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同じ宿内で、筋向いの「川坂屋」が士分格の宿泊した大旅籠であったのに対して「萬屋」は
庶民の利用した旅籠でした。
一階に裏手に抜ける通り土間がないこと、台所が不明であること、二階正面の出格子が
ニ階床と同じ高さで、腰高の手すりが付き、大変開放的であることなどが、この旅籠の特徴です。
又、一階正面の蔀戸(しとみど)は当時の一般的な店構えの仕様であり、日坂宿では
昭和二十年代まで数多く見られました。
尚、文久二年(1862)の宿内軒並取調書上帳(古文書)には「萬屋」について次のように
記されています。
間口 四間半
畳 三拾三畳 旅籠屋
板鋪 六畳 嘉 七
奥行 七間半
惣畳数〆三拾九畳
惣坪数〆三拾三坪七分五厘
今回の修理では、主に一、二階の正面を復原することを目的としたため、内部は大きな
復原をしませんでしたが、調査結果は図(省略)の様になり、階段位置が反対であったり、
二階が四間あったと思われます。文久二年の記載との違いは、この記載が旅籠の営業部分のみを
記載しているためです。記録に見られる建坪と解体調査の結果から考えて、食事を供しない宿で
あったと思われます。」
間口 六間
畳 五拾八畳半 旅籠屋
板鋪 六畳 次右衛門
奥行 拾参間
惣畳数 〆六拾四畳半
惣坪数 〆七拾八坪」◎正徳元年(1711)日坂宿の高札場設けられる。このときの高札五枚(親子・切支丹・火付・伝馬・毒薬)は幕末まで続いた。
◎慶応四年(明治元年・1868)大政官布告により従来の高札を撤去し新たに五枚(五傍の掲示)を掲げた。
◎明治六年(1873)高札が法令公布の方式として適さないとの見地から撤去された。」隣には夢舞台・東海道『 掛川市 日坂宿 宿場口
』の道標が立っていた。
掛川宿(宿境まで一里二十六町) ← 掛川市 日坂宿(宿場口) → これより
日坂宿(金谷宿まで一里二十九町)。
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