JINさんの陽蜂農遠日記

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2021.08.25
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カテゴリ: 鎌倉市歴史散歩
『​ 鎌倉散策 目次 ​』
【​ 鎌倉の寺社リスト ​】 👈リンク

「杉本寺」を後にして、金沢街道を「浄妙寺」に向かって進む。



右手に「報国寺」への橋「華の橋」。



「浄明寺」バス停の先の路地を左に曲がり「浄妙寺」の「山門」に向かって進む。



正面に「浄妙寺」の「山門」が。
鎌倉市浄明寺3丁目8−31。
寺の名前は「浄妙寺」ですが、このあたりの地名やバス停の名前は「浄明寺」と表記さ
れており、漢字が異なる。
地名を決めるときに、「浄妙寺」に遠慮してあえて真ん中の字を明に変えて「浄明寺」としたとの説があるのだと。




源頼朝の伊豆挙兵以来の重臣・足利義兼が、退耕行勇を開山として建立しました。
行勇は源頼朝や政子が帰依した高僧です。
鎌倉五山第五位の由緒ある禅宗の寺で、室町時代は境内に二十三の塔頭を持つ大寺院でした。
現在は総門、本堂、客殿、庫裡が残っています。茶室・喜泉庵と枯山水の庭は平成三年に
復元されました。本堂の奥にある鎌足稲荷神社は鎌倉の地名の由来になったとされています。
● 宗  派  臨済宗建長寺派
● 山号寺号  稲荷山浄妙寺(とうかざん)
● 建  立  文治4年 (1188)
● 開  山  退耕行勇 (たいこうぎょうゆう)
● 開  基  足利義兼」



歴史を感じさせる石塔が左手に。




「浄妙寺」は、鎌倉市にある臨済宗建長寺派の仏教寺院。山号は稲荷山(とうかさん)。
詳名は稲荷山浄妙広利禅寺(とうかさんじょうみょうこうりぜんじ)。
本尊は釈迦如来。開基(創立者)は足利義兼、開山(初代住持)は退耕行勇。
鎌倉五山の第五位、鎌倉三十三観音第9番の寺、札所本尊は聖観世音。



「山門」。







左側にある拝観受付所で拝観料 100円を支払い境内へ。
「稲荷山 浄妙寺 境内ご案内」。



石畳の参道を「本堂」に向かって進む。
浄妙寺は、鎌倉五山の一つとして栄えた寺。かつては広大な土地に、多くのお堂が建つ大寺院で
あった。残念ながら、火災により大部分を焼失し、現在ではいくつかの堂が建つのみとなっている。
参道の両側には白砂の敷かれた庭園が。



前庭の改修で「光悦寺垣(こうえつじがき)」が誕生していたのであった。



正面に大きな屋根を持つ「本堂」。
銅板葺で威厳のある建物なのであった。



参道の左手奥にあった「花塚」。
年に一度、花の供養を行っていると。



「光悦寺垣(こうえつじがき)」の庭を振り返る。



「本堂」。
寄棟造の銅板葺きで「起り(むくり)」と呼ばれる、膨らむような形の屋根が特徴の建物。
平面は方丈形式の六間取りとする。堂内には南北朝時代に作られた鎌倉十三仏の一つである
本尊の「木造釈迦如来坐像」、木造淡島明神立像」、開山の退耕行勇坐像(南北朝)
〔重要文化財〕が安置されています。現在の本堂は宝暦6年(1756)に再建されたと
伝わる。



御詠歌:(鎌倉三十三観音霊場第九番)
聖観世音菩薩
『はるばると まゐりておかむ 観世音 ほとけのおしへ 弥陀の浄土へ』



内陣には「方丈」と。



「本堂」を斜めから。



右手に「寺務所」。



「石窯ガーデンテラス」に向かって石段を上って行った。



鉢の蓮の花が。



「石窯ガーデンテラス」案内板。



浄妙寺境内の高台に、80年近い歴史を刻んだ洋館を改装して、石窯で焼くパンを提供する
カフェ&レストランとして 2000年5月にオープン。



イングリッシュガーデンを望める洋館のテラスで楽しめるアフタヌーンティー。

石窯ガーデンテラスのアフタヌーンティー
  「https://tea-magazine.net/afternoontea/26868/」より

前庭の花壇。シモツケ草に似ていたが。



その先に「足利直義公の墓」案内板があった。



前方に「延福寺跡」のやぐらが姿を現した。
「延福寺」は、足利尊氏の異母兄高義が母契忍禅尼の供養のために建てた寺で、
開山は足庵和尚と伝えられている。
一説には、高義の菩提を弔うために建てられたとも(高義の法号は「延福寺殿」)。
浄妙寺境内の西北が延福寺のあったという場所。
1352年(文和元年・正平7年)2月26日、足利尊氏によって幽閉されていた足利直義
(高義・尊氏の弟)は延福寺で病死したと伝えられている。
尊氏に毒殺されたとの説もある と。



「延福寺跡」には3つの大きな「やぐら」があった。



一番手前の「やぐら」には多くの「宝篋印塔」が安置されていた。



「足利直義墓」。
足利直義は正平七年(1352)2月26日に甥にして養子である足利基氏の元服を見届けた翌日に
亡くなった。享年46歳。
この直義の死の原因について足利尊氏による毒殺説が有力だが、『観応の擾乱』の著者である
亀田氏は病死(一説では肝臓癌?)であったとしている。鎌倉幕府が滅亡し、後醍醐天皇による
建武の親政がはじまってから20年近く、尊氏・直義兄弟は戦乱の世を休む暇なく、ともに
走り続けてきたのだが、決定的に仲たがいすることはなく、心の底ではお互いに信頼していたと。



「宝篋印塔」をズームして。



真ん中の「やぐら」には多くの「五輪塔」が。



「五輪塔」をズームして。



一番右の「やぐら」にも「五輪塔」が。



「五輪塔」をズームして。



「足利直義公の墓」を後にして坂道を下り、「浄妙寺」の墓地を見る。



更に墓地の中を進むと「足利貞氏公墓所」案内板があった。



「足利貞氏」の「宝篋印塔」。



近づいて。
「足利貞氏」は「浄妙寺」の中興開基。
八幡太郎義家から数えて八代目の子孫。
室町幕府を開いた足利尊氏の父。



「足利氏略系図」。



「足利貞氏公の墓」。



足利貞氏の墓と伝える明徳三年(1392年)銘の宝篋印塔。
基台の銘文により、罪障消滅・後生善根を願う逆修塔とされる。
中央部には「宝生如来」が浮き彫りされていた。



「源将祖先裔廟」碑。
その奥には小さな多くの「宝篋印塔」が。



「足利貞氏公の墓」の前から「浄妙寺」の「本堂」を見る。
手前にあるのが「開山堂(かいさんどう)」
堂内には、「木造退耕禅師坐像」、「木造藤原鎌足像」、「木造三宝荒神立像」、
「伽藍神倚像(がらんじんいぞう)」など寺宝が安置されていると。



「本堂」裏にあった「開山堂」を横から。



「鎌足桜」。



「鎌足桜
藤原鎌足公ゆかりの八重桜」。
2008年(平成20年)2月19日、藤原鎌足の伝承が残る「鎌足桜」が、同じく
藤原鎌足の「鎌槍伝説」が残されている浄妙寺に寄贈された。
「鎌足桜」には、藤原鎌足が木更津市の高蔵寺(高倉観音)を参拝した際に、持っていた
桜の木の杖を地面にさしたところ、それが根づいて桜の木となったという伝説が残されている
(木更津市の天然記念物)。



「鎌足桜」。

鎌倉の鎌足桜 - 小桜舞子のブログ(旧)
【https://blog.goo.ne.jp/sakuramusubi-gs/e/5f989c815c135b5b375d3df0e2dcc254】より

「浄妙寺周辺公衆トイレ案内図」
鎌倉市の公衆トイレには、このような現在地周辺のトイレ案内図が掲示されていた。



そして「茶堂 喜泉庵」を訪ねた。



未だ雨戸は閉まっていたが。



前回訪ねたときは白砂に雪が残っていたが。



白砂青松の枯山水庭園。



水流を表す砂紋を白砂に描いた枯山水の庭園は杉苔の描く曲線も美しく。



次に訪ねたのが「熊野神社」。
一の鳥居を潜り急な石段を上っていった。



そして、息を切らしながら「熊野神社」の「社殿」に到着。
かつてこのあたりには「大休寺」があったと。



「浄明寺地区の鎮守さま 熊野神社の祭神神楽について
相模風土記稿に熊野神社は村の鎮守なりと記録されてあります。このお宮は古くから
浄明寺地区の氏神様として信仰されてきました。
社伝によれば応永年間(1394〜1427年)及び永正年間(1504〜1520年)に社殿を
再建したと伝えられています。明治6年(1873年)には国より正式に浄明寺地区の
鎮守として公認され昭和27年には宗教法人として登記され現在にいたりました。
祭神は、天宇頭女神、伊弉諾命、伊弉冊命の三柱です。
七月の祭礼(夏祭り)には神楽が奏されますが「湯花神楽」「鎌倉神楽」といわれ
地元の人々から愛されていました。然し最近では数年おきにおこなっています。
火の神水の神を招神して感謝し、除災招福を祈り弓矢の威力で悪鬼調伏を行います。
  平成八年十月吉日」



最後に「浄明寺」の「山門」前を右に行くと「三宝荒神像」を祀った「本寂堂」があった。
しかし、この時は石段は閉鎖されていて「本寂堂」には近づけなかった。



「本寂堂」をズームして。
「三宝荒神像」は、三面六臂で仏・法・僧の三宝を守る神(浄妙寺鎮護の神)。



帰ってからネットで調べると、かって「浄妙寺 には、足利義兼が発願し、北条政子が造らせた
という荒神像、不動像を安置する「本寂堂 があったと。
現在伝えられている「木造三宝荒神像」は室町時代のもので、「開山堂 に安置されている、と。
三宝荒神は、三面六臂で仏・法・僧の三宝を守る神(浄妙寺鎮護の神)。
「開山堂 に安置されている三宝荒神像は、このようなもの。(非公開)。




「鎌足稲荷神社」を訪ねるため、更に坂道を上って行った。
道の突き当りを右に曲がると、小さな石の階段が続いていた。



境内への長い階段を上って行った。



そして前方に「鎌足稲荷神社」が見えて来た。
稲荷大明神を祀る。ご利益は商売繁盛・殖産興業・家内安全・心願成就・厄除け・開運。
浄妙寺には、鎌倉の地名の由来ともされる藤原鎌足の「鎌槍(かまやり)伝説」が残されている。
昔、藤原鎌足は、鹿島神宮参詣の途中で由比の里(現鎌倉)に宿泊した。
すると、夢に現れた老人から「鎌槍をこの地に埋めれば天下はよく治まる」というお告げを受け、
白狐に導かれるまま所持していた鎌槍を浄妙寺の裏山に埋めたのだという。
鎌倉という地名は、この鎌足の「鎌槍」から生まれたという説がある のだと。



以前に頂いた「鎌倉五山第五位 稲荷山浄妙寺」の御朱印です。



以前に頂いた「鎌倉三十三観音霊場第九番 稲荷山浄妙寺」の「聖観世音菩薩」の御朱印です。



そしてこの日の「古都「鎌倉」を巡る」の予定の散策を終了し、往路と同じく「浄明寺」バス停
から鎌倉駅へ。そして大船駅から東海道線、小田急線を利用して帰宅したのであった。





                              ・・・​ もどる ​・・・


                  ・・・​ つづく ​・・・





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Last updated  2022.05.19 16:16:58
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