JINさんの陽蜂農遠日記

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2023.01.02
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カテゴリ: JINさんの農園
さらに「井伊家墓所」の散策を続ける。
14代井伊直憲・正室(春照院殿)の墓。
「春照院殿宜室妙貞大姉」
井伊直憲継室、有栖川宮幟仁親王王女・宜子。



「井伊正弘家代々之墓」。
井伊直弼の曾孫となられる井伊正弘氏。井伊美術館館長等を歴任。



「清操院殿福賢貞順大姉」の墓。
井伊直忠夫人・斎藤ふく。



「直心院殿忠山琴堂大居士」と刻まれた墓石。



14代井伊直憲(忠正院殿)の墓
「忠正院殿清莭怒堂大居士」。



「柳村院殿翆顔智性大姉」と刻まれた墓石。
井伊直弼側室・里和(直憲生母)。



「覺正院殿端操常道大姉」と刻まれた墓石。




「柳江院殿心月明◯大姉」と刻まれた墓石。



徳應謙道首座塔 」と。
これは、井伊直弼の墓所を生涯守り、明治34年に79歳で没した
元彦根藩士・遠城謙道の墓なのだと。



櫻田殉難八士之墓 」。
安政 7年 3月 3日に登城中の大老・井伊直弼が桜田門外で水戸浪士等の襲撃を受けた際、
主君を護衛し殉難した 8人を顕彰した碑「桜田殉難八士之碑」。
殉難した 8人 ( 即死者 4人、後に死亡した者 4人 )、日下部三郎右衛門、河西忠左衛門、沢村車六、
小河原秀之丞、越石源次郎、永田太郎兵衛、加田九郎太、岩崎徳之進。




(1)日下部 三郎右衛門 ⇒ 森五六郎(水戸浪士)によって、真っ先に切られた人物
(2) 河西 忠左衛門 ⇒ 井伊家の剣豪・二刀流、現場で死亡
(3) 沢村 車六 ⇒ 森五六郎(水戸浪士)によって、真っ先に切られた人物
(4)小河原 秀之丞 ⇒ 有村治左衛門を切るも返り討ちに遭い、腕を切られ眼球が飛び出る
(5)越石 源次郎 ⇒ 負傷、帰邸後死亡

(7)加田 九郎太 ⇒ 斎藤監物(水戸浪士)と切り合い、現場で死亡
(8)岩崎 徳之進⇒ 伊賀奉行。負傷、帰邸後死亡
ちなみに、命が助かった他の武士達だが、彼らには後年、主君を守れなかった罪を問われ、
重傷者は流罪、軽傷者は切腹、無傷だった者はなんと斬罪が言い渡されたのだと。



左に「 清純院殿誠徳玄意大居士 」と刻まれた墓。
右に井伊智ニ郎「 清霜院殿真月智梅大居士
  井伊智ニ郎正室「 清心院殿梅莟慧香大姉
中央に「 清明院積操里○大姉 」と刻まれた墓。
最後の藩主井伊直憲の同母弟。近衛文麿の妻・近衛千代子の外祖父。
明治時代は士族に列し、智二郎と名乗り滋賀県で過ごしたという。



修復中の墓石が並ぶ。



そして国指定史跡の井伊家墓所を後にして入口に向かって戻る。



参道左手のドウダンツツジの紅葉。





近寄って。



「招き猫」の後ろ姿を。



高橋瑞子彰功之碑
高橋 瑞子(たかはし みずこ、1852年12月5日〈嘉永5年10月24日〉 - 1927年〈昭和2年〉
2月28日)は、日本の医師。荻野吟子、生沢クノに次ぐ、日本で第3の公許女医である。
当時の唯一の私立医学校でありながら、女子の入学を許可していなかった済生学舎に、
女性である自身の入学を認めさせることで、女性の医学への門戸を開かせた。



日下部家墓 」、元彦根藩士で書家、太政官大書記、近代書道確立者の日下部 鳴鶴(東作)
(くさかべ めいかく)
右隣には「 日下部東作 徳配琴子之墓 」。 「日下部鳴鶴(くさかべ めいかく)」夫妻の墓、
題字は呉昌碩。
日本の書家である。本名は東作。字は子暘。別号に東嶼、翠雨、野鶴、老鶴、
鶴叟などがある。

中国、特に六朝書の影響を受けた力強い筆跡が特徴であり、それまでの和様から唐様に日本の
書法の基準を作り変えた。加えて数多くの弟子を育成、彼の流派を受け継ぐ書道家は極めて多い。
芸術家としても教育者としても多大な功績をあげたことを称えて「日本近代書道の父」と評される
こともある。
鳴鶴の流派は鶴門と呼ばれ、その門下生は3000人を数えたと言われる。また生涯で1000基の石碑を
書いたとも言われ、現在も全国に300基以上の碑が残されている。
中でも大久保公神道碑は鳴鶴の最高傑作といわれる と。
墓の背面には、「清閑院殿鳴鶴徳音居士/大正十一年一月廿七日歿 享年八十五」と記されていた



近づいて。



「鳴鶴先生碑銘」
「昭和8年に建てられ、鳴鶴の楷書碑から比田井天来が苦心して集字したもの。綺羅星のごとく
居並ぶ門弟の中で、なかなか書き手が決まらずに、 月日が経ち結局集字することになったのだ
という。碑文は、47字33行、1429字に及び、 若干の文字の不揃いは見えるものの
全体としてみれば整然とした楷書が連ねられていて天来の労苦がしのばれる。
撰文は、内藤湖南。 篆額は、西園寺公望。
篆額を、城所湖舟氏は、「天来書と見ました」と雑誌「凌雲」で述べている」 とネットより。



再び「三重塔」を見上げて。



「今月の写経の会」案内。
そして左に「彦根藩 井伊家の刀剣」展示会のポスター。



モミジの黄葉をこれでもかと。





陽光を浴びてこれぞ黄金の輝き。



「仏殿」を再び正面から。



「仏殿」の巨大な屋根。



屋根の頂部・大棟には曹洞宗 大谿山(だいけいざん)豪徳寺(ごうとくじ)の寺紋が。

この寺は彦根藩の井伊家の菩提寺でもあるので、寺紋も橘紋の中でも彦根橘と呼ばれるもの。



井伊家の旗印である「井桁(いげた)」紋。



仏殿を振り返って。枝垂れ桜も美しいのであろう。



ネットから。



「久昌殿」。
豪徳寺開基、井伊直考公の戒名「久昌院殿豪德天英大居士」に由来。
檀信徒会館として、写経の会をはじめ、法事法要など各種行事に利用 と。



「東門」に向かって進む。



紅葉を見上げながら。



「東門」は閉まっていたが。



引き返して「久昌殿」の東側の真っ赤な紅葉。





「久昌殿」横にあった「招き猫」の自販機。



「寺務所」前の枝垂れ桜。



再び「地蔵堂」を。



扁額「地蔵堂」。



そして「 表門 」、 袖塀は5本の筋がある「 筋塀 」。



「不許葷酒入山門」。



移動して「表門」を振り返る。




「城山通り」からの豪徳寺参道の松並木を見る。



そして東急世田谷線の「宮の坂」駅から三軒茶屋駅に向かう。



「東急世田谷線」の「下高井戸」駅行きの電車。


下高井戸駅 → 松原駅 → 山下駅 → 宮の坂駅 → 上町駅 → 世田谷駅 → 松陰神社前駅 → 若林駅
→ 西太子堂駅 → 三軒茶屋駅。
線路には雑草が生えて。



そして「三軒茶屋」行きに乗る。



東急田園都市線の三軒茶屋駅への通路の壁にあったモニュメント。





そして東急田園都市線の三軒茶屋駅のホームのポスター。
八代目市川新之助初舞台 」の襲名公演のポスター。
12月5日に東京・歌舞伎座で開幕した。昼の部は、新之助が9歳で粂寺弾正役に挑む歌舞伎十八番
の内「毛抜」で締めくくられた。中村梅玉演じる小野春道の屋敷を舞台に、新之助は
粂寺弾正(くめでらだんじょう)役で各見せ場で見得を切り、愛嬌あふれる弾正を持ち前の
明るさとおおらかさで表現しているとのこと。



市川海老蔵改め十三代市川團十郎白猿襲名披露 十二月大歌舞伎 」ポスター。
令和2(2020)年、新型コロナウイルス感染症の拡大を防ぐため、政府からの緊急事態宣言を
受け、5月から7月までの3カ月間にわたり歌舞伎座で予定していた「十三代目市川團十郎白猿
襲名披露」の公演を延期。
この度、約2年6カ月の時を経て延期していた「十三代目市川團十郎白猿襲名披露 
八代目市川新之助初舞台」の公演を、令和4(2022)年11月、12月の2カ月間にわたり
歌舞伎座にて開催するのだと。



そしてJRで渋谷駅経由で目的地の五反田駅に向かったのであった。

                               ・・・もどる・・・



                 ・・・END・・・





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Last updated  2023.01.02 00:00:18
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