JINさんの陽蜂農遠日記

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2017.10.28
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​​ 【四国八十八箇所霊場巡り ブログリスト】

16番札所:観音寺

17番札所:井戸寺から29号線、123号線を走り7分ほどで16番札所:観音寺に到着。 

国府町の住宅街のど真ん中、狭い道路に突如、立派な鐘楼門が出現。

和様の堂々とした楼門であり、こぢんまりした境内に重みを見せている。

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観音寺 境内配置案内図。

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手水場。

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太師堂。

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左下に夜鳴き地蔵尊。

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夜鳴き地蔵尊をズームで。 

「子供の夜泣き止めをお願いして下さい」と。

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本堂横の仏足石。

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本堂より鐘楼門を見る。

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庚申堂と隣に郷友殉国之霊碑。

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八幡大神宮と惣社大御神とが合祀。

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本堂と左下に仏足石。

木造平屋建、正面三間側五間、入母屋屋根及び平入流向拝本瓦葺。

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寺伝によると741年、聖武天皇の勅命により行基が勅願道場として本寺を建立、

816年に弘法大師が巡錫した際に本尊として千手観音像、脇侍に不動明王と

毘沙門天を刻んで安置、現在の寺名に改めたとされる。

いったん天正の兵火(1573~92年)で焼失するが、1659年に

徳島藩主蜂須賀光隆(はちすかみつたか)の支援を受け宥応(ゆうおう)法師が再建。

光耀山 千手院 観音寺(こうようざん せんじゅいん かんおんじ)。

宗派  高野山真言宗

本尊  千手観音

創建  天平13年(741年)

開祖  聖武天皇(勅願) 

所在  徳島県徳島市国府町観音寺49-2

本尊真言 ”おん ばさら たらま きりく” 

扁額には「六無礙」???。

六とは「地と水と、火と風と空と、そして、人の心」。

無礙とは「障りや妨げが無く自由自在であること」とあるが。

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本堂を斜めから。

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修行大師のお姿。

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境内から手水場そして鐘楼門。

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納経したという証として「納経所」で納経帳に印・「お納経」を頂きました。  

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そして御本尊様の分身・御影(おみえ・おすがた)も頂きました。   

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15番札所:国分寺

16番札所:観音寺から192号線を北上し、2km、7分ほどで15番札所:国分寺に到着。

山門。

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「薬王山」と書かれた扁額。

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国分寺 境内配置案内図。

単層の山門を入ると右手に手水場が、左手には地蔵堂、七重塔礎石、鐘楼堂と並び、

正面奥に工事中の本堂がある。

本堂の手前右に大師堂がある。烏瑟沙摩明王堂はその横にある。

納経所は境内の右手奥にあり、庭園の入口は納経所の左にある。

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手水舎には仮設?の水道水が。

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本堂は改修工事中で入れず。

聖武天皇が諸国66の国分寺を建立したうちの一つ。

天平13年(741年)に建立したが、天正年間(1573 - 1592年)土佐の長宗我部元親率いる

軍の兵火によって焼失。長らく荒廃していたが、寛保元年(1741年)に徳島藩主蜂須賀家の命

により郡奉行速水角五郎が復興にかかり、吼山養師和尚が再建したことから宗派も

現在の曹洞宗となったと。

重層の入母屋造りで、聖武天皇、光明皇后の位牌が祀られていると。 

薬王山 金色院 国分寺(やくおうさん こんじきいん こくぶんじ)

宗派  曹洞宗

本尊  薬師如来

創建  天平勝宝8年(756年)以前

開祖  行基

所在  徳島県徳島市国府町矢野718-1

本尊真言 ”おん ころころ せんだりまとうぎ そわか” 

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いつもなら。

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           【 http://cultural-experience.blogspot.jp/2015/11/15.html 】より。

七重塔心礎。

心礎とは礎石の中で七重塔などの木造塔の中心柱(心柱)を受けるもので,

檫礎(さつそ)ともいうと。

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七重塔心礎説明板。

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この心礎の環溝型は珍しいと。塔の元の地か、興禅寺前の近くの水田で発掘され、

ここに運ばれて来たのではないかと。

心礎の大きさは3.75m×1.54m×0.75mで、孔の外周径は1m、内周径は52cm、

溝巾24cm、深さ10/4cmとのこと。

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地蔵堂。

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工事中の本堂に替えての仮本堂は、うすさま明王堂。

うすさま明王堂は不浄の神様で、なんでもひとつ願いを叶えてくださるのだとか。

婦人科の悩みにも霊験あらたかとの事。

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多くの涎掛けが奉納されていた。

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うすさま明王堂正面。

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鳥瑟沙摩明王堂(うすさまみょうおうどう)の明王像は弘法大師が刻まれたもので

不浄除けにご利益があるのだと。

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左手に鐘楼。

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四国霊場には四県に国分寺があり、その最初の札所が「阿波国分寺」である。

仏教に篤く帰依した聖武天皇(在位724〜49)は、天平13年に国家の安穏や五穀豊穣、政教一致、

地方文化の向上などを祈って、勅命により全国68ヶ所に国分寺、国分尼寺を創建したと。

阿波国分尼寺跡はここから北へ約1km、昭和45〜46年に発掘調査が行われ、

金堂・北門跡・寺域などが確認され、寺域は約160m四方に及ぶ広大なものであると。

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納経所。

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納経したという証として「納経所」で納経帳に印・「お納経」を頂きました。  

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そして御本尊様の分身・御影(おみえ・おすがた)も頂きました。  

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Last updated  2020.06.15 15:02:55コメント(0) | コメントを書く


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