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2022.09.01
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カテゴリ: 中城村



沖縄本島中部の東海岸線に「中城村/なかぐすくそん」があり、同村の南端で「西原町」に隣接する場所に「伊集(いじゅ)集落」があります。約0.66平方キロメートルの小さな集落の北西側でギンネム(ギンゴウカン)の木で覆われた「モーエー」と呼ばれる小高い山の麓に「ユージドゥン/世持殿」と呼ばれる拝所があります。この拝所は「與儀之殿」とも呼ばれており「伊集ヌシー」の屋敷跡であると伝わります。「伊集集落」の始祖である「ニーヤ/根屋」の先祖「ウヤファーフジ」が「伊集」の地に来た時、既に空き家として存在していた屋敷内には観音菩薩が描かれた掛軸があったとの伝承があります。現在、この場所にはコンクリート製の「ユージドゥン/世持殿」と「ヒヌカン/火の神」の祠が祀られており「世持殿」と彫られた石碑が建立されています。住民の健康や長寿を祈願したり、農作物の方策を感謝する行事等で拝されています。


(ユージドゥン/世持殿の祠内部)

(ユージドゥン/世持殿のヒヌカン/火の神)

(世持殿と彫られた石碑)

「ユージドゥン/世持殿」は1713年に琉球王府が編纂した地誌である「琉球国由来記」に『与儀之殿』と記されており「伊集・和宇慶・津覇」の3つのシマを管轄した「伊集ノロ」により祭祀が執り行われました。更に「琉球国由来記」には『稲二祭之時、花米九合宛・五水六合宛・神酒半苑・シロマシ一器伊集地頭、神酒壱宛・シロマシ壱器同村百姓中、供之。同巫ニテ祭祀也。』と記述されています。「ユージドゥン/世持殿」の祠内部には3基の石造りウコール(香炉)と幾つもの霊石が祀られており、中央のウコールには神様へ拝する際に用いる「ジュウゴコー/十五香」と呼ばれる15本の「ヒラウコー/平御香」が供えられていました。向かって左側には「ヒヌカン/火の神」の祠があり、石造りウコールと霊石が祀られています。更に右側には「世持殿」と彫られた石柱が建立されています。


(アガリメーヌカー/東前ヌ井戸)

(名称不明の井戸)

(ウブガー/産井戸)




(ヤマグヮーヌタキ/山小ノ嶽)

(ヤマグヮーヌタキ/山小ノ嶽の祠内部)

「伊集集落」の中心を通る「ナカスージ」と呼ばれる道沿いに「伊集構造改善センター/字伊集公民館」があり、その前庭に「ヤマグヮーノタキ/山小ノ嶽」というコンクリート製の祠が建立されています。この拝所は「ムラヒヌカン/ムラ火の神」と呼ばれており「伊集集落」の発祥に関わった「ニーチュ/根人」が最初にこの地に屋敷を構えた「ニーヤ/根屋」であると伝わります。戦前までこの一帯は「ヤマグヮー/山小」と呼ばれる小高い山になっており、頂上に西側に向けられた祠がありました。現在の祠は南側に向けられており、コンクリート製の祠内部には「天の神」「土の神」「火の神」が祀られる3つのウコールと幾つもの霊石が設置されています。それぞれのウコールには 「ジュウゴコー/十五香」の15本の沖縄線香に火が灯され供えられていました。


(クサイガー/鎖井戸)

(次良大前/ジラーウフメーの屋敷跡の井戸)

「ヤマグヮーノタキ/山小ノ嶽」のクシベー(北側)で「次良大前/ジラーウフメー」の屋敷跡の東側に「クサイガー/鎖井戸」と呼ばれる井戸跡があり「世持殿」がある西側に向けてウコールが設置されています。更にこの屋敷にはもう一つの井戸があり、現在は石製の蓋が施されています。かつて「次良大前/ジラーウフメー」の屋敷の住民は「トロッコムチャー」と呼ばれ、トロッコにサトウキビを積んで馬に引かせ現在の西原町にある「西原製糖工場」までサトウキビを運んでいました。「伊集集落」では他にも屋号「前森/メームイ・西前森/イリメームイ・二男仲與儀/ジナンナカユージ」が「トロッコムチャー」として働いていました。因みに「西前森」は客を目的地まで運ぶ客馬車もしており、泡瀬や与那原まで客を乗せて運んだと言われます。


(フナングヮ/フナグラノ殿)

(フナングヮ/フナグラノ殿の祠内部)

(フナングヮ/フナグラノ殿のヒジャイガミ/左神)

「伊集構造改善センター/字伊集公民館」のメーベー(南側)に「フナングヮ」と呼ばれる拝所があり「フナングラノ殿」の名称でも知られています。この拝所は航海安全の神様である「龍宮神」が祀られています。この場所は海から約1.5kmほど離れていますが、かつてこの一帯は「フナングヮ/船倉」と呼ばれており昔は船着場の海岸線でした。その由来から「フナグラノ殿」とも呼ばれる拝所となっており、祠内部には石造りウコールと霊石数個が設置されています。祠に向かって右側(祠にとっての左側)には「ヒジャイガミ/左神」と呼ばれる拝所の土地の神様も祀られており、幾つもの霊石が祀られています。「琉球国由来記」には隣接する「和宇慶集落」の拝所として『フナグラノ殿』と記されており『花米五合宛・五水三合宛・神酒壱宛同村百姓中、供之。伊集巫ニテ祭祀也。』の記述があります。


(ウマクンジャー)

(ウマクンジャー)

「フナングヮ/フナグラノ殿」の西側に隣接する場所に「ウマクンジャー」と呼ばれる岩が鎮座しています。後に「ボージウシュウ/坊主御主」と呼ばれた第二尚氏王統17代国王である「 尚灝王/しょうこうおう(在位1804-1834年)」と伊集村の美人娘「ヒジャナビー/比嘉ナベ」との恋愛にまつわる岩として知られています。「尚灝王」が「ヒジャナビー」に会いに首里から伊集村に来た時に馬の手綱を結びつけていた岩で、現在も当時と変わらない場所に大切に保存されています。その後「ヒジャナビー」の子孫に当たる方々がこの岩を拝所として祈願するようになったと伝わっています。「尚灝王」は生涯で一妃二夫人八妻をもち、九男十七女の子をもうけました。その八妻のうち七妻は平民の出であると伝わっています。


(チキンダガー/津喜武多井戸)

「伊集集落」の南側で国道329号線沿の崖下に「チキンダガー/津喜武多井戸」があります。「伊集集落」から南西側に約3km離れた西原町小波津に「津喜武多グスク」があり「チチンタグスク」または「チキンダグスク」とも呼ばれています。「チキンダガー/津喜武多井戸」はこのグスクの城主であった「津喜武多按司」と関わりがある井戸だとの伝承があります。沖縄戦の後、深い草むらに埋もれていたこの井戸は「伊集集落」の村人に探し出され、コンクリートで修復されました。井戸の水は戦前まで周辺の稲作に使用されており、集落で初めて稲作が行われた田んぼも「チキンダガー/津喜武多井戸」の近くにあったと伝わり、かつてこの井戸の水量が豊富だった事が考えられます。


(石敢當の石碑)

「ウマクンジャー」に伝わる王様と伊集村の美人娘の恋愛から約100年前にも、当時の王様と伊集村の美人娘との別の恋愛が存在していました。伊集村に「与儀真加戸樽/与儀阿護母志良礼」という百合の花に例えられる美人娘がいて、第二尚氏王統第14代国王「尚穆王/しょうぼくおう(在位1752-1794年)」にも噂が伝わりました。心を奪われた「尚穆王」は「与儀真加戸樽」を首里に呼び寄せて妻に迎入れたのです。「尚穆王」の王妃である「佐敷按司加那志」はその若さと美貌を羨み、次のような歌を詠みました。

『伊集の木の花や あん清らさ咲きゆり 我身ん伊集やとて 真白咲きかな』
(伊集の木の花は あんなに綺麗に咲いて 真白に咲く姿は とても見事である)

「尚穆王」に嫁いだ「与儀真加戸樽」は王様や民衆に愛されて49歳でこの世を去ったと言われています。

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最終更新日  2022.10.21 10:09:52
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