JINさんの陽蜂農遠日記

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2018.11.02
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カテゴリ: 海外旅行
第1回廊と第2回廊を繋ぐ十字回廊に進む。
十字の回廊の脇にある4つの沐浴池は高僧たちの沐浴する場、王が祈りの前に
身を清める場など諸説があるのだと。
第2回廊側の南の沐浴池。



第2回廊側の北の沐浴池。



十字回廊の中央で添乗員がスマホのソフトにて方位を確認し説明する。
アンコール遺跡群のほとんどが東向きであるのに対して、アンコール・ワットは
西向きに建てられているのだと。
「王の墳墓として創建された為、日が沈む方角(=人生の終焉)を向いている」、




第1回廊側北側の沐浴池。



第1回廊側南側の沐浴池。



徳川三代将軍家光より仏教の聖地「祇園精舎」視察の命を受けて、このアンコール・ワットを
インドの「祇園精舎」と思い込んでこの地を訪れた日本人の落書きの跡が残っているのだと。
柱に書かれた落書きは、文面からすると、加藤清正の家臣だった森本右近太夫が、
亡き父母の菩提を弔って、仏像四体を奉納した記念に書いたものであったと。
その落書きを見てもまったく読み取れない。写真だけは残しておこうと思って撮ってきた。
それが下の写真である。



落書きの文面 ​は
『寛永九年正月初而此所来 生国日本 肥州之住人藤原之朝臣森本右近太夫 一房

 其仏像四躰立奉者也 摂州津池田之住人森本儀太夫
 右実名一吉善魂道仙士為娑婆 是書物也
 尾州之国名谷之都後室其 老母亡魂明信大姉為後世是 書物也
 寛永九年正月廿日』と書かれていたと。

「寛永九年正月に初めて此所に来る。生国日本、肥州の住人、藤原の朝臣森本右近太夫一房、

其の為に仏四体を奉るものなり。摂州津国池田の住人森本儀太夫右実名一吉、善魂道仙士、
裟婆の為に是を書くものなり。尾州の国名谷の都、後、其の室老母の亡魂、明信大姉の
後世の為に是を書くものなり。寛永九年正月廿日」

その大意は、「日本の肥州肥前或いは肥後国の住人である藤原朝臣森本右近太夫一房は、
寛永九年正月にはるばる数千里の海上を渡ってこの御堂祇園精舎に参詣し、
摂津池田の住人である父森本儀太夫一吉の現世利益と、尾張名古屋出身の亡母明信大姉の
後生の為に四体の仏像を奉納したことを書くものである。寛永九年正月二十日」ということらしい。




十字回廊の天井。



再びデバター。



第1回廊西塔門周辺を沐浴池側から。



第1回廊内部。



夕日が差し込んで。



高さが約四メートルのヴィシュヌ神。



西参道の十字テラスよりアンコール・ワットを振り返る。



ズームで。



西参道を戻りながら、夕陽に輝くアンコール・ワットの姿を。



北側の経蔵。



西参道の石畳に映る自分の影を。



南側の経蔵。



北側の経蔵をズームで。



夕陽が西塔門越しに沈んでいく。



中央祠堂を。



西塔門上部の彫刻。



西塔門の像。



環濠を望む。



再び西塔門を。



第1回廊とナーガ。


環濠に陽光が映り込む。



ズームで。



夕陽に映える西塔門をこれでもかと。




アンコール・ワットの5個の塔をこの日の最後に。



そして観光後は、民芸品店に立ち寄り、ショッピング。
そして夕飯は中華料理を楽しんだのであった。





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                    ・・・​ つづく ​・・・





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Last updated  2019.11.01 23:04:24
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