JINさんの陽蜂農遠日記

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2019.04.30
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『旧東海道を歩く』ブログ 目次

旧東海道は清水区銀座を右折。



『江尻宿』道標。
江尻は巴川の尻、すなわち海にそそぐ所の意味。巴川を旧東海道がわたる稚児橋を中心に
宿場町が つづいていた。
こんにち、江尻町となっている中町、下町、魚町に本陣、脇本陣があつた。
しかし、 当時の宿場町を偲ぶものは、全く残ってなく、賑やかな?商店街となっている。



石畳に旧東海道を進む。



モニュメント『蒼空へ 松永 勉作』



『橋本本陣跡』。鯨の石像モニュメントが目印。



『江尻宿寺尾本陣跡』。



『明治天皇御東行御遺跡』。



そして旧東海道正面右に石鳥居が姿を表した。



『魚町稲荷神社』。
武田家家臣で江尻城代の穴山信君(梅雪)が社殿を造営したと伝わると。



朱の鳥居の先に社殿、右側には『明治天皇御東行御遺跡』碑。



「魚町稲荷神社
永禄十一年(1568)十二月駿河に攻め入った武田信玄は翌年現在の江尻小学校の敷地に、
江尻城を築き、その後天正六年(1578)当時の城将穴山信君(梅雪)は、城を大改築し
本格的な城とした。
梅雪は一村一郷に鎮守あり、一家に氏神あり、どうして一城に鎮護の神がなかろうかと言って、
この地に社殿を造営したといわれている。(江尻町誌による)近くには江尻宿の問屋場・高札場
本陣等があって東海道を往来する旅人でこの地魚町(上町)は賑わった。
祭神:宇賀之御魂命(うがのみたまのみこと) 御祭:8月3日」



『魚町稲荷神社』には、サッカーボールをかたどった御影石のモニュメント
『日本少年サッカー発祥の碑』が建てられていた。



「日本少年サッカー発祥の碑 
昭和三十年代、日本のサッカーは、いわゆる御三家と呼ばれた広島 藤枝・浦和を中心に
展開していました。その頃清水は、どこにでも見 られるごく平凡な地域のひとつに
すぎませんでした。 昭和三十一年、ここ魚町稲荷神社に隣接する江尻小学校にサッカー 
好きの新任教師(堀田剛)が赴任しました。その日から先生は子供 達と毎日運動場で
ボールをけりました。ところが、当時江尻小学校には「ボールを、足で蹴ってはいけない」
という校則がありました。 
しかしサッカーの魅力にとりつかれた子供達の様子を見て、校長先生 も許可をしたのです。 
「これが、『日本で初めての少年サッカーチーム』を生むきっかけに なりました。 
文部省小学校学習指導要領第三次改訂(一九六八年)体育科のボー ル運動に「サッカー」が
登場する十二年も前のことです。 
江尻小を皮切りにその後、清水市内に小学生チームが次々と誕生し、昭和四十二年には、
『国内初の小学生リーグ』がスタート、指導者育 成のためコーチングスクールも開校されました。 
この年、東海四県サッカー大会が開催され、日本一のチームをつく る一貫として、清水市内の
江尻小・入江小・庵原小の子供を集め選抜 チームを結成し、優勝をかざりました。
これが清水FCの前身です。 清水からは数多くのJリーガー・日本代表選手が生まれ活躍してい ます。
それは当時の指導者達が長期的な視野にたち、世界に通用する 日本一の少年団チームを
育成強化したからです。その後もサッカーに 関わる多くの方の献身的な活動・努力により
サッカーのまち清水ができあがりました。 
現在では「ゆりかごから息続くまで」を合い言葉に、三歳のチャイ ルドサッカーから、
年配の方のOBリーグまで、あらゆる年代の人達 がいつでも、どこでも、誰とでも、清水市の
どこかでサッカーを楽 しんでいます。 
この碑は当地が清水のサッカーを発展させた原点の一つであり、日 本の少年サッカーチーム
発祥の地であるゆを記念して創られました。 」



『魚町稲荷神社』の脇を進むと左手に江尻小学校があり、『江尻城跡』の案内板が建っていた。
永禄12年(1569)武田信玄の命により築城された。
武田信光、山県昌影のあと、穴山梅雪が城主となった。天正10年徳川家康に降伏した。
本能寺の変が起きたとき、梅雪は家康の供で堺に滞在していたが、帰国の途中地侍たちに
殺されてしまった。その子勝千代は幼くして死に、穴山家は絶えた。家康が江戸に移ると
中村一氏の家臣が城主となるが、関ケ原の戦い後廃城になる。
『​ 江尻城跡 ​』⬅リンク案内板。



『OFFICIAL MATCH BALL OF THE  FIFA WORLD CUP 1998』と刻まれた
サッカーボールのモニュメントが道路脇に。



そして旧東海道に戻る為に巴川岸に出る。
「河口拠り2.66km」の表示が。



巴川に架かる稚児橋。



東海道五十三次が整備された江戸時代初期には、街道筋の巴川に橋が架けられ
江尻橋と名付けられたと。



『稚児橋』と河童の像。



『稚児橋の由来』

12 年(西暦 1807 年)徳川家康 の命により、東海道五十三次 沿いの巴川に橋が架けられ、
江尻の宿にちなんで江尻橋と命名されることとなり、渡り初めの日となった。
さて儀式に先がけて、かねて選ばれていた老夫婦がまさに橋に足をかけようとした瞬間、
川の中から一人の童子が現れたとみるや、するすると橋脚を昇り忽然と入江方面へ消えさった。
渡り初めに集まっていた人たちは、あまりに突然のこととてあっけにとられたが、このことから
橋名を江尻橋から童子変じて稚児橋と名付けたといわれている。
なおその不思議な童子は巴川に住む河童だったとも語り継がれている。
清水の名物、いちろんさんのでっころぼう人形の中に河童 がいるのは、この伝説による。」



『稚児橋』から巴川の下流方面。



上流方面。



橋の欄干にも河童の親子の姿が。



西側、進行方向右側の男の子の河童。



進行方向左側の女の子の河童



入江2丁目交差点を右斜めの旧東海道に進む。



左手に『浄土宗 法岸寺』入口。



『本堂』をズームで。
市内でも数少ない浄土宗の寺で、創立は延徳2年(1490)静岡市上土に創建された。

朝顔の墓と伝えられいる古い墓石があると。浄瑠璃「朝顔日記」盲目のヒロイン深雪の
墓(寛永18年(1642年)没)であると言われていると。
残念ながら、時間がなく訪ねる事は出来なかった。



旧東海道の入江2丁目を歩く。
『くりた瓦せんべい老舗』。『煎餅」』の大きな木製看板が。



西木戸跡北側にある『樹林山 慈雲禅寺』。



『山門』。



『樹林山 慈雲禅寺の由来』と『史跡』碑。
碑には長泉智牛和尚之墓所、入江小学校発祥之地、八ッ石の文字が。
八ッ石とは何であろうか、ネットで調べると
「江戸時代初期、江戸幕府は大名たちに駿府城の建設を命じた。そのとき、石垣に使う石は

筏に乗せられて運ばれていった。
ところが、中には筏が途中でバラけてしまい、巴川に沈んでしまった石もある。
それらの石は、徳川将軍家のものだということで、江戸時代は勝手に引き上げることはできず、
そのまま放置されていた。ところが明治時代になると、これらの石を引き上げることが
自由になり、地元の有力者たちの中には、川から石を引き上げた人たちがいた。

寄贈したのだという。ところが寺の方では、そのころは食うや食わずの状態で、引き上げられた
石に構っている余裕はなく、しばらく境内に放置された後、庭の整備をしたときに庭石として
使ってしまった。それが現在慈雲寺の中庭にある八ツ石である。」と。
八ッ石の1つは門前にある寺の名「慈雲寺」と白く書かれた石であるらしい。



『樹林山 慈雲禅寺の由来』
「慈雲禅寺は今からおよそ四百数十年前(十六世紀末) 一安禅師によって、聖観世音菩薩を
本尊として開創 された臨済宗妙心寺派の禅寺である。 
臨済宗は、お釈迦さまの正法を受けつぎ、初祖達磨大師、宗祖臨済禅師、白隠禅師に及ぶ
禅宗で自心佛で あることを信じて坐禅に励み、本当の自分にめざめ 脚下照顧めて生きることを
信条にしている。 
慈雲禅寺の開創後百年の記録は、宝永四年(一七〇七)の 震災でことごとく焼失して定ではないが
宝暦年間 (十八世紀中頃)に至り、長泉智牛和尚によって再興された。 
長泉智牛和尚は、豊後国(大分県)に生まれ、白隠禅師に 師事した高僧で、常に農業の振興に
つとめ、当時やせ地に悩む三保の農民を救う為、遠く九州からサツマイモの 苗を取り寄せ、
農民にすすめた。サツマイモは砂地でも 良く育ち、たちまち三保全土に広がった。
そして、慈雲寺の 芋和尚と親しまれ、長い間初穂七俵を贈る船が出さ れたという。 
しかし安政元年(一八五四)の大地震により、諸堂は 全壊、続いて明治維新で寺領の概略没収された。 
明治五年(一八七三)学制発布に基づき、翌 六年 本堂 に入江小学校の前身である入江学舎が
創立されたが、その運営は困難をきわめた。その中で、時の住職 瑞道和尚は、読み書きを学ばせ、
体操のかわりに縄を なわせ、女子には子守をさせながら、畑の業をつませて 養蚕をおこない、
機織り返し、その利益で筆や紙を 買い学校を続けたという。 
昭和に入り、第二次世界大戦の空襲によって、諸堂全て焼失、戦後焼け野原から、正道和尚
光堂和尚により庫裡、本堂、山門等再建し現在に至る。 
尚小芝城か、駿府城築城の折巴川に沈んだ八つ石が山内に残っている。 」



扁額『樹林山』。



『不失童心』と書かれた扁額のある御堂。
中には地蔵尊と六地蔵が。



『本堂』。



『納骨堂』。



『倶会一處(くえいっしょ)』
「この納骨堂は宗派の別なく観音様にご縁のあるすべての人を受け入れます。
遠慮なくご相談下さい。」
倶会一処とは、浄土教の往生の利益の一つ。 阿弥陀仏の極楽浄土に往生したものは、
浄土の仏・菩薩たちと一処で出会うことができる、という意味であると。



『摩尼車(まにぐるま)』
「一回一誦」と言ってこの車を一回回す事によって、般若心経を唱えることになり、
仏様の徳に近づく事ができ、悪を払い濁った水を清め、災難を避け幸福な生活を送ることが
出来るのだと。



「摩尼車(マニグルマ)
摩尼(マニ)とは、インドの古い言葉で、無垢(むく)・離苦(りく)・如意(にょい)を
意味し、宝珠(ほうじゅ)の総称です。
宝珠には、不幸・災難を除き、濁水を清水にする不思議な力があるとされています。
心静かに、念じながら。回して下さい。」
私も一回回しましたが、果たして「心静かに」?。



堂前の仁王像(阿形像)



本堂前の仁王像(吽形像)。



墓石群。



右には先程遺跡碑にあった『長泉智牛禅師(ちょうせんちぎょうぜんじ)の墓』が。



長泉智牛和尚は痩せ地に悩む三保の農民にサツマイモの栽培を奨励、
砂地でもよく育ったことから三保全土に広がり、農民たちから
慈雲寺の「芋和尚」と呼ばれ親しまれたと。



本堂を斜めから。



『江尻宿木戸跡』碑。
江尻宿京方出入口だった西木戸跡。



『祝 静岡市民栄誉賞 さくらももこさん』
さくらももこさんは代表作「ちびまる子ちゃん」で、市の観光地や地元グルメを取り上げるなど
同市の魅力を発信し、PRに貢献。主人公の「まる子」を描いたマンホールのふたを市に
寄贈したり、22種類のオリジナルイラストを提供したりした。
”ちびまる子ちゃん”の家はここ入江町にある設定であると。



『平成』が終わって行く。
一抹の寂しさを感じますが、一つの時代の変わり目に出会わせていただくというのも、
ありがたいことのように思っているのです。
昨日は『昭和の日』、平成が終わるとそれと連動して「昭和の日」が無くなるのでしょうか?
しかし明治天皇の誕生日が実は「文化の日」として現存するように、他の名称に代わる事も
あるかもしれません。平成の天皇陛下の誕生日はご存じのとおり12月23日。
「もう年末で今年も終わりかぁ…」と感じさせる祝日でもありました。
そして現皇太子様の誕生日は2月23日で既に過ぎているので、2019年の祝日とはならず、
今年の12月23日は私の部屋のカレンダーでは「平成の天皇誕生日」と記載された
平日となっています。



新元号が決まった途端に平成がもう過去のような印象を持ってしまっている方も
多いのでは。時の流れを本当に早く感じているのです。
昭和25年生まれの私には、『平成』の終わりは、今日まで残り香を醸し続け、そして
それを懐かしんで来た『昭和』が、本当の意味で過去の歴史となるような感じが
しているのです。
いわば今日は、「平成との離別』ではなく「昭和との離別」になる日ではないかとも。

                             ​ その5 ​  に戻る。

                   ・・・​ つづく ​・・・





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Last updated  2020.04.28 14:56:31
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