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2021.10.17
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カテゴリ: 沖縄市



沖縄県沖縄市の南西部に「諸見里集落」があり、集落は米軍嘉手納基地の施設からコザ運動公園を経て、北中城村島袋に隣接する南北に縦長に広がっています。現在、国道330号線から北中城村島袋までの地域は「久保田」という住所になっていますが、もともとは古より「諸見里集落」の土地でした。集落の中心部の「諸見里公民館」沿いに「諸見里拝所」が建立されており、集落の土地神である「諸見里」の5つの守護神が祀られています。


(諸見里拝所の鳥居と石獅子)

(諸見里拝所の社)

左右2体の石獅子に守られる「諸見里拝所」の鳥居をくぐると琉球赤瓦屋根の拝所の社が建てられています。社の内部には向かって右より「森城(むいぐしく)ビジュル」「松下丘(まーしんちゃー)ビジュル」「竹園(たけーら)ビジュル」「巫女火神(ぬーるひぬかん)」「地頭火神(じとぅーひぬかん)」が合祀されています。5つの土地神(守護神)にはそれぞれウコール(香炉)が設置されており、一緒に霊石が祀られています。


(拝所に祀られる5つの土地神)

「諸見里拝所」に合祀されている3つの「ビジュル」と2つの「火神(ひぬかん)」の拝所は、もともと現在の「コザ運動公園」敷地周辺に点在していました。1973年に前年の沖縄県の日本本土復帰を記念して開催された「復帰記念沖縄特別国民体育大会(若夏国体)」の開催を記念して「コザ運動公園」が建設され、それぞれの土地神(守護神)の拝所は現在「諸見里公民館」に隣接する場所に合祀されています。ちなみに「若夏国体」の大会スローガンは「強く、明るく、新しく」で、沖縄県の本土復帰を祝う特別大会でした。


(タケーラビジュル/竹園ビジュル)

「コザ運動公園」の南側に隣接する場所に「もろみゴルフレンジ」があります。この施設の入り口にある森の頂に「タケーラビジュル(竹園ビジュル)」があり、現在でも"コの字型"の古い祠が草木に埋もれながら残っています。かつてはノロ(神を司る女性)の関わる行事が殿毛であったそうで、その時に村の娘たちはこの「タケーラビジュル」で控えていました。また娘たちはノロや村の神へ奉納する踊りをこの拝所で練習していたと伝わります。この拝所は現在「諸見里拝所」に合祀されています。




(祠内部/めーぬかー/前の井)

(祠内部/なかぬかー/中の井)

(祠内部/いりぬかー/西の井)

「もろみゴルフレンジ」の南側に「めーぬかー(前の井)」の祠があります。この井戸は「ウブガー(産井)」とも呼ばれ、正月の若水や出産の時の水をこの井戸から汲んでいました。「めーぬかー」は飲み水の他にも洗濯や畑の用水としても利用され、戦後には個人経営の簡易水道や銭湯の水源地として重宝されました。現在は旧暦9月吉日の「ミジナディー(健康祈願)」の時に集落の住民により祈られています。かつて「上武川原」と呼ばれる場所にあった「なかぬかー」と「いりぬかー」は「コザ運動公園」整備のため「めーぬかー」の祠に移動し、合祀されてウコール(香炉)が設置されています。


(メーヌハラガー)

(祠内部)

「諸見里集落」の南側に「メーヌハラガー」と呼ばれる井戸があり、祠内には鶴瓶式井戸の跡が残されています。1959(昭和34)年に水道が開通し普及するまで「メーヌハラガー」は周辺住民の飲み水であり、洗濯や畑の水としても利用されていました。かつては集落の住民が集まり、語らいの場として賑わっていました。現在は住宅地の中にひっそりと佇んでいますが、取り壊される事もなく「諸見里集落」の歴史を継承する大切な文化財として守られています。


(ヤマガーガー/山川ガー)

(フサトガー/冨里ガー)

「諸見里拝所」の北西に「ヤマガーガー」と呼ばれる井戸があります。屋号「山川」の屋敷隣にあった事から「ヤマガーガー」のなで知られてきました。地元の古老の話によると、この井戸は飲み水の他にも洗濯や農業用水にも利用されていました。さらに「諸見里拝所」の北側には「フサトガー」の井戸があります。飲料水の他にも洗濯や畑の水にも使用され、井戸には周辺住民で賑わい語らいや出会いの場でもありました。古老によると、かつて「フサトガー」周辺には大きな松の木が数本あり、夕方になると雀の群れの寝ぐらになっていたそうです。


(創元之宮)



「諸見里集落」の南東部に「創元之宮」があります。現在この場所の住所は沖縄市久保田2丁目ですが、もともと「諸見里集落」の土地でした。「創元之宮」は松門門中(ムンチュー)及び「字諸見里」の創始者の霊を祭神したものです。「創元之宮」のウコール(香炉)は7基あり、左より「久保田 東」「久保田 中」「久保田 西」「石迫 東」「石迫 西」「上武川」「前迫」の7つの霊が霊石と共に祀られています。ヒラウコー(沖縄線香)もお供えされており、普段より住民に大切に祈られているのです。


(諸見里ノロの墓)

「創元之宮」の敷地内に「諸見里村大殿内(諸見里ノロ)の墓」が建てられています。「諸見里ノロの墓」を長年の間管理してきた豊田律(沖縄市山内在住)様、及び諸見里御友会の協力により建立されました。「ノロ」とは琉球神道における女性の祭司、神官、巫の事で、地域の祭祀を取りしきり御嶽の祭祀を司りました。「ヌール」や「ヌル」とも呼ばれ琉球王国の祭政一致による宗教支配の手段として、古琉球由来の信仰を元に整備され王国各地に配置されました。


(久保田2丁目の井戸)

(ソージガー/竿字ガー)




(真言宗金剛山遍照寺)

かつて「諸見里集落」であった沖縄市久保田に「真言宗金剛山遍照寺(へんしょうじ)」が建立されています。「遍照寺」は東寺真言宗の寺院で本尊は大日如来、山号は金剛山、元寺号は万寿寺(まんじゅじ)です。景泰(けいたい)年間(1450年~1457年)に「鶴翁和尚」により創建されました。「遍照寺」は明治時代の神仏分離以前は、琉球八社の一つである末吉宮(那覇市首里末吉町)に隣接する別当寺でした。寺は沖縄戦で焼失してしましたが、戦後に現在地の久保田1丁目に移転し再建されました。


(遍照寺事務所)

那覇市末吉町にあった「遍照寺」は沖縄の組踊の創始者である玉城朝薫(たまぐすくちょうくん)の作品「執心鐘入(しゅうしんかねいり)」の舞台になった寺として知られています。鬼女と化す女から主人公の中城若松(なかぐすくわかまつ)を守るために「遍照寺」の住職が鬼女を退治する場面は有名です。現在、那覇市末吉町の「末吉公園」には「遍照寺」の跡である寺の土台と石垣のみ残されています。そんな由緒ある「遍照寺」は先代の「海舟師」により沖縄市久保田に再建されました。


(諸見里拝所の石獅子)

「諸見里集落」に伝わる沖縄市瀬帝文化財である「旗スガシー」は毎年旧暦の7月16日に行われます。安政年間(1854~1860年)に当時の越来間切諸見里村の地頭が製作したものと伝えられる「諸見里」の村旗を先頭に、地域住民が集落を練り歩き「地域繁栄、五穀豊穣、健康祈願」を願い、最後に自治会の広場でエイサーや獅子舞などが披露されます。戦前から引き継がれている「諸見里」の伝統行事です。「諸見里集落」は魅力ある文化財に溢れた土地として、住民は誇りを持って伝統行事を大切に守り継承しているのです。






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最終更新日  2022.03.06 23:03:31
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