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生活の発見誌の6月号より三重野悌次郎氏のお話です。戦後の教育などは、子どもに納得させようというようなところがあって、近頃の子どもは自分が納得できないことはしないーー納得できないことはしないというのは、非常に自主性があっていいことだというような思想がありますが、これは大変な間違いだと思います。自分の納得できることだけするのでは、いつまでも進歩はないわけです。三重野氏は納得できないことでもしなければいけないと言われています。今日はこの問題を取り上げてみたいと思います。納得できることは、ある程度勝算が立つものが多い。自分なりにシナリオ通りに事が運ぶことを確信していることが多い。これは過去の成功体験に裏打ちされているのではないでしょうか。しかし現実はかならずしもシナリオ通りにならないことがあります。もし逆の結果が出た場合は、計り知れないショックを受けます。反対に納得してはいないが、生活のため、リスク回避のために敢えて行動しなければならないことも多い。この場合は、最初はイヤイヤ仕方なく取り掛かることになります。ダメでもともと、うまくいけば儲けものという気持ちではないでしょうか。取り組んでいるうちに弾みがついて、どんどん意欲的になってくる場合があります。最初はあまり期待していなかった成果がもたらされると望外の喜びとなります。私達神経質者は、少しでも不安が残るものは大事をとって挑戦しようとしない。リスクを犯した冒険を嫌がる。現状維持に甘んじてしまうことが多い。確実に見返りが期待できるものだけを選り好みしています。エネルギーの無駄使いは絶対に避けたい。ミスや失敗は、たとえ小さいものでも受け入れることはできない。神経質者は納得できないものは、最初からしり込みすることが多くなります。私も長らくこの考え方でやってきたのですが、今思うと完全に間違っていたと思います。私は大学を卒業して訪問販売の仕事をしていました。その時見込み客を重視していました。つまり買ってくれるお客様と買ってくれないお客様を勝手に選別していたのです。10人の見込み客がいれば3人くらいの人が買ってくれると思っていました。そこで3人の人には営業をかけていましたが、その他の人はどうせ訪問しても時間の無駄になるだけだと思っていました。ダメなことが予想されることにエネルギーを投入するのは消耗するだけだと思っていました。そして実際には見込み客以外の人を訪問することはしませんでした。その結果どんなことが起きたかというと、見込み客は落とすことはできないと考えているので、対応がぎこちなくなるのです。緊張して、しどろもどろになりました。商談に失敗するのです。また有力な見込み客思って訪問しても、あっさりと断られることが多々ありました。見込み客から断られると、立ち直れないような精神的ショックを受けました。仕事をする意欲が萎えてしまいました。そしてさぼることを覚えました。最後には、成績不良の営業マンになってしまいました。一方成績のよい営業マンはローラー作戦をとっていました。営業ノウハウよりも、数打てばノルマは果たせると気楽な気持ちなのです。できるだけ多くの人に接触することを重視していたのです。30人に営業をかけて、そのうち3人と成約できれば十分と考えて訪問販売の仕事に取り組んでいたのです。だから冷たい断わられ方をしてもほとんどダメージは受けません。断られる人を増やさないと、成約には結びつかないと考えているのです。こういうスタイルの営業マンはどんどん伸びていきました。私は中途退職しましたが、その人たちは定年まで残ることができたのです。その理由は、第一に断られても自尊心が傷つくことがありません。更に断られる経験を積み重ねることで、営業能力に磨きがかかります。セールステクニックが他の追随を許さないほど高められているのです。三重野悌次郎氏が言われているように、納得できなくても、やる気が出なくても、目的や目標に向かって手を出していくことはとても大事なことだと思います。森田理論に「努力即幸福」というのがありますが、成功するか失敗するかと気をもみながら、努力しているその過程が大切なのだと思います。仕事から逃げると、そのときは少しだけほっとします。しかしその後自己嫌悪、自己否定感で苦しむことになります。そのままでは苦しいので、酒やキャンブルなどで解消しようとするのです。どんどん悪循環のスパイラルにはまってしまうのです。
2023.07.20
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実践という言葉の「践」の右のつくりは「わずか」という意味があるそうです。「浅」というのはわずかな水深です。「銭」はわずかなお金のことです。「実践」という言葉は、わずかに自分の手足を使って実際に動いてみるということになります。考えてみると、仕事や日常生活は実践の連続ではないでしょうか。森田理論で「凡事徹底」に目覚めた人はこの方向に向かっているようです。反対にそれらにはできるだけ手を抜いて楽をすることを考える人もいます。余った時間でできるだけ生活を楽しむことを目指す。あるいはもっと価値のあること、クリエイティブなことを手掛ける。そして周りの人がアッと驚くような成果をあげて称賛を浴びる。生活面では料理、洗濯、掃除、整理整頓、修理や修繕、家計費の管理、親戚や近所との付き合いなどを親や配偶者や業者に丸投げしている。自分は会社勤めで生活費を稼ぐのが最大で唯一の仕事であると考えている。稼いだお金で煩雑でわずらわしいことを人に肩代わりしてもらう方がよほど効率的だ。仕事では大きな商談をまとめ上げて会社に貢献する。そして社長表彰の対象者になることを目指す。あるいは業務改善の責任者になって、事務の合理化や効率化を推進する。人のできないようなことを手掛けて成果を上げるのが本来の人間の進むべき道だ。だからめんどうで細かいわずらわしい仕事は他の人にやってもらう。一見効率的で理にかなった考え方のように見えます。こういう考え方になると、雑事、雑仕事などは、価値のない、とるに足らないつまらないものに見えてきます。それらは能力の劣る人がやることだとみなすようになります。私の体験では、この方法はザルで水を掬うようなことになると思います。仮に一時的にうまくいっても、どんどん水が抜け落ちてしまいます。例えば事務処理の仕事では、仕入伝票や売上伝票を取り扱います。それらを日付ごとメーカーごとにきちんとファイルする仕事があります。チェックが終わったのでもう用済みだと判断して段ボールの箱などにそのまま投げ入れていると、伝票の照合が必要な時に面倒なことになります。お目当ての伝票を探すのに時間がかかります。見つからないとイライラします。魚釣りの糸が絡まったような状態です。元に戻らないとあきらめてしまいます。こうして仕事全体が雑になっていくのです。そういう仕事ぶりの人は何かにつけて探し物をするのに時間がかかっています。精神的には何かに急き立てられるような感じになり、そのうち仕事をすることが苦痛になります。誰でも出来るような雑仕事に喜びや楽しみを持てる人は、基礎がしっかりしているので、その上に大きな建物を建てることができます。雑仕事を馬鹿にしている人は、砂上の楼閣を立てているようなことになります。そのうち基礎も立派な建物も崩れ去ってします。神経質性格の人の持ち味は細かいことによく気が付くことです。細かいことをきちんとメモして、次々に片づけていく能力に磨きをかけると、仕事が好循環するようになります。あの人にまかせておくと間違いないという評価を得ると自分の居場所ができます。足場をきちんと固めて、余裕があればもう少し大きな目標に向かう方が賢明だと思います。
2023.06.27
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生活の発見誌の5月号に三重野悌次郎氏の記事があった。それによると三重野氏の自戒の言葉は、「小苦を回避して大苦を生じ、大楽を追及して小楽を失う」であるという。ここで小苦というのは、日常茶飯事の雑事や雑仕事のことを指している。三重野悌次郎氏は雑事をおろそかにして人生はないと言われています。雑事の代表は家事です。炊事、洗濯、掃除、整理など家事は雑事の集大成です。集談会で、ときどき家事手伝いの若い女性の悩みを聞きます「こんなつまらないことばかりしていると肩身が狭い。社会へ出て働きたい」私は女性が、社会に出て働くことに反対ではありません。だが、家事を「こんなつまらないこと」という考え方には反対です。家事は我々の本来の欲望達成のために欠かせない仕事です。この大事な家事をつまらないという人は、社会に出て働いても、そこもまた、雑事の連続であることを見て、またつまらないと言うでしょう。どんな仕事も雑事の積み重ねです。その雑事に真剣に取り組めば、必ず興味が湧いてきます。森田博士のいうお使い根性で働けば、すべてがつまらないのです。ともあれ雑事に喜びを見出す人は幸せな人です。(森田理論という人間学 三重野悌次郎 白揚社 83ページ)大楽というのは、ドーパミンが大量に出るような刺激的、享楽的、本能的な快楽を求め続ける生活のことではないでしょうか。ちなみに田舎の住職さんによると、貪欲に欲望を満たそうとする態度のことを「餓鬼」(がき)というそうです。めくるめく快感を果てしなく追い求めていくようになりますと、一時的には幸福感に満たされます。カンフル剤的な効果はあります。しかしすぐにエネルギー切れの状態になり効果がなくなります。そこで急いで次の刺激、快楽を用意する必要が出てきます。しかし同じ程度の刺激では、以前のような強い快感は得られなくなます。そのためにさらに強力な刺激や快楽を注入する必要があります。イタチごっこになります。薬物療法でいえば薬の量と種類が増えていくようなものです。薬は基本的には毒ですから、どんな薬にも副作用があります。特に長期間の服用による副作用は目も当てられなくなります。さらにその効果が切れた時に、イライラするようになります。いてもたってもいられない精神状態に追い込まれます。これは薬が切れた時の離脱症状に似ています。刺激的な快楽を追い求めていると、そのうち欲望が暴走するようになります。欲望が独り歩きを始めて、制御不能に陥るのです。求めても、求めても満たされない欲望に振り回されるようになります。精神的に不安定になります。お金と時間の無駄使いも起きます。いつの間にか小さな楽しみや喜びは味わうことができなくなります。最終的に生きることはつらいことだという考えが湧き上がってきます。生きていても砂を噛むような味気なさを味わうようになる。刺激や快楽を追い求めるよりも、凡事徹底の生活の中で、小さな楽しみや喜びを味わうような生活習慣を作り上げることが大切になると思います。
2023.06.25
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西田文郎氏のお話です。人間を意欲的にさせるきっかけは5つあるそうです。1、何かに不満や反発を感じること。2、願望や欲求を持つこと。3、好きなことや得意なことを持つこと。4、負けず嫌いであること。5、感謝や使命感を持つこと。(かもの法則 西田文郎 現代書林 66ページ参照)集談会ではうつ状態で何もやる気が起きないという話をよく聞きます。そういう方は無気力、無関心、無感動な日々を送ることになります。そういう方はこれを参考にして過去を振り返ってみるのは如何でしょうか。だれでも情熱的な時期、意欲的に行動していた時期があったはずです。それを取り戻して、これからの人生に活かしていくことはできないものでしょうか。1は自分の理想と現実が乖離している場合、何とか現実を理想に近づけたいという気持ちになります。理想が持てなくなり、現状維持で十分と思うようになると意欲は出てきません。ただしこれは下から上を目指す時は有効ですが、理想から現実を非難・否定するようになると葛藤や苦悩を抱えてしまいます。神経症に陥る原因になります。この傾向が強い人は森田理論学習が役立ちます。2は課題や目標を持っている人は意欲的になります。課題や目標が持てないと、ただ延命を図っているだけということになります。人間は目の前の対象物に働きかけて新しいものを創造するという宿命を負っています。森田では人を意欲的にするためには、目の前の事実をよく見つめる。すると何らかの気づきや発見が生まれる。次第に感情が動き出し流れてゆきます。これが積極的、意欲的な行動につながると説明されています。3は好奇心、興味や関心が持てると意欲的になります。小さな成功体験の積み重ねは、プラス思考の人間を作り上げてくれます。高良武久先生は、10年くらいかけて自分の専門分野を極めていくことが大事だと言われています。小さな自信が次の目標を生み出して、次第にステップアップしていきます。4、神経質者は負けず嫌いな性格特徴を持っていると言われます。これをプラスに活かすことができると、意欲的になれます。ライバルを目標にして、追いつき追い越せと努力することはやる気を育てます。ライバル同士で切磋琢磨すればお互いに人生の醍醐味を味わうことができます。5、人の役に立つこと、人の為になることをする。そして感謝・感動の気持を持ち続けることは最高の生き方になります。自分の辛い神経症経験を後世の人の為に活かすことを考えて実行すれば、大きな社会貢献につながります。
2023.06.23
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生活の発見誌6月号に森田理論を様々に応用している人の記事がありました。その方は教師で教育に応用しているということでした。一つの例ですが、運動会の徒競走のときのことです。知的障害のある1年生の一人の女子は、担任の先生たちが横で励ましても、スタート地点から走ろうとしませんでした。学年主任だった私は、その子の前の方から、その子の名前を大声で呼んで、近づきました。すると、その子は私の方に向かって、走りだしました。私はその子の少し前を走ってゴールに向かいました。すると、その子は、私を追いかけて、ゴールできました。これは、目の前の目的を示すという森田の教育への応用の成果と思っています。(同書 66ページ)井戸水を汲み上げる時、呼び水を入れると水をスムーズに汲み上げることができます。この先生の行動は呼び水の役割を果しています。上杉鷹山は、「してみせて、言ってきかせて、させてみる」と言っています。さらに、山本五十六は、「やってみせ、言って聞かせて させてみて、誉めてやらねば人は動かじ」という言葉を残している。これが3点セットとして作動することで、梃子でも動かなかった人が、行動に踏み出すことができたとすれば、試してみる価値があるように思います。森田は、日常生活のなかで、小さな課題や目標を目指して、小さな喜びや達成感を数多く味わうことをお勧めしています。学校教育のなかで実際に子どもたちに働きかけて、成果をあげられたということは実に素晴らしいことです。わが家のベランダ
2023.06.03
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高良武久先生のお話です。昔、僕が若いころ、森田先生が1週間ぐらい温泉に行かれた。で、帰られたときに、僕が「1週間も温泉に行っていたら退屈するでしょうね」と言ったら、「僕は退屈するなんてことは全然ない」と言われるんだね。何かやるんだな、やっぱり。そのへんを歩きまわったり、いろいろなものを観察したり、書きものをしたり、活動的な人っていうのは、何か外界のものごとに関心を持つことが多いから、退屈する暇がないというんだね。自分の状態ばっかり観察している人間は、非常に空虚になりますよ。外界のものごとに触れて、そして、それに手をかけていくという生活態度になれば、非常にはつらつとしてくるんだね。私たちの精神というものは、ものごとに接触して、はじめてはつらつとしてくるんだから、一人じっとして、ただ自分の反省ばかりしていると空虚になりますね。いつも外界のものに心を向けて、そしてそれに関心をもって働きかけていくというような生活態度になれば、内向的な神経質的なとらわれから、自然に解放されていくんだね。(生活の発見誌 2023年4月号 7ページ)外界のものに心を向けるために、規則正しい生活習慣を作り上げることが大切だと思います。毎日のルーティンを確立することです。同じ時間に同じことをするという習慣をつくる。気が向いたときに気が向いたことをするというのは、あまりお勧めできません。私は30分おきに次々と取り組むことを変えていくのがよいと聞きました。これは「休息は仕事の中止ではなく、仕事の転換にある」の応用です。まず朝起きる時間を同じにする。そして就寝の時間も一定にする。これは休みの日も一緒にすることです。それから毎日の生活の軸になるものを作る。多くの人は仕事になるでしょう。あるいは家事の人もいるでしょう。子育ての人もいるでしょう。またボランティア、趣味の活動という人もいるかもしれません。毎日のコアになる活動が決まらないと、精神的には不安定になります。その間にもやるべきルーティンワークは様々あります。それを同じ時間に組み込んで自分の生活スタイルを作るのです。そういう習慣が出来上がると、自然に体が動いていくようになります。これはリズム運動と同じということになります。前頭前野を休ませて、手足を動かすことが多くなれば、心身とも健康体になれます。これをせわしないとみるのか、心を外向きにするコツの一つと思うのかは大きな違いです。山口県岩国市吉香公園
2023.05.30
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鍵山秀三郎氏のお話です。鍵山氏は、掃除をしている時は無心になれると言われています。掃除はすべて手を使います。便器も素手で洗います。手で感じる感性を大切にしているからです。手で感じたことは頭にも心にも響きます。自らの至らない人間性を少しでも向上させるためには、手で感じないと駄目なのです。目は臆病ですが、手は勇気があります。たとえば、トイレを目で見ると、汚いな、嫌だなと思います。でも、手で触れてみると、手は本当に勇気がある。小さな汚れや髪の毛1本でも指先で感じ取って、きれいにしようとします。結局、それは問題の本質に近づくということでもあるのです。大事なのは、目の前の問題から逃げるのではなく、できるだけ近づいて対応することです。(二度とない人生を生きるために 鍵山秀三郎 PHP 75ページ)実際に掃除を始めると、気になるところが次々にでてきます。鍵山氏は掃除の効用の一つは、「気づく人」になれることだと言われています。損得に気づく人は多いのですが、そうではなくて、今何が大事か、どうしたら人が喜ぶのかということに気づいて行動できる人になるのです。森田先生は行動する時は「なりきる」ことが大切だと言われています。わしは、風呂を炊く時には、風呂焚きになりきる。どうしたら、ゴミの整理がうまく出来るか、どうしたら少ない燃料で、もっとも早く風呂をわかすことができるか、真剣に研究し、工夫する。風呂を炊く時には風呂焚きになり切り、将棋をさすときには将棋さしになり切る。つまり、何をやっても自分の全力を尽くすのだ。そこには価値批判はなく、風呂炊きも診察と同じように興味があり、張り合いがある。これがもし、下手な価値批判にとらわれ、風呂を炊くより原稿を書いた方が得だ、原稿を書くより診察のほうがもうかる。診察より病院の経営をやった方が利益が多い、という工夫に損得ばかりを基準にして考えていくと、しまいには何もすることがなくななって、手をこまねいているか、あるいは詐欺をやった方が金儲けの早道だ、というようなことにもなりかねない。・・・風呂炊きでも飯炊きでも何でもよい。価値批判を抜きにして、とにかく気軽に手をつけさえすれば、いつの間にか興味が出て来て、研究と工夫を重ね、仕事はそれからそれへと発展して、社会に役立つ働きができるようなものだ。(生活の発見誌 1970年(昭和45年)5月号 9ページ)圓鍔勝三彫刻美術館(広島県尾道市)
2023.05.24
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私は毎日マンションで掃除をしているのですが、指導員からこんな話を聞きました。人が見ていなくても、また汚れが目立たなくても、毎日同じ時間帯に、同じ場所を心を込めて取り組むのが掃除の基本です。心を込めて取り組んでいると、その人の人格が磨かれることになります。掃除が行き届き、身なりがきちんとしている人には、相手もそれなりに対応してくれます。他人から指摘される、あるいは汚れを確認して、これ以上放置できないなというときに始めるのは掃除ではありません。それを言葉で表現すれば「手抜き」です。「手抜き」仕事は、周りの人を不快にさせるだけでなく、やっている本人も面白くありません。この話を基にして凡事徹底について考えてみました。規則正しい生活は、生活にリズムが生まれます。生活のリズムに沿って生活していると、頭を酷使することがなくなります。特に神経質者は時間的な余裕が生まれると、悲観的なことばかり考える傾向がありますので、それを防止することができます。掃除に丁寧に取り組んでいると、他の気になるところが次々に見つかります。それをメモして、自分の課題として取り上げると生きがいになります。改善点を工夫するようになると頭の回転がよくなります。掃除は体を使います。まずよく歩くようになります。階段上りはとてもよい運動になります。足の筋肉が鍛えられます。毎日丁寧に掃除をしていると、周りの人から評価されるようになります。そしてねぎらいの温かい言葉をかけてもらえるようになります。思いやりのある温かい人間関係はとても気持ちがいいものです。掃除以外で毎日取り組むことに料理、洗濯、整理整頓、身だしなみを整えることなどがあります。ペットや観葉植物の世話をすること等があります。これらにも手抜きをしないで、丁寧に取り組むことが、神経症を防止してくれることになります。キーワードとして「凡事徹底」を心がけるということになります。バナナのたたき売り
2023.05.23
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なにもやる気が起きないことは誰にも起こります。私たちの場合は、「失敗したらどうしょう」という考えに振り回されて行動することを躊躇してしまいます。最初はイヤイヤ仕方なく取り組んでいるうちに弾みがついてくるということを軽視する傾向があります。また、やり始めたとしても、途中で解決困難な問題が立ちふさがってくると、すぐに退散してしまうこともあります。森田先生は行動する時、気分に振り回されてはいけないと言われています。イヤだ、面倒だ、わずらわしい、不安だ、気が重いといった感情に振り回されてしまうことです。そういう気持ちが湧き上がってくるのは仕方ありませんが、当然なすべき行動を回避するのは考えものということになります。たとえば、富士山の強力をしているようなものは、平常は百姓などをしていて夏は強力になる。毎年初めて登るときは強力でもやはり普通の人間であるから人並みに足も痛む。翌日はなはだしいときは、便所でかがむことができないほど股やふくらはぎが痛いそうです。そこで2~3日ほど休めば回復するそうですが、それでは仕事にならない。仕方がないので痛いのを我慢して、足を引きずるようにして、しいて登山を続ける。そうすると1週間も経たずに、いつとはなしに足の痛みもなくなり、夏中ずっとその仕事を続けていくことができるそうです。(森田全集 第5巻 566ページ)どうしてもやる気が出ない時にどうすればよいのか。そのヒントを矢野惣一氏の本の中から見つけました。動物が行動を起こすときの動機付けは2つほどあります。1、苦しみから逃れたい。2、もっと気持ちよくなりたい。これを活用することで気分本位に流されることを抑制できます。たとえば、月曜日になって会社に行く気が湧いてこない時にどう対応するか。まず仮病を使って有休をとった場合のデメリットを考えてみる。しばらくはほっとするが、そのうち罪悪感が出てくる。暇な時間を持てますようになる。他の人に迷惑をかけることになる。次の日みんなエンジン全開で仕事をしているのに、自分は慣らし運転から入らなくてはいけなくなる。次に仕事に行くことのメリットを考える。仕事をすることで生活費を稼ぐことができる。身体を動かせば運動にもなるし体を鍛えることができる。晩酌のビールをおいしく飲める。孤立することなく、人と付き合う機会が持てる。自分の居場所や活躍の場が確保できる。丁寧な仕事を心がけていると人から感謝されることがある。相反する2つの気持を分析して、できるだけ正しい行動を選択するというのは如何でしょうか。
2023.05.22
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田原綾さんのお話です。先生は、何にでも興味を示されましたが、手品にも大変関心を持たれ、盛んにご自分でも研究をなさいました。近くにお祭りなどがあって、手品をやっているのを、自分で見て来て、帰って来てから私達に、「タネを見てこい」と言ってお金を下さるのです。行って来て、タネを報告しますと、「やっぱり自分の思っていた通りだった。それ見よ!」と大変な喜びようでした。ある時は、露店で手品をやっているのをそっと見ていて、「種を明かしたら、その道具を全部くれるね」と約束させ、本当に種を明かして、その道具を全部もらって、さっさと帰って来てしまいました。ちょっと常識はずれの、そのような行動をよくなさいましたので、私たちはハラハラしたり、また、恥ずかしいのでご一緒するのを・嫌がったりいたしました。(生活の発見誌 1968年(昭和43年)12月号 69ページ)私は一時森田理論学習に飽きてしまったことがあります。その頃森田先生の「鶯の綱渡り」という宴会芸の話を知り、「そうだ、みんなが喜んでくれる宴会芸を身に着けよう」と思いました。手品、チンドン屋、アルトサックス、ドジョウ掬い、高知のしば天踊り、浪曲奇術、アナウンサーの口上、腹話術、傘踊り、カラオケなどに取り組みました。今では毎日の生活の一部になり、忘れないように毎日練習に励んでいます。生活に張りや楽しみが生まれました。市には一人一芸を持っていて、ボランティアで余興を披露しているグループがあります。私たちのチンドン屋の活動はそこを通しています。私はそういう活動をしている人たちとの交流の輪が広がりました。私にとっては貴重な人間関係です。今はしつこい対人恐怖症を持ったままで、毎日楽しく愉快に過ごしています。神経症を治すために、興味や関心のあるものに取り組んでみるという方法もあるということだと思います。
2023.05.08
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今日は2009年(平成21年)10月号の生活の発見誌の記事からその一部をご紹介します。この記事を読むと、日常生活の創意工夫が無上の喜びをもたらしていることが分かります。わが家の庭には、子猫のヒタイほどの畑がある。何も手を加えないので、ひどく痩せた土地になってしまい、野菜のできが悪かった。ある時、草を取っていて「この取った草を干して畑に入れれば、肥料になるのではないか」と思い、やってみた。それまでは、袋詰めにし、ゴミとして出していた。やがて次から次へと考えが発展して、庭木の剪定した小枝も、葉っぱと枝を分別して、葉っぱは干して畑に、小枝だけはゴミ出ししていた。そのうち、小枝もよく乾燥させ燃やし、その灰が土壌改良になった。いつの間にか、庭のゴミがすべて資源になり、捨てる物がなくなった。それだけではない。妻も米のとぎ汁を花鉢や果樹、野菜にやってくれ、毎日出る生ごみも分別して、畑に埋められる物を、私に渡してくれる。貝殻、卵の殻は砕いて、野菜のクズなどはそのまま埋める。畑には、ミミズやら小さな虫たちが多く住むようになり、その排泄物も肥料になっているのであろう。野菜が良くできるようになった。おもしろいのは、埋めた生ゴミから、カボチャの種やジャガイモの皮から芽が出て、それからも収穫がある。ジャガイモは少し小ぶりだけど、収穫してすぐにふかして食べる。あてにしていた物でないだけに、特別に美味しい。今、隔週ひとり暮らし(奥さんは実家の親の介護に隔週で出かけている)をするようになって思うことは、以前から、風呂の掃除、作業着の洗濯、昼食後の食器洗い、玄関の掃除、月二回の料理をしていたので、自分では家事手伝いを、よくやっていると思っていて、大きな顔をしていたが、実に恥ずかしい限りであった。これまで家事全般を妻にまかせっきりで、よく見ていなかったが、毎日の生活は実にやることが多く、妻のありがたさが、身にしみてわかった。今はまだひとり分の、最低限の家事だけではあるが、掃除のときに気づいた、手の懸かる器具等の手入れなどを、少しずつやるようにしている。もちろん何事も全力で。
2023.05.06
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自分の持っているものを有効活用するためには定期的な棚卸作業が大切だと思う。私たちは森田で「物の性を尽くす」ことを学んでいます。そのものの存在価値を見つけて居場所や活躍の場を提供することである。この考え方を活用していくためには、定期的な棚卸作業がとても重要な意味を持っています。自分の持っているものにはどんなものがあるか。衣類、鞄、靴、携帯、書籍、電化製品、各種取扱説明書、重要保管文書類、写真、DVD、MD、カセット、通帳、財産、道具類、生活必需品、小物など様々あります。これ等を定期的に棚卸するメリット。・掃除ができる。・整理整頓できる。・こんなものを持っていたのかという宝さがしができる。・改めて活用方法を見直すことができる。・新たな居場所や活用の場を見つけられる。・不用品が処分できる。・バザーに出すと有効活用につながる。・欲しい人にあげると喜ばれる。全部を一挙にやろうとすると疲れます。範囲を決めて定期的に継続することが肝心です。1ヶ月に1つか2つの分野に取り組んでいくというのはどうでしょうか。ボツボツ始めると、弾みがついてそのうち時間を忘れてしまいます。私もこの連休は本や写真や書類の棚卸作業に取り組みたいと思っています。
2023.05.02
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人生には成功と失敗があるのではなく、成功と成長があるだけである。手掛けたことが目標通りにいかない場合、それを失敗と捉えるのか、成功への足掛かりと捉えるのかは大きな違いです。成功への足がかりと捉えると、失敗は貴重な経験であり、成功へ近づくために、失敗はつきものであり、好ましいものということになります。こういう発想ができる人の前途は明るいものになります。エジソンはいつもそういうとらえ方をしていました。エジソンは電球のフィラメントの素材に関する失敗を5000回近く積み重ねたそうです。失敗するたびに、「電球に向かない素材がまた一つ見つかった」と喜んでいたという。「成功とは縁のないやり方がまた一つ見つかった。別の素材を試してみよう」と成功に向けてさらに闘志を燃やしていったという。最後には日本の竹という素材にたどりついて成功することができた。反対に失敗と捉えると後悔と自己否定で苦しむことになります。イソップ物語に葡萄と狐の話があります。ある日狐が道端でたわわに実った葡萄を見つけた。早速飛び上がって取ろうとしたが、何回トライしても手が届かない。手にすることができないと思った狐は次のように自分を欺いた。あの葡萄はきっと酸っぱくてまずいいに違いない。もともと自分は葡萄なんか食べたいと思っていなかった。そして葡萄を獲る能力のない自分を卑下した。こんな自分を生んだ親を憎んだ。さらに発展して、葡萄を欲しがらない狐になろうと考えた。葡萄をすぐに手に入れられる超能力を得たいと空想するようになりました。この狐は葡萄を獲ることができないという自分に対して反抗的な態度になっています。このもどかしい事実を一つの失敗の経験として受け止めることができたらどうなるでしょうか。すると次の新たなステップにつながってきます。・葡萄を獲るために脚立か梯子のようなものを探す。・葡萄を叩き落す棒のようなものを探す。・仲間の智恵を借りる。・仲間の応援を要請する。自分の立てた目標に到達しないときに、それを失敗と捉えると、事態はどんどん悪化し、益々みじめになります。目標に到達するまでに、多くの失敗を積み重ねていくことは、貴重な経験の積み重ねとなり、自分の財産となります。失敗の経験のない人はとても危なくて見てられないということになります。失敗しないで成功だけを手にしたいというのはあまりにも虫がよすぎるのではないでしょうか。集談会で人生は3000回の失敗を重ねて立派な大人へと成長していくと聞きました。そういう意味では、失敗や挫折が予想されるときに、逃げ回ってしまうと、身体は大きくなっても、精神状態は子どものままで大人になってしまうことになります。
2023.04.27
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宇野千代さんの言葉です。頭で考えるだけのことは、何もしないのと同じことである。私たちは頭で考えるのではなく、手で考えるのである。手を動かすことによって、考えるのである。手を素早く動かすことが、そのまま、頭を素早く動かすことになる。どんなことをするのでも、先ず頭が、その、することを伝達する。その伝達が、間、髪を入れないほど、素早いのは、手が、頭の伝達を、神業のように素早く受け取るからである。私たちは、先ず、手を動かすのかと思うほど頭の伝達を素早く受け取る。頭の動きというものは省略されているのかと思うほど、手が、手だけが素早く動くのである。小説を書くのも、手が動くのである。どんな大傑作を書くのでも、手が動くのである。手が動かないものは何もない。私もときどき、頭の中だけで、大傑作を思いつくことがあるが、それは手が考えたのではないので、さて、書こうと思うと、何であったか、まるで思い出せない。(行動することが生きることである 宇野千代 海竜社 10ページ)私たちは不安、恐怖、違和感、不快感を持ったまま行動すると、ミスや失敗を誘発して取り返しがつかないと考えやすい。それが事実でないことは倉田百三氏が証明されています。倉田百三氏は、観照障害などの神経症で苦悩されました。その状態ではとても仕事にはならないと思っておられました。小説を書くことは神経症が治ってからにしようと思っておられました。森田先生は、神経症を持ったまま書きなさいと助言されました。倉田氏は森田先生の助言に従って仕方なく書くことにしました。その時にできた小説が「冬鶯」という作品です。あとから読んでみると非常によくできている。自分でもそれなりに納得できるし、森田先生も高く評価された。症状を持っていても、目の前の必要な日常茶飯事や仕事に手を出していくことが大事なことがよく分かります。手掛けたことが出鱈目になるというのは、思い込みや先入観や決めつけが強いだけで、事実ではないということになります。宇野千代さんの指摘されていることは、頭で考えているだけでは、次の展開は望むべくもない。行動することによって、次の展開が見えてくるということだと思います。
2023.04.03
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毎日の生活を楽しむ方法を考えてみました。1、規則正しい生活を続ける。同じ時間に同じことをするという習慣を作り上げるということです。そうすると気持ちが外向きになります。また生活にリズムが生まれてきます。30分おきにどんどん仕事の内容を変えていくようにすると相当なことができます。一日が終わって日記に書ききれないくらいの内容が出てきます。そんな単調な生活を繰り返していても何も楽しいことはないと思われる方もいらっしゃると思います。果たしてそうでしょうか。退職してエブリディサンデーと大喜びしていた人がこんなことを言っていました。退職して海釣り、ゴルフを中心に趣味三昧の生活を楽しむことにしました。3ヶ月くらいは気分が高揚して楽しかったそうです。しかしそれ以降は飽きてきたのか、急にむさしさを感じるようになりました。仕事の合間にやっていた時のほうが楽しかったというのです。2、好奇心を感じたこと。興味や関心のあることに取り組む。私はチンドン屋に属して老人ホームの慰問活動を続けてきました。よかったことはなんとかアルトサックスをふけるようになったこと。ドジョウ掬い、傘踊り、獅子舞、浪曲奇術などの一人一芸をものにできたこと。多くの慰問仲間と出会い、交際範囲が広がったこと。それと公民館活動に参加しています。男の料理教室などに参加しています。目標を持って取り組むことで、楽しい生活になります。3、家族を持つ。友人を持つ。仲間を持つ。世話をするものを持つ。私は生活の発見会活動を通じて貴重な人間関係を築いてきました。それとマンションの管理人の仕事をしていますので、いまだに仕事関係の人と交流があります。家族では昔は夫婦喧嘩をよくしていましたが、森田を学習して、妻への感謝の気持ちが持てるようになりました。それと孫がすくすくと大きくなるのを見て、とても楽しみになっています。家ではメダカを飼い、草花を育てています。実家では家庭菜園に取り組んでいます。趣味を通じての人間関係は大きく広がっています。カラオケや飲み会なども開いています。4、一人で楽しむことを見つける。本を読むこと。ブログを書くこと。you tubeプレミアムで広告なしの音楽を楽しむこと。サックスや一人一芸の練習をすること。録画したテレビ番組を見ること。一人カラオケをして録音して再生して楽しむ。ワインクラブに入っているのでワインや日本酒をたしなむこと。自分は何もしないで、他から与えられる刺激や感動を追い求めるよりも、自分で行動して小さな楽しみ、感動、喜びを数多く味わいたいという気持ちを持っていると、毎日の生活の中身が濃くなってくるように思います。
2023.03.27
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鍵山秀三郎氏のお話です。10年偉大なり、20年畏るべし、30年歴史なる。何ごともあきらめなければ、必ず報われる。(二度とない人生を生きるために PHP 39ページ)この言葉は、目標を持って挑戦している人にとって勇気が出る言葉です。鍵山氏は、掃除道を究めることで、自分磨きをされていました。掃除は難しいことではなく、誰でもやろうと思えばできることです。ただそれを愚直にていねいに継続してきただけです。東証一部の会社の社長さんが掃除、それもトイレ掃除に精魂を傾けてきたというのが好感が持てます。まさに「凡事徹底」です。この座右の銘は下村胡人の本から得たものだと言われている。生活の発見会のルーツをたどれば、下村胡人の煙仲間の社会運動にあることを考えると、実に感慨深い。10年経過したころ、同調する人、共感する人、賛同する人が現れた。20年経った頃、掃除の効用を訴えて全国を講演して回るようになった。30年経った頃、「日本を美しくする会」を発足して、全国展開するようになった。まさに掃除道を通じて歴史を作ってきた人です。アルトゥール・ショーペンハウアーは次のように言っている。①正しいことをやれば、最初は人から嘲笑される。②あえて愚直に取り組んでいると、激しい抵抗と反対を受ける。③①と②が過ぎると、そんなことは最初から分かっていたと、みんながやるようになる。(同書 42ページ)鍵山氏は掃除道に愚直に取り組んでいった人です。その道は決して平たんな道ではありませんでした。その歩みを振り返ってみると、山あり谷あり苦難の連続でした。最初は周囲の人は冷ややかに見ていた。そのうち嫌がらせを受けるようになった。社長がそんなことをしているから、我々社員は卑屈になる。掃除をする時間があるのなら、会社経営のほうに力を入れるべきである。お前は会社をつぶすつもりか。などなど。そのうち自分のことを批判していた効率重視の同業他社がつぶれていった。自分の会社はしだいにお客様から支持される会社になった。そして東証一部上場会社になった。掃除で周りがきれいに変わった。すると自分の心も変わってきた。続いて社員や取引先の人の心が変わってきた。この運動に賛同する人が次々に現れて盛り上がりを見せるようになった、凡事徹底の持つ意味を多くの人に再認識させることができた。私たちの大先輩である三重野悌次郎氏は、「雑事を無視して私たちの人生はない。雑事に丁寧に取り組むことによって、私たちの人生は活性化する」と言われていました。西川きよし氏の「大きなことはできませんが、小さなことからコツコツと」という言葉をスローガンにして、凡事徹底に取り組みたいものです。
2023.03.12
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昨日の続きです。3、人をよく見て知ろうとする教師時代、小学校5年生の担任をしていた時、算数の時間になると落ち着きがなくなる男の子がおったの。様子を見ていたら、どうも九九でつまずいていることに気付いてね。「九九が分からんのじゃね」って声を掛けたら、その子が泣きだしたん。情けない気持ちと、助かったっていう思いが入り混じったような泣き声で。その子に九九を教えると夢中で勉強するようになりました。うれしかったなあ。相手のことを知ろうとする、観察するいうのは教師時代からの癖ですかなあ。元気がないとか、少し瘦せちゃったかねとか、ちょっとした変化に気付くことは大人同士の付き合いでも大事なことじゃと思います。声掛けの内容によって相手の反応も変わる。この人、私のことをよう見てくれてるなあと思うたら、安心して自分をさらけ出してくれるようになるんです。集談会では寄り添ってくれるだけで楽になると言われたことがあります。気の利いたアドバイスはそんなに多くは必要ないのかもしれません。反対に「小さな親切、大きなお世話」になることもあります。アドバイスに力を入れるよりも、相手に寄り添い、相手の気持ちや感情、不安や問題点、欲望や欲求をよく聞いてあげる方がよほど感謝されるように思われます。4、マイナス感情 笑いに変換食べるものが「ない」とか、お金が「ない」とかの否定の言葉を使う時、語尾に「ナイチンゲール」を付けます。「お金がナイチンゲールでございます」ってな感じです。そうしたら皆さん、クスッと笑うてくれる。同じ「ない」でも笑いに変えると気持ちがええの。「ないない」ばかりじゃ気分が沈むから言いたくないんです。心の落ち込みは魔物です。落ち込みそうになったら早めに自分を助けてあげんといけんのです。ダジャレは、その場を和ます効果があることがよく分かりました。ダジャレを心がけている人は、心が外向きになっています。自身の心の悩みに関わり合うことが少ないようです。みんなに「またバカなことをいって」と言われてもあまり気にならない。それよりもみんなが喜んでくれる方がよほどやりがいがあるし楽しい。結果として他人への細やかな配慮ができる人だと思います。5、手本になる先輩を見つける知らず知らずのうちに、しゅうとめさんのまねをしている自分がおります。暇を見つけては庭や畑の草を取り、いつもきれいにしとっちゃった。毎晩、仏さんに大きな声でお経をあげるのも、しゅうとめさんから引き継いだことです。26歳でお嫁に来ました。その頃、しゅうとめさんは薪を背負って町へ売りに出よっちゃった。売ったお金で、まだ珍しかったソーセージを買うてきてくれてね。学校勤めをする私ら夫婦の弁当のおかずにって、陽気で働き者のところも、ちょっとした心遣いも、いつもやって見せてくれました。皆さんも、手本になるような先輩を探してみたらええです。まねをしながら、体に染み込ませていけたらもうけものです。私は集談会の先輩の中から「人生の師」ともいえる人に出会いました。困難な問題に直面した時、「あの人だったらどう考えて行動されるだろう」と考えるようになりました。そういう人が自分のバックについていると思えれば、思い切って行動できます。人生で師ともいうべき人に出会えた人はそれだけで十分幸せなことです。(102歳、一人暮らし 石井哲代 文藝春秋 54ページ参照)
2023.03.08
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引き続いて、102歳の元気なおばあちゃんの紹介です。広島県府中市上下町に住んでおられます。この方は20年前に夫を亡くし、子供もいなかったので一人暮らしです。でも孤独ではありません。元教師で教え子がよく訪ねてくるそうです。教え子が訪ねてくるというのは、先生冥利に尽きますね。今日は生き方が上手になる5つの心得の紹介です。1、物事は表裏一体。良いほうに考える。私の手を見てごらんなさい。手の甲はしわしわですが、ひっくり返せばつるつるです。一方向から見るだけでは分かりません。例えば受験に失敗して本命じゃない学校に行ったとしても、そこで生涯の友に出会えるかもしれんでしょう。失敗してもひっくり返して、良いほうに考えるんです。失敗にとらわれてばかりじゃ劣等感に包まれて人生が曲がってしまう。人間が小さくなってしまいます。失敗は通過点で、いくらでもやり直せる。あれは成功じゃったと思える日がきっときます。これは森田理論でいうと両面観の考え方ですね。失敗はよい経験をしたと思えば将来の糧になります。思い通りにならないからこそ、人の心の痛みに共感できるようになります。2、喜びの表現は大きく。私は、うれしいな、ありがとうという気持ちを相手に伝えようと思えば自然にオーバーアクションになります。普段、姪の直ちゃんがおかずを差し入れてくれたり、ご近所さんがお掃除を手伝ってくれたりすることも多いんです。一人暮らしの寂しさを知っているからなんでしょうかなあ。本当にありがたい。いつも「わぉわぉ」って大喜びしています。年寄りが機嫌を悪くして怒りっぽくなるのはいけんと思います。年寄りは若い人の見本にならんといけん。ああ、老いても楽しそうだなって思ってもらえるよう、にこやかに。社会のムードメーカーっていうんでしょうか。なんでもない小さなことをオーバーに喜ぶことができる人は魅力があります。小説家の宇野千代さんは、「小さな幸せのかけらはそこら中に落ちている。ただその幸せのかけらを見つけることが上手な人と下手な人がいる」と言われました。森田を学習していると、路傍の草花にも感動できるように変わりました。人間は苦しむために生まれてきたのではない。人生を楽しむために生まれてきたのだ。感謝と感動の日々を積み重ねていきたいものです。この本には、おばあちゃんの笑顔の写真ばかりです。3、人をよく見て知ろうとする。4、マイナス感情 笑いに変換。5、手本になる先輩を見つける。この3つについては、明日ご紹介します。(102歳、ひとり暮らし 石井哲代 文藝春秋 52ページ)
2023.03.07
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今日から3回にわたり、102歳の石井哲代さんの健康法を紹介したい。元教師で、現在は田舎で一人暮らしをされています。中国新聞社が生活ぶりを紹介して地元ではすっかり有名人になりました。健康で長生きするために心掛けておられることは次の通りです。1、朝起きたら布団の上げ下ろし。わざわざジムに行かなくても運動できます。2、いりこの味噌汁を飲む。うちにある動物性食品です。3、なんでもおいしくいただく。ご飯の量は1回2膳が基本。一人の食卓でも「いただきます」「ごちそうさま」は欠かしません。4、お天気の日はせっせと草取り。雑草で荒れると家や畑がかわいそうな気がします。5、生ごみは土に還す。みかんの皮や野菜くずを肥料袋にためて堆肥を作ります。6、こつこつ脳トレに励む。7、良英さんと会話をする。20年前に見送った夫の良英さんの写真を枕元に置いています。8、柔軟体操をする。思いついた時に柔軟体操をします。体のあちこちを延ばすと気持ちがええです。(「102歳 一人暮らし。哲代おばあちゃんの心も体もさびない生き方」 石井哲代 文藝春秋)次の言葉は石井哲代さんの信条です。できなくなったことは追わずに、くよくよしない。できることをいとおしんで、自分を褒めて、まだまだやれると自信に変える。この本にはよく作って食べている料理のレシピが紹介されていました。凡事徹底の生活が、心身の健康に役立っているようです。毎日感謝の気持ちを持って、笑顔いっぱいで暮らしておられるのが、長生きの秘訣のように感じました。ぜひとも見習いたいものです。この本は知り合いの2名の方からの推薦図書でした。
2023.03.06
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鍵山秀三郎氏のお話です。普通のことでもどんどん極めていくと、あるところから普通ではなくなる時点があります。これは、スポーツでも言えることで、実はプロ選手がやっていることも全部普通のことなのです。アマチュアとプロの違いは、アマチュアは普通のことを普通のままやっているだけですが、プロは普通のことを極めていって、ある時点から普通ではなくなるのです。それともう一つの差は、アマチュアの中には普通のことを普通ではなくなるところまで極める人もいますが、それはごく限られた1つか2つなのです。ところがプロは、その極めたものをいくつも持っているのです。それがいざとなったときに、瞬時にして組み合わさって、大変な力になって出てくるのです。(大きな努力で小さな成果を 鍵山秀三郎 育鵬社 24ページ)この話を基にして森田理論の活用・応用について考えてみたいと思います。森田理論がある程度理解できると、それらを生活や仕事のなかにいかに活用していくかという段階に入ります。森田理論学習と行動実践は車の両輪と言われます。車輪が同じ大きさで回転しないと前進しないで空回りします。活用と応用については人によってさまざまだと思います。思いつくままにあげてみましょう。・凡事徹底、平凡道を非凡に歩む。雑事、雑仕事を大切にする。・生活のリズムを大切にする。規則正しい生活を心がける。・取り組むときは一心不乱に取り組むようにする。森田では、ものそのものになりきるといいます。・不安、恐怖、違和感、不快感を抱えたまま、必要なことに手を出していく。すっきりしなくても、見切り発車することです。その際、気分に振り回されないように十分気を付ける。・目標や課題、夢や希望を持って生活をする。生の欲望の発揮のことです。・不安と欲望のバランスを意識する。神経症的な不安は欲望の裏返しとしてとらえる。生の欲望の発揮に際しては、不安を活用して、欲望が暴走しないように心がける。・物事を見るときは両面観を活用する。一面的な見方で行動すると、後悔することが多くなると心得る。早合点、先入観、思い込み、決めつけには特に注意する。・物の性を尽くす、己の性を尽くす、他人の性を尽くす、時間の性を尽くす、お金の性を尽くす。あらゆるものに居場所や活躍の場を与えてとことん生き尽くしてもらうように心がける。・直観、第一の感情、初一念を大事にする。潜在意識、本音、素直な感情、意思、行動、欲求、希望、生き方などのことです。森田でいう「純な心」の活用を身につける。・「かくあるべし」を自分にも他人にも自然にも押し付けない。事実を受け入れて、そこに足場を築くことを第一優先順位とする。理性、観念、知識などは補助的に使うようにする。第2優先順位という位置づけを忘れないようにする。・対人関係では相手の話をよく聞くようにする。信頼関係がないときは、安易に他人を非難、否定しないように心がける。人間関係には、森田でいう不即不離を応用していく。人間関係は必要な時に、必要に応じて、必要なだけを心がける。これ以外にもあるかもしれません。適宜付け加えてください。そして、これらから、1つだけを実践課題として選択する。それをものにできるまで真剣に取り組んでいく。習慣化できたら、もうひとつを選び同じように深耕していく。それくらいにした方がよいと思います。すべてのことに取り組むと、多くのエネルギーが必要になります。森田理論はそこまでしなくても身につけることができます。富士登山は吉田口、御殿場口、富士宮口、砂走ルートがあるそうですが、どこから登っても最後は同じ頂に到着します。森田理論を活用・応用して、人生観を確立する場合も同じことが言えます。切り口が違っても、いずれの道でも森田の達人の域に到達できるはずです。自己信頼感、自己肯定感を身につけると、その後の人生は楽しくなります。
2023.03.02
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宇野千代さんのお話です。ものを書こうとするときには、誰でも机の前に坐る。書こうと思うときだけに坐るのではなく、書こうと思っていないときにでも坐る。この机の前に坐ると言うことが、小説を書くことの基本です。毎日、または一日の中に幾度でも、ちょっとでも暇のあるときに坐るというのではなく、毎日坐るのである。坐る、と言う姿勢が、あなたを規制します。不思議なことですが、ほんとうです。あなたは坐ったら、何をしますか。どうしても、何か書くしかないでしょう。この、毎日坐るということが、小説を書くことの基本です。何を書くかは、あなたが決定します。しかし、間違っても、巧いことを書いてやろう、とか、人の度肝を抜くようなことを書いてやろう、とか、決して思ってはなりません日本語で許された最小限度の単純な言葉をもって、いま、机の前に坐っている瞬間に、あなたの眼に見えたこと、あなたの耳に聞こえたこと、あなたの心に浮かんだことを書くのです。「雨が降っていた」、「私は腹を立てていた」、「また、隣の娘が泣いている」と言う風に、一字一句正確に、できるだけ単純に書くのです。あやふやな書き方をして、それで効果を出そうなぞと、そんなことは、決して考えてはなりません。素直に、単純に、そのままを書くと言うことが、第一段階の練習であり、やがて、大きなものが書ける基本です。(行動することが生きることである 宇野千代 海竜社 203ページ)宇野千代さんほどの小説家でも、仕事をする気にならないことはたびたびあったようです。そのとき気分に振り回されてはいけないと言われています。イヤな気分を持ったまま、机の前に坐る。これは森田でいうと、形から入るということです。「外相ととのえば、内相自ずから整う」ということです。その後は、巧い文章を書こうとしないで、見た通りの事実を書いていく。時間の経過とともに弾みがついてくることがあると言われています。イヤイヤ仕方なしの行動でも、行動しているうちに感情が動き出して、突然小説のテーマが浮かんでくる。さらに主題が明確になる。倉田百三氏は強迫神経症になり、小説が書けなくなりました。小説は強迫神経症が治ってから書けばよいと思っておられました。森田先生のアドバイスは、いくら強迫神経症で苦しくても、決して仕事を止めてはいけない。イヤイヤ仕方なく、ゆっくりでもよいから仕事を続けなさいと言われました。そんな状態で書いた「冬鶯」という小説は、後から読み返してもよい作品に仕上がっていたといわれています。この話は、不安、恐怖、違和感、不快感を持ったままでも、他人から評価されるような仕事をすることは十分可能だということです。
2023.02.13
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村上和雄氏のお話です。人と話をしていると、あれこれできない理由をいいだす人がいます。できない理由を探す人には、2つの特徴があります。ひとつは、余分な知識がある人です。余分なことを知っているから、これはできないとハナから決め込んでしまいます。もうひとつは、自分の中に限界を設けてしまう人です。自分には才能がない、成功する可能性がないと限界を設けてしまって、チャレンジすることをやめてしまいます。「できない」を「できる」にするためには、誰にでも未知の可能性が秘められているということを信じることです。その遺伝子のスイッチをオンにすることができれば、誰もが自分なりのゴールに近づくことができるのです。できない理由を考えるよりも、どうすればできるかを考えるようにしましょう。(望みはかなう きっとよくなる 村上和雄 海竜社 112ページ)できないという先入観や思い込みの強い人、できるはずがないと最初から決めつけている人は、行動することを躊躇します。また、たとえ目標や夢を持ったとしても、壁や問題点にぶつかると、すぐに断念してしまう人も同じようなものです。村上先生は、こういう人は、目標に近づくための新しい手法や方法を探ることが大事になると言われています。どういうことでしょうか。今日はこの問題を取り上げてみたいと思います。研究者の世界では、新しい実験手法が出てくることが、それまでできないと思っていたことを打開する一つの有力な手段になります。最近のノーベル賞の傾向は、新しい手段の開発に貢献した人に与えられるケースが少なくありません。それによってこれまで無理だと思われていた研究が大きくジャンプするからです。人間は課題や目標を持って生活することが大切だといわれます。意欲が生まれなければ目標に挑戦しようという気持ちにはなりません。しかし、それだけではどうも心もとない。手段や方法を開発していくことが、目の前の壁を乗り越えたり、弾みをつけて前進することになると言われているのです。早速森田理論に照らし合わせて考えてみましょう森田理論のなかに両面観という考え方があります。壁にぶつかって動きが取れなくなったとき、両面観や多面観を活用すると打開策が見つかることがあります。村上先生の考え方は、森田でいう両面観のことではないでしょうか。次のように、視点を変えることができれば問題解決のヒントにつながります。・自分一人で無理なら、他人の智恵と力を借りる。・専門家の意見を聞く必要があるなら専門家に依頼する。・時期が悪ければ、適当な時がくるまでじっと待つ。・資金が足りなければ、先に資金を作る。・やり方が悪ければ、やり方を変えてみる。・今とは逆の立場に位置を移動してみる。また、視点を変える方法には、鳥の目で見る、虫の目で見る、魚の目で見る、コウモリの目で見る方法があります。鳥の目・・・地上から空に舞い上がり全体を見るようにする。虫の目・・・今一度問題点を掘り下げて考えてみる。魚の目・・・周りの状況や流れを分析してみる。コウモリの目・・・順序や上下ひっくり返して違う角度から見てみる。ダメだ、もう無理だ、限界だとすぐにあきらめてしまうのはもったいないと思います。そんな時こそ、神経質性格の執着性を活かしていくべきだと思います。そして両面観を活用して、ゼロベースで改めて見直してみると、案外意外なところから打開策が見つかることがあるのではないでしょうか。
2023.02.02
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ハーバード大学のエリオット総長は、「成功への習慣」と題した講演のなかで、次のような話をされている。『小学校で、いわゆる「落ちこぼれ児童」が出るのは、初期の段階で生徒がこなせる量の課題を与えないからです。つまり「成功の感触」を掴むチャンスを与えなかったからです。学校生活の初期に成功を経験しなかった生徒は、「成功の習慣」を身につけるチャンスが与えられなかったことになるのです』小学校の低学年のときに、生徒が成功を体験できるように学科・科目の内容を調整するのは、先生の重要な役目です。それは、生徒が容易にこなせるもので、興味をおこさせるもののほうが効果的です。「こうして得た小さな成功が、『成功感』を与え、それはその生徒の人生における良き伴侶となります」ちょっとしたことに成功すると、大きな仕事にも「成功感」をもち越せます。その意味では、まず小さな目標をたててそれを達成したら、次にもう少し大きな目標をたてて・・・、といった具合に段階的に目標を大きくして、それを達成する方法は、上手なやり方と言えましょう。「失敗は成功の母」と言いますが、「成功は成功の母」「一事なれば万事なる」とも言えます。(自分を動かす マクスウェル・マルツ 知道出版 204ページ)小さな成功体験を積み重ねると、一回り大きな人間になれます。自己信頼感、自己信頼感が持てるようになります。何事にも意欲的で、積極的な行動ができるようになります。小さな成功体験は子どものうちからより多く蓄積していくことが大切です。親は子どもが好奇心や興味や関心を示したものは可能な限り応援してやりたいものです。また家事なども社会体験の一環として、取り組ませることが有効です。人間関係は子どものうちから様々な人と触れ合う経験が大切です。可能な限り自然と触れ合うことも大切です。神経質性格者の場合は、雑多な社会体験が不足していると言われます。小さな成功体験が不足したままで大人になってしまったのです。何をするにも自信が持てない。自己肯定感が持てない。ひとつのミスや失敗が、すぐに自分の一生を左右してしまうかのような大きな問題に膨れ上がってしまう。成功体験が不足している人は、これからどんどん蓄積していくことをお勧めします。森田では、雑事や雑仕事、日常茶飯事に丁寧に取り組むことをお勧めしています。凡事徹底に取り組むことで、成功体験を積み重ねることができます。それが積み重なると自己信頼感、自己肯定感が持てるようになります。凡事徹底はやる気になれば誰でもできます。それを習慣として定着させて、継続していくことが大切です。とにかく成功体験の数を増やすことを心がけることです。小さな喜びや感動を数多く味わってください。集談会に参加している人は、世話活動に取り組むのが有効です。世話活動というのは星の数ほどあります。世話活動に、真摯に取り組むことで、成功体験はどんどん増えてきます。私はここで自信をつけて、仕事に応用して成功した経験を持っています。集談会ではミスや失敗があっても大目に見てもらえます。ここでの経験が、社会に出たときに大いに役立つことになります。
2023.02.01
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坂村真民氏の詩です。鈍刀をいくら磨いても無駄なことだというが何もそんなことばに耳を借す必要はないせっせと磨くのだ刀は光らないかも知れないが磨く本人が変わってくる(坂村真民 詩集「自分の道をまっすぐゆこう」 PHP研究所 「鈍刀を磨く」より一部抜粋)この詩は日常生活の中で小さなことに手を抜かないで、ていねいに取り組むように心がけていると、人間として器の大きな人間になれるということだと思います。神経質者は小さなことが気になりますが、それはよくないことだと思っている。発揚性気質の人のように、細かいことが気にならない人にあこがれています。自分の性格のよい点を軽視して、ないものねだりをしているのです。自分の性格を磨くことに力を入れた方がよほど意味があります。普通は雑事や雑仕事などはできるだけ手を抜いて、自分の得になることや他人から称賛を浴びるような大きなことに取り組みたいと考えている。あるいは何もしないで、ひたすら快楽を追い求める生活に甘んじている。水谷啓二先生は、「我々は風雲に乗じて成功を遂げるタイプではない。平凡に徹し、それを継続することで評価されるタイプの人間である。平凡を20年30年と積み重ねた人は、極めてまれな非凡の人となれる」と言われています。神経質性格者は、このような生き方をめざしていくべきだと思います。陸上競技でいえば、短距離よりもマラソン競技の方に向いています。マラソンは地道な競技ですが、42.195キロを完走する人は大きく評価されます。集談会でルーティン生活を大切にしておられる方に出会いました。日々の日常生活の中で、小さなことでささやかな楽しみや感動を数多く味わっているといわれるのです。たとえば・おいしくビールを飲むコツをみつけた・魚のあら炊きをおいしく仕上げる方法・一人カラオケを楽しむ方法・父親の残した盆栽を楽しむ工夫・毎朝近くを散策する楽しみ・路傍に咲く花を心ゆくまで楽しむ方法・市営プールでの水泳の楽しみ方・テレビでの大相撲の楽しみ方・庭の雑草退治や剪定を面白くする工夫・夫婦の人間関係を改善する会話・生活の発見誌を隅々まで読む楽しみ・自家用野菜の世話をする楽しみ・野菜畑の土つくりについて・市の映像ライブラリーの活用方法その他にもいろいろと教えてもらいました。その方の信条としては、お金のかかることは安易に手を出さない。新しいものはすぐに手を出さない。みんなに行き渡ったころに必要と判断したら初めて買う。今あるものを修理し、工夫してできるだけ長く使うことに喜びを見つけている。だから老後の貯えなどはそんなに必要ないと言われる。森田理論を生活の中で活用することに生きがいを見出しておられる。その中でも「物の性を尽くす」「ものそのものになりきる」ことにかけては、他の追随を許さないという雰囲気がある。この方の話は体験に裏打ちされているのでとても参考になりました。いつも参加者の話をよく聴いて、自分の経験をもとにして話しされました。現在は体調を崩されて集談会には参加されていませんが、いまだに大きな存在感を示しておられます。私は仕事や人間関係で困ったことが起きたときは、「こういう場合、あの方はどう考えて行動されるだろう」と考えるようにしています。こういう方に集談会でお会いできたことは私の一生の宝物です。
2023.01.26
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鍵山秀三郎氏のお話です。警察官のAさんは、正義感の強い方で、正しいことは正しいと言い続ける人です。法で定められたことを、曲げずに主張するものですから、周りの方と摩擦が起きていたのです。同僚からも「そんなに堅苦しくやらずに、もう少し柔らかくなれ」と言われていたそうです。私と出会った頃もずいぶんと悩んでおられ、警察を辞めようかと思われていた時期でした。当時は帯広の駐在所の勤務でしたが、不法駐車を巡って住民との間でトラブルになっていたのでした。厳格な取り締まりのために、住民から不満が噴出していたのです。Aさんは私にそのような悩みを打ち明けられたので、私は言いました。「毎朝、奥さんと一緒に近隣の掃除をしなさい」と。それからAさんは奥さんと二人で掃除を始め、40日くらい続いた頃に、住民の駐車違反がなくなったそうです。住民との関係が、掃除をきっかけに良好になったのです。その後Aさんは帯広から札幌に転勤になり、留置場勤務となりました。留置場は真ん中に通路があり、両側に未決囚が入れられているそうです。私はAさんに、「朝就業時間前に通路を掃き、雑巾がけをし、囚人の顔を見て声を掛け、おはようございますと挨拶をするように」と言いました。それを毎朝続けていたら、囚人が隠し持っているものをみんなAさんに出すようになったそうです。(大きな努力で小さな成果を 鍵山秀三郎 育鵬社 183ページ)この話は、毎日掃除に真剣に取り組むと、自分の心も同時に浄化されるようになるということだと思います。そして、自分の心が浄化されると、それを見ていた周囲の人の心や考え方や行動によい影響を及ぼしていくことではないでしょうか。不思議なことがあるものです。本当のことかと疑心暗鬼になります。今日はその現象に焦点を当ててみたいと思います。このケースでは、掃除をする責任のない人が掃除をされました。もちろん報酬を伴わないボランティアです。それを毎日のルーティンワークとして継続されました。その結果、公道や留置場がきれいになりました。と同時に、目には見えませんが、Aさんの心のなかもきれいに掃除されたのでしょう。それを見ていた人は、最初はあの人は何をしているのだと不審に思われたのでないでしょうか。悪く考えると、何か魂胆があるのではないか。あるいは、これ見よがしにあてつけがましいことをしているのではないか。しかし40日も続けていたら、そんな気持ちが薄らいできました。これは、掃除に取り組むことで、周りの人の心もいっしょに浄化されたということではないでしょうか。周りの人の心も気づかないうちにすっきりときれいに掃除されていたのです。周りの人の心の中の汚れなどが取れてきたのです。泥水の泥が底に沈殿して、上水がきれいに澄んできたような感じです。汚かった水が魚の住める水に変わってきたようなものです。心が澄んでくると、ねぎらいの言葉をかける人が出てきました。しだいに共感者や賛同する人が生まれてきました。その流れはしだいに大きなうねりとなり、渦を巻くように広がっていきました。毎日きちんと掃除している人は、心の中もきれいに浄化されます。掃除をほとんどしていない。どうにもならなくなって初めて掃除をするという人の場合は、心のなかは少々荒れ気味ということかもしれません。心の中は目には見えませんが、自分では気づかないうちに、他人に対する心ない言動として噴出するようになるかもしれません。さらに心の中が荒れている人は、やることなすことが裏目に出るようになります。人間関係もうまくいかない。仕事もうまくいかない。子育てもうまくいかない。そのうち投げやりになって、人生に愛想をつかすことにもなるかもしれません。隅々まで掃除されている場所やきちんと掃除や整理整頓を心がけている人の側に行くと、何か自分にも良いことが起きそうな気になります。その人のオーラを受けて感化されるようになるのです。あえて汚してやろうとか、悪さをしてやろうとは考えなくなります。自分を気持ちよくしてくれたことに感激・感動するようになります。できればお役に立つことがあれば協力してもよいと考えるようになります。掃除による心の浄化作業は、しだいに周りの人に波及してくるということです。その結果、よくないことや迷惑行為をする人が少なってきます。住環境も人間関係もともに改善されます。そして思いやりのある住みやすい社会に生まれ変わります。凡事徹底の取り組みの一つとして、掃除に取り組むことをお勧めします。
2023.01.23
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和暦は昭和、平成、令和と変わりましたが、果たして西暦でいうと何年になるのか戸惑われたことはありませんか。誕生日、中古車、入社日などを和暦表示されると、経過年数がピンときませんね。この問題を解決するためには、和暦と西暦対比表を作り、手帳やスマホに挟んでおくと便利です。和暦は3つも変わりましたので、西暦の方が計算しやすいです。ごまかそうと思えば、和暦を使う手もありますが・・・。こういう問題は疑問に思った時点ですぐにメモしておくことが大事になります。そのためには小さなメモ帳を持ち歩くことが必要になります。あるいはスマホの「メモ帳」やスケジュール帳も役に立ちます。そうしないとすぐに忘れて、思い出せないことが多くなります。こうした気づきのストックをいかに多く持っているかが大事になります。細かいことが気になるという神経質性格を活かすためには、心して取り組むことをお勧めいたします。これに関係して、平成3年(1991年)4月号の「生活の発見」誌に、次のような趣旨の投稿記事があります。誰でもやればいいなと思うことは日常いくらでも思いつきます。思うだけの人は能力があるとは言えない。その宝物はすぐに忘却の彼方へと消えてしまいます。それは思いつかなかった人と同じ結果になります。つまり神経質の素晴らしい性格を活かすことができなくなります。頭の中にひらめいたことを、きちんとキャッチできる能力は、本人が意識している以上に素晴らしい能力です。このメモが宝の山に替わる可能性があるからです。私は早速対比表を作りました。その一部を紹介します。昭和20年 1945年昭和25年 1950年昭和30年 1955年昭和35年 1960年昭和40年 1965年昭和45年 1970年昭和50年 1975年昭和55年 1980年昭和60年 1985年昭和64年/平成元年 1989年平成5年 1993年平成10年 1998年平成15年 2003年平成20年 2008年平成25年 2013年平成30年 2018年平成31年/令和元年 2019年令和2年 2020年令和3年 2021年令和4年 2022年令和5年 2023年ちなみに私の勤めている会社は、すべて西暦表示に変更になりました。バブルがはじけたのが1990年(平成2年)、生活の発見会の会員数が一番多かったのが1993年(平成5年)でした。
2023.01.20
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四書五経の中の一つ「易経」の中に次のような教えがあります。「小人は小善をもって益なしとして為さざるなり。小悪をもって傷(そこな)うことなしとして去らざるなり」この言葉は次のように理解できます。小人、つまり普通の人は、たいした効果がないこと、自分の利益に結びつかないこと、他人から評価されないことはなかなか手を出さないということです。たとえば、お金にならないことや人がほめてくれないことは進んでしない。たとえば、ボランティアの仕事などです。空き缶を拾うとか、家の前の公道の掃除をするようなことです。汚い、臭い、きついと言われる3Kの仕事などもそうです。一方、他人から非難されないことや、大きな損害がでないと判断すれば、本当はやらない方がよいと思っても平気で手を出してしまう。たとえば、タバコを吸われる方がタバコを吸って吸殻をポイと捨てる。あるいは空き缶を国道の植木の中に捨てる。テレビや冷蔵庫やクーラーを山の中に捨てにいく。確かにこれらをしたからといって、急に人生が暗くなるわけではありません。あるいは酒が好きな人が、日本酒は1合まで、ビールは中瓶1本までと決めていても、欲望に負けてつい深酒をしてしまう。たまには日頃のストレスを発散するのもいいものだ。これくらいなら許容範囲だとつい自分に甘くなってしまう。これらは特に問題がないようにも見えますが果たしてそうでしょうか。森田の「凡事徹底」の考え方から見ると違和感があります。これを逆にするとどうなるでしょうか。つまり小さなことでやればいいなと思ったことは積極的に手を出していく。逆に、やらないほうがいいなと思うことは、我慢して抑制する。やるべきことは日常生活の中でいくらでもいくらでも見つかります。すぐにできることは早めに手を出す。今すぐに出来ないことはメモして、時間のあるときに取り組む。これだけを心がけるだけで、生活はすぐに活性化してきます。できれば、人の役に立つことを見つけて行動に移す。そういう心がけで生活している人は、自分の所有物や周りの人を大切に取り扱うようになります。そして居場所や活躍の場をあたえようとします。所有物や周りの人との関係がすこぶる良好になります。それは自他ともに幸せな生き方となります。やらない方がよいことはどんなことがあるでしょうか。まず自分の身体を痛めつけるようなことは避けたいものです。人間の寿命は125歳といわれていますから、精神的ストレスや食べ物によるストレスを避けて、脳と身体に適度の刺激を与えれば長生きができると思います。人間関係ですが、他人を非難しないようにしたいものです。他人を否定しない。グチや不平不満を口にしないようにする。相手の「いいとこさがし」を心がける。相手に「ありがとう」と感謝の気持ちを積極的に伝える。相手への「お役立ちさがし」を見つけて実行する。これらを心がけて、日々実践すれば、人間関係で苦しむことは少なくなると思います。
2023.01.16
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イエローハットの創業者の鍵山秀三郎氏のお話です。私が商人人生において、経営者として重視してきたことは、とにかく手抜きをしないことです。手抜きをしたら、そこからどんどんほころびが出てきて、最後は取り返しがつかなくなります。私は今、これから何かを成そうと思っている人にすすめたいのは、「手をかけること」です。手を抜くのではなく、逆に「ここまでやるのか」というぐらいに、手をかける。手抜きには限界があるけれど、手をかけることには限界がありません。これでもか、これでもかと手をかけていく道は、どんどん先が広がる楽しい道です。手抜きは、先が行き止まりになる道です。手抜きで行き止まるから、今度はだますということで道を広げるけれど、また行き止まるのです。展示してあるものは、どうしてもホコリをかぶります。ホコリをかぶったままにしておくのではなく、順番におろしてホコリを払って戻すと、同じものなのですが光り輝いて見えるのです。人間の手は、そういう不思議なものを持っています。その不思議な力を持っている人間の手を省くから、全体が死んでしまうのです。そうすると、しまいには安さだけしか残りません。安さを追求するということは「私は何もしませんから、ただ安くしますよ」と言っているのと同じです。(大きな努力で小さな成果を 鍵山秀三郎 育鵬社 20ページ)この話を参考にして私の体験を振り返ってみました。私はマンションの管理人をしています。仕事の半分は掃除です。掃除というのは、目視でまだ汚れてないし許容範囲だなと思うと、ルーティンワークの掃除でも飛ばしてしまうことがあります。今日やらなくても明日やれば同じことだという気持ちになるのです。このような気持ちに振り回されると、凡事徹底というスローガンは絵に描いた餅になります。それが1日延ばしになり、2日延ばしになります。埃というのは、箒で履いたり、雑巾がけをして初めて気が付くものです。許容範囲だと思って掃除をさぼっていると、しだいに埃がたまってしまいます。そのうち気付けばよいのですが、慣れれば無頓着になります。たかが掃除、されど掃除だと思います。平凡なことを毎日手を抜かないで丁寧にこなすという目標を無視するようになると、小さなことが気になるという神経質性格は活かすことができなくなります。外に向かわなくなった神経質性格は内向きになって、自己嫌悪、自己否定するようになります。外に向かえば神経質性格は大いに育みがいがありますが、内に向かうと手に負えない代物に変化してくるのです。運が悪いと、居住者が先に埃を見つけることになります。親切な人は教えてくれますが、意地の悪い人は他の居住者と噂話をするようになります。マンションの中でしだいに管理人への悪評が広がってきます。受付、点検、立ち合い、連絡報告、金銭管理、鍵の管理の仕事も手抜きをしているのでないかと思われるようになります。あの管理人は、見張りをつけていないととんでもないことをするかもしれない。毎月の理事会で、管理人の悪評が出てくるようになります。その噂は管理会社にも伝わり、出来の悪い管理人として判定されてしまうのです。退職勧奨の対象者になるのです。掃除は1週間単位で、毎日取り組むべき仕事は決まっています。汚れていようがいまいが、ルーティンワークとして、心をこめて、ていねいに取り組むことが大切だと思います。そうしないと、心がそこから離れてしまうのです。いったん離れた心は元に戻すことはとても難しくなります。そのような仕事ぶりでは、問題の発見や工夫は思いつかなくなります。気づきや発見がないと、掃除が面白くなりません。仕事は辛いばかりということになります。頭の片隅には、もうそろそろしないとやばいかもと思っても、手と足がついていかなくなるのです。「まあ、いいか」と思えば、凡事徹底はスローガンだけになってしまいます。反対に心を込めて、共用トイレなどをピカピカに磨きあげると驚かれます。あるいはグレーチングを外して、中にたまった落ち葉を綺麗に片づけている。各階解放廊下のドレンを外して、ワタ埃や髪の毛を綺麗に取り除いている。各階解放廊下の塩ビシートの水モップ掛けをしてくれている。鳥の糞を見つけたらすぐに取り除いてくれる。夏にクモが発生したらすぐに駆除してくれる。居住者にとっては想定外の掃除をしていると、驚きや感動があるのだと思います。真剣に取り組んでいると、掃除に関する相談が寄せられるようになります。しだいに人間関係がよくなり、いろいろと気を遣ってもらえるようになります。仕事は相手に感謝・感動を与えるくらいな気持ちで取り組みたいものです。常に何か相手に役に立つことはないかを探している。そういうのはよい評判として拡散されますので、益々仕事が楽しくなるのです。するともっと居住者に感動を与えたいと奮闘するようになります。凡事徹底とは具体的にはこのようなことを言うのではないでしょうか。
2023.01.15
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長野市千曲川のほとりにある円福寺の和尚さんが作られた詩があります。「はきものをそろえる」はきものをそろえると 心もそろう心がそろうと はきものもそろうぬぐときにそろえておくとはくときに心がみだれないだれかがみだしておいたらだまってそろえておいてあげようそうすればきっと世界中の人の心もそろうでしょう(はきものをそろえる 清水克衛 総合法令出版 93ページ)はきものをきちんとそろえるというのは、そんなに重要なことなのでしょうか。今日ははきものをそろえることと心の関係を考えてみました。靴を揃える、部屋や風呂の掃除をする、洗濯をする、整理整頓をする、後片付けをする、洗車をする、料理をつくる、加工食品をつくる、ペットの世話をする、身支度をする。私たちの生活は、このようなルーティンワーク、雑仕事の連続です。雑事をおいて私たちの生活はないといわれますが、まさにその通りです。森田では毎日心を込めて丁寧に取り組むことをお勧めしています。本当はやりたいことではない。めんどうだがしかたない。つまらないことに時間がとられるのが口惜しい。どうにもならなくなくってやっと重い腰を上げる。その結果、どうしても粗雑になってしまう。気がつくと、家中に物が散らかっていて、埃だらけになっている。それに慣れているので、別に気にはならない。つまり感覚が麻痺してしまっているのです。そのような態度が心にどんな影響をもたらすのか。ルーティンワークが崩れてしまうと、規則正しい生活が乱れてきます。基本的には、手抜きをするようになります。そして目先楽しいことを追い求める生活になります。するといつの間にか心が浮ついてきます。落ち着きがなくなります。そして小さなことから心が離れていくようになります。現実から離れて、空虚で憂うつな気持ちになっていきます。自分では気がつきませんが、傍から見ている人にはよく分かります。やったらよいかも知れないが、そんな小さなことに関わり合いたくない。自分はそんな小さなことをするために生まれてきたのではない。もっと意味のあることやクリエイティブなことをしたい。でもそんなものになかなか出会えないというジレンマを抱えている。小さなことを無視していると、小さなことに愛着が持てなくなります。目の前のものや他人を粗雑にとり扱うようになります。まるでゴミや廃棄物のように取り扱うようになります。そういう人は、周りのものと対立することが多くなります。小さなことに感動・感謝することがなくなります。日常生活の中で小さな幸せのかけらは見つけることができなくなります。小さな喜びでは満足できなくなり、欲望は益々エスカレートしていきます。それを求めてお金やエネルギーや時間を投入して飛び回るようになります。それでも心の中の不安はなかなか払しょくすることはできません。大きな喜びが見つからないと、手持ち無沙汰になって、心が外向きにならない。心が一転して内向きになってくるという問題も発生します。自己内省力が強まってくる。自己否定や他人否定を繰り返すようになります。その息苦しさから逃れるために、短絡的、享楽的、本能的な欲望で穴埋めするようなことを考えるようになります。森田では「外相を整えれば、内相自ずから整う」といいます。この言葉は、日常生活に丁寧に取り組んでいると、小さな楽しみがいくつも見つかり、小さなことを大きく喜ぶことができるようになる。さらに小さなことで、すぐに感動の涙を流すことが増えてくる。心が浮つかなくなり、落ち着きを取り戻してくるということだと思います。心が豊かで満ち足りてくるようになる。安心感と安定感が生まれてくる。そして毎日の生活を楽しむことができるようになります。砂を噛むような人生を歩んでいる人との差はどんどん広がるばかりになります。この言葉を理解したら、ぜひ自分の生活の中に取り入れてみてください。
2023.01.14
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仕事をする目的は、収入を得ることだけでしょうか。それだけの目的しかないと、問題が出てくるように思います。与えられた仕事をこなせばいいんでしょうということになります。仕事に身が入らないために、仕事をすることが苦痛になってきます。より良い条件を求めて転職を繰り返すようなことにもなります。また仕事の内容については無頓着になります。低収入よりも高収入の仕事の方がよいということになりやすい。収入を得る以外にどんな目的があるのでしょうか。仕事をする意味について考えてみました。1、生活ができるだけの収入を得る。2、自分が持っている頭脳や身体の有効活用ができる。3、様々な人との交流が生まれる。4、仕事に真剣に取り組むことで生きがいが生まれ、人間的な成長が図れる。5、他人に役立つ物やサービスを提供すると大いに感謝される。これ以外にも仕事をする意味があるだろうと思います。仕事をするにあたっては、これらのすべてを視野に入れるというのはどうでしょうか。目的が増えれば、仕事に取り組む姿勢が変わってくると思われます。1、自分や家族の生活費を稼ぐという気持ちはもちろん大変重要です。集談会では月給鳥という鳥になって餌をとってくるという気持ちが大切だと聞きました。仕事が辛いときは、タイムカードを押しに行くという気持ちだけはしっかりと持つことが重要になります。2、仕事に取り組む中で、問題点や改善点が見つかると、感情や身体が動き出します。仕事は自分の居場所や活躍の場を提供してくれています。仕事があることで、精神的に落ち着きが出てきます。仕事をすることで、行動半径が大きく広がって行きます。仕事は頭と身体を鍛えて、廃用性萎縮を防止しています。仕事に対して感謝の気持ちが湧いてきます。3、仕事をすることで、様々な人と交流が生まれます。人間関係で苦しいこともありますが、反対にかけがいのない友人関係を築くこともあります。尊敬できる上司や先輩に巡り合うこともあります。仕事での付き合いの中で人生の師に出会うこともあります。なかには職場で配偶者を見つける人もいます。定年後も温かい友情関係が続くこともあります。仕事をしないと、社会的には孤立してしまいます。仕事をすることで他人と温かい人間関係を築くことができます。4、仕事をすることで、さまざまなノウハウを身につけることができます。収入を得ながら、新たな能力、技術を自分のものにすることができます。人間的に大きく成長することができます。そのノウハウを持って転職する人もいます。あるいは定年退職後、その技術を他人に教えてあげることもできます。仕事をすることで新たな自分を創造してくれます。5、他人に物やサービスを提供することで、お客様に大きな感動を与えたいという目的を設定している人がいます。そのクオリティを高めるためには、少々の苦労を厭わない人がいます。他人の喜ぶ姿を見ると、自分も幸せな気持ちになれます。人生を豊かにしてくれる感動を味わうことができるのです。このように考えて仕事をしていると、仕事はさまざまな恩恵を与えてくれているのではないでしょうか。仕事を持っていることを感謝できるようになります。仕事をすることが辛いと考えている人は、目的を広げて、仕事をする意味を今一度整理することをお勧めします。
2023.01.05
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再び、中内玲子氏のお話です。私は20歳のころまで自分のことが嫌いでした。ある日エレナ・ポーターの書いた「少女パレアナ」という本を読みました。パレアナのお話で有名なのが「よかった探し(喜び探し)」です。「よかった探し」は、たとえどんなによくない状況にいても、その中から「よかったこと」を探すゲームです。実は、この「よかった探し」が私の人生を大きく変えたのです。ある日、パレアナの物語を読んだ私は、マイナス思考の自分を変えようと決心しました。当時のことは今でも鮮明に覚えています。鏡の前に立って自分を見つめ、「今日から、自分のことを好きになる」と決心した私は、その日からさっそく「よかった探し」を始めました。よかったことといっても、「今日はいい天気」「かわいい服をみつけた」「お花がきれいだった」など、ほんのささいなことです。そうして「よかった探し」を毎日続けてしばらく経ってからまた鏡の前に立ったとき、「自分が嫌い」だった私は、心から「自分が大好き」と思えるように変わっていったのです。それからまるで脳のプログラミングが変わったかのようで、もとの「自分が嫌い」な私には戻ることはなくなりました。ペンシルバニア大学のマーティン・セリグマン教授が提唱した「ポジティブ心理学」で、「毎晩寝る前にいいことを3つ書き、それを1週間続けると、幸福度が向上し、その効果が半年続く」という研究結果が出たことを知りました。これを引っ込み思案な次男に応用しました。すると少しずつ自分から「よかったこと」が言えるようになり、明らかに次男の表情が明るくなってきたのです。私はさらに「いいことを見つめると、それが磁石になってもっといいことが起きるんだよ」と言いました。(世界一の子育て 中内玲子 フローラル出版 110ページ)私も「いいこと探し」を日記に書くようにしています。その他、「感謝さがし」「お役立ちさがし」を見つけるように心がけています。意識づけるために、毎日仏壇で手を合わせる時に、自分の信条として唱和しています。
2022.12.29
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中内玲子氏のお話です。子供には明確なルールが必要だし、子供自身もそれを望んでいる。ルールに従い責任を果たすことが健全な心身の発達をもたらす。幼い子どもに「自分でルールを決めて守りなさい」というのは無茶です。子どもが自分の意志力を鍛えるためには、親が決めた枠組みが必要なのです。枠組みの中で自由にさせることで、その子らしい健全な自我が育ちます。私の敬愛するジェームス・スキナーさんのご両親は、子どもの自転車の乗り方について、守るべきルールと自由の範囲を決められていたそうです。まず、6歳までは自転車は買ってもらえません。6歳になったら買ってもらえますが、乗っていいのは家の庭の中だけ。しばらく練習したらどれだけ乗れるようになったか親がテストをします。そこでOKが出たら、家から外の道に出る許可が下りますが、「乗っていいのはこの角からあの角まで」と決められます。だんだんとその範囲は広がって行きます。そして、12歳になったらどこに行くかさえ親に告げれば、自由に自転車で外出できるようになります。これは、「自由は責任を果たすことで得られる」ということを学ばせるお手本のような子育てです。(世界一の子育て 中内玲子 フローラル出版)子どもが自由に行動してよいのは、親が決めた範囲内で許されるのです。好き勝手になんでも自由にさせると、欲望が暴走して手に負えなくなります。親が幼い子どもに、自由にできる範囲を決めることは、子どもの欲望の暴走を防ぐことになります。親は子どもに、我慢力、忍耐力、自制心を育てるという大事な役割があります。欲望の暴走を防止することは、子どもだけではなく大人にも言えることです。社会にはしきたりや規則やルールや法律があります。それぞれの学校や会社には、独自の校則や決め事があります。あらゆるスポーツ競技は厳格なルールが規定されています。スポーツなどはルールがないと、そもそもゲームが成り立ちません。道交法などもみんなが守らないと、混乱を招き大変危険です。ルールの範囲内で自由に行動できるというのが社会の原則です。規則に縛られるということは、ストレスがたまります。しかし、ルールを守ることで、安全が確保され、混乱が防止されている。社会の秩序が保たれているという側面を忘れてはいけません。子どもが安心・安全に生きていくために、親は子どもに社会のルールを教える必要があります。子供の意見を尊重しながらも、親がルールを定め、それを守るように促す。どんなに窮屈であっても、勝手気ままな行動は許されません。元気のある子どもは束縛されることを嫌います。どこまでも自由な行動を求めます。それに安易に流されてはいけないということです。しつけには妥協が許されないという厳しい面があります。子どもを授かった途端、親はしつけの責任を果たす義務が生じます。きちんと責任を果たすと、子どもには欲望の自制心が育ってきます。しかしそれ一辺倒では子どはうまく育たないことも事実です。ルールの範囲内では、子どもにできる限り自由を与える必要があります。あまり口出ししないで暖かく見守ることです。子どもが、好奇心、興味や関心を持ったものに積極的に取り組み、自立した人間に成長するようにアシストしていくことも親の務めです。ルールの範囲内で自由に行動できるというのは、欲望は無制限に追い求めてはならないという森田理論の考え方に通じるものがあります。森田理論の精神拮抗作用という考え方では、人間の欲望の暴走は、欲望と同時に湧きあがる不安によって、制御されていると教えてくれています。
2022.12.26
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生活の発見会編の新版森田理論学習の要点の中に、「理想は高く、実行はこきざみに、小さな成功体験を積み重ねること」とあります。この言葉は、大きな目的や目標を持つことが大切であると言っている。但し、いきなりそれを目指すのではなく、手の届く実践目標を作っていく。実際にはそれを目指して努力していくことになります。できたという小さな成功体験は、喜びと自信をもたらします。それを積み重ねていくと自己信頼感、自己肯定感が持てるようなります。ここでいう目標には、短期、中期、長期の3つが考えられます。できれば、この3つをセットで揃えたいものです。私の場合を振り返ってみました。私の中期目標は、1年を目標にしています。これは元旦に立てています。その前に去年設定した目標を振り返ってみます。10年日記には最初のページに「1年のはじめに」というページがあります。過去の目標を見ていると懐かしさでいっぱいになります。これを参考にしながら今年の目標を設定します。たとえば自家用野菜作りの計画や加工食品作りがあります。老人ホーム慰問活動や趣味の目標もあります。パソコンの使い方、仕事、健康維持、自己啓発の目標もあります。その他実家の修理や今年のイベントなども計画に入れておきます。さらに今年新たに挑戦してみたいこともあります。そして最終的に重点項目を3つくらいに絞ります。これとは別に1年間の収支計画を立てています。予算の中でお金の有効利用を考えています。これはエクセルで表にして管理しています。長期目標は、5年くらいのスパンで考えています。5年先もこのブログを継続したいと考えています。5年と言わず20年先を見据えています。そして自分がどんな風に成長できるか楽しみにしております。そして森田理論のテーマ別の本を作りたいと思っています。但し製本はしません。希望者にメール配信を考えています。さて、目標の中で一番重点を置いているのは短期目標です。これは1週間ぐらいの期間を考えています。卓上カレンダーに予定が決まればすぐに書いています。またスマホの予定表にも打ち込んでいます。ここ1週間の予定は毎日しつこいくらい確認しています。短期目標は、凡事徹底に取り組む中で見つけ出しています。小さな問題点や課題を見つけることを意識しています。小さな問題点、課題、感動、楽しみの発見は宝の山だと認識しております。それらを忘れないために、いつでもすぐにメモするように心がけています。すぐにできることはその場で手掛けるようにしています。でも実際には、すぐにはできないことも多いです。それを1週間の短期目標の中に組み込んでいくのです。短期目標がたくさんあると生きがいにつながると思っております。みなさまの短期目標、中期目標、長期目標はどんなものでしょうか。集談会などで披露して参加者に刺激を与えていきたいものです。
2022.12.25
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生活の発見誌の12月号に「平凡道を非凡に歩め」という言葉が紹介されていました。次郎物語を書いた社会運動家の下村胡人の言葉です。森田理論学習をしている私たちにはなんとも味わいのある言葉です。下村胡人は佐賀県で教師をしておられましたが、その後東京に出て「煙仲間」運動を始めました。煙仲間というのは、佐賀鍋島藩の「葉隠」からきており、名もない若侍たちが、武士としての生き方を語り合った集まりだったそうです。下村胡人はその精神を受け継ごうとしていたようです。全国から青年団OBを集めて社会教育をされていたのです。その弟子に同じ熊本の五高出身の永杉喜輔が加わりました。永杉喜輔は後に群馬大学教授になりました。永杉喜輔は生活の発見会の名付け親です。生活の発見会の生みの親である水谷啓二と同級生だったのです。水谷啓二は下村胡人の機関誌「新風土」の影響を大きく受けています。「平凡道を非凡に歩め」というのは、なんでもないあたりまえのことを丹念にやれという意味です。下村胡人は自ら研修所のトイレを徹底して磨き上げていたそうです。凡人道を実践していないと生活はうまく回っていかなくなります。手を抜いて楽をしたり、人任せにしていると、生活のほころびが出てきます。生活のほころびは、心のほころびに波及します。一旦坂道を転がり落ちるようになると、勢いがついて途中で止めることは難しくなります。水谷啓二氏は、「我々神経質者は風雲に乗じて成功を遂げるタイプではない。毎日の生活を丁寧に行うことで成果を出すように心がけるべきだ。そういう生活を20年30年と積み重ねると非常に非凡な成果を生み出す」と言われています。これは「平凡道を非凡に歩め」という下村胡人の教えだったのです。三重野悌次郎氏は人生は雑事の積み重ねであるといわれました。雑事、雑仕事に丁寧に取り組み、小さな成功体験を積み重ねて、ささやかな喜びを味わう。それが人生を豊かに彩る基本だと心得て凡事徹底に邁進しましょう。神経質者は、ここが抜け落ちると後悔の多い人生になってしまいます。平凡を大切にした生活を心がけていると、「我が人生に悔いはなし」という心境に至るのではないかと思われます。
2022.12.07
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緩和ケア医の大津秀一先生のお話です。解決困難な大きな病気を抱えて、「先生どうにか治る方法はありませんか」と聞かれた場合、「大丈夫です。そのうち治ります。一緒に頑張りましょう」と嘘をつくのはいけません。いつしか患者さんが現実と虚構のギャップで猛烈に苦しむことになるからです。またその人に寄り添って受容するだけでは反発されることがあります。例えば、回復不可能な相手との復縁を求めている場合などです。もちろん最初は相談者に寄り添い傾聴することが基本です。問題はその後です。「結局私はどうしたらいいのですか」「先生は何でも相談に乗ると言ったじゃないですか」と言われるような場合です。「その答えはすぐには見つけられないかもしれませんが、そのうちいつかあなた自身で見つけられるはずですよ」とアドバイスしても相手は納得してくれません。相談者は「なんだ結局何も教えてくれないじゃないか・・・」と反発してきます。救いを求めているこの方には、求めている答えと著しく違ったのでしょう。解決することができないような難しい問題の場合、正攻法で解決しようとすると、益々袋小路に入ることになります。神経症もこれと同じで、正攻法で対応しようと考えているならば、思ったような効果は期待できません。このような場合は、目標指向型アプローチを採用するとうまく作用します。「現実的な目標を立てて、それに向けて行動していきましょう」というアプローチをとるのです。大津先生の医療現場では、特に余命がかなり限られている方には、もはや問題解決を重視するやり方を推し進めると、その方の生活の質、生命の質を下げてしまうことになりやすいと指摘されています。問題解決を全く無視するわけではないのですが、それよりも上位に「目標指向型アプローチ」を置いたほうがうまくいくのです。「治ってほしいと私たちも願っています」「その一方で、今できることを考えてみませんか」「何をすれば一番いいと思いますか」「したいこと、やるべきことはありますか」「治るという希望も大切ですが、別の考え方も取り入れながら、並行してやっていきませんか」とお伝えし、その方のQOLを改善する目標を立てるのです。結果として、問題解決を重視した人よりも長生きした人を私は何人も知っています。「目標」を立てることが、生きる希望につながるのです。目標を持つことは、目の前の問題が解決できないというジレンマから苦悩者をすくいあげることにつながり、希望を抱くことができるようになるのです。(傾聴力 大津秀一 大和書房 参照)この考え方は、神経症の解決策を求めてやってきた初心者への対応方法として留意したいことです。最初は傾聴、共感、受容で信頼関係を作ることが大切です。その後ですが、「治ってほしいと私たちも願っています。それについては最大限の協力はさせていただきます」「その一方で、今できることを考えてみませんか」「何をすれば一番いいと思いますか」「したいこと、やるべきことはありますか」「治るという希望も大切ですが、それとは別の方法も並行してやっていきませんか」「2本立てでQOLの改善を図るというのは如何でしょうか」という流れに持って行くのです。私も初心者の頃、実践課題を作ってその結果を次の集談会でお聞かせくださいと何度も言われました。その当時は、神経症の克服と関係のないことをなぜしつこく言うのだろうと思っていました。今考えると、神経症に正面から向き合うよりも、QOL(生活の質、生命の質)を上げることにエネルギーを投入した方が、よほど治りがよいように思います。
2022.12.04
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中谷彰宏氏のお話です。人生は1コマ1コマ撮影するアニメーションのようなものである。アニメーション映画は、止まっている写真をつなぎあわせることで、動いているように見えます。1枚撮って、少し動かせて、また一枚撮る。そういう作業を24回繰り返して、ようやく1秒です。たった1分の映像にするにも、1440回繰り返さなければなりません。他人から見て、とんとん拍子に成功している人も、1コマ1コマ、止まっているものを、コツコツつなぎ合わせているだけなのですね。(人を許すことで人は許される 中谷彰宏 53ページ)1分の映像が1140枚の写真から作れているのは初めて知りました。細かいこと、面倒なこと、根気のいる仕事を丁寧に積み重ねによって、人を感動させる作品が生まれているのです。この話は私たちでいえば、雑事や雑仕事を、わずらわしい、めんどうだ、やる気が起きないといっていい加減に取り扱っては、生活が停滞して、生きがいがなくなってしまうということだと思います。三重野悌次郎氏は、人生は雑事の積み重ねですと言われていました。自分の目の前の雑事の他に人生はありません。雑事の代表は家事です。炊事、洗濯、掃除、整理など家事は雑事の集大成です。時々、「こんなつまらないことばかりしている自分が情けない。社会から取り残されているようで肩身が狭い。社会に出てバリバリ働きたい」という人がいます。社会に出て働くことに反対ではありません。だが、家事を「こんなつまらないこと」という考え方には反対です。そういう人は、社会に出ても、雑仕事をつまらない仕事と思うでしょう。雑事に真剣に取り組めば、必ず興味が湧いてきます。森田先生のいうお使い根性で働けばすべてがつまらないのです。ともあれ、雑事に喜びを見出す人は幸せな人です。(森田理論という人間学 三重野悌次郎 白揚社)野球でいえば豪快なホームランを打つ人は世間の注目を浴びます。しかしこれはボールを遠くに飛ばす能力がなければできません。そんな能力がなくても、ヒットを積み重ねることは出来るかもしれません。打力は非力だが、守備ではめったにエラーをしない人もいます。あるいは、チームの士気を鼓舞することができる人もいます。自分の能力に応じて、毎日コツコツと努力を継続することが大切なのではないでしょうか。広島カープに今年引退した白濱裕太捕手がいました。打撃では実績はないのに、19年カープに在籍していた珍しい選手です。1軍の試合に出たのは80試合くらいしかない。その間、社会人野球からオファがあったが、カープ球団が断ったという。どこに魅力があるのか。興味が尽きない。白濱捕手は、ほとんど2軍です。その原因は打てないからです。でも解雇されない。華々しい活躍はないのに、なぜ契約してもらえたのか。彼のキャッチング技術は1軍レベルにあるからだそうです。2軍で調整する一流ピッチャーは白濱捕手を指名する。彼は物おじしないで、適切なアドバイスを送ることができる。そしてコーチと選手の間に入って、若手ピッチャーの相談にのっている。例え打力が非力でも、こういう選手は貴重なのです。自分の持っている能力や技術にコツコツと磨きをかけて、チームに貢献していく心がけは立派なものだと思います。
2022.12.02
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福島正伸氏のお話です。私は、本当の強さというものは、「転んでも起き上がること」だと思っています。起き上がることさえできれば、何度でもまた、前進を続けられるわけで、そういう生き方をすることが本当の強さだと思います。たとえ99回負け続けたとしても、100回目に勝てばいいのです。さらに極端にいえば、1度も勝てなかったとしても、一生負け続けたとしても、最後まで挑み続ける生き方。つまり、転んでも立ち上がり続けるという生き方そのものが、人間としての本当の強さの証明なのだと思います。(1日1分元気になる法則 福島正伸 中経出版 128ページ)一流の経営者やスポーツ選手を見ていて思うのは、失敗しても簡単にあきらめない。彼らも最初のうちは失敗ばかりしています。しかし簡単にはへこまない。むしろ失敗を糧にしている。逆に失敗からエネルギーをもらっている。また二度と同じ失敗の鉄は踏まない。一つの成功で有頂天になったり、一つの失敗で一喜一憂していない。成功するために、これは絶対に避けるべき落とし穴をたくさん見つけている。成長し続けることに意味があり、数多くの失敗は成功のための基礎作りをしているのかもしれない。そういう人生を歩んでいる人だと思う。神経質性格で一度のミスや失敗にとらわれてしまう人がいる。それが簡単にトラウマになってしまうのである。他人からの非難や叱責に耐えられなくなってしまう。さらに本来自分の強力な味方であるはずの自分が、一緒になって自分をいじめてしまう。観念主導の強力な「かくあるべし」で、自分を非難、否定してしまう。そうなると、しだいに積極的な行動ができなくなってしまう。仕事に集中できなくなり、仕事から逃げ腰となる。恐る恐る仕事をするようになると、「おまえにはやる気が感じられない。イヤならやめてもいいんだぞ」といわれるようになる。自分ではなんとかしなければと思ってもどうにもならない。これは脳の仕組みから考えると分かりやすい。人間の脳は報酬系神経回路と防衛系神経回路が作動しています。一度の失敗で簡単にあきらめる人は、防衛系神経回路が過剰に活性化している状態です。危険やリスクを過剰に意識して、積極的に行動するよりも、身の安全第一を考えるようになります。消極的、回避的、否定的な言動が多くなり、覇気がなくなります。いくら意識で自分を鼓舞しても、体がついてこないような感じです。本人も苦しんでいるのですが、周りから見ると、情熱や意欲がない人に見えてくるのです。一度の失敗で簡単にあきらめてしまう人は、報酬系神経回路を活性化する方向に意識を向けることが必要になります。そのための方法は森田理論学習が教えてくれています。・規則正しい生活、凡事徹底を心がけて、小さな成功体験を積み重ねること。・短期、中期、長期の目標を立てて、理想を見失わないようにすること。・観念主導の「かくあるべし」を押し付けないで、事実や現状から出発する態度を身につけること。いいとこ探し、感謝探しの習慣を身につける。・人間関係での問題を抱え込まないようにするために、森田理論を活用していくこと。その手法は「人間関係」のカテゴリーで取り上げています。・セロトニン神経系が、報酬系神経回路と防衛系神経回路の暴走をコントロールしていますので、日常生活の中でセロトニン神経系を活性化する。その方法はこのブログでも何度も取り上げています。
2022.11.28
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意味もなくやっていたものほど、実は自分の血となり肉になっている。意味もなくやる。これほど単純な動機はありません。本当にすきなものって、そこに目的がない。理由もない。ただやっているだけ。でも人生って、ムダなものほどムダじゃなかったりする。だからこそ意味がないことでも、バカなことでも、本気でやらないとダメなんです。本気でやれば、なんだってそこが運命の扉になるのです。(絶望は神様からの贈りもの ひすいこたろう 柴田エリー SBクリエイティブ 80ページ)雑事や雑仕事に取り組む時、意識的に手を抜いてしまうことがあります。自分はそんなつまらないことに関わり合うよりも、もっと価値のあるクリエイティブな課題や目標に専念したいと思いがちです。取り組むべき実践や課題に対して、是非善悪の価値判断を下しているのです。森田理論では、実践や行動に取り組む時は、「ものそのものになれ」と教えてくれています。これは一心不乱に取り組みましょうということです。実践・行動に集中していたため、症状を治すことは一時的に忘れていたという状況を勧めているのです。人生って、ムダなものほどムダじゃなかったりする。本気でやれば、なんだってそこが運命の扉になるのです。この言葉の意味するところは、森田理論を学習した人はよくお分かりだろうと思います。目の前のことに一心不乱に取り組むことで、感情が動き出してくることが大きいと思います。つまり気づきや発見、アイデアや工夫、興味や関心が生まれてくるということです。これについては、2013年1月27日に、雑草退治に応用した例を投稿しております。ぜひ読んでみてください。めんどうだ、おっくうだ、イヤだ、やれと言われたから仕方なしにやっているとすれば、感情がさらさらと動き出さないということです。感情が動き出さないと、そこにある感情は城の堀の水のように汚く淀んでしまいます。山の谷あいを勢いよく流れる小川の水は飲み水になりますが、堀の水はとても飲めるような代物ではありません。雑事、雑仕事、毎日繰り返される日常茶飯事に丁寧に取り組むことをお勧めします。私はこのことを「凡事徹底」と呼んでいます。集談会ではそういう報告を聞くことを楽しみにしております。
2022.11.27
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外出するときに、持ち物を忘れないように忘備録を見て点検されている方も多いでしょう。電灯、電源、ガスの元栓の確認、財布、スマホ、マスク、眼鏡、水筒、弁当、家の鍵、車のカギ、免許証、給油カード、ETCカード、メモ用紙とボールペン、鞄、必要書類などです。これらの一つでも忘れたら、その後の仕事や行動に支障が出るわけですから、忘備録によってチェックすることは大いに役立ちます。私はこの忘備録をいくつも作っています。例えば仕事を始める時の忘備録です。全部終わるのに30分みています。一つ一つチェックしていくと、うっかりミスが無くなります。それが終わると本格的な仕事に入ります。・スマホで出勤簿の打刻を行う。忘れないために5分前にアラーム設定している。・暗証番号を操作して事務所のカギを取りだす。・散水栓、管理人室のカギを首にかける。・メモ用紙とボールペンを身につける。・ポストから郵便物や伝言メモを取りだして整理する。・作業服に着替える。・名札を付ける・身分証明書を身につける。・監視カメラの動作確認を行う。・ゴミ袋の取り換え。・事務所の掃き掃除。机などの拭き掃除。その他空モップ掛け。・行き先表示板を切り替える。・湯沸かし器のセット。・カレンダーで今日の予定の確認をする。・勤務報告書、作業報告書の作成。・ゴミの収集予定の確認を行う。・玄関、エントランス、公共トイレの汚れ確認。退勤時はこれとは別の忘備録を作っています。今までの経験上、チェックすると気をもまなくて済みます。老人ホームの慰問時の持ち物についても防備録が役に立っている。サックス演奏に関わる忘備録、チンドン屋の衣装に関わる忘備録、獅子舞の忘備録、浪曲奇術の忘備録、腹話術の忘備録、ドジョウ掬いの忘備録、しば天踊りの忘備録、傘踊りの忘備録などです。それぞれ違います。忘備録を見て全部そろっているかどうかをチェックしないと落ち着きません。2度チェックして全部そろっていると安心して出かけることができます。一つでも忘れていると、パフォーマンスに穴をあけることになり、仲間に迷惑をかけることになります。忘備録というほどではありませんが、私は日記をもう15年くらい書いています。日記は10年連用日記です。これには夕食のメニューが細かく書いてあります。野菜の種まきや定植時期が書いてあります。野菜や果物の収穫の時期や加工食品作りをした日も書いてあります。それから花見やイベントの日付が書いてあります。家族の誕生日やご先祖様の命日がすべて書いてあります。これらを参考にして今年の予定を立てております。いまだ忘備録を十分に活用していない方はぜひ参考にしてみてください。
2022.11.13
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森田理論は生活や仕事の中に応用・活用していくことが肝心だと思います。そのためには本人がその気になることが欠かせません。しかし、両者の間にはとても大きな壁があるように感じている。理論学習を深耕したことで満足してしまって、行動や実践、活用や応用にまで進まない。これは森田理論を学習して神経症の成り立ちが分かった時に、もう治ったかのような錯覚に陥っているということではなかろうか。理論の理解だけに留まってしまうと、いつまでも神経症から縁が切れない。反対にますます生きていくことが辛くなります。ではどうすれば、森田理論の活用や応用に進むことができるのか。最初は、森田理論の基礎や全体像を理解することが大切になります。これには生活の発見誌、新版森田理論学習の要点、森田関係図書などが数多く用意されています。そのほか公開講演会、you tubeなどもあります。系統的に順を追って学習すれば、あらかた理解できるようになります。その際、集談会には森田理論に詳しい人がいますので、集団学習が望ましい。次に森田理論に沿って「まとめ」をすることが必要になります。自分の神経症の成り立ち、認識の間違いなどを整理してみるのです。できればそれを集談会で発表してみる。「まとめ」の仕方は、学習の要点を参照してください。集談会のテキストですから400円で簡単に手に入ります。ここまでくれば、今度はいよいよ森田理論の活用や応用に入りましょう。どこをどういうふうに応用すればよいのかという疑問が出てくるかもしれません。そういうときは、集談会の先輩に聞いてみましよう。先輩方は宝の山です。私は、凡事徹底に取り組んで日々の生活を楽しんでいる先輩、自分が持っているものをとんとん活かすことに取り組んでおられた先輩の影響を大きく受けました。活用している先輩にはいろんなタイプの人がおられます。自分に合った先輩を見つけることが大切になります。先輩会員はどんなことに気をつけたらよいのでしょうか。自分の森田理論の応用方法や活用ぶりを具体的に話してあげる。なんども繰り返して説明する。1回話しただけでは相手に届かないことがあります。強制はできません。これは私メッセージの応用です。相手がどう行動するかは相手次第ということになります。これだと森田理論の押し付けになりません。仮に相手に届かなくても希望を捨てないことです。先輩会員の生活から学ぶことができる人は、自分の生活を大きく変えることが可能になります。森田理論の活用や応用は人まねから入るのが一番早いと思います。そのうちご自分でも活用方法を見つけ出してみんなに教えてあげて下さい。そういう話があちこちから出るようになると、大きな刺激を受けます。そしていつの間にか自然に自分の生活や仕事ぶりが変化してくるのです。生きることが楽しい、「我が人生に悔いなし」が我々の目指すところとなります。
2022.11.04
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森田先生や高良先生の入院療法には、作業療法が組み込まれていました。ご飯を炊く、料理をする、風呂を沸かす、庭掃除をする、家の修理をする。工作をする、拭き掃除をする、肥汲みをする、ニワトリやウサギにやるクズ野菜を拾ってくる、お使いをするなどです。高い入院費を支払っているのに家事をさせられていたのです。家族が見舞いにやってきて、その姿をみて憤慨して退院させたこともあったようです。本人もここまで落ちぶれたかと意気消沈する人もいたという。何のためにこんなことをさせていたのか。これはそれぞれの作業に取り組む中で、問題点や改善点、課題や目標を見つけ出すことを促していたのだと思います。そういう発見や気づきを得ると、工夫やアイデアが生まれて、意欲的になります。問題点や課題が明確になると、それを何とかしたいと思うのが人間の習性だと思います。この考え方は今の仕事が面白くないと考えている人には、それを改善するヒントになります。普通仕事は最初から意欲的になれるものではありません。自営業の人はともかく、一般的には人の役に立つこと、会社から指示命令されていることに取り組むわけですからなかなか意欲的にはならない。仕事はつらいものだと考えている人は、改善することをあきらめて、生活を維持するための必要悪だと考えている人が多いのではないかと思います。そういう人は、森田療法を参考にして、仕事を面白くするように取り組むことをお勧めします。目の前の仕事に取り組むときに、イヤイヤ仕方なしに取り組むよりも、問題点、改善点、楽しみを最低1つは見つけようと意識して取り組むようにするのです。そして見つけ出した宝の山を忘れないようにメモするようにするのです。すぐに改善できるものは即実行に移す。しかし実際には時間がない。仕事の流れがあって余裕が出てきたときに取り組むことが多いように思います。仕事が一段落したときに、そのメモを取りだして見る。そして段取りを組んで、効率よく取り組む。自分でできないときは、他人に相談する。他人と協力し合ってとり組む。納期があるものはスケジュール表に書き込んでおく。私は現在マンションの管理人をしていますが、巡回しているといろんなことに気づきます。鳥の糞がある。落ち葉が飛んできた。面格子に埃がたまっている。エレベーターの溝に埃がたまっている。クモの巣がある。ドアに手形がついている。面台が汚れている。雨が降って側溝の汚れが目立つ。解放廊下が黒ずんでいる。ドレンにゴミがたまっている。トイが外れている。ゴミ箱にごみが散乱している。収集されなかったゴミ袋がある。等々。これらを問題点として仕事がイヤになるのか、仕事を面白くする宝の山と捉えるのか、その後の展開が大きく違ってくると思います。仕事は1日の3分の1以上の時間をしめています。その時間が楽しみそのものになるのか、苦痛そのもののになるのかは、ちょっとした心がけ次第なのです。
2022.10.31
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和田秀樹さんのお話です。人生は実験である。そのように考えれば凝り固まった考えを捨てて新しいチャレンジをする勇気が湧いてくるでしょう。たまには失敗することがあっても構いません。上手な失敗の仕方や失敗した後の対処法を学べるからです。実験と考えれば失敗に対する備えもできるでしょう。「勝つに決まっている」のは実験ではありませんから、負ける心づもりもしておく必要があるのです。例えば投資家でも「負けるつもりがない」まま投資するのが一番危険です。いざ負けた時に立ち直れないほどのダメージを負うからです。恋愛で大やけどをするのも同じことで、フラれないと信じていると、フラれて大ショックを受けてしまいます。しかしそれも実験なのだと思っていればそうそうショックは受けないでしょう。うまくいくかもしれないし、うまくいかないかもしれないのが実験なのです。ただしこのときに、博打と実験の区別がつかないのはいけません。「ここで負けたらこのぐらいのダメージを負って、このくらいであればリカバリーできる」といった損得勘定は必要です。リカバリーできないほどダメージを負いかねないのが博打であり、リカバリーできるものが実験です。(適応障害の真実 宝島社新書 237ページ)私たちが神経症に陥るときは、生の欲望を発揮することを放り投げて、ひたすら不安や恐怖と格闘しています。そういう人がいったん欲望に向かって走り出したときはどうなるか。今度は失敗するかもしれないということが、頭から抜けてしまう。うまくいかなかったことを想定することができなくなってしまう。絶対成功するはず、うまくいかないということはありえないと考える。結果は非情です。いくら信じて疑わなくても裏切られてしまうのです。そのときにどうすればよいのか分からなくなり、パニックになるのです。たとえは悪いのですが、株のデイトレーダーの話を聞いたことがある。その人のやり方は、上昇中の銘柄に注目していた。その銘柄の勢いがいったん止まって、再び勢いを取り戻して前の高値を抜いてくる時を確認して仕掛けるというやり方だった。こういう銘柄は高値を更新しているので勢いがあります。そのままぐんぐん上昇を続ければ大きな利益が出ます。しかし反対に勢いが続かないで下落に転じることも多い。成功する確率は10~15パーセントくらいしかない。ほとんどの場合、トレードとしては失敗しているのです。ここでの対応の仕方がとても重要になります。失敗したときは、最初に自分が決めたルールに従って自動的に損切りをする。このトレードが成功するのは、85~90%の目論見が外れた銘柄に対して、あらかじめ決めてある損切りルールを実行できるかどうかなのです。虎の子の資金が減るのですから、普通の人は耐えられるものではありません。自分の判断ミスを潔く認めて、負けを受けいれることは断腸の思いです。デイトレードの世界で生き残っている人は、これを淡々と実行できているというのです。いずれ反転するかもしれないと考えてはいけない。いくら成長著しい銘柄であっても、日経平均が日々変動していて、その影響を大きく受けているわけです。このデイトレ―ダーが成功しているのは、成功するトレードで損切りを補って余りある利益を出しているからなのです。普通の人は利小損大でトレードの世界から追い出されている。そういう人が9割に及ぶという。成功している人は1割足らずです、損小利大が機能しないと、デイトレードの世界で生き残ることはできません。私たちはこのデイトレーダーに学び、生の欲望の向かっていくとき、想定通りに進展しないときがあることを考慮しておく必要があります。そのために不安を活用していくのです。森田理論の精神拮抗作用を応用していくのです。猪突猛進で最悪の事態が見えなくなるというのはあまりにも無謀です。思いどおりにいかないことがほとんどであると認識していると安心です。想定が外れたら、潔くあきらめてすぐに撤退する。そして次の新たな目標に向かって挑戦していく。あるいは態勢を整える。やり方を変えて再チャレンジする。思惑が外れても、再起可能なエネルギーを残しておくことが極めて大切になると考えます。
2022.10.29
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佐々木常夫氏のお話です。上司の指示通りに仕事をきちんとこなすことは、ビジネスマンとしては大切なことです。組織ではそれぞれのミッションというものがあります。やりたくなくてもやらなければならないこともたくさんあります。自分の気持はともかくとして、与えられたことをきちんとこなすのは、組織や社会に貢献するという意味でも、立派なことだといって間違いありません。(60歳からの生き方 佐々木常夫 海竜社 69ページ)誰でも自分の好きなことや面白いことは意欲的になれます。では生活のため、家族のために行っている仕事についてはどうでしょうか。自営業の人はともかく、会社勤めをしている人は、会社から指示命令されたことに取り組むわけですから、最初から面白いものではありません。佐々木常夫氏は、面白くない仕事であっても、真剣に取り組み職責を果たすのが社会人としてあたりまえのことであるといわれています。私の場合を振り返ってみました。最初は書籍の訪問販売の仕事でした。最初は意欲的でした。ところが冷たく断られ、虫けらを扱うような拒絶が続くうちに、すっかりやる気をなくしました。しだいに仕事をさぼるようになりました。最低限の仕事しかしていませんでした。会社の寄生虫なような存在でした。次の仕事は内勤の仕事でした。総務、経理、窓口営業などの仕事でした。営業の仕事にくらべて、ノルマがないので気が楽でした。しかし、無難に仕事をして給料をもらえれば十分と考えるようになったころから、仕事に対する情熱がなくなりました。それに輪をかけたのが、ある程度の年数を重ねると、中間管理職の仕事もするようになりました。この仕事はほとんど成果に結びつきせんでした。2つの職場で36年過ごしましたが、基本的に仕事は苦痛そのものでした。一時的にプロジェクトのリーダーに指名されたとき以外は、耐えがたきを耐え忍んで生活のために仕事につがみついていたのです。森田では、「ものそのものになれ」と教えてもらいました。しかしなまけ癖が身に付いてしまっているため、仕事ではそんな気持ちになれませんでした。それでも精神的に大きなダメージを受けなかったのは、仕事以外に目標を持って取り組むものを持ち続けていたからです。はっきり言えば、趣味や資格試験の挑戦です。旅行やグルメなどです。これがなければ、心身ともに使い物にならないほどの影響を受けていたと思います。今はマンションの管理人をしています。この仕事をして13年になります。ここでやっと仕事を面白くするコツを会得しました。私がこの仕事をするにあたり心がけていることは一つです。手掛ける仕事でごく小さな問題点や課題を最低一つは見つけて忘れないようにメモするということです。やるかやらないかというよりも、まずストックを溜めることです。例えば、エレベータの溝には埃がたまっています。これが問題点や課題です。それをすぐにメモしておきます。メモするとそれが忘却の彼方に飛び去って行くことを防止してくれます。そしてそれを何とか解決するように考えるようにしています。自分に妙案が浮かばなければ、管理人仲間に聞いてみます。こんな気持ちで仕事をしていると仕事が楽しくなるのです。心がけていることはごく小さな問題点や課題を見つけ出すということです。大きなものよりもこちらの方を重視しています。ものそのものになって一心不乱に取り組みなさいと言われても、なかなかその気になりません。この方法は具体的ですから取り組みやすかったのだと思います。毎日小さな宝の山を見つけることが生きがいになってきました。仕事が苦痛だという人がおられましたら、ぜひこれを応用することをお勧めいたします。
2022.10.21
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このことわざの意味は、衣類などにちょっとした破れ目が生じたときのことです。その破れ目を今日中に修繕しておけば、「一針」で済むのです。ここでの「一針」とは、「簡単な作業で済む」という意味です。しかし、「明日やればいい」と先延ばしてしまうと、その間に破れ目がどんどん広がってしまって「十針」も縫わなければならなくなる、というたとえです。この場合の「十針」とは、「簡単な作業ではすまなくなる。ますます面倒になる」ということです。面倒になるからこそ、「昨日のうちに済ませておけばよかった」と後悔することになるのです。このことわざも、「今日やることは、今日中に済ますことが大切だ。先延ばしすると、後で悔やむことになる」ということを言い表しているのです。(後悔しないコツ 植西聰 自由国民社 80ページ)今日やることを、おっくうだ、めんどうだ、体がだるくてやる気がしない、いつでもできるといった理由で先延ばしにすることはよくあります。今実行すればすぐにできることでも、先延ばしして簡単な作業では済まなくなることがあります。釣り糸が絡まって、ほぐすことができなくなるようなものです。ほぐそうとしても時間ばかりがかかり、そのうちますますこんがらがってしまうこともあります。イライラしてもうほぐすことをあきらめてハサミでバッサリ切って捨ててしまうことになりかねません。その日、その週、その月にやるべきことは、必ず期限内に済ませてしまうことは大切なことです。私はある卸会社で買掛金の支払業務をしていたことがあります。メーカーから請求に基づいてその月の支払額を確定する仕事でした。弊社の仕入れ額とメーカーの請求額が一致している場合は楽な仕事でした。ところが大きな仕入先にかぎって、差異が発生するのです。メーカーの請求額よりも弊社の仕入れ額が少ないのです。その差異は、一旦支払い保留にして弊社の仕入れ額で支払いをします。当然メーカーから、その支払い保留の理由をきびしく指摘されます。何処で差異が発生しているのか、支払明細書で詳しく説明することが求められました。私はこの問題に対して森田を応用しました。差異が発生した伝票を丁寧に扱うという考え方です。私はその差異を次月までには何とかすべて処理するようにしていました。いろんな問題がありました。単価違いなどは、弊社営業マンが後で交渉すれば何とでもなるといった安易な考えで、勝手に仕入額を低く見積もって計上しているのです。この場合は再交渉可能なのか、ムリなら弊社の負担になります。下手をすると原価割れということになりかねません。でも放置するわけにはいきません。そういったものが蓄積されると、実質処理は不可能になり、最終的に弊社の純損失につながります。それからクレーム商品の場合は、ほとんど再発注が絡んでいます。当然クレーム商品は返品処理をしなければなりません。しかし得意先や営業マンは、そのまま放置している場合が多い。急いで返品処理をしないと、メーカーは取り消し伝票を発行してくれません。私が直接乗り出して処理しないと解決しないのです。この差異は売り上げを締めて、メーカーの請求書と弊社仕入元帳を照合しないと分かりません。仕事をそつなくこなすコツは、違算伝票を当月中に確定し、次月中に問題点をすべて処理しておくことだったのです。1か月遅れとなりますが、期限内にやるべきことをめんどうがらずにきちんとこなすことなのです。差異伝票をお金のように大事に取り扱うことがコツでした。こういう仕事は神経質性格を持った人で、細かい仕事を丁寧にこなしていく人にとっては適職となります。細かいことが気にならない発揚性気質の人にはあまり向きません。神経質性格を活かすということは、細かい仕事に全エネルギーを投入するということになります。
2022.10.19
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どこの家にも多量のお知らせや通知書や請求書が送られてきている事と思います。役所や税務署、公共料金の請求書、通販を利用したときの利用明細書などがあります。それ以外にも「これは大事だ」と思うお知らせもあります。買い物をした時や病院にかかった時の領収書類も大量に発生します。生活の発見会や趣味の会に所属していると、大量のメールや書類が送られてきます。これらを整理することがめんどうだと思うのか、自分の腕の活かしどころだと思うのか、その後の展開に大きく影響してくるように思います。これらはきちんと整理整頓しておくとイライラしないで済みます。最初は大まかに分類することから始めるのは如何でしょうか。特にパスワードの整理と管理は極めて大切になります。これを失念すると大変なことになるのは誰でも知っています。いろんなパスワードはまとめて管理されている事と思います。一枚一枚の通知書をお金のように丁寧に扱っていると、探す手間がなくなります。そうなると、「たかが伝票、されど伝票」という気持ちになります。整理にあたっては、同じジャンルのものはひと固めにすることが肝心です。項目別にファイルするか、保管場所を決めてまとめておく。不用になったものは処分する。家電の取扱説明書、スマホやパソコン関係書類、CDやMDやDVDやカセット、カラオケやサックスの楽譜、趣味や一人一芸関係、資格関係、自家用野菜作り、加工食品関係は整理場所を決めていつでも取り出せるようにする。鍵やハンコ類、重要書類や通帳などは金庫へ保管。私は頻繁に発生するものは市販のファイルにとじ込みます。例えば、集談会の幹事会記録、ユーモア小話の収集、集談会でもらった講話のレジメなど。請求書や通知書のようなものは100均で買ってきた5段になった入れ物に項目別に分けて入れておきます。分類に困った時は、KOKUYOにA4ー1FというA4の個別ホルダーというのがあります。見出しが付けられるようになっています。これが整理に役立っています。閉じる手間は入りません。ただ分類した場所に入れているだけです。これを100均で手に入れた、書類保管箱に入れて整理しています。とくかく必要な書類は3分以内に引っ張り出すことができるというのが、得意技の一つとなりました。生活の発見誌は古いバックナンバーのものは、気に入った記事を項目別に分けて、スクラックブックに張り付けて、あらかた処分しました。森田の学習は項目別に分けて整理するという作業が役に立ちます。自分のお気に入りの記事や学習内容を書き込んだオリジナルテキストができるわけですから、学習が深耕できる筈です。森田全集第5巻は3冊に分解し持ち運べるようにしています。いつでもどこでも手軽に読めるようになりました。通しでいうともう15回くらいは繰り返して読んでいると思います。さらにどこに重要な話があったかをページ数とともに整理しました。このブログの記事を作るときに、大変役に立っています。整理名人というのは、森田の実践課題としてとても意義のあるものだと思います。書類をきちんと整理している人は、家の調度品などもきちんと整理されています。さらに家の中の掃除もきちんと行き届いていると思います。玄関先をきれいに掃除されている人は家の中もきれいです。神経症で悩んでいる人は、整理整頓に全力投球することをお勧めします。まずは送られてきた多量のお知らせや通知書や請求書の整理から取り組んでみませんか。
2022.10.18
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私は集談会の休憩時間で流すBGMの担当をしている。集談会が始まる前や休憩時間にホッとするような音楽を流すのである。雰囲気を変えて場を和ませてくれる重要な役割だと考えている。さりげなく集談会をアシストしてくれる曲をいつも探している。曲目の選定はとても重要だと考えている。テンポのよい曲、一定のリズムを淡々と繰り返している曲、明るい曲、みんながよく知っている曲、懐かしい曲、耳に残っていてまた聞いてみたくなるような曲はないか。落着くところはイージーリスニングということになる。クラッシックでいえばモーツアルトやヘンデルやバッハやハイドンなどがよい。抑揚が少なく、淡々と一定のリズムを刻む曲を探している。私の大好きなベートーヴェンやマーラーは重すぎて向かない。今のところは歌が入っているのは除外している。強いてあげれば、知ってるつもり、涙そうそう、花、川の流れのように、乾杯、春がきた、みかんの花咲くころ、花ぐるまあたりはどうかと思っている。楽器でいえば、オカリナ、ケーナ、フルート、ソプラノサックスなどが味わいがある。喜多郎、ケニーG、クスコ、ジョージ・ウインストン、MALTA、レイモン・ルフェーブル、ポールモーリアなどに注目している。喜多郎のシルクロード、サウンドオブサイレンスをケーナで演奏した曲、オカリナ演奏によるチキチーター、ダニーボーイ、アメージンググレース、大きな古時計、ケニーGのソプラノサックスの曲、ルイアームストロングの素晴らしき世界、クスコのデザートアイランド、モーツアルトのアイネクライネナハトムジーク、ヘンデルの水上の音楽、ポールモーリアの恋はみずいろ、オリーブの首飾り、葉加瀬太郎のエトピリカなど。私は気に入った曲は小さな録音機に入れている。ソニーのPCM録音機だが私の必需品となっている。それには300曲くらいの好きな曲が入っている。私が余興の時に使うバックミュージック、お気に入りのカラオケ練習曲や歌謡曲、アルトサックスの課題曲、集談会でのBGM、森田先生の肉声も入れている。再生は1曲毎でもファイルごとにもできるようになっている。ファイルは30に分かれている。曲目は入れ替えが発生するので、このファイル管理はとても重要である。エクセルに打ちこんで、整理しなからいつも持ち歩いている。ドライブの時はこの表をみて、好きなファイルを選んで、リピート機能を使って楽しんでいる。ご機嫌なドライブが楽しめる。またこの録音機には部分再生機能があるので、カラオケ練習で重宝している。このような小さな楽しみを見つけ出すことが私の特技になってきた。宇野千代さんは、「小さなしあわせのかけらはそこら中に落ちている。ただそれを見つけ出すのが得意な人とそうでない人がいる」と言われていた。これからも小さな幸せ探しの名人を目指していきたいものである。
2022.10.06
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先日テレビを見ていたら90歳くらいのおばあちゃんの紹介をしていた。元気いっぱいで、歩く姿は若々しかった。そのおばあちゃんは一人暮らしだった。でも孤立していない。病気や認知症とは無縁のようだった。1ヶ月10万円で生活しているという。娘さんはアメリカに住んでいて、ネットで会話している。覚えている内容を紹介してみよう。・朝起きるとていねいに化粧をしている。・規則正しい生活をしている。・家の中がきちんと整理整頓されていた。・スカーフが好きでいろんなものを取りそろえていた。・料理は自分で作っている。その日は野菜たっぷりの焼きそばだった。・毎朝近所の公園で行われている太極拳に参加している。・終わると仲間としばらく話をする。・庭でいろんな花を育てている。摘み取って花瓶に生ける。・健康マージャンの会に参加している。頭を活性化させるし、手先の運動になる。・ドラマを観るのが好きで、観た作品はきちんと整理していた。・ブログを作り毎日更新している。本も出している。こういう生活をしている心身ともに健康で、認知症とは無縁なのではなかろうか。私もこういうおじいちゃんを目指したい。できれば100歳まで生きたい。私の場合は、・マンションの管理人の仕事をできるだけ長く続けること。・このブログを生涯続けること。そのために本をよく読む。・地元の集談会にはずっと参加する。・全国対象の目的別モバイル集談会にも参加したい。・田舎での自家用野菜、果樹、花、庭作りを楽しみたい。・加工食品作りを楽しむ。・定期的に健康診断を行い、体のメンテナンスをする。・ウォーキングやストレッチは毎日定期的に行う。・老人ホーム慰問活動はできる限り継続する。楽器の練習を欠かさない。・一人一芸の練習を毎日行う・仲間とともにカラオケを楽しむ。家での練習を欠かさない。・ネットでの健康マージャンを楽しむ。・毎日少量の気に入ったワイン、日本酒、ビール、ウィスキーをたしなむ。・録画した質の良いテレビ番組を楽しむ。・you tubeプレミアムに入っているので広告なしの音楽を楽しみたい。・メダカの世話をする。ベランダの花を育てる。
2022.10.03
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2022年8月号の生活の発見誌に「実践症候群」の記事があった。森田理論は実践・行動がすべてであると理解した人のことである。実践・行動しなければならないと自分を叱咤激励しても思い通りにできない。やがて、自分は意志が弱いダメ人間として自己嫌悪、自己否定するようになる。「実践しなければならない」が「思想の矛盾(かくあるべし)」そのものとなってしまう場合があり、これを「実践症候群」と呼んでいる。今まで、イヤだと逃げていたことを、気分本位にならないで、恐怖突入しなさいと言われても、なかなか実践・行動には向かわない。私の場合でいえば、飛び込み営業をしていた時に、対人恐怖症が出てきて、仕事をさぼっていた。また、営業窓口をしていた時、過去のミスや失敗がトラウマとなって、真剣に仕事に取り組むことができなかった。逃げたときは、一瞬ほっとするが、あとから後悔と自己否定感で苦しんでいた。これらは森田理論を学んでも、応用・活用することができなかった。この問題にどう対応していけばよいのか。私の場合は、いきなり本丸に取り組むことはしなかった。つまり対人恐怖症と戦わなかったということです。最初は1ヶ月の実践課題を作った。布団上げ、靴磨き、風呂の掃除、車の洗車、部屋の掃除などであった。その他、その気になればすぐにできることを選んだ。次に、気が付いたことをすぐにメモして、実践・行動に移すようにした。これは生活の発見誌に紹介されていた「紙切れ法」を参考にした。これを1年くらい続けていくうちに、しだいに行動実践の比重が高まってきた。小さな成功体験が増えてきて、実践・行動に弾みがついた。実践・行動は、まずは日常茶飯事の雑事に取り組むことではなかろうか。仕事でいえば、放り投げていた雑仕事に取り組むということではなかろうか。対人恐怖症の人は、挨拶をきちんとするところから始めることが肝心だと思う。これならだれでも意識すればできるようになるはずだ。このやり方は、症状の解消には手を付けないので、回り道をしているような気持になります。回り道をして果たして神経症の解放に結びつくのか疑心暗鬼に陥ると思います。しかしこのやり方は先輩たちの多くが成功体験を持っています。そのことを信頼して頼るしかないと思う。神経症の克服は「急がば回れ」という方針で臨むのが一番です。このやり方は、再発しない。不安と共存できるようになる。さらに神経質者の生き方を身につけることができます。森田では規則正しい生活をする。日常茶飯事に丁寧に取り組みましょうと教えてもらいました。森田先生の入院療法を見てみても、掃除洗濯、飯炊き、風呂を沸かす。動植物の世話をすることに取り組んでいました。「実践症候群」に陥っている人は、今までできていなかった難しい課題に、いきなりガチで取り組もうとしている。それは現実的ではないと思う。必要な時に、必要に応じて、必要なだけという気持ちが大切です。スローガンとしては「凡事徹底」を上げたいと思います。次に神経症的な不安の裏には強い欲望が存在しているという森田の考えをしっかりと理解することが大切だと思う。強い欲望は、欲求、手に入れたいもの、やりたい事、夢や希望などです。実践・行動というのは、その欲望を満たすための手段となるのです。不安を抱えたまま、生の欲望に邁進するのが、本来の人間の姿です。症状を取り除くことを目的として、実践・行動しているわけではありません。不安と欲望の単元は、不安の特徴や役割、不安と欲望の関係などとても大事な単元です。「実践症候群」に陥る人は、今一度基本に立ち戻ることをお勧めします。
2022.09.20
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稲盛和夫氏のお話です。人生では「知識より体得を重視する」ことが大切です。これは、いいかえれば「知っている」ことと「できる」ことはかならずしもイコールではない。知っているだけで、できるつもりになってはいけないという戒めでもあります。セラミックの合成にしても、この原料とこの原料を混合して何度で焼けば、このようなセラミックスができるということは本を読めばわかります。しかし、その理論どおりにやってみても思いどおりのものはできません。現場で何度も経験を積むうちにしだいに神髄が把握できる。知識に経験が加わって初めて、物事は「できる」ようになるのです。それまでは単に「知っている」にすぎない。情報社会となり知識偏重の時代となって、「知っていればできる」と思う人も増えてきたようですが、それは大きな間違いです。「できる」と「知っている」の間には、深くて大きな溝がある。それを埋めてくれるのが現場での経験なのです。(生き方 稲盛和夫 サンマーク出版 100ページ)森田理論の学習と行動は車の両輪であると学びました。森田先生ところでの入院療法は、実践・行動が優先されていました。そして後付けで森田理論を学んでいました。現代は森田理論学習が優先されているように思います。森田理論を正しく理解し、納得することに力点が置かれているように思います。問題は理論を理解するだけで、活用や応用にまで至らないことです。これは片手落ちということになります。車でいえば理論学習の車輪が、学習するたびに、大きなものに付け替えられている状態です。実践・行動、活用や応用の車輪は小さいままです。アンバランスです。それを前に転がしたとき、小さい車輪の周りを大きな車輪が空回りすることになります。これでは症状は克服できません。思いとは反対に、どんどん増悪していくということになります。森田理論を極めた人が、元気がなくなり、急に落ち込み、うつ状態になるという話を聞くことがあります。その人が規則正しい生活をしているのか、凡事徹底に取り組んでいるのかを見ていると、落ち込んでいる原因はすぐに分かります。つまり実践・行動、活用や応用が極めて不十分な場合が多いのです。あるいは移り気で継続性がない場合もあります。そういう人は、そのようには考えないで、森田理論の理解がまだまだ不十分だから、神経症が悪化したと考える傾向があるのです。従ってさらに理論学習にのめり込むという悪循環にはまっているのです。視点を変えることが必要になります。学習と行動の車輪は同じ大きさであるということが大切になります。小さい時は小さいなりに、大きくなれば両方の車輪を同時に取り換えていく必要があります。集談会に参加するような人は、真面目によく学習されています。この際学習は横に置いておき、実践・行動、活用や応用に力を入れることです。学習と実践のバランスをいかにとるかに注意を向けることが大切になります。そうすれば万事うまくいくようになっているのが森田理論です。目の付け所を間違えないようにしたいものです。
2022.09.18
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6月の集談会で興味深いことを聞いた。以前に青木薫久先生のところに入院されていた方である。青木先生は目的本位ではなく、物事本位ということを言われた。これはどういう違いがあるのか。言葉遊びのような気がしないでもないが、興味が尽きない。森田では見つめて、問題点や課題に気付く。その解決に向けて努力する態度を勧めている。これは目的本位ということではないのか。6月号の生活の発見誌に、『気分や症状はどうであれ、必要な行動ができたかどうかで物事を判断することを「目的本位」といいます。いくら気分がすぐれなくても、必要な仕事が達成できればOK。逆にいくら気分が良好であったとしても、仕事が成し遂げられなかったらNGという姿勢です』と説明されています。この説明に異論があろうはずがありません。特に神経症でもがいている人は、頭の中が神経症のことで一杯で、日常茶飯事が手付かずです。そのことで益々観念と行動の悪循環を招いています。そのような人には、首に縄をつけてでも、規則正しい生活、日常茶飯事を丁寧にこなすことが大切になります。気分がすぐれなくても、イヤイヤ、仕方なく、気が向こうが向くまいが関係なしです。いわば強制的です。その取り組みはよい結果をもたらします。それでも行動しない、できない人が多いのです。ここでは目的本位というスローガンを掲げて行動力をつけることが大切です。ではそういう態度を続ていけば問題がないのかという疑問が湧いてきます。特に最悪期を脱した後に、神経症を治すための行動は事態の悪化を招きます。目的本位は「かくあるべし」と親和性があります。掲げた目標、課題を何が何でも達成しなければならないと叱咤激励することは、百害あって一利なしだと思います。この点森田先生はどのように指導されていたのか。この「なりきる」ということが「悟り」です。われわれは人生の欲望に対して、常に念掛け、あこがれながら、その目的を失わず、しかも何かとその現在現在の事柄に対して、力の及ぶ限りのベストを尽くしているのが、「物そのものになりきる」という自然の状態であります。そこにはじめて「努力即幸福」という心境があるのです。(森田全集第5巻 615ページ)つまり、最悪期を脱した後の行動は、「ものそのもになりきる」「一心不乱」「遊戯三昧」「目的を忘れた行動」「行動に没頭する」という姿勢・態度が肝心になるということです。これが青木薫久先生の言われていた「物事本位」になるということではないでしょうか。行動が停滞している時は弾みをつける意味で「目的本位」を意識していく。はずみがついたら「物事本位」に切り替えていく態度が望ましいというになります。
2022.09.15
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