パワースポット@神の島「Okinawa」

パワースポット@神の島「Okinawa」

PR

プロフィール

kasurichan1010

kasurichan1010

カレンダー

カテゴリ

コメント新着

gomagoma0610 @ 恩納ナビーの墓について 佐野哲寛さんへ コメントを下さり誠に有…
佐野哲寛@ Re:恩納ナビーの琉歌の里@恩納村「恩納ナビーの歌碑/恩納集落」(10/05) 恩納ナビーのこの写真のお墓はどの辺りに…
地域の人@ Re:七神を祀る霊域と美女伝説の湧き水@那覇市「松川殿之毛/松川樋川」(06/17) 初めまして、松川樋川は「松川ミーハガー…
まるぴ@ Re:集落発祥の秘話と四方神の恵み@沖縄市「登川/ニィブンジャー集落」(01/25) 母方の名前が登川です。 今人生の折り返し…

キーワードサーチ

▼キーワード検索

2021.01.11
XML
カテゴリ: 嘉手納町



「屋良グスク」は沖縄県嘉手納町に流れる比謝川の中流に位置し、標高38mを最高所とする小高い琉球石灰岩陵上に築かれたグスクで「屋良大川グスク」とも呼ばれます。グスク北側を流れる比謝川を天然の堀として利用し、南西面に半円状に外郭を巡らせた輪郭式城郭で、築城は13〜15世紀と考えられています。御嶽の石碑には「屋良城之嶽 神名 笑司之御イベ」と記され、ウコールが祀られています。


(屋良大川按司の墓)

「屋良大川按司の墓(御先大川)」は屋良グスクの東側に位置し、以前は崖の中腹に位置していましたが崖崩れにより墓が崩壊したため、散乱した遺骨を逗子甕に分納し、真下の横穴を利用して1991年に移築しています。墓の石碑には「字屋良御先 大川按司之墓」と彫られウコールと霊石が設置されています。


(字屋良ウブガー)

屋良大川按司の墓の北東側に「字屋良ウブガー」があります。このウブガー(産川)は字屋良集落で古くから利用されてきた湧水で、正月にはこのガーから若水を汲んでいました。集落で子供が産まれるとウブガーから「ウブミジ(産水)」を茶碗に汲み、中指を浸して赤子の額を3回撫で回す「ウビナディ(お水撫で)」の儀式や「産湯」に使用しました。産湯に使用する場合はタライに湯を先に入れ、ウブガーから汲んだ水で薄めて使用するのが常で、その順序を逆にすると「さか湯」と呼ばれ、死者の体を清める際に使用する「アミチュージ(湯かん)」となることから忌み嫌われたのです。


(屋良城址公園の無縁墓)

(ガジュマルが絡まる無縁墓)

1979年に整備された屋良城址公園内は、戦後に建てられたとみられる墓が多数点在し、骨や骨つぼがある30基を含む107基は所有者など手掛かりがないと言われています。受け継ぐ人がいなくなり放置された「無縁墓」が沖縄県嘉手納町の比謝川周辺に点在し、まちづくりや安全対策に影響が出ています。リニューアル工事を控える町立屋良城址公園には墓が116基あり9割以上が所有者不明。落石や崩落の対策工事が急がれる県営住宅下の崖にも誰のものか分からない墓があり、手がつけられない状態なのです。




比謝川一帯の墓の多くは戦後混乱期に土地の所有者に無断で建てられた可能性が高く、米軍基地に土地を接収されて住む場所もなく、この一帯に墓が集まったとみられています。大半は墓を守る子孫が絶えたか、移動して空き墓になったかとの見方が示されています。しかし琉球カミンチュ(神人)に言わせると、墓を移動しても地縛霊が墓に残るため、死亡した人の霊魂はこの場に居続けるそうです。


(屋良城址公園を流れる比謝川)

沖縄戦当時の屋良グスク周辺は日本兵を収監した捕虜収容所がありました。捕らえられた日本兵が収容所から脱走して比謝川を泳いで逃げないように、米軍は日本兵の両足を切断して逃亡を阻止したと言われます。更に米軍は日本兵の体をバラバラに切断して比謝川流域の木々に吊るし、捕虜である日本兵に逃亡を諦めさせようと試みたのです。そのため屋良グスク周辺の比謝川流域には日本兵の上半身だけがうごめく幽霊や、下半身だけが歩き回る幽霊が多数目撃されています。


(ヌールガー)

屋良城址公園には「ヌールガー」と呼ばれる井泉が祀られています。「ヌール(ノロ)」は琉球神道における女性の祭司の事で「ガー」とは湧き水が出る井戸の事を示します。琉球ノロがこの聖域で屋良集落の豊穣を願い、災厄を払い、祖先を迎え、豊穣を祝う祭祀を行なっていたのです。「ヌールガー」の井泉には水神を祀る祠が建てられており、ウコールが設置されている拝所として現在も祈られています。


(比謝橋)

屋良グスク沿いを流れる比謝川には「比謝橋」がかけられています。この橋のたもとには「吉屋チルーの歌碑」があります。吉屋チルーは貧しい農民の娘として生まれ、わずか8歳にして那覇の仲島遊郭へ遊女として売られました。吉屋チルーは遊郭の客だった「仲里の按司」と恋に落ちたが、黒雲殿と呼ばれる金持ちに身請けされたために添い遂げられなかったのです。悲嘆にくれた吉屋チルーは食を絶ち、18歳で亡くなったと伝わります。


(吉屋チルーの歌碑)

歌碑には「恨む比謝橋や 情けないぬ人の わぬ渡さともて かけておきやら (恨めしい比謝橋は お情けのない人が私を渡そうと思って 架けておいたのでしょうか) 」と記されています。これは身売りされて那覇に向かう途中、絶望的な吉野チルーが比謝橋で詠んだ悲しい歌です。


(嘉手納ビル)

嘉手納町屋良の比謝川流域は根本的に悪い土地で、悪霊が溜まりやすい地域とされています。この「嘉手納ビル」は沖縄で有名な心霊スポットです。この建物の一階にはかつて沖縄の大手スーパーが営業していましたが、殺人事件により幽霊の目撃が多発して閉店に追いこまれたのです。しばらく立ち入り禁止が続きましたが、現在は米軍関係者が経営するインターナショナルスクールになっています。




「比謝橋」の袂に「天川(アマガー)」と呼ばる直径二尺程度の円筒型に積み上げられた井戸がありました。琉球王府時代にできた古典音楽の曲名「天川節」は古典女七踊の一つとしても有名で、この歌に登場する「天川の池」はこの天川の井戸から比謝川に流れ出る水路に出来た池とされています。「天川節の歌碑」も建てられおり「天川の池に 遊ぶおしどりの おもいばのちぎり よそや知らぬ」と記されています。


(字嘉手納のンブガー)

「天川」に隣接して「ンブガー(産川)」があり「アガリガー(東川)」とも呼ばれている井戸です。水源が豊富なこの井戸は干魃が続いても枯れることがなかったと伝わります。字嘉手納集落では子供が生まれると「サン(魔除け)」を結んだ桶で東に向かって水を汲み、その水を産湯に使い健康祈願をしました。戦後に現在の位置に移動して拝所として住民に拝まれています。


(トゥヌマーチーモー)

(イリヌウタキ/アガリヌウタキ)




(神屋)

嘉手納町の「中央区自治会事務所」の敷地内に「神屋」があります。「ヌル殿内」の役割があり「神アサギ」と呼ばれるヌール(ノロ)が祭祀行事を司る聖域として住民から拝所として拝まれています。かつては集落のヌール達が集団で暮らした場所で「ノロ制度」が定められた琉球王国時代には沖縄の各集落に「神屋」が設けられ、集落の恒例行事には欠かせない神聖な場所として住民に敬われていました。


(字嘉手納集落の拝所の大ガジュマル)

(拝所の天降り神と火の神)

拝所には推定樹齢250年、樹高18m、胸高周囲8m、枝張24m、枝張面積146平方メートルの大ガジュマルがあります。この一帯には神が住むと言い伝えられ、その対象としてこのガジュマルは土着信仰として拝まれています。拝所には「天降り神」と「火の神」が祀られウコール(香炉)が設置されています。大ガジュマルの麓には2つの巨大な岩があり、神が宿る神聖な岩としてウコールが祀られています。


(比謝川のマングローブ)

嘉手納町の比謝川流域は沖縄戦に翻弄された地域でありますが、戦前は神が祀られた御嶽のグスクで豊かに繁栄した長い歴史があります。古からの遺跡文化財を大切に守り、若い世代に伝統を継承して行く事は重要です。歴史と自然が豊かなこの地域は嘉手納町のみならず、沖縄の歴史を解明するためにも非常に価値のある地域として大切にされてゆく事でしょう。






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2023.10.28 19:07:56
コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

© Rakuten Group, Inc.
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: