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「死にたい」「死にたい」「死にたい」「死にたい」「死にたい」と 毎日毎日、一日中、思っていました。 「死にたい」という気持ちが、ある日「死のう」という気持ちに変わりました。 「死のう」 そう思うようになってから、何かが振っ切れたような感じがしました。 それから、死に方を考えるようになり、自殺系サイトを見続けました。 いつ どこで どうやって死のう。 そればかり考えていました。それしか考えられませんでした。 『死ぬ』と決めた日から、私は遺書を書き始めました。 夫に、ワン達に、家族に、大切な人たちに・・・。 遺書を書いていると、不思議と心が落ち着きました。 私は、いろんな人に出会えて、大切な人がいて、 楽しかったことがたくさんあって、なんて幸せだったんだろうと思いました。 私と関わってくれた人達、みんなありがとうって感謝の気持ちでいっぱいでした。 遺書はかなりの枚数になりました。 そして、死ぬ日は1番大好きな服を着て、大好きな靴を履いて、 ちゃんとお化粧をして、好きな香水をつけて、少しでも綺麗な姿で逝こうと思いました。 それから、私はお別れ旅行をしました。 離れているところに住んでいる友達に会いに行き、 最後の私の顔を思い出してくれる時は私の笑顔を思い出してほしいと思い、 笑顔で友達と過ごしました。 大切な友達に会えて私も嬉しかったので、自然と笑顔になっていました。 会いたい人に会うことができて、もう心残りはありませんでした。 1番迷ったのは死ぬ場所でした。 家の中で死んだら、夫が困るだろうと思いました。 彼に、私の後始末をさせるのは心苦しかったからです。 人のいないところで死のうと思いました。 海が好きなので海の近くがいいと思いました。 でも、私の体力では歩いて行ける距離ではありませんでした。 車は使いたくありませんでした。 夫がこれからも使用する車。 車に乗るたびに夫は私が死んだことを、 自殺するために車を使ったことを思い出すのを考えると使えませんでした。 結局、死ねませんでした。 誰にも迷惑をかけないように迷惑をかけないようにと 災いしていたあれこれ考えすぎる性格が私を止めました。 死んでいたら、大切な人に、迷惑をかけたくない人達に、 1番迷惑をかけていたと今は思います。 そして、その人達に嫌な思いをさせ続けることになっていたと思います。 私が生きていられるのは、大切な人がたくさんいるからだと思います。 その人達の存在によって、私は生かされています。 感謝です。
2007.01.31
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うつと診断された時、今思えば私は元気でした。 最初のクリニックでの月に2日の受診も朝早く起きることができ、 4時間かけて通院していました(車の中では寝ていたけれど)。 家事も犬のことも好きだったし、自分のことも苦痛なくできていました。 でも、日に日に体調は悪化。副作用もつらくなっていました。 私はこだわりが強く、物が自分の決めた場所にないと嫌だったり、 全自動の洗濯機でもすすぎの回数を増やすため洗濯機の終了の知らせが鳴っても もう1度自分流にすすぎ直したり、干し方も決まっていたり、 掃除の方法も順序が決まっていたり、食器の洗い方も決まっていたり・・・と 自分だけのルールがありました。 その通りにできないと納得いかないのです。 だから、主人に家の中のことをされるのは嫌でした。 だんだんと寝込む日が増え、自分の好きなことができないことに 始めは苛立ちました。 起きることはできても、起き続けることができない。 家事がしたくてもできない。 犬とも遊べない。 そして、調子のいい日があると家事やその他のことをすると、 今まで寝ていた分と思い、とことんやってしまうので、 結局、疲れてしばらく寝込んでしまうという繰り返しでした。 医者に「主婦のうつは治りにくい。24時間仕事場にいるようなものだから」と 言われました。 したいこと、やりたいことができない。 家事は苦痛ではなかったのに。 どうして、こんな風になっちゃったんだろうとベットの中で思う日々。 私が寝込むようになってから、夫が家事をするように(してくれるように)なりました。 自分の決めたルールと同じように家事をしてほしかった私。 夫が家事をする姿を見張るように(わがままですよね) 夫が食器を洗う時には隣に立ち指示。 我が家は、結婚当初から、夫の洗濯物と私の洗濯物は別々にしているので 私の洗濯物は何とか自分で洗っていました。 でも、干すことができなかった私。 洗濯物を干すことも、掃除の方法も、その他いろんなこと全て指示。 言い訳になると思いますが、 苛立っていた私は、主人にお願いすることができませんでした。 そして、主人に家事をしてもらうことが嫌でした(自分でやりたかったので)。 主人は指示ばかりする私の態度がかなり嫌だったと思います。 それでも、主人は怒ることなく、私の言うように家のことをしてくれました。 いまさらですが、すごくすごく感謝しています。 ほとんど寝たきり状態になったしまった私。 毎日毎日、天井を見上げながら 「自分は何なんだろう。」 「何にもできない私に何の価値があるんだろう。」 「こんな価値のない人間なんていらない。」 「私なんて迷惑をかけるだけの存在。」 「こんなんで生きてるっていえるんだろうか・・・。」 「こんな苦しい思いをしなければいけないほど、悪いことしたんだろうか。」 「何がダメだったんだろう。」 自分を責め続けました。 それから、「いなくなりたい」「消えてしまいたい」「死にたい」と思うようになり、 日々、泣き続けました。 泣いても泣いても何もかわりませんでした。
2007.01.30
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妹の検診に一緒に病院に行ってきた姪。 エコーでベビーと初対面。 「タマゴみたいだった」と姪。 「男の子?女の子?」と聞くと 「わかんな~い。でも女の子だったらうさぎちゃん、男の子だったらたらこちゃん。」 と名づけるらしい。 「みー(私)は、男の子だったら、名前は要くんがいいなぁ」と言うと 「違うよ。女の子だと思うよ~」と。 それにしても、姪はかわいい。 何をしていてもかわいい。鼻をほじってても。 最近、私が1番気に入っているのは 彼女がフラフープをしている時の真剣な顔とぎこちない動き。 褒めると何度でも繰り返す。 あ~、かわいい♪ 姪は私のことを自分の姉だと思っている(今のところ)。 「みーはおばさん?」と聞くと 「☆☆(姪の名前)のお姉ちゃんだよ~」と。 そこで妹が一言、「おばさんだよ」と。 「おばさんじゃないよ~」と言う姪。またまたかわいい。 姪と一緒にお風呂に入っている時、 自称マラソン体系(全くもって凹凸のない身体・・・)の私を見て、 姪:「みーはどうしておっぱいないの?」と不思議そうに聞いてくる。 私:「みーはね、ホントはこ~んなに(実際の胸20個分くらい) おっぱいあるんだけど、邪魔だから冷凍庫にしまってあるの (子どもに嘘ついちゃダメですね・・・)。」 姪:「どうやって、しまうの?」と真剣。 私:「大きくなったら教えてあげる。」 話しはちょっと横にそれるけど、 ネットで某美容整形のHPを見ていたら、豊胸コーナーを発見。 『手術をしないでバストアップ』というのがあったので、早速見てみた。 シリコンや生食バックを入れないで、ヒアルロンを注入し胸を大きくするらしい。 でも、ヒアルロンだから結局体内に吸収され、効果は2~3ヶ月とか。 もとに戻った胸を見ると、せつなくなるだろうなぁ・・・。 今のままで我慢しようっと。 そういえば、友達が言っていた。 「最近、やたらと胸の大きい人増えてない?グラビアアイドルとかも。 あれって環境ホルモンの影響があると思うよ。」 なるほど、一理あると思った私。 遺伝的な要素はあるかもしれないけど (でもうちのママは私と違って巨乳ちゃん)、 やけに胸の発達している子が増えてきている気はする。 でも1回でいいから、ほしのあき位の胸で 「ほし~の~」をやってみたい・・・。
2007.01.29
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V6のコンサートに行く夢をみました。 しかも、抽選で選ばれ、好き好きな岡田くんと2人になれることに。 岡田くんは超やさしく夢のような(夢なんだけど・・・)ひと時。 コンサート中も、私だけを見てくれる岡田くん。 ブーイングのファンに「俺の大事な人だから」とまで言ってくれ、超幸せ。 そんな幸せなひと時も目が覚めてしまいおしまい。残念。 岡田くんがもし道に落ちていたら、絶対拾って帰るだろうなぁ。 道に落ちていたら拾って帰りたいリスト。(←なんて暇な主婦の考え・・・) 1、B’zの稲葉さん。 高校生の時から大好きで、毎年欠かさないライブ。 そういえば、最近、良い席あたらないなぁ・・・。 でも、どうして再婚相手が松崎しげるの元妻だったんだろう・・・。 そんなにイイ女なんだろうか。 2、ミスチル桜井さん。 離婚しちゃったのはしょうがないとして、再婚相手がチト気に入らないけど。 3、スマップ剛。(アホなので、くさなぎのなぎのほかの読み方がわからず、打てない) JJ(幼なじみの友達)と毎年恒例行事のスマコン。 去年はせっかくアリーナで久々の良い席だったのに入院してて行けなかった。 今でも悔やまれる。 なぜか、拓哉ばかり夢にでてくる。つよの夢がみたいのに。 4、タッキー。 JJ(滝&翼追っかけ。どこへでも行く。ちなみにJJは翼好き)がライブに 連れて行ってくれた。席は前から7列目という好位置。激近。 滝はキラキラしていた。滝の全身が☆で包まれているかのように。 すんごいかっこよかった。 来月はライブだ~♪ 発作が起きませんように。 5、北村一輝。 何か好き。 6、KAT-TUN亀梨くん。 整形してようが、かっこいいものはかっこいい。 7、妻夫木くん。 是非、側にいてほしい。 8、羽賀研二。 わかっていても騙されそうだけど。 そういえば、梅宮アンナ、TVでてないなぁ・・・。 9、ドラえもん。 思い浮かぶだけでも9人もいる・・・。 ミーハーだ。今は思い浮かばないけど、きっとまだいる。 朝、起きた時に上記9人の誰かがいたら、なんて幸せなんだろう。 あっ!もう1人いた!オダギリジョーを忘れてた。 さて、もう一回寝ようっと。
2007.01.27
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私は、両親、妹、弟の5人家族です。 (今は夫、ワン達の4人家族ですが) 父は、自由奔放・自分大好き人間・自律神経失調症。 母は、皆(私の住んでいる地域)にママと呼ばれ親しまれている存在。 パワフルで、人の悪口は言わなくて、料理も上手で、いろんな人に頼られています。 尊敬できる自慢の母親です。 妹はしっかり者。 彼女も母同様、何でもこなせて人当たりもとっても良い。 弱虫な姉を支えてくれるこれまた自慢の大事な妹です。 しかも、彼女は美人。スタイルも良し。 一筆書きのシンプルな顔の私とは大違い。 弟は8歳年下。明るく元気な頼もしい存在。 弟が産まれた時、私は小学2年生。 面倒を見てきたつもりが、今では逆に面倒を見てもらっています。 まだ家族ではないけれど、弟の彼女。 高校生の時から付き合っている2人。 弟にはもったいないくらいとってもいい子。 これまた美人でよく気がきく。 私のこと、お姉ちゃんって呼んでくれています。 本当に妹になってくれたらうれしいなぁ。 そして、長女の私。 わがままで鈍くて気のきかない三十路。 そして病気持ち。 でも病気になって、家族の大切さを思い知った私。 死にたいと泣き叫んでいた私に 「お姉ちゃん、泣かなくていいんだよ」と優しくなだめてくれた妹。 「病気のことも、姉ちゃんのつらさもはっきりいって 俺はねえちゃんじゃないから、姉ちゃんの本当のつらさはわからないけれど、 でも良くなって欲しい」と言ってくれた弟。 ご飯支度ができない私におかずを持ってきてくれるママ。 病院代でキュウキュウしていた私に黙ってお金を援助してくれた父。 あとでお金を返しに行ったら 「返してもらおうと思って渡した金じゃない」とお金を受け取らなかった父。 やっぱり私は恵まれている。恵まれすぎていたのかも。 幸せすぎてそれに気づいていなかったから神様が私に病気を与えたのかもしれない。 病気はつらいけど、たくさんのことを教えてくれた。 感謝します。
2007.01.27
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昨日、父が姪をたたいた。 姪は何も悪いことはしていなかった。 姪は弟が帰ってきていたのが嬉しくて大喜びで遊んでいた時に。 父は何を思ったのか、注目を浴びたかったのか 「かっこつけるな」と言って。 急な父の行動に理解できずキョトンとした顔の姪。 そのうち、たたかれたことに気づき(姪が鈍いわけではない)、 ぐっと涙をこらえた顔に。 側にいた弟がすぐに姪を抱きしめ、父から遠ざけた。 「何もしてないじゃない!」と私も弟も母親も父に言った。 妹は何も言わなかった。 妹はどんな気持ちだったんだろう・・・。 それから、弟が別の部屋で姪と遊びだした。 私は自分がされてきたことを思い出した。 理不尽に、父の感情のままに、私も同じことをされてきた。 それが引き金になったのか、初めて実家で発作を起こした。 涙がでてきた。 発作のつらさよりも姪の気持ちを考えると、そっちのほうがつらかった。 父は自分が姪にしたことをすっかり忘れたかのように 夫に発作を起こしている私を「休ませてやれ」と。 そんな言葉はいらなかった。父の言葉は私には必要なかった。 父は時々、注目を浴びたいかのように突飛な行動をする。 家族はいつもその行動に振り回されてきた。 愛し方を知らないで育った父と思い、 父を、父が私や家族にしてきたことを許していけると思った矢先の出来事。 私はもう何をされてもかまわない。 でも、姪にしたことは許せない。 姪が産まれた時、私は親ではないけれど、この子を守ろうと思った。 何があってもどんなことがあっても、この子を支えていこうと思った。 小さかった時、私には逃げ場がなかった。 私は、いい意味でも悪い意味でも姪の逃げ場になりたいと思った。 私が子どもを産まないのは理由がある。 自分が父にされたように子どもを虐待してしまうのではないかという不安。 そして、自分の子どもを父に触れられたくなかったから。 自分のような思いを子どもにさせたくないから。 今、現在は病気になったことも理由になるけれど・・・。 やっぱり、私にとって父は許せない存在なのかもしれない。 小さい頃から父にされてきたことを忘れることなんてできない。 私は他の人よりも被害者意識が強いのかもしれない。 でも、そうだとしても、父が私と家族にしてきたことは虐待としか思えない。
2007.01.27
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2003年、5月29日、姪は誕生しました。 妹から「姐さん、事件です!」とメールがきたのは、2002年9月のこと。 S子と旅行に行っていた私は何があったんだと思い、すぐに返信。 すると、「御懐妊いたしました!」と返事が。 すごくすごく嬉しくて、自分のこと以上に嬉しくて、 S子に「妹が妊娠した!!!」と小躍りしながら伝えました。 つわりがひどかった妹。 そして、もともと貧血気味の妹。 何か食べられるものはないかと思い、食品売り場をうろうろしていたら 『鉄分入りウェハース』とやらを発見。 「これだ!」と思い、早速買って少し自慢気に妹へ。 次の日、「お姉ちゃん、これムリ。食べたことある?」と妹。 食べてみたら、びっくりするほど超激マズ!ホントにおいしくない。 これを商品化した会社にクレームをつけたくなるほどの味でした。 良かれと思って買ったものの、 つわりのひどい妹にとっては悪質な嫌がらせになってしまいました・・・。 日に日に大きくなる妹のお腹。 妊婦のへそフェチ(今までくぼんでいたおへそが表面化されるのが何か好き)の私は、 携帯で早速激写。 (友達の妊婦へそもいくつか激写しています。) いよいよ臨月に。 出産の時に立ち会う人リスト(?)の紙があり、 立ち会いリストの欄には2人までの名前しか書けません。 1番目は妹の夫名前。 でも、妹の夫は消防士さんなので、夜勤等があったりと不規則。 2番目には私の名前(もちろん、立候補)。 5月29日の夕方、おしるしがあり、陣痛が始まった妹はすぐに病院へ。 勤務中だった妹の夫も追いかけるように病院へと。 初産だし、時間もかかるだろうと思っていた私は 妹の夫に「産まれそうだったらすぐ連絡して」と言いました。 夜になり、いつ呼ばれてもいいようにお風呂に入らず待っていた私。 10時を過ぎても一向にこない連絡。 「何かあったのかな」と少し不安になり、病院に電話。 「すいません、○△(妹の名字)の姉ですけれど・・・。」と私。 「あぁ。○△さんね、つい先ほど産まれましたよ。」と。 「産まれたんですか!!!」と驚く私。 12時を過ぎた頃、妹の夫が帰ってきました。 「なんで、呼んでくれなかったの~」と聞くと 妹の夫の腕には無数の爪あととみみず腫れが。 妹が痛がって、しがみついていた痕跡でした。 「電話しようとしたんだけど、 (妹から)離れられなかったし、離してくれなかった」と妹の夫。 その痕跡を記念に写真に撮った私。 まずは、「おめでとう!」と私と夫と3人で乾杯。 次の日、早速、妹とベビーのいる病院へ。 3225gの女の子。 Ns時代、低出生体重児をみていた私。 「でかい、重い。」と言いつつ抱っこ。 かわいい、とにかくかわいい、文句なしにかわいい。 でも妹は 「まだ自分の子とは思えない。違う人の赤ちゃん渡されてもきっと気づかない」と。 ちなみにちょうど陣痛で苦しんでポロポロと涙を流している妹を見たいとこは 「海がめの出産みたいだったよ」と例えました。
2007.01.26
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今日は、私が高校生になってから就職するまでのことを書いていました。 書いているうちに、当時のことを鮮明に思い出しました。 書き終わり、読み返しているととても重い気持ちになり、 つらかったこと、悲しかったことがよみがえりました。 そして、句読点を付け足そうと思った時、 パソの調子が悪くなり、なぜかアフェリエイトの画面に。 日記に戻った時には、書いたことが全て消えていました。 せっかく書いたのに・・・と思った反面、これで良かったのかもと思いました。 いつまでたっても、父を許せない気持ちを持ち続けるのは 私にとっても苦痛だから・・・。 今でも問題行動の多い父親ですが、 私は大人になって(三十路にしてまだなりきれていない部分もありますが) 父は愛し方を知らずに育ったのかもしれないと思うようになりました。 父なりの愛情表現を、子どもだった私には理解不可能だったのかもしれません。 父ばかりを責めるのは私にとっても気持ちのいいものではありません。 私にもたくさん悪いところがあったと思います。 ただ、父は表現方法を知らなかったのかもしれません。 でも、今、父は妹の子ども(孫)を大切にしています。 自分のことを「じーたん」と呼び、姪をかわいがっている姿。 一緒に散歩に出かける姿。 そして、父なりに私の病気も心配してくれています。 (主に叱咤激励ですが・・・) 今でも父は怒ります。理不尽なことでも。 でも父に教えてもらったことはたくさんあることに気づきました。 昨日書いた父親のこと、削除します。 子どもが親を選べないように、親も子どもを選べません。 ある人が「親の心、子知らず。子の心、親知らず。」と言っていました。 でも、虐待は許せません。 決してしつけではありません。 「怒る」と「叱る」。これは全く別のことだと私は思います。 怒ること:相手(大人・子ども問わず)に自分の感情を一方的にぶつけること。 怒られても何も心には残りません。 むしろ、相手に対して負の感情を持つのではないでしょうか? 叱ること:相手のことを思ってすること。 叱られた時はわからないかもしれませんが、 いつかその叱られたことの内容が理解できるのではないでしょうか? なんて、えらそうに書いてしまいました。 楽天さん、日記を書いた後、自分の文章がどのようにブログに載るのか 『登録する』の隣に『確認する』か『保存する』のボタン(?)を作っていただけないでしょ うか・・・。 書いた文章が白紙になってしまうのはせつないです・・・。
2007.01.25
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昨日の夜の7時半頃、何の予兆もなく発作が始まりました。 出だし好調の勢いで襲ってくる発作。 頓服を飲んで耐えていても一向におさまる気配がなくさらに頓服追加。 それでもしんどい。 黙っていられず、ベットでもがき苦しむ私。 夫に、背中をさすってもらっていても落ち着かない。おさまらない。 また頓服追加。 それでも発作はどんどんひどくなっていく。 我慢の限界。 頭や身体中をたたいたり、腕をかじったりして痛みでごまかそうと思っても 発作のレベルのほうが強くて、その場しのぎにしかならない。 まったくおさまらない。 こんなに強くてしぶとい発作は今までの発作の中でも最上級。 頓服の服用量も最大量。 それでもおさまらない発作。 こんな状態なら、もうおかしくなってしまいたいと思うくらいに。 時間が長く長く感じる。流れてくる冷や汗。 おまけに過呼吸まで起きはじめる。 手足の先が、唇がビリビリする。 顔の筋肉がぴくぴくして止まらない。 紙袋を口元で押さえながら、発作に耐えながら、 「助けて、誰か助けて」声にもならない叫び。 しばらくして、手足の感覚が戻ってきたので紙袋をはずしてみた。 でもまだビリビリする。口の周りの筋肉もプルプルしている。 また紙袋を口にあて、発作と過呼吸に耐える。 呼吸が落ち着いてきた頃、発作も少しだけ楽になってきた。 でもまだ動けない。身体の力が抜けない。 11時過ぎ、やっと身体の力が抜けてきた。 普通に呼吸もできる。身体も動かせる。 寝室から抜け出し、脱力状態。疲労困憊。 膝をかかえて目を閉じる。 「長かったね」と夫。 本当に長くつらい時間だった。 何度経験しても慣れることのない発作。 もう嫌です。
2007.01.24
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調子の悪い時はひたすら寝込む。起きていられない。 食事もほとんど食べない(食べられない)。 起きるのはトイレに行く時だけ。 そして、介護者でもある夫の帰りを待つ。 調子のいい時。 7時:夫と犬とともに起床。 朝食の定番、シリアル(3~4種類常備)にドライフルーツ(いちじくが一番好き)に 豆乳をかけ夫と朝ごはん(夫の定番は納豆ご飯)。 その後は、またベットへ。 10時~11時に本格的に起き上がれる。 着替えて、顔を洗って。 (眠かったらまたベットへ) 12時過ぎ、夫がお昼休みのため戻ってくる。 そして寝室へきて私の様子を確認。気配を感じて私も起きる。 午後からは、パソしたり、メールしたりだらだらと。 夕方5時、ワン達の夕食とともにアルコール解禁の時間。 とりあえず、ひとりで酎ハイ乾杯。 ほろ酔いになった頃、夫帰宅。 夕食はほとんど食べない私。 夫は自分で夕食を作り始める。 寝たきりの妻を持ってしまった夫はいつしか料理上手に。 お酒を飲みながら陰ながら応援。 9時過ぎ頃「お風呂に入りなさい」と夫の一言。 入浴後、また酎ハイへと手がのびる私。 私にとって一番調子のいい時間帯。 やっと夫婦の会話。 そして11時~0時、眠剤を飲んでお祈りして眠る私。 それからは、中途覚醒の嵐。 1~2時間しては起き、パソしたり、本を読んだり。 あぁ、朝まで寝てみたい・・・。
2007.01.23
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以前から、2匹目のわんがほしいと思っていた私と夫。 でも、私が病気になってしまい日常生活もままならない状態。結局、その話しはお流れに。 2005年2月、私の体調はすこぶる良く、 自分でも病気が治ったんじゃないかと思うくらい調子が良くなりました。 犬が欲しいという気持ちも復活。 またキャバリアがほしいと思い、ネットでブリーダーさん探し。 ふ~を譲っていただいたブリーダーさんはもう犬を譲ることをやめてしまったので 他の犬種をいろいろと探していたら、ふ~と同じような模様の犬がいました。 それがチワワのたんちんです。 早速ブリーダーさんに連絡。 たんちんはミスカラーではないのですが、 鼻の色が黒ではなくレバーで、目の色が少し青いという理由でお値段も少し安め。 健康であれば、鼻の色も目の色も関係ないと思い、決断。 そして5月の連休にたんちんは埼玉からやってきました。 しかし、残念なことに私の体調は絶不調・・・。 たんちんは、ハウス内での生活が主になってしまいました(ごめんね、たんちん)。 先住犬のふ~がいてくれたおかげか、たんちんは特別な問題行動もおこしませんが、 時々、トイレ以外でちびションをします。 でも、これはしつけをしてあげられなかった私の責任。 たんちんが悪いのではありません。 けれど、たんちんなりに悪いことをしたという意識があるらしく、 トイレ以外でチビションをすると、ハウスに隠れしばらくでてきません。 我が家に来た頃から食糞癖があったたんちん。 特にふ~のうんちは魅力的だったようです。 でも、夫のしつけのおかげでふ~のうんちは狙わなくなりました。 時々、自分のうんちをひとかけら食べていたようですが、 今ではそれもほとんどしなくなりました。 たんちんだけハウスで寝かせていたのですが(おとなしく寝ていた)、 なんとなく、たんちんだけ1人で眠らせるのがかわいそうになってきた私。 (というか、私が一緒に寝たくなってきた) 布団を汚されるのを覚悟でたんちんも一緒に寝ることに。 予想ははずれ、布団を汚すことなく私の左腕枕で眠るたんちん。 (ちなみにふ~は私の右腕枕で寝ます) 今では、家族4人並んで寝ています。 「寝るよ~」と言うと、2匹そろってたったかとベットへ。 そして2匹に囲まれ眠る私。幸せを感じるひと時です。
2007.01.22
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プチコスメ好きな私。 浮気症の私は25歳まではいろんな化粧品を使っていました。 もともと敏感肌ではあったものの、それでも2~3日使えば肌になじんでくれました。 でもある日から突然、今まで普通に使っていた化粧品が合わなくなり 顔中真っ赤に。発疹・かゆみ・ぷつぷつだらけ。 (お肌の曲がり角は25歳ですね・・・) とりあえず、無添加・無香料の某化粧品に変更。 トラブルは落ち着いたものの、可もなく不可もない某化粧品。 計算していくと値段もチト高め。 家計的に続けられないと思い、コスメ探し。 やっと出会えたのは、オールインワンでゲルタイプの NANO MOIST エッセンスインモイスチャライザー(60g¥2000)。 某オールインワンタイプの化粧品(ドクターC○○)は肌に合わなかったけれど、 これは値段のわりに私の肌には相性良し。 今でも使い続けています。 そして、ゲルのあとクリニークのリペアウェアシリーズを愛用。 病気とともに体重の増減が激しく、特に顔の肉が付いたり減ったりするので 豊麗線が気になりだした私。 クリニークからエスティローダーのレジリアンスシリーズへと変更。 これまた良い。今も愛用中です。 最近、良い!と思ったのはLUSHの洗顔料「天使の優しさ」。 泡立たないタイプの洗顔料なのですが Tゾーンはくるくると洗い、その他の皮膚の弱いところはなじませるだけ。 そして、洗い流すと、顔がつるつる。 三十路の私でも感じられる効果。 LUSHの回し者ではないのですが、 サイズも大小あるので、お試しに使ってみてはいかがでしょうか? あと、最近気になっているのはロクシタン。 以前からボディ用乳液で愛用していたローズの香り。 ローズの香りってなんかお金持ちになった気分(私だけかも・・・)。 そして、思い切って買ったイモーテルのクリームマスク。 いつものクリームの代わりに使用。けっこう重たいタイプのクリーム。 でも、翌朝、肌がしっとり。これまたオススメです。 調子が悪くてお風呂にも入れないで寝る時もある私。 そんな時は、とりあえずロクシタンのクリームを厚めに塗っておやすみ。 それでも朝はしっとり。ほんと、オススメです。 今、探しているのはクレンジング。 どなたかオススメがありましたら教えてください。
2007.01.22
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金曜日、ちょうど夫の出張と受診日が重なり、月に1度の病院へ。 大好きなO先生に会える日。 約5時間かけて札幌へ。 診察室で待っていると大声で騒ぎ床に寝転び走りまわる4~5歳の男の子がいました。 (O先生のクリニックは、精神科と皮膚科があります。) 自由奔放にしているその子。 お母さんは、何にも言いません。 私は、子どもだからと言って、どこでも騒いで言いわけじゃないと思うし、 それを放っておくお母さんにも責任があると思います。 そういう様子を見ると黙っていられない性格の私。 そばらく見ていましたが、男の子は騒ぎ続けるし、お母さんも放任(?)状態。 そろそろ出番だ(例えがおかしいかもしれませんが)、と思い男の子のところへ。 注意しに行こうとする私を止める夫。 「子どもだからって何をしても許されないし、 私は今、精神的にも落ち着いているしヒステリーでもない」と止める夫を振り切り、 「ボク、もう少し静かにできるかな」と言うと お母さんは「すいませ~ん」と一言いい、「○くんおいで」と。 本当は「小さい声でお話ししようよ」と言いたかったのですが・・・。 それを言うタイミングを逃してしまい、診察を待っていました。 全く変わらず騒ぎ走り回る男の子。相変わらず、放っておくお母さん。 やっぱりもう一言、言おうと思った矢先、名前が呼ばれ私は診察室に。 ここ1ヶ月の状態を話した後、いろいろ話していくうちにさっきの子どもの話題へ。 先生は「職員に言ってくれればよかったのに」と。 その時になって夫が「自分達が小さい頃は知らない大人によく怒られた」と。 心の中で、注意しに行くと言った私を止めたのに何をいまさらと思う私。 先生は「お母さん自身が子どもの行為を何とも思っていないんでしょうね」と。 金曜日、たまたま私は調子が良かったけど、調子の悪い時にあの男の子がいたら きっと、精神的に耐えらなかっただろうなぁ・・・。 もし、これを読んで気分を害したお母さん・お父さん(ほかの保護者のかた)が 「子どものやることなんだから・・・」と思うかもしれません。 でも、やっぱり、子どものうちから(理解できる年齢だとしたら) 教えてあげるのが子どものためになるのではないのでしょうか。 小児科で働いていた頃、いろんなお母さん・お父さんがいました。 喘息で入院している子どもの面会に来ないで コンサート(会場でお母さんをみかけた)に行く人。 一番下の子どもが熱っぽいけれど、ディズニーランドのに行く予約をしているから キャンセルしたくないと言って、その子だけ入院させていく人。 タクシー代わりに救急車で来院する人。 お母さん・お父さんにも、息抜きや趣味が必要だと思います。 でも病気でつらい思いをしている子供を、優先するのが親じゃないのでしょうか。 私には子どもはいません。 だから、お母さん・お父さんの本当の気持ちがわからないのかもしれませんが・・・。 でももし、自分の姪がそういう行動をとったら叱ります。 私は小さかった頃、足が不自由でひょこひょこと歩く人を見て 「変な歩き方」と言った途端、父親にたたかれ、 「病気の人にむかって何てことを言うんだ!」と叱られました。 そして、その人のところに謝りに行きました。 今では、あの時叱ってくれた父親に感謝しています。
2007.01.21
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ふ~が我が家に来てくれた次の日からしつけがスタート。 まずは、トイレットトレーニング。 いたる所にちびションをしていくふ~。 ちょっと観察。 2~3日で、ふ~がちびションをする場所を把握。 その何ヶ所かにペットシーツを置き、ちびション対策。 とりあえず、ペットシーツにおしっこができたらムツゴロウさん口調で 「よ~しよしよし」と褒めまくり、ご褒美にフードをひとつ。 違う場所でしたら知らんぷり。 そのうち、彼女にとって一定の場所が決まったらしく、そこにトイレを設置。 それから、トイレでおしっこができたらまたムツゴロウさんになる私。 その後は失敗することも少なくなり、けっこう早くトイレを覚えてくれました。 でも彼女は几帳面らしく(他のキャバリアはわからないけど・・・) トイレの向かって右角がおしっこゾーンで左角がうんちゾーン。 そして、前回のおしっこが残っている汚れているシート部分にはおしっこをしない。 自分で身体をちょっとだけずらして汚れていないシートの場所ににおしっこ。 定位置がいつもと違うのでちょっとだけずらしている身体のバランスが悪いらしく 少し足がプルプルしている。 その後ろ姿がまたかわいい♪(親バカ・1) 今では、おしっこ&うんちをしている時「どう?アタシ、ちゃんとできるのよ」と 言わんばかりの誇らしげな顔で私や夫の目をみる。これまたかわいい♪(親バカ・2) 我が家ではシート節約対策(S子がやっていた)のため、汚れた部分だけを切り取り、 シートの新しい部分が右角になるように向きを変えています。 うんちゾーンには最初からトイレットペーパー(ミシン目2~3を二つ折り)を ひいています。 そして、トイレットペーパー上に乗ったうんちをそのままくるんでトイレ(人間用)へポイ。 するとシートが汚れない。 我ながらいい考えだと自画自賛。 話しは戻って。 それまで順調に進んでいたしつけ。 だけどある日から突然、彼女のいたずら(?)が始まりました。 私が家事等をして手が離せない時に限って(特にお米をといでいる時が多かった)、 トイレ以外の場所でおしっこしたり(しかも私の目を見ながら)するようになり、 そのうち、今までできていたことをやらなくなったり、言うことを聞かなくなったり、 自由奔放になりだしました。 それなりにスムーズにできていたと思っていたしつけ。 私もイライラし始め、怒ってばかり。 しまいには「どうしてママの言うこと聞いてくれないの!」と私が号泣。 私が号泣しても、ふ~は気にもしてくれず、いたずらを続ける。 ちょうど夫が仕事から帰ってきて、泣いている私を見て「何やってるの?」と一言。 「ふ~が言うことを聞いてくれない」と私。 毎日続く彼女の暴走。 私のイライラも頂点に。 ある日、とうとう私は彼女をたたいてしまいました。 犬を飼う時から絶対たたかないで育てると決めていた私。 たたいてしまった自分が許せなくて許せなくて、かなり落ち込みました。 いつまでこ続くのかと思っていた暴走。 それがいつのまにか、自然とおさまりお利口さんに。 今ではかなりのお利口さん(親バカ・3)。 超スペシャルかわいこちゃんです(親バカ・4)。 あれは、今思えば反抗期(?)だったのかなぁ・・・?
2007.01.21
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寝つきはとっても良かったのに、いつも通りの時間に起きてしまった・・・。 もう習慣ついちゃったのかなぁ。この時間に起きるの。 朝まで寝たいなぁ。 もうしばらく、半年以上は確実に朝まで寝てない、眠れない。 これから、マイスリーを飲んでも効果は期待できないし、 今日は、朝が早いから(病院に行くので)、今から眠剤足して起きれなくなるのも困るし。 ウムムムム。 ホットミルクでも飲んでみるとしよう。 ダブルベットで寝ている私達。 こんな眠れない時は横でグーグー眠っている夫になぜか軽い嫉妬心が。 そして、朝「眠い眠い」と言われると「さんざん寝てたじゃん」とふと思う。 さらに夫は鼻呼吸できないため、いびきさん。 これまた、迷惑。 前に、口を手でふさいでみたら、スピスピいいながら鼻呼吸。 鼻呼吸できるんだ~と思いつつ、いたずら心で鼻もふさいでみたら、 しばらくして苦しくなったらしく(当たり前か・・・)、 私の手を振り払うかと思いきや、バタバタともがきはじめた。 夫には悪いけど、面白かったなぁ。 ベットに戻るといつも眠っていたワン達が喜んで迎えてくれる。 そして、左にふーちゃん、右にたんちんが私の腕枕で寝てくれる。 夜中の至福の時。 さぁ、もう一回寝てみようっと。 次は何時に起きるかなぁ? 私の統計学的には5時半~6時。 今日は6時間かけて病院に行くから介護車・エスティマ君で寝ていくとしよう。
2007.01.18
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今週に入ってから、過食がとまりません。 1度、食べ物を口にすると次から次へと食べてしまいます。 あっという間に2Kg増えました。 膨らんだお腹。 始めは我慢していた嘔吐。 我慢しきれず、嘔吐。 そして吐いたばかりなのにまた食べ始める。 夫が心配し、「吐いたの?」 知られたくない私。 「吐いてない。お腹苦しくなっただけ。」 今日は実家で夜ご飯。 たくさんの料理。 最初は野菜だけを馬のように食べていた私。 お腹はいっぱいなのに、他の料理が気になって仕方ない。 とうとう食べ始める。止まらない。 「今日はずいぶん食べるね。」と母親。 「朝から何も食べてないから。」と嘘をつきながら食べる私。 もう喉もとまで食べ物が詰まっている感じ。 早速トイレへかけ込む。 指を喉の奥に入れ、吐く。先に食べた野菜が出てくるまで。 流れていく嘔吐物。涙。 そして何もなかったかのよう食卓へ戻る。 目は次の食べ物を探している。 また食べ始める。 ここにいてはいけない、そう思った私は家に戻る。 学生時代からの過食嘔吐で私の歯は胃酸で溶け、銀歯だらけ。 家についてからすぐに歯ブラシ。 過食嘔吐するとすごく疲れる。 精神的にも身体的にも。 そして、罪悪感に苛まれる。 食べ物を無駄にしてごめんなさい。 私の身体ごめんなさい。
2007.01.18
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看護師時代からの親友S子。 S子は、超スペシャル愛犬家。マニアといっても過言ではないほどの犬好き。 犬のためなら自分のことはさておき、何でもするしどこへでも行く。 そして自分の食事より犬の食事に気を使っています。 彼女が結婚する前に実家で飼っていたのは、ミニチュアダックス(あみ・ゆめ・はる・ ちぃ・まう)とイングリッシュスプリンガースパニエル(レイチェル)の計6匹。 そして、結婚して旦那さん(Kちゃん)の連れ子、コーギー(アポロ)が加わり、計7匹。 現在は、実家にあみ・ゆめ・はるを預けています。 共働きの2人。 仕事柄、帰宅時間もかなり不規則な2人なので、 2人は出勤時に、ちぃ・まう・レイチェル・アポロを車に乗せ、S子の実家へ。 そしてワン達を秀ちゃん(S子のお母さん。ナイスキャラで大好き。)に預けてから仕事へ。 仕事帰りにワン達を迎えに行きやっと帰宅。 彼女の影響もあり(かなり大)、特に興味を持っていなかった私もいつのまにか犬好きに。 そして、次第に犬と暮らしてみたいと思い始め、 「犬が欲しい!」と思うまでにはそう時間はかかりませんでした。 主人に犬が欲しいと相談。その時、初めて彼が犬好きだったと知りました・・・。 ペットショップから犬を飼おうとは思っていなかった私(これまたS子の影響・大)。 まずは犬種探し。 私の条件は 1:私の力で制することのできる大きさ 2:初心者向け 3:温厚な性格 そして、その条件にあてはまってくれたのが、キャバリアでした。 S子がレイチェルをトリミングに連れていっている所は犬を店頭販売しないというお店で そのお店の人がお客さんの希望犬種を直接ブリーダーさんと交渉して犬を買っています。 S子とともにお店へ。 始めにお店の人に「キャバリアがどんな犬種(性格等)かわかっていますか?」 と言われました。S子のアドバイスもあり、キャバリアについて勉強していた私。 とりあえず、お店の人の質問になんとかクリア。 値段は25~30万円とのこと。 私のだいたいの予算は20万位でした。 お店の帰りにS子が 「ダメもとで直接ブリーダーに交渉してみたら?もう少し安くなると思うよ。」 と言ってくれました。 それから、某○犬の友でブリーダーさんを探し直接交渉。 ちょうど、出産予定の子がいたためで早速予約。 ところが、子犬を迎える時期に私事ながら都合がつかなくなってしまい、 ベストの状態で子犬を迎えたかったので、そのことをブリーダーさんに伝えると 快く承諾してくれました。 我が家が落ち着いた頃、再度ブリーダーさんに連絡。 9月に出産予定の子がいるということで予約。 ウハウハの私と主人。 ブリーダーさんから送られてくる写真にさらにウハウハw(^з^)w。 そして、11月の初雪の日、念願のキャバリアが千葉県からやってきました。 ゲージの中でひたすら尻尾を振る子犬。 「なんだ!このかわいさは!!!」 子犬を受け取り、毛布に包み急いで帰宅。小さく震える身体。 家に着くなり、猛ダッシュ&いたるところにちびション。 躾けの本には 「上下関係をつけるためにハウスで寝かせましょう。寂しがっても無視しましょう。」 と書いてあったので、夜、とりあえずハウスへ入れ消灯。 電器をけしたとたん、「キュ~ン、キュ~ン」と切ない声。 私も主人もなんのためらいもなく、彼女をベットへと。 それから、私・ふーちゃん・主人と川の字で眠る日々が始まりました。
2007.01.18
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そして、私はまたT先生のもとへと通うことに。 信頼しているN先生の紹介とはいえ、もう、T先生には診てもらいたくはありませんでした。 あづにこのことを相談。 あづは△クリニックを紹介してくれました。 T先生にまた紹介状を書いてもらうことに。 T先生にとっては私はもう面倒な患者。T先生の態度でわかっていました。 「△クリニックにかかりたいのですが・・・」 そういった私に先生はマッハで紹介状を書いてくれ(普通、紹介状を頼むと待たされます)、 もう来ないでくれと言わんばかりの笑顔(気のせい?)で見送ってくれました。 紹介状を持って、△クリニックへと。 名前が呼ばれ、診察室へ。 先生は私を見るなり、 「僕はあなたを診る事はできません。お代はけっこうですのでお帰り下さい。」 精神科の医者に診察拒否をされた私。しかも「お代はけっこう」って・・・。 呆然とする私。手持ちの薬ももうありません。 とりあえず、あづに電話し報告。 早速、ご立腹のあづが「何それ?どういうこと!」と登場。 「どうして、○○(私の名前)怒んないの?頭にきた!」と。 怒る気力もない私。 そして、あづは違う病院を紹介してくれました。 早速、病院へと。もう何も考えられなく愕然としながら、タクシーに乗る私。 新しいクリニックに到着し、受付をし診察を待っている時間も何も考えられず抜け殻状態。 ただ、名前を呼ばれるのを待っていました。 名前が呼ばれ、診察室に入ると白衣を着ていない思いっきり私服の人が。 「こんにちわ」と笑顔で声をかけてくれたO先生でした。 そしてO先生は言いました。 「どうして△先生があなた診察できないと言ったのは僕にはわかりません。 僕で良ければ診察しますよ。」と。 涙がボロボロと溢れてきました。 やっと、診察してくれる、助けてくれる先生がいたと思いました。 O先生との出会いです。 O先生は、まず、私に処方されていた多量の薬を減らしてくれました。 今まで、副作用に耐えながら頑張って服用していた薬はほとんど必要なかったのです。 初診の時点で、O先生は私の薬を2種類(レキソタン・パキシル)にしてくれ、 睡眠薬も減らしてくれました。 N先生以来、やっと信頼できる先生に出会えました。 O先生のクリニックは予約制ではないため、待ち時間が長いのですが、 診察も時間制限なくしっかりしてくれるため納得して安心して帰れます。 そしてO先生は言ってくれました。 「あなたは病気を持っているけど、他の人より少しだけ生き方が難しいだけだよ。」 私は、現在もO先生に診てもらっています。
2007.01.17
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病院を変えることを決め、ネット等でいろいろさがしてみたものの、 実際、どこの病院がいいのかわからない。 結局、N先生を頼って10時間かけてY町へ。 一通り、N先生とお話しした結果、 N先生と同じ先生に習ったという先生がいる札幌市のクリニックへと。 そのクリニックのT先生は某新聞にも掲載されたことがあるという先生。 第一印象は悪くなく、白衣のなかにはジーンズという少しラフな服装。 N先生からの紹介状を渡し、診察へ。 N先生からの紹介ということもあって、私はすごく期待していました。 「この先生が私を治してくれるんだ」 その思いを強く持ちつつ、週に2回、6時間かけて電車で通い続けました。 しかし、残念ながら、私の症状は良くなるどころか下降していきました。 どんどんと増えていく私の訴え。 T先生は(私が思うに)薬物療法がメインで、私の訴えに対し内服薬も増量していきました。 そして、薬の作用も強いものへと。それでもひたすら内服を続けていた私。 ある日、身体に発疹が。薬の副作用で肝機能も500代に上昇。 また薬が変更されることになりました。 その後、肝機能は正常になったものの、症状はよくなりません。 不安になった私は、ふと、看護師時代一緒に働いていたR先生を思い出しました。 そして、R先生に電話。 私の症状を伝え、どこかいい精神科の病院を知らないか尋ねました。 小児科専門のR先生。 「ごめんね。他科のことって詳しくないの。でもうつだったら大学病院のA先生がいいかも。 個人病院は(良い意味でも悪い意味でも)何をしてるかわかんないから。」と。 早速、T先生に頼みA先生に紹介状を書いてもらいました。 うつのことならA先生というくらい、権威のある先生らしかったのですが、 「このまま、T先生に診てもらっていいと思うよ」の一言。 A先生に救われている患者さんはたくさんいるのかもしれませんが、私はがっかりでした。 それでも納得のいかなかった私は、 ネットで思春期外来も診つつ大人も診察しているという他市の大学病院へ。 思春期外来を診てくれているということは、私の生い立ち(特に父親との関係)も 同時に診てくれるものだと思い込み、またT先生に紹介状を書いてもらい大学病院へ。 私の名前が呼ばれ、診察室へ。 先生は私の顔を見ることもなくカルテの記入に没頭。 ちょっとした間があったので 「先生は私を診てくれますか?病気を診ますか?」と質問。 先生は顔もあげず、「今、これ書いてるからあとにして」と。 この言葉を聞いて、私は諦めました。 カルテ記入後、先生は言いました。 「ここは大学病院だから。話しを聞いてあげられるのは10分が限度かな」と。 一応、薬を処方してもらい帰りました。 そしてまたT先生のもとへ。 精神的に、体力的に、薬の副作用もあり疲れ果てていた私は診察室で倒れ、 T先生に入院をすすめられ、某病院へと入院することに。 その先生(通称鼻ハゲ:鼻毛が出ていてハゲていたから)も精神科医のなかでは 有名な先生だったらしいのですが、私にとっては鼻ハゲでしかありませんでした。 私には以前から、例えようのない、何とも言えない症状が時々現れていました。 この症状が一体何なのかわからず、「なんだろう」と思っていた私。 それがパニック発作だということが入院中に判明しました。 2ヵ月後、私は退院したのですが、その時の体重は31kgなっていました。 あの病院での唯一私の救いになっていたのはあづという友達でした。 彼女とは、一目合ったとたん気が合い、今でも大切な存在です。
2007.01.16
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外来で説明を受け、入院の準備をし、病棟へと。 初めての入院。不安と緊張とでいっぱい。 看護学生時代に精神科での実習はしているものの、 いざ自分が患者になってみると精神科がどんなところかわからない。 入院し、アナム(看護師による問診?)を受けました。 (看護師時代、自分が当たり前にしてきたことなのに、自分が患者の立場になって いかに自分が無神経だったことに気づきました) 実際、自分が受けるとなると何を話していいかわからない、何から話していいのかわからない。 とりあえず、看護師に聞かれるまま応えていきました。 すると突然、4~5人の看護師達が現れ、私の荷物を広げだしたのです。私の許可なしに。 他人に勝手に自分の物を触られるのが大嫌いな私。 「何するんですか!止めてください!」泣きながら抗議。 看護師達は逆に驚いた様子で「決まりですから」と。 危険物を持ち込んでいないかどうかのチェックだったのですが、私はパニック状態に。 泣きながら自分の荷物を抱え、「勝手に触らないでください!」と訴えました。 驚いたように看護師達は手を止め、私のアナムが終わるまで黙っていました。 アナム終了後、私の目の前で荷物のチェック。 鏡、ドライヤー、ライター、眉毛きりはさみ、携帯没収。 そして、病棟案内のあと病室へ。 私の与えられた病室は4人部屋。 (精神科の病室にはカーテンがありません。危険防止のため) 泣きながら荷物を片付ける私に、向かいのベットの女性が話しかけてきてくれました。 彼女は優しい笑顔で「大丈夫?」と。この一言にさらに涙が溢れました。 そして「失礼だったらごめんね。もしかして、うつ?」と。 うなずく私。 「私もそうなんだ。」と彼女。 それから、彼女(うつ友の会のJちゃん)からいろいろ話しを聞いているうちに 次第に落ち着いてきた私。 今思うと、入院中にJちゃんがいなかったら、いてくれなかったら、 私はどうなっていたんだろうって思うくらい支えになってくれた大切な人。 いつも一緒にいてくれて、病棟内の暗黙のルールも教えてくれました。 入院生活の始まり。 不規則な生活をしていた私には、6時半起床なんて到底無理。 朝食を食べることも苦痛(しかもおいしくなかった)でした。 午前中は入浴の時間。 (これにも暗黙のルールがあり、順番が決まっていた・・・) 午後はほとんど自由時間。 Jちゃんと煙草を吸ったり、身の上話しをしたり・・・。 Jちゃんと私は同じN先生に診てもらっていました。 私が半狂乱になっていた時に時間外に診察してくれたN先生。 「助けて!死にたい!」ってわめき叫んでいた時に私の両肩を押さえ 「癌で亡くなる人もいる。他の病気で亡くなる人もいる。 でもね、その人達は病気で亡くなるんだよ。 死にたいって思うのはあなたじゃなくて病気だからなんだよ」って 優しく厳しく諭してくれた先生。 N先生は土日も関係なく、必ず顔を見せてくれてその時々の私の状態を診てくれました。 そして、私の生い立ち、父親との関係、家族の問題、全て受け止めてくれて いつも真剣に向き合ってくれました。 心から信頼できる先生に初めて出会えました。 約3ヶ月の入院後、退院。 日常生活の始まりでもありました。 退院後は比較的落ち着いて暮らすことができ、週2回、通院していました。 私の調子が落ち着いてきた頃、N先生が転勤することになりました。 とてもショックでした。 「先生、行かないで」とお願いしました。 そして3月末、N先生は遥か遠いY町へと行ってしまいました。 変わりに、S先生が私の主治医となりました。 残念ながらS先生とは相性が合わなかったのか、どうしてもS先生を信用できず 私の病状は急下降していきました。 (薬の内容は変わらなかったのですが・・・) 調子が悪くなっていく私にS先生は「今、何が一番不安ですか?」と聞きました。 私と主人(主人も一緒に診察室に入っていました)は 「先生が不安です」と、まるで口裏を合わせたかのように言いました。 それから、私の(俗に言う)ドクターショッピングが始まりました。
2007.01.14
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プロフィールとやや重なるところもありますが、今までの私の経過を書いてみたいと思います。 2003年 6月:疲労感・倦怠感・脱力感・嘔気・胃痛・眩暈・頭痛・咽頭痛などの不定愁訴が あらわれ始めました。その時は「何となく変だなぁ」位にしか思っていませんでした。 7月:身体症状だけでなく、気持ち的に沈むことが多くなり、情緒不安定な日々が続き、 不安感・イラつき・動悸・息苦しさ・食欲低下・周囲がうるさいと感じたり人に会うのも 嫌になってきました。 8月:偶然(今では必然だったと思っています)、短大時代の友達Mちゃん(青森在住) に地下鉄ですれ違い、せっかく会えたし、久しぶりにご飯に行こう!と食事に行きました。 食事の前に、彼女は1錠の薬を飲みました。 「胃薬かな?」と思いあまり気にしていなかったのですが、お互いの話しをしているうちに 私が「最近、何か調子が悪いんだよねぇ」と自分の症状を話すと、 彼女は「○○(私の名前)、1回、心療内科とか行ってみたほうがいいよ」と。 その時は「心療内科?」と思い「どうして?」と聞くと、 「実は私、パニック障害なんだ」と自分自身がパニック障害とわかるまでの経緯を話してくれ ました。「だから○○も1回受診してみたらどうかな」と言ってくれました。 「もしかしてさっき飲んでた薬ってその薬?」と聞くと彼女はうなずきました。 「心療内科にかかりたい」とは思ったものの、なぜかなかなか主人に言い出すことができず (私の変化に主人は気づいていませんでした)私の症状も続いたままでした。 10月のある日の夜中、私の中の全ての感情があふれ出しかのように、 眠っている主人を起こし、泣きながら「お願いだから病院に連れて行って」と頼みました。 そして、心療内科を受診。 医者は「鬱病ですね」と。それから内服治療が始まりました。 私は薬効よりも副作用が強く出やすい体質のようで、 なかなか症状は改善せず副作用に苦しみながら薬は飲み続けていました。 食欲はあるものの食べると嘔気がして、そのうち食欲もなくなってきました。 睡眠薬もほとんど効果がありませんでした。 2004年 症状は変わらず、むしろ以前よりひどくなっていき、起き上がることも辛くなっていました。 寝たきりに近い毎日を過ごしているうちに「いなくなりたい」「消えてしまいたい」という 思いが芽生え始め、「死にたい」と思うようになりました。 体重も減り始め、44kgだった体重は40kgになっていました。 7月:今まで通っていたクリニックではなく違う病院の精神科を受診しました。 その日私は特に落ち着きがなく黙って座っていることもできず、待合室や病院内をウロウロと 歩きまわり、しまいには診察の順番さえも待っていられなくなり、泣き叫びながら 「早くして!早く診察して!」と待合室の前で騒ぎ始めました。 そしてやっと診察を受けることになり、医者は取り乱している私に安定剤の注射をしましたが 全く効果がなく騒ぎ続ける私に「鬱病もあると思うけど、性格にも問題があるのでは?」と。 この言葉には主人も呆気に取られ「○○、もう帰ろう」と言い帰路に着きました。 その頃には私も落ち着きを取り戻していました。 まさか、医者が、しかも精神科の医者に「性格の問題」と言われるとは 思ってもみませんでした。 8月:症状はひどくなるばかりでした。さらに体重も減り37kgになっていました。 ある日、私は例えようのない不安、焦燥感にみまわれ、家中を行ったりきたり。 そのうち、何かが壊れたように「助けて!助けて!」と泣き叫び、 半狂乱状態と言っていいほど騒ぎまくりました。 自分に何が起こったのかわからず、どうしていいのかもわからずその状態は続き しばらくしてやっと自分がおかしくなっていることに気づき、 主人に「お願いだから今すぐ帰ってきて」と電話しました。 主人はすぐに仕事から戻ってきてくれ、1番近いところにある精神科に連絡を取り、 私を病院に連れて行ってくれました。 そして、私は精神科に入院することになりました。
2007.01.13
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妹が妊娠しました! とってもとってもとっても嬉しくて嬉しくて涙がでました。 我が家のワンに匹敵する最愛の姪もお姉ちゃんになります。 身も心も激ウツだったのが、一気に吹っ飛び元気がでました。 でも、夜になり、知人の訃報が。 我が家と同じ、ワン2匹との4人家族だったH家のご主人が亡くなりました。 先月、入院したと聞いたばかりだったので、 突然の訃報に私は混乱し、発作とは違う意味でのパニック状態・・・。 優しくて、親切で、奥さんをすごく愛していたご主人。 最愛の奥さんとワン達を残して逝くこと、そうとう辛かったはず。 きっと闘病生活よりも。 奥さんも、ご主人の姿をそばで見ていて苦しかっただろうし こんなに早く逝ってしまうなんて思っていなかったはず。 残された奥さんのこと、そしてご主人のことを思うと 胸がしめつけられる思いでいっぱいです。 神様は時に残酷で不平等です。 クリスチャンの友人にHさんのことを話したら、お祈りしてくれて 「神様から永遠のいのちをうけ安らかに安息にはいれますように(天国にいけますように)」 とのこと。 私は、クリスチャンではないから、Hさんは永遠のいのちより罪を背負いながらでも (友人曰く:人間は生まれながらに罪を背負っている) 現世で奥さんとワン達ともっともっと一緒にいたかったって思う。 切ないです。
2007.01.12
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ここ2~3ヶ月、朝までぐっすり眠っていないので、そろそろつかれてきた・・・。 久々に最終手段のベゲタミンBを飲んで、昨日は21時おやすみ。 さすがベゲタミン。おそろしいほどの効果。 今やっと起き上がることができる。 でもまだ眠い。残眠強すぎ。 以前、ベゲタミンAを飲んで肝機能が悪くなったので、 常用しないという約束でベゲBを処方し てもらった。 ベゲAを飲んでも眠れなかった頃が信じられない。 だるい、脱力感・眠気で座位も立位も難しい・・・。今日も寝たきり。 フラフラになりながら、トイレへ。そして愛する犬のお世話。 いつになったら普通の生活が送れるんだろう。 朝起きて、家事をして、人に会って、外に出て、そして自然に眠る・・・。 夢のまた夢なのかなぁ。 今が病気の折り返し地点であと4年で治りますって保障があればいいのに。 先の見えない不安。いつ発作を起きるのかわからない不安。 糖尿病の人のインシュリン注射みたいに、セロトニン注射とかできればいいのに。 誰がうつを心の病気なんていいだしたんだろう。 脳内物質が足りないんだから、脳の病気じゃないのかなぁ。 精神科じゃなくて、脳内科みたいなところがあってもいいんじゃないかなぁ。 すでにあるんだろうか・・・。 あぁ、眠い。 バイト、したかったけど今日は無理くさい。 医療費、交通費、滞在費、お金かかるのに。 地元の病院でも薬はだしてくれるけど、先生との信頼関係とか、 田舎特有の噂の広がりの早さとか・・・。めんどくさいことばかり。 やっぱり、今、診てくれているO先生がいいしなぁ・・・。 でも、通うの大変。 あと1時間くらいしたら、主人(おやじ)が帰ってくる。 わん達のご飯、いまの私には用意できない。 ごめんね、わん達。ママがこんなで。 おやじが帰ってくるまで、ご飯ちょっとだけ我慢してね。 ママは寝ます。 おやすみなさい。
2007.01.10
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昨日も発作。中程度の発作。今年になってから毎日発作を起こす。 寝てばかりで活動していないのに・・・。 夕方からかろうじて起き上がる。 親戚の家にも行ってなかったので、一応新年の挨拶に。 親戚は私の病気のこと知ってるけれど、父親がうつとパニック障害という病気を 理解していないため(甘え病、だらしない、気持ちが弱い等) 私は自律神経失調症ということになっている。 久々にいとこに会う。 彼女は私の病気を知ってくれている(医療関係者でもある)。 「またやせたんじゃない?」と一言。 今の症状のことを話したら、「つらいね」って。 それから、話しを聞いてくれて、誰にも伝わらない(伝えようのない)発作のこと、 理解者が身近にいないこと、いろいろ話していくうちに病気になってからの私の葛藤、 死のうとしたこと、リスカのこと、責めることなく受け止めてくれた。 涙がとまらなかった。
2007.01.08
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沖縄に住んでいるクリスチャンのお友達。 私の調子の悪い時、いつもお祈りしてくれる。 今日も心配して電話くれた。 神様のこと、話してくれて、一緒にお祈り。 神様はいつもそばにいてくれて、見守ってくれていて人間が苦しむことは望んではいないって。 「じゃぁ、どうして私はこんなに苦しいの?苦しんでいる人がたくさんいるの?」 彼女が教えてくれたのは、人間のほうが神様から離れていったこと。 つらくて寝込んでる私、発作で苦しむ私、できないと思い込んでいる私。 神様は全部知ってて、試練を私に与えている。 「なぜなら、患難は忍耐を生みだし、忍耐は錬達を生みだし、錬達は希望を生みだすことを 知っているからである。そして希望は失望に終わることはない」 私はクリスチャンではないけれど、神様、助けてください。苦しんでいる人、全て。
2007.01.06
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昨日の夜、8時頃から何となく調子が悪い。レキソタン飲んで様子をみていたけれど まだ調子が悪い。レキソタン追加。 結局、発作が起きてしまって、しんどくて、またレキソタン追加。 全く効果がなくて大発作に。 そして過換気。全身ビリビリ。紙袋抱えながら1時間半。 なんだかんだで4時間くらい苦しみました・・・。(トータルレキソタン量:13mg) そして、発作が終わった頃には汗だく&疲労↑↑ ぐったりして動けず、主人にベットに運ばれ爆睡。 今日は1日、寝たきり三十路で終了。 普通に生きたい・・・
2007.01.05
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今日は、昼までごろごろ。 昼薬を飲んでまたごろごろ。 地元に住んでいる唯一のお友達、Tちゃんから連絡があり、しばらくしてうちに登場。 私の病気のこと、彼女が考えていること、6時間にわたり話し続ける。 彼女は、これから新しい旅立ちを控え、心は不安と期待でいっぱい。 とっても優しい彼女は自分自身のことより家族のことをとても大切にしていて 自分が家を離れることで家族に負担がかかるんじゃないかってすごく心配していました。 「でも、やらないで後悔するより、やって後悔するほうがいいよね」って自分にいい聞かせるように 笑顔で話してくれた。 私にできること、ひとつだけ、彼女を応援すること。 彼女が笑顔でいられるように祈ること。 彼女が私を受け止めてくれたように、私も彼女を受け止めてあげたい。 そう思った1日。
2007.01.03
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今日は昨日とはうってかわってやや普通。 3度寝のあと、ちょっと離れた所に住むお友達に会いに。モスで4時間過ごす。 Jちゃん(初めての入院以来のお友達)いわく、 「もう、うつの辛さをわかってもらうのは諦めた。わかってくれる人だけがいてくれればいい」 Aちゃん(去年入院した時にできたお友達)も 「友達は減ったけど、私のことを理解してくれる人がいればいい」と。 JちゃんとAちゃんの話しを聞いて、私には理解してくれる人がたくさんいて その人たちは私を必要としてくれていて、私は友達に恵まれているんだなぁとあらためて実感。 私のお友達、病気のことを話しても、誰も「頑張れ」とか「ちゃんとしたら?」とか 言わなかった。本気で心配してくれて、受け止めてくれた。 すごく感謝。心から感謝。 私の元気な時も知ってて、調子の悪いこともわかってくれて、 「無理しないで」「いつでも連絡して」って言ってくれる。 神様は「その人に耐えられない試練は与えない」って言っているけど、 私にはたくさん見守ってくれてる人がいて、 試練もつらいことも私が1人じゃ乗り越えられないことを知ってて 大切な人を私に与えてくれたんだなぁ・・・。
2007.01.02
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昨日はジャニーズカウントライブを見ながらいつのまにか寝てしまった・・・。 朝、トイレに行きたくなって起きようと思ったら、身体が動かない、目も開けられない。 鬼のような脱力感・倦怠感。 結局、動けず眠る。 主人に「もうお昼だよ」と言われるも、脱力感・倦怠感は続き、薬だけ飲ませてもらう。 何となく気持ちが落ち着かない。レキソタン追加。そして、また眠る。 結局、主人の実家にいてもどうにもならないので帰ることに。 パジャマのまま、車に乗せられ、車の中でも眠る。 家についても、身動きがとれず、布団に直行。 18時、主人に起こされるも起き上がれず、薬を飲ませてもらってまた眠る。 しばらくして、発作の前兆(頭の中の何かが、ストンと落ちる感じ。)があって レキソタン追加。 2007年最初の日、しんどい1日になりました。 明日はどうなるんだろう・・・。
2007.01.01
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