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2022.07.02
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カテゴリ: 寒川町歴史散歩
【寒川町の寺社旧蹟を巡る】 目次

寒川町小谷四丁目の細道を西に向かって歩く。
前方に「寒川町立小谷小学校」の校庭の周囲の満開の桜が現れた。



満開の桜の下を歩く。



校庭内に置かれた非常用倉庫?に描かれた子供たちの絵画を楽しみながら進む。



校舎の壁には山の姿が描かれていた。



桜並木の先の大山の姿を見る。



三叉路にあった小さな社。
神奈川県高座郡寒川町小谷1丁目12−28。



六臂青面金剛像、下部には三猿が刻まれていた。







中原街道に出て「セブン-イレブン 寒川小谷1丁目店」で水分補給。



「セブン-イレブン 寒川小谷1丁目店」の向いには旧家の立派な門が。



城の如き住居がその隣に。
神奈川県高座郡寒川町大蔵850−1近く。



中原街道を右に入り旧家の横の細い路地を進む。
はなずおう(花蘇芳)に似た真っ赤な花が。それとも花桃であろうか。



右に曲がると前方に大きな墓が現れた。



道路沿いに小さな社が見えた。
Googleマップには「阿弥堂跡」と。
神奈川県高座郡寒川町大蔵。



社の中には石仏が鎮座。

四国八十八ヶ所霊場第64番札所は「​ 前神寺 ​」👈リンク であるが・・・。



正面から。



歴史を感じさせる石仏群。



墓地を振り返る。




この近くには寺はなかったが。



そして再び「中原街道」に出て、JR寒川駅方面に向かって進む。
左手にあったのが「日本一たい焼 湘南寒川店」。



この辺りが「十三塚(亀の子塚)」であったが。
通称「中原街道」・主要地方道丸子・中山・茅ヶ崎線に沿って点在する塚で、現在は5基ほどが
残っている。中でも最大の規模をほこるのが、小谷交差点南側にある「おこり塚」とよばれる
もので、塚を盗掘した者が瘧(おこり)、という病にかかったという言い伝えがある。
昭和62年(1987)、発掘調査が行われたのだと。
十三塚は、日本各地に分布する民間信仰による土木構造物。
起源は定かではないが、13人の落武者を葬ったとか埋蔵金を埋めたとかいう伝承が多いと。
一般には13基の高塚で構成されているが、必ず13というわけではないようだ。
当地の十三塚も元々は15基の塚で構成されていたとの事。



「小谷」交差点を通過。



十三塚(おこり塚)。



別の場所から。
最大規模の塚で塚を盗掘した者が瘧(おこり)という病にかかったという言い伝えが
名称の起源のということ。
昭和62年に発掘調査が行われていて、中世から戦国時代頃に造られたらしいと。



ここにも塚が。



これも塚か?



神奈川県高座郡寒川町岡田7丁目近辺の「住居表示街区案内図」。



そして中原街道を左折し南東に進むと前方に見えて来たのが「菅谷神社」。
神奈川県高座郡寒川町岡田4丁目20−39。



脇門から境内を見る。



「天保神輿
  寒川町指定重要文化財第七号
  昭和五十四年十ニ月十五日指定
天保九年(一八三八)国府祭(こうのまち)の帰路、馬入で馬入の若衆と喧嘩となり川に流され、
茅ヶ埼南湖(なんご)の浜で孫七にひろわれた元寒川神社の神輿を改装したものです。」



「​ 天保神輿 ​」👈リンク をネットから。


   【https://www.townnews.co.jp/0604/2021/11/05/598836.html 】より

こちらが「菅谷神社」の入口の石鳥居。



社号標石「菅谷神社」。



手水舎。



「神楽殿」とその奥に「神輿殿」。



縁結びの木・梛(なぎ)が社殿前中央に。
葉のカタチをみると広葉樹のような幅の広い葉を持っているが、実は針葉樹。
その葉脈は独特で、主脈が無く、縦方向にのみ平行に伸びている。
この葉脈の方向に引っ張っても葉がなかなか切れないことから、縁結びの願掛け・お守りに
するようになったと。その昔、女性が鏡の裏側にナギの葉を入れ、夫婦の縁が切れないように
願ったとのこと。
御神木のようであった。



社殿
祭神
・天照大神(アマテラスオオカミ)
・建御名方神(タケミナカタノカミ)
・大山咋命(オオヤマクイノミコト)
・倉稲魂命(ウガノミタマノミコト)
・天忍穂耳命(アメノオシホミミノミコト)
・素盞嗚命(スサノオノミコト)



石灯籠



狛犬(右)



石灯籠(左)



狛犬(左)。



「記念碑」。



「當神社はもと神明宮(通称天宮)と称し岡田小谷大蔵の鎮守として往昔よりこの地に
鎮座せらる明治四十ニ年七月二十三日各部落内の五社を合祀して社号を菅谷神社と
改む 今年偶々合祀並に社号改称五十年記念大祭を執行するに当りこれが由緒の
滅せんことを虞れ鎮座地等を刻み以てこれを後昆に伝う」
鎮座地      社号      御祭神     例祭日
 岡田    神明宮          天照大神   七月二十三日
 小谷    稲荷社          倉稲魂命   十月十一日
 大蔵    諏訪神社       建御名方神  八月二十七日
 西岡田   八坂神社       素盞嗚命   七月十五日
 東岡田   東守権現社    天忍穂耳命  九月九日
 岡田    日枝神社   大山咋命   九月二十九日
 大蔵    第六天神社    大蔵総鎮守大蔵山王社」



内陣



中央に扁額「菅谷神社」。



ご神体の「鏡」。
神社における鏡は一般的に太陽を指しているといわれている。
理由は鏡で太陽の光を反射するのを正面からみると鏡が太陽のように光り輝いて見えるか
するので、太陽を象徴する鏡をご神体として神社に祀るのだ。
また、鏡に映った自分自身の姿から自分の行動を自覚するという意味もある。



内陣の左側。太皷や奥に神具が。



石碑・石像群。
庚申塔は5基?あったが、風化、損傷が大きいものが多く残念な状態。



中央に「ショケラ持ち六臂青面金剛立像庚申塔」、角柱平頭型、文化13年(1816)。
左下の手に裸で合掌した女の髪の毛をつかんでぶらさげている。 これは「ショケラ」と称する。
これは仏教用語の「障碍」(しょうげ)からでたもので、障碍等(しょうげら)がなまってショケラに
なったものであるとのこと。
「ショケラ」は人間を罹病させることを始めとし、さまざまな悪いことをするものである。
そこで庚申さんが、それがあばれださないように、頭髪をつかんでおさえているのである、
という説があるとのこと。



文化13年(1816)8月
山伏角柱
月日・「庚申塔」・道標
右側面「文化十三子八月吉□
    右 こくふんじ」
左側面「左 なんがうミち」



文化13年(1816)11月
角柱
日月(手持)・青面金剛像(合掌・六臂)
右側面「文化十三子十一月吉日」
左側面「大藏村
    施主栗田彦左□」



享保11年(1726)5月29日
笠付角柱(笠なし)
月日・ウーン・青面金剛像(合掌・六臂)・三猿
右側面「庚申供養講中」
左側面「小谷戸村
    享保十一午天五月廿九日」



嘉永2年(1849)9月
駒型・道標
日日・青面金剛像(剣人・六臂)・邪鬼
右側面「嘉永二己酉歳九月吉日」
左側面「右一の宮
    左あつ木 みち」



天明8年(1788)7月
山伏角柱・道標
青面金剛像(合掌・六臂)
右側面「右り馬入
    天明八戊申七月吉□」
左側面「左り 藤沢 南郷」



「菅谷神社」の「社殿」の裏には大きな樹が茂っていた。



手水舎を横から見る。



鳥の彫刻。



社務所



天の宮合祀百周年紀念碑。



「菅谷神社」の境内を振り返る。



                              ・・・​ もどる ​・・・


                   ・・・​ つづく ​・・・





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Last updated  2023.08.17 17:16:17
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