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2022.03.09
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カテゴリ: 今帰仁村



沖縄本島北部の本部半島に今帰仁(なきじん)村があり、村の東側海沿いに「上運天(かみうんてん)」集落があります。「


(神殿/お宮の祠内部)

「上運天」集落には2つの御嶽があり「琉球国由来記(1713年)」にはそれぞれ「上運天之嶽(神名:ナカモリノ御イベ)」と「ウケタ嶽(神名:不伝)」と記されており、上運天公民館の南東側の森には「上運天御嶽」があります。御嶽内の「神殿」は地元では「お宮」と呼ばれて親しまれており、祠内部には霊石とウコール(香炉)が祀られ「敬神」の扁額が設置されています。「上運天御嶽」の森には6箇所の拝所があり「タキヌウガン」と「アブシバレー」と呼ばれるウガン(御願)では上運天区長、カミンチュ(神人)、集落の住民により「神殿(お宮)」がまず初めに祈られます。今回は幸運にも「上運天」集落で10年間区長を務めている「上原区長」が、自らガイドとして「上運天」にある2つの御嶽を特別に案内してくれました。


(ニーヤ/根屋)

(ニーヤの祠内部)

「上運天御嶽」の東側に「ニーヤ(根屋)」と呼ばれる「上運天」発祥の際に「ニッチュ(根人)」が最初に住んだ場所を祀る祠があります。祠内部には霊石があり上運天の「タキヌウガン」と「アブシバレー」では「ニーヤ(根屋)」は2番目に拝されています。上運天の「上原区長」によると「上運天御嶽」の森の木々は集落が発祥した当時から生息しており、神を迎える聖域として森は大切に守られています。「上運天」集落では旧4月15日に「上運天御嶽」を拝する「タキヌウガン」と「アブシバレー」が同時に行われます。"アブシ"とは"田畑のあぜ道"の事で、"バレー"は"払う"という意味です。「アブシバレー」では農作物につく害虫を払う祭祀を行い豊作祈願をします。


(地頭代火之神/村屋)

(地頭代火之神/村屋の祠内部)

「ニーヤ(根屋)」の西側に「地頭代火之神」の拝所があり「ウタキヌウガン」と「アブシバレー」の際には3つ目に拝されてます。「地頭代」とは琉球王朝時代(1429-1879年)に間切(現在の市町村)の「地頭(領主)」の代官として、地方行政を担当した人を意味します。「地頭代」は間切番所(現在の町村役場)の最高の役で、様々な行政を監理する役目を担っていました。「上運天御嶽」の「地頭代火之神」は「ムラヤー(村屋)」とも呼ばれており「地頭代」が務めていた行政役所を意味しています。その「ムラヤー(村屋)」にあったヒヌカン(火之神)がこの地に祀られています。祠内部には霊石とウコール(香炉)が祀られており、ヒラウコー(沖縄線香)がお供えされています。


(神アサギ)

(神アサギのウコール)

「地頭代火之神/村屋」の西側は「神アサギ」が建てられています。「上運天」集落には旧暦7月の「ウプユミ(大折目)」という様々な作物を神に感謝する祭祀があり、別名「ワラビミチ」とも呼ばれています。「大折目」は沖縄本島北部では「ウプユミ」と呼ばれ、本島南部では「ウフユミ」と発音されます。「ウプユミ」は海の彼方から訪れて島に海の幸や山の幸を授け、繁栄や平和をもたらす神様を丁重に迎える祭祀です。「上運天」を管轄する勢理客ノロ(シマセンクノロ)、勢理客・湧川・運天・上運天のカミンチュ(神人)、集落の住民が共に食事をして神様を厚くもてなします。かつての伝統的な「ウプユミ」の祭祀は「神アサギ」でノロが正座して祈願した後に「ミチ」と呼ばれる米で醸した神酒を盛った椀を捧げます。


(神アサギの屋根裏に収められた獅子)

そして、男のカミンチュ(神人)が背後に回りノロの両耳を押さえると区長が太鼓を叩き、参加する集落の老若男女が全員で『クトウシヌ ウンサクヤ ナカムラチ ハタムラチ』(今年の 神酒は 椀一杯盛って 溢れるばかりに 盛って)と唱和します。唱和が繰り返されてノロの頭が揺れると「ミチ」が椀から溢れます。「ミチ」が溢れれば溢れるほど「ユガフ(世果報)」と呼ばれる、幸せや豊かさを集落にもたらすと言われています。「ウタキヌウガン」と「アブシバレー」でも4つ目に拝される「神アサギ」の屋根裏には獅子を収納する木箱が納められていおり「シーシヤー(獅子屋)」の役割も果たしています。旧暦8月15日に催される「上運天」の豊年祭では獅子舞が奉納されます。


(タキサンのイビ)

(ウキタ/浮田御嶽への遥拝所)

「神アサギ」の西側には「タキサン」と呼ばれる場所があり「イビ」の霊石が祀られてウコール(香炉)が設置されています。この聖域は男子禁制として、現在でもノロや神人の女性のみが立ち入りを許されており「神人の着替え場所」と記されています。「イベ」とも呼ばれるこの神域は「琉球国由来記」(1713年)に「上運天之嶽(神名:ナカモリノ御イベ)」と記されており「上運天御嶽」の中で最も神聖な場所として崇められてらいます。「神殿(お宮)」の南側に「上運天」集落にもう1つある御嶽の「ウキタ/浮田御嶽」へ遥拝する霊石が鎮座しています。「上運天」の御嶽を案内してくれた「上原区長」のお陰で、男子禁制の聖域にも遥拝所の霊石も知る事が出来て非常に感謝しています。


(浮田御願所の石碑)

(浮田御嶽のイビ)

(前ぬ浜跡地/シマクサラー)

上運天公民館の南側には「浮田御嶽」の森があります。「琉球国由来記(1713年)」には「ウケタ嶽」と記されており、かつてこの御嶽周辺は「うけた原」と呼ばれていたと伝わっています。御嶽の入口には「浮田御願所」と彫られた石碑が建立されており、階段を登り進んだ頂上に御嶽のイビがあり霊石とウコール(香炉)が祀られています。「浮田御嶽」の東側に「前ぬ浜(メーヌハマ)跡地」と呼ばれる場所があり、旧暦12月8日には左巻きの縄が祀られた岩では集落へ悪霊の侵入を防ぐ「シマサクラー」と呼ばれる行事が行われています。御嶽の脇にはかつて「浮田港」という港があり、そこの浜辺は「前の浜」と呼ばれていました。現在「前ぬ浜」は埋め立てられ、新しい「運天港」として運天と伊是名島、更には運天と伊平屋島を結ぶフェリーの旅客ターミナルとなっています。


(運天の歌碑)

「上運天公民館」の南西に進むと「運天の歌碑」が建立されています。歌碑には次の歌碑が彫られています。

『運天ぬ番所 通いぶさあしが
   白真大道ぬ ギマぬくささ』

  (うんてぃんぬばんじゅ かゆいぶさあしが
   じらまうふみちぬ ぎーまぬくささ)

「運天」について謳われているこの琉歌の意味は、

「運天の役場に通いたいものだが 白真大道にあるギーマの臭いことよ!」

ちなみに「ギーマ」とは琉球と台湾に分布するツツジ科の常緑の低木で、スズランのような花をつけて黒い実はブルーベリーのように食すことができるそうです。











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最終更新日  2022.11.12 21:32:24
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