JINさんの陽蜂農遠日記

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2022.05.11
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カテゴリ: 茅ヶ崎市歴史散歩
​【茅ヶ崎市の神社仏閣を巡る】目次

​​茅ヶ崎市寺尾の住宅地を進む。
大きな家の庭には、手入れの行き届いた大きなカイズカイブキの樹が。



「大岡越前通り」からの分岐地点に石碑があった。



「下寺尾西方の道祖神」。
左側には五輪塔の部位が。
兜巾型文字道祖神であり文化二(1805)年と刻まれていた。
「道祖神」の銘がはみ出るほど大きいのであった。
神奈川県茅ヶ崎市下寺尾1174。



そしてこちらは民家の岩塀の隙間に置かれていた「 下寺尾中山山王社の道祖神
茅ヶ崎市下寺尾1139。



安政二(1855)年と。



「大岡越前通り」の「みずき」交差点を東に進む。



「駒寄川」に繋がる水路の近くには「正一位伏見高倉稲荷神社」があるはずであったが
現在この場所は造成中であり、その姿はなかった。どこかに遷宮されたのであろうか?



この「正一位伏見高倉稲荷神社」は何処へ?


    【https://www.sagami-yashiro.net/2013/12/blog-post_7002.html】より

県道47号線近くの墓地の角にあった石碑群。



白峰寺の手前の小出中央通りに面した場所にあった「地蔵尊」。
木立に囲まれ一段高い場所に鎮座した「地蔵尊」。
神奈川県茅ヶ崎市下寺尾1559。



既に桜は今年の仕事を終えて。



銅葺屋根の社の中には「地蔵尊」と石碑が。







「・・・観世音」と刻まれた観音碑であったが。



歌碑。
「里まもる 観音様も 江戸そだち 包む白衣も 子等安かれと」。



地蔵堂前に立つ歌碑には、
「朝霧に 深き緑の 白峰の 後世守り給いし 地蔵尊  佐藤セン」と。







「不許葷酒入山門」碑。「葷酒山門に入るを許さず」と。
多く禅宗の寺の門前に立つ結戒の一つ。 「不許葷酒入山門」とあり、臭気の強い野菜は他人を
苦しめるとともに自分の修行を妨げ、酒は心を乱すので、これを口にしたものは清浄な寺内には
いることを許さないということ。
石碑の後ろには、これから訪ねる「白峰寺」が拡がっていた。



脇の入口の石段を見る。



「小出中央通り」沿いにあった入口には寺号標石「景徳山 白峰寺(はくほうじ)」が立っていた。
神奈川県茅ケ崎市下寺尾1551。



「景徳山 白峰寺」の境内案内板のようであったが・・・これぞ「白包地」。



元気な頃の姿をネットから。


   【https://hotokami.jp/area/kanagawa/Hkyty/Hkytytp/Dmmpt/54789/】より

更に詳細図もネットから。
これがあるとブログの書き込みが楽なのである。


    【http://www.t-samukawa.or.jp/~petreien/facilities.html】より

右手に「隨雲殿」。
法要会場・会食場であろうか。



扁額「隨雲殿」。



境内右側には見事な庭が拡がっていた。



石灯籠。



「本堂」と「隨雲殿」の間の庭には池が拡がっていた。



懐かしき「井戸ポンプ」の姿が。



「白峰寺池」に近づいて。



「本堂」と「隨雲殿」の連絡回廊を見る。



銀杏の樹には 瑞々しい緑色の若葉の 新緑が。
その奥には「動物愛護の会受付寺務所」があった。
動物愛護の会がペットの葬儀火葬埋葬の面倒を見てくれるようであった。



本堂手前左側にあったのが、「寿老人」の社。
「相州小出七福神」の寺であった。



「寿老人」。



今年、2022年1月4日(火)~31日(月)の期間、「相州小出七福神」スタンプラリーが行われ
我が旅友も電動アシスト自転車で廻ったとのことであった。


【https://www.chigasaki-kankou.org/wp/wp-content/uploads/2018/12/6df237f5d4652bce0b74d9708a0353c7.png】より

そして「本堂」が右側に。
曹洞宗 景徳山 白峰寺。
開基  松平家
開山  峩国(がこく)禅甫和尚
創建  天文13(1544)年
本尊  阿弥陀如来
札所  相州小出七福神(寿老人)
札所  相模国準四国八十八ヶ所第81番
御詠歌
第81番景德山白峰寺
「頭(かしら)には 月日の霜をいただきて 数のみ寺にめぐる嬉しさ」

現在の本堂は、大正14年に火災により焼失したものに代わり、昭和2年に檀信徒の力添えにより
再建されたもの。



内陣にあった「圓通(えんずう)」の額。
伊予松山第9代藩主松平定国公によって書かれたもの。
天明元年(1781年)5月24日、定国公は白衣観音を礼拝され、同年5月30日に「圓通」の
2字を賜りました と。
「圓通」とは「周圓融通」の略。仏語。智慧によって悟られた絶対の真理は、あまねくゆきわたり
その作用は自在であること。また、真理を悟る智慧の実践 と。



「観音堂」。
安永8年(1779年)の頃、白峰寺第11世大嶺梅薫(だいれいばいくん)大和尚が江戸に布教して
いた折に、その説教に感銘した芝宇田川町の花屋治郎兵衛より唐国伝来の白衣観音像が奉納された。
以来、白峰寺の観音信仰は江戸時代から庶民の信仰を集めてきた。しかし、本堂と同様に火災に
より当時のものは焼失してしまったが、昭和49年に復興した と。



「白峰寺 白衣観音
観音さまは、世の中の音声を観じて、一切の生きとし生けるものに無量の慈しみの心をもって、
苦しみから救ってくださる菩薩さまです。観音さまは救済にあらわれる時、多くの姿をとると
言われています。白衣観音はその姿のひとつであり、深く信仰することにより立派な子供が
当山の白衣観音への信仰は江戸時代から続き、当時盛んだった大山詣りの帰り道には当山を訪れ、
安産祈願はもとより、育児祈願、息災延命や家内安全などを願って手を合わせたと伝えられて
います。皆さまも、生きとし生けるもののために心静かにお参りください。
                                      合掌」



ズームして。
現在は火葬、納骨されたペット達を供養するための塔であると。



「観音堂」入口。
ここがペットの「納骨堂」入口なのであった。



正面に「観音菩薩像」。
その後ろには犬の姿が。



壁には見事な絵画が周囲全域に渡って。
白衣観音の姿であろうか。



授乳する母の姿。



裸婦の姿。



祈りの姿。



見上げて。



天井。



裸婦そして鶴の姿も。



動物の「納骨堂」とは思えない、芸術的な光景が拡がっていたのであった。
ペットを飼う人の人気の寺であることが何となく解かったのであったが。

                              ・・・​ もどる ​・・・


                   ・・・​ つづく ​・・・





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Last updated  2022.05.21 12:59:45
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