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『旧東海道を歩く』ブログ 目次
次に訪ねたのが、やはり左側にあった『福生山 長徳寺』。
浄土真宗佛光寺派の寺の『山門』。
『本堂』。
『本堂』には『長徳寺』と書かれた扁額が。
境内の地蔵尊。
地蔵尊の台座には歌碑が刻まれていたが・・・。
蝋燭台にも歌碑が・・・。
子安地蔵尊であろうか。
伊勢型紙を用いた手摺り御朱印の自動販売機が置かれていた。
日にちは『吉日』表示、500円とのことで遠慮したのであった。
御朱印も自動販売機とは・・・・。
民家の庭の立派な松の下にも大きな石碑と石灯籠が。
連子格子戸には蔓で作ったリースが飾られていた。
松ぼっくり、綿花、カラスウリ、赤&オレンジの実を配したリース。
こちらは松ぼっくり、南天の実を。
この家の方の手作りであろうか。
更に『西追分』に向かって進む。
こちらにも綿花が。
連子格子の平屋が続く。
虫籠窓のある旧家がここにも。
鶴の姿が。
こちらの旧家には、
波の中で踊る魚、いや鯉の滝登りであろうか。
路面に埋め込まれた道標には『観音山公園 関ロッジ 350米』と。
青空の下、重要伝統的建造物群保存地区・新所の街並みの散策を楽しむ。
ここ新所には関宿の名産竹火縄を造る火縄屋が数十軒あった。
火縄を火縄銃をはじめ、煙草の着火にも用いられたため、庶民からの需要も多かった。
関宿には旅人相手の火縄売りも多くいたようだと。
火災に備えて西には火除け土手、長徳寺前には火除松林がつくられていたと。
鈴鹿の山々がだんだんと迫って来た。
右手に『金光教 関教会』入口。
金光教は安政6年(1859年)、備中国浅口郡大谷村(現:岡山県浅口市大谷)にて
赤沢文治(川手文治郎)、後の金光大神(こんこうだいじん)が開いた創唱宗教である。
同じ江戸時代末期に開かれた黒住教、天理教と共に幕末三大新宗教の一つに数えられる。
現在の本拠地は岡山県浅口市金光町大谷である(旧町名由来の金光町という地名は金光教の
本部があることから付けられた)。
祭神は天地金乃神(てんちかねのかみ)と生神金光大神(いきがみこんこうだいじん)である。
教主は金光平輝(こんこうへいき、五代金光様)、教務総長は西川良典(にしかわよしのり)。
日本を中心に約1500の教会・布教所、41万人の信者を有すると。
山門柱。
『境内』。
『本堂』。
隣りにあったのが『観音院』。
『観音院』の本堂。
略由来古くは「関西山 福聚寺
」と言います。 嵯峨天皇の御代(820)に開創されたと言われ
中世土地の豪族関氏の祈願寺として栄えました。 当時は城山の西方に在り、戦国末期兵災に
かかりすべてのものは焼失しましたが幸い御本尊一躰は難を免れました。
徳川家江戸幕府の武運長久を祈願すべしと「先規の例により将軍の武運長久を祈願すべしと
観音山と佛供田を残されたのであります。 寛文年間に至り(四代家綱(1665))当地にお堂を
建立し「関西山 観音院
」と号するようになりました。
当院は東海道関宿の守り佛としてのちには観音山に西国三十三ヶ所の霊場を開き、
人々の篤い信仰によって支えられて来ました。 今は関町内の信徒講員によって外護せられ
昭和五十年四月、平成二十三年三月当宇の大修理が行われました。
八千とせに たのまぬ人も みちびけよ 鈴鹿の関の十一面観世音」
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