JINさんの陽蜂農遠日記

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2020.07.03
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カテゴリ: 藤沢歴史散歩
我が趣味の養蜂場に咲く「アーティチョーク(Artichoke)」の花が満開になっています。



キク科チョウセンアザミ属の多年草。和名はチョウセンアザミ(朝鮮薊)。



ヨーロッパでは若いつぼみを食用とする(花菜類)とのことですが・・・・。
地中海沿岸原産とのこと。



多くの我がミツバチがこの花を訪れ、花の中に潜り込んでいます。



最初は、花粉を求めてやって来ているのかと思いましたが、ミツバチの脚には花粉球はなく
蜜(ミツ)を求めて訪花しているようです。
しかし、日本はもちろん、ヨーロッパ等でも「アーティチョークのハチミツ」をこの眼で
見たことがありません。






​​【藤沢歴史散歩 ブログ リスト】​ ​👈リンク


「諏訪神社」の次に訪ねたのが「龍宝寺(りゅうほうじ)」。
玉縄城二代目城主北条綱成によって1503年に開かれた曹洞宗の寺。
藁葺き屋根の「山門」に向かって進む。「山門」は元禄時代の建築とのこと。



「龍宝寺」案内板。
●宗派   漕洞宗
●山号寺号 陽谷山(ようこくざん)龍宝寺
●建立   16世紀中頃
●開山   泰絮宗栄(たいじょそうえい)

玉縄三代城主の北条綱成(ほうじょうつなしげ)が建立した瑞光院(ずいこういん)とも
いわれる香華院(こうげいん)がこの寺のはじまりといわれ、玉縄北条氏の菩提寺として
栄えました。
本堂には、釈迦如来と脇侍の文殊・普賢菩薩がまつられており、玉縄歴代城主である北条綱成、
北条氏繁、北条氏勝の位牌や源実朝の位牌も安置されています。また、境内には「正徳の治」を

山門を入ったすぐ右には、玉縄ふるさと館があり、その先には、もと関谷にあった江戸時代中期の
民家である国指定重要文化財の旧石井家住宅があります。」



「境内案内図」。


      【 http://www.kcn-net.org/kokenchiku/ryuhoji/ryuhoji.html 】より

「陽谷山 龍宝寺 案内」石碑。
宗派 曹洞宗
本尊 釈迦牟尼仏
開山 泰絮宗栄大和尚
開基 玉縄城主(北条綱成、氏勝)
本堂 木造銅葺重層入母屋造 (昭和三十五年建立) 設計 大岡 実
山門 江戸時代元禄年間造
鐘楼堂 設計 大岡 実
面山瑞方禅師の銘文記す
一、玉縄北条氏の供養塔
一、新井白石公の碑
一、金比羅宮
一、子育地蔵尊堂
一、福徳稲荷堂(天保年間造)
一、弁天堂
一、道祖神
一、玉縄ふるさと館
一、旧石井家住宅(国重要文化財)
  歴史民俗資料館(鎌倉市指定)



「山門」の扁額は「陽谷山」。



「曹洞宗 陽谷山 龍寶寺」寺標。



境内の左手にあり宗教法人 龍寳寺が経営している幼稚園が。
「玉縄幼稚園 にゅうえんしき」と。
新型コロナウィルスの影響で式典が延びているのであろう。



「玉縄ふるさと館」が右手に。
もともとは『玉縄民俗資料館』という名称であったが収蔵品の劣化と共に来館者も激減して
いた様で、2013年3月に国指定重要文化財である旧石井家住宅と併せ、「玉縄ふるさと館」
としてリニューアルオープンしたのだと。



右にあった「子育地蔵堂」。



「子育地蔵尊」。



團野功雄の歌碑。
「いぞそらは 吾が身散るとも 我が心 堅く護らん 皇孫の國  功雄」。
裏面には「神風院殿至誠明道大居士 神風特別攻撃隊至誠隊隊長 従七位功三級勲五等海軍少佐
團野功雄 支 昭和十九年十月二十九日大東亞戦争比島沖航空戦ニ於テ 第ニ神風特別攻撃隊隊長
トシテ勇戦名譽ノ戦死ス 行年二十四歳」とあるそうだ。辞世の句だと。



旧石井家住宅(重文)。元禄期に建てられた農家(名主)。



境内の「芍薬園」。



隣でショウブの花が開花中。



芍薬が開花するとみごとに。


       【 https://tuesgenial.exblog.jp/18030589/ 】より


参道の小さな社は「金比羅宮」。



境内は広く、やや左にゆるく曲がるように参道が続き、一段高いところに堂々とした
「龍寶寺」の「本堂」が立っていた。



「本堂」。
龍宝寺は火災により山門と鐘楼以外を全焼しているのだと。
現在の建物は石碑にあった通り、昭和34年(1959)に大岡実の設計により再建された物



「本堂」の扁額は「龍寶寺」。



「本堂内陣」。




中央にご本尊の釈迦如来、両脇に文殊菩薩、普賢菩薩が祀られているのだと。



「玉縄北条氏供養塔」。



「玉縄北条氏供養塔
永正九年(一五一二)伊勢宗瑞(通称北条早雲)が玉縄城を築城し、小田原城の支城として
関東進出の重要な役目を果たしてきました。
戦乱の渦中に、その名を轟かせた北条綱成、氏繁、氏勝は玉縄城主としてよくこの地を治め、
外に向かっては勇猛果敢に戦いました。
この供養塔は、龍賓寺住職四世良順大和尚が建てたものです。(推定元和年間~寛永五年頃)
元は、現在の栄光学園の敷地内にありましたが、造成工事のため龍賓寺墓地裏の尾根上に
移設しました。
この度、玉縄城築城五〇〇年を記念して参詣し易いこの地に再度移設しました。
なお、この供養塔は旧地に建っていた頃、いっも塔が倒れていて誰かが直しておくとすぐに
また倒れているので土地の人は「ぶっけり仏」と呼んでいたとのことです。



「本堂」の裏にも渡り廊下で繋がれている建物が。



「本堂」前から広い境内を見る。



「龍寶寺」を後にし、県道402号線を大船フラワーセンター方面い進むと
正面にトンネルが現れた。



神奈川県道402号 阿久和鎌倉線にある「龍寶寺トンネル」。
延長: 52m 竣工:昭和45年(1970年)。



そして「龍寶寺トンネル」を潜り50m程の路地を左折して、300mほど進むと
左手にあったのが「玉泉寺」。



「真言宗 聖天山 歓喜院 玉泉寺」の「本堂」。
「玉泉寺」は、江戸時代に小林若狭という人物が建立した。
山号の「聖天山」は、背後の山に聖天の祠があったことによるという。
秘仏本尊の不動明王像は、胎内に小さなお不動さまを抱えていることから、「胎内不動」と呼ばれ、
この胎内の像は願行上人が作ったものとされている。願行は泉涌寺派の法燈を鎌倉に植えつけた
僧(泉涌寺第六世)で、大山寺の鉄造不動明王像(国重文)を鋳造したことで知られている と。



「本堂」の扁額。



境内の稲荷社。



「 修行大師像( 弘法大師空海)」



「本堂」裏の墓地。



「六地蔵尊」。



「武将のお墓」
寺院の裏のやぐらには、小林若狭の父とその家臣一族数十名が葬られていた。



布袋様に似ているが・・・。



地蔵様の首がなく、抱えているように見えたが・・・。



そして再び県道402号線に戻り、東海道線の方向に歩を進める。



右手にあったのが「日比谷花壇大船フラワーセンター」。
閉園中であると思っていたが、開園している様子。
帰宅して調べてみると、この日から再開園したのであった。



「山崎跨線橋北」交差点。
宙に浮いている?信号が中央に。



「日比谷花壇 大船フラワーセンター」案内板。



「山崎跨線橋」を渡る。



下を流れる川は「柏尾川」。



「柏尾川」そして「JR東海道本線」に架かる「山崎跨線橋」。



前方、左側にあったのが「鎌倉市 山崎浄化センター」とその先に「鎌倉武道館」。



焼却棟の壁には静の舞と流鏑馬の武将が描かれていた。



東海道線、横須賀線の線路が。出発を待つ成田エクスプレス(NEX)の姿も。



そして「山崎跨線橋南」交差点まで進む。




                              ・・・ もどる ・・・

                   ・・・ つづく ・・・





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Last updated  2020.07.03 11:10:05
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