JINさんの陽蜂農遠日記

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2023.04.22
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カテゴリ: 国内旅行
「佐原張り子のひな人形」-1
佐原で昔から愛され続けている伝統的工芸品。



「佐原張り子のひな人形」-2

その製法は、粘土で作った型に和紙を糊張りし、2~3日乾燥させてから粘土の型を取りだし、
合わせ目を張り合わせてから胡粉、ニカワを練り合わせたものを上塗りし、乾燥させてから
泥絵の具で彩色するという、昔ながらの方法。



伊能家の婚礼用打掛 」。



伊能家の婚礼用打掛
年代: (江戸時代後期)
こうさんの母「ひさ」さんが、伊能家に嫁入りした際に持参した打掛で、伊能家の女性が代々、
婚礼時に着用しました。打掛とは、内側の着物の上に羽織るもので、裾周りに厚みの有る部分を
作ることで、引き摺って歩く際に足にまとわりつくのを防いでいます。」







さらに。
松の古木があしらわれていた。



松の下に館が。金糸の刺繍が見事。



「伊能家の雛人形」-1



「伊能家の雛人形」-2



「伊能家の雛人形」
年代:明治
忠敬から5代目の「こう」さんの妹のひな人形です。



そして巡って来た展示ブースを再び振り返る。
「佐原での活躍」コーナー。



「独学の時代」コーナー。







「全国測量へ」コーナーを反対側から。



「西日本測量へ」コーナー。



「伊能図の完成」コーナー。



「伊能図の完成」コーナーを反対側から。



正面に「シーボルト事件」のコーナー。




マンホール蓋。
「ポケモンマンホール蓋」・「ポケふた」 は世界に1枚しかないオリジナルデザインの
マンホールで、株式会社ポケモンから観光振興などを目的に香取市に寄贈されたのだと。
本事業は、以前から市の若手職員20人以上が企画や検討に携わっており、図鑑に記載している
「地域とポケモンをつなぐストーリー」は、若手職員が考えたのだと。
タイレーツはヘイチョーとヘイの6匹が隊列を組んで行動。ココガラはどんな強敵にも挑み
かかる勇敢なポケモン。江戸時代にたった6人で、危険を恐れずに測量を始めた伊能忠敬の姿と
重なるのだ と。



そして「小野川」に架かる「樋橋」まで戻ると、正面には先程訪ねた
伊能忠敬旧宅 」が見えた。



「樋橋」を再び渡る。
「伊能忠敬旧宅」の2軒隣にあったのが「小江戸さわら舟めぐり」のチケット売り場である
「【お休み処/舟めぐり】株式会社ぶれきめら」。



「【お休み処/舟めぐり】株式会社ぶれきめら」の前から小野川対岸の
白壁の蔵を見る。



このマンホール蓋は汚水マンホール蓋。
旧・佐原市といえば水郷。市の花「アヤメ」の咲く水郷での鮒釣りをデザイン。
もっとも、アヤメは水辺にはないそうなので、カキツバタかハナショウブかもしれない。



3月12日に開催された「 ​​ さ​ わら雛船春祭り ​​​ 」👈リンク のポスター。



千葉県道55号佐原山田線(香取街道)に架かる「 忠敬橋 」は一部工事中であった。



「もともと大橋(佐原大橋)と呼ばれていたが、1882年(明治15年)1月に佐原の人々が協力して
アーチ型をした橋長8間、幅員3間の石橋に架け替え、「協橋(かなえばし)」と名づけられた。
総工費は4,840円20銭8厘。 第二次世界大戦後は交通量の増加に伴い橋梁幅員が狭くなったため、
1957年(昭和32年)に1.8mの拡幅を行った。 アーチ型をしためがね橋は町の中心にあった
ことから佐原のシンボル的存在であったが、自動車交通量の更なる増大や老朽化により1968年
(昭和43年)4月にコンクリートの新しい橋に架け替えられ、郷土の偉人伊能忠敬翁から
忠敬橋(ちゅうけいばし) 」と名づけられた。
以前、県道の交通量が多かったことから忠敬橋の上に忠敬歩道橋が架けられ、小学生は必ずそこを
通行しなければならなかったが、大型車の交通が減ったこと、町並みの景観にそぐわなくなった
ことから撤去され、押しボタン式信号機が設置された。
なお、伊能忠敬の正式な読みは「いのうただたか」であるが、佐原の人は忠敬記念館を
「ちゅうけいきねんかん」、忠敬橋を「ちゅうけいばし」というように親しみを込め音読みで
「ちゅうけい」と呼ぶことが多い」 とウィキペディアより。
「忠敬橋」と書かれた銘板の上には測量計の「」が設置されていた。



「忠敬橋」から「小野川」上流を見る。



「忠敬橋」から「小野川」下流を見る。
この先、約1.5km先で利根川に流れ込んでいるのであった。



再び「 植田屋荒物店 」が見えて来た。



植田屋荒物店
店舗:切妻平入り 明治26年(1893)築(奥)寄棟2階建て 前建物後
土蔵:切妻妻入り 明治初年 築
創業:宝暦9年(1759)
初代辻仁兵衛は、近江(蒲生)の出で現在8代目となる。
屋号「植田屋」 かって荒物と畳表の卸業が主で、「大分県から産地直輸入畳表」と書かれた
奇妙な看板を見ることができる。
明治25年大火後に平屋の店舗を、その後奥に2階建てを増築して店舗兼住宅とした。
土蔵は、大火前の建物で一般公開されており、叉首組(さすぐみ)構造の大きな棟木を見る
ことができる。この棟木は6間の長尺で搬入の際大変であったと聞く。
                    NPO法人小野川と佐原の町並みを者える会 贈」
案内板の下には可愛らしい雛飾りが竹の上に。



奥は「蔵」に継っていて、中を見学させてもらった。



「蔵へようこそ」のポスターもあった。



蔵の中も店の一部となっていた。
様々な扇子。



美術館の如くに。
およそ250年もの間、佐原の人々の暮らしを支えてきたのであろう荒物屋。
職人の手で作られた日用雑貨が並ぶ、昔懐かしい荒物屋なのであった。



蔵の2階に上がる。
叉首組(さすぐみ)構造の大きな棟木を見る。
「叉首組構造(さすぐみこうぞう)」は伝統構法の小屋組で茅葺屋根に採用される。
別名「合掌造り(がっしょうづくり)」と呼ばれる。
叉首組構造は、垂木や合掌の横に渡す木「屋中(やなか)」と合掌の骨組みである丸太と
垂木の上に横に渡す竹をワラ縄などで結び作られる。
勾配は「矩勾配(かねこうばい)」と呼ばれる45度が多いが、富山の合掌作り集落など雪が
多い為に更に急勾配の60度ぐらいの角度で作られるのだ と。



合掌の横に渡す木「屋中(やなか)」。



2階の床には隙間が設けられていたが換気が目的なのであろうか。



様々な雛飾りも。



叉首組(さすぐみ)構造の大きな棟木をズームして。
黒光りした棟木が歴史の深さを感じさせるのであった。



「藍染」であっただろうか。



2階から前方の急な階段を注意深く降りたのであった。



漆塗りの数々のお椀。



草箒(くさぼうき)も並んでいた。



そしてこの日の昼食で利用した店・「 元祖 すずめ焼き 麻生店




再び「 佐原三菱館 」を見る。



癒しの雑貨 ラパン 」には「「鶴瓶の家族に乾杯」に出たお店です!!」



昭和レトロな佐原の路地にはお年寄りが二人のんびりと。



三菱銀行佐原支店旧本館 」には「 川崎銀行佐原支店 」と。

この建物は、大正3年(1914)に川崎銀行佐原支店として建設されたものである。
当時の建築設計図には、清水満之助本店(現在の清水建設)技術部の設計になることが
記されている。昭和18年(1943)に川崎銀行は三菱銀行と合併し、三菱銀行佐原支店となったが、
平成元年(1989)に銀行の新店舗が完成したことに伴い、この旧店舗は香取市に寄贈されて
今日に至る。
建物は煉瓦造2階建て、木骨銅板葺屋根の明治時代の洋風レンガ建築の流れをくんでいる。
内部は吹き抜けで、2階周囲には回廊がある。正面右隅に造られた入口はルネサンス風の外観で、
この区画の頂上にはドームが付けられており、建物全体の景観にアクセントが与えられている。
全体のデザインは、ルネサンス様式で、レンガと花崗岩で構成される特徴的な外観の建物である。



佐原町並み交流館 」。



「佐原 雛飾り」。



「香取神宮入口」交差点手前の民家の門も歴史を感じさせるのであった。



そして駐車場のバスに戻る。
時間は14:20。



そして「 佐原香取IC 」から「 東関東自動車道 」を利用して帰路に。



本線に向かって進む。



「小野川」手前の大規模太陽光発電設備。



成田市内の長閑な田園風景の中を進む。



そして出発して1時間10分ほどで「 首都高速湾岸線 」から見えたのが羽田空港の
東京航空局 東京空港事務所 」の「 旧管制塔 」。



そして「 現在の管制塔 」。



この管制塔は 約116mと日本一高く、世界でも4番目の高さ の管制塔。



羽田スカイアーチ 」下を通過。
​羽田スカイアーチは、東京国際空港(以下、羽田空港)の第一ターミナルと第二ターミナルの間に
ある橋梁である。羽田空港のシンボル的存在とされている。
アーチという名称ではあるが、世界でも類を見ない主塔アーチ型の斜張橋であり、 赤いアーチ
高さは44.5m、アーチのスパンは160m、南北二本の主桁は主塔とケーブルで結ばれている。
正式名称も東京国際空港中央南北連絡橋である。​
平成4年度土木学会田中賞を受賞した。



「JALロイヤルケータリング」敷地内のアンテナ塔を見る。



ENEOS株式会社 扇島風力発電所 」が右手前方に。



鶴見つばさ橋 」から「 東京電力横浜火力発電所 」の 高さ地上200mの排気筒



大黒PA 」にてトイレ休憩。



そして「 横浜ベイブリッジ 」から「 横浜ランドマークタワー 」を見る。



そして横浜新道を利用して、地元駅前にほぼ定刻時間に無事到着したのであった。



佐原にあった「伊能忠敬記念館」は、千葉県香取市佐原にある、伊能忠敬が生涯を過ごした
地である佐原地区に建設された博物館であった。
伊能忠敬は、江戸時代末期に幕府の命を受け、日本全国の地図作成や測量を行った測量家であり、
その功績を称え、佐原地区には多くの伊能忠敬関連の史跡が残されていた。
「伊能忠敬記念館」は、伊能忠敬の生涯や業績を展示するための施設であり、伊能忠敬が測量に
使用した測量器具や地図、手稿などの資料が展示されていた。
伊能忠敬の業績や測量技術についてゆっくりと学ぶことができたのであった。

                               ・・・​ もどる ​・・・



                 ・・・END・・・





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Last updated  2023.04.22 06:59:00
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