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図書館は昨日から休館で、公民館は明日から休館です。ということは、ブログ更新できるのは今日が今年最後となります(私の場合)今年の後半は、リタイア即Uターン、免許取得、それから胃癌が見つかったりと慌しい年であったが・・・・来年こそ、リハビリに努めマラソンレースに復帰しようと思ってはいるのです。3月20日の宿毛マラソンにエントリーしているけど、さすがにこの時期の出走は微妙ではあるな~。(わりと鈍感というか、落ち込みは無いんですが)ところで、核心的利益を強調し、ますます不透明感を増す中国軍の動向など、このところなにかにつけ癇に障る中国であるが・・・・こんな記事がありました。 インフレを恐れる中国政府、混迷する日本経済より さらに言えば、中国政府にとっては経済成長が一番の目的ではないのです。あくまで一番は、共産党一党独裁体制を守るということです。そのために経済を成長させているのであって、経済のために共産党政権があるわけではありません。この点を見誤ると、中国は見えないのです。 今のところ、成長率8%というのが、中国政府にとって、つまり共産党政権にとって一番心地よいと考えていて、その状況を長期的に維持したいのです。 ただし、先ほどもお話ししたように、人民元を実勢に合わせて切り上げていきますと、8%という成長率を維持するのは難しいだろうと私は考えています。 現在、中国がこれだけの貿易黒字を上げられるのは、人民元のレートを中国政府が強力にコントロールしているからです。この状態を世界がいつまで許すのか、という問題があるのです。 日本も世界第二位の経済大国になっていく中で、円を完全に変動相場制に移行しました。それだけが原因ではありませんが、その後、低成長が続いていることは間違いありません。 ですから、3~5年のスパンで見た場合、中国が本当にこれまで通りの成長を続けられるかどうか、ということが問題なのです。私は難しいのではないかと思っています。 その理由は何でしょうか。まず、中国は膨大な食糧輸入国です。食料価格が高騰していく中で、国民全員に食料を与えようと思ったら、人民元を切り上げた方が輸入物価は下がりますから、その面で都合がいいのです。しかし、人民元が切り上がると、輸出産業にとっては大きな打撃になります。ですから、それまでに中国経済がうまく内需経済主導に転換できるのかどうかがポイントになります。 尖閣諸島は中国の核心的利益と物騒な物言いに翻弄されているが、日本もかって大東亜共栄圏という大風呂敷を広げた時期があっただけに、未来に対しても歴史認識が大事なんでしょう。ところで、今度ブログ更新できるのは、多分、退院後の1月18日頃となる予定です。皆さん、良いお年を♪
2010.12.28
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クリスマス寒波のおり、皆さん如何お過ごしかと・・・・温暖な四国南西部もさすがに今日は初雪がちらついているけど、朝飯まえから走ってきた大使でおます。(アホやで)図書館が27日から休館になるそうで、昨日「歌うクジラ」を読破したので、速やかに返却してきたのです。 理想がすべて良いものとは限らない。理想はすべて最適値を示す。しかしある状態における最適値というものがあっても、その状態が永遠に続くわけではない。それが指導者としてわたしに降りかかった最大の問題で、文化経済効率化運動で最適値を見出し棲み分けこそが理想であるという考え方のもと、矛盾や問題や怨嗟のない社会を実現したが、同時に人間の欲望が生み出すパワーが衰退した。何とか棲み分けを破壊するために、わたしはわたしの強大な影響力を使い、この22年間で、これまで2285名の男子に対して旅を指示し強要した。15歳から17歳までの若年層だ。だがアキラ、意外と言うべきか、当然と言うべきか、ここまでたどり着いたのはお前一人だ。最下層の、新出島のお前だけがこの宇宙までたどり着いたというのは、まさに皮肉であり、冗談などではなく、わたしの考え方の敗北と新しい可能性を示すものなのだ。 階層や階級というものは、隠蔽されている場合には横断に意味がある。だが棲み分けが完成した社会では階層は人工的なシステムではなく自然環境と化してしまう。階層や階級は横断するものではない。本来は破壊すべきものだ。棲み分けによる理想社会を作り上げたわたしがこういうことを言うのは矛盾していると思うかも知れないが、階層や階級への本能的な破壊の願望を理解できていない人間には社会の統治などできはしないのだ。わたしもハマサツキも革命家だった。悲劇は、棲み分けが自然環境として固定化したときに人間の精神にどういった影響があるか予測できなかったことから生じた。こう言ったヨシマツと、この後に壮絶なバトルがあるわけです。アンチエイジングなんたらのアメリカ発の拝金かつ功利的な考えには、反発をおぼえる大使にとって・・・・この小説は、SF映画のような臨場感もあり、面白い小説でした。
2010.12.25
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四国西南部はピーカンの小春日和で・・・・師走の慌しさはどこ吹く風で申し訳ありません(それは私だけか)ところで、井上ひさしさんからの受け売りなんですが・・・・*****************************************************************相手に自分の意見を言う。そのとき、相手の意見は自分とは違うかもしれない。その場合をあらかじめ考えの中に入れて、「よくわからないけど、わたしはそう思うのですよ」と緩衝材を入れる。つまり、これは言葉のクッションなのではないでしょうか。日本人は、ようやく他人に自分の意見を言うようになったのです。しかし、その場合の敬語法がない。そこで、おずおずと新しい言い方を探している。その表れが「わからないけど」であるとすると、これはひょっとしたら好ましい傾向なのかもしれませんよ・・・よくわからないけど。「日本語観察ノート」井上ひさし著、中央公論社より********************************************************************* 日本人は、どうしても仲間のなかで波風をたてずに暮らしたいんですね。日本語もその処世術に取り込まれて、白黒をぼかすというか、言わずもがなというか、とかく、その場の空気を読む必要があるようです。ところが外国語となると、そうはいかない。外国語を学ぶということは、その国の思考方法まで余分に学んでしまうということになるようです。つまり英語であれば、白黒を鮮明に、俺が俺がと自己主張をしていないと「あいつはバカか」となってしまうお国柄なので、日本流処世術をいったん捨てて話す必要があるんですね。なるほど、英語はビジネスに適した言葉かもしれない。しかし英語などというこんな品の無い言葉は、仕事上でやむを得ず使う以外は使いたくないのが人情というもので・・・・日本人は世界に冠たる英語下手と言われようが、「それで、なにか?」と聞きながす度量が求められるのだろう・・・よくわからないけど。(受験生の皆さんは聞きながしてくださいネ)
2010.12.22
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胃癌で全摘が避けられないということで、曲りなりにも死の淵を覗いてしまった大使であるが・・・・・それにしても、最近は癌の告知は本人に対してあっさりと(無情にも)言うものなんですね。言ってもらうのはいいとしても、もっとましな言い方があるんじゃないの?と釈然としない気もするのだが。それはさて置いて、入院までに日があるし(もしもの事があればと)、小学校の同窓生に会っておこうと思いたったのです。昔はそれなりの広さに感じたが、今思えば狭い町だから、自転車どころか歩いて会いに行ける広さである。お好み焼きや喫茶店のオーナー、それに飲み屋の女将(おばちゃんと言うべきか)とか接客業の連中ならお客として会いに行けばいいわけだし、店の場所については人づてに聞いて当たりがついているのです。ということで、昨日はお好み焼きの店(男生徒)に行ったのです。夕食前という微妙な時間帯だったのでお客は私だけであり、店主ご夫妻と積もる話もできたし、ビールもいただいたのです。医者からは禁酒禁煙を言い渡されているが、入院前だからこそ、自己責任で飲みたいのである。ところで、偶然だが彼も胃を2/3ほど取っているそうで、石を投げれば癌患者に当たるような有様なんですね(なんか安心するのである)思わぬところで癌談義が盛り上がったりしたが、同窓生だけに50年ほど昔の情景が昨日のようによみがえるのです。今日は喫茶店(女生徒)にトライしようかなと思っているが・・・・だけど、昔の女生徒に合うには踏ん切りがつかないというか心理的な距離があるわけですな~・・・・・・と言いつつ、さきほどその喫茶店に行ってきたのです。入院前に会っておかないと、会えなくなるというのは冗談で・・・・3年8組の皆さんにアナウンスして欲しいし(あなたにも会いたかったし)その店で彼女の娘さんに給仕してもらったが、母に似てきれいな子でした。
2010.12.21
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2023年に人類は不老不死の遺伝子、SW(歌うクジラ)遺伝子を手に入れた。それ以降、階層化の進む日本では反乱移民軍と日本自衛軍との間で2度の内乱があったのです。時は2110年代・・・・村上龍の新著「歌うクジラ」に移民が使うおかしな日本語が出てくるのです。この日本語では助詞の使い方が、奇異というか面白いのです。たとえば・・・・・ヨシマツで移民反乱に終止符に打たれた、ヨシマツでニッポンとわれわれを結びつけることはできる人物だ、唯一を希望をヨシマツだ、こいつをヨシマツで訪ねていくらしい、役で立つをも知れないじゃないか。ヤガラという人は、独り言のようにそう言って、今から仲間にするまで文句をないか、と他の仲間を見回した。そいつだから仲間だ、冗談ほどじゃないよ、とサガラという人が言った。移民を受け入れた日本で使われる日本語がこれなのか?水村美苗さんが普遍語としては日本語は滅ぶと予言したが、移民が話す普遍語として生きているとは皮肉な未来というべきでしょうか。村上龍はこの小説で資本主義の未来を否定的に描いているが、村上龍がこれまでの小説でカナリヤのように警鐘をあげた近未来の一部が本当に招来したこともあるだけに・・・怖いですね。 第2次移民内乱では外国人労働者の武装組織は西日本の山岳地帯をベースにした。気候が穏やかで食物も豊富だったからだ。日本自衛軍は何百回と大規模な掃討を行ったが、武装組織は女や子供が殺される映像を流して国際世論に訴え、国連が調停に動いた。停戦が実現し、おもな戦闘地域だった中国地方に停戦監視委員会と国連軍が駐屯してきた。反テロ目的で数十社の世界企業が創設したGCA、つまりグローバルシビルアーミー、国際市民軍と呼ばれる軍隊が国連軍の中心だった。他には中国軍と統一朝鮮軍、オーストラリア軍が小規模な部隊編成で加わった。 世界企業はシビルアーミーを利用して瀬戸内海沿岸でさまざまなビジネスを行ったが、ある穀物商社とエネルギー会社が中国地方の豊かな水系に目をつけた。そして大量の水を安価で買い取り水源が枯渇した国や地域に輸出して莫大な利益を得た。日本政府は黙認したがその地域に住む反乱移民軍が水資源の搾取に反発しシビルアーミーとの衝突が起こり治安が悪化した。 以上がこの小説の背景なんですが・・・・北海道では仁義無き中国資本により、水源の買付けが始まっているそうであり、それを防ぐ法律が無いので地方自治体が手をこまねいているそうです。また、100坪程度の値ごろの別荘地も中国人富裕層の土地転がしの対象となっているそうで、感度のにぶいお役人も困ったものである。とまあ・・・・図書館で予約して借りた「歌うクジラ」上・下のうち、上巻をほぼ読み終わったところです。入院中に読むつもりで借りたけど、入院が延期となったので年内に読み終わりそうです。
2010.12.19
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昨日は大腸カメラを呑まされて、たいへんでした。(厳密に言えば、下から入れられてですけど)結果が良かったので、その苦労も笑い話になるのだが・・・・前日の昼と夜は病院で購入した特別食をとり、当日の午前中は大量の下剤入り飲料(ポカリスウェット風味)を飲んで胃腸をからっぽにして、事にのぞむわけです。1時間くらいカメラで検査を受けたのですが、モニターを見るのは楽しくないので遠慮した次第です。胃摘出手術の前には大腸も見ておこうという医師の診断はごもっともであり・・・・検査中に大腸カメラのオペレーターの誠意は十分に伝わってきたのです。年内の手術を希望したのですが、込んでいるので、手術は1月5日になるとのことです。症状の悪化が気になるところですが「お正月を楽しんでください」という医師の言葉があり・・・・病状進行がないなら、この際、食べられるうちに食べておこうと、気持ちを切り替えたのです。体調もまーまーだし、軽く走っておくか。
2010.12.18
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NHKのBSで2夜連続でGASLANDというドキュメンタリー映画が放映されたが・・・・アメリカでは、ある日、裏庭の隣に掘削井が出現して、蛇口から天然ガスが噴出したりしているようです。この映画では、天然ガスの採掘方法で用いられる水圧破砕採掘法によって飲み水が汚染された人々をレポートしているが・・・・・水圧破砕法によるシェールガスの採掘なんてものは環境破壊そのものであり、こんな工法は生物のいない地球外の惑星で許されるSFのような話であるが・・・・・拝金のアメリカでは、住民の苦情などという柔なものは無かったことにされるのが怖いのです。つまり石油、ガス企業のやり口は、井戸水の代わりに飲料水を提供し、わずかな補償金を払って口封じするわけです。戦争を民営化するなど、とことん拝金のアメリカの富裕な管理者階級にとっては、環境破壊なんてものは戦争に比べるとかわいいいもので、金でかたが付くとでも思っているのでしょう。ここにも、あのチェイニーのハリバートン社が顔をだしているのです。ダースベイダーのように暗黒面のフォースを信奉していると公言したとか、しなかったとか?要するに、金をバックにしたロビー活動と弁護士がこの国をダメにしている。COP16で日本が米中抜きの温暖化対策は無意味だとして、けつをまくったけど・・・・・こんなアメリカの環境対策に期待するのは、かなり夢物語なのかも?This land is your land, this land is my landFrom California to the New York Islandこの映画でピートシーガーがこの歌を歌っていたが、カルフォルニアからニューヨークまで採掘井を示す赤い点に埋めつくされた地図が二重写しで出てきます。いつのまに、自国民にとってこんな酷い国になったんだろう?水圧破砕採掘法(Hydraulic Fracturing)とは天然ガス採掘に用いられる水圧破砕法は水とともに有害な化学物質も注入する。その化学物質が地下水に流れ込み飲み水として利用されるというもの。住友商事、米国におけるバーネット・シェールガス開発プロジェクトについてのように日本企業が食指を伸ばしているけど、くれぐれも火事場泥棒のようなことは慎んでもらいたいものです。米国の天然ガス事情・・・おや三菱商事も
2010.12.15
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銅相場の値上がりがあり、四国では電線ドロボウが復活したが・・・・四国で、いちばん盗難件数の多い地方が幡多であるという不名誉な報道があったばかりである。(中国がくしゃみをすれば、幡多で電線が盗まれるという関係があるようです-笑)ところで、予土交流会という文学的な催しが伊予の伊方であり、友人が幡多から参加したが、友人の報告によれば・・・・伊予の講演者から彼の地の作品について紹介があり、友人は感じ入ったそうである。いちじ禅に帰依したこともある高橋新吉の詩が鋭い。-1925年詩集「ダダイスト新吉の詩」より-るすと言えここには誰も居らぬと言え五億年経ったら帰って来るまた、富沢赤黄男の俳句もシュールである。蝶墜ちて大音響の結氷期伊予とダダイズムであれば、そんなに違和感はないが・・・・・どだい、幡多とダダイズムという取り合わせは有り得ないし、その取り合わせはシュールですらある。明治、大正期の幡多には政治家は生んでも、詩人を生むほどの文化は無かった。そして、子規を生んだ伊予には日本でも屈指の文化的素地があったということでしょうね。地理的に近い伊予との文化的な落差に興味を持ち、取りざたするのは、隣の幡多人(つまり私たち)だけかもしれないが・・・・この種のコンプレックスも、プラスに作用すればいいんですけどね。とにかく、西原理恵子が「なんもかんも、やりくさし」と匙を投げた県民性だしな~。蛇足かもしれないが、映画「パーマネント野ばら」で電線ドロボウの話が出てくるが、この撮影地が幡多地方なんですね。もっとも・・・・寺山修司を生んだ青森の三沢など、かなり鄙の地であるとおり、アーティストの出身地は中央も田舎も関係ないのかも知れないですね。TERAYAMA WORLD
2010.12.12
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「まな板の上の鯉」のような心境で病院にでかけたのです。医者から、採取した組織の分析結果の説明があったが・・・・(説明というより宣告というのがふさわしいが)結果は悪性であり、胃のかなりの範囲を切除する必要があるそうです。ショックは大きいが、なるようにしかならないのが人生というもので・・・・ツーカーで切り替えがきくのが、大使の取り柄である。しかし、自覚症状はほとんどなくて、むしろ体調はいいのに悪性ということに自分自身で腑に落ちないのです。この分では、手術前の適性チェックはたぶん問題なしで、手術に対する耐性にはかなり自信がないでもないのです。ただ、年金生活の金蔓でもある私は、家族のために細く長く生きる必要があるのが辛いところなんです。(福祉が不十分な日本では、金蔓が先になくなるわけにはいけないのです)この後、親友の医者に状況を説明して、転院先の病院の評判を確認した後には覚悟が定まったのです。手術前に旨いものを食っておく必要があるので、会食の約束も取り付けたりして・・・・手術前の心構えは良好なんですけどね。
2010.12.11
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昨日とりあげた歴史認識の続きですが、今も続くアフガンでの戦争を内田先生はどう見ているのでしょうね。そのあたりを「街場のアメリカ論(2005年刊)」より引用します。最近起きた尖閣諸島事件や北朝鮮の砲撃事件で日米安保も新しい局面を迎えているにしても、アメリカの戦争体質に関する内田先生の洞察は明晰であると思うわけです。「街場のアメリカ論」P128~132 つまり、歴史はアメリカ人に「戦争で打ち負かした相手は進んで同盟者になる」という経験則を教えているのです。戦争しないことよりも戦争に勝つことの方が同盟者を増やすうえでは効率的であるというロジックはアメリカ人にとってはそれこそが「歴史の教訓」なのです。ですから、アメリカが「とりあえず戦争に勝つ」ということを世界戦略の基本にするのは(はた迷惑な話ではありますが)ごく自然なことです。 イラク戦争もこの成功体験から抜け出せないまま始めてしまいました。負け戦争からの撤退はベトナム戦争で経験しているはずなのですが、あのときも「止め方」がわからなくて、アメリカはたいへん苦労しました。 ベトナム戦争も戦略的には大失敗でしたが、あのときはまだ東西冷戦構造という巨大な「物語」があって、共産主義と資本主義勢力の現地政権の「代理戦争」という言い訳が通りました。しかし、イラク戦争ではアメリカが肩入れする現地戦争が存在しません。 ソ連が崩壊したことによって見た目にはアメリカの一人勝ちなんですけど、実際には貿易赤字も累積して、世界最大の債務国になっていますし、生産力も落ちています。依然として世界第一の国ではあるんですけど、総合的な国力や、国際社会での威信は低下している。そういう下降局面の中で、アメリカの存在感を訴えるためには、格下の国に対して軍事的攻撃を加えるということはたしかに有効な政策です。エマニュエル・トッドはこれを「演劇型戦争」と呼んで、アメリカはアフガニスタン、イラクの後もイランやキューバなどの小国に対して演劇型の戦争を仕掛け続けるのではないかという不安を語っています。 9.11から後のアメリカは依然として圧倒的な軍事的優位を背景にして、「敵対国を同盟者にする」という路線を進んでいます。でも、所期の効果を上げていません。理由はもうおわかりですね。それは、今アメリカが敵対している勢力が古典的な意味での「国民国家」ではないからです。国家は地理的に固定された存在ですから、国土を捨てて逃げ隠れすることはできません。でも、今の敵は地理的に存在を特定できず、ただ機能的にのみ存在する、アモルファスな「テロリスト・ネットワーク」です。 アメリカで次のテロがあったときに、その犯人たちが「アメリカ市民」であった場合、アメリカは深い混乱のうちに沈むでしょう。そのときにはじめて建国以来の「戦争の有効性」に対する信頼が揺らぐことになるからです。国民国家と国民国家が領土や権益をゼロサム的に奪い合うという古典的な「ウェストファリア・システム」で世界戦略を語ること自体がすでに困難になりつつあるという状況にアメリカはうまく対応できていません。これは統治者たちの政治的知性の問題でもありますけど、それ以上にアメリカ国民が「国民国家以外の政治単位が主体であるような政治」というようなフレームワークを受け入れることを拒否していることに理由があるように思われます。 今アメリカ合衆国と敵対しているのは領土も国境も国民も中枢的なセンターさえ持たないリゾーム的なテロリスト・ネットワークです。彼らがそのようなアモルファスな政治単位を選んだのは、そのような不定形的なものだけがアメリカのような超大国の支配と拮抗しうるということに気づいたからです。このあと内田先生はアメリカの没落について、次のように述べるのですが、当時(2005年)の中国と今とでは様変わりしているので、今論じるなら中国ファクターを加味して少しは違ってくると思います。 アメリカは遠からず「没落」するでしょう。これは避けがたい流れです。ですから、戦略的な考え方をするならば、私たちの優先的な課題は、「アメリカが滅びていくことがもたらす被害をどうやって最小化するか」ということに集約されます。アメリカが急激に没落してゆくことで世界が受ける衝撃は巨大です。それがどれくらいの混乱をもたらすかは測定不能です。ですから、アメリカにはできるだけゆっくりと没落していってもらいたい。いかに周囲を巻き込まないで、静かに滅びてもらうかということを、ヨーロッパとかアジアの諸国が考えて、政策的に提言してゆかないといけないんじゃないかと思います。そこまで言うか・・・内田先生も、そんな「猫の首に鈴をつける」ような政策的提言を誰がやってくれるのかわかりませんがと言っていて・・・反米の思いは伝わるけど、言った責任を取ってほしいものです(笑)とにかく、領土や権益をゼロサム的に奪い合うという古典的なパッションを持ち続ける中国に対しては、対抗勢力としてのアメリカには、もうしばらく居てもらう必要がありますネ。
2010.12.09
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NHKが「坂の上の雲」に続けて「安保50年」を放映した晩に、友人と呑みほうけていて見逃したけど、この二つの番組は見たかったのです。(ビデオ録画すればいいだけだけど)一部の視聴者には「坂の上の雲」のタカ派体質を非難する思潮があるように思うけど・・・・ドーンと、この二つを放映するところにNHKの度量というか、歴史認識を見るような気がして好感を持った次第です。ということで、さらに内田先生の歴史認識を傾聴しようではありませんか。内田樹著「街場のアメリカ論」より「歴史に『もしも』はない」といって、可能性についての吟味をそんなに気楽に退けてしまっていいんでしょうか?そういう決めつけは、やはり過去についてのある種の想像力(それは未来についての想像力と同質のものだと私は思います)を封殺してしまっているような気がします。 歴史の分岐点で転轍機のハンドルを切るのは最終的には一人一人の人間です。他の全員がハンドルを切ったけれど、その人だけがハンドルを切らなかったせいで、歴史の線路の方位が微妙に何度かずれて、それが何年か何十年か後には巨大な距離を生み出すということはあると思うんです。 私が言いたいのは、私たちの前にひろがる未来が可塑的であるのと同じように、過去のすべての時点で未来は可塑的であったということ、だからそのそれぞれの転轍のときに「ありえたどんな未来」があったのか列挙することは可能だし、それは人間の可能性や自由度について、それぞれの歴史状況を生きた人間に課せられた制約と同じくらい多くのことを教えてくれると思います。 政治的なアパシーや虚無感に私たちの社会は蝕まれていますけれど、その原因のひとつには左右両翼の歴史家がこれだけ共有している「歴史に『もしも』はない」という自由で創造的な推論に対する強い圧力にもあるように私には思われます。でも、歴史という舞台の上では誰もが「決められた台詞」を言うほかないというニヒリズムはほんとうに不可疑の心理なんでしょうか? 私にはそうは思えないのです。 幕末の志士や明治初年の青年たち、司馬遼太郎の小説に出てくるような若者たちのことをほめあげる保守系の政論家や歴史家はたくさんいます。でも、その青年たちが政治や外交に命がけでコミットできたのは、「一人の人間の決断が国の運命を変えることももある」と思ったからですよね。そうじゃなければ、なかなかあそこまで死に急ぐことはできやしません。でも、明治の青年を賛美する人たちは、そういう青年たちを称揚しておきながら、同時代人の若者に向かっては「歴史に『もしも』はない」と言う。「人間は結局決められた台詞を読み上げる以上のことはできないのである」と説教している。それって、なんか話のつじつまが合ってないと思いませんか? 歴史の流れは、わずかな入力の差で劇的に変わることがありうる複雑系です。北京で蝶がはばたいたら、それで生じた空気の密度の変化がやがてカリフォルニアで嵐を起こすことがある、というプリゴジーヌの「バタフライ効果」というカラフルな比喩が複雑系についてはよく引かれますが、わずかな入力の違いが予想もできない出力差を生み出すことがあるのが複雑系であり、歴史はまさに複雑系以外の何ものでもありません。だから、歴史に「もしも」を導入するというのは、単にSF的想像力を暴走させてみるということではなくて、一人の人間が世界の運行にどれくらい関与することができるのかについて考えることであって、それはそのまま自分が今投じられている世界の構造についてあふれるばかりの好奇心を持って観察することに、さらにはこの自分自身の一挙手一投足がそのまま未来に対して決定的な影響力を及ぼすこともあるのだという希望を持つことに通じると思うのです 斜に構えているようでニヒリズムとは対極にあるような、内田先生の歴史認識でした。ところで、内田先生が「マイナスの想像力」と称する能力が興味深いのです。この能力あってこそ、SFや歴史小説が書けるというものですね。(なにも大使がSFや歴史小説を書くぞ!と言っているわけではありませんが) 1940年の日本がアメリカからどう見えていたかということは、そのリアルタイムにまで遡行してみないとわからない。それは、言い換えると、その後の65年分の歴史を「かっこに入れて」、一時的に「なかったこと」にしてしまうということです。その後に太平洋戦争があって、日本が負けて、アメリカに占領されて、サンフランシスコ講和条約があって、安保条約があって、日米同盟関係が強化されて・・・・という「それから後」を想像的に控除してみないと、まだそれらのことが起きていない過去のリアルタイムの気分というか空気というか、そういうものはわからない。 歴史を読むときにいちばん習得するのが困難なのはたぶんこの「マイナスの想像力」の使い方です。それは、「すでに起きたこと」を「まだ起きてないこと」として「かっこに入れる」想像力の使い方です。
2010.12.08
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さきほど、胃カメラによる検査を受けてきたけど・・・・胃潰瘍とのことでした。(その一部始終をモニターで見ていたけど、リアルで、ちょっと怖いですね)組織の一部を取って分析検査に出しているので、結果が10日にわかるそうです。先生から曰く「良性であれば投薬治療で、悪性であれば手術が必要です。しかし、これほど悪いのに自覚症状が少なかったですね。」・・・・少々むかついても練習に走り出ていた医者いらずの大使も、さすがに「これは大変な事態なんだ」と自覚した次第です。良性、悪性にかかわらず、今後、何回か胃カメラを飲む必要があるとのことであるが・・・・部分麻酔をかけていても、胃カメラを飲むときはかなり辛いものがあります。願わくは、良性であらんことを。
2010.12.08
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中国による電池の標準化戦略が、日本のEV・電池メーカーを根底から揺さぶり始めたそうです。えらいこっちゃ。日本へのレアアース輸出では、売り惜しみのような動きが見られるとおり最近の中国の商売は仁義無き覇権志向なので、日本はガラパゴスのような技術に安住しているわけにはいかないようです。日本揺さぶる中国の電池標準化より 中国政府が電池の標準化に本腰を入れ始めた。11月上旬に中国で開催された電池の国際見本市で標準化案を発表。標準化を巡る国際競争が、日本のEV・電池ビジネスの“鬼門”となりそうだ。 日本勢が垂直統合を志向していることも、標準化争いには不利に働く。 日本の場合、トヨタ自動車はパナソニックと、日産自動車はNECと、三菱自動車はジーエス・ユアサ・コーポレーションと共同出資会社を作り、自らが電池メーカーとなっている。日本メーカーはこれまで、主要機器の内製化を競争力の源泉としてきたからだ。 他方、欧米は自動車メーカーと電池メーカーが別であるため、ゼネラル・モーターズ(GM)が韓国のLG化学から電池を調達するように、比較的柔軟に電池を選択できる。いわゆる水平分業志向である。 しかも、日本の電池を標準とした場合、技術の優位性は保てるが、普及のスピードが遅れてコストダウンが進まない恐れがある。一方、中国製のような低コスト電池を標準とすれば、電池技術での差別化は難しいが、EVのコストダウンが進み、EVや電池の普及が加速するというメリットがある。以前に製鉄技術を伝えたドラマ「大地の子」を見たが・・・そんな牧歌的な人情話が今でも通用していると思っていては・・・孫子の兵法で足元をすくわれるんでしょうね。NHKスペシャル自動車革命「電池を制するものが世界を制する」より リチウムイオン電池の技術的な問題はいくつかあるのだが、そのうちの一つに高温では安定性にかけるという問題がある。これを解決するためにアメリカのメーカーはリチウムにリン酸鉄を混ぜるリン酸鉄方式を編み出した。 これで安定性は確保できるのだが、高温になれば蓄電能力が低下するという。アメリカ・中国の企業はこの安定性を重視し、少々蓄電能力が低下してもかまわないというりン酸鉄方式を採用している。一方日本では安定性と蓄電能力の両方を確保するため、ニッケル・マンガンを加える日本方式を採用しており、高品質ではあるが操作が難しい方式を採用しているのだそうだ。 現状は日本が技術で一歩リードしているものの、リン酸鉄方式は相当の脅威であり、かつアメリカ・中国の追い上げがきつく、このままでは日本のかつての半導体事業のように瞬く間に追い抜かれてしまいそうだという。
2010.12.07
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池田さんのメアのクビを取れにメア日本部長発言(沖縄タイムスより)が載っています。学生相手にアメリカの官僚(小役人というべきか)の考えがわりと正直に出ていますね。この考えはアメリカ人の平均的日本観に近いものかもしれないが、役人として「それを言っちゃーお終いよ」的発言であり、役人として脇が甘いとしか言いようのない発言でした。第一に沖縄県民を侮辱し、その次に日本人全体を侮辱している発言であり、ルース大使が陳謝して済む問題だろうか?沖縄の基地が抑止力として働くか疑問符がついている中で、「日本人は合意文化をゆすりの手段に使う」「思いやり予算はアメリカに利益をもたらしている」などとこんなにあけすけな(侮辱的な)発言を受けてまで、守ってもらいたいなどと思っていないんですが。アメリカン大の学生らが作成したメア日本部長発言録全文は次の通り。 × × 私は2009年まで駐沖縄総領事だった。在日米軍基地の半分が沖縄にあるといわれているが、この統計は米軍専用基地だけ勘定している。もし、米軍基地と米軍と自衛隊が共用している基地のすべてを考慮に入れれば、沖縄の基地の割合はもっと小さくなる。沖縄で問題になっている基地はもともと水田地帯にあったが、沖縄が米施設を囲むように都市化と人口増を許したために今は市街地の中にある。沖縄の米軍基地は地域の安全保障のために存在する。基地のために土地を提供するのが日米安保条約に基づく日本の責務だ。日米安全保障条約に基づく日米関係は非対称で、日本は米国の犠牲によって利益を得る。米国が攻撃されても日本は米国を守る責務はないが、米国は日本を守らなければならず、日本の人々と財産を保護する。 集団的自衛権は憲法問題ではなく、政治問題だ。1万8千人の米海兵隊と航空部隊が沖縄に駐留している。米国が沖縄に基地を必要とする理由は2つある。既にそこに基地があることと、沖縄は地理的に重要な位置にあることだ。(東アジアの地図を見せながら)、在日米軍の本部は東京にあり、そこは危機において、補給と部隊を調整する兵たん上の中心に位置する。冷戦時に重要な基地だった三沢はロシアに最も近い米軍基地であり、岩国基地は朝鮮半島からわずか30分だ。さらに、沖縄の地理的位置は地域の安全保障にとって重要だ。沖縄は中国に朝貢していたが、独立した王国だった。中国の一部になったことはない。米国は1972年まで沖縄を占領した。沖縄の人々の怒りや失望は米国でなく日本に向けられている。日本の民主党政権は沖縄を理解していない。日本政府は沖縄とのコミュニケーションのパイプを持っていない。私が沖縄の人と接触しようと提案すると、民主党の関係者は「はい!はい、お願いします」という。自民党の方が現在の民主党政権よりも、沖縄と通じ合い、沖縄の関心を理解している。3分の1の人は軍隊がない方が世界はもっと平和になると思っているが、そんな人たちと話し合うのは不可能だ。09年の選挙が民主党に政権をもたらした。これは日本では初の政権交代だ。鳩山首相は左派の政治家だ。民主党政権下で、しかも鳩山首相だったにもかかわらず、米国と日本は2+2(外務、防衛担当閣僚による日米安全保障協議委員会)の声明を(昨年)5月に発表することができた。〈メア氏は部屋を退出し、彼の2人の同僚が日米の経済関係について講義。メア氏が戻ってきて講義を再開すると、2人の同僚は部屋を出た〉米国は普天間飛行場から海兵隊8千人をグアムに移し、米軍の存在感を減らすが、軍事的プレゼンス(存在)は維持し、地域の安全を保障、抑止力を提供する。(米軍再編の)ロードマップのもとで日本は移転費を払う。これは日本による実体的な努力のしるしだ。日本の民主党政権は実施を遅らせているが、私は現行案が実施されると確信している。日本政府は沖縄の知事に対して「もしお金が欲しいならサインしろ」と言う必要がある。ほかに海兵隊を持っていく場所はない。日本の民主党は日本本土への施設移設も言ってきているが、日本本土には米軍のための場所はない。日本の文化は合意に基づく和の文化だ。合意形成は日本文化において重要だ。しかし、彼らは合意と言うが、ここで言う合意とはゆすりで、日本人は合意文化をゆすりの手段に使う。合意を追い求めるふりをし、できるだけ多くの金を得ようとする。沖縄の人は日本政府に対するごまかしとゆすりの名人だ。沖縄の主産業は観光だ。農業もあるが、主産業は観光だ。沖縄ではゴーヤー(ニガウリ)も栽培しているが、他県の栽培量の方が多い。沖縄の人は怠惰で栽培できないからだ。沖縄は離婚率、出生率、特に婚外子の出生率、飲酒運転率が最も高い。飲酒運転はアルコール度の高い酒を飲む文化に由来する。日本に行ったら本音と建前について気を付けるように。言葉と本当の考えが違うということだ。私が沖縄にいたとき、「普天間飛行場は特別に危険ではない」と言ったところ、沖縄の人は私のオフィスの前で抗議をした。沖縄の人はいつも普天間飛行場は世界で最も危険な基地だと言うが、彼らは、それが本当でないと知っている。(住宅地に近い)福岡空港や伊丹空港だって同じように危険だ。日本の政治家はいつも本音と建前を使う。沖縄の政治家は日本政府との交渉では合意しても沖縄に帰ると合意していないと言う。日本文化はあまりにも本音と建前を重視するので、駐日米国大使や担当者は真実を言うことによって批判され続けている。米軍と日本の自衛隊は違った考え方を持っている。米軍はありうる実戦展開に備えて訓練しているが、自衛隊は実際の展開に備えることなく訓練をしている。日本人は米軍による夜間訓練に反対しているが、現代の戦争はしばしば夜間に行われるので夜間訓練は必要だ。夜間訓練は抑止力維持に欠くことができない。私は日本国憲法9条を変える必要はないと思っている。憲法9条が変わるとは思えない。日本の憲法が変わると日本は米軍を必要としなくなってしまうので、米国にとってはよくない。もし日本の憲法が変わると、米国は国益を増進するために日本の土地を使うことができなくなってしまう。日本政府が現在払っている高額の米軍駐留経費負担(おもいやり予算)は米国に利益をもたらしている。米国は日本で非常に得な取り引きをしている。(共同)
2010.12.06
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空は真っ青で雲もない・・・・昨日の嵐がウソのような好天である。喫茶店で読書して、その後、公民館のパソコンで日記を更新しているが・・・・絵に描いたような楽隠居である。完全年金生活も2ヶ月すぎたので、生活費感覚をつかむ必要があるが・・・・嫁さん任せで、自分で家計簿をつけていないので、極楽トンボのような有様である。(そのうち、税金と国保の過酷さがわかってくるとは思うが)毎日暇であるが・・・賭け事にはさっぱり興味無し、晴走雨読の環境があればそれ以上望むでなく、ほんとに安上がりにできているので・・・・前回書いた「貧乏でもへっちゃらだい」という心境である。とま~リタイア後のタガが緩んだ生活を楽しんでいるが・・・何かしないとぼけるので、友人のつてで仕事を探す予定でおます。ところで、今朝のNHKで良洞民族村が放映されていたが・・・・これだけ瓦屋根の古民家が集まっている景色を韓国で見たことが無いので、このあと韓国に行く機会があれば、ぜひ訪れてみたいものである。(好みとしては新羅よりは、伽耶、百済ではあるが)司馬遼太郎「新羅の旅」の一部を紹介します。 新羅の古都の慶州へ行く途中、ミセス・イムにも、新羅と百済はどちらがお好きですか、ときいてみた。 「新羅は華やかでいいですけれども」と、まず新羅をほめた。なるほど新羅の工芸は華麗であり、国土は富み、その国都慶州の民家何千軒はことごとく瓦ぶきであったという。その時代、瓦ぶきの民家がびっしりならんでいるというような富裕な景観は、むろん日本にはない。日本で瓦ぶきが民家一般に用いられるようになったのは、江戸後期からである。 いまの韓国でもそれだけの景観は、都市以外にはない。目にふれる農村はすべて「かやぶき」であり、当の慶州でさえいまは「かやぶき」である。新羅の国都の民家が瓦ぶきであったということは、瓦を焼くだけの薪が多かったというこである。山林がよく繁茂し、田園が水豊かであるという上に、新羅文化というものは成立したのであろう。さらに新羅の一時期には後世の日本や西洋のような、騎士または武士に相当する階級があり、花朗とよばれていた。花朗には騎士道や武士道に相当する美学的な行動律があり、新羅の華麗さをいっそう彩り多くする。 「ではありますけどね、ほろんだ百済のほうがなんだか美しいものをたくさん残したような気がして好きなんです」と、ミセス・イムはいう。金達寿氏にわるいが、わが意を得たような気がした。百済の亡びには亡びそのものまで劇的で劇的な逸話が多く、しかも百済の工芸美というのは仏像の表情ひとつにも亡んだあと、いよいよ美しくなるようなものを秘めているような気がする。そこへゆくと新羅はいつ亡んだかわからぬような、なしくずしの滅びかたでほろび、さらには新羅が残した慶州の建造物や工芸品を見ても、いまなお白日のもとで人々の目を驚かすようなあざやかな美をもっているが、しかしどうも愁いというか、人の心をうつような粘液がにじみ出ていないような気がする。 「・・・愁いだなんて」と、ミセス・イムは、私のほうへ目をくるっとまわして、弾けるように笑った。ガラにもない・・・ということであろう。
2010.12.04
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「反貧困フェスタ2009」のパネルディスカッションで労働組合(連合本部)の立場から次のような報告がありました。(「反貧困の学校2」より)*********************************************************************************** 派遣先の労働組合の不十分さ、労働組合が正社員中心だという面があることは事実なのですが、それと同時に、派遣という働かせ方、雇用責任と使用責任が分かれているという仕組みそのものの構造的欠陥があるわけです。 派遣先の方は、派遣元との契約を切るのであって、直接、労働者との契約を打ち切るわけではないという意識です。派遣元は、本来果たすべき雇用責任を果たせないで結果的に解雇する。 そして、セーフティネットを整備しないまま、実態追認の規制緩和だけを進めてきた政府の責任。こうしたものが一気に噴出した事態に対して、交渉当事者として関われない仕組みに対してもどかしさを感じてきたわけです。こうした仕組みすべて一気に変えるのは無理だとしても、いまできる最低限のことをやろうということで、連合は雇用保険の改正や、雇用調整助成金の適用拡大、雇用保険と生活保護の間のセーフティネットとして生活給付つきの職業訓練制度などについて緊急要請を行い、その一部については実現させてきました。 いまいちばん強調したいのは、この間、当事者がきちんと声を上げ始めたということだと思います。そのことが、一歩一歩政府を動かし、政策や制度を動かすことで、それがまた確信につながっていく。派遣法改正の動きも右往左往しています。本番はこれからです。要求実現に向けて、総力で立ち向かっていかなくてはいけないと考えています。***********************************************************************************なんか、言い訳のようで釈然としないが・・・・企業、労働組合、行政ともども罪悪感を持たずに巧妙に派遣社員を切捨てるというような非情なシステムを生んできた責任はどこにあるのか?その責任は企業、労働組合、行政そして政治にあると言わざるを得ないわけで・・・・湯浅さんが言うように「人間らしいとは何なのか?」と雇用に関わる者すべてに突きつけられた課題なんでしょうね?いっぽう世界経済は強欲マインドがますます巾をきかせて、雇用環境が悪化しているなかで「人間らしい」生活を追い求めるには・・・・アングロサクソンとか中華の管理者階級が牽引する「富を追い求めるマインド」を見直し、「シェアするなら貧乏でもへっちゃらだい」というマインドが必要だと大使は思うのですが・・・でも「貧乏でもへっちゃらだい」というのは、かなり積極的な価値観の転換が必要なわけで、目下のところそれが大使の課題となっています。「飲む、打つ、買う」のうち、「飲む」は外せないしな~(笑)
2010.12.01
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