JINさんの陽蜂農遠日記

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2023.11.12
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カテゴリ: JINさんの農園
「辺津宮」を後にして、左手に進むと「辺津宮」の「おみくじ掛け」。



右手にあったのが「江島神社」の「 泰安殿 」。
「辺津宮」の南隣にある八角円堂。「裸弁財天」とも呼ばれる妙音弁財天像と八臂弁財天像を
安置している。源頼朝は奥州の藤原秀衡調伏祈願のために文覚上人に命じてこの弁財天を
勧請したと



日本三大弁財天 八臂 妙音 弁財天 拝観受付所 」と。



神奈川県の重要文化財に指定されている 八臂弁財天(はっぴべんざいてん)
江島神社のHP(http://enoshimajinja.or.jp/gohoumotsu/)よりの転載です。



同じく日本三大弁財天のひとつとして有名な 妙音弁財天(みょうおんべんざいてん) 。 
裸弁財天 」ともいわれ、琵琶を抱えた全裸体の意外に小さい座像。
女性の象徴をすべて備えられた大変珍しい真っ白な姿で、鎌倉時代中期以降の傑作。 
これも江島神社のHP(http://enoshimajinja.or.jp/gohoumotsu/)よりの転載です。 



近づいて。



見事な「蟇股」の美しい彫刻。



奉安殿
江の島弁財天への参詣の歴史は古く、広島 の宮島、滋賀県の竹生島と並び「日本三 大弁財天」
として篤く信仰されて来ました。 弁財天は当初、武人守護の神として信仰を 集めていましたが、
時代が進み泰平の世に なることで、次第に“芸能・音楽・知恵 ・ 福徳の神”として信仰される
ようになりました。
奉安殿では勝運祈願の神として信仰される八臂弁財天(国重要文化財)や音楽芸能の上達を願う
人々の信仰を集めている妙音弁財天(市重要文化財)の御尊像をお祀りする他、多くの宝物を
収蔵しています。」



その先右手にあったのが「 八坂神社(やさかじんじゃ) 」。 



八坂神社
御祭神 建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)。
例祭日 七月十四日
旧称  天王社
御祭神の建速須佐之男命は八岐大蛇(やまたのおろち)退治で知られる日本神話の英雄で、
神仏習合時は牛頭天王と呼ばれました。
疫病を始めとするあらゆる災難からお守り下さる神様で、江島神社に祀られる三女神の
父神でもあります。」



「藤沢市指定重要無形文化財
江の島天王祭
令和ニ年(ニ〇ニ〇)四月一日指定
八坂神社(江島神社境内社)の江戸時代以来の例祭。腰越で祀られていた神体(建速須佐之男命)が
大波に流されたのを、江の島の大海士(素潜り漁師)が海中より、すくい上げて祀ったと伝わります。
この伝承を再現したのが、今日では毎年七月第ニ日日に行われる神幸祭(神興の海上渡御・
東浦祭典・小動神社渡御)です。その前後数日間の一連の祭礼が天王祭で、「かながわの祭り50選」
に選ばれています。
祭祀の始まりを再現する形態が、伝承通りに江の島島内の漁師を主体として伝えられていること、
特殊神饌として調理した麦を供した後、参拝者に振る舞うことに特色があります。
神興渡御の際に先導して奏でられる「江の島囃子」は、神奈川県の重要無形民俗文化財に
指定されています。」



江の島天王祭の写真。



海に入る神輿の写真。



「八坂神社」の先にあったのが「 稲荷社・秋葉社 」。
「八坂神社」の隣にある小さな社。江島神社の末社だと。
豊受気毘賣命(とようけひめのみこと)と火之迦具土神(ほのかぐつちのかみ)が祀られている。
江の島随所にあった小祀(秋葉稲荷・与三郎稲荷・漁護稲荷など)を合祀した社とのこと。



「稲荷社・秋葉社」。



社殿に近づいて。



石段の途中にあった「 石鳥居 」。



猿田彦大神 」碑。



「猿田彦大神」案内。



猿田彦大神
この碑は庚申塔の一つで、天保3年(1832年)に建てられたものです。
碑の執筆者である阿部石年は、藤沢宿の儒者として、また書家として知られ、天保6年(1835年)
に没し、その墓碑は鵜沼の万福寺にあります。
この碑に書かれている「猿田彦大神」とは、古事記・日本書記の神話に登場する神で、天孫
「ににぎのみこと」降臨の際、高千穂までの道案内を務めた神といわれ、中世以降、
「庚申信仰」や、「道祖神信仰」と習合しました。
※庚申信仰とは人間の体内には、三戸という三匹の虫がいて、常に人間が犯す罪過を監視し、
庚申の晩に体内から抜け天にのぼり天帝に罪過を報告し、人間を早死にさせるという。
だから庚申の晩は、常に徹夜をしていれば体内から抜け出し報告できないので、早死にを免れ
長生きできるという、中国道教の教えからはじまっています。
猿田彦の名前から庚申の「申」と結びついたといわれています。」



展望台広場ウッドデッキ 」から「 江ノ島ヨットハーバー 」が眼下に。
上空には月の姿が。



ズームして。
対岸は逗子・葉山を走る国道134号。



江島神社・中津宮(なかつみや) 」に到着。



平成11年に江の島歌舞伎が行われた時の 5代尾上菊五郎、7代菊之助の記念手形



近づいて。



「平成十一年(一九九九)九月七代目尾上菊五郎、五代目尾上菊之助出演の「江の島大歌舞伎」が
盛大に開催されました。当地ゆかりの「弁天娘女男白波」を演目とし、菊之助が演じた
弁天小僧は大いに観衆をわかせました。開演に先立ちお錬りで弁財天に詣でた際、菊之助
御自身の手植えにより献樹された「しだれ梅」であります。」



「江島神社・中津宮(なかつみや)」の狛犬(阿形、右)。



狛犬(吽形、左)。



中津宮
中津宮には三女神の一柱である 市寸島比賣命 をお祀りしています。
853年に慈覚大師によって創建 され、明治時代までは辺津宮が「下之宮」と称されたのに対し、
この「中津宮」は「上之宮」と呼ばれていました。
現在の社殿は1 9 9 6年に全面的に改修されたもので、創建当時の朱色が鮮明な社殿を
再現しています。
境内には江戸時代に歌舞伎関係者によって奉納された石灯籠のほか、多くの奉納石造物があり、
信仰の深さをうかがい知ることができます。」



見事な朱の社殿。



見事な彫刻。



扉の紋様。



扁額「中津宮」



中津宮
市寸島比賣命(いちきしまひめのみこと)をお祀りしています。創建は文徳天皇仁寿3年(853年)。
その後、元禄2年(1689年)に改築され、朱色が鮮明な現在の御社殿は、平成8年の全面的な
改修により、元禄2年改築当時の中津宮(権現造り)を再現したものです。幣殿・拝殿の天井には
花鳥画や、彫刻が施され、境内に奉納された石燈籠等は、江戸時代における商人・芸人・庶民の
信仰の深さを物語っています。

美しい恋したい。
「美しい弁財天さまにあやかり、綺麗になりたい!」と願う女の子たちの象徴として、弁財天様の
羽衣をイメージした中津宮独自のマークです。三姉妹の女神様の中津宮の市寸島比賣命
(いちきしまひめのみこと)が「もっと綺麗に、もっと美しく恋をしたい。」女神である女性達に
贈る願いが込められております。」




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                 ・・・​ つづく ​・・・








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Last updated  2023.11.12 06:13:24
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