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2023.03.31
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カテゴリ: 恩納村



「前兼久/まえがねく集落」は沖縄本島北部「恩納村/おんなそん」の西海岸線沿いにあり、集落の公民館の敷地に「村火の神」の祠が西側にある「前兼久漁港」の海に向かって建立されています。この「ヒヌカン/火の神」は1713年に琉球王府により編纂された「琉球国由来記」に『前兼久根神火神』と記されており、更に『稲穂祭三日崇・同稲穂祭之時、仙香・花米五合・麦神酒二器 谷茶・仲泊・前兼久・冨着四ケ村百姓。同大祭之時、仙香・花米五合・神酒二器 同上。年浴之時、仙香・神酒二 百姓中。ミヤ種子之時、仙香・花米五合・神酒二器 同上。竈廻之時、仙香・花米五合・神酒一。右四ケ村 百姓中 供之。前兼久根神ニテ祭祀也。』との記述があります。そのため「前兼久」はこの時代には「冨着」から独立した村として琉球王府に認められていた事になります。


(村火の神/前兼久根神火神の祠内部)

(龍宮神の拝所)

(龍宮神の祠内部)

「村火の神」の祠がある「前兼久公民館」の土地は、その昔この村を治めていた地頭代の「前兼久親雲上ペーチン」の屋敷跡であると伝わり、この「ヒヌカン/火の神」は「地頭代火の神」とも呼ばれています。祠内部には「村火の神」と記された石板の下に3体の霊石とウコール(香炉)が祀られています。「村火の神」に向かって右側に隣接して「龍宮神」が祀られる祠が海に向けて建立されています。この海の神様である「龍宮神」は1月2日の「フナオコシ/舟興し」で豊漁と海の安全、更に集落の繁栄と住民の無病息災が祈願されます。昔は祈願の後に漁民全員が舟で海に出て獲った魚を女性達が料理し、ご先祖様や海の神様にお供えしてから皆で食べ親睦を深めていました。この日の漁は「ハツウクシ/初興し」と呼ばれる仕事始めで、獲った魚は売ってはならず全て食べる決まりとなっていました。


(前兼久トゥングヮー)

(前兼久トゥングヮーの龍宮神)




(前兼久トゥングヮーの遥拝所)



「前兼久」の古老によると、幼い頃まで海を望む岩崖の上にウコール(香炉)が「前兼久トゥングヮー」に向けて祀られており、この遥拝所から「前兼久トゥングヮー」を拝していたと伝わっています。現在の遥拝所の岩崖は根本から削られて「Blue Entrance Kitchen」というレストランになっており、隣接する公衆トイレの裏側に岩崖の跡が僅かに残っています。「前兼久公民館」の敷地の東側の広場はかつて「山田ノロ」を迎える「ノロ御迎毛」でした。「前兼久村」が「冨着村」から独立する前まで「山田ノロ」は舟で「ノロ御迎毛」に来て休憩し、そこから「冨着古島」の丘陵に向い祭祀を行なっていたと言われています。因みに「山田ノロ」の管轄は「読谷山・冨着・谷茶・仲泊・久良波」で「冨着」から独立した「前兼久」は村の「前兼久根神」により祭祀が執り行われていました。


(移設されたウーガー/大井/オカー)

(ウーガー/大井/オカーがあった場所)

(移設されたナカヌカー/中ヌ井/前ン当の井)

(ナカヌカー/中ヌ井/前ン当の井があった場所)

戦前まで「前兼久集落」の草分け家の「アガリカーニー/東川根」の屋敷の隣に「ウーガー/大井」があり「オカー」とも呼ばれていました。正月の早朝午前3時頃に「アガリカーニー」の家主か長男が集落の古島にある「ヒジャガー」からバケツ1杯の水を汲み「ウーガー」に注ぎ入れます。その後、村中の家々が新年初めの「ワカミジ/若水」を汲んで帰ったと言われています。また「ウーガー」の南側で「前兼久の御嶽」の丘陵麓にはかつて「ナカヌカー/中ヌ井」があり「前ン当の井」とも呼ばれていたと言われています。毎年1月と8月の「カーウガン/井御願」では「ヒジャガー・ウーガー・ナカヌカー」の三井が拝され、塩・線香・御花米を各井戸に供えて全戸主が参拝しました。「ウーガー」と「ナカヌカー」は「おんなサンセット海道」の工事により埋め立てられましたが、この海道沿いに各井戸跡が移設されて現在も拝されています。


(ジッチャク/勢理客の墓)

(ジッチャク/勢理客の墓の墓門)

(前兼久貝塚跡)

(恩納ナビーの銅像)

「前兼久集落」北側の「メーガニクバル/前兼久原」に集落で拝される「ジッチャク/勢理客の墓」と呼ばれる岩陰墓があります。集落に関係する「按司」の墓であると言われており墓内には石厨子が納められています。この墓の周辺から青磁碗の直口口緑部と思われる小破片が発掘されています。さらに「ジッチャク/勢理客の墓」東側の「メータバル/前田原」は「前兼久貝塚」があった場所で、現在は沖縄郷土料理店の「風月楼恩納本店」やコンドミニアムホテルの「プリンスプラージュ」などが開発されています。「前兼久貝塚」は標高5mの海岸砂丘に立地しており、この土地から弥生〜平安時代並行期の土器片が確認されています。因みに「風月楼恩納本店」の入り口には「恩納村」で生まれたの琉球二大女流歌人である「恩納ナビー」の銅像と同歌人の代表歌が供覧されています。






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最終更新日  2023.03.31 16:36:04
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