでしょうか。その人は今は問題や課題を見失っているが、それは相手の責任というよりも、私を含めた周囲の者の責任でもある。みんな情熱的な生き方を求めているのだ。そういう同志なのだと考え得ると、相手に「かくあるべし」を押し付けて、否定することはなくなるのではないか。事実観察に徹することで、やる気が出てくるのなら、活用しない手はない。
2021.11.10
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難い投稿が続きました。今日は趣向を変えた投稿です。つらいとき、悲しいとき、苦しいとき、失敗したとき、益々落ち込んでしまうことは誰でも経験があると思います。私はこんな時、いつもの気分転換することにしています。これは次の3つです。1、マーラーの交響曲「巨人」を聴きます。25分過ぎの部分です。これを録音しています。ここの旋律は、森田でいえば、受容と共感の気持ちで、私に寄り添ってくれます。これは神経症で苦しいとき、いつも聴いていました。何度助けられたことか。クラッシックは人の心を癒す力があることを感じます。2、つぎに中島みゆきの「時代」という曲を聴きます。「喜びも悲しみも繰り返す」という部分がとても共感できます。今の苦しみを乗り越えれば、何か新しい展開が始まるような気持ちになります。希望が持てるようになるのです。中島みゆきさんの曲は人生の応援歌が多いですね。3、そして、ユーモア小話や川柳やダジャレで大いに笑うことにしています。これは、自分で作ったものとコツコツ収集したものがあります。すでにA4用紙に100枚程度あります。心の危機に陥った時、昔飲んでいた抗不安薬よりも即効性があります。このブログでもいろいろと紹介してきました。今度また新しい小話を見つけましたのでさっそくご紹介します。敬老会で司会者が100歳を超えた長寿者にインタビューしました。「元気で長生きをする秘訣は何でしょうか」すると人気者の長寿者が答えてくれました。「それはキョウヨウとキョウイクです」これを聞いて驚いた司会者。「そうでしょうね、長生きした人の話は含蓄がありますね。このお話を参考にして、私も今日から教養と教育をつけるように頑張ります」するとかの長寿者曰く。「そんなことをしていると真っ先にボケますよ。教養じゃなくて、今日やる用事があるということ。教育じゃなくて、今日行くところがあるということ」なんだ、日ごろ心がけているキャッチフレーズだったのか。参った。座布団3枚。さらに司会者:「失礼ですが、今年でいくつになられましたか」長寿者:「あなた、私がいくつに見えますか」「さあ」と考え始めた司会者に向かって、その人曰く。「一つですよ」「ええ、1歳ですか。赤ちゃん返りをされたのですか」「一つに見えるのはいいが、もし私が二つに見えるようならあなたの目が老化しているということですよ」 またやられた。それにして頭が柔らかい。司会者:ところで、あなた何型ですか。A型かB型か、はたまたAB型か、0型か。老人:私はやせ型で小型です。犬でいえばチワワかスピッツです。司会者:「ええ・・・」唖然として次の言葉が出てこない。長寿者の一本勝ちに終わり、敬老会は和やかで盛況になりました。 それにしても女性の長寿者が多い。男性は2割程度しかいない。チャンチャンこんな返答ができるのは普段から、こう質問されたらこう答えてみんなを楽しませてやろうと考えている人です。ダジャレもそうです。こういう目標持って生活している長寿者の精神年齢は若いですね。いくつになっても多くの異性が近寄ってくるはずだ。女性の真ん中で冗談やダジャレを連発している男性はすごく上機嫌に見える。若い頃はたくさんの女性を泣かせたんでしょうと言えば、「それほどでもない。100人くらいかな」という。ハッピー、ハッピー❕❕
2021.11.07
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森田先生の言葉です。嫌な事・苦しい事をするのは、人生の本意でない事であるという風に、何事もすべて、功利的に大袈裟に考えるという事は、これを推し進めて行くと、冷たい水で毎朝顔を洗うのは、うるさい事だといい、箸で豆を一つ一つはさむのは、じれったい事だといって、顔も洗わずに・手づかみで食うようにもなる。それを人生の人並みと往生して、いやいやながらやっているうちに、冷たい水でないとかえって目が覚めないで気持ちが悪く、どうも手づかみでは、いやらしくなる。つまり箸ではさむ事や洗面やが、日常の趣味ともなり人道ともなるようになるのであります。(森田正馬全集第5巻 684ページ)嫌いなものは嫌いで・しかたがなしに・素直に、これも生活の一つのならわしで、全生活の中の一部分だと心得れば、なんでもない事で、いやいやながらやっているうちに、いつしか興味もでき、やらなければかえって気がすまぬようになる。(森田正馬全集第5巻 683ページ)私たちは少しでも面倒だ、億劫だと思うと、本来やるべきことであっても、手を付けないで放り投げたままにしておくことがあります。また予期不安があるものは、もし失敗するとエネルギーの無駄遣いになる。さらに周囲の人たちから笑いものにされてしまうかもしれない。そういうマイナスの気分に振り回されて、しり込みして何もしないということになりやすい。森田先生はこのような態度で生活することはダメだといわれているのです。面倒だろうが、億劫だろうが、予期不安があろうが、やるべきことはそのマイナス気分を振り払って、淡々と粛々と実践・行動するようにしなければならない。すると実践・行動に弾みがついて、習慣化してくる。習慣化してくると、ルーティンを外すことは、ワサビをつけないで刺身を食べるような感じになる。また、なすべきことが習慣化してくると、生活にリズムが生まれてくる。しだいに心身がともに活性化して、健康体になれるのです。面倒だ、億劫だといって寝転んでうたたねをし、目ざめてはお菓子を食べながらコーヒーを飲み、つけっぱなしのテレビを見ている生活とは雲泥の差になります。規則正しい生活を心掛けることは、頭で考えているうちは、刺激も少なく、味気ない生活のように思いがちですが、実際には凡事徹底の中で小さな楽しみをいっぱい見つけ出して充実感を味わうことができるのです。森田実践を心掛けている人は、規則正しい生活、凡事徹底、興味や関心のあることに情熱を傾けている人です。この3つが生活するうえでの基礎になくてはなりません。これらに命を賭けるくらいの気持ちで愚直に取り組むことです。一つでもおろそかにしている面があるとすると、森田道からはすぐに外れてしまうのです。原則を無視した生活に甘んじていると、人生の終焉を迎えたときに必ず後悔すると思います。
2021.11.01
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生活の発見誌9月号の中で、高良武久先生が次のように話されています。(神経症が)治るにしたがって、要求水準と実際の能力とのギャップがだんだん小さくなっていきます。これは神経症を克服してくると、理想と現実のギャップがどんどん縮小してくる。また上から下目線で現実を否定しなくなる。反対に下から上目線で目標をとらえることができるようになる。現実に即して、身近で手の届く小さな目標を設定することができるようになる。これは別の言葉でいうと、「・・・しなければならない」「…してはならない」といった「かくあるべし」を自分に押し付けることが、影をひそめてくるということだと思います。事実本位は、現実の課題がどんどん片付いて、小さな成功体験を蓄積することができます。自信をつけて、さらに次の課題や目標に向かっての足がかりができてきます。この路線を目指しているのが森田理論学習です。この流れに乗るためには、2つの視点が必要になります。一つは、観念優先の考え方や態度を、現実や事実に即した態度に変更することです。これは森田理論学習に取り組んでいる人にとっては永遠の課題と言えます。それは、生まれてこの方、観念優先の教育を受けてきて、しっかりと身についてしまっているからです。森田理論を学習していないと、事実優先の思考に切り替えられない状態になっているのです。「かくあるべし」の弊害を学び、事実本位の生活態度を養成するために様々な手法を学習していく必要があります。その手がかりとして、本ブログの7月11日より、9つの方法として提案していますので、興味のある方はご覧ください。もう一つは、大きな課題や目標を設定することは、結構なことですが、それが大きければ大きいほど、小さな手の届く課題や目標に分けてハードルを下げていくということです。たとえば、ジャンプ力の測定の時、「思い切り飛び上がってみてください」と言って挑戦させても、たいして記録を伸ばす効果は望めないそうです。ところが、最初にジャンプしてもらった地点に印をつけて、そこから少し高いところにチョークで線を引き、「ではあなたは、ここまでジャンプしてみましょう」と言って挑戦させると、ほとんどの挑戦者が自己記録を更新するそうです。これは、手の届く目標が明確になったことが大きいのです。そうすれば、自分の注意や意識はどうすれば、その課題をクリアできるか、大脳をフル回転させて考えるようになります。最終目標はいくら大きくても構いませんが、実際に実践に取り組む時は、達成可能な小さな目標であることが肝心となります。
2021.10.31
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森田理論では、不安を取り去ろうと格闘するよりも、その不安を横において、実践・行動することが大切ですと教えてくれています。最初のうちは、実践や行動はできるだけ日常生活と密着したものがよいと思います。料理、買い出し、野菜つくり、整理整頓、身支度、洗濯、子育てなど次から次へといくらでもあります。これらに丁寧に取り組むことです。「凡事徹底」という標語通りです。この方法は実際に神経症で苦しんでいる人は、にわかに納得できないかもしれません。私も最初に集談会に参加したころ、なんというアドバイスだろうと思いました。それよりも、不安を軽減する方法を教えてもらいたかったのです。今になって思えば、「急がば回れ」という格言通りだと思います。それ以外には治しようがない。仮に不安を取り除くための格闘を始めると、精神交互作用で神経症は泥沼化して、最後には固着してしまう。しかし、この方向に意識を切り替えるということは、大変困難です。どん底に陥って、もう後がないという状況に至れば、救いを断念してこの道に入ることになるかもしれません。神経質性格の人は逃避することで、最悪の状況を常に回避しているので、いつまでも背水の陣を敷くことが難しいのです。ずるずると歳を重ねて、晩年を迎えるということになりやすいのです。切り替えるためには、認識の誤りに気付くことが欠かせません。その強力な助っ人が森田理論学習です。森田理論を一通り学習すると、神経症の特徴や治し方は理解できます。しかし、理解しただけでは、神経症は克服できません。それを自分の実践や行動で検証する作業が必要になります。行動することの意味を自分で確かめることが大切になるのです。行動の原則とその特徴は、生活の発見会が出している「森田理論学習の要点」の中で説明されています。その中に、行動を始めると「はずみがつく」というのがあります。最初は嫌だな、億劫だなと思っていても構わないのです。その状態でも、無理やり行動を開始すると、精神が弛緩状態から緊張状態に変化してくるのです。つまり感情が変化してくるということです。これを忘れないようにしたと思います。形から入るのが先で、心はあとから自然についてくるということです。「外相ととのえば、内相自ずから熟す」ということです。つぎに、生活に密着した行動を開始すれば、快の感情が生まれます。「やってよかった。すっきりした」というプラスの感情です。不快な感情に追いまくられている人にとっては、かすかな光明です。この数を増やすことが肝心です。すると、小さな達成感や小さな自信を得ることができます。小さな能力の獲得は、次の生産的、建設的、創造的な行動への呼び水になるのです。それは森田が最終ゴールとしている「生の欲望の発揮」という路線に乗る足がかりとなるのです。課題や目標、夢や希望に向かって努力精進している人は、たとえ神経質性格を持っていても神経症で葛藤し苦悩している人ではありません。人間本来の生き方を目指している人になれるのです。
2021.10.23
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以前に体操日本代表に選出された白井健三選手のお話です。白井選手は床が得意です。床には150の技があるそうですが、その中で「後方伸身2回宙返り3回ひねり」という技はH難度で一番難しい技とされています。「シライ3」と呼ばれて彼しかできないと言われていました。金メダルを獲得して当たり前という状況の中で、2014年の世界選手権の「ゆか」は2位でした。白井選手は、その敗因について「同じことをやっていたから負けたんだ」と考えたそうです。この大会で彼が披露した技は、すべて前年の世界選手権で優勝したときと同じものでした。「知らないうちに満足していて、「同じ内容でも勝てるだろう」と思ってしまったのです。失敗しないのが当たり前で、演技の内容自体に目標を見失っていました」この反省は次に活かされました。気分を切り替えて2015年の世界選手権では、当時の最高のG難度の大技「リ・ジョンソン」を成功させました。そのほかの大技も次々と成功させて再び世界王者に返り咲きました。白井さんは、過去の成功体験に浮かれて、以前と同じ演技構成で臨めば勝てると考えたときはよい成績が出せなかった。新しい技に挑戦するのだという目標が持てたときは、よい成果が出せるようになったと言われています。(弱さをさらけだす勇気 松岡修造 講談社)どうしてそんな現象が起きるのか。脳の仕組みを知っていると容易に察しがつきます。成績が振るわなかったときは、本番になって、自分でも気がつかないうちに、緊張感が薄れ、弛緩状態(根拠のない安心感や安堵感)が入り込んできたのです。すると、神経伝達物質のドパミンの出が悪くなります。その影響はやる気の脳と言われる側坐核や前頭前野に及びます。側坐核の活動が抑えられてしまうので、思いのほか勝負に徹しきれない。前頭前野は精神拮抗作用で、「まさか、失敗するようなことはないだろうな」と自分自身を疑心暗鬼に追い込みます。自分でも何とかしなければと思っても、どうも士気が上がってこない。さらに予期不安でいたたまれなくなるという状況に追い込まれているのです。これでは、勝てる試合も負けてしまう。こんなことは受け入れられないと思っても、どうすることもできないのです。白井さんは本番では緊張しないタイプだそうです。そのために練習ではできなかったことが、本番で、初めてできたという経験を何度もされているそうです。「シライ3」もそうでした。その原因は、練習段階から、現状維持にとどまらず、高い目標を持って挑戦するという建設的な意識が、結果として本番での過度の緊張状態を遠ざけていたからだとみておられるようです。この考え方は私たちも大いに活用させてもらいたいものです。スポーツ、楽器の演奏、発表会、講演、試験などでも、緊張感で金縛りの状態になると、本番では十分な成果が出せません。失敗して恥をかいてしまいます。実に残念なことです。練習ではできたという根拠のない安心感だけではとても太刀打ちできないと思います。普通そのような時は、深呼吸をし、反復練習をして気を紛らわせることをします。この手の行動は、緊張感なくするという面では、逆効果になる事があります。イチロー選手や羽生結弦選手はルーティンを重視しています。今やるべきことをルーティン化して、今に意識を集中させることで金縛りに陥ることを防止しているのです。これも一つの手だと思います。もう一つは、白井さんの考え方を応用していくことです。練習段階から、一段階高い目標を設定して、それを追いかけるという意識を持つことです。そういう気持ちになると、感情が内向きになる事がありません。精神拮抗作用が出しゃばるという隙を与えません。気持ちが外向きになり、大脳の協力を得て、目標の達成に向かいますので、結果がついてきやすいのです。
2021.10.15
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森田先生は、神経症で苦しくて休職や辞職することを禁止しておられます。失業する前に僕の診察を受けると、僕は決して職業を辞めさせないと言われています。水谷君は大学受験を1年延ばすというのを撤回させた。山野井・行方・谷口君も、みんなわずかの違いで、職を離れるところだったのである。倉田百三さんは、強迫観念を治してから、しかる後に原稿を書こうと考えておられたのを、僕が勧めて、苦しいながら原稿を書くようにした。後になって見れば、その時の創作がかえって出来がよかったとの事です。神経症に陥るとイライラして仕事が手につかなくなります。精神的にも肉体的にも苦しい。人間関係も悪化しています。一刻も早く休職して神経症の治療を受けたいと思うのが普通だと思います。休職や退職は一時的には確かに楽になります。しかしその反動を忘れてはなりません。今までは症状を抱えていても、その事ばかりに関わってはいられない状況に置かれていたわけです。いくら仕事が遅くて他人に迷惑をかけていたとしても、どっぷりと症状に向き合っていることはできなかったのです。しかし一旦休職や退職した場合、四六時中症状の治癒のことばかりに専念できます。将来に明るい展望が見えてくるような錯覚に陥ります。これは認識の誤りです。かえってというか、当然というか症状は悪くなります。神経質性格は自己内省性が強いという特徴があります。これが大きくマイナスに働いてくるのです。常に自己嫌悪、自己否定的に働き、精神交互作用によって、悪化の一途をたどることになります。神経症の葛藤や苦しみは、自分の頭の中で苦の種を作り出して、一人で相撲を取っているようなものです。周りから見るとどうしてそんなことに苦しんでいるのか。精神異常を起こしているとしか見えない状態です。神経症に陥ってしまう人は、必ず何らかの強い欲望を持っています。対人恐怖症の人でしたら、人から高く評されたい、一目置かれるような人間になりたいなどです。その反動として、非難、否定されるようなことは絶対にあってはならない。悪口を言われ、からかわれ、無視されるようなことは絶対に許すことはできないわけです。強力な「かくあるべし」を持って自分を監視しているわけです。そのうち本来の自分の目的を忘れて、不安を取り去ることが唯一最大の問題にすり替わってしまったのです。本来の目的を見失って、とんでもないことを目標に再設定してしまったのです。それからの努力はすべて成果の上がらないむなしいものになってしまいます。そこに発生している不安は、欲望が暴走しないような役割を果たすために発生しているのです。これを精神拮抗作用といいますが、太古の昔から人間に標準装備されているものなのです。神経症になるというのは、その不安の取り扱い方を間違っているのです。誰でも新しい車や電化製品を買った時は、取扱説明書で研究し正しい使い方を学びます。それと同じように、不安の特徴や役割、欲望と不安の関係を学ぶことが大切になります。休職や退職を選ぶということは、ただ単に今の当面の苦しみから急いで逃げ出すことです。その道は、経済的な損失のみならず、精神衛生の面から見ても、明らかな間違いと言わざるを得ません。神経症で苦しいでしょうが、衝動的に安易な道を選択しないことです。以上はうつ病などの器質的な精神疾患で苦しんでいる人には適応されません。精神科医の診断を仰ぎ、絶対安静、休職などが必要になります。薬物療法に取り組むことで、問題解決に至ります。
2021.10.12
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昔から食べてきた和食の材料は8種類しかありません。1番目は、いもやごぼうなど、土の中にできる「根菜」2番目は、白菜やほうれん草などの「菜っ葉」です。3番目は、「青果」。果物のほか、トマトやきゅうりなどのみずみずしい野菜のことです。4番目は、自生する「山菜」の仲間。キノコもここに入ります。5番目は、「豆」、6番目は「海藻」です。7番目は、米や麦などの「穀物」、そして8番目が「魚」が中心の動物性タンパク質です。「魚」以外の7種類は、すべて植物です。いってみれば、日本民族は、「究極のベジタリアン」でもあったわけです。こうした菜食中心の食事をカロリーで計算すれば、当然のように低カロリーになります。しかし、この低カロリーの食事で健康に生きてきたのが日本人なのです。(いのちと心のごはん学 小泉武夫 NHK出版 26ページより引用)ここで大事なことは、昔から日本人はその土地でできたものを食べて生きてきたということです。今でいう「地産地消」という考え方です。ほとんどの日本人は、自分の食べ物は自分で作り、保存方法を工夫し、さまざまな加工食品を作り出してきたのです。それが結果として世界一の長寿国へとつながっていったのです。「医食同源」「身土不二」「薬食同源」という言葉がありますが、健康はその土地でとれるものを大切にして、自給自足の食生活を基本とすべきであるという考え方だと思います。現在はこの考え方は、軽視されています。経済力に頼って、世界中から食料を調達すればよいという考えです。好きなものを好きな時に腹いっぱい食べるのが当たり前の時代になりました。旬の食材は何があり、それをどう料理するかというよりも、今食べたいものを一流のシェフに上手に味付けされたものを腹いっぱいに食べるという考え方が優先されています。政府も食料の自給という考え方をとってはいません。ほぼ放棄しています。これが日本人の自立と日本の食料安全保障から見てどんなに危険なことであるか、考えただけでもぞっとします。また現在、食事はどちらかというと肉食中心となりました。それもほとんど輸入ものです。さらに問題なのは、外食、宅配、ファーストフード、ハンバーガー、ステーキ、ホットドッグ、清涼飲料水などが欠かせなくなりました。自分の食べ物は自分で作る。3度の食事は自分で作るという人間としてあたりまえの食習慣が崩れてしまいました。欧米の食生活がまぶしく見えて、肉食文化に変えていったのです。この短絡的、依存的な考え方は、肉体的、精神面への悪影響は計り知れないと考えます。その結果、身体面では生活習慣病が増加しました。沖縄県は日本一長寿県と言われていましたが、食事の欧米化により、2005年の男性の平均寿命は25位まで低下したそうです。原因は、肉食文化による若い人たちの死亡率の高さです。今の長寿地域は、お隣の奄美大島、徳之島だそうです。その地域は、いまなお日本の伝統的な食生活が維持されているところです。森田では、ないものねだりをする前に、もともと自分が持っているものを活用することが大切であるといいます。物の性を尽くす。己の性を尽くす。他人の性を尽くす。時間の性を尽くす。お金の性をつくす。これは生き方の問題です。今一度かみしめてみたい言葉です。ここを基点とした、人間本来の生活に立ち戻らないと、身体と心の健康面で取り返しのつかない悪影響が及ぶのではないでしょうか。
2021.10.09
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青山学院大学陸上部監督の原晋さんのお話です。テレビを見ていると、オリンピックで金メダルを取った直後のインタビューで「次なる目標はなんですか」と聞いているのを見かけるが、つくづく邪道だと思う。「試合が終わったばかりなのに、そんなことを聞くなよ」と嫌な気持ちになるのだ。人間はそもそも、1年365日1日24時間ずっと気を張ったままで過ごすことは不可能だ。人間はサボるもので、緊張感はそれほど続かないという人間観が前提にある。だから当然のように失敗をする。失敗したときにどう起き上がるかというところを見てあげるのが指導者の役割になるわけだ。そこで、青学の場合、箱根駅伝を走った選手たちについては「走りたくなったら言ってこいな」と告げて、1月いっぱいは「放牧」と称して集団練習からは外し、自由にさせている。選手の調子にも波があって、いい状態をずっとキープするのは無理である。だから、その波の幅をできるだけ小さくし、上り調子の波をどれだけ高く大きくするかがポイントになってくる。調子の波がぐっと下がった時期には、休んでも構わない。むしろきちっと休んで気力を回復して復帰した方が、いい結果を残せるだろう。(勝ち続ける理由 原晋 祥伝社新書 108ページ)人間は緊張状態と弛緩状態が波のように繰り返されていると言われている。その波にうまく乗ることを考えて行動した方がよい。森田先生は、冬の寒いときに外出しているときは緊張状態にある。その状態で家に帰り、炬燵に潜り込んで、身体が温まり、転寝などをしてはいけないと言われています。緊張状態から急に弛緩状態に方向転換しても、身体の方がその変化に対応できないので、その結果風邪をひくのだと言われているのです。緊張状態から弛緩状態に移るとき、徐々に移行することが肝心だと言われているのです。弛緩状態から緊張状態に高めていくにはどうすればよいのか。たとえば箱根駅伝である。正月の2日と3日に開催される。その日に緊張の波をピーク持って行くようにしないと優勝はおぼつかない。選手一人当たり20キロくらい走ります。ハーフマラソンの距離です。往路と復路を合わせて10名の選手でチームを組みます。その中の一人でも脱水症状を起こせば棄権となります。そのためにはまず出場権を獲得する必要があります。出場権を得たら、1年をかけて選手を鍛えて、選手の適性を判断します。目標管理を徹底して、スタミナ、走力、精神力を鍛えていきます。規則正しい生活を習慣づけて、精神状態の安定、食事と体調管理を身に着けていきます。徹底して鍛えたら、レース直前になると緊張状態を少し緩めます。エネルギーを溜めて、レース本番で爆発できるように持って行くのです。私たちもこの考え方は頭の中に入れて、行動するようにしたいものです。緊張状態と弛緩状態は1日の中でも繰り返されています。昼間は緊張状態にあり、交感神経が優位に働いています。逆に夜間は、副交感神経が旺盛です。それに応じてホルモンの出が変わってきます。だから、その時々の波に乗って規則正しい生活を続けることが肝心になるのです。昼間は仕事や日常茶飯事に精魂傾けることです。仕事や日常茶飯事から手を抜いて楽をする事ばかり考えていると、精神が弛緩状態になります。逆に、夜間ネットゲームなどにはまり、夜間を緊張状態に持って行くと、生活のリズムが崩れて、体調が悪化し、うつ状態に陥ることになるでしょう。緊張と弛緩の波は、1週間のうちにも発生します。1ヶ月の間にも発生します。1年のうちにも発生します。さらに言うと自分の一生の間にも発生しています。この点については、次の本が参考になりますので興味のある方は読んでみてください。「意識の法則と6年周期リズム 石原加受子 長崎出版」私たちは、その波をうまくとらえて、すんなりとその波に乗ってどこまでも疾走していくというイメージを持つことが肝心です。波乗り名人を目指すことです。
2021.10.04
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元中日ドラゴンズの山本昌さんのお話です。山本昌さんの趣味はラジコンとクワガタを育てることだそうです。ラジコンは全日本選手権に出場して4位に入るほどの腕前です。始めたころは、わずか3分で周回遅れにされていた。負けず嫌いの性格だったので、どうすれば勝てるようになるのが必死で観察したそうです。そう思って観察していたら、秘訣が分かったそうです。優秀な成績を出している人は、ラジコンノートをつけていたというのです。車高が何ミリのときに走行がどうだったとか、バネの強さがどうだ、リバウンドがいくつだ、気温や天候はどうだったと、すべて克明に記録をとっている。車高ゲージで、コンマ5ミリくらいまで測る。試行錯誤してトライした結果を記録として残し、次に活かすという作業を地道に繰り返していたというのです。それを5ミリ単位で行っていた。山本昌さんが、「もうちょっと曲げたいのだけど」と質問すると、即座に「こうすれば曲がるようになります。でもやりすぎるとスピンします」と的確に答えてくれた。「すげえな、こいつら」舌をまく思いだった。と、そのとき、ふと思った。「なんで彼らは、こんなに一生懸命にやるんだろう。趣味なのに」それにくらべて自分はどうだ。野球は趣味じゃない、職業だ。高額な報酬をもらってプレーしている。こんなことではいけない。野球は「才能勝負」のような考え方をされがちだが、そうじゃないんじゃないか。ラジコンのように、いろいろなところを追及して行けば、もっともっと良くなっていくのではないか。そうひらめいたのである。そんな時期に小山裕史先生の「初動負荷理論」に出会ったそうだ。小山先生は身体の動きについてすごく詳しく、僕は投球というものに対して、メカニック的なことを勉強し始めることになった。それが50歳まで現役を続けられた最大の要因になった。(「継続する心」 山本昌 青志社参照)ミシュランガイドで3つ星を獲得しているシェフが、料理は一つ一つの作業を取りだしてみると、単純作業の繰り返しなんです。その単純作業の中にどれだけ多くの疑問や改善点を見つけることができるか。そして工夫や改善を繰り返して、さらなる高みを目指すのが一流シェフなのですといわれる。これは私たちでいうと、日常茶飯事の料理、仕事などに我を忘れるほど「ものそのものになれるか」どうかということだと思います。言われたからイヤイヤやっていますというのは、初期段階はいざしかたがない。でもその段階で終わってしまっては、次にはつながらない。神経症でいえば、目の前に日常茶飯事に一心不乱に取り組まないかぎり、いつまで経っても神経症は克服できない。それは行動によって症状が治ることを期待する考えが邪魔をするからである。最初はイヤイヤ仕方なしでも構わない。でも行動に弾みがついたときに、一心不乱になって取り組むようにならないと症状が改善するということは起こりえない。
2021.09.22
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昨日の続きです。大谷翔平選手のマンダラチャートを参考にして、森田マンダラチャートを作ってみました。まず最初に正方形を書きます。縦横それぞれ等間隔に2本の線を書き入れて、9つのマスを作ります。そのど真ん中に、目指すべき大目標を書き入れます。ここでは、「森田理論によって神経質者の人生観を確立する」としました。つぎに、その周りの8つのマスを埋めていきます。これは中目標にあたります。ここでいろいろと悩みます。人によって目標は違うものになると思います。とりあえず直感で埋めていきましょう。たとえば私の例でご紹介します。1、神経症からの回復を目指す2、バランス感覚を養う。3、生の欲望の発揮に邁進する。4、事実本位の態度を養成する。5、物、己、他人、時間、お金の性を尽くす。6、変化対応力を鍛える。7、不即不離の人間関係を築く。8、生涯学習として取り組む。つぎに、中目標の一つ一つに対して、マンダラチャートを作ります。例えば、3の「生の欲望の発揮に邁進する」で説明します。これをマンダラチャートのど真ん中に書き入れます。その周りの8つのマスを埋めていきます。これが具体的な実践目標となります。1、凡事徹底2、規則正しい生活3、一人一芸に取り組む4、自家用野菜つくり5、加工食品作り6、アジサイ、菊など草花を育てる7、老人ホームの慰問活動を続ける8、パワーポイントを大いに活用するもう一つ例を挙げておきます。8の「森田の生涯学習に取り組む」1、集談会には毎回参加する2、生活の発見誌は丁寧に読み、切り抜きをする3、毎日いろんなジャンルの単行本を読む4、ブログは毎日1本は投稿する5、心の健康セミナーや支部研修会には積極的に参加する6、定期的にホームページの更新をする7、ZOOMでの交流を積極的に進める8、新たなテキストを作る小目標は達成したら別の小目標に取り換えてもよいと思います。当然そうなると思います。これらを一つにまとめてみることもお勧めです。まず大きな長方形を作ります。それを縦横均等の長さで9等分します。全部で81のマスができます。その中央に大目標を書きます。その周りの8つのマスを中目標で埋めます。さらにその外側を64個の小目標で埋めてマンダラチャートが完成します。つまり64の実践目標を設定するのです。これを模造紙などに書いて目につきやすいところに掲示しておくのです。これを意識しながら日々努力精進していくことになります。家族も興味津々で進捗状況をチェックしてくれるようになるかもしれません。自分でも1週間に1度、あるいは1か月に一度くらいは、進捗状態をチェックすることです。全く手つかずというのは、少し意識して取り組むようにすればよいのです。100%できなくても大丈夫です。ほどほどが肝心です。60%できていれば、「あんたはえらい」と自分で自分をほめてあげて下さい。注意点としては、具体的な実践目標であることです。さらに、少し努力すれば実現可能なものにする。つまりやる気になればできることを数多く設定していくのです。これで実践や行動に弾みがついてくれれば、望外の喜びとなります。
2021.08.30
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仕事や勉強など対して、「できない」「無理だ」「やる気が起きない」と最初から周囲の人に断言する人がいます。心配性の人は少しでも予期不安があると、すぐに逃げ出してしまうことが習慣になっている人もいます。面倒なことやしんどいことはなるべく避けて生きてゆきたい。成果が上がるかどうか分からないようなことに挑戦して、もし失敗でもすればエネルギーの無駄遣いになる。時間とお金も失ってしまう。損失が見込まれることは、最初からパスした方がよい。また、失敗すれば、能力のないのに無謀な挑戦をしたと周囲の人から笑いものにされてしまう。下手に動かないで、じっとしていたほうが何かにつけてメリットがある。挑戦や冒険は取りやめて、楽しいことはいくらでもあるので、それらを追い求めて生きていくほうがよほど理にかなっている。このように考えて、行動しない。挑戦を取りやめることは、一見正しいことを選択しているように見えます。心配性が特徴の神経質性格者は、どうしても短絡的にその場限りの安楽な方向に流されてしまう。これに対して、考える事よりも、すぐに行動に移す人もいます。仲間を巻き込んで、身体を動かす方が楽しい。問題が発生すれば、その都度修正して、より良いものに改良していけばよいと考えている人です。100%の確信が持てなくても、10%の成功の可能性を優先する。常に見切り発車しているのです。ダメならすぐに撤退すればよいと考えているのです。常に前を向いて走り続けています。そして時間が経過してみると、立ち止まって何も行動していなかった人を大きく引き離している。雲の上の存在になっている。これはどちらが良いと簡単には、決めつけられない面があります。ただ慎重派の人に対しては、次のような問題があります。慎重派で行動を抑制してきたことは2つの面で問題を抱えています。一つは失敗や挫折の経験がほとんど体験できていないということです。体験しようとしなかったことが、大きな問題を生み出しているということです。人間は失敗や挫折の経験の度合いに応じて、その器が決まってしまいます。失敗や挫折の経験のない場合は、幼児がそのまま大人になったようなものです。社会人となって社会の荒波に投げ出されるようになると、自分を守ってくれた親は何の役にも立ちません。何しろ自己責任の世界で、自力で大海を航行しなければならないのです。そのとき、普通は今までの数多くの失敗や挫折の経験が役に立ってくるのです。こういう場合は、どう対処するのがよいのか、雑多な経験を潜り抜けていることで自然に分かるのです。子どもの頃の小さな失敗や挫折の経験は宝の山です。経験不足で大人になった人は自信が持てません。自己信頼感が持てないのです。オドオドビクビクして、他人の思惑ばかりが気になります。それは子供の頃の小さな成功体験が圧倒的に少ないからです。子供の頃の「できた」「やった」「偶然うまくいった」という体験の繰り返しは、自分への信頼感を高めることにつながります。自己信頼感、自己肯定感は、子供の頃の小さな成功体験の積み重ねなのです。小さなことにコツコツ取り組んできた経験は、自己肯定感を高めているのです。ですから、早計に「できない」「無理だ」「やる気が起きない」という言葉を口にすることは問題です。「やってみたけどできなかった」という言葉に置き換えていくことが大切です。この場合は、一旦気分本位に流されないで行動する方に舵をきったのです。でもうまくいかなかった。すると、どうしてうまくいかなかったのか、考えるようになると思います。時間が足りなかった。能力が足りなかった。自分一人では無理だった。資金が足りなかった。など。原因が分かれば、ではどのような対策を立てれば、成功に近づくのかおぼろげながら分かってきます。次の行動、挑戦の足がかりが作られることになります。一つの行動は次の行動の呼び水になるのです。森田では観念優先の頭でっかちの人よりは、フットワークの効いた小回りの効く、機動的な人間を目指しているのです。
2021.08.28
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宇野千代さんの言葉です。ものを書こうとするときには、誰でも机の前に坐る。書こうと思うときだけに坐るのではなく、書こうとは思っていないときでも坐る。この机の前に坐るということが、小説を書くことの基本です。毎日、または1日の中に幾度でも、ちょっとでも暇があるときに坐ると言うのではなく、毎日坐るのである。坐る、という姿勢があなたを規制します。不思議なことですが、ほんとうです。あなたは坐ったら、何をしますか。どうしても、何か書くしかないでしょう。この、毎日坐るということが、小説を書くことの基本です。机を前にしたら、どうしても書かなければならない。では、何を書くか。何を書くかは、あなたが決定します。しかし、間違っても、巧いことを書いてやろう、とか、人の度肝を抜くようなことを書いてやろう、とか、これまでに、誰も書かなかった、新しいことを書いてやろう、とか、決して思ってはなりません。日本語で許された最小限度の単純な言葉を持って、いま、机の前に坐っている瞬間に、あなたの目に見えたこと、あなたの耳に聞こえたこと、あなたの心に浮かんだことを書くのです。「雨が降っていた」「私は腹を立てていた」「また、隣の娘が泣いている」という風に、一字一句正確に、できるだけ単純に書くのです。あやふやな書き方をして、それで効果を出そうなぞと、そんなことは、決して考えてはなりません。素直に、単純に、そのままを書くと言うことが、第一段階の練習であり、やがて、大きなものの書ける基本です。(行動することが生きることである 宇野千代 集英社文庫 203ページより引用)小説家というのは、ものを書くのが仕事です。決まった時間に机の前に坐るということが最も大切だと言われている。億劫でも、その気にならなくても、時間になれば仕事に取り掛かる。つまり当たり前のことをルーティンにして、毎日規則正しく繰り返すということです。平凡なことを機械的に繰り返すというのは、思った以上に難しい。気分本位に流されてしまうとすぐに崩れてしまう。また外からの誘惑や刺激に影響をうけると、すぐに放り投げてしまう。放り投げても、時間が経てば、元の状態に戻れば問題はない。ところが、いったん脱線してしまうと、規則正しい生活や凡事徹底という森田がお勧めしている生活指針を反故にしてしまう。これでは本来の森田実践からはずれてしまう。宇野千代さんは、平凡なことは平凡に徹する方がよいと言われています。無理をしないで淡々と手足を動かしていく方が長続きする。軌道に乗せるのは時間がかかる。しかし破壊するのはその日から可能になる。水谷啓二先生は次のように話しされている。神経質者は風雲に乗じて成功を遂げるタイプではない。平凡を軽視しないで毎日の生活や仕事に精を出す。そういう平凡な生活が20年から30年積み重さなると、非常に非凡な成果を生む。非凡な能力の持ち主として周囲から尊敬されるようになる。それを積み重ねた人は、類まれな能力を身に着けた人である。これは簡単そうで意外に難しい。例えば、1キロのジョギングをすることは、ほぼ誰でもできる。でも、マラソンのフルコースの42.195キロを完走できる人は、めったにいない。もし完走できれば、周りの人からその挑戦や努力に対して高く評価されるようになる。我々は人から高く評価されたいという気持ちが強いわけですが、一発逆転ホームランよりも、コツコツとヒットを積み重ねるという方法でその目的を達成したいものだ。習慣づけられた日々の生活に真剣に取り組む中で、日々新たな気づきや発見がある。そういう生活の中に人間本来の楽しみや生き方のコツがあるように思えてならない。
2021.08.09
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奥村幸治さんのお話です。私は現在、「宝塚ボーイズ」という中学硬式野球チームの監督をしています。そこで子どもたちに野球を教えていますが、最初によい習慣を身につけさせるには、監督やコーチ、親などから「やらされる」という外部環境も必要だと思います。たとえばチームに入ったばかりの中学1年生に「自分の目標を持って練習をやりなさい」と教えてもできません。そこで、キャッチボールのときはこういうことを考えながらやろう」とか「道具を大事にしよう」といった具体的な話をしながら習慣づけをしていきます。すると初めは監督やコーチに「やらされる」だったことが、どこかで主体的に自ら「やっている」ことに変わっていきます。イチロー選手も小さい頃はお父さんに毎日バッティングセンターに連れて行かれていました。お父さんとキャッチボールをするのは純粋に楽しめていたかもしれませんが、毎日バッティングセンターに行くのは大変です。今日は行きたくない。つらい時期もあると思うのです。けれど、それを続けているうちに、「自分のなかに目標を作る」という意識づけができるようになったのではないかと私は思います。「やらされる」を「やっている」に変えると、目的意識ができて練習に張りが出てきます。(一流の習慣術 奥村幸治 ソフトバンク新書 40ページより引用)仕事でも、学校や資格試験の勉強でも、最初から面白くてたまらないという人はいません。むしろ、取り掛かる前は億劫で、やらないで済むことなら、やらない方を選択したいと思いがちです。それが正直な気持ちです。でも、それに流されると、次の展開は望めません。気分本位で逃避的態度を選択することは、人間の本来性に背くことなります。ですからイヤイヤ仕方なしでも行動を起こすことがとても大切になります。そうはいっても、「楽したい。エネルギーを消費しないで休みたい。人が見ていなければさぼりたい」という気持ちの誘惑にまけて、堕落の道に真っ逆さまというのが実態です。そういう人を見つけると、首に縄を巻いてでも、オアシスまで連れて行くという人がいるということは、将来的に見るととてもありがたいことです。奥村さんは、とりかかる前は、本人がどんな気持ちだろうが関係がない。とにかく無理やりにでも、行動のきっかけを作っていく。その先はどうなるか分からない。イチロー選手のように、興味や関心を高めて、目標を持って主体的に行動してくれるようになることは理想ですが、そうならないこともある。その方が多いかも知れない。そういう場合は、別のことを考えて刺激を与えるようにする。ここで大切なことは、「やらされている」という気持ちが、いったん手をつける事で、好奇心が刺激されたり、疑問や関心や興味が生まれてくるということです。そうすれば、つぎに課題や目標が生まれてきます。つまりいつの間にか主体的な行動に変化しているのです。課題や目標、夢や希望に向かって、努力精進するというレールに乗るかどうかは、その人の人生が活性化するかどうかの分岐点になっるということです。子供を持っている親は、無理やりにでも多くの経験をさせて、きっかけづくりをする必要があります。集談会では、自分の日常生活や趣味などを開示して、刺激を与えることが大切です。相手が刺激を受けて自分でも取り組んでみようと思ってくれればよいのだと思います。それが20人、30人に一人でも刺激を与えることができたとすれば、大成功という気持ちで取り組むことです。
2021.08.01
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奥村幸治さんのお話です。イチロー選手のルーティンへのこだわりは有名です。オリックス時代も、イチロー選手のウォーミングアップは、まるで録画したビデオを見ているように毎回同じでした。同じリズムでアップをして、バッティング練習でもレフト、センター、ライトと順番に打って終了します。試合中の行動も細部までルーティン化されています。ベンチはグランドから一段低くなっているので、打順が回って来てネクストバッターズサークルに出るところには少し階段があります。イチロー選手は前の打席でヒットを打ったときは右足から、打てなかったときは左足から上がります。さすがにうっかり間違うこともあるらしいのですが、そのときは一度ベンチに下りてもう一度やり直すそうです。ルーティンには「ゲンを担ぐ」という意味もあるのだそうです。バッターボックスに入るときは、バットを両手で持って上にあげ、屈伸で股関節をストレッチしてから、ゴルフのスイングのように下から上に振り上げる素振りを行います。そしてバッターボックスに立ったら、左足の軸足を定めてから、右手で持ったバットをピッチャーに向けて伸ばし、立てたバットを制止させて、左手でユニフォームの肩のあたりをまくりあげます。奥村さんはイチロー選手の専属のバッティングピッチャーでした。あるとき、6人のバッティングピッチャーのローテーションが乱れたときがありました。ルーティンが崩れることを嫌ったイチロー選手から、元に戻してもらえるように懇願されたこともあったそうです。それをコーチに伝えて元に戻したこともありました。球場入りする前は、奥さんが作ってくれたカレーを食べる。3時間前には球場入りをする。入念に専用の器具を使ってストレッチをおこなう。これらも毎回同じでした。(一流の習慣術 奥村幸治 ソフトバンク新書参照)ルーティンを守るというのは、毎日同じ時間に同じことを行うということです。規則正しい生活を繰り返すということです。これでは、何かに束縛されるようで息苦しい。刺激がないので、マンネリ化してくる。変化を加えて、刺激を与えて、意欲を引き出した方がよい。このように考えて、決まりきった規則正しい生活に注意を払わない人がほとんどです。イチロー選手は、次のように言っています。ヒットを打つという結果にこだわると心が乱れます。「自分がいま何をやるか」という過程だけに集中し、最終的に結果がついてくればいいというスタンスです。これは、今現在の目の前のことに手を出していないと、いつの間にか大脳の前頭前野が働きだすということだと思います。前頭前野が動き出すと取り越し苦労をするようになります。それがプレッシャーとなり、もしミスや失敗をしたらどうしようという気持ちになるのです。予期不安がなければ、問題なくできる事でも、ミスや失敗をおびき寄せてしまうのです。特にスポーツ選手、格闘家、音楽家、舞踊家、勝負師などは、無意識の演技や行動ができるかどうかが成功のカギを握っているのです。それをゾーンに入るという人もいます。そのためには目の前のなすべきことをルーティン化して淡々と手足を動かすことが大切になるのです。森田では規則正しい生活を維持することを大事にしています。それは目の前のルーティンに取り組むことで、観念優先の生活態度が是正されます。行動することによって生活はどんどん前に進んでいきます。そして行動の中から、気づきや発見、興味や関心が生まれてくるのです。それがアイデア、目標、課題、夢、希望に結びついていくことは自然の流れです。考えてばかりで、手足が動いていなというのは、精神的にも、身体的にも悪循環のスパイラルにはまっていくのです。神経症の発生原因になっているのです。それと生活にはリズムがあります。リズムというのは強弱のことです。生活は緊張状態と弛緩状態を交互に繰り返しながら、バランスを維持しているのです。緊張状態ばかり、弛緩状態ばかりというのは、バランスが崩れているということです。バランスが崩れると、存在自体が許されなくなるというのが森田理論です。規則正しい生活を心掛けると次から次へと手掛けることが出てまいります。一つのことが完全にキリがつかないときでも、つぎに予定されている行動に移る必要があります。自分の都合ではなく、時間に対応して、流れに乗っていくことが優先されます。波に乗って毎日の生活を維持していくことは、観念優先の生活からは離れていくことになります。建設的、生産的、創造的な生活へと変化していくということになります。森田理論が目指している生活は、自然の流れにいかに上手に乗れるかを試されているのだと思います。
2021.07.28
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イチローのオリックス時代にバッティングピッチャーをしていた奥村幸治さんの話です。ニューヨーク・メッツのキャンプに参加させてもらった時のことです。メッツの何人かの選手に「メジャーで活躍するために必要なものはなんですか?」と質問しました。すると答えはすべて同じでした。「誰よりも強い体がないと年間160試合は戦えない。そのためには誰よりも練習をしなくてはならないし、身体のケアも必要だ」ここまでは私の予想通りです。しかし次に挙げたメジャーリーガーの条件は、想像もしないものでした。彼らは「運」だと言ったのです。驚いて私が、「運なんてどうやってつかめばいいの?」と尋ねると、「そんなの簡単だよ。当たり前のことを、真面目にやるだけさ」と選手たちは口を揃えました。運は自然とそういう人間に向いてくる。メジャーリーガーは心技体がバランスよく鍛えられていないと、年間160試合は戦えない。一つでも問題があると成績が下降して、3Aに落とされる。心技体のバランスを維持することは、まさに熾烈な生存競争を生き抜くための必要条件となる。ただし、いくら心技体が高度に鍛えられていても、運がなければ試合で使ってもらえない。運というのは厄介な代物です。運というのは、監督やコーチからチャンスをもらうことです。チャンスは監督やコーチがその選手の特徴を把握していて、この場面ではこの選手が最適であると判断したときに突然訪れます。そういう意味では、チャンスが巡ってくるかどうかは常に受け身なのです。自分から「チャンスを下さい」と言ってもプロ集団である以上、自分より適任者がいる場合はその人にチャンスが巡ってきます。そんな中でチャンスをものにするためにはどうすればよいか。自分の得意技を磨き上げて、他の追随を許さないところにまで高めていくことに尽きると思います。普段の努力でこれだけはというものを作り上げておくことです。なんでもよい。球を遠くに飛ばす。正確なスローイング。コントロール。多彩な変化球を投げる。スピードボールを投げる。バントがうまい。足が速い。ピッチャーの癖を見抜く力がある。ケガに強い。守備範囲が広い。守備が上手い。大声が出せる。チームを鼓舞する力がある。そういうものができたら、監督やコーチにアピールすることが必要になります。すると、いつか突然降ってわいたように、ツキが回ってくるのです。運の女神が微笑んでくるのです。運がついても必ずしも成果が上がるわけではありませんが、運が回ってこなければ次の飛躍はないわけです。また一つでも運を味方につける経験は、つぎに活きてきます。神経質者でいえば、神経質性格をとことん活かしきることで、突然チャンスはめぐってくると信じて、努力を怠らないことです。
2021.07.27
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観念優先の態度を事実優先の生活に切り替えるために!その5、物の性を尽くすことに専念する。これはそのものの持っている潜在的な価値を見つけて、命が尽きるまでとことん活用していく方向を目指していくことを言います。形外先生言行録に片岡武雄さんが次のような話を紹介されている。縁の下をもぐって掃除していたら、汚い古下駄が1個出てきたので、井戸のような深い穴(塵を捨てる穴)へ持って行って、ポイと投げ入れた。その途端書斎にいられた先生に、ちらりと見られてしまった。「今何を捨てたのか」「はい、下駄を捨てました」「燃えないか」「はい、燃えます」早々に梯子を持ってきて、穴にはいり、拾い出してきた。下駄としては寿命は終わっている。でもまだ燃料として、活躍できる道が残されていると森田先生は言いたいのであろう。その道を全うさせてあげることが、下駄にとっては生き尽くすことにつながる。生きとし生けるものは、最後まで役に立つ生き方をしたいのである。田原あやさんは森田先生が亡くなるまで近くで接しておられた方です。物の性を尽くし、100円のものは1000円に、1000円のものは10000円に、というように、その物よりもっともっと高く活かして使いなさいと言われました。「綾子たちは、1000円の物は100円に、100円の物は10円にしてしまう。もったいなくてやる気にもならない」とよくいわれました。新聞に入ってくる広告でも一度見て裏の白いのはメモにして、他はまるめて焚付けて、正馬先生のご飯を炊いていました。薪は火が強いので難しくなりますけれども、紙で焚くとふんわりとよくでき上がります。先生は薪で焚いたか紙で焚いたかすぐわかっていました。捨てる時は灰になって肥料、それで尽くしきったものです。なんでも捨てるということは一番最後にする。どんなものでも何かの役に立つので捨てることは最後としていました。物の性を尽くすことは、己の性を尽くす、他人の性を尽くす、時間の性を尽くす、お金の性を尽くすことにもつながります。他人から、自分の存在価値を見出され、活用場所を与えられ、さらに行動したことに対して、最大限の賛辞を与えられることは、生きがいを持ち幸せな人生を送ることにつながります。自分としては、ネガティブで悲観的な自己内省に向かうことなく、意識や注意が前向きに、外向きに広がってきますので、神経症とは無縁になります。以上の5点に対して、絶えず意識して、取り組むことで、「かくあるべし」の態度から、事実優先の生活へと転換することが可能となります。これらに取り組むことで、精神的な葛藤や苦悩と決別し、生の欲望に向かって努力する人間本来の生き方に立ち戻ることが可能となるのです。
2021.07.17
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