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伊豆に多い白い花を咲かせる大島桜と冬に下向きにあまり開かずに咲くカンヒザクラ(寒緋桜)の濃いピンク色の自然交雑種の河津桜は大島桜の5弁が開いた花びらとカンヒザクラの濃いピンク色をを引き継いでいるようです桜の花はだいたい1週間から10日くらいの花期ですが大島桜の3月から4月ごろと寒緋桜の1月ごろの間を取るように2月から3月にかけ1ケ月間咲き続けます今年は梅の花を撮る機会がありませんでしたが梅の花も河津桜に負けじと咲いていました私もよ~椿もきれいですよミモザも咲いています花ボケハクモクレン(白木蓮)も開きだしていますアロエの花も元気ですね伊豆は暖かいですね。大きな株があちらこちらに咲いていました水仙が咲きそろっています足元の私たちも忘れないでオオイヌノフグリ、河津だけではなく、どこでも見られるんですけどね種付け花私だって元気ですよノゲシ(野罌粟)別名/ハルノノゲシ(春の野罌粟)?タチツボスミレ陽だまりは暖かいのよね~ソラマメの花さすがでしょ、伊豆は暖かいのよ、もうすぐおいしいお豆さんになるのよ~春はやっぱり私でしょ幸せ色の鮮やかな黄色、ピンクの桜にぴったりよ今年の大雪にめげないでさあさあ、春をお届けよ~いえいえお花たちには負けませんよ私たちも主役です桜は見るだけでしょなんたって、私たちはみなさんの美容と健康にお役立ちなんですから~出店にはいろいろな種類のかんきつ類が売っていました木は小さくてもいっぱい成っているんだよレモンだってなるんですよ防かび剤を使わない国産レモンが注目されだしているんですからねクロガネモチ?地味ではありますが、私の存在も忘れないでくださいな
2014/02/28
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2月23日12月以来、久しぶりに孫のみみりん家族とのお出かけ伊豆へ河津桜を見に行ってきました2週続きの大雪で出足が悪かったのか、大渋滞にはならりませんでした。来週は多分大渋滞かもしれません河津桜原木昭和30年(1955年)河津川のほとりで発見した桜を植えたものを発見者の屋号から「小峰桜」と呼ばれていましたが、大島桜と寒緋桜の自然交雑種の新種とわかり町の木に指定され「河津桜」と命名されたそうで、昭和43年(1968年)ごろから増殖されて河津川岸に植えられて、昭和56年(1981年)から「河津桜まつり」が開催されるようになったそうです。 ちょっと一休みみみりんとばあばは桜ダンゴに特製みそが香ばしい~ リッチーの焼きいかもおいしそう~忙しく飛び回るメジロさん落ち着いて止まってくれません豊泉橋橋の袂の左岸の桜は開きはじめでした豊泉橋から下流方向、左岸側は8分先ぐらい、右岸側は咲着始めたところです峰温泉源泉大正15年(1926年)創業の温泉旅館の源泉櫓1300年の歴史がある源泉だそうです温泉旅館の源泉温泉旅館の源泉峰温泉大噴湯公園のマスコット峰温泉大噴湯櫓奈良時代(779年)に湧き出した温泉で、花が咲き乱れる名湯から「花田の湯」と知られていたそうですが荒廃して伝説の湯となってしまったものを、大正11年に復活させようと温泉採掘に情熱を傾けた地元の稲葉時太郎氏が4年がかりで掘り当てた源泉で、大音響とともに高さ50mにも噴き上げたそうです。周りの影響を考えて、時間と量を絞っていますが、そのままだと100℃の源泉が30mにも噴きあげるそうです櫓も温泉の噴出物で傷んで10年に一度は建て替えているそうです吹き上げる温泉水に含まれる成分が湯坑に付着して孔が詰ってしまうため定期的に上のノミを使って手動で掻きだしているそうです温泉が噴き上がるのを待つ観光客何度か来たことがあるというおじさんが、あまり近づくと風向きによっては温泉がかかるから気をつけてと教えてくれました温泉が噴き出しました青い空だったらはっきりとわかったのに、雲がでてしまいました一瞬、風向きが変わって少しお湯がかかりましたが、すぐに向きが変わりました噴き上げた温泉に虹がかかっています人、人、人の波桜のトンネルで一瞬、みみりん家族だけの貸切になったところを撮りましたガラスに写ってきれい~(右下がhimekyon)と思ったらどうも温泉施設だったようで右側の囲いからおじさんの声がしてヤバイ!ガラスの向こうが脱衣所?じゃないですよね踊り子温泉会館かな?音蔵の桜上流に向かってまだまだ続く桜並木橋を渡って引き返すことにします海側よりも上流のほうが桜の花は咲き進んでいました駐車場から上流約2キロ地点のかわづいで湯橋の上から下流方向を撮っていますこの辺りが満開に近かったです
2014/02/27
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2月23日朝、家電話がなり、飛び起きて受話器を取ると、息子から「あと5分で着くよ」えっ?時計をみると6時半近いうそ、目覚ましならなかった?かけ忘れ?いや、寝る前に間違いなくかけた、熟睡して目が覚めなかった?携帯をみると目覚ましは間違いなくなっていたようだ・・・孫のみみりんからも2回電話が入っていた、それも聞こえていない・・・あっ、バイブ解除していなかった、大失態をやらかしちゃいました慌てて着替えて、歯を磨いて顔を洗って外に飛び出しました。車が来ていない、間に合った~お天気はイマイチ東名道からの大きな富士山も残念、雲の中です高速道を降りて伊豆の山の中先日の雪が全然解けていませんブレブレですが、新天城トンネル旧天城トンネルへの道は雪に埋もれていましたよループ橋天城峠を越えてからは雪はなくなりいよいよ河津です、順調に着いたけど・・・・駐車場が満車これは時間がかかりそう・・・係りのおじさんが、雪で2週間土日棒に振ったんで昨日と今日は、集中して駐車場が間に合わなくて、臨時に中学校の校庭を開放してもそれでもいっぱいなんだよhimekyonをみて、おばあさんが乗っているんだね、それじゃ、ここに止めるといいよって誘導してくれてすぐに止めることができてラッキー!ついにhimekyonもシルバーの仲間入りなのだ(いいのか悪いのか)思ったほど人がいないと思ったら観光バスからどっと人が降りてきて、みるみる人がいっぱいになりました今年は雪が多かったから、遅れているかなと思ったけど意外にも咲いていましたピンク色が鮮やかな河津桜役場の桜こちらも見事な桜です役場の車にも宣伝ラッピングが
2014/02/26
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2月23日12月以来久しぶりに孫のみみりん家族とお出かけしました
2014/02/25
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各地で被害をもたらした大雪ですが、暖かいといわれる千葉も2月8日は大雪になりました2月10日2日前に降った大雪は全然解けませんが、それでもベランダの洗濯物干についた氷柱からは雨だれのようにボタボタと水滴が流れ落ちていますなんとか水滴が撮れないかと挑戦してみましたが、強い風に揺れてうまく撮れませんでしたそれと反射神経の鈍さもあるかもしれません。落ちる瞬間にシャッターを切れませんでした手持ちで撮るのは難しいです、三脚を立てて、レリーズで撮るのがいいのでしょうか、トリミング瞬間が撮れた!と思ったらボケボケ今度こそは風で揺れる洗濯物干を手で押さえたら氷柱が落ちちゃいました氷柱ができるほどの寒さや大雪が降るってそうそうありません残念!!
2014/02/24
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料理が苦手なhimekyonですが年末年始の九州旅行で、15年ぶりに逢った友達がカラオケスタジオの店を開ける前の忙しいなか、大根と手羽先の煮込みを、圧力鍋であっというまに作ってくれておいしかったので、普通の鍋で作ってみました厚めに切った大根を下茹でしてから煮てもけっこうな時間がかかりましたが下手ながらもおいしくできました大根と手羽先の煮込み金時豆こちらは土鍋で煮てみましたすごく時間がかかりましたがまあまあおいしくできました。これも圧力鍋があれば簡単にできちゃうのでしょうね別の友達の家でも圧力鍋でささっと煮ものをしてくれて手間暇かけずにできてしまう圧力鍋って便利なんですね。最近圧力鍋の威力にちょっとほしなって思いますでも料理が下手で好きでないhimekyonには宝の持ち腐れになってしまうかな・・・
2014/02/23
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最近はバタバタしていて、なかなかお出かけができません先日、3年前まで住んでいた地の病院へ、花粉症の薬を取りに行ったついでに近くの公園へ春を探しに行ってみました旧鴇田家の曲屋4時を過ぎて門が閉まっていて中に入ることができませんでした旧鴇田家は、江戸時代(1727~1728)に建てたれた曲屋東北地方の曲屋は、棟続きで馬を飼っていましたが鴇田家は土間になっていて馬は飼っていなかったそうで関東には少なく、現存している貴重なもので元の場所から移築されたものです旧鴇田家は代々名主で、徳川将軍が鷹狩に出られた際に造られた東金街道の近くにあり、休憩所として使われたそうです東金道路:徳川家康が、九十九里方面へ鷹狩に行くために、土井正勝に造らせた、船橋-東金を結ぶほぼ一直線の道路、農民が駆り出され、三日三晩で作られたとか、昼夜たがわず一晩のうちに造られたとかで提灯街道、一夜街道、権現道とか言われていたそうですしまった戸の隙間からコンデジを差し入れてズームで撮ってみましたがこれが限界です先日の雪が解けたところからはフキノトウが顔を出していました以前、公園の管理人さんからフキノトウをいただいたことがありましたが今回は、閉まっていたのでよそのお宅の畑のを撮らせていただきましたので採っていませんタンポポは春が来た~と茎を伸ばす前にいきなり花を咲かせてますカルガモさんもそろそろねぐらに帰るころですねhimekyonが近づくと草むらに逃げ出しますhimekyonが離れるとすぐに石の手前にある水路に餌を捕りにでてきますよっぽどお腹がすいているのでしょうかね地元の民話がありましたが20年も住んでいたのに民話があったなんて知りませんでしたこの近くには、今は埋め立てられていますが、家が傾いてしまうほどの沼田がありましたそのあたりの民話でしょうか・・・・どの地方にも民話ってありますね民話を石で表現しているようですどんないい馬がいても沈んでしまう稲がとれない貧乏な村の青年が町へ野菜を売りに行ってきれいな娘に恋をしてお金があれば嫁にもらえるのではと沼田に稲を植えたら干ばつにもかかわらず稲が実り翌年も同じように米が採れたら祝言をあげようと約束しましたが翌年は長雨が続き、稲が実らず、夜中に月に照らされて光る稲の穂をみて喜び沼に入りそのまま沈んでしまいましたその後、娘はその地を訪れて、手を合わせて後を追って沼に身を沈めたそうな東金街道沿いには今も立派なお屋敷が現存しています別のお宅の長屋門馬酔木のつぼみもだいぶ大きくなっていました大きな梅の木を発見コンデジでは届きませんでした今年は梅を近くで見て撮ることができずに終わりそうかな・・・
2014/02/22
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今週は、雪の予報が回避され、胸をなでおろしていますが、厳しい寒さが続いています。とはいえ、春はすぐそこまで来ています。春と言えば花粉症、寒さで遅れていてもまもなく花粉をまき散らす季節です蜂蜜生姜も飲んでいますが、去年の残っていた薬を1月下旬から飲み始めました、残りも少なくなってきたので、先日病院へ薬を取りに行ってきました。薬局にあった観葉植物に花のつぼみが付いていました去年の2月、美容院で初めて咲いているところをみた「幸福の木」です「幸福の木」ドラセナ・マッサンゲアナ幸福の木は、ハワイの代表的な植物で 別名「ハワイアン・ティー」と呼ばれ「幸福を呼ぶ木」という意味があるそうです。「家の前にドラセナを置いておくと良いことがある」というハワイの言い伝えからこの名前がついたそうですネットで検索すると花の時期は4月から5月ごろと書いてありますが、去年の2月に、美容院で咲いている花をみましたのでこちらもまもなく咲くかもしれませんね甘い香りが部屋中に広がるそうです~~~~~ ところでこの花の名は?検索してもみつかりません 似ているものに「プロティア」というのがありましたが・・・グレヴィレア ビピンナティフィダ 和名/ハゴロモマツ 同僚とティータイムしようと最寄り駅に降り立ったら ショッピングセンターの玄関口の植え込みに咲いていました。
2014/02/21
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年末年始の旅日記を38日もかかって書き終わりました今日はサングリアでひと休みサングリアパンプキンさんのブログで知りました。ワインをベースに果物で作るスペインのフレーバードワインソーダやオレンジジュースで割って飲みます、これはソーダで割ってますhimekyonはほとんどお酒を飲みませんが去年の秋、ブログ友86netさんに栗をいただいた時に栗の渋皮ワイン煮を作りました。残ったワインはずっと冷蔵庫の中に入れっぱなし、そんなとき、パンプキンさんがサングリアを紹介してましたサングリアって何だろう??ワインに果物を入れるだけでワインとはちょっと違った味の飲み物になるんですね。飲み口がよくなってhimekyonにも飲めました果物は、なにを入れてもいいそうですが家にあった、バナナ、リンゴ、キウィ、ポンカン、レモン他にシナモンスティック、グラニュー糖、生姜、蜂蜜(作ったはちみつ生姜を使いました)ほかにあればカルダモン、ラム酒など・・・ようするになんでもありなのです一晩寝かせれば飲めます4、5日したら果物はとりだすそうです取り出した果物はもったいないですよねジャムを作ってみましたミキサーとかフードプロセッサーとかあれば簡単でしょうがhimekyonはとうの昔に主婦を卒業しちゃってあまり料理をしないので道具を持っていませんみじん切りにしたあと、裏ごしをしました(時間がかかりました)ワインの味が少しだけ残るちょっと大人のジャムですヨーグルトにかけたりトーストにぬったりして食べています。
2014/02/20
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年末年始の長い休みを利用しての各駅停車で九州一周とうとう最後の朝を迎えました。ホテルからの夜明け1月3日6時47分ようやく空が白みかけてきましたこれから長い長い1日が始まりますバイキングの朝食が終わり、シャトルバスで門司港駅へひたすら、各駅停車の列車を乗り継いで、大垣駅からは夜行列車で東京へ向かいます早朝5時5分に東京駅に着き、始発列車で自宅へ戻り、着替えて会社へ出勤です門司港-門司-下関-新山口-徳山-岩国-糸崎-播州赤穂-姫路-京都-米原-大垣-東京-船橋-自宅徳山駅で後続の列車を待っていると、駅のアナウンスで、東京有楽町で火事が発生して新幹線が不通とのこと、正月3ケ日を終えて大勢の帰省客が東京方面へと戻るピークです在来線に乗り換える人も出てきましたが、さすがに各駅停車で東京まで乗り継いで帰る人はいないでしょう、ましてや、大垣からの夜行列車は、指定券(満席です)がなければ乗れないですからね尾道付近のしまなみ海道・因島大橋?旅の始まりでは、車窓からの写真もたくさん撮りましたが、戻りの列車では、思い出に浸りなら景色を眺めつつ写真は撮りませんでした、唯一撮った画像が、尾道付近のしまなみ海道・因島大橋?2年前の四国、一通り、回ってますが、全部観光できたわけではありません。尾道からのしまなみ海道経由のルートがあれば、もう一度四国へ行ってみたいと思ってます大垣駅発の夜行列車は22時49分、21時過ぎには着いてしまいます「そうだ京都行こう」京都駅に途中下車、駅の周辺でも歩こうかと改札口をでたらどこかの駅で人身事故が発生して、列車が遅れていると駅のアナウンス駅員さんに確認しようと尋ねても、3ケ日の忙しさ、駅の電光掲示板で確認してくださいと不親切、何があるかわからない、夜行列車に乗り遅れたら大変早目でも大垣駅に着いておいたほうが無難と、駅弁だけを買って再び列車に乗りこみました。大垣駅には駅弁を売っているところはなく、2年前の四国からの帰りは悲惨でした。高松駅で買いそびれた昼食と夜のお弁当、途中の乗換駅で買えるかと思ったら混雑でそれどころではなく、大垣駅に着いたら、一軒あるコンビニはおにぎりもお弁当もパンもすべて売り切れ、飛び込んだ居酒屋でお腹を満たした経験がありました。駅弁中部圏以西の列車でよいところは、関東圏の座席がほぼロングシートに対して、回転式クロスシートが多いことです。旅行者にとってロングシートだと、車窓からの景色も見づらいし、お弁当など食べ物も広げるのが難しいですが、クロスシートだと安心してお弁当も広げられますしかし、京都からは混んでいて、出入口の補助シートしか空いていませんでした。空腹は夜行列車の発車まではもちそうもありません、そこは婆さんの図々しさでお弁当を広げました。出入口に立っていた若者グループが、にやにやしながら「おいしそうだな~」って「ごめんね、おばさんお腹ペコペコなのよ」 23時10分夜行列車「ムーンライトながら」が入線してきました。やはり、京都駅でアナウンスしていた遅れが影響してか20分ほど遅れています。いつもながら、なぜか始発なのに発車の時間まで列車が到着しません。すぐに発車です夜行列車「ムーンライトながら」は、クロスシートの10両編成で全席指定席交通網の発達により、今は季節運行の臨時列車になってしまった夜行列車です、11年前に初めて利用したときは、固いボックスシートの普通列車だったのが、2年前に利用したら、房総への特急列車として走っていた、昔懐かしいクリーム色にオレンジ色の特急列車に変わっていました。 そして、今回運行の列車は、伊豆方面への特急、普通通勤両用の列車に変更されていまた。特急列車になってからは、回転式クロスシートで軽くリクライニングになりますから以前から比べるとずいぶんと寝心地はよくなりました。20分遅れで大垣駅を出発した「ムーンライトながら」さすがに8日間の旅で疲れがでたのか、横浜を通過するまでまったく記憶がなく、ぐっすりと寝られたようで、終着駅東京に着きました。夜行列車や夜行バスでまず寝られないhimekyonですが、初めて熟睡できたようです。疲れ過ぎても眠れませんが程よい疲れがよかったのでしょうか東京駅からは、総武快速線、京成本線と乗り継いで8日ぶりに無事我が家に帰還しましたここで終わりではありません、シャワーを浴び、食事をしてさぁ、26年初日の仕事に出勤です~終わりに青春18切符9回分を使い、各駅停車で九州一周を試みた旅でしたが、交通網が発達したことにより、在来線の普通列車は本数が少なくなり、鹿児島の友達との待ち合わせのため、一部特急列車を利用したり、次の列車まで最大11時間の間隔の過疎線があり、宮崎県の観光を省いたり、列車の走らない天草へ寄り道したり、列車の遅れにより乗り継ぎが難しく、佐賀県の観光をパスしたりして、正味6日間の九州滞在で一応、鹿児島、宮崎、大分、熊本、佐賀、長崎と全県通ることはできましたが、主な観光地を巡りきることはできませんでした。しかし、15年ぶりに再会した鹿児島の友達の案内で廻った鹿児島の歴史、駆け足で廻った名所旧跡、地元の人の温かい親切な心が一つひとつ心に残るものでした。九州は6度目でしたが、亡き友と巡ったいくつかの観光地へも足を延ばすことができて、満足の旅になりました。もちろん、特急や新幹線を利用すれば、時間短縮ができて、8日間あれば、九州一周はほぼくまなく回れるかもしれませんが、2両編成の列車の車窓からゆったりと移り行く景色を眺めながら、一期一会で出会った人と会話をしながら、旅をする楽しみ、朝早く、夜遅くの列車からの街の灯りには郷愁を誘うものがあり、旅をしているんだなと実感できました。JRの特割切符、列車がどんどん消えていくなか、この切符、列車はいつまでも残してほしいものです。himekyonが訪れていない県は、和歌山県と沖縄県になりました。正確にいえば、今回の佐賀県も含まれますが、一応佐賀駅には40分ほど途中下車滞在しました。宮崎は以前ツアーで2度行っています。 もちろん、訪れたことがあっても、名所旧跡をすべて回りきれたわけではありませんので、また訪れてみたいところもたくさんありますさて、次回はどこをまわろうかな(完)長い期間、読んでいただきありがとうございました。
2014/02/19
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年末年始の長い休みを利用して各駅停車で九州一周の旅東京-福岡博多-鹿児島姶良-宮崎延岡-大分臼杵-大分湯布院-大分日田-熊本市内-熊本天草-熊本三角-佐賀駅-福岡門司港1月2日 7日目九州一周の旅も最後の目的地、夕暮れから夜の門司港レトロの街歩きですB級グルメの焼きカレーを食べた後、ホテルのシャトルバスの最終9時までもう一回りします夜の旧門司三井倶楽部門司港レトロ観光列車が走る北九州銀行レトロライン北九州銀行が命名権を取得したために線路名に冠しているそうです土日、祝日 GW、夏休みにトロッコ列車が走るそうです北九州銀行世界三大銀行として数えられた旧横浜正金銀行として昭和9年(1934)に建設された建物マリーゴールド門司港迎賓館大正時代に建設された銀行をリノベーションした結婚式場 マリーゴールド門司港迎賓館大正時代のバロック調の建物とともに銀行にしては珍しく窓にステンドグラスがはめ込まれ斬新なデザインの重厚な建物です。街中の建物もレトロ調こちらもレトロ風な建物ですね門司港レトロ 栄町銀天街レトロ横丁大正から昭和にかけて栄えた銀天街街角にたたずまいの昭和の旅館バナナのたたき売り発祥の地記念碑バナナが日本に初めて輸入されたのは、明治36年ごろ神戸だったそうですが明治41年ごろから大量に輸入されるようになり、門司港が産地台湾から近かったことから室を持った仲買人が青いバナナを競りで買い入れて、室で熟成させて黄色いバナナが市場に売り出されたものですが、輸送中にすでに傷んだ物とか、熟成中に不良品になったものを早く処分して換金するために、露天商などに卸されて、一気にさばくために「バナナのたたき売り」が始まったとされているそうです。こどものころは、バナナは高級品でした。病気をするとバナナを食べさせてもらえましたまた、兄が外国船の船乗りでしたので、お土産にバナナを持って帰ることがあり友達と大喜びで食べた記憶も残っています九州最後の門司港レトロの街観光もホテルに戻る時間がきましたホテルに戻り、ビジネスホテルながら大きなお風呂があり、九州滞在6日間の旅の疲れを取りました、明日は東京への一昼夜の長い長い移動に供えて早めに就寝です
2014/02/18
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年末年始の長い休みを利用して各駅停車で九州一周へ1月2日 7日目九州最終日の最終目的地は福岡県門司港レトロの街旅行へでたらその土地のおいしいものを食べる、旅行の醍醐味ですね。しかし、今回の目的は各駅停車で九州一周の貧乏旅行です。8日間もおいしいものばかりを食べ歩いてはいられません。朝一番の列車に乗って、目いっぱい歩き回って、夜も遅くに宿到着のドタバタの旅、落ち着いて食事などしていられません、コンビニで調達したもので済ませることが多いです。最後になって無性にカレーが食べたくなっていました。それでも最後の夜は、おいしいものでも食べてみようかと、門司港レトロ展望台のチケット売り場で、どこかお薦めの食事ができるところはありませんかと尋ねると、なんと門司港の名物が「焼きカレー」だそうです。願ったりかなったりじゃないですか人気のお店を紹介していただいて行ってみました今流行りのB級グルメ「焼きカレー」は、門司港が発祥の地焼きカレーMAP焼きカレーMAP21店舗が紹介されています教えていただいたお店の焼きカレーが焼きカレー明治から昭和にかけ、海外との貿易港として栄えた門司港には、洋食屋さんが数多くたち、和と洋のメニューが混在する街だったそうです。昭和30年代になって、ある喫茶店で、余ったカレーをグラタン風にオーブンで焼いたら香ばしくておいしく仕上がったので、お店に出すようになったのがはじまりだそうです。お味は、カレー味のドリアという感じかな・・・食べ方があって、最初はそのまま食べて次に特製びっくりスパイスをかけて食べるそうです美味しかったです第1回焼きカレー倶楽部のコンテストで第1位を獲得したお店だそうです満席でしたどうしようかな・・・あまり並ぶのが好きでないhimekyonですが・・・並んでみましたお店の手前には第2回グランプリになったお店があって空いていましたが・・並んじゃいました寒くなくてよかったマンゴーラッシー(アーム・ラッシー)これはサイドメニューインド料理の飲み物でラッシーまたはラッスィーヨーグルトをベースに果物を入れてミキサーにかけて濃厚な飲み物にしたもの甘すぎなくてさっぱりとしておいしい飲み物でしたこの方も来店したことがあるようです並んでから、食べるまでに40分それだけのことはあった焼きカレーでした
2014/02/17
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年末年始の長い休みを利用しての各駅停車の旅、今年は九州一周を目指しました。1月2日 7日目最終目的地は門司港です近代建築の立ち並ぶレトロな門司港の街歩きです17時35分の関門橋昭和49年(1973)関門海峡の対岸山口県下関とを結ぶ吊橋が完成18時6分18時から点灯された関門橋三脚無しの手持ち撮影では、感度をあげてもスローシャッターが限界です門司港の日没日没対岸海峡メッセ下関「海峡ゆめ広場」遠望対岸 海峡メッセ下関 対岸の海峡メッセ下関対岸の海峡メッセ下関対岸の海峡メッセ 大観覧車色鮮やかのため三脚無しの望遠でなんとか撮れました海峡メッセ下関 海峡ゆめタワー平成8年(1996)に完成無謀にも三脚無しで望遠にして撮ってみましたブレブレですが、雰囲気だけでも・・門司港から見えたとき、もしかしてと思ったら完成の翌年にこの海峡ゆめタワーも亡き友とツアーで行っていました旅行好きだったけど、一人ではなにも行動ができなかった彼女二人で積み立てをして、季節ごとにツアーで旅行に出かけていたけど今の会社に入り、年末年始以外、GW、お盆や土日の休みが取れなくなって、一緒にでかける機会が遠のいてしまい、himekyonがでかけるのをいつもいつもうらやましいと言っていた一時は退院もできてよくなったかに見えたけど4年前、娘さんから悲しい知らせが届いて・・「悪性リンパ腫」逝くのが早すぎたよもっともっと一緒に行ってあげればよかった門司港レトロ展望室日本を代表する建築家・黒川紀章氏が設計した高層マンション「レトロハイマート」の31階にある展望室17時56分門司港レトロ展望室から対岸下関側の遠望右側はガラスの反射です、門司港レトロ展望室からの夜景・門司港ホテル方面チケット売り場で、今日の点灯は18時ごろですよと季節によって日没の時間に合わせて点灯するようですちょうどいい時間に昇りました門司港レトロ展望室からの海峡プラザ方面夜景門司港レトロ展望室からの夜景・第一船着場夜のブルーウィング・跳ね橋デートスポット 恋人の聖地 夜のブルーウィングもじ・跳ね橋イルミネーション門司港ホテル前の岸壁通りはイルミネーションに飾れてていますイルミネーション第一船溜まりのイルミネーション第一船溜まりからの海峡プラザ夜景
2014/02/16
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今回の大雪も大変なことになっていますね。千葉県内でも大雨と融雪による災害や停電などもあったようですが、こちらは、朝には雨に変わり、前回の解けなかった雪もだいぶ解けました。年末年始の長い休みを利用して、各駅停車の旅も4回目、北海道、四国、山陰と回り、今回は九州一周へ 東京ー福岡・博多泊ー鹿児島・姶良泊ー宮崎・延岡泊ー大分・臼杵ー大分・湯布院ー大分・日田泊ー熊本市内ー熊本・天草泊ー熊本・三角港ー佐賀駅途中下車ー長崎・諫早泊ー長崎市内ー1月2日 7日目16時43分、最終目的地・門司港に到着しました。長崎観光後、佐賀県を観光してから目的地へと予定していましたが、列車走行中に急病人発生のアクシデントで40分の足止め、乗り継ぎにも影響がでてしまい、3ケ所を駆け足で回る予定が、緊張の糸が切れてしまい、時刻表を調べる気力もなくなって、どこも寄らずに列車を乗り継いで門司港まで来ました。この7日間、綱渡りの連続の旅、疲れも出ていたのでしょうか・・・直行しても夕方5時近くですからこれでよかったのかなとひとり納得です門司港駅ホーム明治24年(1891)鹿児島本線が開通したとき、起点駅として門司駅が200m離れた場所に建設されましたが、連絡船桟橋と離れていたために、大正3年(1914)2月1日、現在の位置に移転して駅舎が建設されたそうで今年で100周年だそうです昭和17年(1942)関門トンネルが開通して、隣の大里駅(だいりえき)を通過するようになり、大里駅が門司駅と改称されて、いままでの門司駅は門司港駅に変更されたそうです大正8年に製造されたSLの動輪当時のころの人力車が駅に展示されています大正3年に建造された駅舎は傷みがひどく、修理中で2018年に完成するそうです帰り水駅ができたときに設置された水飲み場終戦後復員や引揚者が帰国できて安堵の思いで喉を潤したことから帰り水といわれるようになったそうです関門連絡船通路跡関門トンネルができるまで、門司港と下関港を連絡船が往復していたそうです監視窓門司港は、外国船も行き来していたために旧日本軍の命令で、監視窓がつくられていたそうで、戦時下で不審者を発見するためだったそうで、外からは中がみえないそうです門司港駅に日が沈みますすばらしい夕焼け九州最後の宿は駅から徒歩12分ほど離れたビジネスホテル17時から21時まで1時間ごとにシャトルバスがあるとのことで、一旦荷物をフロントに預けてすぐにシャトルバスでレトロの街へでかけました旧門司三井倶楽部大正10年に三井物産の接客・宿泊施設として建設されたものだそうで翌年にはアインシュタイン夫妻が宿泊したそうです旧門司三井倶楽部女優・故森光子の2000回公演「放浪記」の作家林芙美子の出生地と言われる門司(林芙美子自身は下関といっていたそうですが)三井倶楽部には林芙美子資料室があるそうですが、時間は終了してました旧門司三井倶楽部旧門司三井倶楽部夜の旧門司三井倶楽部旧大阪商船大正6年(1917年)に建設された大阪商船門司支店の社交クラブ平成10年(1998)北九州市が買い取り修復したものだそうです旧大阪商船旧大阪商船旧門司税関明治42年(1909)に門司税関が発足明治45年(1912)に建設された煉瓦造りで昭和初期まで庁舎として使用、移転後は民間の倉庫として使用されて、第二次世界大戦の被害にもあい老朽化が進み、平成6年に北九州市が買い取り修復されたものだそうです国際友好記念図書館帝政ロシアが中国大連に建築した東清鉄道オフィスを北九州市と大連市の友好都市締結15周年を記念して複製を建築したものだそうです北九州水道100周年記念古い水道と思ったら平成23年6月5日の記念日につくられたもののようです海峡プラザレトロ街のお土産屋さんやレストランが並ぶ建物門司港ホテル高級感のあるホテルですが、比較的リーズナブルなお値段だと思います このホテルの宿泊を検討しましたが、年末年始で海峡側の部屋に空室がなく素泊まりでそれなりの値段だったので大浴場と朝軽食が付いたビジネスホテルにしました、また行く機会があったら今度はこちらに泊まってみたいです門司港ホテルブルーウィングもじ (跳ね橋)門司港第一船溜まりの出入り口に架かる国内最大の歩行者用跳ね橋ブルーウィングもじ・跳ね橋NPO法人「恋人たちの聖地プロジェクト」に選定された、恋人たちのデートスポット
2014/02/15
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またまた今日も雪です。朝勢いよく降った雪は止み、夕方になって再び降り出した雪があっという間に積もりだしました。今回は夜半から雨になる予報ですので、前回のような積雪にはならなければいいなと思います年末年始の長い休みを利用して各駅停車で九州1月2日 7日目21年前、今は亡き友とツアーで行った長崎市内を回りますグラバー園はグラバー邸をみるだけの予定でしたが、少し時間があったので、広い園内を駆け足で廻ってみました。幕末から明治にかけて建てられた、外国人居留地などから移築された建物などがありました、旧フレデリック・リンガー住宅石造りの建物グラバー商会に勤めていてホーム・リンガー商会を設立して製茶、製粉、石油備蓄などの事業を展開グラバーの息子倉場富三郎と共同で捕鯨、トロール漁を始めました、長崎市内の上下水道建設などにも携わり、外国人と日本との交流の場内外倶楽部を設立し長崎に貢献旧ロバート・ネール・ウォーカー・ジュニア住宅大浦天主堂近くにあったものを移築したもの父、ロバート、ウォーカーが三菱系列と日本郵船の船長を勤め、退社後、一度帰国後再来日ウォーカー商会を設立して、海運を中心に貿易事業を展開「バンザイ清涼飲料工場」を開業、ジンジャーエール生産に成功二男のジュニアに譲り、カナダに移住しました。ジュニアが、明治中期に建てられた建物を大正時代に購入して亡くなるまで住んでいた建物ロバート・ウォーカーの兄は、グラバー商会の船長を務め郵船汽船三菱の監督船長となり、日本初の国際定期上海航路の船長を務めその後日本郵船に勤務した後、横浜でグラバーと麒麟麦酒の前身の会社を設立して支配人を務めたそうです旧自由亭日本人初の西洋料理店シェフ草野丈吉のレストラン「自由亭」旧長崎地方裁判所長官舎原爆で焼失した官庁建築の中で唯一残った建物が移築されています旧三菱第二ドックハウス船が修理のためにドックに停泊している間の船員の宿泊施設明治初期に建てたれた建物で三菱造船から移築されたもの旧ウィリアム・ジョン・オルト住宅オルト商会を設立し、製茶業を営んでいた日本の緑茶を世界に広めた人旧オルト住宅旧長崎高商表門衛所長崎大学経済学部の前身で、日本最初期に設立された官営の商業高等学校創立時の表門衛所を移築復元旧スチイル記念学校明治20年にアメリカの教会の伝道師が、18歳で亡くなった息子を記念するために寄贈した資金で設立された学校で、英語教育と特色ある学風で長崎の教育に歴史を刻み、変遷を経て海星学園より寄贈されて移築し復元されたものフリーメイソン・ロッジの石柱中世ヨーロッパの石工の団体が自由、平等、博愛の実現に向けて作った秘密結社で18世紀に世界に広まった組織だそうですなんのことかわからず写真を撮っただけでシンボルマークがあったのも撮っていませんグラバーやリンガーがフリーメーソンだったとかいわれてもいるそうですがこの石柱は開国当時、イギリス人が住んでいた家の門柱を移設したものだそうです高島式和砲江戸時代の砲術家 高島秋帆(たかしましゅうはん)の指導で作られた和大砲日本式砲術が西洋砲術に後れをとっていることにショックをうけて、出島のオランダ人から学び、高島流を確立、幕府に訴えて東京高島平で公開演習をして、幕府から重用されるようになったことの妬みから密貿易の嫌疑をかけられて投獄され、ペリー来航の情勢変化によって赦免された後、海防の必要性を訴えて、幕府の砲術訓練に尽力したとか歴史の泉祈りの泉キリシタンの歴史と苦悩を描いているそうですグラバー園からの長崎港対岸の山が稲佐山でしょうかグラバー園から長崎港左端が女神大橋 長崎港によって分断されている南部と西部の街を繋ぐ橋だそうです日本最初のアスファルト道路アスファルトは縄文時代から土器などの接着に使われていたそうですが道路を舗装するのに利用されたのは長崎が初めてだそうで、グラバーの息子・倉場富三郎(Tomisaburo Awajiya Glover・グラバーを倉場と和名に母の姓が淡路屋、トミーを富三郎)が施工したそうです園内に咲いていたブーゲンビレアTEIKO桜(貞子桜)ヨーロッパで活躍したオペラ歌手、喜波貞子を記念して弟子から送られた遺品を記念して植えられた桜イギリスで交配された桜で二季咲きの桜長崎伝統芸能館の「長崎おくんち」の展示をみながら駆け足でのグラバー園見学バスで長崎駅に戻り、ギリギリ10時発の列車に乗り次の目的地へ長崎滞在3時間でしたが、亡き友との思い出の地を少しだけ見ることができましたしかし、ここでハプニング途中の駅で急病人が発生40分ほどの足止めをくってしまいましたハウステンボスの外観(車窓から)ハウスデンボス駅があったんですね、21年前、亡き友とツアーで訪れたのは開業1周年記念だったかな長崎駅から隣に座った50代くらいの女性との会話博多でのジャ○ーズのなんとか公演に行きそびれてホテルをキャンセルしたとか佐世保のなんとかいうデパートの初売りはどうのとか・・佐世保に寄り道の予定だというとおいしいお店に行きましょうとか・・・とりとめのない話列車の遅れで佐世保までは行く時間がなくなって、途中で乗り換えることになりましたかみ合わない会話に2時間近く付き合って、ホッとしたのと同時にどっと疲れがでて・・・7日間の緊張の糸がプツンと切れて・・・佐賀県内の観光の時間も気力もなくなってしまいました目的の駅に着いてその駅から別路線に乗って今日の宿泊地を目指すはずだったけど遅れを取り戻すだけの時間がないし・・パスしちゃいました明日の最終日はほぼ1昼夜列車に乗り続けるために体力温存の必要性があり、駅前の素泊まりのホテルではなくちょっと駅から遠いけど、ビジネスホテルながら、最上階に大浴場があり、朝食付きのホテルを予約していたので、 宿泊地に早めに入ることにしました。これで、宮崎に続き、佐賀県も佐賀駅に途中下車しただけで通過のみになってしまいました
2014/02/14
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今日は1ケ月ぶりに母のところへ行ってきました。相変わらずですが、寒いはずの栃木にはほとんど雪がみられませんでした。日陰にわずかに残っているだけでした。それに引き換え暖かいはずの千葉は道路わきに高く積み上げられた雪の山、畑は真っ白、しかも明日はまた雪の予報です。どうなっているのでしょうか・・・長い年末年始の休みを利用しての各駅停車の九州一周の旅も最終日です1月2日 7日目長崎を後にする時間が迫ってきましたが、やっぱり友達との思い出の地グラバー邸ははずせません、グラバー園しかし、21年前の記憶って曖昧ですねなぜか、写真もほとんど撮っていませんでした。やっぱり、写真を撮ると、あとで振り返って当時のことを思い出させてくれますね今のhimekyonは、なんでも撮っておこうと思ってますがあのころは、あまり撮っていなかったようです。デジタルカメラがまだ普及していなかったころ、撮ったものは写真屋さんに現像に出さなければならなかった時代ですから、写真も思い切って撮れなかったのかもしれませんねグラバー邸トーマス・ブレーク・グラバースコットランド出身で、21歳で日本にきて、グラバー商会を設立、武器商人として幕末の長崎で活躍長崎に西洋式ドックを造り、明治維新後も、高島炭鉱を開き、造船、製茶など幅広く貿易業を営み、麒麟麦酒の前身の会社も作り、日本の近代化に貢献したそうです幕末から明治にかけては、討幕派を支持し、薩摩、長州、土佐藩に武器、弾薬を販売し、薩摩藩、長州藩の志士たちのイギリス渡航の手助けもしていたそうです明治維新後、武器が売れなくなり、藩に貸し出した資金の回収がうまくいかずに倒産その後も炭鉱経営などで手腕をふるい、三菱造船の顧問をしていましたが、東京に移り住み、明治44年に亡くなったそうですグラバー邸日本最古の木造洋風建物だそうです昭和14年、三菱造船所が、戦艦武蔵を造船するさい、造船所を見下ろす位置にあったグラバー邸を、グラバーと日本人妻ツルとの間の息子・倉場富三郎から買収してというよりも、戦時中混血を理由にスパイ容疑の嫌疑をかけられて強制退去させられたそうで、三菱造船所の所有になり、創業100周年を機に長崎市に寄贈されて、一般公開されるようになったそうです21年前は4月に行きましたがお庭に花が咲いていた写真が残っていました他は全く記憶無し薩摩藩主から送られたソテツ樹齢300年以上たつと言われていますグラバー邸からの遠景グラバー邸からの長崎港グラバー邸からの三菱造船所グラバー邸の中には入りませんでしたが、部屋の中にもいろいろと見どころがあったようです麒麟麦酒の商標になったと言われる狛犬とか、園内に2つあるというハートストーンとか見落としもありました。やはり、事前学習も必要かな
2014/02/13
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年末年始の各駅停車の旅 1月2日 7日目眼鏡橋をあとにして、どこへ行こうか、マップを見ながら歩いていると「出島」への案内板出島へも行ったことがあったので寄り道します出島阿蘭陀商館跡(でじまおらんだしょうかんあと)オランダ石門開門前だったので、外から撮ったミニ出島1634年、鎖国政策でキリスト教を排除するために、港の中に扇型の出島を造り、市中に住んでいたポルトガル人を一か所に住まわせたのが始まりでポルトガル人を国外退去させた後、無人になった島に、平戸にあったオランダ商館が移り、日本が開国するまでの約200年間宗教活動、武装を禁止されたオランダ人たちの住まいになっていました鎖国政策の中、唯一ここから世界との貿易がなされていたところです開国とともに出島の機能も不要になり、たびたび氾濫する中島川の河川改修とともに埋め立てられて陸続きになったそうです昭和59年から発掘調査が始まり、平成8年から復元工事が進められているそうですどおりで記憶にないと思ったら、21年前はまだ復元工事が始まっていなかったのですね旧内外クラブ明治36年にグラバー商会の社員でのちにホーム・リンガー商会を設立した、イギリス人のフレデリック・リンガーが建てた建物で、出島最後の外国人所有の建物で、長崎に暮らす外国人と日本人の交流の場として利用されていたそうです旧出島神学校明治初期に建てられた、日本最古のキリスト教の神学校だそうです元々この場所に出島教会があり、隣接して建てたのが神学校で、宣教師宅を増築して今の形になったのを昭和53年に半解体して修理復元したものだそうです旧出島神学校デジマノキ 別名/コパールノキ東南アジアに自生しているナンヨウスギ科の植物でオランダ人が貿易の拠点にしていたジャカルタから、日本との友好記念に移植されたものだそうです今は埋め立てられて陸続きになっています扇型の内側部分が今は中島川に面しています出島南側部の石積み護岸平成8年ごろの発掘調査で確認された護岸、欠損部分を当時の工法で復元された石垣 南側の護岸ちょうど9時、開門の時間でした先を急ぐので中には入りません1枚写真撮らせてくださいね快く応じてくださいました中島川からの扇型の出島の石垣ビルの向こうから朝陽が昇ってきました先を急ぎます長崎電話交換局跡地国際電信発祥の地世界との貿易の唯一の窓口となった長崎先進のものが長崎にもたらされましたオランダ坂外国人居留地にある石畳の坂道で日本の道百選に選定されているそうです幕末の頃から、東洋人以外の外国人をオランダさんと呼んだことから付いたとか旧湊会所跡(長崎税関の前身)開国の時、長崎、神奈川、函館が開港し、海外の輸出入の監督、関税の徴収をしていたところで今の税関にあたります最初は奉行所が管轄していました、会所といっていた税関の前身で運上所と名称が変わり、のちに税関に変更されました。鉄道発祥の地日本で初めて走った鉄道は新橋ー横浜間とされていますがそれを遡ること7年前に貿易商のグラバーが600mのレールを敷いて蒸気機関車を走らせたのだそうですボウリング発祥の地なるほど、開国前は唯一長崎が世界の貿易の窓口でしたから発祥の地、初めての地とかが多いですね日本初は、東京青山にある「東京ボウリングセンター」と聞いていましたが、長崎だったのですね。でも、実際に日本人がプレイするようになったのは青山のボウリング場が初めてだそうです旧英国領事館ここで近所のお年寄りと立ち話79歳になるのに、娘夫婦のおさんどんと孫の世話うらやましいねって・・なかなか話が終わらない、時間がないんですけどとも言えないし・・・でも一期一会の立ち話ができるのも旅の楽しみかなどこに行ってもだれと話をしても羨ましいと言われるhimekyonの生き方悩みはいっぱい抱えているけれど・・・自分が選んだ道だから・・・がんばって生きていくより仕方がないこんな、気ままな旅ができるのも・・・やっぱり 幸せだからかな大浦天主堂にたどり着きました今回は下から見上げるだけでしたが・・・
2014/02/12
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千葉は今日も雪が降りました。今回は午前中だけで2センチほどで止みました年末年始の各駅停車の旅も4年目、北海道、四国、山陰、今回は九州へ九州一周の旅で一番迷ったのが九州最終日、過去5回九州へ行っていて佐賀県は一度も足を踏み入れていませんでした。佐賀県内に宿泊しようかと検討してはみたものの、そうなると長崎県を回るのが難しくなる、長崎は市内、島原、雲仙と回ったことがあるので、パスしてもよかったのだが、一周となれば長崎も、しかし、長崎市内は路線の終点駅のため、通過するだけとはいかず、諫早ならば長崎県を通過することになると宿泊地に選んだのだったが・・・やはり亡き友との思い出の地長崎市内へ行ってみたくなりました。朝一番の列車に乗れば、なんとか佐賀県内も駆け足で回ることができるのでは・・・1月2日 7日目朝が遅い九州6時の始発列車に乗れば、長崎に着くころに夜明けになるだろう6時44分長崎駅に着きました目を引いたのがホームにあった大きな御朱印船長崎駅7時過ぎてもまだ夜明け前駅でもらったパンフレットで目に着いた思い出の地へ路面電車で出発です眼鏡橋21年前、友達と夜の長崎の街を歩いて入った鼈甲屋さんお揃いで、鼈甲のイヤリングを買いました。色白でおしゃれの彼女には似合いましたが、himekyonはおしゃれに似合いませんが、今も思い出の品として箪笥の中に閉まっています・・・ご主人と話しをしているうちにお店閉めてから車で案内しますよと連れて行っていただいたのがこのめがね橋と稲佐山からの夜景でした21年前のことですから、はっきりとした記憶はありませんが夜の眼鏡橋、川面に影が映り、幻想的だった記憶があります今回は行けなかったけど、日本三大夜景の一つ、稲佐山からの夜景も素晴らしかったと記憶しています、今は世界三大夜景のひとつにも数えられているようです彼女とは日本三大夜景の函館の夜景も一緒にみていますそんな思い出の長崎観光です眼鏡橋は、1634年に架けられた石造りの二重橋何度も水害に遭いながらも、流されることなく壊れた部分を修復しながら現存している橋観光の順番が違っていてますが、日記を書くにあたり、懐かしくイヤリングを取出してみると鼈甲通りを歩いて撮った画像の中になんと21年前の鼈甲屋さんの名前がありました「観海鼈甲店」さん、この時はどこのお店だったか思い出せませんでしたが、イヤリングのケースの中にお店の名前がありました。ここのご主人が親切な方だったのですこんなことなら、しっかりと計画を立てて、長崎に泊まるべきでしたね。これが、大雑把、無計画のhimekyonならではの旅ではありますが・・・現存する橋は3橋で、他の6橋は再架設されたもののようです度重なる水害で流出し、河川改修をして川幅を広げようとしたそうですが住民からの反対で暗渠を作り、あふれた水を地下を通すことで川幅は保たれ3つの橋は修復をしながら当時のままに保存されているそうです歩いていると野鳥さんがイソヒヨドリかな不思議そうに何かをみているような
2014/02/11
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下書きの段階で消えてしまってショックでなかなか進んでいなかった年末年始の各駅停車の旅の続きをマンネリになっていますが、最後まで続けて書いていきます4年目は九州一周を目指しています各駅停車でとはいいながらも寄り道をして、元旦は天草で迎えました。初日の出、イルカウォッチングのあと、本土に戻り三角駅からまた各駅停車の旅の続きですその前に前回、文字制限でUPできなかった三角西港に咲いていた花と木の実です1月1日 6日目皇帝ダリア晩秋に咲くダリアですので咲き残っているものもありますが、霜に弱い花これだけ色鮮やかに咲き残っているのも珍しいです。ということは霜が降りないのでしょうか日本水仙早春の花ですね千葉県では水仙まつりが始まっていますセンダン(栴檀)の実伊豆半島以南に自生しているそうですが、2年前の四国ではたくさん見ましたセンダンの実アコウ(榕、赤榕、赤秀、雀榕)クワ科イチジク属紀伊半島、四国、山口、九州、西南諸島の温暖な海岸に自生する柄を持たないで枝や茎に直接たくさんの実をつけるイチジク属でイチジクと似た実で熟すると食用になるそうな鳥が種を運び、木の上に落ちた芽がでて気根で覆い尽くして枯らしてしまうため、「絞め殺し」と言われているそうです三角駅に戻り、次の目的地に出発です入れ違いで特急イベント列車「A列車で行こう」が入ってきました古き良き時代のジャス「A列車で行こう」そのままのネーミングです車内も大人を意識してバーカウンターまであるそうです網田駅(おうだえき)12月30日久大本線の日田駅から乗った時の運転士さんから教えていただいた駅です天草へ行くんだったら、途中の網田の海岸は素晴らしいよえっ、これはなんですか!ホームに御輿来海岸(おこしきかいがん)の看板がありましたもう、びっくりですこんなにきれいな海岸があるんですか残念、今日はまだ夕方にはなっていないそれでも期待できそう不思議な模様ですこれってなに??御輿来海岸「古事記」「日本書紀」の時代第12代天皇「景行天皇」が九州遠征のおり、余りの美しさに御輿を止めてしばし見入ったところから付いた海岸名今でもこの素晴らしさ、大昔の汚れのない海はそれは素晴らしいものだったでしょうあれ、並走して国道が走っている昨日、熊本から天草へバスで移動したときにここを通ってる?そういえば、天草に着くまでほとんど寝ていたような・・知っていれば寝ずに頑張ったのに時間的にも太陽が傾きかけた時間だから、海が輝いていただろうな残念!それでも幻想的な素晴らしい景色です「日本渚百選」「日本夕日百選」にも選定されている海岸日本一干満の激しい有明海に面していて、干潮のとき、風と砂によって風紋ができますが干潮と夕日のタイミングが合うのは年に10数日だけといいプロ、アマカメラマンが全国から集まるそうです対岸の雲仙普賢岳がうっすらと見えています熊本駅から鹿児島本線に乗り換えます乗り込んできた中年の男性、手に時刻表を持っていました鉄男さんかなhimekyonの大きなザックをみて声をかけてくれました各駅停車で九州一周です僕は岐阜県から、1/1・1/2限定、JR西日本新幹線乗り放題日帰り切符15000円で熊本城を見に来たんですよ、特別公開があってよかったですよ西日本は、米原からなので、岐阜から米原までの切符は別に買ってきましたが通常の半額以下で日帰りができますよ。himekyonは昨日熊本城に行きましたがお休みで城内には入れませんでした。以前は、東日本も元旦限定新幹線乗り放題10000円があって、松島へ日帰りしたことがありますが、今はどうでしょうか・・・駅のパンフレットをもらってきたら、65歳以上だと全九州、3日間新幹線・特急乗り放題で15000円がありました。来年まであれば使えそうです。探せば、まだまだ特割切符あるかもしれませんね、元旦の夕日が沈んでいきます大分県鳥栖駅(とすえき)で長崎本線に乗り換えです佐賀駅鳥栖駅を1本早い途中駅止まりの列車に乗り、佐賀駅で途中下車、後続の列車を待つことにしました今日の宿泊地は、長崎県諫早(いさはや)今までに九州に5回旅していて、通過していないのが佐賀県のみ見どころいっぱいの佐賀県、宿泊地の候補もありましたが九州一周ともなれば長崎県も入れなければ長崎市内、ハウステンボス、島原半島、雲仙は亡き友と行っているので諫早に泊まって通過だけでもいいのかなとは思いつつ亡き友と行った長崎にもう一度行ってみたい気もするし・・・長崎泊にすると21時過ぎの到着で遅くなるし・・もしかして、気が変わって天草から島原へフェリーで渡るかもしれないし・・・気持ちが定まらず、諫早ならばどちらにも動けるはずと出発の前日に決定したのでした。佐賀駅前のイルミネーション面浮立(めんぶりゅう)佐賀県を代表する鹿島市の伝統芸能だそうですホームにあったえびす大黒像日本で一番えびす大黒天が多い県なのだそうです地域、地域それぞれに誇れるものがあるのですね待ち時間のあいだ、夕食の買い物、明日の朝食などを買って後続の列車に乗り諫早に向かいました。20時48分諫早駅に着きましたコンビニもお店もありません、居酒屋があったのみ、繁華街は別の場所なんですね。。。佐賀駅で買い物しておいてよかった翌日、どこを回るにしても便利かと思ったのが大間違い夜遅くなっても長崎に到着しておいて、夜のうちに回れるところを回っておくべきでした。列車の中から長崎稲佐山ロープウェーに電話してみましたがこちらは長崎に泊まったとしても間に合わなかったようです
2014/02/10
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もしかしてこれは富士山?もしかしなくても間違いなく富士山ですよねなんとなんと最寄り駅のエレベーターの中から見えました<もちろん千葉からは、東京湾を挟んで対岸に富士山がみえるんですが・・・3年も住んでいる家の最寄り駅からみえたのです昨日の大雪で電車は運休して、午後からやっと途中まで動きだしました改札を出てエレベーターに乗り、ガラス窓をみていたら???あれ、もしかして下に降りたけど、だれも乗っていなかったのでまた上にあがって確かめました3回ほど降りたり、昇ったりしちゃいました。下に降りてからもどこかみえるところないかなと探したけど残念昨日の大雪が嘘のような青空で、夕焼けは真っ赤でした昨日の千葉は、観測史上1位の大雪で30年ぶりに積雪量の記録を塗り替えて30センチとのことでした。朝、コンビニへ買い物へ出たら、ずぼずぼもぐってしまいました。コンビニへの輸送トラック、動けなくなったのか、道路に乗り捨ててありました。朝陽が当たり始めましたコンビニの雪だるま雪に埋もれた、倒れた自転車吹雪のあとがわかるご近所の家お隣さんの門 埋もれてるアパートの屋根 雪庇ここは山ではありませんねでも落ちたら怪我します待っても待っても・・動かない電車真っ赤な夕日明日の朝の凍結が怖いです出かけるとき、お隣さんの家族駐車場の雪かきを帰ってきたら大きなかまくらができていました。子供の数だけ穴が開いてました(3つ)駅の活け花はサンシュユ外は大雪でも春を感じますね梅も咲いていた
2014/02/09
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夜中3時ごろから降り出した雪テレビでは積雪情報をずっと流していますが、午前中はさほどの雪ではなくこのままならそんなに積もらないかなと思いきや午後からは強風になり横殴りの雪でみるみる積もりだしました20年ぶりの大雪だそうですプランターにも雪が積もっていますお向かいさんの家のバイクにも横殴りの雪がたたきつけています雪国では日常てきなことなのでしょうが都心部は大混乱ですあちこちでスリップ事故が起こり公共交通機関も運休が続いています停電も相次ぎ都市機能も混乱が出てきています明日朝以降の道路凍結が心配になりますねそんななかソチオリンピックが開会しましたねテレビの画面を写してみましたこういうのをUPするのってどうなのでしょうねダメでしたら削除しますやはり、テレビからの画像は違法になるようですので削除しました。TSANYOさんありがとうございました。
2014/02/08
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久々にやってしまいました。疲れていたのかな・・・下書き登録しながら書いていた日記、消してしまいました。Win8になってからなんかしっくりいきません。下書き画面がいっぱいできちゃいますここのところ、同じようなことがあって、気にしながらこまめに消していたらUP終わったと思ってなにげに削除を押してしまいました。同じものを書くのはとてもできませんフォト蔵さんもイマイチなんですが・・気分転換にお散歩写真をUPしますフキノトウ(蕗の薹)今年お初です立春も過ぎてだいぶ春が近づいてきましたね毎年見かけるような蕗の薹とはちょっと違いますねスーパーに出始めのころの温室育ちの蕗の薹みたいな感じですてんぷらが食べたい!と思いましたが・・よそ様のお宅の道路側にでていたので採るわけにはいきませんね野山で食べられるものもほとんど採ることをしないhimekyonですが・・フキノトウだけはあったら採りたいなって思うんです・・・勝手ですねヒメオドリコソウ(姫踊子草)ホトケノザはあちこちで見かけていますがこちらは今年お初ですホトケノザ(仏の座)オオイヌノフグリというよりもホシノヒトミ(星の瞳)のほうがロマンチックですよねルリカラクサ(瑠璃唐草)も素敵ね今日はマクロレンズを持っていなかったので小さいお花が撮れませんナズナ(薺) 別名/ぺんぺん草愛ずる菜が訛ってナズナになったという説が別名のぺんぺん草は種の形が三味線のバチに似ているからが由来です子供のころ、種の柄を下に引っ張って遊んだのが懐かしいですナズナ今年の春の七草をスーパーで買ったらナズナが一つ入っていました買わなくたって道端にたくさん生えているのにねアクが少ないから、天ぷらや、味噌汁の菜にするとおいしいそうですがなかなか・・・コハコベ(小繁縷)?茎が赤紫色で小型のハコベをコハコベというらしいけど図鑑ではハコベもコハコベも一緒にしてハコベと呼んでいると書いてありました。コハコベ?春の七草をスーパーで買ったら、パックのほとんどがハコベで他は一つづつでした紅梅今年は白梅には出会えていませんロウバイ(蝋梅)やっと近くで出会えましたマクロレンズも持って歩かないとダメですね最近全然お出かけしないから・・・メジロさんメタボさんになってません?himekyonはメタボになっちゃいましたダイエットしなければ・・・路傍の如意輪観音様?と庚申塔?いつのころからあるのでしょうか年号が読み取れませんお花が生けられて信仰が厚いのですねやさしいお顔です日差しも柔らかく春遠からじと思ったら・・・日影は真っ白です2日前の雪が解けていません明日は関東でも大雪の予報ですちょっと春が遠のいちゃうかな・・
2014/02/07
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年末年始の各駅停車で九州一周26年1月1日 6日目天草で年越しをして、次の目的地へ、船で渡ったほうが6時間も早いのに、ここは正当に列車旅をしましょうイルカウォッチングのあと、バスで本土へ戻ります天草の島は広すぎて観光するには、車がないと不便です。バスを乗り継ぎながら観光したら1日では回りきれないと思います。今回はイルカウォッチングだけで、島の観光はパスですバスの運転手さんに尋ねると、三角西港にバス停があって止まるけど、三角駅から列車に乗るんだったら、三角駅で降りて、循環バスで行ったほうがいいのではと教えてもらい、三角駅で降りました三角線(みすみせん)三角駅三角東港・フェリーターミナル・海のピラミッド巻貝のように螺旋状になった外通路があり、先端まで行けます三角西港が狭く東港が整備されて鉄道も通り発展して、三角ー島原間や天草諸島へのフェリーが運行されて賑わっていましたが、天草五橋が完成したことにより、旅客、貨物ともにフェリーの需要が減り廃止された航路がいくつかあるそうです三角東港フェリーターミナル・海のピラミッド先端部フェリーターミナル・海のピラミッドから三角駅と三角の街フェリーターミナル・海のピラミッドからみた三角東港の海列車の発車時間までに観光してくればよしとロッカーに荷物を預けてバス乗り場へ行くと1時間後までバスがない、失敗!バスの運転手さんの言葉を鵜呑みにしてしまったhimekyon運転手さんをせめてはダメ、大雑把で行けばなんとかなるかで詳しく調べてないのが悪いのだバスを待っていたら、列車の時間に間に合わなくなる仕方がなくタクシーを利用して三角西港へ街灯三角西港からの天草五橋一号橋天草五橋は本土側宇土半島三角から対岸の天草大矢野島への一号橋から松島・前島まで五つの橋がかかっています三角西港明治20年に国費が投入されて築かれた港を築港(ちっこう)というそうです近代港湾では日本で最古の港で宮城県野蒜築港、福井県の三国港とともに明治時代の三大築港と言われているそうです昭和初期まで発展してにぎわった西港ですが、山が迫り街を広げることができなくて三角に東港が建設され鉄道も通り、西港は衰退していきましたが、原形のままに残ったことにより、貴重な港湾遺跡として国の重要文化財の指定を受けて、当時の保存、復元、整備事業に取り組み、九州・山口近代化産業遺産として、世界遺産に暫定登録されたそうですローウェン・ホルスト・ムルドル氏オランダ人の水工技師で築港にあたり、熊本県から出されていた別の候補地よりも三角港が天然の良港と進言して三角港に決定したのだそうです富岡敬明翁像熊本県知事のとき、熊本市内に築港予定だった案をムルドルの調査を信じて三角に変更した人で退庁してから、毎日のように馬で駆けつけて人夫たちを激励したそうで土木知事といわれたそうです。人夫はほとんどが囚人だったとか4年前に行った北海道のトンネルも網走刑務所の囚人たちによって造られたと聞きましたムルドル氏設計により3年がかりでできた石積みの埠頭と三角海運倉庫今はレストランに改装されています三角海運倉庫三角海運倉庫中の水路水路橋中の水路街には3本の石積みの水路が通されて海から引いた海水で街を浮町にするように設計されたようですが海の水はいっぱいにはならなかったそうです龍驤館(りゅうじょうかん)(旧公会堂)明治天皇即位50年を記念して大正時代に宇土市教育委員会が建てた洋館明治天皇が視察されたときに乗ってきたお召艦の名前にちなんでつけられたそうです復元された浦島屋(旧旅館)小泉八雲が長崎からの帰途に立ち寄り「夏の日の夢」という紀行文を書いた舞台になった旅館解体されて中国大連に運ばれて移築されたそうで平成4年に設計図を基に復元されたそうです浦島屋旧高田回漕店(修復)開港と同時に熊本から進出して4艘の船を持ち沿岸の旅客、貨物輸送の取次をしていたそうですムルドルハウスムルドル氏にちなんでつけられた新しく建てられた建物ムルドルハウス(物産館)山の手には、九州海技学院、法の館がありましたが時間がなくてパス多分、正面奥と左の大きな建物かな海技学院はもと宇土郡役所だったところは日本で唯一の自治体による海技学校法の館は、旧簡易裁判所だったところで現在は法廷の仕組みをみせているそうです
2014/02/06
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年末年始の各駅停車の旅、ちょっと列車の旅とは外れちゃったけど、熊本・天草で新年を迎えました26年1月1日初日の出を千厳山迎え、ホテルに戻ってお節の朝食をいただき次の目的地に出発ですこれが大変なことになりました。年末の出発前日に届いた上天草市観光センターからの観光パンフレット、目にとまったのが、元旦も運行している「イルカウォッチング」これはぜひ、体験してみたい宿で尋ねると、五号橋を渡った先の乗船場までは歩いて15分くらい、食事が出るのが遅かったのでギリギリかなそうそう孫にクルマエビも送らなくっちゃ、急いで宿をでて、選ぶ暇もなく宅急便で送ってもらう手続きをして急いで歩きます看板があり、意外と近いじゃないとチケット売り場に行くとイルカウォッチングは休みです、えっ、違うんですか?別の五橋めぐりの会社でした。どおりで近いと思った・・・時間のロスに焦りました走りながらもこのままだと出航の時間に間に合わない、どうしよう電話番号を控えていないし・・あきらめるより仕方がないかそうだ、宿の連絡先は携帯に入っている、急いで宿に連絡して、運航会社へ連絡してもらうように頼みました。ハアハアゼーゼー重いザックを背負いながら走りましたすると、五号橋手前で走ってきた車が止まりました。「出航直前です。急いで車に乗ってください」宿から連絡を受けた運航会社の車が迎えに来てくださったのです。ギリギリ間に合って出航です乗客はおじいちゃん、おばあちゃんはじめ、生後3か月ぐらいのひ孫を含めた12人ほどの大家族と一緒です。若者たちは大はしゃぎで甲板にでていました梯子を昇って2階からもみることができますがhimekyonはしばらくは船内に天草五橋の4号橋です天草五橋を架ける際の材料の土砂はこの島を崩して運ばれたそうです湯島 別名/談合島天草と島原半島のほぼ中間にある島島原の乱では、天草と島原のリーダーたちがここに集まって談合したと伝えられています現在500人ほどの人が暮らしているそうです出航して島原半島に近い海域まで行きますA地域は、天草と島原半島との間の早崎海峡海峡ではほぼ毎日見られるそうですが今日は波が荒く、B地域に近いところに行きます船長さんが目を凝らして探しながら走らせますこの海域でみられるイルカミナミハンドゥイルカ島原半島が近づいてきましたでも今日は雲仙普賢岳はみえませんかなり波が荒いです波の高さ3mはあるそうで船が大きく揺れますこれだけ揺れたら酔いそうですが全然平気でした赤ちゃんには揺れが気持ちよかったのか、最後までぐっすりと寝ていました赤ちゃんのお父さん、トイレに入ろうとしたようですが・・無理だよ~・・だったそうです島原側からのイルカウォッチングの船波が荒くて船が揺れて写真も思うように撮れませんイルカさんは揺れる波が好きなのでそろそろイルカさんが見えますよ~目を凝らしているといた、いた、いた~乗客は興奮して必死にイルカを探しますもちろんhimekyonもシャッター押しまくりですがほとんど撮れていませんでしたどこから現れるかわからないイルカさんたちですほら、あそこにほら、こっちにもしかし、船が揺れて写真が撮れませんかろうじて左端に写っていますトリミングしてみましたトリミングトリミングこれほど波が荒くなければ、すぐ近くでイルカさんと遭遇できるそうですが・・クルージングは2時間波が荒く到着に1時間かかってしまったため現地にいた時間は10分ほど戻る時間がきてしまいましたイルカと遭遇できなかった場合は、また乗船できる無料券がいただけるようですがみられなくて券をいただいても次回がない観光客ですからわずかでも遭遇できてラッキーですこの灯台を過ぎると波も少し穏やかになりましたたくさんの鳥が舞っていますガイドさんからあの下には魚の群れがいるんですよ湯島が遠くなり、天草が近づいてきます船内の扉に映るhimekyonの記念撮影ですガイドさんは立っていますが揺れる船で立つのは結構大変です長椅子は固定されていないため、激しく揺れると椅子まで動いてしまいます天草松島といわれる島が点在する天草に戻ってきました太陽が出て海が輝いてきました天草五橋の五号橋1本釣りの漁師さんでしょうか「あまくさアジ」というのがあるそうですが釣り上げたアジを新鮮なままに食卓にと試行錯誤して「あまくさアジ」のブランド化に成功したのだそうですが天草漁港天草五橋4号橋くまもんがお出迎え無事に戻ってきました大家族の長老のおおじいちゃま昔、漁師をしていたときの思い出話を船の中で家族に話していました懐かしんでいましたよ本土へ戻るバス停に咲いていた菜の花
2014/02/05
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年末年始の各駅停車の旅、4年目は九州一周を目ざしています東京ー福岡ー鹿児島ー宮崎ー大分ー熊本2014年1月1日(6日目)いよいよ26年のスタートです26年新年の初日の出 熊本天草・千厳山(せんがんざん)より初日の出はどこにする、もしかして天草ならみられるのでは・・出発の5日ほど前、徒歩で行けるご来光の場所はありますかと天草市役所の観光課に電話で尋ねると、調べてからご連絡しますと夕方になって連絡をいただきました40分ほど歩けば、千厳山の山頂からみられますと、今回、由布岳に登れなかったので、山登りで初日の出、願ったりかなったり~元旦の朝、5時に目覚ましをかけて目が覚めると夜明けの遅い九州もちろん外は真っ暗気持ちが萎えます止めようかな・・・もうちょっと待ってみようかな・・・でも遅れて後悔するんだったら思い切らないと・・・重い腰をあげて出発です反対方向に少し歩くと昨日降りたバス停があり、コンビニに寄って、間食とホット飲み物を買い千厳山のことを尋ねると、元旦のご来光は皆さんが行きますから心配ないですよヘッドランプを点けて歩きだしてもだれも歩く人はいません。もちろん車がないと生活できないような街だから歩いて行く人はいないでしょうしかし、広い車道だけど街灯もなく、車も通りませんほんとうに大丈夫?竹林が風に揺れてざわざわと音を立てて不気味ですどうしよう、戻ろうか、でもここまできて戻るのも・・勇気をだして行くべきだよ自問自答しながら歩きますまっ、天草には熊はいないし、危険な動物はいないと思うし・・・心細く歩いていくと、駐車場が見えてきて、車が数台止まっています着いた!ホッとしました近くにいた若者に聞くと、山頂はまだ先で岩の道を登るようですえっ、まだ先があるのちょっと怖そう千厳山(せんがんざん)標高162mhimekyonの今年の初登りの山でした162mとはいえ、0メートルの海岸から登るわけですからそれなりでした島原の乱で、天草四郎がキリシタンの信徒を集めて出陣の酒を手酌で酌み交わしたところで手酌山とも言われていたそうですその後、たくさんの奇岩怪岩ででできているので千厳山と名付けられたそうです6時46分山頂からの天草の島々まだまだ明かりが灯る街三脚がないので、東屋の柱に体を固定してスローシャッターで・・ブレブレです6時59分少しづつ明るさがでてきましたこちらのご夫婦と話をしたら・・海の上からの初日の出を想像していたのに本土の八代のほうから太陽が上がるから九州の山に阻まれて海からはあがらないよ千葉には九十九里が初日の出のスポットがあるのに九州まで来たの?なんて言われちゃいました。灯台下暗しというのがありますねこのご夫婦は太陽が昇らないとあきらめて帰ってしまいましたこの若者たちは、ずっと騒いでいました。まるまる太った野良ニャンもご来光を見る?7時25分雲にうっすらと赤味がもしかして?7時29分出た~26年初日の出です100人ぐらい集まった人たちから一斉に歓声があがりました7時31分7時32分7時35分7時37分太陽は雲の中にこちらは、地元の若者です左から2番目の娘さんは大学の冒険クラブに入っていて先日は由布岳に登って雪遊びをしてきたと話してくれましたhimekyonの靴や、サブザック、ダウンジャケットをみて山登りの格好だけど、どこの山へ登るのかと興味があったそうです天草五橋の一部が見えますこちらのご夫婦は名古屋から長い休みの時に車に寝泊まりして百名山~三百名山を登っているそうで昨日は島原の雲仙普賢岳に登ってフェリーで渡ってきたそうです下まで送りますよと声をかけていただきましたが帰りも歩いて戻りますキリシタン殉教の丘ヒメコマツ(姫小松)が自生する岩場ウラジロ(裏白)?藪椿が咲き出していましたなんというかんきつ類ツルソバこれはなんだろう?マメヅタの胞子イヌホオズキ?シマカンギク?(島寒菊)きれいなのはぶれちゃって撮れてませんでしたコバノタツナミ(小葉の立浪)シロハラメジロ茶色の建物がホテルですホテルからみた千厳山朝ごはんお節がでまいしたお雑煮はおおきな丸餅が入った具だくさんでした辛子レンコンは九州の名物ですね、干し柿が付いていたのは天草の習わしでしょうか、数の子が付いていました煮物では牛蒡の切り方が細長く珍しいなと
2014/02/04
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各駅停車で九州の旅12月31日 5日目25年の大みそか、熊本市内からバスに乗り天草へ向かいました。さすがに朝からの疲れがでたのか、バスの中ではウトウト、目が覚めたら着いていました列車の旅だけど、新年は初日の出と海の幸が食べたいと海のあるところを選びました。しかし、やっぱりおひとりさまは難しい・・・天草の市役所観光課に電話で問い合わせしたら、2軒の宿を紹介してもらい1軒目は、この時期はおひとりさまはお断りしていますと、2軒目はOKでその場で予約をしました。出発の前日、観光課からバスの時刻表やら観光パンフレットたくさん届きました。間に合ってよかった。どこをまわるかは旅をしながら検討すればいいかなと天草はたくさんの島があるということを漠然とは知っていましたが、大きく分けて上島と下島があり、himekyonが電話したのは、本土に近い上島にある上天草市の観光課だったようです。下島は別の市になっていたので、そちらにも電話すればよかったのでしょうが、天草へ行くまでわかりませんでした。宿は上島の中にある松島というところで、熊本市内から1時間40分、下島の奥まで行くにはさらに1時間かかるようです。天草五橋(パールライン)五号橋九州本土・三角から天草松島まで五橋がかけられて真珠の養殖が盛んところからパールラインと名付けられているそうです開通時は有料道路だったのが、島への足が便利になり利用客が多く9年で償還が終わり、無料化されたそうです。五号橋の手前から下島への有料道路もあります天草・松島は島が点在しえいるところから、日本三大松島に数えられているそうです松島といえば、宮城県の松島と思っていましたが、各地にあるのですね。日本全国で「○○の松島」というのが10ケ所位あるようです。ちなみに三大松島のもうひとつは、長崎県の九十九島なのだそうです海岸を思い浮かべて行ったのに、周りを山に囲まれた漁港で海岸(砂浜)はありませんそして・・・なんと今日のお宿は一応名前は「ホテル○○」さびれた4階建ての建物でエレベーターがありません部屋は3階、温泉は4階です、疲れた足を引きずりながら重い荷物を背負って3階まで・・・これじゃ、食事も期待できないかな・・おまけに25年最後の夕日が見られるかと思ったのに・・山に隠れて見えない・・・もうがっくり・・・それでも明るいうちにどこか見学できるところはないかとウロウロ・・若者がひとり釣をしていたので声をかけてみました。休みで故郷へ帰ってきて釣がしたくなったのだとコウイカを釣っているけど、まだ釣果はゼロだって漁港の広場に龍の足湯宿に戻ると1階のテーブルに名前の貼ってある大きなパック詰めの料理がたくさん並んでいて地元の人が取りにきていました。ホテルとか旅館って感じのところではなく、仕出しやさんって感じかな部屋に戻ると食事の用意ができていて、隣の部屋では宴会が始まってにぎやかでした温泉に入ってから、久しぶりにゆっくりと紅白歌合戦を見ながら食事をしました。天草は車えび漁が盛んなところのようで塩焼きと海老フライがついていました何の刺身かはわからなかったけど、コリコリとしてさすがにおいしかったです焼き魚、これも名前がわかりませんが脂がのっておいしかったです豪華な盛り付けではなかったけれど、それなりにおいしくて結構お腹いっぱいになりました紅白が終わり、ゆく年くる年をみながら・・・元旦は早起きしなければと1年の最後の眠りにつきました今年も無事に1年が終わりました
2014/02/03
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長い年末年始の休暇を利用して各駅停車でめぐる九州の旅も5日目を迎えて熊本に着きました12月31日 5日目熊本といえば阿蘇、残念ながら今回は廻ることができません。九州の中央部をほぼ並行して走る2つの路線一つは大分から由布院を通って久留米までの久大本線もう一つは大分から阿蘇を通って熊本までの豊肥本線計画の段階では、由布院も阿蘇も行ってみたいとは思っていました。しかし、今回は、鹿児島の友達に会う日にちが決まっていたので鹿児島に直行となると、そのあとの行程でどちらかを選択しなければなならなくなりました。阿蘇は観光で1度と、登山で祖母山、九重連山、阿蘇山と登っています、雄大な阿蘇の景色をもう一度とは思いましたが阿蘇を選択するとなると車がなければ1日では廻れそうにありません今回は選択肢から外れました。・・10年余り前、今は亡き友達とツアーで訪れた熊本市内せめて友達と訪れたことのある水前寺公園と熊本城を再訪してみたいと今夜の宿泊地へのバスの時間を2時間遅らせてまわりました。友達とツアーで行ったときの熊本城は修復中でシートがかぶっていた記憶があります今回は大みそかで休館中、年末年始は、公共施設はほとんどが休館になってしまいます明日(元旦)は開くそうですが縁がないんですね水前寺公園をあとにして、路面電車に乗りバスセンターへ時間を見るとまだ少し余裕がありそうなので一つ手前の停留所で降りて熊本城が見えるところまで行ってみることにしました頬当御門(正面入り口)後ろに少し見えるのが熊本城ですお城を顔に見立てたときに、甲冑の頬当てに見えるからと名付けられたとか望遠レンズで撮るとこんな感じ日本三名城のひとつの熊本城しかし、日本で現存するお城12城には入っていません明治時代の廃城令がでて、建造物が次々に取り壊されるなか西南の役で天守閣、本丸御殿が焼けて、昭和に入り鉄筋コンクリートで復元されたものだそうです明治時代ってなんだったのでしょうね。武士の世界から近代への移行する時代で古いものを切り捨てるのが、よいことだと思ったのでしょうかパンフレットもなく、櫓の名前がわかりませんが備前掘に沿って建てられていたので飯田丸五階櫓あたりかな?熊本城は、初代の城主、加藤清正により7年かけて築城され城で堅牢な石垣で有名だそうです 加藤清正像は、お城の外にありました ギリギリでバスセンターに着きました。大みそか、各地へのバス乗り場はどこも帰省客でごった返していました。本土から天草へ帰省する人たちも大勢いました13時台のバスは満員で乗り切れずに15人ほどが、待たされたそうで優先的に先に乗り、そのあとから乗ったらなんとか座われました電車ではあまり寝ることはありませんが、うとうとしたようで1時間40分、目が覚めたら天草に着いていました
2014/02/02
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今日から2月です。1月はあっという間に終わってしまいました。いろいろあって一度もお出かけすることなく終わってしまいました。それでも年末年始の旅日記が終わりません。いまさらと思うかもしれませんね。でも記録に残すことにより、思い出も新たになりますので、最後まで書きたいと思います12月31日 5日目水前寺公園は阿蘇の伏流水が何か所も湧き出しているそうで、池の水が澄んできれいですアオサギ(青鷺)すぐ近くにいましたが、設定を間違えていたようでみんなブレブレ動いているものはすべて失敗でしたアオサギとヒドリガモヒドリガモ(緋鳥鴨)とユリカモメヒドリガモ日中は休んだり、水草などを食べて夕方に田んぼなどに向かい、餌を探すそうですユリカモメ時々一斉に飛び立ちます くちばしと脚が赤いのでユリカモメと思いますが・・カモメって海にいるものと思いましたが、夜は海で過ごし、昼間は河川にも飛んできて餌を探すそうですユリカモメとヒドリガモ観光客が餌をまくと飛びたって餌を奪い合っています水がきれいなので、大きな鯉がよくみえますユリカモメ(百合鴎)
2014/02/01
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