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『旧東海道を歩く』ブログ 目次
旧東海道は清水区銀座を右折。
『江尻宿』道標。
江尻は巴川の尻、すなわち海にそそぐ所の意味。巴川を旧東海道がわたる稚児橋を中心に
宿場町が つづいていた。
こんにち、江尻町となっている中町、下町、魚町に本陣、脇本陣があつた。
しかし、 当時の宿場町を偲ぶものは、全く残ってなく、賑やかな?商店街となっている。
石畳に旧東海道を進む。
モニュメント『蒼空へ 松永 勉作』
『橋本本陣跡』。鯨の石像モニュメントが目印。
『江尻宿寺尾本陣跡』。
『明治天皇御東行御遺跡』。
そして旧東海道正面右に石鳥居が姿を表した。
『魚町稲荷神社』。
武田家家臣で江尻城代の穴山信君(梅雪)が社殿を造営したと伝わると。
朱の鳥居の先に社殿、右側には『明治天皇御東行御遺跡』碑。
「魚町稲荷神社
永禄十一年(1568)十二月駿河に攻め入った武田信玄は翌年現在の江尻小学校の敷地に、
江尻城を築き、その後天正六年(1578)当時の城将穴山信君(梅雪)は、城を大改築し
本格的な城とした。
梅雪は一村一郷に鎮守あり、一家に氏神あり、どうして一城に鎮護の神がなかろうかと言って、
この地に社殿を造営したといわれている。(江尻町誌による)近くには江尻宿の問屋場・高札場
本陣等があって東海道を往来する旅人でこの地魚町(上町)は賑わった。
祭神:宇賀之御魂命(うがのみたまのみこと) 御祭:8月3日」
『魚町稲荷神社』には、サッカーボールをかたどった御影石のモニュメント
『日本少年サッカー発祥の碑』が建てられていた。
「日本少年サッカー発祥の碑
昭和三十年代、日本のサッカーは、いわゆる御三家と呼ばれた広島 藤枝・浦和を中心に
展開していました。その頃清水は、どこにでも見 られるごく平凡な地域のひとつに
すぎませんでした。 昭和三十一年、ここ魚町稲荷神社に隣接する江尻小学校にサッカー
好きの新任教師(堀田剛)が赴任しました。その日から先生は子供 達と毎日運動場で
ボールをけりました。ところが、当時江尻小学校には「ボールを、足で蹴ってはいけない」
という校則がありました。
しかしサッカーの魅力にとりつかれた子供達の様子を見て、校長先生 も許可をしたのです。
「これが、『日本で初めての少年サッカーチーム』を生むきっかけに なりました。
文部省小学校学習指導要領第三次改訂(一九六八年)体育科のボー ル運動に「サッカー」が
登場する十二年も前のことです。
江尻小を皮切りにその後、清水市内に小学生チームが次々と誕生し、昭和四十二年には、
『国内初の小学生リーグ』がスタート、指導者育 成のためコーチングスクールも開校されました。
この年、東海四県サッカー大会が開催され、日本一のチームをつく る一貫として、清水市内の
江尻小・入江小・庵原小の子供を集め選抜 チームを結成し、優勝をかざりました。
これが清水FCの前身です。 清水からは数多くのJリーガー・日本代表選手が生まれ活躍してい ます。
それは当時の指導者達が長期的な視野にたち、世界に通用する 日本一の少年団チームを
育成強化したからです。その後もサッカーに 関わる多くの方の献身的な活動・努力により
サッカーのまち清水ができあがりました。
現在では「ゆりかごから息続くまで」を合い言葉に、三歳のチャイ ルドサッカーから、
年配の方のOBリーグまで、あらゆる年代の人達 がいつでも、どこでも、誰とでも、清水市の
どこかでサッカーを楽 しんでいます。
この碑は当地が清水のサッカーを発展させた原点の一つであり、日 本の少年サッカーチーム
発祥の地であるゆを記念して創られました。 」
『魚町稲荷神社』の脇を進むと左手に江尻小学校があり、『江尻城跡』の案内板が建っていた。
永禄12年(1569)武田信玄の命により築城された。
武田信光、山県昌影のあと、穴山梅雪が城主となった。天正10年徳川家康に降伏した。
本能寺の変が起きたとき、梅雪は家康の供で堺に滞在していたが、帰国の途中地侍たちに
殺されてしまった。その子勝千代は幼くして死に、穴山家は絶えた。家康が江戸に移ると
中村一氏の家臣が城主となるが、関ケ原の戦い後廃城になる。
『 江尻城跡
』⬅リンク案内板。
『OFFICIAL MATCH BALL OF THE FIFA WORLD CUP 1998』と刻まれた
サッカーボールのモニュメントが道路脇に。
そして旧東海道に戻る為に巴川岸に出る。
「河口拠り2.66km」の表示が。
巴川に架かる稚児橋。
東海道五十三次が整備された江戸時代初期には、街道筋の巴川に橋が架けられ
江尻橋と名付けられたと。
『稚児橋』と河童の像。
『稚児橋の由来』
12
年(西暦 1807
年)徳川家康 の命により、東海道五十三次 沿いの巴川に橋が架けられ、
江尻の宿にちなんで江尻橋と命名されることとなり、渡り初めの日となった。
さて儀式に先がけて、かねて選ばれていた老夫婦がまさに橋に足をかけようとした瞬間、
川の中から一人の童子が現れたとみるや、するすると橋脚を昇り忽然と入江方面へ消えさった。
渡り初めに集まっていた人たちは、あまりに突然のこととてあっけにとられたが、このことから
橋名を江尻橋から童子変じて稚児橋と名付けたといわれている。
なおその不思議な童子は巴川に住む河童だったとも語り継がれている。
清水の名物、いちろんさんのでっころぼう人形の中に河童 がいるのは、この伝説による。」
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