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そもそも今更なのですが歌舞伎鑑賞まだ2回目超初心者。歌舞伎十八番・・・とは何でしょう?待ってました十八番!って関係あるの?これが十八番のひとつ十三代目の「助六」です。じゅうはちばん・おはこ十八番・・・とは?もっとも得意な芸や技のこと。転じて、その人がよくやる動作やよく口にすることば。かぶきじゅうはちばん歌舞伎十八番天保年間に七代目市川團十郎(当時五代目市川海老蔵)が、市川宗家のお家芸として選定した十八番の歌舞伎演目。当初は、かぶききょうげん くみ じゅうはちばん「歌舞伎狂言組十八番」といい、それを略して・・・かぶきじゅうはちばん「歌舞伎十八番」といったが、後代になると、略称の方がより広く一般に普及した十八番の演目は・・・いずれもかつて、初代團十郎・二代目團十郎・四代目團十郎が、特に得意とした荒事。ということになっているが、そのなかには、すでに選者の七代目團十郎の時代には、内容がよくわからなくなってしまったものも含まれている。そうした演目は、いずれも明治以降に大幅な創作が加えられた上で、「復活上演」されている。十八番のなかでも、最も人気が高い(上演回数が多い)のは、『助六』『勧進帳』『暫』の三番。 すけろく かんじんちょう しばらく すけろく『助六』・・・とは?原型となった演目の初演から100年近くも経った七代目市川團十郎に現行の体裁に落ち着いたもの。かんじんちょう『勧進帳』・・・とは?その七代目自身が、数年の歳月をかけて新たに書き下ろし、九代目團十郎が、現行の型を完成させたもの。しばらく『暫』・・・とは?これもまた先述の九代目が、明治の中頃になって、現行の型を完成させたもので、これらはいずれも、初代や二代目の團十郎とは関連性が希薄な当時における事実上の新作といえるものである。無形世界遺産にぽち
2022.12.09
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歌舞伎・・・とは?今更ながら、超初心者が、ざっくり調べてみましたかぶき歌舞伎・・・とは?音楽や、舞踊と、一体になった演劇、それが、歌舞伎です歌舞伎は、日本を代表する伝統芸能の一つ。胸をおどらせる物語や、華やかで美しい場面など、観客を楽しませるためのさまざまな工夫が詰め込まれています。長い歴史を重ねながら、それぞれの時代の風を取り入れて、つねに新しい芸能であり続けています歌舞伎は・・・すべての役を、男性が演じる演劇として育まれました。女性の役をつとめる俳優を「女方(おんながた)」男性の役をつとめる俳優を「立役(たちやく)」と呼びます。思いきった誇張や、様式化された演技によって、写実を超えた、より大胆な表現を求めることが通例です。さらに、美しい構図で動きを静止する「見得(みえ)」や、表情を際立たせる「隈取(くまどり)」という化粧、一瞬で衣装を替える「早替リ」、俳優を空中へ吊り下げる「宙吊り」、舞台を回して場面を転換させる「廻り舞台」など、近代的な演劇とは異なる、あるいは先駆けとなった、たくさんの特徴がありますまた、役を演じる俳優と観客が一体感を味わえるよう、舞台と繋がった「花道」という通路が、客席に設けられています。歌舞伎は、400年を超える歴史ある伝統芸能、極彩色、奇想天外、摩訶不思議、カブキ者がつくったファンタジー。エンターテイメントとして生き続けている「歌舞伎」の世界にいざ足を踏み入れます。歌舞伎見物の楽しみ・・・とは?あらゆる角度から楽しめるネット検索してワクワクドキドキするイヤホンガイドなどで時代背景を知るそれらでストーリーを追って頭で楽しむ白塗り、隈取りを代表とするメイク洋服ではあり得ない着物の色の組み合わせ舞台いっぱいに色彩豊かに描かれた大道具を目で楽しむ三味線、太鼓、笛などで楽器の生演奏はリズミカルで感情を音楽的に発する人の声を耳で楽しむ休憩時間のお食事歌舞伎グッズのお買い物江戸の職人の技に接する・・・・・・まだまだ人それぞれ・・・ちょっと気になるのは、歌舞伎揚との関係・・・とは?お菓子の「歌舞伎揚」が大好きなのですが〜天乃屋さんに聞いてみました『歌舞伎』といえば・・・日本の伝統的な古典演劇であり、その昔、日本で『芝居』といえば・・・『歌舞伎』のことでした。17世紀の初め頃から、歌舞伎踊りが、町民層の人気を集めて発展し、次第に演劇的な完成度を高めていきました。そして、せんべいは我々の食生活に潤いを添えている幾多の菓子類の中でも日本独自の菓子であり、古くから親しまれてきました。この両方の伝統文化を伝えようと、せんべいの包装袋に歌舞伎で使用されている定式幕[緞帳]萌葱・柿・黒の三色で構成されている一番代表的な幕の模様を取り入れ、せんべいの一枚一枚にも歌舞伎の「家紋」をデザインしたものを刻印し、『歌舞伎揚』と命名した。現在の歌舞伎揚は、ソフトに仕上げるようになり、特徴である「家紋」のデザインがはっきり見えにくくなっていますが以前は、堅めに仕上げていたため、家紋のデザインがはっきりと見えていたようです。結局、超初心者は食べ物から入りますか・・・。(写真撮影:ほしのきらり)無形世界遺産にぽち
2022.12.07
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とても有名な門のことを答えたください!ヒントは・・・いらないかしらこんな感じの門は、他の都市でも見つけることができます第一問=この門は、何と呼ばれていますか? どこの都市にありますか?第二問=誰が造らせましたか?第三問=高さは、何メートルですか?第四問=この写真から見て、右側の柱にある彫刻は、 何と呼ばれていますか?第五問=ここから何本の道が出ていますか?第六問=南東に延びている道は、何という通りですか?第七問=その道の2キロ先にある広場は、 何と言いますか?ちょっと、難しいかしら答えは・・・・第一問=この門は、何と呼ばれていますか? どこの都市にありますか?【解答】エトワール凱旋門、パリ第二問=誰が造らせましたか?【解答】ナポレオン第三問=高さは、何メートルですか?【解答】50メートル第四問=この写真から見て、右側の柱にある彫刻は、 何と呼ばれていますか?【解答】ラ・マルセイエーズ第五問=ここから何本の道が出ていますか?【解答】12本第六問=南東に延びている道は、何という通りですか?【解答】シャンゼリゼ通り第七問=その道の2キロ先にある広場は、 何と言いますか?【解答】コンコルド広場パリのエトワール凱旋門は・・・ナポレオンの命令で建設が始まりました。しかし、ナポレオンは完成する前に亡くなったので、生きてこの門をくぐることはありませんでした。高さは・・・ローマの「コロッセオ」と同じくらい左「コンスタンティヌス凱旋門」よりは、パリの「エトワール凱旋門」よりは、はるかに高いのですが・・・この写真だとコロッセオより大きく見えてしまっています。右側にある彫刻は・・・マルセイユから、パリに入場する兵士の様子が彫られています。後にフランスの国家になる歌「ラ・マルセイエーズ」を歌いながらの入場だったと言われています。10年前は、まだ予約なしで登れましたが、今はネット予約みたいですね。50メートルの高さからの景色ですこの道から、東に延びている道は・・・シャンソンでも有名なシャンゼリゼ通り美味しいパン屋さんやブランド街も長さは・・・2キロで、右側にヴィトンにも立ち寄ってパリ散歩を楽しみましょう〜その先には・・・コンコルド広場があります。オベリスクの右下に小さ〜くエトワール凱旋門が見えますね〜昔は、革命広場と言われました。ここから地下鉄にも乗れます。パリは、良いですよね〜(参考文献:美術出版社/西洋美術クイズより)(写真撮影:ほしのきらり)世界遺産にぽち
2022.10.21
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今日の美術クイズは遠くまで飛んで行きましょう〜これは、とても大きな彫刻が並んでいますね〜【ヒント】夜明けのシルエットです第一問=この彫刻の名前は、何像と呼ばれますか?第二問=どこの国籍で、何という島にありますか?第三問=この島には、何体の像がありますか?第四問=この像の材質は、何ですか?第五問=高さは、どのくらいありますか?第六問=この像は、どこで作ったか?第七問=この像は、どうやって運ばれたと言われますか?第八問=2022年10月3日に島の像は、大きなダメージを受けました。 それは、どんなことですか?第九問=この15体の像の修復をした企業とは?【ヒント】昼間の彫刻たちあああ・・・あれね!そうそう答えは・・・第一問=この彫刻の名前は、何像と呼ばれますか?【解答】モアイ像第二問=どこの国籍で、何という島にありますか?【解答】チリ領・イースター島第三問=この島には、何体の像がありますか?【解答】約900体第四問=この像の材質は、何ですか?【解答】凝灰岩(ぎょうかいがん)第五問=高さは、どのくらいありますか?【解答】3.5m第六問=この像は、どこで作ったか?【解答】イースター島の高台第七問=この像は、どうやって運ばれたと言われますか?【解答】像を立たせた状態で縄で運んだ。第八問=2022年10月3日に島の像は、大きなダメージを受けました。 それは、どんなことですか?【解答】山火事でモアイ像が黒焦げになった。第九問=この15体の像の修復をした企業とは?【解答】日本・香川県「タダノ」モアイ(Moai)第一問=この彫刻の名前は、何像と呼ばれますか?【解答】モアイ像7世紀〜8世紀頃にプラットホーム状に作られた「アフ」石の祭壇が始まり、10世紀頃には・・・モアイが作られるようになった。第二問=どこの国籍で、何という島にありますか?【解答】チリ領・イースター島イースター島・・・とは?チリ領の太平洋上に位置する火山島。現地語では、ラパ・ヌイ(Rapa Nui)最初にポリネシア系の人が住んだのでラパ・ヌイ→広い大地の意味。正式名は・・・パスクア島(スペイン語:Isla de Pascua)Pascuaは、復活祭(イースター)を意味する。1722年の復活祭の夜にオランダ海軍が島を発見したから日本では英系由来の「イースター島」と呼んでいる。第三問=この島には、何体の像がありますか?【解答】約900体モアイは、人面を模したとされる石像。建造中に放置されたものも含めると900体ある。部族間の争いでほとんどが倒され破壊され、現在、アフが立っている30体は、すべて近代以降に復元されたものである。第四問=この像の材質は、何ですか?【解答】凝灰岩(ぎょうかいがん)島には、加工しやすい軟らかな「凝灰岩」が、大量に存在していた。第五問=高さは、どのくらいありますか?【解答】3.5m3.5mくらいのものが多いが、1000年余りで土が堆積しこの下には、体の大部分が埋まっている。祭壇の上に建てられたものの中で、最大のものは、高さ=7.8m 重さ=80t島の東端にある、島、最大の遺跡「アフ・トンガリキ」は、アフの長さ100mの上には、高さ5mを越える15体のモアイが立ち並んでいる。ラノ・ララック第六問=この像は、どこで作ったか?【解答】イースター島の高台採石の中心は・・・「ラノ・ララック」と呼ばれる直径約550mの噴火口跡で、現在でも完成前のあらゆる段階の石像が、散乱する彫る道具とともに残されている。第七問=この像は、どうやって運ばれたと言われますか?【解答】像を立たせた状態で縄で運んだ。現地の伝説では・・・「モアイは自分で歩いた」と言われるが、この伝説は笑い話ではなく、モアイを歩かせたようです。モアイは・・・製造工場である「ラノ・ララック」で寝かせた状態で彫刻され、完成後すぐに立てられ、立った状態で縄で歩くように目的地まで運搬された。寝たまま運ぶよりも人数が少なくて済むし効果的であったようです。第八問=2022年10月3日に島の像は、大きなダメージを受けました。 それは、どんなことですか?【解答】山火事でモアイ像が黒焦げになった。【世界遺産】モアイ像が・・・大変です。モアイの危機です最初は、火山の爆発かとの報道もありましたが、どうも違ったようです。島にとって観光の目玉であるモアイが、コロナ禍で観光客が少なくなり草がいつもより生い茂ったためにいつもしている「野焼き」をしたところ予想以上に燃え広がり10月3日、現地4日から、7日までに100ヘクタール以上を焼いてしまった。熱でモアイ像に亀裂が入ったり、黒焦げになったり、部分的に白くなったモアイも、1000年経過し、柔らかい材質「凝灰岩」でできたモアイは、修復不可能とされているが・・・ここで日本人の左野さんが、修復できると言う。左野さんは、1992年にも復元プロジェクトのメンバーだったらしい?しかし、【世界遺産】となったたことで、修復を行うには、ユネスコへの許可がいるそうで、手続きがかなりややこしいらしいです。このプロジェクトに関しての問題。第九問=この15体の像の修復をした企業とは?【解答】日本・香川県「タダノ」これには、黒柳徹子さんが関係している。1988年秋にTBS「世界不思議発見」で、イースター島を特集したときに、「クレーンがあれば、モアイを元通りにできるのに」という知事の声を放送したところ、回答者である「黒柳徹子」さんが、「日本の企業が助けてあげればいいのに」と言う内容の発言をし、それを香川県の「タダノ」の社員が放送を見て社長が話に乗ったのがきっかけで、1992年から、クレーンをイースター島に持ち込んで島南部の「アフ・トンガリキ」にある15体の像の復元・修復などを行い使用後のクレーンなどをイースター島に寄贈し、費用もタダノがもった。今回の火災にも日本人として何かできることがあるのではお願いいたします〜と、珍しい正座したモアイもお願いしているようです〜このモアイも焼け焦げた地域に座っているので助けてあげたいです特別版:予約していたクイズを早めて今日UPです。(写真撮影:ほしのきらり)世界遺産にぽち
2022.10.16
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パリ・ルーヴル美術館レオナルド・ダ・ヴィンチの『岩窟の聖母』についていよいよレオナルド・ダ・ヴィンチLeonardo da VinciVinci,1452-Amboise,1519La Vierge aux rochers『岩窟の聖母』1483年〜1485年カンヴァス(元は板)油彩198.0cmx123cmパリ「ルーヴル美術館」所蔵。レオナルド・ダ・ヴィンチLeonardo da Vinci1452年4月15日〜1519年5月2日(67歳没)フィレンツェ共和国ヴィンチ村〜フランス王国アンボワーズレオナルドの功績は、鏡文字・音楽・建築・料理・美学数学・幾何学・生理学・組織学・解剖学・美術解剖学人体解剖学・動物解剖学・植物解剖学・博物学・動物学植物学・鉱物学・天文学・気象学・地質学・地理学・物理学科学・工学・流体力学・水理学・空気力学・飛行力学飛行機の安定・航空力学・航空工学・自動車工学・材料工学土木工学・軍事工学・潜水服などの分野に顕著な業績を残す。【代表作】『モナ・リザ』『最後の晩餐』『ウィトルウィウス的人体図』1483年4月25日、レオナルドと2人のミラノの美術家、すなわちアンブロージオおよびエヴァンジュリスタ・デ・プレーディスは、その前年に彫刻家:ジャコモ・デル・マイーノによって造られ引き渡されていた木製壁龕(もくせいへきがん)を完全なものにするという契約を、ミラノの無原罪の御宿り僧団との間で結んだ。それは、サン・フランチェスコ・デル・グランデ教会の同僧団礼拝堂内に安置されるはずのものであった。その契約は・・・これらの美術家たちに、壁龕に金箔を被せること(この仕事は、 エヴァンジェリスタに割り当てられるようである)そしてこの壁龕内にそのためにあけておかれた空白を埋める3枚の絵を制作すると(聖母のいる中央の祈禱用祭壇画と 音楽を奏でる天使のいる2枚の両脇のパネル画)を要求した。マイーノが建造した壁龕は、のちに破壊されてしまったが、その息子:アンジェロ・デル・マイーノが、造った壁龕によって、それがどんなものだったかおよその察しがつくであろう。大部分の批評家が・・・ルーヴルの『岩窟の聖母』は、その壁龕の中央祭壇画として供するために全部レオナルドの手で描かれたといことに同意しているのに対して、他の批評家たちは、それがレオナルドのミラノへの出発に先立ってフィレンツェで制作されたと信じている。彼らはこの見解の証拠として、この絵のフィレンツェ的要素を引き合いに出している。すなわち、『山王礼拝』の主要グループと同様に、人物を上昇的な層のうちにピラミッド型にまとめていること、そしてフィレンツェ市の守護聖人である聖ヨハネの幼児姿の頭首が、『山王礼拝』の幼児キリストのそれに倣って形どられていることである。しかしながら、ルーヴルの絵をフィレンツェで制作されたとすることは、多くの困難を生み出す。まず背景の濃い霞が問題となる。というのは・・・それが作者とロンバルディアの湿気の多い大気との親密な接触を暗示しているように思われるからである。それはまた、たとえこの壁龕がレオナルドのミラノ到着の前年に僧団に引き渡されてとはいえ、この絵の寸法と特殊な形状とが、壁龕の中で、この祭壇画に割り当てられた空白部分にぴったりと一致するものであったことを前提としている。この絵がフィレンツェで制作されたと主張する人々は、もしもレオナルドがこの絵を新しい状況に合うように、つまり彼がロンバルディアに到着したあとで、この絵に濃密な蒸気を加筆することによってロンバルディアの気候に合うように、また彼の絵を上部にアーチ状の画面を含むように拡大することによって壁龕内に割り当てられていたこの祭壇画の空白部分の明らかに異なっていた形状に合うように改作したと推測するならば、おそらくこのジレンマから抜け出す道を見出すであろう。事実、この観点から、この絵に付加や加筆が施されたらしい形跡が存在するように見える。それは・・・アーチ状画面の起部のすぐ上、つまり洞窟を鋭く枠づけている岩石群と、その上に載せられた丸味のあるより柔らかな表面感触をもつ漂石群とがちょうど接するところで、この絵を水平に横切って走る継ぎ目のように見えるものとして現れている。不幸にして、この「継ぎ目」の本性を突き止めることは不可能である。というのも、この絵は19世紀に原作の支持材であった板からカンヴァスに移されたからであり、この目的のために使用された不加入の接着材が、問題の部分の適正なX線検査を妨げているからである。(写真撮影:ほしのきらり)(LEONARDO DA VINCI日本語版/美術出版社より)ルーヴルにぽち
2022.06.17
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税関吏・日曜画家「アンリ・ルソー」のきらりのオリジナル・ルソー写真集です〜ざっくりルソーってどんな人だったのでしょう?PariMusee d' Orsayアンリ・ルソーの作品集Henri RousseauRendezvous in the Forest. 1889『森のランデブー』1889年oil on canvas ワシントン「ナショナル・ギャラリー」所蔵。Henri RousseauL'Enfant a la poupee 1892『人形を持つ子供』1892年油彩 カンヴァス 67.0cmx52.0cmパリ「オランジュリー美術館」所蔵。Henri RousseauBoy on the Rocks.1895/1897『岩の上の子供』1895年〜1897年oil on canvas 55.4cmx45.7cmワシントン「ナショナル・ギャラリー」所蔵。Henri RousseauThe Sleeping Gypy 1897『眠るジプシー女』1897年oil on canvas 129.5cmx200.7cmMuseum of Moden Art,New Yorkニューヨーク「近代美術館」MOMA所蔵。Rousseau described the subject of The SleepingGypsy as "A wandering Negress,a mandolin player,lies with her jar beside her(a vase with drinking water),A lion chances to pass by,pics up her scent yet does not devour her.there is a moonlight effect,very poetic."Henri RousseauLa Noce 1905『田舎の結婚式』婚礼(1905年)油彩 カンヴァス 163.0cmx114.0cmパリ「オランジュリー美術館」所蔵。Henri RousseauThe Repast of the Lion,ca 1907『ライオンの食事』1907年頃oil on canvas 113.7cmx160.0cmニューヨーク「メトロポリタン美術館」MET所蔵。This work was prbably shownin the Salon d'Automne of 1907,but it treats a theme that Rousseau first explored in Surprissed!of 1891 (National Gallery,London).He based the extic vegetation of his many jungle pictures on studies on studies that he made in Paris's botanical gardens,and adapted the wild beasts from popular ethnographic Journals and illustratrd children's books.Roussau's nickname,”le Douanier,"derivees from his job as a customs official.Bequest of Sam A.Lewisohn,1951Henri RousseauLa Carriole du Pere Junir 1908『ジュニエ爺さんの馬車』1908年油彩 カンヴァス 97.0cmx129.0cmパリ「オランジュリー美術館」所蔵。Henri Rousseau『虎のいる熱帯の嵐』1908年〜1909年『ジャングル・虎と野牛の戦い』油彩 カンヴァス サンクトペテルブルク「エルミタージュ美術館」所蔵。Henri Rousseau『ポルト・ド・ヴァンヴから見た市壁』1909年油彩・カンヴァスサンクトペテルブルク「エルミタージュ美術館」所蔵。Henri RousseauJardin du Luxembourg.Monument de Chopin.1909Luxemburg Garden.Monument to Chopin『リュクサンブール公園、ショパン記念碑』1909年油彩・カンヴァス サンクトペテルブルク「エルミタージュ美術館」所蔵。Henri Rousseau『馬を襲うジャガー』1910年(宣伝ポスター部分)上野にてHenri RousseauThe Equatorial Jungle,1909『赤道上のジャングル』1909年oil on cnvasワシントン「ナショナル・ギャラリー」所蔵。アンリ・ルソーHenri Rousseau1844年5月21日〜1910年9月2日(66歳没)ざっくり『ルソー』ってどんな人!?現代絵画の展開のなかで・・・アンリ・ルソーほど評価が揺れ動き、その位置づけが変わった画家はいない生前には・・・素人画家として軽視され、サロン(官展)では拒まれ、無審査の独立展でさえ笑いものにされていた。彼は、1910年に66歳で貧乏暮らしのなかで他界したが、ようやく画家として認められたのは、最晩年の数年ほどだった。彼にも何人かの理解者それからいくたりかの友人がいたが好意を持つ者は少なかった家庭的にも恵まれず、陋巷に窮死した形であり、その葬儀に参加する者もまた極めて少数だったらしいルソー自身は・・・最後の問題作『夢』を独立展に出品する日まで、画家としての自信を少しも失わず、意気軒昴たる者であったが、それが誤解されて、世間からは一人よがりの傲慢かのように思われていた。その誤解がとけ、彼の素朴で詩的な独自な画風が受け入れられるようになったのは、ようやく没後半世紀もたってからのことだった。さらに、この素人画家が、現代絵画に於けるモダニズムの起点とまで見做されるようになったのは、極めて最近のことである。例えば・・・フランスの現代美術館「ポンピドゥ・センター」の1983年版の案内書には・・・ルソーの『蛇使いの女』が据えられそれに続いて、ボナール 、マティス、マルケ、ヴラマンク、ブラック、ピカソが並べられ、現在のごく新しい非具象の画家までの解説がえんえんと続いている。これで見ても1980年代になってからルソーの評価がすっかり見直されてきたことがわかる。つまり、これは・・・ルソーからモダニズムが始まると考えたことを示すわけで、20世紀世紀の初頭のルソー観とはまるで逆の立場から彼の作品を評価していることになる。(参考資料:みすず書房、アンリ・ルソー証言と資料より)(写真撮影:ほしのきらり)ルソーにぽち
2021.10.01
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「新型コロナウイルス感染症」に対する日本人の自粛の精神は、世界の見本であります「ステイホーム週間」頑張っていますね〜日本人は今日は、カトリックの大本山がある「ヴァチカン市国」に詣でてみましょうか?命を守る『ステイホーム週間』・・・6日目Status Civitatis Vaticanae『ヴァチカン市国』へ行きましょうヴァチカン市国は・・・カトリックの総本山でありますちょっとね〜外観は、地味ですよね今日は、皆様とご一緒にワイワイと「新型コロナウイルスが無い世界が1日も早く訪れるように」とお願いに飛んで行きましょうBasilica di San Pietro in Vaticano正面には『サン・ピエトロ大聖堂』ヴァチカン市国の南東端にあるカトリックの教会の総本山『サン・ピエトロ大聖堂』は・・・キリストの使徒である・・・ペトロ(ペテロ)「聖ペテロ」の意味です。ペテロのイタリア語が「ピエトロ」なのです。ここには、もともと「聖ペテロ」のお墓がありました。大聖堂に入るために世界中からカトリックの信者さんや私のように仏教徒も訪れるものですからもう〜大行列で・・・1時間は並ぶことを覚悟しましょうサン・ピエトロ広場の柱は・・・284本もあります柱に沿うようにワイワイと詰め詰めで長〜くソーシャル・ディスタンス2m無しで詰め詰めおしゃべりしたりフォトタイムも充分で退屈しないですね。この日『サン・ピエトロ大聖堂』の前には椅子がいっぱい大きなモニターもあります。手荷物検査を済ませると・・・「ようこそ〜サン・ピエトロ大聖堂への案内」がありました。入場に際しては、失礼な服装とか無いように決まりが多いですが絵での説明が、ちょっとカワイイ!!それでは、図の説明通りに進みましよう正面の入り口に通じる道は、狭いですね・・・大聖堂の奥行きは・・・216m一度に・・・6万人もの人が お参り出来るそうですが現在は、コロナの為に入場は、閉館しております。324年〜329年頃、最初に築かれた聖堂は、小さなものでしたが1506年、約1200年後には、教皇ユリウス2世によって聖堂の建て替えが開始されたのです。ブラマンテ、ラファエロ、ミケランジェロなど天才的な芸術家を10人以上も設計や監修に携わり1626年、建設工事は120年もの歳月を要し完成しました。それでは・・・いよいよ入場です。『聖なる扉』Porta Santa聖なる扉は・・・しっかり閉まっています。この扉が開くのは、25年に一度の聖年の時だけ「聖なる扉を通ると全ての罪が許される」そうです〜この扉を通ればコロナも終わるはず・・・残念ですが、警備の方が厳しそうなお顔で断念いよいよ素晴らしい内陣へすぐ右側には・・・ミケランジェロ『ピエタ像』このピエタ像は・・・世界一ですね ミケランジェロの自信作です何処から何処まで・・・凄いです!凄い〜凄い〜高い天井ですね〜中央まで進んで来ましたミケランジェロのデザイン『サン・ピエトロ大聖堂』のクーポラ 『ブロンズの天蓋』高さは・・・29mBaldacchino di Brozo『聖ペテロの墓』は、この真下です。Tomba di S.Pietro最も神聖な場所何もかも破格の巨大さキョロキョロあちこち 左右・前後『宝物殿』教皇グレゴリウス13世の墓碑グレゴリウス歴の人です。Gregorius XIII(1502年1月7日〜1585年4月10日第226代ローマ教皇です。ピエトロ・ビアンキ作『無原罪の御宿り』ラファエロ・サンティ作『キリストの変容』1516年〜1520年高さ=405cm横=278cmこの絵は、上部と下部の2つの場面が描かれています。上部は・・・キリストが天から声を聞き自分が神であることを示す場面『キリストの変容』です。下部は・・・「悪魔に取り憑かれた少年の治療物語」下部の民衆がキリストを指し示す事によりこの奇跡の場面を一枚の画面に結びつけています。この絵は・・・ラファエロの遺作となりました。天国に召されたのは、ラファエロの化身なのでしょうか?(本物は、ヴァチカン美術館に収蔵)大聖堂の一番奥までやって来ましたベルニーニ作『聖ペテロの椅子』Cattedra di S.Pietroここで、皆さんでコロナの早期終息をお祈りしましょう『聖ペテロの像』“右足に触れると幸せになる像”これは、絶対に触って来ないとです皆さん、触りましたか〜いやいや〜ヴァチカンでいっぱいお願いしたのでもう〜大丈夫コロナ退散・成就です 最後に美しいスイスから来た警備のお兄さんにもゴールデンウィーク・・・命を守る『ステイホーム週間』も・・・6日目6日間、全くお家でこもっております。それでも、世界のあちこちへ毎日、思い切り飛び回っておりますけど明日は、何処に飛ぼうかと・・・思案中。(ニューヨーク、パリ、ローマ、オランダは、飛びましたよ)ステイホーム週間にぽちm
2020.04.30
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最終目的地ブルージュ「ヤン・ファン・エイク像」の広場から「ブルージュ中央駅」へとご一緒にバスに乗って帰りましょうか2019年4月友人との気ままな2人旅です。きらりのわがまま『ベルギー旅日記』ブルージュ編・最終回【世界遺産】ブルージュ歴史地区Historic Centre of Bruggeブルージュ旧市街を1日歩いて中世の街をお散歩して来ましたが・・・今日中にブリュッセルのまで帰らないといけませんいよいよ明日は、帰国日です ブルグ広場の近くのバス停留所からバスで一気に「ブルージュ中央駅」へ戻りますバスの本数は、かなり多いので・・・心配ありませんでした。もう〜すっかり手持ちのユーロも使い果たしましたが「バス停留所」の上には、行き先と「LIJN」のマークが『LIJNカード』「アントワープ中央駅」で買ったもの。このカードは、北部フランダース地方アントワープ・ゲント・ブルージュでAntwerpen Gent Bruggeバスや路面電車に乗れる便利なカードですが大体が、歩いて旅を続けた為にカードには残金がいっぱいまぁ〜いいかフランドル地方は、だいたい歩いて回れますさぁ〜「ブルージュ中央駅行き」のバスは、すぐに来ました。ブルージュ旧市街地を囲む運河沿いにバスは、進みます日曜日なのに空いています。この黄色い信号機は、交差点の中央に立って縦型です「バス停留所」ですね〜ベルギーの道路は、日本と反対でバスは右側通行ですこれは、旅をしているとバスに乗る時は・・・日本と反対側の道路から乗るのでちょっと難しいでも、迷いながらの旅はいつも笑ってばかりです。それでは、今日の乗客ウオッチはおばあちゃまが・・・2人おじさまが・・・ひとり黄色いジャケットは・・・時々乗っている警備の係員?ブルージュのホテルなどがある地域にブルージュの街並みは、どことなくブリュッセルと違う日曜日なのに・・・歩いている人が少ないそれにしても私たちは、よく歩いたものですこの道とは違いますね〜多分。この道は旧市街の外側の辺りかと・・・私たちはブルージュ旧市街地を歩きブルージュ中央駅愛の湖公園ベギン会院メムリンク美術館ブルージュ運河クルーズグルーニング美術館聖母教会ダイフェル運河のマーケット・骨董市マルクト広場ブルグ広場ヤン・ファン・エイク広場ブルグ広場「バス停留所」ああ〜若いイケメンが・・ははははっ『ブルージュ中央駅』到着。(これは、朝9:40に撮影したもの)【時刻表】は16:10 Brus-Centraal Genk IC 516時10分発 ブリュッセル中央駅行きホームは、5番です。えええ〜あと4分ホームが空いています。向こうのホームも誰もおりません〜2019年4月の日曜日 午後3:54ブリュッセルの旧市街は、あんなに人が多いのに皆さん、どこへ消えたのでしょう乗る前に行き先を確認間違えない暗くなる前にブリュッセルのホテルに着けます。・・・つづく・・・ベルギー旅にぽち
2020.04.13
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さぁさぁ〜やっと、天井のない美術館♪ブルージュ旧市街地『ヤン・ファン・エイク広場』に到着しました2019年4月訪問。友人との気ままな2人旅ですきらりのわがまま『ベルギー旅日記』ブルージュ篇(122回)ブルージュ『ヤン・ファン・エイク広場』Jan van Eyckplein『ヤン・ファン・エイク広場』ヤン・ファン・エイクに・・・やっと会えました何しろブルージュの駅から歩いて1日かけての到着。感動ですおっと・・・この人は、誰ってヤン・ファン・エイク・・・とは? Jan Van Eyck1390年頃〜1441年7月9日初期フランドル派の画家神の手を持つ男と言われた卓越した技量を持つ画家。これが神の手です。右手に絵筆。左肩から絵画を下げています。かつては、ブルージュの港であった運河沿いのここ『ヤン・ファン・エイク広場』に立っておりますヤン・ファン・エイクは・・・ベルギーの古都『ブルージュ』で15世紀に活躍。ネーデルランド絵画の創始者でありますヤン・ファン・エイクの修行時代の事は・・・不明の点が多いのですがヤン・ファン・エイクは・・・それまで行われていた油彩画法を改良し乾性油と樹脂、薄め液を用いて細密な描写と鮮やかな着彩法を確立しました。ブルージュ『グルーニング美術館』にて『ヴァン・デル・バーレの聖母子』1434年〜1436年頃ヴァン・デル・バーレとは、依頼主の名前でこの作品の中にも、ちゃっかり・・・白い衣を着た方です遠近法によって巧みに描かれた空間構成中央の聖母子と聖人たちの人物や衣装と聖母の足元の絨毯の細密描写は、今でも色褪せず光り輝いていました。ヤン・ファン・エイクは・・・ルネサンスにも劣らない革新をもたらした。1422年から「ホラント伯ヨハン・フォン・バイエルン」の宮殿画家として活躍1425年以降は、「ブルゴーニュ公フィリップ善良公」の従者兼宮殿画家となりポルトガル、スペイン、などを旅行。終生フィリップ公のお気に入り画家として破格の扱いとなった。ヤン・ファン・エイクは・・・1390年頃の生まれでマースエイクの出身だと考えられる?その記録の最初は、「バイエルン公ヨハン3世」の宮殿の記録からであるがそれ以前にファン・エイクは、すでに工房を持って親方であった。1420年頃、ブルージュへ移住したのであります。ヤン・ファン・エイクの兄は・・・フーベルト・ファン・エイクでヤンと同じくらいに優れた画家であったそうですが『ヘントの祭壇画』は、兄の構想でありました。ゲント『ヘントの祭壇画』シント・バーフ大聖堂にて兄のフーベルトの死後・・・弟エイクが制作を引き継いで完成させました。長い修復作業が終わり公開された『神秘の子羊』は撮影禁止でしたのでこれは、前回の訪問時(修復前の画像)です。神秘の子羊(中央)は・・・イエス・キリスト神秘の子羊=子羊の礼拝を描いています。ヤン・ファン・エイク・・・ざっくり記憶していただけましたか私たちは、2019年4月、1年前に『ヤン・ファン・エイク広場』に到着美術館マニアとしての旅も、ここが最終目的地であります。・・・つづく・・・世界遺産にぽち
2020.04.12
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ベルギーの水の都「ブルージュ」旧市街地の運河沿いにある『ヤン・ファン・エイク広場』までブルージュ駅から1日かけて歩いたきたミーちゃんときらりの2人旅でありますきらりのわがまま『ベルギー旅日記』ブルージュ篇(121回)Jan van Eyckpleinブルージュ旧市街『ヤン・ファン・エイク広場』最終目的地『ヤン・ファン・エイク広場』到着ですすごろくで言えば・・・あがりですかね〜私とミーちゃんは、2019年4月の日曜日のことブルージュ駅から歩いて北上し巨匠:ヤン・ファン・エイクが立つこの地へなんと〜静かな「中世の街並み」北部ベルギー「フランドル」の古い古い家並みですブルージュの人が最初にこの地に住んだのは、14世紀頃からヤン・ファン・エイク像は広場の中央に思ったより大きな姿ですヤン・ファン・エイク広場は・・・かつては『港』だった場所18世紀に整備されました。ヤン・ファン・エイクを囲むように【世界遺産】ブルージュの歴史地区の歴史的な建造物が囲んでいます。一番、古い建築は1470年に完成した・・・Pijndershuisje『池の家』広場を囲む・・・1600年代の家たち広場の中央は、カフェになっています。ここから「ヤン・ファン・エイク像」は、目の前ですかつては、港だった場所交易で富を得たブルージュの富裕層が住んでいた地域です。運河を挟んで、右側の道は「スピーゲルラライ」Spiegelrei左側の道は「スピノラライ」Spinolareoi当時の貿易で得た富裕層の家が・・・びっしり並びますここからの『夜景』も素晴らしいそうです今回は、残念ながら明日、帰国なのでそろそろブリュッセルのへ戻らないといけませんできたらブルージュでの1泊をお勧めしますあああ・・・ヤン・ファン・エイクって誰?大騒ぎで連呼してしまいましたね〜それでは、この大きな「ヤン・ファン・エイク」については、次回に・・・つづく・・・世界遺産にぽち
2020.04.11
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【世界遺産】ブルージュ歴史地区をお散歩しております♪マルクト広場からブルグ広場を通り最後の目的地「ヤン・ファン・エイク広場」を目指して歩くのは、ミーちゃんときらりの2人旅でありますきらりのわがまま『ベルギー旅日記』ブルージュ篇(120回)Bergium Bruggeベルギー・ブルージュの旅は、2019年4月(1年前のこと)【世界文化遺産】ブルージュの歴史地区 Historic Centre of Brugge1600年代に建てられた家が並ぶ地域です 私たちは・・・ブルージュで一番古くから人々が住んだ地域を歩いております。ブルグ広場の市庁舎から出て「ヤン・ファン・エイク広場」へ向かってフランダースの階段屋根の煉瓦の家が並びますね〜ここは、16世紀「中世の街」です。「ヤン・ファン・エイク広場」に入って来ましたよ右の家が・・・『池の家』小さな赤い扉が入口です。Pijnadershuisje 『池の家』1400年代に完成した『池の家』は・・・一番古い家。お宅訪問したいのですが〜1600年代って事は・・・徳川家康の頃ですもんね4体の石像は・・・キリスト教の聖人たちです信仰深い住人だったのですね。まぁ〜めっちゃ古い奇跡のような家ですね・・・つづく・・・世界遺産にぽち
2020.04.10
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欧州の旅は2019年4月のことです〜1年間も『ベルギー旅日記』を続けてまいりましたが〜親切にしていただいたベルギーの方たちを心配する毎日です。きらりのわがまま『ベルギー旅日記』ブルージュ篇(119回)【世界遺産】ブルージュ歴史地区Historic Centre of Brugge「ブルージュ歴史地区」【世界遺産】の街歩きは・・・楽しいですね2019年4月、私とミーちゃんの2人旅です。Burg 「ブルグ広場」→「ヤン・ファン・エイク広場」へKAniKAMA SUSHI「可児カマ寿」カニカマ寿司・・・って事でしょうか外国のお寿司屋さんは、日本人にとっては不思議です。ブルグ広場からヤン・ファン・エイク像がある『ヤン・ファン・エイク広場』へ向かっております〜ブルージュ運河クルーズ船の中から見えたヤン・ファン・エイク像ですが〜もっと近い場所からどうしても見たくてウキウキおやっもしかして「ブルージュ駅行」のバス停留所あらら〜っ。確かにバス停留所です来る時は、駅から歩き通した私たちですが帰りは、一気にバスで帰りましょう時刻表を見ると・・・かなりの本数があるので良かってです安心して「ヤン・ファン・エイク」に会って来れます【世界遺産】ブルージュの旅最後の訪問場所です・・・つづく・・・世界遺産にぽち
2020.04.09
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新型コロナウイルスが世界中で蔓延して〜欧州の旅も控える悲しい事態となり、こんな時にベルギーのお話は、少し心が痛みながらも丁度1年前2019年4月にベルギーとルクセンブルクへ2人旅をしたお話ですきらりのわがまま『ベルギー旅日記』ブルージュ篇(116回)ベルギー・ブルージュ旧市街「市庁舎」【世界遺産】ブルージュ歴史地区Historic Centre of Brugge中世には、貿易の拠点として繁栄した街であります。ブルージュは、「天井のない博物館」とも言われこの「ブルグ広場」は・・・ブルージュで最も古い居住地の一つブルグ広場で、ひときわ目立つ建築は、Stadhuis『ブルージュ市庁舎』ブルージュ市庁舎は・・・ブルグ広場の南側に建っていますなんと〜美しい彫刻が施されているのでしょう左は公文書館(博物館)ブルグ広場は・・・見所、満載です2019年4月この日は日曜日だからかしら舞台で鼓笛隊の演奏もブルグ広場に面して建つ「ブルージュ市庁舎」は・・・1376年〜1420年に渡って建設されたフランボワイヤン・ゴシック様式で建てられたフランドル地方で最も古い建築の一つ古い歴史ある建築が並ぶブルージュこの旧市街でも最も古い建築の一つ正面ファサードは・・・15世紀中に完成したものです。1階の見学は、無料。2階の見学は、有料。階段を上がって行くと・・・美しい『ゴシック・ホール』に遭遇それでは、正面の見事な彫刻に近寄って見てみましょう正面の壁にはブルージュの聖人や偉人たちが元々48体の聖書に登場する聖人やフランドル地方を納めた「フランドル伯」「ブルゴーニュ公」の彫像当時は、金箔で光り輝いていたそうで〜「ヤン・ファン・エイク」が絵付けした作品もあったしかし・・・フランス革命の際に歴史上の人物の彫刻の多くは破壊されてしまいました。1887年の火災で市庁舎内部も悲惨な状態になってしまいましたがブルージュ出身の建築家Louis Delacenserie「ルイ・ドゥランスリー」の20年にも及ぶ改修により、2階の空間は、美しい『ゴシックホール』に生まれ変わりました如何でしょう〜欧州の風景で癒されていただけたでしょうか?それでは、美しい〜建物の中へご一緒にそれは、素晴らしい『ゴシックホール』への訪問・・・・・・・つづく・・・ブルグ広場にぽち
2020.04.07
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さぁ〜【世界遺産】ブルージュの歴史地区の中心「ブルグ広場」に入って来ました〜ブルージュに人々が最初に居住した地域であります私たち2人は(丁度1年前)2019年4月の訪問。きらりのわがまま『ベルギー旅日記』ブルージュ篇(115回)Burg「ブルグ広場」2019年4月の訪問【世界遺産】ブルージュ歴史地区History Centre of Bruggeマルクト広場からブルグ広場には・・・気付かないうちに入って来てしまうほど近いブルグ広場からマルクト広場の【世界遺産】の鐘楼が見えますマルクト広場よりは、少し狭いのですが2人旅の 私とミーちゃんは・・・広場の中央で演奏している鼓笛隊に出会いますブルグ広場のパイプ椅子に座って演奏を聴きましょう何のお祭りか?お祝いか?不明ですが・・・日曜日だからかしら新型コロナウイルスとは無縁の1年前幸せな2019年春・日曜日の午後こんな日々は、戻るのでしょうか?Burg.「ブルグ広場」ブルージュで最も古い居住地の一つ何しろ 2〜3世紀には、人々が定住していたのであります。ブルージュ「ブルグ広場」を囲むのは歴史的な古い建物鼓笛隊の後ろに見えるのは『旧・地方裁判所』Gerechtshof『旧・地方裁判所』の建物は、3つもあります。 「ブルグ広場」の旧・裁判所の建物は・・・最初、自由都市ブルージュの評議会と会議室が造られ判事室としても利用されました。1727年に建てられた裁判所は、1984年まで使われ現在は、行政センターとなっています。そのお隣ブルグ広場の正面にはStadhuis『市庁舎』パイプ椅子に座りながら眺める・・・豪華で見事な彫刻ですね〜ブルグ広場の周辺にもレストランやカフェ〜ブルグ広場で一休み・・・市庁舎につづく・・・ブルグ広場にぽち
2020.04.06
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ベルギーのブルージュを訪れたのは・・・1年前(2019年4月)の事です。中世の雰囲気そのままの街を旅する幸せなひと時を振り返っております友人との2人旅です♪きらりのわがまま『ベルギー旅日記』ブルージュ篇(114回)【世界遺産】ブルージュ歴史地区・マルクト広場Historic Centre of Brugge. ベルギー【世界文化遺産】ブルージュ歴史地区友人ミーちゃんと2人で訪問しました。ちょうど1年前の旅を振り返ってみると(平和)メルヘン夢の世界にも思えてくるのであります。ベルギー・ブルージュの旧市街の中心には2つの広場があるのです。Markt.「マルクト広場」 Burg.「ブルグ広場」2つの広場は、近いですね〜左「マルクト広場」を囲む古い建築群を見回してみましょう〜Historium「ヒストリウム」City Tour Bruges「州庁舎」「マルクト広場」2019年4月の午後 州庁舎の前の階段で休憩する人々ヒストリウム(左の建物) には・・・学生たちが歴史の学習のために詰めかけて賑わっておりました。私たちは、入り口にトイレマークがあったのでお借りしようかと行ってみたのですが・・・ヒストリウム のチケットが無いとトイレを使う事ができないシステムになっていてガッカリ右隣の建築は・・・City Tour Bruges「ブルージュ州庁舎」いやいや立派ですね〜「州庁舎」の前に・・・バス停留所発見ここからバスに乗れば「ブルージュ駅」まで戻れますこれで、帰る足も確保できて一安心。ブルージュ州庁舎・・・大きいですねブルージュの州庁舎は・・・1292年、ブルージュ港の中心地として建設されたのが始まりで当時のブルージュ港は、ここまで水路が来ていて船には直接、乗り降り出来てとても便利でしたが1878年、雌雄庁舎は、残念ながら消失。その後、ブルージュ州庁舎と郵便局の機能を持つ建築となりました。1891年、郵便局がオープン1920年、州庁舎の建物が完成1787年、水路が断たれ船での乗り入れができなくなりました。水路は、それでも歩いて直ぐなのですよ〜州庁舎の右隣Interactive beer museum with tastings「ビール博物館」現在では、右隣が「ビール博物館」になっています。この赤い煉瓦の建物の1階が『郵便局』です。ここから絵葉書を送るのも素敵ですね・・・つづく・・・世界遺産にぽち
2020.04.05
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いよいよ【世界遺産】のマルクト広場の中から【世界遺産】の鐘楼が見えて来ましたよ〜私は、この「鐘楼」に昔、上がった事があって、がかなり好きなのでありますきらりのわがまま『ベルギー旅日記』ブルージュ篇(113回)【世界遺産】マルクト広場の鐘楼Belfries of Belgium and France 【世界遺産】ベルギーとフランスの鐘楼群私たちマルクト広場の中央に立っております〜2019年4月友人のミーちゃんとの2人旅。ベルギー・ブルージュの平和な日曜日の午後です2019年4月、1年前の訪問ですよ〜2020年4月、今年じゃありませんこの時は、世界中が新型コロナウイルスの蔓延で鎖国状態になるなんて・・・夢にも思わなかったしこんな辛い思いをしながら旅日記を続けることになるとはそれでも何故か?私の最後の旅になる予感もしていたのであります【世界遺産】ブルージュの歴史地区:マルクト広場Historic Centre of Bruggeブルージュの歴史地区は、中世に貿易の拠点として繁栄Markt.マルクト広場は・・・ブルージュ旧市街の中心地であります。マルクト広場は、10世紀頃からマーケットとして利用されました。2004年訪問時「鐘楼」の上から眺めたマルクト広場小さな箱のように見えるのはクリスマス市の小屋です〜鐘楼の内部には、366段の螺旋階段があったのですがあの頃は、私も元気でしたね(今回は上りませんでした)【世界遺産】ブルージュの鐘楼は・・・広場の端まで下がらないと全体を撮影できませんね〜ウォレ通りからの眺め(2019年4月訪問時)旧市街の街歩きは、楽しいですね〜天井のない博物館と呼ばれる世界を歩いて行きましょう・・・つづく・・・世界遺産にぽち
2020.04.04
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ベルギー【世界遺産】ブルージュ歴史地区「マルクト広場」の中央に立つブロンズは、誰なのでしょう!?フランドルとヨーロッパの歴史まで深掘りするってきらり偉いでしょ〜歴史を知ってから旅をしてみたいですね。きらりのわがまま『ベルギー旅日記』ブルージュ篇(112回)ベルギーを旅したのは友人との2人旅新型コロナウイルスも無かった2019年4月。【世界遺産】ブルージュ歴史地区「マルクト広場」マルクト広場の中央に立つブロンズは・・・フランス軍の騎兵に勝ったフランドル軍のモニュメント。“フランドルの独立を守った戦い”「コルトレイクの戦い」「金拍車の戦い」として記憶され 祝日となっているそうなのですがヨーロッパにおいて市民中心の歩兵が初めて重装騎士軍を破った戦いとして知られていますここには、フランスとベルギーの因縁の歴史が関係。ベルギー人・フランドル地方の庶民がスキットする戦い・・・とは?どんな戦いだったのでしょう?Bataille de Courtrai『コルトレイクの戦い』『金拍車の戦い』・・・とは?フランドル地方を含むネーデルラントは・・・843年、フランク王国が分割された時にヴェンダン条約によって中フランク王国に含まれて870年、メルセン条約でフランドル等のベルギー地域は西フランク王国に併合されました。しかし、フランドル伯は、国王に匹敵する力を持っていた。第4回、十字軍の時には・・・フランドル伯ポードゥアンは、ラテン帝国皇帝となっている。しかし、フランス王権の強化と共にその力は、相対的に低下していった。12世紀以後・・・イングランドは、良質で高級な羊毛を特産としその輸出は、フランドル諸国であった。今日の北部フランスから、ベルギーにかけての毛織物産業は、ローマ帝国時代から著名でありそこにイングランド産の良質な羊毛を大量に輸入することで急速に発展し12世紀半ば以降は、国際的な知名度を高めた。農村と都市を相互に供給する商品経済がドーヴァー海峡を挟み大規模に展開されていました。イングランドで毛織物生産が始められるのは、この14世紀以降である。このようにイングランドとフランドルは・・・相互に密接な関係にありフランス国王によるフランドル支配の阻止は、イングランドとフランドル双方にとって死活問題であった。イングランドにとっては、商品経済関係が成立している以上直接フランドルを支配する事でイングランドを発展させたい思惑が生じた。フランスは・・・集権化を開始しておりギュイエンヌ公領(イングランド王も兼ねていた)ブルゴーニュ公領、ブルターニュ公領と共にフランドルは、王国統一と王権の強化のために克服すべき対象でした。したがって同地において英仏の衝突は、不可壁であった。当時のフランドル伯ギーは、豊かなフランドル地方を狙っているフランス王フィリツプ4世と対抗するために娘をイングランド王太子エドワード2世と結婚させイングランドと同盟しようと図った。これを知ったフィリップ4世は、破談にするように強要したがギーは、最終的にこれを拒否してイングランド王エドワード1世と結んで反抗した。『ブルージュの朝』1297年、フィリップ4世は、フランドルの併合を宣言しヴァロワ伯シャルル率いるフランス軍は、フランドルを占領した。スコットランド侵攻を重視するエドワード1世が単独で調和したためギーは、捕らえられ、ジャック・ド・シャティヨンがフランドル総督に任命された。しかし、その支配が過酷だったため1302年5月18日にブルージュにおいて、市民の反乱が起こり、フランス人を虐殺した『ブルージュの朝』そこで、フィリップ4世は、アルトワ伯ロベール2世を派遺し鎮圧に当たらせたが、フランドルの諸国は同盟を結び、これに抵抗した。その結果、コルトレイクでの衝突に至った。『コルトレイクの戦い』って・・どんな戦い?フランドル軍は・・・ 7月9日、コルトレイクの攻撃に失敗した後その近辺でフランス軍を迎え撃った!フランドル軍は、2500人弩弓兵(いしゆみ兵)1000人パイク兵(やりの兵)1000人その他の歩兵3500人の計8000人であった。当時は、騎士は、10倍の歩兵に匹敵すると信じられていた。周辺は、溝やぬかるみのある地形で騎兵に不利であったが圧倒的優位を確信していたが騎士に戦功を上げさせたいアルトワ伯は、歩兵を呼び戻し、騎士軍の突撃をかけ有利に進めていたが密集方陣を敷いたフランドルの市民軍は、統制が取れており装備も良かったため容易に崩せず、逆に取り囲まれて、次々と殺されていった。当時の戦闘では、騎士は殺さずに捕虜にして身代金を取るのが普通であったが、市民軍は、その習慣は無く多くの騎士が殺された アルトワ伯ロベール、フランス軍司令官ネスレ卿ラウル2世・ド・クレルモンの最高幹部2人の元師ジャン2世・ド・ブリエンヌなど4人の伯、ジャック・ド・シャンティヨン等多くの貴族と1000人近い騎士が戦死したという。戦場には・・・騎士の象徴とされた「金拍車」が多く残されておりフランドル軍は、それをコルトレイクの聖母教会に飾って勝利の印とした。(資料一部:ウィキペディア様より)それで『金拍車の戦い』とも呼ばれたのですね!!フランドルの歴史を少しだけ理解できたところでなんだか〜スッキリ先へ進みましよう〜・・・つづく・・・世界遺産にぽち
2020.04.03
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2019年4月ベルギー・ブルージュ旧市街の中心地「マルクト広場」に到着です〜♪広いですね〜広場の中央には、旗を掲げる2人の英雄のブロンズがあります誰なのでしょうか?友人と2人の訪問です。きらりのわがまま『ベルギー旅日記』ブルージュ篇(111回)Markt.『マルクト広場』あら〜『マルクト広場』広いですね〜1年後の新型コロナウイルス騒動とは、無縁の2019年4月、平和な日曜日の午後です。マルクト広場は、カフェがいっぱいです。ギザギザ屋根のカラフルなお家がカワイイですね〜ギザギザ階段屋根は、中世フランドル地方の特徴的な屋根このカワイイお家は『ギルドハウス』ギルドハウスは・・・中世「ブルージュ」が繁栄した頃に商人たちの業種ごとの互助組合の建物なのですカワイイですね〜カラフルですね〜建物は、業種ごとにシンボルなどを配しています。現在は、1階部分のほとんどが、レストランやカフェお土産やさんですDe Markt.『マルクト広場』の解説まず『マルクト広場』中央にあるブロンズの説明2段目は、マルクト広場を囲む建築物。3段目は、戦争で破壊されたマルクト広場。広場の中央には、ブロンズが・・・旗を掲げた2人の像は誰? 14世紀の『コルトレイクの戦い』で・・・フランスの侵略から、フランドルの独立を守った英雄Jan Breter「ヤン・ブレイデル」とPieter de Coninck「ピーテル・デ・コーニング」の銅像。『コルトレイクの戦い』・・・とは?Bataille de Courtraiバトル・デ・コルトレ(フランス語)1297年〜1324年の『フランス・フランドル戦争』の中で起きた!1302年7月11日、コルトレイクにおいて起きた『コルトレイクの戦い』戦場に騎士の象徴とされた金拍車が多く残されたために・・・『金拍車の戦い』の名でも呼ばれます。さぁ〜どんな戦いだったのでしょう・・・つづく・・・世界遺産にぽち
2020.04.02
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2つの【世界遺産】に登録された市のシンボル「鐘楼」83mが見えて来ました〜すごいですね!2004年訪問時にに登りましたよ〜懐かしいですね♪2019年春は、きらり2度目の訪問ですきらりのわがまま『ベルギー旅日記』ブルージュ篇(110回)【世界遺産】ブルージュ歴史地区“Historic Centre of Brugge”Wollestr. ウォレ通りをMarkt「マルクト広場」に向かって歩いています。ブルージュは、中世に貿易の拠点として栄えました。その中世の街並みを歩いて行くと鐘楼が見えて来ました ワクワク見て下さい中世の煉瓦作りの建物フランドル地方が繁栄した時代の特徴ある階段屋根観光馬車が走って来ましたパッカ・パッカパッカパッカとひずめの音が中世の街に響きますうわぁ〜素敵ですよね私も、お馬車のお迎えが来て欲しい〜この鐘楼は、2つの【世界遺産】にダブルで登録されております【世界遺産】ブルージュ歴史地区 Historic Centre of Brugge 【世界遺産】ベルギーとフランスの鐘楼群 Belfries of Belgium and France 【世界遺産】にダブルで登録された「鐘楼」Belfort ブルージュ「聖母教会」115.5mの尖塔には及ばないものの『マルクト広場』でひときわ高い83mの高さです1300年頃に建造され何度か修復を重ねた歴史ある「鐘楼」さぁ〜真下まで来ましたよ近すぎでこの「鐘楼」の素晴らしさそして、私のワクワク感が理解されないカモですが〜少し離れた方が、見えるでしょうか?Wollestr. ウォレ通りには・・・ベルギーの老舗「チョコレート屋さん」が並んでいます。犬君も・・・チョコレートの香りに誘われ世界遺産のお勉強を済ませた後でしょうか?ハイスクールの生徒さんたちとすれ違います。楽しい中世の街歩き私も、2004年に確かにこの道を歩いたのですが・・・グループでの訪問で、もう、ほとんど記憶がありません画像を探してみると16年も前のもの・・・・・・・・・・・・2004年クリスマスの頃の画像クリスマス・イルミネーションが・・・雨の訪問。ベルギーの冬は、雨が多いです。流石の晴れ女も、冷たい雨に遭遇。16年も前の画像ですが・・・中世の街並みは、同じ。「マルクト広場」へ入りましょう【世界遺産】ブルージュ歴史地区 Historic Centre of Brugge 【世界遺産】ベルギーとフランスの鐘楼群 Belfries of Belgium and France16年前の私は・・・この「鐘楼」に登りましたなので今回は、眺めるだけ〜思い出して見ました「鐘楼」の図面螺旋階段は・・・366段あります2階には「宝物殿」がありました。中世の「博物館」です。螺旋階段は、366段ここからエレベーターは・・・ありませんよ頑張って登りましたあら〜マルクト広場のイルミネーション2004年の画像です。366段、螺旋階段を登ると・・・「カリヨンの鐘」の装置が巨大なオルゴールです総重量は、27t もあるカリヨンの構造です不思議の国のアリスが時計の中に入った気分です。とは言え、ここまで登ってくる人は少なく現地のおばさまと遭遇し、言葉も通じないまま意気投合少し降りてくると「クリスマス市」の小屋が見えて来ました。そんな楽しい出来事を思い出しております。16年前の思い出・・・終わり2019年春の訪問に戻って・・・・つづく・・・世界遺産にぽち
2020.04.01
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【世界遺産】ブルージュを旅したのは、2019年春の事。運河沿いを歩きながら楽しんだ♪ほぼ中世そのままの街並みは、いちばんの思い出でありますきらりのわがまま『ベルギー旅日記』ブルージュ篇(109回)ブルージュ『ダイフェル運河』Dijver Straat(ダイフェル通り)沿いを歩きましょうダイフェル運河は・・・ダイフェル通り沿いにある運河ですダイフェル運河は、ダイフェル通り沿いにあり12世紀頃に要塞の一部として築かれた古い歴史を持っています。ダイフェル通りは・・・Nieuws Straat(ニーウ通り)とWelle Straat(ウォレ通り)を結ぶ全長が230mの通りです。Dijver土曜日と日曜日には・・・ダイフェル通り沿い230mに「ダイフェル・マーケット」が開けれます。ブルージュには、幾つものマーケットが開かれますがここ「ダイフェル・マーケット」は・・・ヨーロッパ雑貨や骨董品が並んでいました(昨日、ご紹介)。ダイフェル運河に沿って・・・「ダイフェル・マーケット」手前のヨーロッパ雑貨を見ながら 12世紀に築かれた「ダイフェル運河」を・・・日曜日の人並みに沿って歩きました振り向くと『聖母教会』の尖塔115.5mが見えます。♪ブルージュ運河クルーズ♪の乗船場もあります大体、35人〜45人が乗船できる船ですが・・・この乗船場には・・・日曜日なので行列ができています。それでも、クルーズ船は、次々と来るので思っていたよりは、早く乗船できますチケットは、予約無しでチケット売り場で購入できますがカード支払いができなくてユーロ支払いのみです。料金は・・・大人=10ユーロ、子供=6ユーロでした。さぁ〜皆さんも乗って下さいね船は、出発すると・・・すぐに橋の下をくぐりますブルージュには、50以上の「橋」があります。その橋を次々とくぐって進むのも楽しみの一つブルージュは・・・(英語読み)オランダ語では・・・「ブルッヘ」ブルッヘの意味は・・・「橋」であります私たちは、その橋の上を渡って・・・旧市街の中心地へ進みます・・・つづく・・・世界遺産にぽち
2020.03.31
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聖母教会の横まで来ましたが近すぎると「尖塔」の姿が〜案外見えにくいです!ブルージュ旧市街地で一番高い建物なのですが・・・訪問は、2019年4月友人との2人旅です。きらりのわがまま『ベルギー旅日記』ブルージュ篇(94回)『聖母教会』の尖塔聖母教会の横まで来ると尖塔が見えるのはこれが、精一杯!!ブルージュ旧市街で一番高い建物なのに残念です。どこからでも見える塔だと言われていますが・・・どこから見たらベストポディションなのでしょうねブルージュ『運河クルーズ』船上から見た景色が良いらしいですが〜『聖ヨハネ施療院』メムリンク美術館の建物の上に見えていますが〜もうちょっと離れた位置から撮影したら良いですよね〜(残念)それならば・・・グッと近い位置『聖母教会』の裏から・・・見上げるとあらら〜塔の上が見えてませんよちょっと離れて『聖母教会』と『グルートゥズ博物館』の間にすっくとちょっと〜ダークですけど・・・はい見えますか『聖母教会』は・・・10世紀よりも前から存在。右の『グルートゥズ博物館』は、15世紀に「グルトゥーズ家」の倉庫でしたが・・・1425年には、個人の邸宅として改築して1472年には、教会の許可を得て、直接礼拝堂に移動できるような構造にしたそうです。ブルージュ『運河クルーズ』舟の中から見上げた『尖塔』しかし・・・ベストポジションはまだまだ『アーレン・ハイス博物館』の前からは・・・良い感じですが〜逆光ですこれは、逆光じゃないですね『聖母教会』と尖塔の全体を撮影するのは難しいです〜それでは・・・どこからでも見える『塔』・・・とは?ここは、ダイフェル通りの橋から眺めましたこの橋の横には、運河クルーズの船着場があります。(この方向は、逆なので見えていません)ダイフェル通り沿いからは、よく見る事ができます。土・日限定の「ダイフェル・マーケット」蚤の市からの『尖塔』は、真正面ですもう少しして樹木が茂ると見えないかもです私たちが乗った『運河クルーズ』ダイフェル前の乗り場からは、メッチャ〜大きく見えますね舟の中から見る『聖母教会』の尖塔ブルージュの『聖母教会』塔の高さは・・・122mフランドル地方で一番だったのですが1518年、アントワープの『聖母大聖堂』(フランダースの犬で有名な教会です)123m・・・に抜かれてしまいましたクルーズ舟の中から真正面です〜舟は離れていますけど小さく見えます〜街歩きをしていても付いてきます〜お馬車が・・・いっぱいでした南の地域からでも見えます【世界遺産】ベギン会院のところからは・・・見えにくく旧市街地の一番南の『愛の湖公園』からもあああ・・・小さいここです。小さいけど・・・確かに『聖母教会』の尖塔は、見えていますね〜結局、良いお写真が無いので・・・数でUPですさぁさぁ〜いよいよ『聖母教会』に入りましょう・・・つづく・・・聖母教会にぽち
2020.03.16
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中世の街並みをお散歩した日曜日の【世界遺産】ブルージュの風景をもう一度タイムスリップしてみましょう(2019年春)友人と2人で、のんびりとした旅であります。きらりのわがまま『ベルギー旅日記』ブルージュ編(93回)【世界遺産】ブルージュの街憧れの中世の街への訪問は・・・2度目です。歩いた道を自作の地図にしてみました聖ヨハネ施療院「メムリンク美術館」聖ヨハネ施療院の博物館ダイフェル運河からクルーズに乗船グルーニング美術館グルートゥス博物館ボニファシウスの橋聖母教会までやってまいりました観光馬車が行き交う聖ヨハネ施療院の博物館前ベルギー観光の中で街歩きを楽しめるブルージュ観光馬車が行き交う道をぬって歩きます正面は「聖ヨハネ施療院」右が「聖母教会」です「聖母教会」へ向かう私たちここを右に曲がると「聖母教会」の入り口に着くはず今回の旅では・・・毎日、列車に乗ってブリュッセルアントワープゲントルクセンブルクブルージュと2人旅を続けて来ました最終日に訪れたブルージュで楽しみにしていた街歩き右上に「聖母教会」の塔。高さは、122mが真上に見えます。ブルージュの街の中を歩いていると・・・いつも目印になってくれた「聖母教会」の尖塔午前中に入ろうとしたら・・・閉まっていましたそれもそのはず日曜日ですからお昼は、礼拝があるので一般人は、入れませんと言う事で「運河クルーズ」を終えてから再び戻って来た私たち2人右「聖母教会」に沿ってぐるっと回って歩きます。「聖母教会」は・・・13世紀〜15世紀に設立しその後何度も修復を重ねた様々な建築様式が交じり合っております外から見ると確かに古い時代の煉瓦が見えます新しく修復された建築がむき出しのまま見えましたそして古い煉瓦の上にそのまま重ねて修復してあるのです。お化粧し直したって感じですよね〜ここには、イエスが十字架に「INRI」と罪状を示され これは、古い煉瓦の部分に昔からあったと思われます。この壁の厚さから見ると、何度も修復を重ねた証しがふふふっ。これは私の推測です。キリストを右に見ながら前を向くと「聖母教会」前の交差点があります。中世の街に歩きスマホのおじさまオット〜車にぶつかりますヨさぁ〜いよいよ楽しみにしていた「聖母教会」へ・・・つづく・・・聖母教会にぽち
2020.03.15
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『グルーニング美術館』2番目の部屋でローヒル・ファン・デル・ウェイデンの名作「聖母を描く聖ルカ」に出会うことができたのは、2019年春の事ですきらりのわがまま『ベルギー旅日記』ブルージュ編(63回)『グルーニング美術館』 NO.2 展示室ローヒル・ファン・デル・ウェイデン(コピー)Lucas tekent de Madonna1500olieverf op paneelSaint Luke drawing the Madonna1500oil on panel『聖母を描く聖ルカ』1500年(コピー)ローヒル・ヴァン・デル・ウェイデン初期の傑作ネーデルラントに設立したばかりの聖ルカ画家組合のために手掛けられた作品。1435年制作「ボストン美術館」の後に1500年に描かれたコピー!?と推測されます。どこかで見た構図・・・と思いましたがヤン・ファン・エイクの代表作『宰相ニコラ・ロランの聖母子』ルーヴル美術館(パリ)の構図を原型に、聖母マリア姿を正確に描いたとされる福音書記者『聖ルカ』の伝説的な逸話の場面であります。幼子イエスを抱いた聖母マリア聖母マリアの静謐で慈愛に溢れた精神性の深い表情それを描写する聖ルカの真摯で落ち着いた眼差しは『宰相ニコラ・ロランの聖母子』の影響を如実に示す中央の背を向けた男女の配置ヤン・ファン・エイクには・・・若干劣るものの極めて高度な細密描写によって表現される遠景にウェイデンの大きな特徴を見出すことができる画面全体を支配するウェイデン独特の世界観は、この作品における優れた魅力のひとつである。ローヒル・ファン・デン・ウェイデンRogier van der WeydenDoornik 1399/1400-Brussl 1464portret van Filips de Goede1451-1499oli op paneelPortrait of Philip the Good1451-1499oil on panel『ローヒル・ファン・デン・ウェイデンの自画像』1451-1499ローヒル・ファン・デル・ウェイデン・・・とは?Rogier van der Weyden1399年/1400年-1464年6月18日没初期フランドル派の画家キリスト教的主題が描かれた祭壇画・肖像画を描き最も成功した画家。初期ネーデルラント絵画史を代表する大画家。同朋の偉大なる先人であり初期ネーデルラント絵画の革新者でもあったロベルト・カンピンの弟子。ウェイデンの様式は、同時代の最大の巨匠=ヤン・ファン・エイクに比べて写実性は、劣るもののそれを補っても余りあるほどの深い精神性を携えた師=ロベルト・カンピン工房へ入り1432年に独立。数年後、ブリュッセルへと移住した後各地で活躍。1450年頃にイタリアへ赴いたとの話も?その詳細は不明である。作品数は、確実に帰属が判明しているものは3点、様式上帰属されるものが60点余り。またヒューホ・ヴァン・デル・フースやハンス・メムリンクなど後世に活躍する画家を育て15世紀の初期ネーデルラント絵画の画家の多くがウェイデンの様式を模範とした。代表作は・・・『聖母を描く聖ルカ』1435年頃 ボストン美術館『十字架降下』1443年頃 プラド美術館『最後の審判の祭壇画』1442年-1451年 ボーヌ施療院『キリスト埋葬』1450年 ウフィツィ美術館『ブラデリンの祭壇画』1450年以降 ベルリン国立美術館『コロンバの祭壇画』1455年-60年頃 アルテ・ピナ・コテーク・・・つづく・・・グルーニング美術館にぽち
2020.02.12
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ブルージュ「運河クルーズ」は約30分間で終わりです〜めっちゃ楽しかったです♪2019年春。友人と2人で乗船しましたきらりのわがまま『ベルギー旅日記』ブルージュ編(54回)♪ブルージュ運河クルーズ♪正面に見えてきた『聖母教会』の塔ここも絶景スポット!!運河クルーズでは、絶景・絶景と大興奮何しろ前回のブルージュ訪問では、運河クルーズをせずに終わったという残念な経験をしたからこそ余計に感じたのでしょうね運河沿いのホテルは・・・素敵です左は『聖母教会』の塔土日限定のDijer「マーケット」に遭遇私たちが乗った船着場が・・・見えて来ましたブルージュ運河クルーズは・・・おわりヨーロッパ雑貨「ダイフェル・マーケット」も楽しみですが・・・まず『グルーニング美術館』へブルージュ「運河クルーズ」私たちが乗船した船着場に戻って来ましたこの地域には、美術館や博物館が・・・いっぱいです。グルーニング美術館・グルトゥース博物館アーレンハイツ・ブランギン博物館聖母教会・メムリンク美術館も近いのですここからの乗船は、美術館が好きな方にオススメです・・・つづく・・・世界遺産にぽち
2020.02.03
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世界遺産の街ブルージュを大きく囲むように運河は・・・あります♪なんとロマンチックなのでしょう!2019年春の訪問友人と2人で気ままな旅です。きらりのわがまま『ベルギー旅日記』ブルージュ編(53回)♪ブルージュ運河クルーズ♪ブルージュ旧市街は・・・運河に囲まれた街であります。それは、現地に行って『地図』を見ると確かに・・・卵型の街を丸く囲んでおりますね13世紀〜14世紀に「ハンザ同盟」の主要都市として栄え世界の貿易港として繁栄したのであります。著名な画家ヤン・ファン・エイクやハンス・メムリンクなど有名な芸術家も集まり北部ヨーロッパ・フランダースの芸術家も同時に活躍の場となったのであります。建築は・・・12世紀頃の建築『聖ヨハネ施療院』メムリンク美術館13世紀〜16世紀の建築『聖母教会』1300年頃に建造された『鐘楼』【世界遺産】に登録された『マルクト広場』近くには「聖血礼拝堂」に「市庁舎」も修復されながらもブルージュの街の景観を中世のままに趣を保ち私たちを迎えてくれたのであります中世の橋を・・・くぐりますDijver「ダイフェル運河」の全長は・・・230mNieuwstraat「ニーウ通り」からWollestraat「ウォレ通り」を結んでおります。12世紀頃に要塞の一部(お濠の役目も)として築かれた古い歴史があります。舟は、南へ向けて戻っております〜おやっ人が倒れています!どうしたのですか〜このブロンズは船長さんの解説は・・・「オランダ語」「フランス語」「英語」ですが聞き取れません。煉瓦造のお屋敷は、それぞれ時代が異なります。船長さんは・・・おじいちゃんです。運河クルーズは、思ったよりスピードが出ています。フランダース地方の切妻屋根が見られます〜ブルージュの橋は・・・50もあります。舟は、日曜日なので多く運行されています。さぁ〜この先には目面しい建築があるみたいワクワクこの辺りも・・・面白いです。上半分が木造です多分、現在は・・・ホテルかしら運河沿いの家は、素敵です2018年秋には・・・アムステルダムで運河沿いのホテルに連泊しましたが〜今回2019年春は・・・ブリュッセル市内のブランド街近くのホテルに連泊です。こんな運河に向かって「ホテルの看板」が・・・四つ星のホテルですねカフェテリアも・・・素敵です・・・つづく・・・ブルージュにぽち
2020.02.02
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入り組んだ【世界遺産】のカワイイ街並み〜♪を小さな船の中から見上げる「ブルージュの運河クルーズ」は、ねずみランドと比べようもありません2019年春の訪問きらりのわがまま『ベルギー旅日記』ブルージュ編(51回)♪ブルージュ運河クルーズ♪なんと〜お天気に恵まれております〜人気スポットの・・・ローゼンフートカーイ(rozenhoedkaai)から4月の半ばですが〜ポカポカのクルーズ日和私たちの舟は・・・古い橋の下をくぐりカメラを首から下げたおじさまが 私たちの舟を見て笑いながら手を振っています〜答えるように私たちも手を振り返します。舟は・・・広い運河に入って来ました船上から「オランダ語」「フランス語」「英語」で解説されてしかし、私とみーちゃんは聞き取る事がこの辺りは・・・「17世紀〜18世紀の建物が・・・」と聞こえます。なんと200年〜300年前の家が入口が広い玄関です。海上から運ばれた物資を搬入する為でしょう〜フランダース地方の特徴的な・・・「切妻屋根」・・・階段状の屋根が多く残っています右岸は「スピーゲルライ」Spiegelreiその家々は・・・びっちりと隙間なく連立し日本人の私たちから見るとどうなっているのかな・・・と!?1600年代に建てられた歴史的に価値ある建造物も並ぶ左岸は「スピノラライ」Spinolarei木の家に住む私にとっては・・・「フランダースの家」は、驚くばかり・・・つづく・・・フランダースの家にぽち
2020.01.31
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運河クルーズは、思ったよりスピードを上げて北へ向かってまいりました〜2019年4月の日曜日のクルーズで友人と2人で乗船運河を北へ「ローゼンフートカーイ」の絶景ですきらりのわがまま『ベルギー旅日記』ブルージュ編(50回)ブルージュ「運河クルーズ」ローゼンフートカーイ!!ブルージュの写真スポットです〜船長さんの右隣に座らされた・・・きらり。ベストポジョンですが〜近すぎます。ブルージュの「鐘楼」が見えて来ました〜ブルージュの「鐘楼」は、ブルージュの街のシンボルであります。中世の時代から存在する「ゴシック様式」の建物。何度も破壊され焼失されたのでありますが〜その度に建て替えられ増築が繰り返され複雑な形状となっております船上からタイムスリップしている街は1500年〜1600年代の建築が並ぶ世界!!ブルージュは「天井の無い美術館」であり船長さんの顔が近いっ中世フランダースの特徴的な家が〜素敵さぁ〜ブルージュの政治と商業の中心地へとクルーズ船は、進みますブルージュ最古の橋が見えて来ましたブルージュには、50もの橋がありますが〜その中で14世紀に建造された最古の橋同乗した色々な国の方々(顔出しごめんなさい〜)橋をくぐると街並みに徐々に変化が・・・つづく・・・ブルージュにぽち
2020.01.30
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ブルージュでの運河クルーズは、是非オススメしたい観光であります〜♪ミーちゃんときらりが乗船したのは、2019年春の事きらりのわがまま『ベルギー旅日記』ブルージュ編(49回)ブルージュ♪ 運河クルーズ♪ブルージュの運河クルーズには・・・5カ所の乗船所がありますさぁ〜次の乗船場所が近づいて来ました行列していますが〜舟は、次々と来るので(問題ありません)それぞれの乗り場から・・・お客様を満員に乗せて出発するのですが、その舟から自由に乗り降りできる訳ではありません満員のまま「運河クルーズ」を続け途中、下船もできませんこれは、テムズ川やセーヌ川との違いであります。ブルージュの運河を・・・「オランダ語」「フランス語」「英語」での説明(無料)を聴きながらのクルーズであります料金は、どこから乗っても大人=10ユーロ(約1200円)子供=6ユーロ(約720円)(2019年春の)カード支払いは、不可でしたブルージュの運河クルーズで興奮する事は・・・いっぱい橋の下をくぐる事ブルージュの橋は・・・50もありこの橋は、パリやロンドンとは違いとっても小さく手が届く程の低い橋やとっても古くて草が生えてる中世の橋もあるのです乗船時間は・・・30分でした。さぁ〜中世ブルージュに行政機関であった地域へ向かっています。いやいや〜お舟が・・・いっぱいですまた乗船場が見えて来ましたねここから舟は・・・左に曲がってフランドル地方の特徴ある中世の古い煉瓦造の家がブルージュが・・・貿易で栄華を極めた時代の建築でありますさぁ〜てクルーズをご一緒に楽しんでみましょう。・・・つづく・・・世界遺産にぽち
2020.01.29
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ブルージュ「運河クルーズ」を楽しんでおります♪運河には、多くの橋が架かり、それぞれが特徴ある橋であります。2019年春・友人と2人で乗船しましたきらりのわがまま『ベルギー旅日記』ブルージュ編(45回)Bonifasius Bridge「ボニファシウスの橋」ブルージュの運河クルーズを楽しんでおります急に運河の幅が狭まってまいりました〜おやっ。小さな舟は、渋滞気味にここは、ブルージュ写真スポットのひとつ運河が急に狭くなっているのは・・・ここが、かつての「税関」だったからであります。通行料を徴収する時に、ズルをして通りぬけを出来ないように運河の幅が急激に狭くなっているのです。かつての税関の入口現在は、通行料を支払わないのですが写真スポットでありどうしても狭い運河に舟が渋滞してしまうのですね〜観光客は、ちょっと嬉しい渋滞なのですが、あら〜橋の上にもいっぱいの人が通行しています橋の横には、廃墟になった家もアート天井の無い美術館の作品のひとつですねこの橋の周囲には・・・美術館や博物館が多いので橋を渡る人も多いのです向かいには「メムリンク美術館」隣に「グルートゥーズ博物館」橋を渡ると「グルーニング美術館」がありますもう〜ワクワクして来ました・・・つづく・・・世界遺産にぽち
2020.01.25
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白鳥と鴨に囲まれる「運河クルーズ」を楽しみました♪2019年4月中旬のとてもポカポカした良いお天気の1日ですきらりのわがまま『ベルギー旅日記』ブルージュ編(42回)ブルージュの運河クルーズの折り返し地点!ブルージュ運河クルーズは・・・ブルージュ旧市街の運河を巡りながら中世で時間が止まったブルージュの景色を楽しむというクルーズです乗船時間は・・・約30分料金は・・・(2019年・最新情報)大人=10ユーロ(約1200円)子供=6ユーロ(約720円)乗船場所=5箇所1周して同じ乗船場所まで戻って来ます。朝10時〜午後6時頃まで解説=オランダ語・フランス語・英語写真撮影=舟は・・・白鳥がいる「ベギン会院」の前が・・・『折り返し地点』ですうわ・・・白鳥がっこちらに向かって来ますよ〜とても慣れていて・・・今日は、珍しい東洋人が2人乗っているわ〜なんて確認しているのかな私は、最後に乗り込んだので・・・船長さんの右隣の席に座らされたのです船長さんは、ここで船を回しますああ〜チェックしていますね【世界遺産】ベギン会院が左に見えるようになりました白鳥さんは、中洲のような場所で通年、子育てをしています立派な鴨も寄って来ますこの橋は「ベギン会院」正門前の橋です橋から右は、フランドルらしい建築が並びますが1階は、ほとんどがレストランか?カフェです。あら〜向こうから舟が橋をくぐって、こちらに向かっています。あの舟も同じで、ここで折り返します。白鳥さん〜子育て頑張ってねブルージュ訪問2回目で「運河クルーズ」の夢が叶っておりますもう〜きらりは、来ないと思うけど運河クルーズは、始まったばかりここで 折り返してブルージュ旧市街の中心地へと向かいます。・・・つづく・・・ベルギー旅にぽち
2020.01.22
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2019年春、ベルギーを訪れた1週間の旅も最後の訪問地ブルージュまで列車でやって来た友人ミーちゃんときらり。楽しみにしていた「運河クルーズ」で南へ進んでおります良いお天気ね〜きらりのわがまま『ベルギー旅日記』ブルージュ編(41回)おやっこの赤いチューリップには見覚えがありますよさっき、この橋の上から運河クルーズの人に手を振りましたよ【世界遺産】ベギン会院は、右側水仙の花が咲く「ベギン会院」のお庭をでて通った場所です。あの橋は・・・【世界遺産】ベギン会院の正門の前にある橋です白い門が「ベギン会院」の正門ですさぁ〜橋の向こうに白鳥も見えて来ましたこの橋は、高い橋なので船が交差しても問題ありませんね【世界遺産】ベギン会院ベギン会院 Begijnhof・・・とは?フランドル地方のベギン会 Flemish Beguingagesベルギーの世界文化遺産のひとつフランドル地方にある13のベギン会院のひとつ北西ヨーロッパにある女子のみの修道院作業なども含まれた複合的な施設であるが中世の十字軍で出兵した父親や夫の後に残された婦女子の居所としてベギン会が造られました。1245年、フランドル伯夫人によって設立され現在は、ベネディクト派の修道女が暮らしているそうです。庭園は、無料開放されこの時は、水仙が美しかったですさぁ〜ベギン会院の壁から白鳥を見に舟は、進み・・・ここでUターンです【地図】・・・つづく・・・世界遺産にぽち
2020.01.21
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ベルギー・ブルージュの街歩きは、中世の街並みに石畳の狭い道を歩いて行くと何処の世界から来たか!と驚くようなパッカパッカと馬車が私たちの横をあや足で通り過ぎてゆきます。きらりのわがまま『ベルギー旅日記』ブルージュ編(14回)Historic Centre Brugge【世界遺産】ブルージュの歴史地区2019年4月14日(日)訪問。ミーちゃんときらりの気ままなふたり旅私たちは、ブリュッセルから列車で・・・ブルージュまで列車に1時間15分程乗ってやってまいりました・・・きらり作成の予定表・・・ホテルを出発(トラム&地下鉄) ブリュッセル中央駅(列車) ブルージュ駅 ひたすら街を歩いて愛の湖公園 【世界遺産】ベギン会院 運河クルーズの船に遭遇 【現在】メムリンク美術館の方向へと向かっております。その後の予定は・・・ メムリンク美術館 聖母教会 グルーニング美術館 運河クルーズ(乗船) 【世界遺産】鐘楼 聖血礼拝堂 市庁舎・公文書館・旧裁判所・ヒストリウム ヤン・ファン・エイク像 マルクト広場(バス乗車) ブルージュ駅(電車) ブリュッセル中央駅(地下鉄&トラム) ホテル着ミーちゃんときらりは、石畳の中世の街を楽しく歩いております〜ブルージュ旧市街はメルヘンそのもの中世の姿をほぼそのまま保存されているからでしょうか楽しみは・・・グルメ散歩PUR CHOCOLAT素敵なチョコラティエを発見ベルギーと言えば「チョコレート」ですよね〜ブルージュでも偶然に有名店を見つけました窓から覗いてビックリチョコレートの山積み!!ベルギーをあちこち旅をして来ましたが・・・この山積みのチョコレート攻撃には驚きました場所は、聖母教会が見える道路沿い観光馬車が かなり行き交います狭い道でも馬車は、スピードを下げずに通過馬のヒズメの音が聞こえたら道の端っこに避けます4月中旬の日曜日ですから・・・人が・・・こんなにゾロゾロ馬車に 現代の馬車車も行き交いブルージュの日曜日は・・・観光客がめっちゃ〜多い次の目的地は、メムリンク美術館Hospitaal Musseum Memling in Sint Janベルギーの7大秘宝の一つを見に行きます〜ウキウキ・・・つづく・・・ブルージュにぽち
2019.12.23
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「白鳥」が・・・いっぱい居る場所に到着しましたブルージュ 「愛の湖公園」訪問は、2019年4月14日(日)ブリュッセルから列車で1時間15分でやって来たきらちゃんとミーちゃんの2人旅ですきらりのわがまま『ベルギー旅日記』ブルージュ編(12回)『愛の湖公園』Minnewater Park “Minnewater”・・・とは?もともと古い「オランダ語」でMinneその意味には・・・「愛」と「共有」の2つがあって『共有の水』の意味で使われましたが外国語に訳された時に誤訳され・・・『愛』の方の意味で使われる事となりまぁ〜観光業とするとそっちの方がロマンチックで良いじゃんとなったとかそれにしても美しいですね〜ブルージュ この湖には・・・ロミオとジュリエットに似たお話まであります。ジュリエットの名前は・・・Minne「ミンナ」ミンナは、美しい娘さんでした。恋のお相手は敵兵でありました。これは悲しい恋の結末となるそうでありますがそれも観光客相手のフィクションでありそうですこの橋の上でKISSすると・・・永遠の愛が約束される!アーチ状の橋の左側は・・・「ベギン会院」の白い裏門です。修道院の前でKISSってどうなのでしょうねそれにしても白鳥・・・いっぱいです。この白鳥に関しても伝説があります「ブルゴーニュ公国」の・・・最後の「公女マリー」が、落馬が元で亡くなり夫のマクシミリアンが「ブルゴーニュ公国」を継承します。当時、豊かであった「ブルージュ 」を強引に自分の「神聖ローマ帝国」に組み入れようとしますがこのマクシミリアンは、ブルージュ 市民に全く人気がなくマクシミリアンを幽閉してしまいます。マクシミリアンの代官も旧市街の広場で彼の目の前で処刑してしまいます。その後、釈放されたマクシミリアンは、軍隊を率いてブルージュの町を支配下に置いてブルージュ市民に永遠に悪行を忘れさせない為にその代官の紋章であった「白鳥」を運河に放った!との伝説であります。ちょっと〜この美しい白鳥にそんな怨念が込められているとはその怨念は深く・・・マクシミリアンは、市民の特権を奪い町の水路には、土砂が流れ堆積し交易の船も行き来が出来なくなり交易の中心が「アントワープ」に移りブルージュ は、衰退し忘れられた存在となるのであります。それも、本当なのでしょうか?今では・・・1番の観光都市として発展し観光馬車には、いっぱいの日本人観光客がもしかして、ツアーに組み込まれているのでしょうか?きっと豪華なツアーなのでしょうね〜それでは・・・旧市街の方向へ私たちは、元気に歩いて行きます・・・つづく・・・ブルージュにぽち
2019.12.21
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ベルギー・ブルージュ 【世界遺産】ベギン会院から出ると運河の上に立っていたミーちゃんときらりは、水の都ブルージュの景色を楽しみました。2019年4月14日(日)午前きらりのわがまま『ベルギー旅日記』ブルージュ編(11回)ブルージュの運河に出て来ましたブルージュの運河には・・・50以上の橋がありますあああ〜っ憧れの「運河クルーズ」の船が・・・こちらに向かって来ます私たちが手を振るとクルーズの人たちも私たちに手を振り返してくれます私たちの橋の下をくぐって「愛の湖公園」の白鳥を見に行くところです。ブルージュの「運河クルーズ」は、ここで折り返しです。ぐる〜っと周り折り返して行きましたのどかなものですね〜運河沿いには・・・新緑が小さなお花畑にチューリップが咲いています。私たちも「白鳥」の所に行きましょう「馬首がついた水飲み場」を通って・・・石畳を歩くと素敵なオープンカフェ〜が並んでいますランチメニューが出ていますぐる〜っと回ると・・・白鳥のいる「愛の湖公園」に来れました。正面は「ベギン会院」です。白い裏門の前に橋が見えますね〜・・・つづく・・・世界遺産にぽち
2019.12.20
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ブルージュの【世界遺産】ベギン会院のお庭を訪問した時のお話です。2019年4月14日(日)ミーちゃんときらりの2人旅できらりのわがまま『ベルギー旅日記』ブルージュ編(10回)Begijnhof【世界遺産】ベギン会院「ベギン会院」の女性たちの住まいが保存されております今回の訪問ではお庭に水仙が・・・咲いておりました私とミーちゃんは、2人きりで景色を楽しんでいたのですが中国団体観光客が・・・7名ほどドドドッと入って来ました急にお庭は、賑やかになりましたその中の一人中国のおじさまが大きなカメラを出して中国おばさまたちを「水仙の花畑」の中に並べ大騒ぎで記念撮影を始めました。ヒエ〜ッ!!水仙のお花畑には、ロープが張ってあります進入禁止マークもありますそのロープを団体で、するりと超えて・・・団体で記念撮影が始まりました!!ひや〜っ。ドキドキあまりにも堂々と平然と記念撮影ですから注意も出来ずに困っていた私たちそこへ(多分、現地ベルギー人団体客)が入って来ました旗を持ったガイドさんが「中に入ったら駄目ですよ!!」と中国団体客たちを呆れ顔で叱りました楽しそうな記念撮影は、終了しましたが・・・中国団体客は、罪悪感はありません。それ以上は、水仙花畑には立ち入らなかったのですがまぁ〜世界中。こんな感じで世界中の花畑に立ち入り花畑の中で団体撮影を制覇していらっしゃるのでしょう。(記念撮影の風景は、国際的な問題となるので致しませんでした)私たちも、気をつけましょうね・・・つづく・・・世界遺産にぽち
2019.12.19
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私がオススメするブルージュの絶景スポット!その2は・・・『ベギン会院』のお庭であります。2019年4月14日(日)ミーちゃんときらりの2人旅きらりのわがまま『ベルギー旅日記』ブルージュ編(9回)Begijnhofベギンホフ『ベギン会院』ちょっと残念なのですが〜水仙は・・・ほぼ終わりでしたが(日本と同じ3月末頃が良いでしょう)世界遺産『フランドル地方のベギン会』Flemish Beguingagesフランドル地方にある13のベギン会院。北西ヨーロッパにある女子のみの修道院作業も含まれた複合的な施設である。1998年、ユネスコの世界文化遺産に登録。Begijnhof ベギンホフ・・・とは?オランダ語:Begijnhofフランス語:Beguinage1245年にフランドル伯夫人により設立されました。現在では、13箇所がユネスコの世界遺産登録され保存されておりますが起源は、13世紀にベギンと呼ばれる「敬虔な女性」の意味。ベギン会の女性のために建設されました。そこは、女性だけが住むことを許された自立と安らぎの場所でありここで女性たちは、修道女にも似た衣装をまとい祈りと労働の日々を送りました。世界遺産登録は、この女性たちの作業も含まれました。このベギンホフは・・・きらりの15年前の訪問時には、観光ガイドが「ベギン会修道院」との説明でしたが正確には、修道院では無い!ベギンホフは・・・教会法上も生活理念も女子修道院とは異なるものを持ちそれゆえに独自の発展を遂げたからである13カ所のベギンホフの間には、修道会の場合に見られるような共通の組織、一人の創立者、協議機関、会則などがなくそれぞれ共同体ごとに女性たちの手で独自に運営されていた。ベギンと呼ばれる女性は・・・中世後期のヨーロッパ諸都市においては、ごくありふれた存在でありました。かつてベルギーの どの都市にも、ひとつはあった!と言われるほどベギンホフは普及していた。今日では・・・ベルギー、オランダに残されたベギンホフや北フランス、ライン河流域諸都市の通りの名前に残っているだけであります。ベギンの存在は・・・最盛期には、東はポーランドから 南は、フランスまで非常に広い範囲にわたって確認されその広がりと同様、数も相当のものであった。ベギンホフは・・・何故この地に根付いたのでしょうか?低地地方にベギンホフができた13世紀には、カトリック世界が・・・十字軍の熱狂にうかされていた時代でありベギンホフの成立を十字軍に出立した男たちのあとに残された未亡人や娘たちの問題から説明できると考える人々もおります。修道院に入りきれないほどの女性が・・・取り残されたと考えるのであります。しかし、当時の女子修道院は、貴族化の度合いが著しく加入者には、多額の持参金を求めるなど一般庶民はもとより富裕な都市民にとっても手の届きにくい場となっていた。都市化の進行と貨幣経済の浸透によって変化しつつあった社会・経済情勢も所領経営に基礎を置き、厳しい禁域を守りながら修道生活を送る従来の女子修道院にとっての逆風でありました。そんな時、ベギン会院を各地に建設し多額の金銭を必要とする修道院から一般の女性も入れる施設へとヨーロッパ各地にベギン会院が多く建設されていったのでります。ベギン会の女性たちは・・・ここで、祈りと作業に従事する生活をおくります。当時の主要産業であった織物やレースを編むお仕事でありました。・・・つづく・・・世界遺産にぽち
2019.12.18
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ブルージュ駅から歩いて15分程で「愛の湖公園」から世界遺産の「ベギン会院」まで到着しました〜2019年4月14日(日)ミーちゃんときらりの2人旅であります。きらりのわがまま『ベルギー旅日記』ブルージュ編(8回)早朝にブリュッセルから列車に乗ってブルージュ駅に到着「愛の湖公園」から「ベギン会院」へ向かって歩いております。【ブルージュの地図】地図では、Begijnhof この辺りMonnewater Park風景は・・・すっかり中世のフランドルです〜ブルージュの人気は・・・『屋根のない博物館』と言われる街並み♪ブルージュをゆっくり・・・気ままに歩いてみたい!今回の訪問で実現しましたうわわ〜っ。観光客が増えて来ましたね〜春の日曜日ですからどうもこの門が「べギン会院」のお庭に入れる正門?みたいです大きな黒い扉は、開いていて・・・入場は、無料です。いやいや〜屋根の無い博物館素敵なお家です〜夏には、煉瓦に緑が加わるのでしょうねこの柵の下に運河が流れています先へ進みましょう〜ベギン会の建物が続きます。ベギン会の女性たちが暮らしていた家の一部煙突が・・・中世っぽいですお庭は、そろそろあああ・・・・ここです!!【世界遺産】べギン会院清楚な水仙がお庭いっぱいに・・・世界遺産『フランドル地方のベギン会』Flemish Beguingagesフランドル地方にある13のベギン会院。北西ヨーロッパにある女子のみの修道院作業も含まれた複合的な施設である。ここにも水仙が・・・1998年にユネスコの世界遺産に登録されました。実は、ここだけでなく「13箇所」保存されています。都市名は・・・リールディーストトンヘーレンコルトレイクメレへンゲント(スィトアマンドゥスベルヒ、クライン=ベギンホフ)ホーフストラーテンブルージュデンデルモンデトゥルンハウトシント=トライデンルーヴェン(フロート=ベギンホフ)ヨーロッパに多く存在したのですが現存するベギンホフは・・・なぜか全てオランダ語圏にあるそうです。そんなお話は、つづく・・・世界遺産マークにぽち
2019.12.17
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中世に繁栄したブルージュの絶景ポンイトでお写真を残したいですね〜なのに私とミーちゃんはツーショット撮影を忘れてしまいました〜まぁ〜いいかな2019年4月ふたり旅での訪問。きらりのわがまま『ベルギー旅日記』ブルージュ編(7回)『愛の湖公園』ブルージュの絶景ポイント・・・その1はははっ。カップルは、ここでお写真映えます湖の館・・・素敵ですねおやっ何かが・・・木の裏へサササッとシッポが見えてますよ〜ブルーの鳥ですけどお名前は・・・色々な鳥や動物がいっぱい居そうな森ここから曲がって・・・中世の世界へと街灯も素敵じゃないのユネスコ世界遺産への道です〜中世フランドル地方の特徴である階段状の屋根が見えて来ましたよこれは、ブルージュのダストボックスこんなお写真要らないって公園には、ゴミを荒らす動物の対策用かしら?大きな網で囲っていました。・・・つづく・・・世界遺産の絶景にぽち
2019.12.16
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ブリュッセルから列車で約1時間15分でBrugge「ブルージュ駅」に到着です〜日帰りは、充分可能な旅です。2019年4月14日(日)ミーちゃんときらり2人旅きらりのわがまま『ベルギー旅日記』ブルージュ編(第3回)ブルージュ駅前には、9時40分に到着しました今日も良いお天気になりそうな予感私たちは歩いてMinnewater Park『愛の湖公園』 Begijnhof『べギン会修道院』世界遺産 Hospitaalmussum Memling『メムリンク美術館』 O.L.Vrowekerk『聖母教会』 ブルージュ・クルーズ その後・・・旧市街の中心部へ向かいます。前半の予定は、こんな感じですユネスコ【世界遺産】の大きな看板が!!駅から歩いてすぐに見つけましたブルージュの【世界遺産】・・・とは?Historic Centre of Brugge『ブルージュ歴史地区』中世には、貿易の拠点として繁栄したが経済上の重要性を失い衰退。それが幸いして中世の街並みが残り幅の狭い運河と相まって「天井のない博物館」とも言われる。Flemish Beguingages『フランドル地方のべギン会院』フランドル地方にあるべギン会院。北西ヨーロッパにある女子のみの修道院。作業なども含まれた複合的な施設。Belfries of Belgium and France『ベルギーとフランスの鐘楼群フランドル地方とワロン地方の30を超える鐘楼群が登録されその後、フランス北部と合わせて登録。鐘楼は、都市の中心部に建てられ多くが市庁舎、まれに教会に付属のものもある。現地の【地図】を発見!!ブルージュの全体が卵型である事がわかりますね〜運河に囲まれたブルージュの姿です前回に訪問した時にクルーズをしなかったので今度こそ楽しみですブルージュSTATIONの近くをクルーズアップ右へMinnewater Park『愛の湖公園』へ向かいます。この橋にも南京錠が・・・『愛の湖公園』だからかしらいや〜美しい運河と新緑が・・・つづく・・・世界遺産にぽち
2019.12.12
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ルクセンブルク大公国の旅日記は最終回となりました。もう〜呆れる程の珍道中であります♪2019年4月13日(土曜日)友人のミーちゃんとの2人旅初めて訪れたルクセンブルクともお別れですきらりの『ルクセンブルク旅日記』・・・最終回『ルクセンブルク中央駅』1番ホーム IC 17:10 発Bruxelles-Midi 確かに「ブリュッセル行き」ですIC=急行なのですがこの列車は、乗ってみて分かったのですが急行でも「停車駅」が若干多い列車でした。丁度、良かったです4月13日・・・まだ日が高いです。明るいうちに帰れます1番ホームルクセンブルク中央駅は、終点みたいです。土曜日の夕方なので混雑は無いです。金曜・土曜・日曜日は・・・ベルギー国内部分は『週末割引」ですさぁ〜列車が来ましたよやはり、来る時に乗った列車とは、色が違います。少し時間が掛かる列車ですが・・・まぁ〜急ぐ旅でも無いので全然車窓からの撮影LIBRAMONTリブラモント?おお〜来る時には、停車しなかった駅ですRochefort-Jemelleあらら〜この駅にも停まってません!列車の( B )マークは、ベルギー国鉄のマークです。1は、一等車2は、2等車です。MARLOIEホームに人影がありませんね〜CINEY来る時には、通り過ぎて見ていない駅ばかりです。私たちは、2等車ですが・・・列車は、がら空きなので問題ありませんクリスマスケーキにのっているチョコの家みたい車窓をぼんやり眺める事が好きなのです。同行のミーちやんは、違う席でまったりしています。列車は、ルクセンブルクからベルギーへぼーっと過ごしています。NAMUR良かったですね〜まだ明るいですホテルに帰って・・・ほっ。お風呂は・・・泡いっぱいで楽しいルクセンブルク旅日記・・・おわりルクセンブルクにぽち
2019.12.09
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【世界遺産】ルクセンブルク市の旧市街と要塞群をほぼ見て周りそろそろベルギーのお宿に戻らなくてはいけないお時間です。ミーちゃんとの2人旅2019年4月13日(土)夕刻。きらりの『ルクセンブルク旅日記』・・・第37回City of Luxembourg:its Old Quarters and Fortifications【世界遺産】ノートルダム大聖堂さぁ〜「ベルギー」ブリュッセルのお宿まで帰ります。確か・・・この辺りに「バス停」があるはず【世界遺産】要塞群の下すっかり日が傾きました。ここから降りて・・・下の道を歩きましたね〜それも良い思い出となりました『憲法広場』からの絶景新市街の銀行が見えますあそこまでも歩いたしまたまた〜良いお天気になりましたいや〜景色を眺めているのでなく私たちは、ルクセンブルク中央駅までのバス停を探しています。『憲法広場』憲法広場の前にバス停があった記憶があったのですがありませんあら〜っ何しろ宿泊ホテル(ブリュッセル)に地図を忘れた私の責任いや〜っ。憲法広場から中央駅までは、頑張れば歩いて行ける距離ですがもう〜1日中、歩き続け根気が残っておりませんとは言えタクシーが通りかかるという望みは日本と違ってありませんバスターミナルが あるはずの方向へ歩きますが・・・いやいや〜誰もおりませんもう〜泣きそうです神様〜どうか私たちを助けてください!!大きな声で日本語で叫びました恥ずかしい事です。しかし、人間は最後に神様にお願いをするものですね〜大きな声で天を仰いで神様〜どうか私たちを助けてください!!と叫び終わった瞬間にな・なんと〜右側に「タクシー乗り場」が!!夢か?こんな夢のような事奇跡です!!タクシーが2台も客待ちをしているではありませんか世の中には「奇跡」というものがあるのです。神様は、いつも私に試練を与え最後には、助けて下さいます。(どこの神様かは不明ですが)客待ちをしているタクシーの一台が私たちを乗せてくれました。「はぁ〜良かったね」タクシーは、10分弱でルクセンブルク中央駅に到着料金は、チップも含めて10ユーロ(約1200円)の支払い。はぁ〜楽しかったけれどもこんなスリル要りませんが終わり良ければすべて良し・・・つづく・・・ルクセンブルクにぽち
2019.12.08
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ルクセンブルクは、小国でありますが世界的には、金融の世界では有名な国であり、国民はお金持ちが多いのであります。となると〜ルクセンブルク旧市街にもブランド街がきらりの『ルクセンブルク旅日記』・・・第36回【世界遺産】ルクセンブルク市の旧市街と要塞群2019年4月13日(土)友人と2人で訪問。ルクセンブルク旧市街のブランド街ですグッチ角にあるバルコニーが素敵ですカルティエシャネルスパッチオ・モーダ(靴屋さん)左モーブッサン(ジュエリー店)右エルメスあら〜っ素敵な柄ヴィトン装飾が凝った建築ですH&Mも・・・若い子で賑わっております〜結局私たちは、お買い物せず・・・ルクセンブルク旧市街のブランド街でした。・・・つづく・・・世界遺産にぽち
2019.12.07
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ルクセンブルク旧市街を訪問したのは、2019年4月13日土曜日で丁度「土曜朝市」に遭遇出来ました♪きらりの『ルクセンブルグ旅日記』・・・第35回【世界遺産】ルクセンブルク市の旧市街と要塞群そろそろ夕方なのですが〜「土曜朝市」のテント全く売れておりません48ユーロ(約5760円)高いでいょこちらには、店主もおりませんが〜鹿の角バケツミルク缶はしごシャンデリア売れないはず・・・白い鳥かごは、ちょっとカワイイけど亀・カエル・ネズミあら〜このお皿日本でも売ってるけど・・・デザインは、ルクセンブルクの伝統的な柄です。裏返してみましたベルギー製です・・・1748年Villey & Bochビレロイ & ボッホオールドルクセンブルク高くて買えません本物みたいです。ビレロイ&ボッホの最も古いパターンで発売から250年を経た世界中で愛されたお皿。大公宮の前に・・・行列をしているお店を発見chocolate House「チョコレート・ハウス」ですオーガニックの素材にこだわったお店で最高級のチョコレートは、フランスとベルギーの素材。50の異なるフレーバーがあるそうで・・・温かいホットチョコレートが飲みたくなります雪がちらほら〜カフェに入る為の行列です。ルクセンブルク旧市街のブランド街は・・・ここから・・・つづく・・・世界遺産にぽち
2019.12.06
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ルクセンブルク大公宮は、急ぎ足で歩いていると通り過ぎてしまう程の建築であります。2019年4月13日(土)ミーちゃんと2人で訪問。きらりの『ルクセンブルク旅日記』・・・第34回【世界遺産】ルクセンブルク市の旧市街と要塞群Palais Grand-Ducal ルクセンブルク大公の宮殿は・・・想像と違って(地味であります。)実は・・・ここは、19世紀まで「市庁舎」だった為です。議会と宮殿が一緒になっております。小さなお国「ルクセンブルクの歴史」は・・・1000年以上に遡り、大国並みの古い歴史を誇っております。アルデンヌ地方(ルクセンブルク北部)の伯爵が963年、今日の首都の地に小さな城塞を築いた時に始まりその砦は・・・リュシリンブルクLUCILINBURG小さな城と呼ばれ・・・それが後のルクセンブルクLUXEMBOURGの語源となりましたジーク・フロイトの時代には・・・まだ「アルデンヌ伯」を名乗っておりルクセンブルク伯爵となったのは、1083年、彼の曽孫にあたる5代目コンラート1世からであります。また雪がチラホラ〜ここの衛兵は、2人で1組です。衛兵交代もあるのですが〜まぁいいかな。中世には・・・ルクセンブルク家から神聖ローマ帝国の皇帝を4人も排出しその中には、カール4世もおりました。彼は、ボヘミア王も兼ねルクセンブルク家を公爵家に昇格させました。ルクセンブルクは・・・その後、スペインやフランスそしてオーストリアの支配を受け1815年、ウィーン会議で大公国に昇格されオランダ王ギョーム(ウィレム)1世の個人所有地となった。1890年、オランダ王室の分家であるドイツ系のナッサウ・ヴァイルブルク家に大公の座が移りその後、家名を「ルクセンブルク家」と改称して今日に至る。現在の大公宮殿は・・・ルネサンス様式のどっしりとした建物で土台は、13世紀に築かれました。1890年、大公の宮殿となった。現在は、主に「謁見場所」として使われている。大公一家は・・・普段ルクセンブルク市の北東20キロの「フィッシュバッハ城」に住んいるおります。大公閣下がいらっしゃる時は、国旗が掲揚されているそうですが〜今回は、見当たりませんでした。・・・つづく・・・世界遺産にぽち
2019.12.05
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【世界遺産】ルクセンブルク市の旧市街と要塞群をひたすら歩いております♫2019年4月13日(日曜日)ミーちゃんときらりの2人旅きらりの『ルクセンブルク旅日記』・・・第33回Eglise Sent Michel 『聖ミッシェル教会』旧市街と要塞群の間に位置する教会です『聖ミッシェル教会』は・・・10世紀の後半に建設され改修が繰り返されてので、ロマネスク様式・ゴシック様式・バロック様式が混在する教会です。正面には・・・『聖ミッシェル』がお堂の中に彼が退治したドラゴンを踏みつけています。EGLISE ST. MICHEL表札にも確かに案内も 教会の守護聖人は・・・聖ミッシェルです。【世界文化遺産】ルクセンブルク市の旧市街と要塞群2名のギャルが一眼レフで撮影中です〜少しまを置いて・・・確かに・・・カワイイ小道です中世の石畳にカワイイ看板出窓も特別ですゆるい坂を上って行くと・・・ルクセンブルク大公宮へ一番素敵な街歩きスポット!!・・・つづく・・・世界遺産にぽち
2019.12.04
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【世界遺産】ルクセンブルク市の旧市街と要塞群「ポックの砲台」の中を進んでおります。2019年4月13日(土)ミーちやんとの2人旅での訪問。きらりの『ルクセンブルク旅日記』・・・第32回The Bock Casemates「ポックの砲台」の1番奥まで進みましたここには、観光客がいっぱいでした。このスペースは・・・特別の場所であります。ルクセンブルクの人たちにとっても特別な場所だと思われるのですが・・・説明が無いのでわかりませんでした。ライトアップされておりますとりあえず・・・石組みを・・・ルクセンブルクが国として成立した。最初の砦、城であります。「ポックの砲台」博物館から出てまいりました絶景であります!!ルクセンブルク市の新市街と低地の町「グルント」が・・・同時に見渡せます大満足です。そろそろ、旧市街と通ってルクセンブルク中央駅方面へ帰りましょう・・・つづく・・・世界遺産にぽち
2019.12.03
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ルクセンブルク【世界遺産】ルクセンブルク市の旧市街と要塞群は、固い岩盤に起伏に富んだ地形を利用しているために自然との共存で生まれました。2019年4月13日(金)友人と2人で訪問きらりの『ルクセンブルク旅日記』・・・第31回ポックの砲台中からの絶景です低地の町「グルント」の先には近代的な赤い橋(高速道路)が見えます同じアーチ型の窓が続いております。長い通路が続いていて絶景が見えるアーチ型の窓は・・・左側に幾つもありそれぞれに眺めては、次の窓へ左側の要塞はさっき覗いた小さな窓です。正面には、要塞群の低地の町「グルント」が見渡せます低地に「アルゼット川」が見えます。アーチ型の窓をひとつひとつはぁ〜ここからは「サン・ジャン教会」の尖塔が近くに見えます次の窓からは・・・サン・ジャン教会の屋根が見えて来ましたサン・ジャン教会と低地の町「グルント」がなんと〜素敵な景色アルゼット川は・・・サン・ジャン教会を回るようにカーブします。要塞の上から景色を楽しんでいる方ももしかして〜私たちの方を見てる【世界遺産】の要塞群を・・・色々な角度から眺め楽しんでおります。そしてちらほらしていた雪も今は止んでいます。・・・つづく・・・世界遺産にぽち
2019.12.02
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ルクセンブルク大公国【世界遺産】ルクセンブルク市の旧市街と要塞群・・・その要塞群の1番の見所「虫歯」と呼ばれる要塞の中にあるパレスへ参りましたミーちやんときらり。きらりの『ルクセンブルク旅日記』・・・第30回City of Luxembourg:its Old Quarters add Fortifications2019年4月13日(土)訪問小さな鉄格子の窓です小さな窓の下には「グルント」低地の町が小さく切り取られて見えます。中世の町ですそして要塞の中から当時の人も町を眺めたのでしょう〜「ポックの砲台」とも呼ばれたのはかつては砲台でありました敵の侵入を阻止する為に攻撃をしたのでありますが・・・現在は大砲は・・・見当たりませんでした残念窓に近寄ると・・・【世界遺産】要塞が見事に続いて見えます要塞群と低地の町「グルント」の道が下に見えますこの道はさっき「ペトリュス・エクスプレス」で登って来た道です。要塞の門が・・・右に続いて見えています・・・つづく・・・世界遺産にぽち
2019.12.01
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ルクセンブルクの絶景にまた出会いました〜♫世界遺産ですものね!しかし4月も中旬なのに細かい雪が降って来ましたよ〜2019年4月13日(土曜日)きらりの『ルクセンブルク旅日記』・・・第29回【世界遺産】ルクセンブルク市の旧市街と要塞群ミーちゃんときらり2人で訪問しました虫歯「ポックの砲台」Casemates du Bockポックの砲台内からの眺めなんと〜低地の町「グルント」の『サン・ジャン教会』が真下に見えますサン・ジャン教会は・・・アルゼット川沿いに聳える尖塔は、低地の町グルントのシンボル的なサン・ジャン教会は・・・14世紀に建てられました。フランス革命以前までは、ベネディクト派の修道院でありなんと〜女子刑務所も兼ねていたそうであります。左に振ってみるとアルゼット川は、サン・ジャン教会に沿ってお堀の様になっていてこれも自然の要塞であり、刑務所として都合が良かったかも広場の黄色いのは・・・椅子でしょうか?もしかして寝転べって夜空を見る為のベンチでしょうか・・・絶景は、つづく・・・世界遺産にぽち
2019.11.30
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【世界遺産】ルクセンブルクの低地の町グルントをひとまわりして要塞の上まで戻って「ポックの砲台」まで戻って来ましたミーちゃんときらり。きらりの『ルクセンブルク旅日記』・・・第28回【世界遺産】ルクセンブルク市の旧市街と要塞群「ポックの砲台」にて2019年4月13日(土曜日)訪問。いよいよ【世界遺産】の要塞群の中へ入りましょう入場する時に「英語版」の解説をいただき日本語では『ポックの砲台』と言われますが・・・「お城」でした元々は「お城」The Bock Casemates入館時間:午前10時から午後8時まで料金は・・・大人:7ユーロ(約840円)学生と高齢者:6ユーロ(約720円)子供(4歳〜12歳):3,5ユーロ(約420円)【内部の地図】外部から色々な角度から見て来ましたが・・・「虫歯」の様な窓に煉瓦の門だけではありませんその地下には、部屋がいくつもあるのでビックリこれから地下の部分へ降りて行きます。The Bock CasematesSpecificationsYear of construction: 1745Clients: Austrion engineersSurface area: 1,100m long-7m wideSpecial features: superb views through the loopholes長さは・・・1100m横幅は・・・7mFamous visitors to the Bock Casemates:-Emperor Joseph II of Austria (1781)-Napoleon I (1804)-Prince Henry of the Netherlands(1868)-Grand Duchess Charlotte (1936)-Grand Duke Henry and Grand Duchess Maria Teresa(2000)(統治の歴史)オーストリア→ナポレオン→オランダ→シャルロット・ルクセンブルク大公→ルクセンブルク・アンリ大公真っ暗です〜足元に注意して進みます(統治の歴史)と共に改装してうわわ〜深いです硬い岩盤を利用して住みやすく積み上げた石組み一人で来たらちょっと〜怖いかも?マークです矢印方向へおやっ外に出てしまったのですがここを下るみたいです指示通りに進みます断崖の岩を削って道を作っています。マーク発見右へいや〜ドキドキしますね何処へ出るのでしょう〜・・・つづく・・・世界遺産にぽち
2019.11.29
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