JINさんの陽蜂農遠日記

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オジン0523 @ Re:「市制70周年 佐倉花火フェスタ2024」へ(その5)(09/08) 矢張り有料席から見ると正面から見るので…
jinsan0716 @ Re[1]:「市制70周年 佐倉花火フェスタ2024」へ(その3)(09/06) オジン0523さんへ ありがとうございます…
オジン0523 @ Re:「市制70周年 佐倉花火フェスタ2024」へ(その3)(09/06) そして9:20になり、カウントダウンが始ま…
jinsan0716 @ Re[1]:旧芝離宮恩賜庭園 へ(その3)(08/06) オジン0523さんへ 書き込み、ありがとう…
オジン0523 @ Re:旧芝離宮恩賜庭園 へ(その3)(08/06) 根府川山は根府川に関係あるのですかね

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2023.11.05
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カテゴリ: JINさんの農園
「神楽坂通り」を北西方向に進みすぐ先を左折。



右手にあったのが「 正蔵院 」。
新宿区神楽坂6丁目54。



天台宗 正蔵院 」。



草刈薬師如来 閻魔大王尊 安置 」と。



入口左にあった石碑は?




正蔵院は賑やかな繁華街神楽坂通り商店街の北側のはずれから、一歩脇に入ったところにあった。
以前は通寺町と言い、隣の横寺町に続いて当寺の西側の通りには各宗の寺が並んでいたと。
当寺は長禄年間(1458年頃)僧圓觀の創立。もと豊島郡千代田村にあった後、田安門に移り慶長5年
(1600)取払いとなり、元和2年(1616)僧圓海が今の地に再興。明治44年7月には同町にあった
養善院を合併した。
江戸名所図会によると、当寺は東叡山に属し、開山圓觀律師。長禄年間(1458年頃)太田左金吾道灌が
当寺を創建。前は梅林坂(御城内)にあり、後年田安の地に移され元和2年今の地に替えさせられたと。
戦災で堂宇全焼失、その後小宇を再建、現在に至っている。
本尊は薬師浄瑠璃如来、1寸8分の小さな御本尊 通称「草刈薬師 」と言い、その由来は略縁起にると、
太田左金吾道灌が今の宮城の基である江戸城を築こうとして、千代田の野辺に茂る草を刈らせて

流された北条高時が日夜護念していた伝教大師真作の薬師如来である。このご利益は国家の安泰
のみならず庶民の現世災厄を除き未来得脱の果報が得られる有難き尊像である。今国家の乱れを
鎮めようとして城を築こうとしているあなたに授けよう」と言ったと。そして尊像を授けられた
道灌が城内の平川梅林坂に正蔵院を建て、圓觀上人を別当に補したと。
又、 脇本尊は 閻魔大王尊 。以前のお閻魔さまは坐像7尺、鎌倉期の
大仏師運慶の作と伝えられていましたが、戦災で焼失。その後府中の在家の方が持仏として
お守りしていたお閻魔さまとお不動さまを寄進していただき安置。昨今のお寺巡りブームにより
都内のお閻魔さま巡りも盛んになっているが、「草刈薬師」が何時の間にか「草刈閻魔」となって
一部で知られるようになっていると ネットから。



路沿いの境内にあった「 稲荷祠 」。



祠内にはお狐様が2体。
しかし、境内にはそれ以外の石碑や石仏等はなかった。



更に進むと左手にあったのが「 龍門禅寺 」の表示。



曹洞宗桃嶽山 龍門禅寺 」と。
新宿区横寺町33。



山門前から本堂を見る。



右側に幟「 南無身がわり地蔵尊 」が並んでいた。



新宿区 横寺町 三三 竜門寺 」と。



身がわり地蔵尊 」。
山門近くに祀られていて、千羽鶴が奉納されていた。



祈りのときに唱える言葉は「 オン・カー・カー・カ ビサンマーエイ・ソワカ 」と。
地蔵菩薩さまの真言(マントラ・お地蔵さんをたたえる短いお経)で7回繰り返すのだと。
オン =お願いします。
カーカーカ =お地蔵さまの笑い声
ビサンマーエイ =ほめたたえること
ソワカ =そのようになる、成就すること。     という意味があるのだと。
つまり、「地蔵菩薩様、地蔵菩薩様、地蔵菩薩様、あなたにすべてを投げ出して従い、
讃え、願いを成就させます」という意味である と。



ここにも奉納された幟が。



ここにも小さな稲荷神社が。



そして「 本堂 」。
曹洞宗寺院の龍門寺は、桃嶽山菩提園と号す。龍門寺の創建年代等は不詳ながら、
後に吉祥寺9世となった寰国龍鶯和尚(正保2年1645年寂)が創建、元和2年(1616)
牛込門内田安から当地に移転したと。



扁額「 龍門禅寺 」と。



竜門水子地蔵尊 」。



この場所にも何かあったのだろうか?



そして「龍門寺」を後にして、さらに南西に進むと前方に標柱が。



標柱「 朝日坂 」。



『御府内備考』にはかつて泉蔵院という寺があり、その境内に朝日天満宮があったため
この名がついたとある。明治初年、このあたりは牛込朝日町と呼ばれていた(『東京府史料』)。



正蔵院横から円福寺付近まで140mの緩やか(高低差6m,平均斜度2.5度)な
登り坂



「朝日坂」の途中、右側の突き当りの路地に案内板が。



芸術倶楽部跡・島村抱月終焉の地 」。



「新宿区指定史跡
芸術倶楽部跡・島村抱月終焉の地
所在地 新宿区横寺町九・十・十一番地
指定年月日 平成三年十二月六日
この地は、評論家・劇作家・演出家・小説家など、多彩な活動を行った島村抱月
(1871~1918)が、女優松井須磨子とともに、近代演劇や文学・音楽・芙術の普及.発表、
交流のため大正2年(1913)7月に創設した芸術座の拠点「芸術倶楽部」の跡である.
抱月は、幼名を瀧太郎といい、現在の島根県浜田市に生まれた。東京専門学校
(現在の早稲田大学)に学び、卒業後は母校の講師となり、イギリスやドイツに留学、帰国後は
創作活動に入った。
明治39年(1906)には、坪内逍遙の文芸協会に参加し、西欧演劇移植に努めたが、大正2年
(1913)内紛から同協会を脱会し、芸術座を結成した。
その拠点芸術倶楽部は、木造二階建て、大正4年(1915)の建築であった。
しかし、大正7年11月5日、スペイン風邪から肺炎を併発し、この倶楽部の一室で急死した。
享年47歳であった。傷心の須磨子は翌年1月5日、この倶楽部の道具部屋で抱月のあとを追った。
これにより芸術座は解散となった。
 平成28年3月25日
                新宿区教育委員会」



島村抱月と松井須磨子



芸術倶楽部(芸術座の専用封筒より) 」。



「朝日坂」を引き返し、新宿区横寺町32 TR神楽坂ビルの前の狭い路地へと左折して
進む。



左手にあったのが「 鈴木家住宅主屋 」。
神楽坂地区の小路に北面する。木造平屋建、建築面積116㎡。切妻造妻入桟瓦葺で、正面に深い
下屋を設ける。中廊下式で東から南にかけて居間や食堂、居室を配する。格子戸をたてるなど
和風を基調としながら、煉瓦貼玄関や名栗仕上げの軸部などを散りばめる。



そして「 一水寮(いっすいりょう) 」。
一水寮は、1951年(昭和26年)、高橋博が開設した高橋建築事務所によって、現在地に大工寮
として建られたものである。高橋は、山口県出身の建築家で、イギリスのロンドンで建築を学び、
帰国後の昭和初期、神楽坂地区に高橋建築事務所を開設していた。
一水寮は、数年後、隣家からのもらい火で、屋根、小屋裏を焼いたが、住込みの大工の手により
復旧した。その後、数度にわたる改修工事が行われた後、大工寮から一般の貸出アパートへと
使用目的が変更された。
1990年(平成2年)、アパート経営をやめ、高橋博の娘婿である鈴木喜一の住宅兼建築設計
事務所となり、1995年(平成7年)には、建築設計事務所のスタッフ、学生、芸術家、編集者
などの住居となる。2016年(平成28年)には、耐震補強を含めた改修工事が行われ、現在は
店舗・事務所として使用されている。
なお、同じく高橋博の設計により1947年(昭和22年)に建築された鈴木家住宅主屋、及び、
1954年(昭和29年)に建築された高橋建築事務所社屋も、登録有形文化財に登録されている。



そして「日本調剤 神楽坂薬局」横の路地から「神楽坂通り・早稲田通り」に出る。



神楽坂通り 」。



神楽坂のAYUMI GALLERY前庭に「 エルサレムの形のない図書館 」と書かれたプレートが
展示されていた。



エルサレムの形のない図書館」 と書かれたプレートに近づいて。



「工ルサレム形のない図書館
Si hortum in bibliotheca habes, nihil deerit.
「もしあなたに庭と図書館があるなら、あなたは人生に必要なものを全て持っている」~キケロ
この庭は、建第家であり旅人でもあった故鈴木喜ー氏かデサインしました。世界中を巡り歩き、
場の瞬間を捉え共有することを追求した彼は、1 9 8 1年の復活祭の頃、エルサレムを訪れました。
円屋根の連なる街の風景は、祝祭の雰囲気とあいまって彼に強い印象を与えました。
数千年の歴史を持ち、世界で最も古い都市の一つであるエルサレムは、活気に満ち、想像カを
かきたてると同時に、複雑な街でもあります。時間は独特な流れ方をしており、過去が未来に
反響しています。街の石の一つ一つ、まにそれぞれの地層には、多くの物語や記憶が刻まれており
それらはここで日々起こる特別な出会いの数々や色とりどりの情景に溶け込んでいます。
このインスタレーションを図書館だと想像してみてください一それは場所の本質を捉えるえ
試みです。知識を得るだけでなく、遠い地のさまざまな文化を体験する場所です。この類まれな
街の、万華鏡のように変化する瞬間を垣間見る機会です。ここでは、時間と空間に固有の状況、
瞬間、言語、伝統、音が、ギャラリーの庭の周囲や木の下に広がっています。
QRコードをスキャンすると、都市の一部とその土地の空気(植物の匂いや、場所特有の音、
語られる物語、儀式など)を体験することができます、エルサレムの地図が庭の大きさに縮図
されており、それぞれのQRコードから実際の場所と瞬間にリンクされます。街の東側の瞬間は
庭の東側にあり、西側の瞬間は庭の西側で見出すことができます。
アユミギャラリーの庭は豊かな文化を内包する生きた円屋根に姿を変えています。
ここでは、エルサレムに見られる典型的な円屋根(旧市街だけでも2048ヵ所もある)は、新たに
解釈されています。頑強な円屋根ではなく、その特微的なシルエットを形作るポールで
建てられた、架空の円屋根になっています。それぞれのポールは、街に刻まれた豊かな瞬間、色、
状況、そして物語を表現しています。
どうぞこ自由に歩き回り、木の下に座り、街の音で瞑想し、エルサレムの瞬間を集めてみて
ください。めぐりくる季節によって、様々なイベントが庭のインスタレーションのまわりで
間催されます。ぜひご期待くだきい。
2019年10月24日-2020年9月30日」
文章を数回読み返したが、私には難解な内容なのであった。



さらに「神楽坂通り・早稲田通り」を飯田橋駅方面に進む。



坂道 通り・路・道 ​横丁​​ ​」  案内図をつくって見ました。






                                 ・・・​ もどる ​・・・



                     ・・・​ つづく ​・・・















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Last updated  2023.11.05 06:15:38
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