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2021.01.26
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カテゴリ: 西原町



西原町の幸地集落東南の標高約100メートルの丘陵上に「幸地グスク」があります。この幸地グスクが建てられた丘陵は南北に長い分水嶺で、南方は首里方面、北方は中城方面につながっています。グスクは瘤のような高地を中心として、その東西の低地に向かって伸びる尾根を利用して造られています。


(ビージル)

グスク内の最高地点にはビージルの祠が建てられていますが、周辺を観察するための櫓台と考えられています。ビージルの北東下は30メ一トル×30メートルほどの広さを持った曲輪となっており、この曲輪の北寄りには井戸があります。また、西方から北西にかけても幅が10メートルほどの削平地が数段造られ、居住地化されたと考えられます。


(幸地グスクガー)

幸地グスクの中央部の広場には「幸地グスクガー」という井戸が2基設置されていました。このグスクの注目すべき点は、峰の上を通過する「峰道」がグスク内を通過することにあります。幸地グスクは15世紀前半に造られ、その後数十年間はグスクや関所として、また戦乱期の後には領内支配の拠点的な機能も複合的に期待された形で存在した可能性があります。


(幸地按司ガー)

幸地グスクの按司は「熱田子(あったし)」と呼ばれ、悪知恵が働き異常に女性にだらしない好色按司として知られていました。幸地グスクの北部にある棚原グスク按司の妻は絶世の美人だったそうで、棚原按司の妻の美しさに目を付けたのが幸地グスクの幸地按司(熱田子)でした。熱田子は棚原按司を殺して棚原按司の妻を奪おうと企んだのです。夫を殺された棚原按司の妻はグスクを逃げ出すが熱田子に執拗に追いかけられ、遂に捕まってしまいます。棚原按司の妻はこのまま手籠めにされてなるものかと舌を噛み切って自害したと伝わります。


(グスク上門ガー)




(熱田橋)

ある日のこと、熱田子が魚釣りの帰りに津喜武多按司の妻が亭良佐川(ティラサガー)で艶やかな黒髪を洗っているのを発見すると泥土を投げていたずらしました。妻は非常に立腹しそのことを夫の按司に報告したところ、それを聞いた按司は怒り心頭したものの、何しろ熱田子はあなどり難い力を持っています。その場は取りあえずは兵を動かすことなく機会を待つことにしました。


(幸地按司墓の入口)

その一方で、熱田子は腕が立つ腹心の部下数人を密かに呼び「今こそ此の機会を利用して、早目に手を打ち災いを取り除いてしまおう」と策略を練ったのです。熱田子は部下達と共に津喜武多按司を訪問し、今回のことは行き違いによるものだと上手く説明して謝りました。按司は相手の丁重な謝罪を受け入れ、直ぐさま仲直りのための酒宴を催し歓待することになりました。


(幸地按司墓の森)

宴もたけなわになった頃、熱田子が津喜武多按司に向かって「按司殿は世に優れた宝剣をお持ちとお聞きしております。以前から、是非とも一目拝見させて頂きたいと思っておりました。」と申し出たところ願いが許されたのです。按司が宝剣を熱田子に手渡すと、その宝剣を手にするやいなやその瞬間に熱田子は按司を一刀両断に斬り捨てました。続いて一族はじめ、その場にいた者達を片っ端から皆殺しにしたのです。


(幸地按司墓)

これは幸地グスクの北東にある山の中腹に佇む「幸地按司(熱田子)墓」です。さて、津喜武多按司を殺害した熱田子は思いを寄せてきた美しい妻を色々と説き伏せようとあれこれ試みましたが、貞節な妻は夫殺しの熱田子を憎みながら井戸に身を投げ自害したのです。妻と遠縁の上に按司と仲が良かった今帰仁按司は、このことを伝え聞くなり大変に激怒し、自ら討伐するため大軍を率いて直ぐさま出陣したのでした。


(幸地按司墓)

熱田子は敵の軍勢が到着するなり自ら今帰仁按司を出迎え、平身低頭して自分の罪を認めて謝り、今帰仁の大軍を自分の城に入城させたのでした。そして熱田子は大々的に酒の席を設け、遙々やってきた遠征をねぎらいました。全く戦わずして勝った今帰仁の軍は勝ち戦だと有頂天になり、夜が更けるのも忘れ思う存分に酒を飲み御馳走をたらふく食べました。熱田子は事前に自分の軍兵を城の近くの北山に待機させていました。合図によって熱田子の軍が城に攻め寄せた時、今帰仁勢は殆ど応戦することも出来ずに、難なく攻め滅ぼされてしまったのでした。そして、今帰仁按司も討ち死にしました。


(チチンタグスクの入口)




(チチンタグスク)

奇しくも熱田子の墓は直ぐ南側に位置する津喜武多グスクに向いています。天罰が下って殺害された熱田子は、死んでからも自分の墓から愛しの津喜武多按司の妻が暮らしたグスクを静かに見つめているのです。熱田子の墓と津喜武多グスクの間に流れる小波津川に「安津田橋」が掛かっており、津喜武多グスクに隣接する安津田集落の名は「熱田」の名が由来していると思われます。そう考えると非常に気味が悪くなり、執拗に好みの女性を追いかける熱田子の荒んだ執念に強い恐怖を感じます。


(幸地按司墓)

「幸地按司(熱田子)墓」は墓石の周辺だけ藪蚊の大群が飛び回り、私の腕や顔に異常なほどに噛みつき吸血し始めました。更に、この日は無風の快晴の天気にも関わらず、墓上の木々はバリバリと爆音をたてながら枯葉が大量に吹き荒れていたのです。まさに、未だ成仏しきれない熱田子の悪霊が墓の周辺を蠢いて、私の訪墓を沸々と拒絶しているように感じました。






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最終更新日  2023.10.28 19:13:36
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