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【四国八十八箇所霊場巡り ブログリスト】
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11番札所:藤井寺
10番札所:切幡寺をあとにし、吉野川沿いの12号線を下り右折し阿波中央橋を渡る。
下を流れるのは吉野川。
高知県および徳島県を流れる幹川流路延長194 km、流域面積3,750 km2の河川。
最長川幅は荒川の2,537 mに次いで広く、2,380 m。
そして11番札所:藤井寺の駐車場まで約30分。
有料駐車料金300円を支払うSさん。
藤井寺山門。
四国八十八箇所霊場のうち、寺号の「寺」を「じ」ではなく「てら」と読むのはこの寺だけで
あるとのこと。
吉野川を渡り、約3kmの山麓にある藤井寺。
三方を山に囲まれ、渓流の清らかな仙境に心を惹かれた弘法大師が、弘仁6年にこの地で
護摩修法をしたと。大師は42歳の厄年に当たり、自らの厄祓い、衆生(しゅじょう)の
安寧(あんねい)を願い、薬師如来像を刻み堂宇を建立。
このとき空海が堂宇の前に藤を植えたことから藤井寺と号すると。
寺は、真言密教の道場として栄え、七堂伽藍(しちどうがらん)を構える大寺院であったが、
天正年間(1573年~92年)の兵火により焼失。
その後、延宝2年(1647年)に臨済宗の南山国師(なんざんこくし)によって再興。
その時に宗派を臨済宗に改めたと。
四国霊場で臨済宗のお寺は2ヶ寺だけ。もうひとつは高知の33番札所雪蹊寺。
本尊は「厄除け薬師」として親しまれており、国の重要文化財に指定されていると。
山門の仁王像は、野鳥対策か?細かい金網で前面が覆われていたため、仁王像への
焦点が旨く合いませんでしたので遠くから撮影し2枚をコラージュ。
藤井寺 境内配置案内図。
山門を入ると右側に弘法大師お手植えと伝えられている藤の藤棚があり、その後に鐘楼が。
参道は先で右に折れ左側に手水場、水掛け地蔵、不動堂、白龍弁財天堂が並び、
最奥に本堂が建つ。本堂手前右側に大師堂がある。納経所は手水場の向かいにある。
左にはちょっとお茶目な河野清弥太翁の立像あり。
ネットで調べてみると
藤井寺公園保存会初代会長、昭和10年頃から荒廃していた寺を奉仕者を募って再建させ、
新八十八ヶ所、西国三十三観音をも再興した中心人物とのこと。
歴代??の墓碑。
手水舎。
「六道能化」の文字が。
仏語で六道の巷(ちまた)に現れて、衆生を教化し救う地蔵菩薩のこと。
水掛け地蔵とお札流しの札 。
鐘楼。
藤井寺は真言密教の道場として七堂伽藍を持つ寺に発展したが、天正年間(1573年 - 1592年)に
長宗我部元親の兵火によって焼失。延宝2年(1674年)に臨済宗の南山国師が再興したことから
臨済宗に改められたが、天保3年(1832年)に火災によって本尊以外は全焼、その後万延元年
(1860年)に再建されたのが現在の伽藍とのこと。
太師堂。
太師堂内部。
この祠は?
修行大師像。
「焼山寺みち」 。
12番札所で標高938mの山の8合目にある「焼山寺」までの山道は「遍路ころがし」と呼ばれ、
へんろ道で1番の難所だと。
約13kmの山道は健脚で5時間、弱足なら8時間かかると。
申し訳ありませんが我々は車遍路 m( ̄ー ̄)m 。
白龍弁財天。
八本の手を持つ白龍弁財天が祀られている。
八つの手には、弓、矢、刀、蔵の鍵など様々な物を持っていると。
金運、武術、芸術の願いを聞いてくれると。
弁財天内部。
「第八十八番 大窪寺」の文字が。
「西国一番 那智山 青岸渡寺」の文字が。
そして本堂。
三方を山に囲まれ、渓流の清らかな仙境に心を惹かれた弘法大師が、この地で護摩修法を
されたのは弘仁6年のことと。 大師は42歳の厄年に当たり、自らの厄難を祓い、衆生の安寧を
願って薬師如来像を彫造して、堂宇を建立。その地からおよそ200m上の8畳岩に、
金剛不壊といわれる堅固な護摩壇を築いて、一七日間の修法をされた。
その堂宇の前に5色の藤を植えたという由緒から、金剛山藤井寺と称されるようになったと。
金剛山 一乗院 藤井寺(こんごうざん いちじょういん ふじいでら)。
宗派 臨済宗妙心寺派
本尊 薬師如来
創建 弘仁6年(815年)
開祖 空海(弘法大師)
所在 徳島県吉野川市鴨島町飯尾1525
本尊真言 ”おん ころころ せんだりまとうぎ そわか”
屋根の瓦そして正面の彫刻も見事。
鬼瓦としゃちほこならぬ、獅子ほこ。
地元出身画家の作による雲龍の絵が天井いっぱいに描かれていた。
本堂天井に描かれている雲龍は、地元の吉野川市(旧鴨島町)出身の日本画家、林雲渓の作。
本堂を全面改修した昭和52年に描かれたもので、30畳ほどの大きさがあり、にらみをきかせた
表情は迫力満点。
本堂内部の仏像。
本堂回廊横のびんずる様。
納経所。
納経したという証として「納経所」で納経帳に印・「お納経」を頂きました。
そして御本尊様の分身・御影(おみえ・おすがた)も頂きました。
17番札所:井戸寺
次のお遍路先は、順番では12番札所:焼山寺であるが、焼山寺の宿坊は今宵の宿泊場所。
よって17番札所:井戸寺まで行き、時間を見ながら順次12番札所に目指していくことを
決断したのであった。藤井寺から約1時間で17番札所:井戸寺に到着。
駐車場に車を駐め遍路の開始。
仁王門。
大門とも呼ばれます。朱塗りで大型の武家造り。徳島藩主蜂須賀氏の大谷別邸より移築されたと。
阿波10代藩主・蜂須賀重喜公が寄進されたもの。
阿形像。
吽形像。
井戸寺境内配置案内図。
仁王門を入ると左に手水場があり正面奥に本堂が建つ。
手前右側に大師堂があり、左には日限大師堂とその中に面影の井戸がある。
横に鐘楼があって、納経所は日限大師堂の左奥にある。
境内を歩く。正面に本堂。
寺伝によれば、阿波の国司に隣接し天武天皇が勅願道場として673年に創建し、
七堂伽藍、末寺12坊を誇る壮大な寺院となり妙照寺と称していた。
本尊は薬師瑠璃光如来を主尊とする七仏薬師如来で聖徳太子作、また、日光菩薩、月光菩薩は
行基作と伝えられる。伝承ではその後、弘仁6年(815年)に空海(弘法大師)が来錫、
十一面観世音菩薩を刻んで安置したと。
手水舎。
六角形の大悲殿(護摩堂)。
毎月28日に護摩が焚かれると。
太師堂。
正面が日限太師堂(ひかぎりたいしどう)。
太師堂横には薬師如来像。
こちらが日限太師堂正面。
石造の大師像で「水大師」ともいわれます。5日、7日などと日を限って
参拝するとご利益があるのだと。
日限太師堂の内部には「面影の井戸」が。
覗き込んで自分の姿がうつれば無病息災、うつらなければ3年以内の厄災に注意すべしと
いわれている。
おもかげ井戸の由来。
弘仁6年(815年)に弘法大師がこの地を訪れた際に、水不足や濁り水に悩んでいるのを哀れみ、
自らの錫杖で井戸を掘ったところ、一夜にして清水が湧き出したと。
そこで、寺名を「妙照寺」から「井戸寺」にあらため、村の名前も「井戸村」にしたと。
ご詠歌は『おもかげを うつして見れば 井戸の水 むすべば胸の あかや落ちなん』
本堂。
現在は鉄筋コンクリート造り。
本堂を斜めから。
本堂内部。
瑠璃山 真福院 井戸寺(るりざん しんぷくいん いどじ)。
宗派 真言宗善通寺派
本尊 薬師如来
創建 白鳳2年(673年)
開祖 天武天皇(勅願)
所在 徳島県徳島市国府町井戸北屋敷80-1
本尊真言 ”おん ころころ せんだりまとうぎ そわか”
堂内で本尊を拝顔して参拝できました。
ご本尊の横。
本堂の回廊からの境内。
境内の枯山水の庭。
鐘楼。
納経所入口。
納経所は本坊内に。
遍路ポスター「お大師さまと絆を結ぶ遍路旅」。
3年前の平成26年に「四国八十八ヶ所霊場 開創千二百年」 であったと。
納経したという証として「納経所」で納経帳に印・「お納経」を頂きました。
そして御本尊様の分身・御影(おみえ・おすがた)も頂きました。
そして境内の石仏群。
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