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昨日、エステに行ってきました。 私が予想していたより、しょぼいエステ。 結局、某化粧品の販売目的のエステでした。 夫が帰宅し、昨日のエステのことを報告。 「すごい高い化粧品なのに、いつみより若い子とか契約したり サロンの予約とかしてて、どこからそんなお金でてくるんだろうね~。 ○○とか△△とも通ってるんだって~。すごいね~。」と話しました。 そして、久しぶりに外に出た私。 外に出ることができた私。 夫はひとこと 「そんなのに行くんじゃないよ。○○とか△△とか行ってるんだし いつみがその人達の仲間だと思われるよ。俺、そういうの嫌だ」 私は、話しを聞いてほしかっただけ。 夫にとってはくだらない、つまらない話しでも。 化粧品のことなんてどうでもよくて 今日はこういうことがあったって話したかっただけ。 夫の言葉は何気ない言葉で 夫にとっては悪気もない言葉で 普段だったら私も何とも思わなかったかもしれない。 でも昨日はなぜかその言葉がすごく悲しくて 「いつみには、家の中でさえ話しを聞いてくれる人がいないんだね」 と言ってベットの中へ。 すぐに謝りにきた夫。 夫は「俺が悪かった。何も考えないでいつみの話し聞いてた」と。 謝ってほしいとか、許すとか許さないとかそういうのじゃなくて すごく悲しかった。本当に悲しかった。 夫婦といっても 所詮、他人で結婚したから一緒にいるだけ。 でも、私達の7年間は何だったんだろう。 お互いの本当の中身のこと、全然知らないと思った。 確かに夫は優しい。 周りの人も夫でなければ私の面倒みることできいないよって言われるくらいに。 私が病気になって、犬のこと、家のこと、私のこと、たくさんしてくれた。 それには感謝している。 感謝しきれないほど感謝している。 でも、病気の症状とかは 「俺はなったことがないから、わからない」って言われてきた。 夫なりにわかろうとしたのかもしれないけれど・・・。 悲しくて悲しくて泣いて泣いて泣いて 口にタオルをあてて 泣き叫ぶ声が外に聞こえないように泣き続けた。 急に夫が顔をタオルで被っている私の両腕を叩いて 「もう泣くな!」と私の手をつかんだ。 初めて夫に叩かれた。 夫に泣きながら訴えた。 「いつみの気持ちわかる? 動きたくても動けないんだよ みんなが当たり前に、普通にできていることができないんだよ やりたくてもできないんだよ 心がつらくて苦しくて、誰か助けてって思ってても いつみの心の中のことだから 誰かが助けたいって思ってくれても 自分でどうにかするしかないんだよ。 どうにもできないんだよ! いつみだってなりたくてこんな病気になったんじゃないんだよ!」 夫は 「本当にできないのか?病気に甘えてる部分はないのか?」と。 私が 「甘えてる部分はないわけじゃない。 それは自分でもわかってる。 じゃぁ、これからは家事も何もかも全部いつみがやるから。 もう(夫には)甘えないし、頼らない。 食器を洗えばいいの?掃除機をかけたらいいの? 何をしたらいいの?」 と言って、起き上がろうとした途端 夫に両頬を叩かれた。 痛みなんて感じなかった。 「こんなところにいたくない。結婚なんてしなければよかった。 (地元に)帰って来なければ良かった。 いつみの7年間を返して! 私達の7年間、何だったの? 結局、お互いの中身、全然わかりあえてないじゃない。 正直言って、いつみは(夫のこと)全然わかんないよ。 俺のことだからっていつも話してくれなかったじゃない!」 売り言葉に買い言葉のように 夫も言い返してきた。 でも、夫の言葉は私には届かない。 私の気持ちには届かなかった。 口にタオルをあてて泣き叫んで、わめいて こんなに涙が溜まっていたのかと思うくらい 涙がとまらなかった。 わがままだと思うけれど 自分勝手なのは充分わかっているつもりだけれど 私をちゃんと正面から受け止めてくれる人にそばにいて欲しい。 私はただの寂しがりで 病気を理由に逃げていて 自分を見てくれる人がほしいだけなんだろうか・・・。 でもつらい。すごく。 このつらさ、言葉にできるなら言葉にしたい。 伝えたい。 理解してもらいたい。 これはわがまま? 先が見えない。全く見えない。 治る病気って本に書いてあるけど いつ治るの? どうしたら治るの? 本には、光(日光)を浴びればいいって書いてるけど 光を浴びても何も変わらない。 ただ、まぶしいだけ。 心の癒されるところに行きたい。 でも今のいつみは日常生活さえままならない。 どこにも行けない。 例えどこかにいけたとしても遊びに行っているとしか思われない。 ちょっとだけ調子のいい時に 好きなネイルをしたら そんなことする暇があるんだったら 茶碗のひとつでも洗いなさいって言われる。 いつみはどうしたらいいの? どうしたら理解してもらえるの? 何々してもらいたいっていうのはわがままなの? いつみだって できることなら普通に当たり前に暮らしたい。 できることとやらないこと、その区別がつかない。
2007.02.28
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友人からお誘いがあり、明日エステに行ってきます。 以前はよく通っていたのですが 最近は、マッサージ系ばかり・・・。 肌年齢も調べてくれるらしいので ちょっとドキドキ。 せめて年相応だと良いのですが・・・。 年齢より上だったら凹みまくりそう。 心配なのは、体調。 ず~っとウツまみれの日々。 人とあまり会いたくないし 身体はだるいし 外にも出たくないし。 でも たまには力を振り絞り人の中へと突入しないと。 (というか、単にエステしてほしいだけ?) 明日のブログで結果報告いたします。
2007.02.26
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なんにもしたくない とにかくなんにもしたくない 起きているだけで疲れるし 横になっていてもだるいし ほんとになんにもしたくない お風呂も入りたくないし 顔も洗いたくないし かろうじて歯はみがくけど それもめんどくさい トイレにも行かなくてすむなら行きたくない でも今日に限って 異常にお腹がすく 自力で食べるのもめんどくさい ベットで寝ながら夫に食べさせてもらう 洗濯物もたたみたくないから山積み うんざりする 薬も飲むのもめんどくさい 頭痛薬も効かない 歯が痛いけど歯医者さんにも行きたくない だるい なんにもしてないのに疲れた なんか もう嫌だ なにもかもめんどくさい
2007.02.25
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去年から、軽い頭痛があり でも薬を服用するほどでもなく 肩こりや首こりもあるので そのせいだと思い、「何か痛い」くらいで あまり気にもしていませんでした。 今年に入ってから、頭痛の頻度も増え、痛みもひどくなり 夫に肩を揉んでもらったり、頭のマッサージをしたりしていたのですが 今月になってから痛みは倍増し 毎日薬を飲むようになり 吐き気までしてきたので 今日、朝、頑張って頑張って起きて脳神経の病院に行って来ました。 以前、夜にものすごい頭痛に襲われ同病院へ行き MRI、CT等検査をしたのですが異常なし。 とりあえず、痛み止めの薬をもらったのですが 私が服用していた精神科の薬とは禁忌の薬を処方されたのです。 (精神科の薬を持参していったのに!) 禁忌とは知らず、痛み止めの薬を飲み眠った私。 次の日、えらいことになりました。 身体は全く動かない、声もでない、もちろんろれつも回らない・・・。 午後には、よたよたと動けるようにはなったものの ふらついてまっすぐ歩けない。 ろれつがまわらずうまく話せない。 「おかしい」と思い やっとの思いでいつもかかっていた病院の調剤薬局に電話しました。 調剤薬局の方は「とりあえず服用をやめてください」と。 そして、5分もしないうちに調剤薬局の方から 「OOさん、さっきのお薬禁忌です!」と電話が。 禁忌の薬って本当に禁忌なんだとあらためて思いました。 話は戻って。 名前を呼ばれ診察室に。 私は以前もらった禁忌の薬と 今飲んでいる精神科の薬を持参。 以前、受診した時のカルテを見ながらはなす医者。 カルテには全く別のことが書かれていました。 それに対し、ひとまずカチンときた私。 「私は、セデスもロキソニンもボルタレン座薬(50mg:私の体重では25mgで充分) なんて飲んでいないし、ボルタレンもこの身体で50mgも使いません!」 と言いました。 医者は 「これ、違う人のカルテ?でもあなたの名前ですよね。 (薬)使ってるって書いてますよ。」と。 (ちなみに今日は院長の診察!!) 「でも、私は飲んでません!」と言いました。 そして、2度目のカチン。 「ここは脳外科ですよ。脳の病気を診るところです。 あなたの頭痛や吐き気が精神科のほうからきているものだったら ここでは治療できないのはわかります? ここは、脳に出血や腫瘍がないか診るところですよ。 それでもいいんですか?」と。 「それでもいいんですか?」の言葉の意味が 『検査しますか?しませんか?』のどちらの意味かわからなかった私。 「それはどういう意味ですか?」と聞きました。 医者は、私が言葉を理解できない病気ととらえた様子で 「検査していきますか?」と。 頭痛の理由がしりたくて検査しにきたのに。 「検査してください。」と半ギレ状態で言いました。 そして、MRI、レントゲン。 結果は異常なかったのですが 検査後の医者の説明に3度目のカチン。 「これが脳です。これがレントゲンです。わかります? (私は今は働いていませんが看護師です。) ま~ったく(この言い方がさらにムカつく)異常ありません。 あとは健やかに生活できるように精神科の先生と相談してください。 禁忌の薬を処方したのはもうしわけありませんでした。 それはゴミにしてください(これまたムカつく)。」と。 すごく、ものすごく、かなり頭にきました。 同じ医者なのに精神科の患者をなんだと思っているのでしょう。 あの口調、態度、思い出しただけでも腹がたちます(`⊥´) そのあとトイレに行き自分の顔をみて驚きました。 自分で言うのもなんですが、すごい形相でした・・・。 夫に「いつみの顔、すごい顔してるね」と言うと 「うん。すごいわ。誰がみても怖い顔だ。」と言われました。 仕方ないので帰りにドラッグストアに寄り鎮痛剤を購入。 あああああああああああああ!!!!! ムカつくぅぅぅぅぅ!!! 早速、車の中で缶チューハイ一気飲みしました。
2007.02.24
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昨日は、私用で人と会わなくてはならず 用事を済ませてすぐに帰りたかったのですがそうもいかず・・・。 頓服を飲みながら、なんとかこなしました。 疲れていたのですが その帰りにいとこの家へ。 いとこには、ずっと病気のことを話していなかったのですが 以前、話しを聞いてもらってから 私のことを理解してくれる存在になりました。 彼女は他の人とは違った目線で病気のことを受け止めてくれています。 私が「昨日、動けなくてお風呂に入ってないの。汚いよね。」と言ったら 「できなかったんでしょ。仕方ないよ。」と。 他の事を話しても、だらしないとか怠けているとかは一切言わず、 「それだけつらいんだね。」と言ってくれます。 こんな近くに受け止めてくれる人がいたのに 全然気づいていなかった私。 そして、彼女に私が許されないことをしたことを話しました。 誰にも話さないでいようと思っていたこと。 大袈裟かもしれませんが、墓場まで持っていこうと思っていたことを。 でも、やっぱり苦しくて苦しくて 自分の中に閉じ込めておくことはできず、彼女に聞いてもらいました。 軽蔑されることを覚悟して。 彼女は、全く私を責めませんでした。 むしろ、私がしたことを 「いつみがしたことはいいことではないけれど、 その時、いつみはそうするしかなかったんだよね。」と言ってくれました。 心が開放されました。 私がしたことは、決して許されないことだけれど 『そうするしかなかった』という彼女の言葉に救われました。 受け止めてくれた彼女に心から感謝しました。 「ありがとうね、こんな話ししてごめんね。」と繰り返す私に 「どうして謝る?いつみはいつも謝るよね。 いつみは真面目すぎなんだよ。もっと楽に考えていいんだよ。」と言ってくれました。 身体は疲れていたけれど 彼女と話しができたことで気持ちが楽になりました。 本当に本当に感謝です。 話しはかわりますが、 今日は朝から頼まれていた仕事がありました。 たくさんの人、声、音・・・。 目の前が真っ暗になりました。 早めに薬を飲んでなんとか持ちこたえたのですが 正直、かなりきつかったです。 「用事があるのでお先に失礼します」と嘘をつき 後片付けも手伝わないまま帰ってきました。 疲れました。 非常に疲れました。 これくらいのこと、みんな当たり前にできているのに もっと疲れることをしている人がいるのに 私には限界でした。 ホント、この病気嫌です。 ウツの波は少しずつひいて行ってくれているのですが パニック障害持ちの私には、人や音はかなりきつく ここで発作を起こすわけにはいかないと自分に言い聞かせつつ もう少しだからいつみ頑張ってと励ましつつ何とか乗り切れました。 いつになったら治るのか あと何年我慢したら治るのか教えて欲しいです。 今が折り返し地点だったらいいのに。 夫はいつも言ってくれます。 (我が家はクリスチャンではないけれど、寝る前にお祈りをします) 「神様、いつみに普通の生活を送らせてください」と。 夫にとっても 『普通の生活』を送れることが望みなのかな、と思います。 普通の生活、当たり前のこと、 病気になって気づけたことでもあります。 みんな笑顔で過ごせたらいいなぁ。 ちなみに今日は我が家のたんちんの2歳のバースデーです☆ たんちん、健康で元気でこれからもママのそばにいてね。
2007.02.22
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昨日の夜、久しぶりに発作を起こしました。 発作の前に「なんか調子よくない」と思い頓服。 そのおかげか、発作は小~中程度で治まったのですが、 時間にして約2時間。 発作後もじりじりと身体が落ち着かない感じ。 発作中、ふと夫のことを思いました。 今まで、私は自分の発作の苦しみだけを考えていたのですが、 私が発作に耐えてる間の夫のことが頭をよぎりました。 私は、発作中は自分のことだけ、発作のことだけ考えていたのですが その発作の時間、夫はどんな想いでいるんだろうと初めて思いました。 発作中は特に光と音に敏感になる私。 夫はその期間、静かに音もたてないで、TVも見ないで 黙って私の発作が終わるまで待っていてくれたのです。 あらためて感謝しました。 夫にもやりたいことがあるはずなのに したいことがあるはずなのに ワン達を静かにしてくれ 私の発作が終わるのを、いつ終わるかわからない発作を待っている時間、 夫は私の刺激になる要因をさけて待っていてくれたのだと。 心から心の底から夫に感謝しました。 声も出せないので夫の携帯にコール。 夫はすぐにきてくれ「どうした?」と。 トイレに行きたいとつぶやく私を抱きかかえトイレに。 そしてまた抱きかかえられベットに。 夫には本当に感謝。 感謝しきれないほど感謝。 「こんな私とどうして結婚したの?」って聞いたら 「好きだから」と即答してくれた夫。 神様が与えてくれた人。 この人を裏切ることはできない。 夫が私でいいと言ってくれる限り夫の側にいたい。 でも、いびきは困る。
2007.02.21
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少し、落ち着いてきました。 心配してくれた方々、心から感謝しています。 何度か、藁にもすがる想いで スピリチュアルカウンセラーにみてもらったことがあります。 その中で私が信頼できる人は3人。 その方達はとても、素敵な方です。 初めて、「見える」という人に見てもらった時は最悪でした。 知り合いの知り合いという形で紹介してもらい 電話でも見てくれるというので、予約して電話をしました。 私はうつの症状がつらいことを話しました。 でも、その人は 「あなたの生活状態が悪い。朝起きて、食事を摂ってやるべきことをやりなさい! 夜遅くまで起きているから、朝起きられないのよ! あなたの気持ちが弱すぎる。頑張るって言いなさい!」と叱咤するばかり。 泣きながら「言えません」と言う私に 何度も「頑張るって言いなさい!」と。 仕方なく「頑張ります」と言ったものの 「声が小さい!もっと大きな声で頑張るって言いなさい」とさらに叱咤。 もう、電話を切りたくなった私。 その人は、最後まで「頑張るって言いなさい!」と言い続けました。 泣かされ、叱咤されたあげく、料金は¥8000。 納得がいかないまま、口座に振り込みました。 その人以外の方達は、私の中身を見抜いてくれました。 (私はそう思っています) 1人の方は、タロットで見てくれる方(占い?)でした。 私の名前、生年月日、血液型を聞いただけで 「あなた、うつなのね。つらいでしょう」と。 これには本当に驚きました。 病気以外のことも全て言い当ててくれました。 その方は 「今は本当につらい時期だけれど、 この病気は必ずあなたにとっていい経験になるわよ。」と言ってくれました。 そして、最後にはハグ。 彼女に抱きしめてもらったときの気持ちは今でも忘れません。 もう1人の方は 私の中に入り込むという方法で私をみてくれました。 私の中に入り込んでいる最中の先生はとても苦しがっていて 全身で、もがいていました。 そして、私の苦しみを共有してくれました。 そして、ハグ。 私はとても安心できました。 その先生は、以前は遠隔でもみていてくれていたそうですが 今は、自分自身の身体がもたないということで 先生のところに通わないとみない方針にしたそうです。 3人目の方(Mさん)は 私と私の中のインナーチャイルドをみてくれました。 その方に言われたのは 「いつみさんは今まで『怒り』を秘めて生きてきましたね。」と。 私には見当もつかない言葉でした。 自分の中に『怒り』があるとは思ってもいませんでした。 そして、「『怒り』を持ってきたからこそ私が今まで生きてこられた」と。 Mさんに「怒りの奥に何を感じますか?」と聞かれました。 なぜか急に涙が溢れだし、私は「哀しみ」と答えました。 Mさんは 「そうよね、あなたは哀しかったのよね。」と。 そして、インナーチャイルドにも語りかけてくれました。 私のインナーチャイルドは 4~5歳の女の子で背中をむけたまま振り向いてくれません。 Mさんと一緒に語りかけても、振り向いてくれませんでした。 Mさんに 「インナーチャイルドを癒してあげることはいつみさんも癒されることになるのよ。」 と言われました。 そして最後にハグ。涙が止まりませんでした。 でも、いまだ私のインナーチャイルドは 何度語りかけてもふりむいてくれません。 スピリチュアル系を信じる、信じないは人それぞれですが 私は3人の方に出会えて良かったと思っています。
2007.02.19
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今日、許されないことをした。 自分自身の意思で。 それを辞めるチャンスは与えられたのに 自分でそのチャンスを無駄にした。 自分が嫌い。 こんな思いをするのもわかっていた。 でも辞めなかった。 自分で選んだ許されないこと。 夫は知らない。 夫には言えない。 普通の顔をして そ知らぬ顔をして 何も無かったかのように振る舞っている。 誰にも迷惑はかけたくない。 でも許されないことをした。 自分の行動と言動が一致していない。 病気のせいじゃない。 自分のしたこと 病気のせいにして逃げるのは 同じ病気で苦しんでいる人に失礼だから。 許されないことをした私。 助けてもらおうなんて思わない。 許して欲しいなんて思わない。 全て自分の責任だから。 私は何がしたいんだろう。 どうしたら 満足するんだろう。 自分のことなのにわからない。 自分のことだからわからないの? 誰にも言えない。 誰にも言わない。 自分で死ぬことさえ それを選ぶことさえ 許されないことをした。 神様、私を消去してください。
2007.02.17
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このつらさはいつまで続くんだろう。 疲れた。すごく疲れた。 もうどうでもいいってこういう気持ちなんだろうか。 とにかくだるいし、何にもしたくない(できない)。 必要最低限のことさえ面倒くさい。 トイレに行くのもだるい。 夫の存在さえもうっとおしいと感じる。 彼がいないと何もかも成り立たないのに。 何よりもワン達がかわいそう。 ごめんね、こんなママで。 本当にごめんね。 ママは謝ることしかできません。 ごめんね。 同世代の人達がうらやましい。 人それぞれ、いろんな悩みを抱えているんだろうけど。 人に会ったり、買い物したり、旅行したり・・・。 普通のことしたい。 普通って何?って聞かれたら答えに困るけど この状態から抜け出したい。 何時間、膝を抱えてうずくまっていたのかもわからない。 夫がお昼休みに戻ってきても話すのも面倒で 「うん」とか「これ」とかしか言えない。 会話も無い。 こんな姿の私をみて夫は「困ったなぁ」と言う。 私がつらいのを一緒に困ってくれてるつもりで言ってるんだと思うけど その一言がつらい。 困らせているんだと思ってしまう。 ひとりになりたい。 でも、ひとりじゃ何もできないことわかってる。 結局、うつなんて治らないんじゃないんだろうか。 治ったって、どうやって気づくんだろう。 『うつとうまく付き合う』とか『うつが治る』とかそんな本があるけど 人それぞれうつの程度が違うのに。 自分が被害妄想まみれなんだろうか。 うつ、もういらない。 どこかに捨ててしまいたい。
2007.02.16
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とにかくしぶといウツの波。 いい加減にして欲しい。 でも、少し波が去り行く感じがする。 死にたいってそれしか考えていなかった(考えられなかった)頃、 よく『自分の価値』のこと思ってた。 家事も出来ない、寝てばかり、泣いてばかり・・・。 こんなんじゃ、生きている価値なんてないって思い続けていた。 でも、今日ごろごろしながら ふと『価値』って何だろうって思った。 人間の価値、誰が決めるんだろう。 自分が決めるんだろうか。 「いてくれるだけでいい。生きていてくれるだけでいい。」 って言ってくれる人(夫も含め)がいてくれた。 例えはおかしいかもしれないけど 自分のためだけじゃなくて誰かのためにとっても私は存在しているんだと思えた。 気持ちが楽になった。 (うつ症状は変わらなかったけど・・・) 身近で言えば、私にはワン達と姪がそうだと思う。 この子達がいてくれるだけで救われている。 笑顔になれる。 神様、苦しんでいる人、つらい人、しんどい人、いろんな思いを抱えている人、 ひとすじの光を与えてください。 そして、その人達が光が与えられていることに、気づけますように。
2007.02.14
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夫と初めて出会ったのは19歳の夏。 (どこでどうやって出会ったのかは覚えていない・・・) 夫は、始めは弟の友達(?)だった。 夫は、年齢に関係なく子どもからお年寄りまで頼られる人。 仕事柄、お年寄りに関わることが多い彼は、 お年寄りからご指名が入るほどお年寄りにも信頼されている。 夫とちゃんと出会ったのはその年の冬。 家族ぐるみで仲良くしてもらっているMK夫妻の家で出会った。 「いつみ(私の名前)ちゃんに会いたいっていう人いるんだよ」と。 浮かれる私。 その日はいろんな人が集まって飲み会。 夫も来ることに。 周りにひやかされながらも、夫の隣に座る私。 でも人見知りする夫。 何の会話もないかと思えば、夫は別室でゲームをし始めた。 「あれ?話しがちがうぞ。いつみに会いたいんじゃなかったの?」と思う私。 その日はその日で、夫とも会話なく終了。 何日かして、夫と同じ職場の人から電話。 夫を含め4人で遊びに行こうと。 家にいても暇だし、行くことに。 車の中でも夫の隣に座っても会話なし。 結局、周りがひやかしていただけなんだと思う私。 冬休みも終わり、私は札幌へ戻る。 とりあえず(どういう流れかは忘れてしまったけど)電話番号は夫に教えていた。 札幌に戻ってしばらくしてから、夫から電話が来た。 電話では、普通に話す夫。 それから、毎日夫は電話をくれた。 私にとっても夫からの電話が日常になっていた。 そして、付き合うことに。 でも私は、どうせ遠距離だし、続かないと思っていた。 月に1~2回、夫は札幌に来てくれた。 続かないと思っていた遠距離が続いた。 Nsという仕事柄、土日も仕事はあった。 夫のために土日の休みの希望をだすこともしなかった私。 でも夫は来てくれた。 私のわがまま、泣き言、理不尽なこと、夫は責めたりしなかった。 もしかして夫じゃなかったら、 「皆そうやって嫌なことがあっても我慢したりしてるんだよ。」と言ってたかもしれない。 「いつみ、甘えすぎだよ」と言っていたかもしれない。 小児科で働いていた私。 病院の経営困難で小児科が縮小になり、私は内科に移動になった。 内科に移動になって、初日からいじめられた。 最初は自分でも驚くくらい、いじめられているのがわからないくらい、 何を言われているのか、何をされているのか理解できないほどだった。 小児科時代の友達・先輩が毎日、私のロッカーに励ましの手紙を貼ってくれていた。 小児科ではいじめられたことはなかった。 先輩とか、私がへこんでいたら 「煙草行くよ」と言って気分転換させてくれて、話も聞いてくれた。 内科では、毎日毎日私という人間を否定されるようなこと言われ続けた。 年上の人達も私のいじめられる姿見ていてもフォローしてくれなかった。 小児科の時の副婦長さんが会議の時に 「(小児科から移動した人達に)特別優しくしてくれとはいいませんが、 もう少し温かい目で見てあげて欲しい」って言ってくれたほどに。 私の精神状態はギリギリだった。 家で毎日泣いていた。こんなに涙が出るんだって思うくらいに。 地下鉄の中でも、地下鉄を降りても。 このままじゃ、ダメになる(その時点でかなりダメだったと思うけれど)。 仕事を辞めよう、そう思った。 そして、以前から夫が言ってくれていた『結婚』をしようと思った。 最初は結婚に逃げたと自分でも思っていた。 優しい夫。 結婚してから月の半分は札幌で友達と遊んでいた。 夫はいつみの気分転換になるならと反対しなかった。 私にとっては結婚は生活。 結婚は恋愛の延長でも、ゴールでもなくてこれから一緒に生活をしていくということ。 ただ、父のような人とだけは結婚したくなかった。 夫には、だらしない私、わがままな私、全てさらけだせていた。 私のような人間とと結婚してくれるのは夫しかいないと思っていた。 そして、結婚(いろいろあったけど・・・)。 病気になってから、つくづく感じた。 夫は神様が私に与えてくれた人だって。 こんなにしてくれる人、きっといないと思う。 そして、夫はこんな私を、見守っていてくれる。助けてくれる。 夫に何も返せない自分がつらい。 でも、元気になることが一番、夫へのお返しだと思う。 焦ってはいないつもりだけど、急いではいないつもりだけど、 夫が困った時、しんどい時、つらい時、 小さなことでも私が夫に何かできればいいって今は思ってる。 私が夫がいてくれてよかったと思えたように 夫にとって私が、そんな存在でありたいと思う。 そんな存在になりたい。
2007.02.12
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今日もしぶとくうつ。 今日はとにかく眠たい。だるい。起きられない。 ひたすら寝続ける。 連休のおかげで家に夫がいてくれる。 おっとがベットに食事を運んでくれる。 ワン達の面倒も見てくれる。 本当に本当に感謝。 そしてまた寝る。 ひさしぶりに眠れた。 昏々と眠り続けて時間の感覚もなくなっていた。 夫、すごい。 こんな私を見捨てないでいてくれる。 時々、不思議な行動するけど、やっぱりすごい。 普通(何を基準にするかはそれぞれだけど)、こんなにしてくれる人いない気がする。 私と結婚しなかったら、もっと幸せに暮らせていたんだろうな・・・。 1人になりたいといとこの家に脱出しようと思っていたけど すれ違ってしまい、脱出できず。 でも、脱出しなくて良かったと思う。 おやすみなさい。
2007.02.11
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今日もうつで落ちていました。 夜間覚醒の時は調子がよくて、今日は大丈夫と思っていたら 朝、起きるなり気持ちが沈んでいく。 薬を飲んで頓服を飲んで、ベットへ。 うとうとするも眠れず。 起きて膝を抱えて体育座り(一番楽な格好)。 とりあえず、コーヒーを入れる。 しんどい。だるい。何もしたくない。何も出来ない。 PCも見る気にならない。 洗濯機を回す。 また横になり、うとうと。 起きたら夫が洗濯物を干していてくれた。感謝。 そして、夫はパチンコへ。 私は1人になれてぼーっと過ごす。 何か嫌。何が嫌なのかわからない。 またリスカ。血がにじみ出る。痛い。 消毒して絆創膏を貼って、たそがれる。 1人になりたい。家にいるのが苦しい。 家にいたくない。 でも行くところがない。 1人暮らしをしているいとこを思い出し電話。 しばらく、泊めて欲しいとお願いする。 いとこはかまわないと。 いとこが仕事でいない間は1人でいられる。 夫に相談。 「それで納得するなら、好きなようにしていいよ。」と。 リスカしたことも話した。 以前リスカした時は、刃物を全部隠された。 でも、今回は怒りもせず、責めもしなかった。 19時頃、姪から電話。 実家でみんなでご飯食べているからみーも来てと。 姪からの電話なら断れない。 お風呂セットと薬を持って夫とワン達と実家へ。 疲れた。
2007.02.10
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夫に犬を飼いたいと言ってみた。 ふ~とたんちんがいなくなってしまったら、 ふ~以外キャバリアなんて考えられないし、 たんちん以外のチワワなんて考えられない。 犬のいない生活なんて考えられない。 ふ~もたんちんも親がチャンピオン犬で血統書つきのワン。 初めて犬を飼う時は、血統書なんていらなかったけど、 親犬から受け継ぐ性格等を気にして、 ブリーダーさんから直接譲ってもらって、血統書ももらった。 (当たり前ですが、もちろんお金は払いました) 夫は今は無理だよと。 それはわかっている。充分わかっている。 でも、ふ~とたんちんがいついなくなったしまうか、わからない。 長生きして欲しい。 ずっとずっと一緒にいたい。 無理なのはわかっているけど、 ふ~とたんちんには私の寿命がくるまで、一緒にいてほしい。 血統書なんていらない。必要ない。 元気で健康であれば、それで充分。 病気が治ったら飼えるのに。 治らなくても、ある程度の日常生活が送れたら飼えるのに。 でも、夫の言うとおり、今の私じゃ無理なんだろうな。 元気になったら、飼おう。絶対。 欲しいのは、プチバセットグリフォンバンデーンというワン。 でも、ミックスでもかまわない。 ミックスにはミックスの良さがあるし。 あぁ、ワン飼いたい。
2007.02.09
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今日は朝から激うつ。超うつ。 眠るにも眠れない。 薬、飲んでもうつはうつ。 気分転換になるかと思ってお化粧して買ったばかりの服を着てみた。 でも気分転換にはならなかった。 何にも変わらなかった。 虚無感でいっぱい。 何が不満なんだろう。何がたりないんだろう。 夫は優しいし 衣食住にも困っていない(お金はないけど・・・)。 大切な人もたくさんいる。 友達にメールしたら心配して返信してくれる。 愛するワン達も元気でいてくれる。 同じく愛する姪も「み~」と呼んでくれる。 それなのに、この虚無感はなんだろう。 満たされていないと感じるのはなぜだろう。 病気に対して焦ってはいない。 焦っても治るわけじゃないし。 愛されたい、抱きしめてもらいたい、安心したい。 でも、その相手はなぜか夫ではない。 浮気をしたいとか、不倫をしたいとか、そういうのじゃない。 やっぱり何かが足りない。足りないとしか言いようがない。 満たされたい。 煙草を吸っても、お酒に逃げても、気持ちは変わらない。 何か違う。 何を求めているんだろう。 ネットで買い物してみた。 だけど、結局、気持ちは変わらない。 私、どうしたいんだろう。
2007.02.09
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昨日はすこぶる調子がよかった。 顔も洗ったし、ご飯も食べたし、ワン達とも遊べたし、洗濯もしたし、 掃除機もかけたし、姪のお迎えもできたし、 夜はいとこの家でご飯を食べに行けたし・・・。 発作も起こさず、本当に調子が良かった。 でも、お風呂に入っているとき、急に不安になった。 「うまく行き過ぎている」と。 普段なら、今日はできることがあって自分に『◎』をあげられていたはずなのに、 なぜか昨日は不安でたまらなかった。 落ち着かない。 何ともいえない気持ち。 切ろう、と頭の中がそう思った。 半年以上していなかったリスカ。 (手首は夫にばれるので私は腕を切る。アームカット?) お風呂の中で何度も自問自答した。 切ってどうなる? 切ったからって何がかわる? でも切りたい。 傷つけたい。 こんなに物事がうまく(私にとっては)進むのが怖い。 切ろう、そう思ってお風呂からあがった。 いつものように、顔のお手入れをしてボディローションを塗って。 夫は「明日はゴミの日だ」と言って、ゴミを分別している。 今なら見られない、夫にばれない。 絆創膏を用意し、腕を消毒し、切る。 剃刀の切れが悪い。 何度か切って、やっと血が流れる。 自分のしていること、正常か異常かと聞かれたら正常じゃないことわかっている。 でも切りたかった。 ただ切りたかった。 傷跡を消毒して絆創膏をはる。 最近、年下(23歳)の友達ができた(以前も書いたかもしれませんが・・)。 Yちゃん。 2年半前からうつ状態に。 現在、通っている病院から私の通っている病院に行きたいと。 先々週、うちにきてくれた。 でも先週は「リスカしちゃった」とメールがきたあと、 私がメールしても音沙汰なし。 調子が悪いんだろうなと気になっていた。 Yちゃんに「切っちゃった」とメール。 すぐに返信がきた。 「会いたい」とメールしたらYちゃんも「会いたい」と返信してくれた。 すぐにYちゃんの家へ。 Yちゃんのリスカの跡を見せてもらった。 無数の傷。 それから2人で朝まで話し続ける。 Yちゃんは「○○ちゃん(私)が一番わかってくれる」と。 私もYちゃんに自分のこと打ちあけた。 23歳のYちゃん。今は仕事も出来ず、実家で暮らしている。 とっても気を使うYちゃん。家族にも。 家族にこれ以上迷惑かけたくないからと、調子が悪くても元気な振りをしている。 そして、同年代の友達からくるメールがつらいと。 今、一番遊びたい時なのに、皆は働いているのに、 「どうして私、何もできないの?」 友達に誘われ遊びに行くけれど、話しが合わない。 帰ってくると、すごく疲れて寝込んでしまう。 年齢は関係ないかもしれないけれど、 一番遊びたい時期、楽しみたい時期に、遊べない、楽しめない。 働きたいのに働けない。 そして、先のみえない病気。 Yちゃんが痛々しかった。 Yちゃんを見ていると切なかった。 同情という言葉は違うかもしれないけど、かわいそうだった。 私がYちゃんにとって何かしてあげられるなら何でもしてあげたい。 家に帰り、Yちゃんにメール。 Yちゃんからは「○○ちゃんはYにとって親友かも」とメールが来た。 親友。 同じ病気。 Yちゃんにとって私が必要なら、Yちゃんの気持ちに答えたい。 私にとってもYちゃんは病気のことを話せる唯一の存在。 私達の住んでいるところはとても狭い地域。 この地域で、病気のこと、本心から話せる人私にはいなかった。 『親友』 Yちゃんが言ってくれた。 神様がまた1人、私に大切な人を与えてくれた。
2007.02.08
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9月1日、沖縄に到着しました。 空港には友達が迎えに来てくれていました。 沖縄に行く前から友達には お酒・煙草・コーヒー(紅茶も)は『3大悪』と言われていました。 3大悪を嗜む(この3つはどれも欠かせない)私。 そして、SDAの教えに則り、動物性の食べ物は食べないこと。 もともと、野菜好きなので、食べ物に関しては全く苦ではありませんでしたが 牛乳大好きの私は牛乳は確保(?)していました。 常夏の沖縄。暑いと言えばビール。 友達の暮らしている今帰仁に着くまで 「最後の一杯を飲みたいんですけれど・・・」と私。 友達は「ダメ」と即答。 めげずに「最後のコーヒーが飲みたいんですけれど・・・」 「ダメ」とまたも即答。 さらにしつこく「最後の一服が吸いたいんですけれど・・・」 友達も諦めたのか飽きれたのか 「最後だからね!!!」と。 やっとお許しを受け、外で一服。 生き返る。これでビールが飲めたら・・・(諦めの悪い私)。 そして目的地へと到着。 沖縄と言えば『海』ですが、ここは山の中(一応海は見えるけど遥か彼方)。 電柱もないため、夜は真っ暗。 なので移動は懐中電灯持参。 ここ一帯は、センター(主にクレンジングのお客さんや治療目的の人が利用)、 教会(と言っても偶像礼拝ではないのでチャペルではない)、 菜食レストラン『ハーブ』、 そしてここに暮らす人が住むホームがあります。 私に用意してくれたのは、ホームの2階のお部屋。 1階には、年配のミツさん、ふじさんが住んでいます。 2階にはともさんのお部屋(2階には4部屋あります)。 友達、夫とともにホームへ。 掃除機をかけている1人の女性(むつみさん)が笑顔で迎えてくれました。 荷物を2階へと運び、次の日夫が持ち帰るスーツケースを開封。 衣装ケースへと荷物を移していると、 移動の疲れと急激な気候の変化、そして休まずに動いてしまったせいか 早速、発作を起こしてしまい私は寝込んでしまいました 発作の間、夫が残りの荷物を整理してくれました。 発作はなかなか落ち着かず過呼吸へと。 気温と発作で汗だくの私。 その日は、「これからお世話になります」の挨拶もできず寝込んで終わりました。 次の日も体調は悪く、夫を見送れないままベットの中。 寝込んでいる私をひたすらお世話してくれる人(さっちゃん)がいました。 アイスノンを交換してくれたり、水を飲ませてくれたり。 「ありがとう」と言うしかできない私。 その後も寝込む日々が数日続きました。 その間も、友達やさっちゃんが私の面倒をみてくれました。 1週間を過ぎた頃から少しずつ動けるようになり、 身の回りのことも自分でできるようになりました。 そして、1人ホームにいても何もすることがないので 友達の働いているレストランへ。 裏口から入り、友達の姿を見ていました。 朝食はホームで皆で食べていたのですが 最初の頃は朝起きれず、食欲もありませんでした。 昼食は友達が気を使ってくれ、レストランで一緒に食べることに。 そして、食べ終わると後片付け。 何ヶ月ぶりなのか1年以上ぶりなのか、 思い出せないくらい、久しぶりに自分で洗い物をしました。 お客さんが来ると、食事を中断して働く友達。 そのうち、私も手伝わせてもらうことに。 料理の盛り付け、食器洗い、後片付けができるようになっている自分がいました。 朝も起きられるようになり、ご飯も食べれるようになりました。 昼食もしっかり食べ、忘れていたに近い食欲がでできました。 そこでは夜ご飯は基本的にみんな食べません。 お腹がすいたら、個々でフルーツを少し食べたり、パンを食べたり・・・。 夜ご飯を食べなくても私は平気でした。 その代りというか、朝と昼はしっかり食べました。食べることができました。 9月の中旬、お店のオーナーさんに呼ばれました。 「煙草吸ってるのばれちゃったのかなぁ・・・」と不安になりつつオーナーさんの所へ。 (煙草はやめられず、隠れて吸っていました・・・) オーナーさんは 「これから、正式にお店を手伝ってくれませんか? そのかわりというわけではないけれど、滞在費を1ヶ月○万円に。」 と言ってくれました。 私は、仕事を与えられました。
2007.02.07
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今日は、午前中爆睡し、 昼休みに帰ってきた夫に昼の薬を飲ませてもらい、 1度起き上がったものの、起きていられずまたベットへ。 眠くてだるくて仕方ないのに何だか落ち着かない。 頓服を飲んでみたけど、発作開始。 でもランドセンの効果か、頭の中はクリア。 身体だけウズウズ、モジモジ。 でも、短い時間で治まった。 夕方、どん底。 とにかく調子が悪い。 ベットの中で、夜の薬と頓服飲んだけどしんどい。 夫にヘルプメール。 会議を抜け出し帰ってきてくれた。 本当に感謝。 それから今日2度目の発作。 身体のおきどころがない、だまっていられない、ベットの中でひたすらもがく。 なかなか治まらなくてぐったり。 自力で起きられないので夫を呼ぶ。 夫に抱えられてトイレに連れて行ってもらう。 (夫じゃない人が夫だったらトイレの世話までしてくれるのかなぁ・・・) 今日は姪を迎えに行けなかった。 もう寝ます。 明日は起きられますように・・・。 発作が起こりませんように・・・。
2007.02.06
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沖縄に行くことになり、よたよたとしながら準備開始。 普段からどこに行くにも荷物の多い私 (あれがないとどうしよう、これもないときっと困ると思ってしまう)。 そして、今回はいつ帰ってこれるのかわからないので、更に荷物増加。 スーツケース大1、中1、LVのバック大1、中1、ダンボール3箱。 膨大な荷物。 (結局、半分以上必要なかったけれど・・・) 出発の3日前、久しぶりに少し体調が良かったので実家へ。 家族ぐるみで仲良くしているMK家族、いとこの家族、妹家族、そして私達家族。 総勢12名+ワン3匹が集まる。 私の心の中は「行く前にみんなに会えてよかった」という気持ちでいっぱい。 どうしでも、形に残しておきたくて皆に集まってもらいデジカメで写真撮影。 いつもなら、嫌がる父もなぜか何も言わず、髪の毛を整えだした。 写真を撮りながら、 「本当に行くんだな」と「今度はいつ皆にあえるんだろう」と思うと涙がでてきた。 姪の写真も撮り、ワンの写真も撮る。 前々日、「姪と一緒に眠りたい」と妹の家へ泊まりに。 「みー、何で泊まりにきたの~?」と姪。 「(姪と)一緒に寝たいの」と言うと、「いいよ~」と。 眠る姪の顔、ずっと見ていた。 この子と離れて暮らすんだ、しばらく会えないんだ、と思うとまた涙が出てくる。 絶対、元気になって帰ってくるからね、と眠っている姪に約束する。 前日は、両腕にワン達を抱え眠る。 2匹の重さがいつも以上に伝わってくる。 私がいなくなること、わからない2匹。 この子達とも、今度いつ会えるかわからない。 ママは頑張るからね、ワン達にも約束。 夫の両親からも電話があり、「元気になって帰ってきて。待ってるからね。」と。 待ってくれてる人がいる、元気になってと言ってくれる人がいる、 みんな、応援してくれている、心強かった。 不安と期待とプレッシャー。 でも、行くことを決めたのは私。 そんな私の思いを察したのか、弟がこんな言葉を言ってくれた。 「姉ちゃん、考えすぎんなって。大丈夫だって。 治すとかそんなに深く考えないで、パーっと遊んできたらいいんだって。 真っ黒になるくらい、がっつり日焼けでもしてきな。」 そして、冗談で 「でも、きっと姉ちゃんの病気を悪くしているのはブランド品だ。 全部、俺の彼女にあげてくれ。」と。 弟の言葉で、気を張っていた私の肩の荷が少し下りました。 あと、妹からの手紙。 「今回のことはお姉ちゃんが自分で決めたことです。 負けないでね。何もしてあげられないけど、(姪と)待ってるから。」と。 出発当日の朝、父が突然家にきた。 私はまだベットの中。 父は夫に封筒を渡して黙って帰った。 夫に「(父が)これ、持ってきたよ。」と言われ中身をみるとお金が入っていた。 起きて準備をし、ワン達を強く抱きしめ、実家へ。 父に「このお金、受け取れないよ。自分のお金で頑張るから。」と言うと 「金はあっても困らないんだから、持っていけ。お前にやる。」と受け取ってくれない。 あらためて感謝し、 父が私の出発日を覚えていたことを、 娘に死にたいと言われ、どんな思いでいたかと思うとまた涙がでてきた。 「ありがとう。大事に使わせてもらいます。」と言うと 「気をつけて言って来い。」と。 父から「気をつけて」と言われたのは初めて。 また涙が出てきた。 涙ぐんで見送ってくれる母。 「ごめんなさい」と言うしか、私にはできなかった。 最初は1人で行く予定だったけれど、夫がついてきてくれることに。 飛行機代も夫の両親が用意してくれた。 私の行動、皆に迷惑をかけている。 元気にならないと帰らない、心に強く決めた。
2007.02.05
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去年の9月から12月1日まで私は沖縄にいました。 7月後半から、また体調を崩し、うつもひどくなり寝たきりの状態に。 「死のう」という気持ちは落ち着いたものの、 「死にたい」と言う気持ちは心に残っていました。 ベットの中で、毎日「死にたい」と泣く私。 どうにもできないうつの波。 今まで1度も口にしなかった言葉があります。 「どうして、わたしがうつになんてなるの? そんなに悪いことした? もっと悪いことしてる人たくさんいるのに。 どうして私なの?どうして?」 泣きながら、夫に訴えました。 夫は、「どうしてだろうね。なんでだろうね。何もしてないのにね・・・。」と。 悪いことをした人がうつになるとは思ってはいません。 そして、悪いことをした人がうつになればいいとも思ってはいません。 でも、普通に、人に迷惑をかけないように生きてきたつもりです。 それなのにどうして、こんな思いをしなければいけないのか・・・。 心の病気ではなく、脳内物質の問題だと言うことは頭の中ではわかっています。 理解しているつもりです。 でも症状は、言葉では伝えずにくいし、理解されにくい。 規則正しい生活をしたくてもできない。 夜、眠りたくても眠れない。 食事も食べられない。 つらくて、苦しくて、何度も友達にメールや電話をしました。 本当にありがたいことに、友達は嫌がることなく受け止めてくれました。 たくさん、心配してくれました。 心配して、遠くから会いにきてくれた友達もいました。 「何も出来ないけど、いつでも電話していいし、 ○○(私の名前)が落ち着くまで、うちにおいでよ。」と言ってくれた友達も。 8月はうつのピークでした。限界でした。 このまま家にはいられないと思い、入院しようと思いました。 でも、今まで入退院を繰り返しても、結果は同じ。 ふと、沖縄にいるクリスチャンの友達のことを思い出しました。 彼女が生活しているところは、 SDAというキリスト教の人達が暮らすのひとつのコミュニティで、 SDAの教えに則ってマッサージやテルミー(温熱療法)等の民間療法などをしたり、 ジュースクレンジング(1日3時間おきに野菜や果物、 薬草等で作ったフレッシュジュースを飲んで体内をきれいにする)をしたり・・・。 入院して薬漬けにはなりたくない、沖縄に行こう。 信頼している友達のいる沖縄に行きたいと思いました。 沖縄に行けば何とかなるかもしれない、最後の頼みの綱でした。 それから、夫の両親に相談しました(死にたいことは言いませんでしたが)。 夫の両親はできることがあるなら、やってみたほうがいいと賛成してくれました。 問題は、私の父親でした。 父にどうやって伝えていいか悩みました。 でも、その時の私のありのままを伝えようと思いました。 もう、限界だということ、 死にたいと思ってしまうこと等全部。 「限界で死にたい人間が何で沖縄に行かなきゃならないんだ? 簡単に死ぬなんて口にするな! お前は気持ちが弱いんだ。 生きたくても生きられない人間だっているんだ!」父は言いました。 確かにいきなり沖縄に行く、と言われ驚いたと思います。 そして、自分の娘が死にたいと思っていることにショックを受けていました。 涙を流し「死ぬなんて言うな・・・」と軽くげんこつをされました。 今まで何度も何度も父にたたかれてきましたが 初めて愛情を感じたげんこつでした。 母は、私の行動(お別れ旅行)を見ていたら 「遊びに行く時だけ元気で帰ってきたら疲れて寝込んでいるように思えるよ。」 と言いました。 私は「言い訳になるかもしれないけど、お別れ旅行をしていた」と伝えました。 母は、涙を流し「そこまで思っていたとは知らなかった。ごめん。」と。 私は、母に「謝らないで」と泣きながら言いました。 妹は 「お姉ちゃん、死ぬって言うけど、残された人のこと考えたことあるの?」と。 「ごめんなさい。でも、もう本当に限界なんだ。もうきついんだ。」 私はそう言うしかありませんでした。それだけしか言えませんでした。 夫は、「今は○○の思うようにさせてあげたい」と言ってくれました。 父は一言、「わかった。そのかわり元気になるまで帰ってくるな。」と言いました。 私が沖縄へ行く条件は『元気になる』ことでした。 『元気になる』 この言葉は、私にとっては目標でもあり、プレッシャーでもありました。 そして、私は沖縄に行くこと(行けること)になりました。
2007.02.05
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金曜日、いつものごとく車で(夫運転、感謝)5時間ほどかけて病院へと。 発作もどんどんひどくなっていて、毎日毎日、3~4時間の発作。 しまいには過呼吸で日常生活もままならない状態。 うつになる暇(?)もないくらい、発作の嵐。 頓服もほとんど効いてない感じ。 2週間前に受診したのですが、やっぱりしんどくて(発作は非常に体力消耗するので)、 友達のMちゃん(彼女もパニック発作持ち)と相談。 『今日の治療薬』を持参し、受診。 私:「先生、もうレキソタンじゃ追いつかない。1日量(15mg)以上飲んでいても 発作は治まらないし、毎日しんどいです。規則正しい生活も無理です。 今の私にレキソタンは合ってるのでしょうか?」 先生:「そんなに頻発してるんだったら、合ってないみたいだね~。」 私:「先生に対して失礼だと思うんですけど、(今日の治療薬をだして) この薬、試してみたいんです。」 先生:「う~ん。そうだね。今のあなたにはいいかもしれない。 でも、眠気とかけっこうきついよ。」 私:「発作を起こさないですむなら、かまいません。」 というわけで、レキソタン(2mg)3×からランドセン(0.5mg)3×へと変更に。 初めて飲むランドセン。期待と不安。 とりあえず、服用。 確かに眠気はすごい。ひたすら寝まくる。 でも、発作なし。身体的にすごく楽。 そしてそして、土曜日、今年初のコンサート、タッキー&翼コンサートへ。 発作の大敵、光と音と人込みに突入! かなりのチャレンジ&冒険。 会場に入るなり、人・音の嵐。 「やばい」と思い頓服。 友達がグッズを買いたいと言うので椅子に座り、目をつぶり深呼吸。 やっぱり、きつい。 グッズ売り場に耐え切れず友達に言って先に席へと。 不安になってきた私。 友達は私の病気のことわかってくれているので「無理しないで」と。 いよいよコンサートスタート! どうなることかと思いきや、ランドセン&頓服が効いてくれて 無事、コンサートを乗り切れました☆ 少し、自信もついた私。 タッキーかっこよかった~(^^) 是非、うちに来て欲しい。 翼もと~ってもかっこいい! すごく楽しくて、楽しめた自分が嬉しかった~。 その後も友達とご飯を食べに行けて、久しぶりに大好きなワインも飲めて 大満足の1日。 普通って、すごいこと。 当たり前ってすごいこと。 あらためて実感。 そして、弟の家に戻ってすぐにおやすみ。 でも今日は全く起きれず(夜間覚醒はあり)。 顔も洗わず、とにかく着替えて車へ。 車の中でも寝言を言うくらい爆睡。 家に着いても起きられず、車の中で1時間ほど寝る。 (夫はその間、荷物をひたすら運んでいたらしい・・・。いつもありがとうね。) 何度、夫に声をかけられても眠くて動けない私。 しまいに、お姫様抱っこでベットへ。 そして眠り姫(三十路だけど姫なのです)。 2時間ほど寝て発作で覚醒。 でもランドセンのおかげかプチ発作。 そしてお風呂に入って、いつもの一杯缶酎ハイ。 話しは変わって。 いつも病院に行く時は、弟の家に泊まります。 今回はワン達も一緒に行きました。 ふ~はマイペース。 問題はタンちん。 タンちんの得意技はブランド物におしっこをかけること。 私のバックも多数タンちんの餌食に。 そしていつものごとく、弟の彼女(マナミン)のグッチにご挨拶。 マナミンに新しいバッグ買ってあげないとだめかなぁ・・・。
2007.02.04
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