「きらりの旅日記」

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ほしのきらり。

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2024.04.23
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亀戸天神社にやってきました〜拝殿の上にスカイツリーが角みたい

亀戸天神社(亀戸天満宮) ​本殿​​

2024年4月20日(土)訪問入場:無料

亀戸天神社のはじまりは・・・

正保年間(1644年-1647年)

菅原道真の末裔であった九州の太宰府天満宮の神官

菅原大鳥居信裕は、

天神信仰を広めるため社殿健立の志をもち

諸国を巡った。そして

1661年(寛文元年)、



元々あった天神の小祠に

道真ゆかりの飛梅で彫った

「天神像」を奉祀したのが始まりとされる。

当時、明暦の大火による被害からの

復興を目指す江戸幕府は、

復興開発事業の地として

本所の町をさだめ、

4代将軍:徳川家綱は、

その鎮守神として祀るよう

現在の社地を寄進した。



社殿・楼門・回廊・心寺池・太鼓橋などが

太宰府天満宮に倣い造営された。

その昔、

総本社にあたる「太宰府天満宮」に対して、
  さいふ
東の宰府として「東宰府天満宮」



「本所宰府天満宮」と称されていたが

明治6年(1873年)に府社となり「亀戸神社」

昭和11年(1936年)現在の『亀戸天神社』となり

学問の神様として信仰を集め、

藤と梅の名所で知られる。

菅原道真とゆかりの

​『御神牛』の坐像
拝殿の左に祀られている牛さん

菅原道真と牛との関係とは?

菅原道真は・・・

承和12年「乙丑の年」6月25日に誕生

太宰府の配所で亡くなった際

ご遺体を乗せた車を引く黒牛が

臥して動かなくなり・・・

これは道真公の御心による事として

その場を墓所と定め社殿が健立されたのが

太宰府天満宮の起源とされています。

また、道真公が京都から太宰府へ下向の途中

白牛によって危難から救われたという

故事も伝えられています。

この神牛の坐像は、昭和36年、

御鎮座300年祭にあたり

御神殿の復興とともに奉納されたものです。


拝殿の左手前にある像は・・・
​『五歳の菅公像』​

拝殿の右にある建物は・・・
​『舞殿』​

その右奥には・・・

 ​​みたけじんじや​​
​『御嶽神社』​

御嶽神社と菅原道真公

御祭神 比叡山延暦寺第13代座主: 法性坊 尊意僧正

御社殿 寛文9年(1669年)11月21日に

九州太宰府御嶽山より勤請し健立され

古くは亀戸妙義社とも号されました。

現在の御社殿は、

菅原道真公御神忌1075年大祭の

記念事業の一つとして

昭和51年に再建されたものです。

祭日 初卯 正月の初卯日

   卯日祭 毎月の卯の日

法性坊は・・・

道真公(天神様)の教学、御祈の師で

道真公が逝去ののちは

太宰府天満宮の社殿造営に関わられ

社前に一念三千の心字池を構えて

三世一念の太鼓橋を架けられるなど

道真公とのご関係は深く、よって

亀戸天神社境内に奉納されました。

法性坊は・・・

智徳世にすぐれ、

天慶3年(930年)2月の卯日の卯の刻に

亡くなられたことから

春の陽気を迎える「卯の神」と尊敬され

以来月毎の卯日にはもとより

特に正月の卯日は、

陽気を迎えるはじめとして卯槌、

卯の神札を求め、

福徳・才智・愛敬を願い、

徐病・延命を祈りました。


御嶽神社の前にある大きな石灯籠は・・・

塩原太助奉納の ​『石灯籠』​

天明元年丑年(1781年)8月17日

太助は、本所相生町(墨田区両国)で

薪炭商を営み、辛苦を重ね豪商をなした。

塩原太助(1873年2月26日〜1816年10月5日)



心寺池と女橋・男橋・藤棚を右に見ながら

下って行くと・・・
​『筆塚』​

筆塚は・・・

書家や書道に励む人等が

筆の労に感謝するとともに、

一層の上達を願って廃筆を納めたものです。

『宮居に遠き人文為に吉書初め(書初め)に

 可用筆を文政4年(1821年)より

 毎年12月朔日から晦日迄出す』

と伝えられ、

今も 『梅ヶ枝筆』 を授与しています。

筆塚祭(書道上達祈願祭)

毎年7月25日執行し、

廃筆清書の焼納式を行います。

筆塚前の藤も美しいです

鳥居の左側に入ってから進みます

老舗料亭 ​『若福』​Wakafuku

亀戸三丁目6-4

戦前から亀戸天神社の境内にある懐石料理のお店

日本伝統の宮大工建築で落ち着いた雰囲気

名物「梅とろろ」

国産の大和芋を包丁で叩き

紀州産の南高梅の実と特製だしを加え

すり鉢で丁寧に混ぜ合わせている(1650円)

若福の前あたりに・・・

​『紅梅殿』​

御本社と時を同じくして

寛文2年(1662年)に太宰府天満宮の御神木

「飛梅」の実生を勤請し、

社殿前に奉斎したのを起源とし

昭和63年に現在地に再建される。


国産マッチの創始者『清水誠』の頌
岸信介書
人類は、

原始以来火を自由に使うことによって

今日の文明を築いてきた。

日本の近代文明もまた

西欧からマッチの製法を輸入し

これを改良工夫した先人の努力によって

飛躍的に発展したのである。

その創始の時が今から丁度100年前であり

その創始者が清水誠氏である。

明治3年藩命を受けフランスに

留学しパリで学んだ・・・省略


この辺りからの眺めも良いですね〜

亀戸天神社ぐるっと周りました(おわり)

写真撮影&訪問:ほしのきらり。
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最終更新日  2024.04.23 00:10:09
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