JINさんの陽蜂農遠日記

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オジン0523 @ Re:「市制70周年 佐倉花火フェスタ2024」へ(その5)(09/08) 矢張り有料席から見ると正面から見るので…
jinsan0716 @ Re[1]:「市制70周年 佐倉花火フェスタ2024」へ(その3)(09/06) オジン0523さんへ ありがとうございます…
オジン0523 @ Re:「市制70周年 佐倉花火フェスタ2024」へ(その3)(09/06) そして9:20になり、カウントダウンが始ま…
jinsan0716 @ Re[1]:旧芝離宮恩賜庭園 へ(その3)(08/06) オジン0523さんへ 書き込み、ありがとう…
オジン0523 @ Re:旧芝離宮恩賜庭園 へ(その3)(08/06) 根府川山は根府川に関係あるのですかね

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2020.04.10
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『旧東海道を歩く』ブログ 目次

この日は2020年2月22日(土)、宿泊ホテルの朝食を6:30から取る。
東京・日本橋から『旧東海道を歩く』の29日目(移動日を除く)の朝。



ホテルのフロント。
宿泊者はこの時期少なかった。



そして7時過ぎに予約していたタクシーに乗り貴生川駅に向かう。貴生川駅から7:30発の
バスに乗り換え前日も利用した「近江土山駅」に向かう。
途中、国道1号線・「土山支所」交差点角にあった、日本一の大きい自然石の
石灯籠・『平成万人灯』を車窓から見る。
自然石の灯篭では日本一の大きさを誇り、旧土山宿場町のシンボルになっていると。 
夜間は火袋が点灯し、周囲から全体をライトアップし、国道1号線を昼も夜も往来する人々
の安全を祈願して建設されたのだと。



平成3年に甲賀市役所土山支所前国道1号線沿いに建立された、旧宿場町を偲ぶ石灯籠。
例の「ふるさと創生資金」がつぎ込まれたのだと。
石種・・・白御影石(岐阜県恵那郡蛭川村産)
高さ・・・9.33メートル(基礎上)
重さ・・・156.8トン
甲賀の町のシンボルとして、地域の住民にも深く愛されている石灯籠であると。



『平成万人灯』碑をズームで。
「私たちは、郷土に深い愛着をもって土山町を“あいの土山”と呼びます。これは、鈴鹿馬子唄に
よって唄い継がれきた大きな遺産です。そこで土山が宿場町であったことをシンボル化し、
日本一のモニュメントを造ろうと考えました。
鈴鹿峠には旅の往来の安全を祈願し、江戸中期に建立さ
れた「万人講常夜燈(高さ5m、重量38t)と称する石灯籠が現存しています。
その心を平成に生かさんと、完成したのが「平成万人灯」です。
この「平成万人灯」自然の石としては日本一の大きさで、夜間には火袋に明かり
が燈され、またライトアップし昼夜を問わず往来の人々の目を楽しませています。」
組み立てられている石のそれぞれの大きさそして重量が絵とともに示されていた。



『平成万人灯』と刻まれた巨石が横に。
その前には『土山町一??』碑。



そして『近江土山駅』であいくるバスを下車。



乗って来たバスを見送る。



そして『土山宿』の旧東海道沿いの街並みに向かって進む。
前日に訪ねた『東海道伝馬館』横を通り振り返る。



旧東海道の正面の八百屋は既に開店していた。時間は8:06。



店の中にあったこの金魚水槽は店主の趣味なのであろう。



400年に渡って『八百屋』を営んで来たのであろうか。



『八百屋』前から、これから歩いて行く『土山宿』の街並みを見る。



右手奥の緑地にはアンパンマンの姿が。



右手の板塀には『平野屋前右衛門跡』、『大内屋跡』と表示された木札が掲げられていた。
しかし板塀の中は空き地であった。



この朝も人の姿はなし。



右手には『油佐』の木札が。その先には石碑が。
本陣から小路を挟んで隣にある土山宿問屋宅跡。
こちらも本陣に負けず劣らずの風格ある佇まい。油屋佐平治の名で代々松山家が問屋職を務めた。



木札『東海道土山宿 油佐』。



『土山宿 問屋宅跡』碑が『油佐』の横の路地角に。



「土山宿問屋宅跡
近世の宿場で、人馬の継立や公用旅行者の休泊施設の差配などの宿駅業務を行うのが
宿役人である。問屋はその管理運営を取りしきった宿役人の責任者のことで、宿に一名から
数名程度おり庄屋などを兼務するものもあった。
宿役人には、問屋のほかに年寄・帳付・馬指・人足指などがあり問屋場で業務を行っていた。
土山宿は、東海道をはさんで北土山村・南土山村の二村が並立する二つの行政組織が存在した。
土山宿の問屋は、この両村をまとめて宿駅業務を運営していく重要な役割を果たした。」




左手奥に『天理教 碧東分教会』。



『土山宿本陣跡』は修復工事中。



表札には『土山』の文字が。本陣の初代から脈々と『土山家』が続いているのであろう。



『土山宿本陣跡』碑。



「土山宿本陣跡
土山宿は、東海道の基点である江戸日本橋より、百六里三十二町、終点京都三条大橋まで
十五里十七町余の位置にある。
土山宿本陣は、寛永十一年(1634)、三代将軍徳川家光が上洛の際設けられた。
土山氏文書の「本陣職之事」によってわかるように、甲賀武士土山鹿之助の末裔土山喜左衛門を

本陣は当時の大名・旗本・公家・勅使等が宿泊したもので、屋内には現在でも当時使用されて
いたものが数多く保存されており、宿帳から多くの諸大名が宿泊したことを知ることができる。
明治時代になると、皇室の東京・京都間の往来も頻繁となり、土山宿にご宿泊されることも
しばしばであった。なかでも明治元年九月、天皇幸行の際には、この本陣で誕生日を迎えられて、
第一回天長節が行われ、土山の住民に対し、神酒・鯣が下賜され、今なお土山の誇りとして
語りつがれている。
本陣は、明治維新で大名の保護を失い、明治三年(1870)宿駅制度の廃止に伴いなくなった。」



『土山宿本陣跡』前から街道を見る。



『土山宿本陣跡』の隣りにあった石碑は『哲学者井上圓了の漢詩』碑。
そしてその奥に『明治天皇聖蹟』碑。



『明治天皇聖蹟』碑。




 維新正是天長節恩賜酒肴今当馨
 土山駅先帝行在所即吟      井上圓了道人』



「漢詩の読み
 鈴鹿山の西に、古よりの駅亭あり。
 秋風の一夜、鳳輿(ほうよ)停る。

 恩賜の酒肴を今尚馨る。
 土山駅先帝行在所即吟 井上圓了道人
解  説
この漢詩は、大正三年、佛教哲学者で有名なる井上圓了博士がたまたま、土山本陣跡に
来られた時、 第十代の本陣職であった土山盛美氏が、この本陣について説明された中に、
この本陣に明治天皇が明治元年九月二十二日の夜に一泊なされ、その日が偶然にも
天皇即位最初の誕生日に当たり、 次の日この本陣で祝賀式が挙行され、祝として土山の
住民全戸へ酒・肴を御下賜あった事を述べると、井上博士は非常に感激して、 即座に
この漢詩を書置かれたものである。」



左手に『土山宿 旅篭 俵屋跡』碑。



『旧本陣➡』



『土山宿旅籠 近江屋跡』の門。
この辺りは土山本陣や問屋宅がある土山宿の中心部。
旧東海道沿いは宿場町らしい往時の面影を留める景観。



『土山宿旅籠 近江屋跡』碑。



『土山宿旅籠 山形屋跡』



『土山宿 旅籠 山形屋跡』。



左手の空き地には何屋があったのであろうか。



右手にも空き地が。



左手に『土山宿 旅籠 山田屋跡』碑。



左手に『土山中央公民館』。



『土山中央公民館』は扁額のごとし。



『林羅山の漢詩碑』。



『林羅山の漢詩と解読と解説』。

「(解読)
 行李 東西 久しく旅居す
 風光 日夜 郷閭を憶ふ
 梅花に馬を繋ぐ 土山の上
 知んぬ是崔嵬か 知んぬ是岨か

(意味)
 東から西、西から東へと長く旅していると、途中のいろんな景色を目にする度に、
 故郷のことを想い起こす。
 さて、今、梅花に馬を繋ぎとめているのは土山というところである。
 いったい、土山は、土の山に石がごろごろしているのだろうか、石の山に土が
 かぶさっているのだろう。

(解説)
 作者、林羅山は、徳川幕府に仕えた江戸前期の儒学者。号を道春という。
 家康没後の元和二年(1616年)、羅山三十四歳のとき、江戸を出発し、東海道を経て
 故郷の京都へ向かう。
 この詩は、途中の土山で詠んだもので、この間の紀行記『丙辰紀行』に掲載されており、
 その前文に「『釋鈷毛傳』などに石山を土の山とよみ、土山を石の山とよむことを思いて」
 この詩を詠んだとある。」



公民館の中の展示品を楽しむ。
『趣味の焼物』。



『盆栽』。



土山出身の乗物絵本作家『安井小弥太』の作品が展示されていた。



折り紙作品の数々。



お雛様。





『安井小弥太』の紹介も。



美しい青いバラの花は和紙で。



『ようこそ 土山宿へ』。
『歌川広重 東海道五十三次之内 土山 春之雨 』や私の手にもあった『土山宿 絵地図』が。



土山公民館玄関前にある石柱は『宿場のけごみ』と。
「けごみ」とは「蹴込み」のことで、足を止める所・足を休める所という意味。
よって「宿場のけごみ」は、宿場の中の足置場(足を休める所)という意味で
「どうぞ、ここで一服していってください」という意味の歓迎の石柱であるのだ。




                              ・・・​ もどる ​・・・

                  ・・・​ つづく ​・・・





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Last updated  2020.04.26 06:36:58
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