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『旧東海道を歩く』ブログ 目次
七ッ森神社を後にし、旧東海道を進むと直ぐ左手にあったのが
『双筆五十三次 袋井』の浮世絵が。
「双筆東海道五十三次 袋井」は、歌川国貞が人物を描き、歌川広重が風景を描くという、
当時浮世絵界の大御所と言われた2人の合作の東海道五十三次です。
ここ袋井市の道のいたるところに、東海道五十三次のポスターなどが貼られており、
街道の風情や佇まいに思いを馳せることが出来るのであった。
「初代歌川広重が得意としていた低視線の風景画を背景に、三代歌川豊国が巡礼に向かう
母子を描いています。 二人とも抜け参りなのでしょうか、旅の途中、金品を無心する
柄杓を持ち、母親は菅笠に 「同行二人」 「繁栄村」 墨書し、 着物の上にうわっぱりを
着て 「(西国)三拾三番巡禮」 と記されたおいずいを羽おっています。
東海道は、武士や商人、役人、僧侶のほか、伊勢参りをはじめ多くの巡礼者の
通る道でもありました。」
江戸幕府が整備させたと言われる松並木の一本道は、広大な田園風景とともに
当時の面影を残していた。
『東海道松並木』。
初代歌川広重作山田屋版「行書東海道五十三次之内 袋井」
「主要な街道の両側に並木を植えることは古代より行われ、天平宝字3年(759)に
天正3年(1576)に織田信長が「路辺の左右に松と柳植え置く」 と記され、
慶長9年(1604)には徳川秀忠が 「諸国街道一里毎に候塚を築かしめられ、街道の左右に
松を植しめらる」 と、一里塚と一緒に松並木を整備したことが 「徳川実紀」 に記されています。
江戸時代を通して旅人を日差しや風から守っていた並木も、明治維新以後その数を
減らしてしまいましたが、現在地より東側には松並木が良く残り、 江戸時代の面影を
今に伝えています。また、現在地の西側の道は真言宗の古刹油山寺へと至る油山道と
呼ばれる道です。 入口には文政11年(1828)に再建された油山寺道標と火防の神として
信仰のある三尺坊が祀られている可睡斎への道標が建てられています。」
『山田屋版 行書東海道五十三次之内 袋井』
その横に『従是油山道』。
文政11年(1828)の油山寺道標。
松並木は一旦途切れたが再び前方に。
『是より可睡三尺坊道』
これは曹洞宗の寺院 「可睡斎」 への道標である。
応永年間(1394~1428)道元の法孫・如仲天誾和尚が草庵を結び、後東陽軒と
称したのが可睡斎の始まりで、江戸時代、徳川家康の帰依を得て、
駿河・遠江・伊豆・三河4ヶ国の僧録司の職を与えられ、寺号を可睡斎と改めた。」
『東新屋』道標。
新屋交差点手前で旧東海道は県道413号線に合流。
道路の中央分離帯にあったのが『西新屋』の道標。
新屋の交差点を左折すると直ぐ右手に『旧東海道』の案内板が。
この様な案内が旧東海道沿いに充実することを願うのであった。
そして丁寧に『新屋 旧東海道マップ』が設置されていた。
袋井市の施策に歩き人として評価と感謝をするのであった。
案内に沿って進むと右手に立派な祠が現れた。
『新屋の秋葉山常夜燈』。
「新屋の秋葉山常夜燈
火伏の神である秋葉山三尺坊大権現に対する庶民の信仰は、江戸時代に盛んになりなした。
秋葉山詣のために上方や関東、東海では秋葉講が組織され、秋葉山へ参詣する人々が
多くな りました。袋井市域でも秋葉信仰がさかんとなり、各地区に常夜灯が建てられました。
常夜灯は秋葉山に参詣するための秋葉道や東海道沿いにあるものばかりでなく、
その地区の人々が火伏の神への信仰から建てられたものもあ りました。
市内には石で作られた灯籠形と、木造の屋形の常夜灯が合計で十四基現存しています。
新屋の常夜灯は木造屋形で、作者は不明ながら見事な彫物がみられ、保存状況のたいへん良い
常夜灯です。かつては、東海道を行き来する旅人のよい目印となったことでしょう。」
正面から。
祠の屋根の下の彫刻も見事。
横から。
全周に渡り透かし彫りの彫刻が見事に。
その奥にも小さな祠が。
そして旧東海道は袋井市役所前を通過する道路に合流しここを左折。
『市役所南』道標。
再び袋井市役所南交差点を右折。
広岡排水路沿いの桜も満開となっていた。
既に花筏も。
『袋井宿と天橋』。
「袋井宿 は元和ニ(一六一六)年に設置されました。いわゆる東海道五十三次でいえば
品川宿から数えてニ七番目の宿駅にあたります。天橋(阿麻橋)は袋井宿の東の入口に
かかっていた土橋です。天保一四(一八四三)年の調査によれば、宿内の街並みは
西端の中川まで五町一五間人口は八四三人、家数は本陣三軒・旅籠屋の五〇軒を含め
一九五軒でした。」
「遠州山名郡袋井宿
掛川宿へ二里16町(約9.7キロ)見付宿へ1里半(約6キロ)
当所うなぎすっぽん名物
袋井宿の名は、すでに弘安の頃(1278~88年)に書かれた「遺塵和歌集」の長唄の一節に見ることができます。江戸時代の袋井宿は、徳川家康公により東海道の宿駅制度が定められてから15年後の元和2年(1616年)八月四日に開設されました。江戸日本橋から数えても京都三条大橋から数えても27番目、東海道五十三次のちょうど「どまん中」の宿です。」
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