JINさんの陽蜂農遠日記

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2018.05.22
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​​ 【四国八十八箇所霊場巡り ブログリスト】 👈リンク​​

​​ 58番札所:仙遊寺( ​​​​ ​​​​​​​​​​​せんゆうじ) ​​​
​​栄福寺から山道をひたすら登って行く。
栄福寺から仙遊寺そして国分寺への走行ルート。
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車の正面に仙遊寺の仁王門が姿を現す。
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仙遊寺 境内配置案内図。
「山門をくぐって石段を上ると弘法大師が錫杖で掘ったと伝えられる井戸がある。
さらに参道を登って行くと境内にたどり着く、目の前に修行大師石像があり、
その先に鐘楼、左に大師堂があり、その先に本堂が建ち中に納経所がある。
千体仏は本堂左奥にある。」
​​


山門(仁王門)を正面から。
扁額には「補陀落山」の文字が。
仙遊寺の山号は『作礼山』だが、観音菩薩の住居あるいは降り立つ山を『補陀落』と言い、
本尊:千手観世音菩薩が安置される寺院ということで、『補陀落山』の額を掲げていると。
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仁王阿形像。
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仁王吽形像。
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​​更に山を登り駐車場に到着。
赤ちゃんを抱かれた子安観音像が駐車場の横に。
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無縁地蔵菩薩。
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仙遊寺 四十六世沙弥宥璉?住職の墓碑か。
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仙遊寺 おねがい地蔵建立の勧め。
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手水舎。
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大師堂。
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この石仏群は?
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鐘楼。
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お砂踏み霊場と弘法大師像。
​​八十八ヶ所の本尊の弘法大師像を一回りすることにより、八十八ヶ所をお参りした事になると。
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密厳浄土と刻まれた石塔。
密厳浄土とは大日如来がいる浄土。
大乗密厳経に説く、三密で荘厳された浄土で、密厳国・密厳仏国ともいう。
真言宗では、このけがれた国土そのままが密厳仏国であると説く。
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山門(仁王門)へと続く石段の参道。
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境内。
​​正面に本堂が。
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四国のみち案内図。
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本堂。
「天智天皇の勅願によって伊予の大守越智守興が堂宇を建立した。
本尊の千手観世音菩薩は海から上がってきた竜女が一刀三礼して彫ったという言い伝えがある。
また、 40 年にわたって伽藍を整備した阿坊仙人という僧が本寺に暮らしていたが
養老 2 年( 718 年)に突然姿を消してしまったことが寺名の由来になっているという。
空海(弘法大師)が本寺に逗留して修法を行った折には、伽藍を復興し井戸を掘ったとされる。
江戸時代に荒廃してしまったが、明治初期に宥蓮上人が再興した。
​​ 1947 年に山火事に遭い消失、 1953 年に昔のまま再建した。」
​​二層破風建築の本堂。


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本堂扁額は「千手観音尊」。
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お参りする旅友。
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作礼山  千光院  仙遊寺(されいざん  せんこういん  せんゆうじ )
宗派: 高野山真言宗
本尊: 千手観音
創建: 不詳
開基:(伝)越智守興
所在:    愛媛県今治市玉川町別所甲 483
本尊真言:”おん ばさら たらま きりく”
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本堂内部。
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賓頭盧尊者。
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札所番号の刻まれた石仏群。
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納経したという証として「納経所」で納経帳に印・「お納経」を頂きました。
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そして御本尊様の分身・御影(おみえ・おすがた)も頂きました 。
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​​ 59番札所:国分寺( ​​​​ ​​​​​​​​​​​こくぶんじ) ​​​ ​​
​​​​仙遊寺から山道を再び下り桜を楽しみながら国分寺を目指す。
​​

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ドライバーの旅友はカメラをフロントガラスの近くにSETしリモコンで車窓風景を撮す。
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そして59番札所:(伊予)国分寺に到着。


(伊予)国分寺 境内配置案内図。
「数段の石段を上ると右に鐘楼があり、正面の石柱門を入ると境内である。
すぐ左に手水場(薬壺から水が出る)があり、右には薬師如来の薬壺、握手修行大師像があり、
正面に本堂が建つ。本堂の右側に大師堂があり、左に書院、納経所がある。」



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「聖武天皇勅願所 第五拾九番霊場 准別格本山 国分寺」と刻まれた石柱が。
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境内入口の桜も満開。
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鐘楼。
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正面に本堂。
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境内に入って直ぐ右手には握手をして祈願すると願いが叶う「握手修行大師像」。
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「お大師様と握手をして願い事を「一つだけ」
 あれもこれもはいけません
 お大師様も忙しいですから」 と。
​​私も握手をして願い事を「一つだけ」。
​​


修行大師の横には「薬師のつぼ」が。
体の悪い部分の文字に触れると治るといわれる「薬師のつぼ」。
​​こちらも、ここもあそこもはいけません?
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「​​弘法大師一千二百回遠忌報恩謝徳也」と刻まれた石柱。
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​​
手水舎。
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とく、とく弁天。



本堂
天平 13 年( 741 年)、聖武天皇が発した国分寺建立の詔によって建立された諸国国分寺の一つ。
寺伝では聖武天皇の勅願により行基が開創し、後に空海(弘法大師)が長期にわたって逗留し
五大明王像を残したとされる
史実としては、具体的な創建年は定かでないが、『続日本紀』には天平勝宝 8 年( 756 年)、
伊予国を含む 26 か国の国分寺に仏具等を下賜したとの記載があり、この頃には完成していた。
長宗我部元親の侵攻の際に焼き討ちにあって荒廃したが、後に再興される。
焼き討ちの際に焼失を免れた多くの古文書によって律令制衰退後に国分寺の多くが荒廃して
行く中で同寺が伊予における仏教信仰の中心地として曲がりなりにも維持されて来た事が
明らかになっている。
現在の境内は伊予国府のあった所とされ、かつての境内は東へやや離れた位置にあったとされる。
寺の東方 100m ほどのところに塔の礎石が残されており、かつての国分寺東塔跡と認められている。
現在の本堂は寛政元年(1789年)に再建されたもの。
伝行基菩薩作の本尊・薬師如来像は県指定文化財。
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金光山  最勝院  国分寺(こんごうざん  さいしょういん  こくぶんじ)
宗派: 真言律宗
本尊: 薬師瑠璃光如来
創建: 天平勝宝 8 年( 756 年)以前
開基:  (伝)行基
所在:    愛媛県今治市国分 4-1-33
本尊真言:”おん ころころ せんだりまとうぎ そわか”
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本堂内部。
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本尊の薬師如来の石像も。
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大師像。
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「七福神石仏」も赤い帽子、涎掛けで。
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「七福神石仏」の後ろに鐘楼。
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本堂を境内の別の場所から。
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反対側から。
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境内の風景。
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春日神社の石鳥居。
​​文化銘の鳥居、嘉永銘の狛犬があると。
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春日神社と刻まれた石碑。
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階段の上に春日神社拝殿。
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境内の遠景。
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境内の桜と奥に中門が見えた。
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納経所に向かう。
​​書院が正面に。
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納経所。
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納経したという証として「納経所」で納経帳に印・「お納経」を頂きました。
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そして御本尊様の分身・御影(おみえ・おすがた)も頂きました 。
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                   ・・・​ つづく ​・・・






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Last updated  2020.06.15 15:44:13
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