JINさんの陽蜂農遠日記

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2019.11.29
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カテゴリ: 海外旅行
更にブラショフから約129km離れた『シギショアラ』に向かってバスはE60号線を急ぐ。
左手の丘に教会の尖塔が見えたが『クリエ(Crit)の福音教会』。



サスキズ(Saschiz)の街中を進む。



アルベシュティ(Albești)の街にあった正教会が右手に。



そしてシギショアラ(Sighişoara)の街並みに入っていくとバスの車窓前方には
世界遺産・シギショアラ歴史地区の建築群が見えて来た。



右手に『改革派教会 Biserica Reformată』



タルナヴァ・マレ川(Târnava Mare River)沿いの教会。



『至聖三者大聖堂 Biserica Sfânta Treime』




1934年~1937年に建てられた。 ドームの内部には壁画が一面に描かれていてA.デミアンの作。
1980年から1984年に描き直されていると。 至聖三者はキリスト教で三位一体を表すと。



そしてバスを降り、石畳の坂道を登っていく。



木々の紅葉も始まって。



『鍛冶屋の塔 Turnul Fierarilor (The Ironsmiths' Tower)』が右手に姿を表す。
小高い丘の上に築かれたシギショアラの城塞には、かつて14もの見張り塔があったが、
現在でも9基の塔が残っていると。
これらの塔の建設にはギルドが資金を負担したため、塔ごとにそれぞれのギルドの名前が
付けられているのだと。
こちらの『鍛冶屋の塔』は、1631年に古い理髪師の塔の基礎の上に建てられたのだと。
主な役割は、もちろん敵に包囲された場合に教会を保護することであったと。




防御のために入植したころから始まると。14世紀には王たちの定住地となって自治都市としての
特権を与えられ、その後の数世紀は、重要な軍事要所・商業中心地としての役割を担い、
繁栄の絶頂期を迎えた。
シギショアラ歴史地区は、その頃の小さな中世の城塞都市としての姿を残しているのであった。
1999年、「シギショアラ歴史地区」として世界遺産に登録されたと。







世界遺産に何処も同じ落書きが。



振り返って。



ルーマニアの現地ガイドのアレキサンダーを見上げる旅友そして添乗員のOさんの二人。
いや、それとも教会の塔を見ていたのであろうか?



緩やかな石畳の坂を広場に入る門(ゲート)に向かって登って行く。



3人仲良く。これぞこの文字『山』。



シギショアラ旧歴史地区を巡る観光用機関車。



右手に山上教会に続く坂道そして街並みが見えた。



山上教会に続く屋根付き階段が右手奥に。ズームで。



旧歴史地区のシンボルの『時計塔 』。
14世紀に自治都市となったことを記念して建造され、この時計塔は中世には市役所として
使用されていたそうだが、それだけではなく拷問部屋としても使われていたと。
現在は歴史博物館として公開中。
また17世紀に作られたからくり時計が今も動いている。
時間になると機械仕掛けの人形が出て来て音楽に合わせて踊り、観光客を楽しませてくれる。
なんとこのからくり時計、城塞内に向いている文字盤と下町方向に向いている文字盤から
それぞれ異なる人形が現れると。ぜひどちら側からも眺めてみたかったが・・・。
最上階からは最高の眺望が楽しめると。



高さ64mの塔の屋根に備わっている4つの小塔は、裁判の自治権を象徴するものであると。
屋根の色鮮やかなタイルは、19世紀になってから貼られたのだと。



時計塔に面した広場一角に建つ黄色い家は、シギショアラの生んだ有名人で、
吸血鬼ドラキュラのモデルとなったワラキアの串刺し公ヴラド・ツェペシュ
(ヴラド・ドラクルの息子)の生家。
「ヴラド・ドラクル邸(ドラキュラ伯爵の家)」は「シギショアラ歴史地区」にある
「ドラキュラ伯爵のモデル」として有名な「ヴラド3世」が「1431年〜1435年」に
「生まれ育った邸宅」。
現在は「レストラン」に改築されて「カーサ・ヴラド・ドラクル」として営業しています。
「ヴラド・ドラクル邸」は「1999年」に「シギショアラ歴史地区」として「世界遺産」に登録。



現在、生家はレストラン『Casa Vlad-Dracul』になっていた。
『Vlad-Dracul(ヴラド・ドラクル)』の文字が。



『Vlad-Dracul(ヴラド・ドラクル)』が「1431年〜1435年」に「生まれ育った邸宅」



入り口には「ドラゴン(龍)」の意味をもつ父の名を示すように、龍をあしらった看板が
ぶら下がっていた。
ドラキュラとは、ドラゴンの息子、つまり小龍公とでもいうような意味である。
父ヴラド2世がドラクル(Dracul=ドラゴン公)と呼ばれたことに由来するのだと。



ワラキアの串刺し公ヴラド・ツェペシュ像。



ヴラド3世 ​(Vlad III ・1431年11月10日- 1476年12月19日)



横から。



シギショアラの街並み。
写真中央に『ピアツァ オクタビアン ゴガ通り Piața Octavian Goga』。



タルナヴァ・マレ川(Târnava Mare River)手前の建築群。



『至聖三者大聖堂 Biserica Sfânta Treime』が中央に見えた。







『福音教会』。
時計塔の近くにある、ゴシック様式の教会。



そして自由時間になり、山上教会に続く坂道を上って行く。



旧市街の南には学生階段と呼ばれる木造の屋根付き階段(Schülertreppe / Scară Acoperită)が。



丘の上にある学校へ通う学生が、冬場雪の積もる時期などに困らないように作られたもの。



階段入口にあったポスター。



1642年に出来た当初は300段あったが、1849年に現在の175段に。
半分近くになったとはいっても、この階段を上っていくのは大変であったが。



階段を上り切って左手にあるのがドイツ語学校です。何故ドイツ語学校かと言うと、
このシギショアラの町がドイツ系のザクセン人によって造られた町であるからと。
ここにもドイツの痕跡がしっかりと。



山上教会(聖ニコラウス教会 Biserica din Deal (Sf. Nicolae))。
山上教会 は城壁の南側、「学校の山」 (Schulberg / Deal al Școlii) に位置している。



これも世界遺産であると。



「山上教会は正式には聖ニコラウス教会というのだが、ルーマニア政府の世界遺産推薦書や
政府観光局公式サイトなどでも山上教会とされている。
1345年には記録に現れているが、完成したのは1525年と、およそ200年後のことであった。
ゴシック様式の建物で、トランシルヴァニア地方のゴシック建築の中で代表的なものとも
評価されている。建設当初はカトリックの聖堂だったが、1547年にルーテル派の教会堂になった。
内部には14世紀から15世紀の美しい壁画が存在している。
ただし、1776年に損壊したため、現在残っているものはオリジナルの断片を使って
復元されたものである。
ほかにも、ゴシック様式の祭壇装飾、15世紀から16世紀に遡る調度類などが残っている」と
ウィキペディアより。



英語ではなく、ここでもドイツ語(左)で。



内部の構造図。左手が教会の正面側。



この説明板には、ルーマニア語、ドイツ語の間に英語が。
『SIGISOARA THE ”CHURCH ON THE HILL』。



要塞の塔『Turnul Frânghierilor (The Ropemakers' Tower)』。
要塞の最初の壁ですぐに建てられたが、1241年にタタール人によって破壊され、1350年に再建。
16世紀に修復されたと。1676年の火災の影響を受けていない数少ない塔の1つ。
再び19世紀に修復された。現在は墓地の教会の守護者が住居としていると。



ここからのシギショアラの街並み。オレンジ色の瓦屋根が印象的。






時計塔も山上教会近くから眼下に。




                              ・・・​ もどる ​・・・


                  ・・・​ つづく ​・・・






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Last updated  2019.12.26 20:43:40
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