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2021.09.19
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カテゴリ: うるま市



「南風原(はえばる)集落」は沖縄本島うるま市の勝連半島にあり、世界遺産の「勝連城跡」が築かれた丘稜の麓に広がる集落です。「南風原集落」は「勝連城」南側傾斜地の元島原に発祥したと伝えられます。元々は「勝連」の名で呼ばれていましたが「阿麻和利」の時代に「南風原」と改称されました。集落は1726年に前浜三良(カッチンバーマー)により現在の肥沃な地に移動し、現在でも村造りの大恩人として住民に崇められています。


(クトジ御嶽)

(クトジ御嶽のガジュマル)

「勝連城跡」西側にある「勝連南風原浜」の海岸沿いに「クトジ御嶽」があり「琉球国由来記」に勝連間切の拝所として「コト瀬嶽神名:マネヅカノ御イベ」と記されています。「クトジ御嶽」は旅果報や航海の安全を願う拝所として祈られています。昔話では、中国から来た女性がこの御嶽の洞窟で子供を出産したと伝えられています。また、中国から品物を運んできた時には、まずこの御嶽に集めてから「勝連城」に運んだと伝わります。


(南風原の村獅子/北の村獅子)

(イリーガー)

「南風原集落」の北側に珊瑚石灰岩で造られた「南風原の村獅子」があります。「北の村獅子」とも呼ばれる獅子像は「フーチゲーシ(邪気払い)」として「南風原集落」が「勝連城」南側の元島原より移動した1726年、集落の境界として東西南北の4角に石獅子が設置されたと伝わります。「南風原の村獅子」の西側に「イリーガー」があり、かつて集落の北側の住民の生活用水に利用されました。現在も水が湧き出る井戸で、ウコール(香炉)が祀られて集落の人々に拝まれています。


(地頭代火の神/村屋跡)



「南風原集落」の中心部に南風原公民館があり正面に「地頭代火の神」の鳥居が構えています。この地はかつて集落の「村屋(ムラヤー)」で現在の役所にあたる集落行政の中心地でした。地頭代とは琉球王朝時代(1429~1879年)に各間切(現在の市町村)の地頭(領主)の代官として地方行政を担当した人のことで、地頭代の屋敷に建てられた拝所を「地頭代火の神」と言います。祠内には集落の神を祀った石柱とウコール(香炉)が祀られています。


(マンナカガー)

「地頭代火の神」の東北側に「マンナカガー」があり、その名の通り集落の中心部にある井戸です。「南風原集落」が「勝連城」丘稜の元島原より移動した1726年頃に造築された井戸で、集落の住民に水の恵みを与えました。規模が大きな井戸である為、住民の飲料水の他にも野菜や衣類を洗う井戸としても重宝されました。現在の井戸には手押しポンプが設置されており現役で稼働しています。更にウコール(香炉)が祀られ、集落の老若男女の祈りの場として崇められています。


(親田家の屋敷)

(親田家刻紋石柱)

(親田家石垣の石敢當)

南風原公民館の東側に「親田家の屋敷」があり、立派な赤柄屋根の古民家の敷地内に「親田家刻紋石柱」が建てられています。石灰岩製の石柱で由来や意味は解明されていませんが、梵字や漢字の他にも絵文字が刻まれています。梵字とは古代インドのサンスクリット語が起源とされ、仏様を真言で表現した文字です。更に屋敷の石垣には魔除けの役割を持つ「石敢當」がはめ込まれており、周りにはアーチ型に石垣が隙間なく組まれています。


(アガリガー)

(アシビナーのカー)

「親田家の屋敷」の東側に「アガリガー」と呼ばれる井戸があります。この井戸は「マンナカガー」と造り、規模、用途が同様で、集落が移動した同じ時期に建造されたと伝わります。更に北側に位置する「南風原公園」の脇にある「アシビナーのカー」は規模は小さめですが「南風原集落」の4つのムラガー(共同井戸)と同じ時期に造られたものです。現在の「南風原公園」はかつて「遊び庭(アシビナー)」として唄三線を楽しむ場所であり、村芝居や祭りをする場所で賑わいました。


(南風原ノロ殿内)



「アガリガー」から道を一本挟んだ北東側に「南風原ノロ殿内」があります。「ノロ殿内」は「ヌルドゥンチ」とも呼ばれ、琉球神道における女性の祭司である「ノロ」がここに住んで担当する集落の祈願儀礼を行いました。「ノロ殿内」には仏壇が設けられており向かって右から「ウミキウミナイ神」「祝女神」「若祝女神」の3基のヒヌカン(火の神)にウコール、徳利、湯呑み、盃、チャーギが生けられた花瓶が供えられています。


(ノロ殿内の内部/向かって左側)

(ノロ殿内裏の拝所)

「ノロ殿内」の内部には更に獅子舞の獅子が納められています。「南風原集落」の獅子舞はムンヌキ(魔除け)として「勝連城」の丘稜から移動してきた1726年から現在も舞われいる伝統芸能です。更に獅子の左側には霊石と3基のウコール(香炉)が祀られています。「ノロ殿内」の敷地裏には石造りの祠があり数個の霊石と貝殻に加えて1基のウコールが祀られている拝所となっています。祠には「昭和八年度」と彫られており、沖縄戦を乗り越えた歴史の長い拝所である事が分かります。


(報恩社)



「南風原ノロ殿内」の北西側に「報恩社」が建てられており「南風原集落」を「勝連城」南側傾斜地の元島原から移動する際に貢献した大恩人「前浜三良(カッチンバーマー)」を称えるための社となっています。勝連間切平安名に生まれた「前浜三良」は浜掟(ハマウッチ)という役職にあった事から「勝連(カッチン)バーマー」と呼ばれていました。更に彼は「南風原集落」に養魚場を設けて養殖の先駆者として伝えられる人物としても琉球中にその名を轟かせたのです。「報恩社」は毎年、旧正月の元旦に住民により初御願が行われます。


(浜崎の寺)

(浜崎の寺/向かって右側)

(浜崎の寺/向かって左側)

「南風原集落」の南西側に「浜崎の寺」と呼ばれる集落住民の健康と子宝を祈願する拝所があります。琉球八社の1つである普天間宮に祀られる「普天間権現」との繋がりがあり「お通し」の役割を持っている由緒ある拝所です。祠には2つの入り口がありビジュル霊石とウコールが祀られ、向かって右側は「女シー(イナグシー)」左側は「男シー(イキガシー)」と呼ばれ「南風原ノロ殿内」とも繋がっています。拝む際には右側の「女シー」を先に拝むしきたりがあると言われています。


(南風原集落のマンホール)

「南風原集落」のマンホールはエイサーのデザインで、旧勝連町(現うるま市)のマンホールが継続的に使用されています。「勝連南風原エイサー」は勝連地区では他と一味違ったエイサーで、パーランクー打ちは紫の頭巾、黄色の帯、緑のウッチャキ(羽織)を身にまとい「エイヤーリー エイヤーサーサー」の掛け声で踊り、女性の踊り手は浴衣を着てエイサー曲に合わせて華麗に踊ります。全体的にゆっくりとしたテンポが多いのが特徴で、優雅さを基本としているのです。






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最終更新日  2022.03.06 23:16:04
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