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2022.12.21
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カテゴリ: 中城村



沖縄本島中部の西海岸線沿いに「中城(なかぐすく)村」があり、村の中南部に「奥間(おくま)集落」があります。この集落の東側には中城湾の海が広がり、周囲は「安里・南上原・北上原・津覇」の4集落に隣接しています。「奥間集落」は斜面部と平坦部に分かれており、西側の斜面部は標高約150mの丘陵で島尻層のクチャ(泥岩)で覆われています。この斜面部の麓から平坦部にかけて集落が形成され、北側と南側には集落を挟むように2つの川が流れています。「奥間集落」の古島は北上原にある「シマクのウガン/キシマコノ嶽」の辺りにあったと伝わります。その後、集落の南側丘陵にある「上川原/イーガーバル」の山側から「イービヌメー/イベノマエノ嶽」に移り、最後に現在の「奥間原/ウクマバル」に移ったと伝わっています。また「奥間」の名前の由来は三方を丘陵に囲まれた奥まった場所に集落があった事に因んでいると言われています。


(イービヌメーの祠の石組)

(イービヌメーのウコール)

(イービヌメー後方の珊瑚岩)

「奥間集落」の南西側にある「上川原」の森に「イービヌメー」の拝所が鎮座しています。慰霊塔に隣接した「酵素風呂琉球の陽」の南西側約100mに位置している御嶽は、1713年に琉球王府により編纂された『琉球国由来記』に『イベノマエノ嶽 神名 コダガマノ御イベ 屋宜巫崇所』と記されています。この場所に「奥間集落」草分けの「根屋/ニーヤー」である屋号「仲村渠/ナカンダカリ」の屋敷跡があり井戸もあったと言われています。マーニ(クロツグ)が生い茂る中にある「イービヌメー」の祠には古い霊石とウコール(香炉)が祀られており、この石造りウコールの正面には「奉寄進」と刻まれています。石組で形成された祠の後方には珊瑚岩が隆起しており、周囲にも人工的に加工された岩が並べられています。この御嶽までの道のりは深い草木に覆われて険しい森となっていますが「中城王子の墓」として「シーミー/清明祭」の際に訪れる参拝者もいる事で知られています。

(イービヌメーの遥拝所)

(イービヌメーの遥拝所の祠)

(イービヌメーの遥拝所のヒヌカン)




(カミジョーウタキ/上門御嶽)

(カミジョーウタキ/上門御嶽の祠内部)

(イーヌマウタキ/上間御嶽)

(イーヌマウタキ/上間御嶽)

「イービヌメー」から東側に約100mの位置に「カミジョーウタキ/上門御嶽」があります。慰霊塔と民家の間に小道があり、この道を進んでゆくと御嶽の祠があります。『琉球国由来記』に『神根之殿 奥間村』と記されている御嶽の祠は現在、コンクリート製に改修されており屋根には昔の祠に使われていた石が置かれています。祠内部には霊石が祀られており前方にはウコールが設置されています。戦前まで「ウマチー」と考えられる「カミジョーアシビー/上門遊び」の際に「屋宜ノロ」により祭祀が執り行われていました。さらに「カミジョーウタキ」の北側に約50mの小高い丘に「イーヌマウタキ/上間御嶽」に祠が鎮座しています。『琉球国由来記』に記されている『中奥間之殿』に相当する拝所であると考えられ、祠は横幅1.1m・高さ0.5m・奥行0.8mで内部には霊石が祀られています。旧暦7月16日の「ウークイ」の際、集落の綱引きの前にメーベー(集落北側)の祈願が行われていました。


(ヒージャーガー)

(メーミチ/前道)

(メーガーラ)

「奥間集落」の綱引きの祈願が行われた「イーヌマウタキ」に隣接した位置に「ヒージャーガー」と呼ばれる井戸跡がありコンクリートで四角に囲まれています。綱引きは2回行われ1回目は真剣勝負で、2回目は1回目で負けた組に勝たせて必ず引き分けで終わらせていました。綱引きは男性が綱を引き女性が応援にまわっていたと伝わります。「ヒージャーガー」に沿って「メーミチ」が通っており「メーガーラ」と称する川が並列して流れています。源流は北側丘陵の「喜納原」にあり、昔までは広かった川幅は戦後の道路拡張により現在の姿になっています。かつて集落南東側の「メーガーラ」沿いにはメーベーの「サーターヤー/製糖小屋」があり、製糖作業で使用した道具をこの川で洗っていました。また「メーガーラ」の水深は浅く集落の子供達の遊び場であったと言われています。


(シム小屋敷地内のヒヌカン)

(シム小屋敷地内のヒヌカンの祠内部)



「ヒージャーガー」の東側に約100mの場所に「シム小屋敷地内のヒヌカン」の祠があり「内間のヒヌカン」とも呼ばれています。屋号「シム小/姓は伊佐」の屋敷地内にある拝所で「奥間集落」のヒヌカンの「もと」と言われています。集落は東西に広がっている為、このヒヌカンから火種を取り集落の中央部にあるもう一つのヒヌカンに火を分けたとの伝承が残されています。旧暦2月2日に豆の豊作を祈願する「ニングヮチャー/クシユックヮシー」で「シム小屋敷地内のヒヌカン」が拝されていました。この祈願が終わると「シム小」屋敷の庭で大きい鍋で肉を煮炊きして酒を飲んで宴会をしていたと言われています。この屋敷に沿って集落を東西に伸びる「ナカミチ」が通っています。「奥間集落」の境界線となっており南側をメーベー(前組)、北側をクシベー(後組)と呼んでいました。


(クシミチ/後道)

(クシガーラ)

(マチヤー/比嘉商店跡)

「奥間集落」の北側に「クシミチ」と呼ばれる道が東西に渡り通っており、綱引きの道ジュネーで「クシベーヌチナヌウガンジュ」にクシベー(集落南側)の祈願に向かう際に通る道となっています。「クシミチ」に隣接して「クシガーラ」という川が流れています。この川の源流は集落の南西側丘陵に位置する「宇津原」にあり、戦後の道路拡張により川端が昔よりも狭くなっています。さらに、集落の東側の「海平原」には「奥間集落」で唯一のマチヤー(商店)がありました。現在、ペットクリニック「モーキャラン」となっている場所に「比嘉商店」というマチヤーがありました。瓦葺きの2階建ての家で「伊舎堂小/イシャドウグヮー」という人が店を営んでいました。この「比嘉商店」には米や醤油をはじめ、大抵の商品が揃っていました。そのため集落の住民はほとんどこの商店で買い物を済ませて重宝していたと伝わります。




(竜宮神の霊石)

「マチヤー/比嘉商店跡」の北側丘陵には「フトゥキントゥー」と呼ばれる墓地地帯で、民家と墓地の間に「竜宮神」の拝所があり祀られた霊石の周りに石組が施されています。この拝所は中城村教育委員会の資料には「名称不明」の拝所と記されていますが、拝所に隣接する民家の住人の方が親切にも拝所の場所まで同行して頂き、昔から伝わる「竜宮神」である事を丁寧に教えてくれました。その昔は春先になると中城村の漁業関係者が祈願のために訪れて拝していたと伝わります。「竜宮神」の拝所は小高い丘陵の上に鎮座しており、石碑は東側に広がる中城湾に向けられています。一般的な沖縄の「竜宮神」の拝所は海沿いの浜辺周辺に祀られていますが、この拝所は東側の海から約800m離れた「海平/ウンビラ」と呼ばれる見晴らしの良い丘陵にあります。この「海平」は「屋宜ノロ」が「奥間集落」でウマチーの祭祀を執り行う際に利用した聖地であったとの伝承が残されています。






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最終更新日  2023.10.29 16:39:57
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