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2003.09.07
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カテゴリ: カテゴリ未分類
― 人生と悟り ―

<高橋信次先生の言葉より>


出生の目的は、魂の向上にあり、調和にある。

物質経済は生きるための一つの手段であって、地位、名誉、金銭の多寡によって人格が定まるものではない。

現代は資本主義と社会共産主義の二大思想が対立し、神の子としての本性を忘れ、人々の心はいつのまにか物質中心になっている。

資本主義と社会共産主義とは、根本的に相対立するものであるが、その根本になっているものは、どちらも唯物論、物質中心主義である。

争いの根本は、すべての基準が物質経済に置かれ、人間信頼という実在界、天上界の約束を忘れてしまった事にある。

一切の苦しみの根源は、自分自身の心にある。
他人にあるのではない。


仏教、キリスト教は、この事を教えてきたが、何時の間にか他力本願になってしまい、自分は何もせずに楽をして、神に祈れば救われるという、間違った方向に進んできてしまった。

今から二千五百有余年前に、ブッダによって正法が説かれている。

正法にそった生活は、中道という物差しで、原因を取り除く行為を怠らぬことである。

また、二千年前、イエス・キリストが愛を説き、愛を生きるは、まずその罪を懺悔し、誤りのない生活に目覚める事であるといっている。
反省も懺悔も同じであり、仏教では反省を止観といっており、禅定の基準は、中道に照らした反省にある。

中道に照らした反省と行為が生まれてくれば、間違った原因が取り除かれることになるのだから、そこに神の光が降り注がれ、現象生活は自然と整ってくる
わけである。

偶像崇拝や祈りによって、心の安らぎがあると思う人がいるとすれば、それは逃避的なのであったり、自己満足、自己欺瞞である、といっても過言ではない。

他力では決して救われる事はない。

次に大事なことは足る事を知った生活である。
足ることを知れば、自分一人がこの地上で生きているのではないのであるから、自然と感謝の心も生まれてくるだろう。



この自然界は、万象万物が相互に関係し、依存しながら生活している。

空気あり、水あり、大自然があればこそ、各人は肉体を保つ事が出来るのであるから、自然界のこの大慈悲に対して、我々は無条件に感謝しなければならない。

感謝は報恩という行為によって、人々に尽くすという事によって、初めてその意義が見出され、実証されてくるものである。

世の中には、感謝、感謝と口では言いながら、一向に世の為に尽くすという行為をしない人が多い。
勇気を持って報恩という行為をするものである。


形あるものは全て無常だ。

今は健康だとしても、いつの日にか肉体は朽ち果てて、やがて我々は実在界、あの世に帰らなくてはならない。

一切の責任は自分にあって他人にあるのではない。
自分自身が全ての根本である。

人はあの世に帰っても個性を失う事はない。

病気で苦しんでこの世を去り、その病気の原因を追求せずにして肉体舟が破壊され、あの世に帰るとその病気の状態がそのまま、あの世で続くのである。

肉体はあくまでも人生の乗り舟だ。
死ぬ前には、肉体に対する執着を取っておかなければならない。

思う事、行なう事は、神の心であるところの善なる己の心によって、裁かれるのである。
それだけに、毎日毎日の、一瞬一秒の心と行ないのあり方が、真実に適ったものでなければならない。

ゴーダマ・シッタルタは、六年の苦行の末、生まれてから三十六年間の過去を反省する。

一週間の反省の後、一切の苦しみは自分自身が作り出したものであるから、苦しみから解放されるには、自分で苦しみの原因を作らなければよいのだ、という事を発見してゆく。

そうして、その後四十五年間この神理を説き、それは後に中国に渡り、日本に伝わってきた。

それが今は、偶像を拝む他力に変わり、信仰は形骸と化し、葬式仏教、観光仏教、学問仏教になってしまった。

しかし、人間の心は昔も今も変わりはない。

一秒一秒の心のあの方を大事にし、間違ったら勇気をもって修正してゆくところに、本当の信仰がある。

悟りは、八正道を行ずるなかにあることを、知らなければならない。


正法誌8号より抜粋





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Last updated  2003.09.08 07:23:59
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