「きらりの旅日記」

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ほしのきらり。

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2011.01.07
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カテゴリ: スロベニア
おいおい『スロベニア旅日記』すでに18回も書いてしまったのに今頃になってスロベニアの基本的な情報を書くなんてオカシイけど。首都リュブリャナには、この旅の最後の方で訪問しますから、ザッと調べてみたんですが↓長いので読まないで下さい

           スロベニア共和国の首都リュブリャナのクリスマス写真
CIMG4242.jpg

スロベニア「スロベニア共和国」すろべにあきょうわこく

中欧の共和制国家

首都 リュブリャナ

ユーゴスラビアから独立した国

場所=

西~イタリア  

南と東~クロアチア  



北~オーストリアと接し

南西~アドリア海


スロベニアは、

イタリアやオーストリアに隣接しており

冷戦中にあっては、西側諸国に近いという地理的条件にあり

スロベニア人の気質は、勤勉で秩序的

文化的には、ドイツ語圏の影響を強く受け

こうした条件のために

ユーゴスラビア連邦時代は

最も経済的に豊かな先進地域

ユーゴスラビア連邦から独立した後




スロベニアとスロバキア・・・間違えそうに似てるけど!?

スロベニアの語源は・・・スラヴ(SLAV)であるという説があって

これは・・・スロバキアと同じであって

言語は同じ「スラヴ語」を話すと言う意味もある
CIMG2384.jpg


【中世の歴史】



7世紀

初の南スラヴ系の「カランタン人」による国家であるカランタニア公国が成立

カランタニアは、その後「バイエルン人」

ついでフランク王国の支配下に

その後 フランクの遺領

14世紀以降

東フランク王国(後の神聖ローマ帝国に編入)神聖ローマ帝国領

チェコともども西方文化やカトリック教会の影響を強く受け

他の南スラヴ人地域と異なった歴史的性格をスロベニアにもたらす


15世紀

ハプスブルク家の所領・・・以降オーストリア大公領

1867年 オーストリア・ハンガリー帝国が成立(オーストリア帝国領)

19世紀はじめ

ナポレオンのフランス帝国による支配(フランス統治下)

リュブリャナ フランス第一帝政イリュリア州の首都

イリュリア州が設置され、スロベニア語が州の公用語

1809年~1813年

リュブリャナ(フランス第一帝政イリュリア州の首都)

○これは、スロベニア語が公的地位を得た初めてのことであり

文語としてのスロベニア語の発展は勢いづいた

ナポレオンが去り オーストリア領へ戻る

【近代の歴史】

1918年 第一次世界大戦が終了し

オーストリア・ハンガリー帝国が解体

セルビア王国の主張する「南スラヴ人連合王国構想」に参加

セルビア・クロアチア・スロベニア王国の成立に加わる

この際

スロベニアの一部地域では

オーストリアとの経済的・文化的な結びつきが強かったため

オーストリアに帰属するか?

スロベニア(セルビア・クロアチア・スロベニア王国)に帰属するか?

住民投票で決めた地域が存在する

この王国は、1929年にユーゴスラビア王国に改称した

1941年

ユーゴスラビアに枢軸国が侵入

スロベニアはナチス・ドイツの占領下に置かれた

西に接するイタリアはスロベニア沿岸地方を自国の領土と考えていたため

ムッソリーニ指揮下のイタリア軍によって首都リュブリャナを占領され

北東の一部の地域はハンガリーの占領下となり

スロベニア人の住む地域は3つの勢力によって分断された

占領に反対した右派の抵抗者たちは

ロンドンに逃れたユーゴスラビア王国の亡命政府を支持したが

後に枢軸勢力の影響下となった

共産主義者たちは、ヨシップ・ブロズ・ティトーのパルチザンに加わり、ドイツ軍などと戦った

パルチザンは

スロベニアを含むユーゴスラビア全土を武力でドイツ軍から解放した

大戦前はイタリア領とされていたイストリア半島 (イストラ半島)は

ユーゴスラビア領となり

スロベニアは

コペル周辺で海岸線を手に入れることとなった

スロベニア人が多く住むオーストリアのケルンテン州の一部も求めたが、この要求は認められなかった

【社会主義時代】

1945年 社会主義体制となったユーゴスラビアに復帰

ユーゴスラビアの構成国スロベニア人民共和国となる

ユーゴスラビアでは、政治・経済の分権化が進められた

社会主義のユーゴスラビアは

ソビエト連邦の影響下に置かれた東側諸国とは異なる独自の路線をとっていた

政治の分権化と自主管理社会主義

政治においては、連邦から共和国そして自治体へと権限が移管され

経済でも末端の職場に大きな権限が与えられていた

その地域性を生かした独自の経済政策を採ることが可能であった
ユーゴスラビアがソビエト連邦と距離をおき

西側諸国との友好関係を維持していたこともスロベニアには有利に働いた

中央の意向に縛られることなく

西側諸国に隣接する先進的工業地帯というスロベニアの利点を最大限に発揮

スロベニア経済は大きく発展

1980年代になると

他のユーゴスラビア内の諸地域に大きく差をつける

【政治】

ユーゴスラビアでは比較的言論の自由が認められ

地方分権政策によってスロベニアをはじめ各共和国は大きな裁量を手にしていた

スロベニアでは

更なる独自の権限を求める声、連邦からの独立を求める声は次第に高まっていった

1980年代にユーゴスラビアが経済苦境に陥る

スロベニアでは、その原因が連邦にあると考えた

連邦は通貨発行など一部の経済政策のみを握っていたが

経済改革を進めるために過度に分権化した経済政策の集権化を求めていた

経済先進地域であるスロベニアが連邦に支払う負担金が

コソボやマケドニアなどの貧しい地域のために使われているという不満から

スロベニア共和国は連邦政府の経済改革を妨害し

連邦に対して支払う負担金を一方的に削減し

連邦に対する反発をあらわにしていった

セルビアでは

ユーゴスラビア連邦におけるセルビア人の支配力拡大を狙うセルビア民族主義者のスロボダン・ミロシェヴィッチが台頭し

ミロシェヴィッチは

モンテネグロ、ヴォイヴォディナ、コソボの政府を乗っ取って支配力を強め

スロベニアに対しても圧力を強めていた

スロベニアは連邦からの離脱を決意

連邦からの離脱権を明記した新しい共和国憲法を制定する

議会での決定と住民投票を経て

1991年6月

ユーゴスラビアとの連邦解消と『スロベニアの独立』を宣言

【独立後】

短期的、小規模な十日間戦争を経て

スロベニアは完全独立を果たした

1992年5月

連邦構成国だった隣国クロアチア

同じく連邦内にあったボスニア・ヘルツェゴビナと同時に国際連合に加盟

同時期に連邦を離脱したクロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナでは激しい内戦が続いた中

スロベニアでは、ユーゴスラビアという市場を失ったこともあり

1991年~92年にかけて経済不振が続いたものの

その後はヨーロッパ志向を強め、経済は回復に向かった

政治面においては

ユーゴスラビア離脱前から民主的な制度の整備が強力に進められてきたこともあり

他のどの旧ユーゴスラビア諸国よりも早く民主的体制が整えられていった

2004年3月 NATO加盟

2004年5月1日 欧州連合 EU に加盟

2008年(2004年に新規加盟した国々の中で初めて)欧州連合の議長国を務める

同年2月にコソボが独立を宣言したことによる一連の危機の対応にあたる

議長国として欧州連合の中で指導力を発揮



【独立後の政治】

ユーゴスラビア末期の壊滅的な経済苦境

台頭するセルビア民族主義への反発

スロベニアは、ユーゴスラビアからの独立を志向するようになった

1989年9月

ユーゴスラビア連邦から合法的に離脱する権利を記したスロベニア共和国憲法の改正案が共和国議会を通過する

1990年4月  第二次世界大戦後初の自由選挙を実施

共産党政権は過半数の票を集めることができず

野党連合のデモスが勝利した

首相には

第三党のスロベニアキリスト教民主党のロイゼ・ペテルレ党首が選ばれている

同時に、共産党の改革派だったミラン・クーチャンが大統領となった

1991年6月に独立を発表

スロベニア国内に基地を置いていたユーゴスラビア連邦軍と戦闘状態に入るが

7月  停戦に成功  同年10月には連邦側が独立を認めた

12月23日  現在の憲法が有効となり 複数政党制と大統領制が確立する

1992年12月  独立後、第1回となる大統領選挙を実施

ミラン・クーチャンが選ばれた

同氏は1997年11月にも再選

2000年10月の総選挙では

自由民主主義党が第1党となったため

連立政権が発足した

2002年12月の大統領選挙

ヤネス・ドルノウシェク首相が当選

2007年12月  

リュブリャナ大学法学部副学部長のダニロ・テュルクが大統領に就任

【政治制度】

国家元首の大統領は任期5年で、国民の直接選挙によって選出される

行政府の長である首相は  議会の下院が総選挙後に選出し

大統領によって任命

立法府は両院制

下院(国民議会)定数90 

うち40議席を小選挙区で、残る50議席を比例代表で選出する 小選挙区比例代表併用制

任期は4年  上院(国民評議会)は定数40

各種団体による間接選挙で選出される 任期は5年

上院の立法権限は下院よりも弱く

諮問機関としての性格が強いが

国民投票を行うか否かの決断を下す権限を有する

有力な政党は

スロベニア自由民主党

スロベニア人民党

スロベニア社会民主党

スロベニアキリスト教民主党



【政治問題】

スロベニアはユーゴスラビア時代から経済的な先進地域であり

ユーゴスラビア紛争が収束する中でセルビア人、クロアチア人労働者を受け入れてきた

しかし、EUではEU内の労働者の移動、就労は自由化されるが

一方でEU外の労働者の受け入れは厳しく制限される

2004年のEU加盟に前後してセルビア人労働者を制限する方向に転換しており大きな政治焦点になっている



【観光】

ポストイナ鍾乳洞のコンサートホール  
竜 ズマイ はリュブリャナのシンボル
首都リュブリャナ  アルプス山脈 トリグラウ山2864m 
ブレッド ボーヒニなど  アドリア海コペル ピラン
カルスト地方の洞窟  シュコツィアン洞窟群
ポストイナ 温泉


【世界遺産】

シュコツィアン洞窟群  1986年登録

                以上ウィキペディア参照

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最終更新日  2011.01.08 16:16:07
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