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2021.07.03
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カテゴリ: 読谷村



「宇座集落」は沖縄本島西海岸にある読谷村の北端に位置し、全体的に東高西低のなだらかな傾斜の地形をしています。海に迫り出した残波岬は観光地として有名で、その北側の海岸線は断崖絶壁で南西側には広い砂浜海岸のイノー(礁池)が広がっています。豊富な漁場と水源に恵まれた農地で「宇座集落」は"半農半漁"の村として栄えました。また「宇座集落」には拝所やカー(井泉)が多く存在し、旧暦1月の初御願(ハチウガン)や12月24日の解御願(フトゥチウガン)で十三箇所が拝まれています。


(神アサギ)

「宇座集落」の中心部に「神アサギ」があります。戦前までは小高く盛り上がった地形になっており、当初は神殿は無く広場のみ存在した。後に四本柱の瓦葺の小屋が建てられましたが、壁も床もなく軒の低い簡易様式でした。かつては「瀬名波集落」からノロ(祝女)が訪れ「宇座集落」の山内門中や与久田門中の神人も加わり祭祀が執り行われていました。現在「神アサギ」の祠には神を祀る三体の霊石が設置されヒヌカン(火ヌ神)として祀られています。


(西井戸/イリガー)

(男井戸/イキガガー)

「神アサギ」の西側に「西井戸(イリガー)」があります。「宇座集落」の産井(ウブガー)でもあり、この井戸で出産の報告と赤子の健康を祈願しました。与久田門中に伝わる伝承では「義本王(舜天王統最後の王/在位1249~1259年)」が与久田の屋敷に逗留し漁の帰りにここで網を洗ったことから「網洗井戸(アミアレーガー)」とも呼ばれます。さらに西側には「男井戸(イキガガー)」があり、かつては畑仕事や海からの帰りに手足を洗ったり水浴した井戸でした。戦後、米軍基地建設により埋立てられましたが、1979年に井戸跡を掘り当ててタンクを設置し、水の神様を祀る拝所となりました。


(ワランジャ井戸/ワランジャガー)

(松田井戸)




(スヌメー殿内/スヌメードゥンチ)

「宇座集落」の南東部に「スヌメー殿内(ドゥンチ)」があります。「宇座集落」の拝所の中で第一の拝所とされ、セジ(霊力)の高い神であると言われています。集落の大きな行事や対外行事の際には、先ずここに拝みに行く慣わしとなっていました。「スヌメー殿内」は「宇座集落」発祥の七家の一つである「クニシー」が最初に仮の住居をここに構えた場所であると伝わります。戦前までこの地には松の大木が茂っており、昼でも暗く物静かで神々しい雰囲気に包まれる聖域でした。祠内には霊石とウコール(香炉)が祀られています。


(東井戸/アガリガー)

(石小堀/イシグムイ)

「東井戸(アガリガー)」は「宇座集落」の東部にあります。かつては正月の若水を汲む井戸であり、飲料水として利用されたために水浴や洗濯は厳禁でした。「宇座集落」では最も古いカー(井戸)の一つとされており「西井戸(イリガー)」と同様に、形状は切石を丁寧に積んだもので保存状態が良好な石造建築物です。更に東側には「石小堀(イシグムイ)」と呼ばれる井泉があります。現在は草木に覆われていますが、岩の下から清水が湧いており、その水を溜めてクムイ(ため池)を作っています。


(クニシーの御神)

(百次シー/ムンナンシー)

「クニシーの御神」は「神アサギ」の東側に位置します。「クニシー」と呼ばれた人は最初「スヌメー殿内」で生活し、その後そこから150mほど西方の場所に屋敷を構えて新しい村づくりを始めたと伝わります。屋敷跡には「クニシーの御神」として祈られており、建物内部にはウコール(香炉)や霊石が祀られています。その西側には「百次シー(ムンナンシー)」があり「百次シー」屋敷跡の一画に祠がつくられています。祠内にはウコール(香炉)、花瓶、茶碗が供えられています。


(鍋之甲/ナービナク)

(鍋之甲の内部)

「百次シー屋敷跡」の北側に隣接して「鍋之甲」があります。首里王府が派遣した鍛冶職であったのか、以前から宇座に住んだ人であったのか不明ですが、鉄器や農具の製作や修繕を行った家です。絶家した後も屋敷地や墓地は「宇座集落」が拝所として管理してきました。現在も屋敷には位牌が祀られ、毎年旧盆と大晦日(トゥシヌユール)には集落の役員によって祈られています。建物内部には5つのヒヌカン(火ヌ神)と霊石が祀られています。




(鍋之甲墓)

(二重兼久鍋之甲墓/クニシーの墓/無縁墓)

「鍋之甲墓」は「宇座集落」の北部にある「宇座グシク」の北側にあります。隣接して儀間の二重兼久(ティーガ ニク)から移転された「鍋之甲(パーパー/お婆さん)の墓」や「クニシーの墓」があり「無縁墓」も同じ場所に祀られています。「宇座グシク」は支配者の居城や集落ではなく、葬所や古墓を由来とする聖域としてのグシクです。他にもグシク周辺には「宇座集落」で一番の金持ちであった「宇座イェーキ」の墓をはじめ多くの墓が位置しています。


(東ノ神之屋/アガリヌカミヌヤー)

(東ノ神之屋の霊碑)



「宇座集落」の北端側には「残波岬公園」があり、公園の最東端の断崖絶壁に「東ノ神之屋(アガリヌカミヌヤー)」と呼ばれる航海安全を祈願する拝所があります。「東ノ神之屋」は絶壁の中腹にある自然洞窟を利用した拝所で、ニライカナイ(理想郷)に通じる聖域とも言われています。拝所には3基(天・地・海)の霊碑が建立されており、それぞれ石造りのウコール(香炉)と霊石が祀られています。「東ノ神之屋」と記された石碑にもウコールが設置されて拝まれています。


(南妙法蓮華経の石碑)

(潮吹穴/スーフチガマ)

(西ノ神之屋/イリヌカミヌヤー)

「東ノ神之屋」の西側の岬に「南妙法蓮華経」の石碑が祀られています。石碑の裏側には「日本山妙法寺」と彫られています。「残波岬公園」の中央にある「潮吹穴(スーフチガマ)」は海に通じる竪穴の洞穴で、かつては海が荒れると空高く潮を吹き上げました。更に西側には「西ノ神之屋(イリヌカミヌヤー)」の祠があり「東ノ神之屋」と対になる拝所となっています。航海安全や武運長久を祈願した拝所で、両神之屋はかつて芝生道(神道)で繋がっていました。


(泉井戸/イジュンガー)

(北浜屋原のマチ矼)

「宇座グスク」の北側にある「泉井戸(イジュンガー)」は1879年(明治12年)の廃藩置県以後、首里から移り住んだ崎原屋取の人々が使用した井戸です。「宇座集落」の西部に「北浜屋原のマチ矼」と呼ばれるアーチ形状の矼があります。設計から施工まで「宇座集落」の人々を中心に行われ、石材は隣接する宇座海岸から切り出された宇座石が使用されました。技術や材料ともに宇座が生み出した石造建築物で、アーチ部分は崩れることなく矼の美しい形を現在に伝え、当時の石工技術の高さを知ることができます。


(残波岬公園の大岩)

沖縄戦後「宇座集落」の全域が米軍基地として接収されたため住民は「長浜」「高志保」地域へ集団移住を余儀なくされました。それから約30年後の1976年に米軍基地が返還されると、土地改良事業により整備されて集落は復帰先地公共施設整備事業(道路、水道、排水路など)により生活の基盤が整えられました。その後、宇座農村公園や拝所の整備も行われ、住民念願の生まれ故郷への復帰と帰住が現在も進んでいます。「宇座集落」の本当の意味での「終戦」を一日も早く迎えて欲しいと心から望んでいます。


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最終更新日  2024.08.31 21:14:16
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