パワースポット@神の島「Okinawa」

パワースポット@神の島「Okinawa」

PR

プロフィール

kasurichan1010

kasurichan1010

カレンダー

カテゴリ

コメント新着

gomagoma0610 @ 恩納ナビーの墓について 佐野哲寛さんへ コメントを下さり誠に有…
佐野哲寛@ Re:恩納ナビーの琉歌の里@恩納村「恩納ナビーの歌碑/恩納集落」(10/05) 恩納ナビーのこの写真のお墓はどの辺りに…
地域の人@ Re:七神を祀る霊域と美女伝説の湧き水@那覇市「松川殿之毛/松川樋川」(06/17) 初めまして、松川樋川は「松川ミーハガー…
まるぴ@ Re:集落発祥の秘話と四方神の恵み@沖縄市「登川/ニィブンジャー集落」(01/25) 母方の名前が登川です。 今人生の折り返し…

キーワードサーチ

▼キーワード検索

2021.09.15
XML
カテゴリ: うるま市



「平敷屋集落」は沖縄本島うるま市勝連半島の東端に位置し、海抜約50m〜80mの丘陵地点にあります。「尚貞王」代の1676(延宝4)年に勝連間切から与那城間切が分離して「平敷屋集落」に勝連間切の番所が置かれました。それ以来、1910(明治43)年に勝連平安名に移転するまで「平敷屋集落」は間切行政の中心地として繁栄していました。かつて「村の高さや平敷屋村」と謳われたように、勝連半島の先端で栄えた高台の古集落でした。


(嘉手納嶽/シリー御嶽)

(嘉手納嶽/シリー御嶽)

「平敷屋集落」の中央にある小高い森に「嘉手納嶽」があり「シリー御嶽」とも呼ばれています。南西側に向けて建てられた祠内には幾つもの霊石と石造りのウコール(香炉)が祀られており「火の神」として集落の守り神として拝まれています。「火の神」に隣接してブロック積みに囲まれた拝所があります。この拝所は勝連半島の先端がある南東側に向けて建てられおり、小さな古墓の様な造りの入り口には霊石とウコールが祀られています。


(勝連間切番所跡)

「嘉手納嶽(シリー御嶽)」の東側に「勝連間切番所跡」の空き地が広がっています。日本本土とは異なり琉球王国において「番所」とは、近世期に地方機関である間切を統治する役所の事を指しました。地頭代(領主の代官)以下の間切役人が交代で番所に勤務し、王府及び地頭への貢租上納、夫遣い、地方行政全般に渡って執り行い首里との人馬網の拠点としても用いられていました。「勝連間切番所」の特徴は集落の中心部に番所と御嶽があり、番所沿いには主要道路の宿道が設けられていました。


(ヒッチャマー/平敷屋神屋)

(ヒッチャマーの内部)




(ノロ殿内)

(とうの御嶽)

「ヒッチャマー」の裏手にはかつて「平敷屋集落」のノロ(祝女)が住んでいた「ノロ殿内」があります。現在は「野呂内」という表札がある琉球赤瓦屋根の屋敷となっています。さらに「ヒッチャマー」から東側に「とうの御嶽」と呼ばれる森があり拝所が建立されています。この御嶽は「平敷屋集落」の誕生事を助ける神様で、子孫繁栄を祈願するウガンジュ(拝所)となっています。祠内には3体の霊石とウコール(香炉)が祀られています。


(平敷屋タキノーの入り口)

(平敷屋タキノー)

「ヒッチャマー」から南東の場所に「平敷屋公園」があり、その敷地に標高70m余りの「平敷屋タキノー」と呼ばれる丘稜があります。1727年に脇地頭としてこの地に配属された和文学者であった「平敷屋朝敏(へしきやちょうびん)」は水不足に苦しむ農民の為に溜池を掘削し、この時に掘り出した土を盛り上げて築いたのが「平敷屋タキノー」です。勝連半島を取り巻く太平洋を眺望できる景勝地にあり、集落史の研究の上からも重要な史跡でうるま市の指定文化財に登録されています。


(平敷屋タキノーの溜池)

「平敷屋朝敏」は1700年に首里金城町に生まれました。1734年に王府の高官だった友寄安乗らと共に、当時首里王府において実権を握っていた蔡温を批判した文を薩摩藩の琉球在番奉行の川西平佐衛門の宿舎に投げ入れるなどして捕らえられ、34歳の若さで那覇の安謝(あじゃ)港において「八付」の死刑に処されました。「平敷屋朝敏」は薩摩支配下における苦難の時代に士族という身分におごる事なく、農民を始めとした弱い立場の人達に温かい手を差し伸べた沖縄近世随一の和文学者でした。


(平敷屋タキノーの歌碑)

「平敷屋タキノー」には「平敷屋朝敏」の歌が刻まれた石碑が建立されています。

『哀そのはた打かへす (この暑さで働いている) せなかより (農夫の背中から) ながるるあせや (瀧の様に汗が流れ落ちる姿が) 瀧つしらなみ (気の毒である)』




(米海軍港湾施設ホワイトビーチ)

1945年の沖縄戦で形あるもの全てが焼き尽くされた沖縄の惨状がハワイの沖縄移民に届けられると、嘉数亀助は沖縄に「生きた豚」を届ける計画を立てました。ハワイの沖縄移民達は資金を集めて5万ドルで550頭の豚を購入し、1948年9月27日に勝連半島の「ホワイトビーチ」に到着したのです。陸揚げされた豚は全ての市町村に公平に分配されて繁殖を繰り返し、順調に頭数を増やし4年後には10万頭を超えました。これを境に沖縄の食糧事情は改善されて多くの人々の命を救いました。


(平敷屋製糖工場跡)

(貯水槽)

「平敷屋タキノー」の南側に「平敷屋製糖工場跡」が隣接しています。「平敷屋製糖工場」は1940(昭和15)年「平敷屋集落」の11組のサーターヤー(製糖屋)が合併して建造されました。蒸気を動力とする共同製糖工場で建物は南向きで3基の煙突が立ち、煙突の1つは45馬力のボイラーに繋がり燃料は石炭が使用されていました。製糖工場は沖縄戦で米軍に破壊されましたが、工場跡地には今でも煙突1基と貯水槽が現存しています。




(ヒラカー)

「平敷屋製糖工場跡」は標高約66mの「火立森(ヒータティムイ)」の山麓にあります。「火立森」は別名で「遠見台」「烽火台」「火立所」「火番盛」など種々の呼称があり、琉球王国時代の情報伝達手段に利用されました。宮城島の「火立(ヒータチ)」に焚き火が上がると「平敷屋」の「火立森」からも狼煙(のろし)を上げて貿易船に合図をし、首里までの航海を導いたと言われています。「火立森」の小高い山に降った雨水が製糖工場脇の「ヒラカー」から湧き出ており、かつて製糖工場や貯水槽に利用されて重宝されていました。


(火立森のガジュマル)

(ノロガー)

「ヒラカー」から更に「火立森」の奥地へ降りて行くと、枝が複雑に絡み合った高樹齢のガジュマルが神秘的な雰囲気を醸し出します。更に渓流を越えて進むと「ノロガー」が待ち構えていました。ノロ(集落の祭祀を担当する王府から正式に任命された神女)が利用する井戸で「ヌールガー」とも呼ばれます。「火立森」の粘土質の崖中腹にあるアカギの大木の根元に「ノロガー」の井泉があり「平敷屋集落」の発展を祈願する拝所となっています。「ノロガー」の周辺にはアカギの群落が広がる大自然の森となっています。


(アマミキヨの拝所)

(前の御嶽)

「平敷屋製糖工場跡」の北西側に「アマミキヨの拝所」と呼ばれる祠があります。祠内には3体のビジュル石、霊石、ウコール、更に2対のヒヌカン(火の神)が祀られています。この拝所から西に坂道を登ると左手の森に「前の御嶽」の祠があり、御嶽の森の入り口に西側に向けられて建てられています。祠内には3体のビジュル石、霊石、ウコールが祀られており、集落の住民により大切に拝まれる拝所となっています。


(平敷屋タキノーのシーサー)

「平敷屋集落」に継承される「平敷屋エイサー」は100年以上という沖縄県内で1番古い歴史を持ちます。ジユーテー(地謡)、ハントゥー(酒甕)持ち、太鼓打ち、踊り手、中わち(世話役)で構成され、白と黒で統一された衣装を身にまとい、太鼓打ちは裸足で踊るなど古式エイサーの伝統を留めた独自の様式となっています。「平敷屋トウバル遺跡」等の遺跡文化財は現在も米海軍港湾施設「ホワイトビーチ」内にあり「平敷屋集落」の詳しい歴史が解明されていません。琉球の歴史を塗り替える新しい発見がある可能性が秘められているのです。






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2022.03.06 23:17:45
コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

© Rakuten Group, Inc.
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: