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先日、下前歯が食事中ポロッと取れてしまった。差し歯になっていた歯なので、近くの歯科医院に行ったら接着剤で元通りに接着してくれた。歯が取れるのは初めてのことでびっくりしたが、案外簡単に治るものだと思った。所がそれから3週間後に今度は左下奥歯が食事中ポロっととれてしまった。今度は別の歯医者さんに行ったら「これは土台になっている歯がもろくなって折れてしまったものだと思う。接着してもまたすぐ取れてしまうかも知れない」と言われたが、とりあえず接着はしてくれた。今は使い心地は上々である。初めてのことが2度相次いだが、土台となる歯が再接着できる状態なら再接着で治るが、土台となる歯がかなり傷んでいる場合は、抜かなくてはならないとのことだった。今度の奥歯の場合は土台がかなり傷んでいるのでまたとれてしまうかも知れないとのことだったが、しばらくでも使えればいいと思った。
2023.01.30
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宮沢賢治は1993年(昭和8年)9月21日に喀血(結核)して37歳で亡くなったが、亡くなるまでに実に多くの詩や童話を書いており、いくつかの作品を自費出版しているが全く注目されていなかった。亡くなった翌年の1934年2月16日にホテルで賢治を偲ぶ会が行われた際、賢治の弟、宮沢清六が賢治から託されたトランクを戦火を免れた蔵から発見して持参した。トランクの中に賢治が使っていた黒い手帳があり、その中に雨ニモマケズの詩があり、それを回し読みして多くの人達の心に残り、地元の新聞にも紹介されて、一躍、宮沢賢治の名が広がったと言われている。賢治の作品は難解なものが多く、雨ニモマケズが見いだされなければ、ずっと誰にも知られない無名作家で終った可能性が高い。雨ニモマケズはカタカナと漢字で平易に書かれており、大人から子供まで誰にも理解できる内容で、社会に受け入れられ、それにつられて難解な他の作品も次々に宮沢清六等によって出版され、多くの人に読まれるようになった。いわば賢治を世に出すきっかけになった作品だがいつどこでどのようにして生まれた作品であろうか。賢治は盛岡高等農林卒業後東京に出て法華経の国柱会での活動をするが、妹の病気の看病で郷里花巻市に帰り花巻農学校の先生になった。先生をやりながら理想の花園農村建設を目指して、羅須地人協会を作って活躍するが、共産主義的活動だとして官憲に見張られるようになり、羅須地人協会を辞めて東北砕石工場の技師兼営業マンとして働いてた。雨ニモマケズの詩を書いた手帳の日付けが1931年(昭和6年)11月3日になっていたが、その頃は病気で東北砕石工場を休んで自宅で場闘病中だったと推察されている。雨ニモマケズの最後はソウイウモノニワタシハナリタイで結ばれており、そういう者にまだなれていない時に死に見舞われてしまい、志半ばで無念の死だったように思われたが、死後、雨ニモマケズが発見されたおかげで志を遂げたのではないかと思う。
2023.01.24
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昨日の朝6時35分からの「基礎英語を学べば世界が分かる」を観た。世界各国の家族を紹介している番組で昨日はサン・マリノの家族の紹介だった。サンマリノ共和国は世界で5番目に小さい国でイタリアに囲まれていて面積は61.2平方メートル、東京山手線で囲まれた範囲の広さとのことだった。人口は33,614人、安い法人税はあるけれど所得税、消費税はなく、外国人が買い物しても税金がかからないとのことだ。観光がメインでワインやチーズなども作っている。平均寿命が男女合わせて83歳で日本、スイス、と並んで世界一である。夫婦と二人の子供のいる家庭を紹介してくれたが、家も立派で皆さん楽しく生活しているようだった。街の様子も活気があり、子供達もサッカーをしたりしてすくすくと育っており、羨ましいと思った。昨年始まったロシアのウクライナ侵攻は11カ月になるがまだ解決の兆しがない。根底にロシアが領土を広げたいと言う野望がある。サンマリノのように小さな国でも幸せに暮らしている。領土が広ければよいというものではない。領土に固執しているからロシアは第2次世界大戦でかすめ取った北方4島を日本に返還しようとしない。領土の広い狭いは幸せには関係しないことを昨日のテレビを観て強く感じた。ロシアは早急にウクライナ領土占領を止めて、撤兵すべきだと考える。
2023.01.22
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1/18から始まった県立美術館の書道展で目にした金子みすずの詩を書にしたもの。金子みすずは大正末期から昭和の初めに活躍した詩人で26歳で夭折した。宮沢賢治の二つ違いの妹トシは、鈍重な兄と違って利発で可愛く成績優秀で誰からも愛されていたが、日本女子大学卒業後代用教員などしていた頃、結核にかかり賢治達に見守られながら24歳の生涯を閉じた。賢治は妹についていくつもの詩を読んでいるが 無声慟哭 永訣の朝 の冒頭部分を紹介する。けふのうちにとほくにいってしまうわたしのいもうとよみぞれがふっておもてはへんにあかるいのだうすあかくいっそう陰惨な雲からみぞれはびちょびちょふってくるあおいじゅんさいのもようのついたこれらふたつのかけた陶椀におまえがたべるあめゆきをとろうとして わたしはまがったてっぽうだまのやうにこのくらいみぞれのなかに飛びだした蒼鉛いろの暗い雲からみぞれはびちょびちょ沈んでくるああとし子死ぬといういまごろになってわたくしをいっしょうあかるくするためにこんなさっぱりした雪のひとわんをおまえはわたしにたのんだのだありがとうわたしのけなげないもうとよわたしもまっすぐにすすんでいくから(あめゆじゅとてちてけんじゃ)・・・・・・妹というより恋人のように思っていたトシの死は悲しくて2年間は何も書く気力も無くなってしまった。家の宗教は浄土真宗で南無波阿弥陀仏、賢治は法華経で南無妙法蓮華経、兄賢治に勧められて唯一南無妙法蓮華経を受け入れてくれた妹だった。親友保阪嘉内でさえ宗教の問題では拒絶して絶交になってしまった難題、実家でも政次郎はじめ兄弟親せきに法華経の素晴らしさを語ったが、誰も応じてくれる人はいなかった中で唯一人トシだけが同調してくれたのだ。結核を病んでいたトシは離れの一軒家で常時お手伝いの心優しい細川キヨさんに面倒を見てもらい臨終の時まで面倒を見てもらっていた。賢治も病状が悪化したころは二階に泊まり込みでトシの看病にあたっていた。ところが時々二階から降りてきてトシに手を合わせて南無妙法蓮華経と唱えることを強制する賢治を見てキヨさんは何と無神経なお兄さんだろうと思った。こんなに弱っているトシさんに無理やり手を合わせて何妙法蓮華経を唱えさせることは益々弱らせることになるのではないかと思ったそうである。恐らく賢治は信仰の力でトシが病気を克服できると確信していたからだと思うがキヨさんには理解できなかった。亡くなった後火葬して遺骨を収集する時、政次郎達は代々浄土宗なので当然すべての遺骨を集めようとしたら賢治が「法華経に帰依していたから法華経側で頂く」と言い出して、結局遺骨を半分ずつに分けたとのことである。気が弱かった賢治だが、こと信仰に関しては一歩も譲らない強靭さがあった。美人薄命とよく言われるが、気だてがよくて美しい人は早く亡くなってしまうものなのだろうか。悲しい現実だと思った。
2023.01.21
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宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」をモチーフにした演劇を観に行ってから宮沢賢治に関する本を色々読んでいるが、その中に東大戦没学生の手記「はるかなる山河に」があった。これは東大生が学徒出征して、戦死した学生たちの手記をまとめたものだ。それを読んでいたらその手記の中に宮沢賢治の童話のことを書いていた学生がいたので紹介する。それは経済学部学生 佐々木八郎さんの手記で東大2年生の時、昭和18年11月10日の出陣に際して書かれたものである。彼は昭和20年4月14日沖縄の海上で特攻隊員としての任務を果たして戦死した人である。その手記の題は「愛と戦と死」だった。副題は宮沢賢治の「烏の北斗七星」に関連してだった。冒頭から宮沢賢治について書いているのでそのまま引用させて頂く。「宮沢賢治はその生い立ち、性格から、その身につけた風格から、僕の最も敬愛し、思慕する詩人の一人であるが、彼の思想、言葉を変えて言えば、彼の全作品の底に流れている一貫したもの、それがまた僕の心を強く打たないではおかないのだ。『世界が全体幸福にならない中は個人の幸福はありえない』という句に集約表現される彼の理想、正しく清く健やかなものー人間の人間としての美しさへの愛、とても一口には言いつくせない、深みのある、東洋的の香りの高い、しかも暖かみのこもったその思想、それがいつか僕自身の中に育まれてきていた人間や社会に対する理想にピッタリ合うのである。『烏の北斗七星』中に描出された彼の戦争観が、そのままに僕の現在の気持ちを現しているといえるような気がする。佐々木さんがそれほどまでにほれ込んだ賢治の『烏の北斗七星』とはどんな童話なのかと青空文庫で検索してプリントアウトして読んだ。A4版5枚の童話だった。烏の軍隊が山烏と戦争する話で、烏の大尉にはいいなずけの烏がいた。大尉は明日山烏との戦争に自分に出撃命令が出された。戦争なので死ぬかもしれない。その時はいいなずけは解除だから他の烏の所に嫁に行ってくれというが、いいなずけは「それはあまりにひどいわ」と泣き崩れる。戦争は大尉などの活躍で山烏に勝つことができて大尉は少佐に昇級する。昇格した少佐は北斗七星に向かって「どうか憎むことのできない敵を殺さないでいいように早くこの世界がなりますように、そのためならば、私の体などは何べん引き裂かれてもかまいません」と祈る。これが大体のあらすじだが佐々木さんががなぜ特攻隊を志願したかについては「日本に生まれた人間としてその運命のままに戦い、お互いが全力を尽くすところに世界史の進歩もあると信じ、人間らしく卑怯でないように生きたい」としているが志願理由を文章にするのは難しかったと思う。その時の青年たちの考えは様々だったと思うが、基本的にはお国のために尽くすというのは子供の時から刷り込まれた考えで、そのためには命も惜しまないと考えた若者は多かったと思う。そのような状況の中で宮沢賢治に憧れた青年がいたのかと思うと救われたような気がした一方、戦争の悲惨さを改めて思った。
2023.01.19
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この寒さで殆どすべての植物が枯れてなくなっても厳然と緑を保って生き続けている彼岸花の葉の時期-秋の彼岸の頃には真っ赤な彼岸花を咲かせる。(1/16撮影)英雄たちの選択「森鷗外」をみた。鴎外は島根県津和野町に1862年2月に生まれ、お家のために教育ママ、教育祖母に幼少時から徹底的に仕込まれ、幸いそれについていける才能と忍耐力があり、成績優秀で飛び級してさらに2歳年齢を偽り12歳で東大医学部に合格して落第者が半数近くいる中で優秀な成績で卒業して陸軍省に入り衛生学を学ぶために5年間ドイツ留学し、最後は軍医総監医務局長という最高の地位についた。ドイツ留学時代のことを書いた「舞姫」を皮切りに「イタ・セクスアリス」「山椒大夫」「高瀬舟」など数多くの小説を書き、小説家としても大成功した人だ。60歳で結核から腎臓を悪くして亡くなっているが、その時の辞世の言葉が上記「死とはすべてのことの中断である」だったとのことで、墓には出生地と実名 森 林太郎だけで今までの経歴など書くなと言われた。その真意については専門家は薩長支配階級に対する反発心とか、お家のために一生生かされてきて自由がなかったことに対する反省など色々言われている。もともと学業優秀だっただけに自尊心が強くドイツ留学時代も同じドイツ留学生との間で軋轢があり、小倉に左遷された時も上層部を恨んでいた。評論を読むと死の直前まで、家族を含め彼の周りの人達は皆お馬鹿さんだと心の中では軽蔑していたのではないかと言われている。それらの情報を踏まえて「死は全てのことの中断である」の意味を改めて考えると、私は自尊心の塊で、思いあがっていた鴎外の一時的な休戦宣言ではないのかと思った。番組の中で「沈黙の塔」という作品の紹介があった。私は無料図書館「青空文庫」で読ませていただいた。友人から教えてもらったのだが凄い図書館があったものだと驚嘆している。方法は簡単で、まず検索で「青空文庫」と入れて、その画面を出し、人名索引、書名索引のどちらかを選んでその書名「沈黙の塔」を探してクリックすればすぐ読める。プリントアウトもできるのである。本屋に行ったり図書館に行かなくて居ながらにして無料で自分の読みたい本が読めるのである。ボランティアが運営しているとのことだが凄いことを始めたものだと思った。「沈黙の塔」の内容は自然主義文学や社会主義文学を読む人は捕らえられて沈黙の塔の中で殺されるがそれは不法であり、馬鹿げたことであるという内容である。この作品を書く前に明治天皇暗殺計画があったとして幸徳秋水ら24名が死刑判決され、判決から6日後12名、7日後1名が死刑執行された。無政府主義者や社会主義者や博愛主義者を根絶するために当時の政府が捏造した事件と言われているが、その事件を批判した小説が「沈黙の塔」だった。鴎外は当時陸軍省の軍医としてトップの立場にあり、政府の内情も知っていたはずだが、何も出来ずにむざむざと13名を処刑させてしまった。政府に対し発言することもできたかもしれないのにその流れをせき止めることができず、忸怩たる思いだったと思う。それを小説に書き、わずかながらの罪滅ぼしをしたのかもしれない。外から見ると軍医としても小説家としても最高位に上った人だが、死という最後の瞬間を迎え、成就できたこともあるが、何も出来なかったこともあり、無念ではあるが、一度ご破算にしようという気持ちだったのではないかと思う。ご冥福を祈るばかりだ。
2023.01.18
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佐々木時雄氏が書かれた「よだかの星ー宮沢賢治を読む」を読んでいる。宮沢賢治の生い立ちから37歳で亡くなるまでの思想的背景などについて書かれた388ページの大作である。盛岡中学を卒業して友人達が大学進学しているのに自分は父政次郎の反対があって進学は諦め、畑作業や古物販売及び質屋の家業を手伝っていた時、政次郎の友人高橋勘太郎から送られてきた島地大等編『漢和対照 妙法蓮華経』を読んで異常な感動を覚えた。中学卒業までの賢治の評判は数学は苦手で落第点が多く、物理化学の点も悪かった。運動神経の鈍さはクラスでもとびぬけていて軍人上がりの体操の教師のかっこうのなぶりものになっていた。卒業時の成績はびりから数えた方が早く、本人も悩んでいた。所がその『妙法蓮華経』を読んでから生まれ変わったように元気になり店番もいとわず受験勉強に励み盛岡高等農林学校に首席で合格し入学式で代表として誓文を読んだと言うからその代わり様には周囲も驚いた。熱心な信者で竜の口法難650年の夜は一晩中題目を上げながら道を歩いて道行く人に奇異な目で見られたということである。自分はこの法華経が世界最高の生き方だと確信したので家の近くにビラを貼ったりして啓蒙に勤めた。盛岡高等農林時代の親友保阪嘉内にもこの本を送って一緒にこの信仰をしようと折伏したが嘉内は受け入れることが出来ず言い争いになり、絶交状態になり、その悲しみを書いたのが童話「銀河鉄道の夜」と言われている。いくら素晴らしい宗教だと言っても大親友の嘉内に退けられ、家族でも賢治の言うことを聞いて一緒にやってもいいと言ってくれたのは妹のトシだけであった。おなじ信仰の同志としてトシが病に倒れた時には東京に行って下の世話までして看病していた。賢治は沢山の童話を書いているが、殆どが自分の影の投影であり、法華経信仰の中で頭に浮かんだ情景である。最愛の妹トシは日本女子大を卒業させて頂いたが賢治よりも早く若くして亡くなってしまった。多くの作品に妹トシのことやその死について書かれているが賢治とトシの深い関係を知らないと理解できないかもしれない。本日読み始めたばかりだが面白いので一気に読んでしまおうと思う。
2023.01.17
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「山梨やるじゃんすげえ舞台」に行ってきた。会場は東京エレクトロン韮崎文化ホールでコロナ真最中というのに大ホール超満員で駐車場も溢れていた。内容は一部が宮沢賢治と保坂嘉内の友情を童話「銀河鉄道の夜」に乗せて作られた創作演劇「銀河鉄道の夜の夢」で2部がクラシックと和楽器の音楽をバックに女性4人男性2人によるバレーであった。第一部の「銀河鉄道の夜の夢」は宮沢賢治が終生慕い続けた保坂嘉内にあてたラブコールである「銀河鉄道の夜」にまつわる難解な話なので理解できた人は少ないと思う。賢治は最初キリスト教に縁するが法華経に接するに及んで法華経こそ最高だと確信するに至った。そして心の親友保坂嘉内に手紙を出し嘉内と一緒に法華経の普及活動に励みたいと思った。しかし法華経を信じることを幸福への第一歩と考える賢治といくら法華経を信じて何度お題目を唱えてもそれだけでは救われないとして激しい口論になり、絶交になった二人である。友人を失った賢治が心にぽっかりとあいた悲痛の気持ちをふさぎたい気持ちで書いたのが「銀河鉄道の夜」と言われている(菅原千恵子著 宮沢賢治の青春ーただ一人の友 保坂嘉内をめぐってーに詳しい)。そのような深い内面を書いた作品だけに演劇にするのは難しかったのではないかと思う。第2部は素晴らしかった。日本バレー教会正会員の方々で5歳とか6歳からバレーを始めた方々でそれは素晴らしい舞姿だった。極めるということはこういうことかと思った。ミスはどこにも感じられずいつも笑顔で素晴らしい演技をしており、プロの技とはこういうものかと見せつけられた。感動で涙が出そうになった。終わって帰る時に観客の皆さんも口々に「良かったね」と言っていた。1部の良さが分かった人は少なかったと思われるが2部は文句なく良かった。この舞台に誘ってくれた友人に感謝した。バレーの舞台(遠くからで鮮明でなくて済みません)
2023.01.15
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衛星放送朝7時45分からの街角ピアノ「浜松」を観た。世界各所の駅にある「駅ピアノ」の国内版である。通りすがりの人とか、その近くに住んでいる人、商売でたまたま浜松に来た人などがそこに置いてあったピアノを弾いていた。音大を出てピアノを弾くのは好きだがそれでは食べていけないので青森産のリンゴを仕入れて全国に売り歩いている人もそこのピアノを弾いていた。そこは広場で観客がいるわけではない。あちこちに数人通行人が立ち止まって聴いているだけである。でも彼らはピアノを弾くのが好きで流れるように弾いていた。楽譜も鍵盤も見ていない。私は先日先生から鍵盤を見ないで弾きなさいと言われて練習しているがとても難しい。でもこの人たちはいとも簡単にそれが出来ている。練習すればできるようになるのかわからないがトライしてみようと思う。甲府駅にもピアノが置いてあるという。まだ一度も誰かがそれを弾いているところを見たことがないが、楽譜も鍵盤も見ないでトルコ行進曲が弾けるようになったら、私がそこで弾いてみようと思っている。
2023.01.14
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朝出勤したら昨日同僚医師(86歳、男性)が亡くなったと知らされた。東京から電車で通勤していた先生である。正月休みの前までお元気で病棟回診なさっていた先生なので驚き,衝撃を受けた。詳しいことは聞いていないが突然お亡くなりになってしまったのだという。ピンピンコロリという言葉があるが、死の直前まで元気でお仕事していてコロリとお亡くなりになったのだと思う。昨日、私の不在中受け持ち患者さん(50歳、女性)が呼吸停止して亡くなってしまった。脳梗塞後で気管切開して鼻管栄養をしていた患者さんだが、予測しておらず、小康状態だっただけにショックは大きかった。でも特に苦しむこともなく、眠るように静かに息を引き取ったとのことで少し救われた気持ちになった。研修医時代に新宿の東京鉄道病院(現在はJR東京総合病院)でお世話になったS先生に年賀状を出したのに対し、奥さんから返信がきた。昨年9月にお亡くなりになられたとのことである。90歳とのことだった。ご指導をいただいていた時はお互いに若かったが先生はもう90歳になられていたのかと少なからず驚き、90歳まで生きられたのならよかったかなと思った。3人の死について書いたが、自分もいつ死ぬか分からない状況にある。くよくよしても一生、楽しく暮らしても一生、残り少なくなってきた我が人生、健康と学びを心掛けながらその日を迎えたいと思う。
2023.01.12
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本日の「英雄たちの選択」によると徳川家康がまだ22歳で松平家康と言っていた1563年に三河の一向一揆が起こった。一向宗というのは浄土真宗本願寺派の信徒で各所でその勢力を伸ばしており、寺は経済的にも豊かだったが、政治不介入ということで年貢を納めないでいいことになっていた。家康の配下がそれ知ってか、知らなくてか年貢を取り立てに行ったことがきっかけで一向宗と家康の間で起こった戦いである。家康の配下の武士も大勢一向宗に入っていたので、家人団が二つに割れて身内同士の戦いとなり、家康は大変苦しい戦いを強いられた。最終的には家康側が勝利して、講和条約を結び、戦前状態への復帰と敵方に回った当事者の処罰なしということになったが、家康はその後、武士や地域の人に改宗を求め、一向宗の寺院すべて破壊してしまった。その結果家康の三河一帯の支配権が確立し家人団の団結もできたが身内のかなりの武士たちが敵方に回り、精神的にも極めて苦しい戦いだった。当時信仰してしていた武士達は多かった。信仰していても戦争がなければ家康の部下として働くことにはなんら差し支えなく、平和に暮らしていたが家康側と自分が信仰している宗教団とが戦争することになり、彼らはどちらにつくかで迷ったと思われる。しかし信仰していた者のほとんどは一向宗側についた。宗教の力はいつの時代も大きかったのだなと改めて思った。
2023.01.11
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本日発売のヘンリー王子の自伝本でチャールズ国王や兄のウイリアム皇太子を批判した内容が書かれており、マスコミなどが騒然とし、ヘンリー王子の好感度は20%台と最低になった。妻のメーガン姫の行動のことで言い争いウイリアム皇太子に暴力を振るわれたことも書いてある。ヘンリー王子が兵役義務でアフガニスタンに派遣されて戦った時に合計25人のタリバン兵士を銃撃したことも書いている。兵役業務のことはさておき、皇室批判は日本では到底許されないことである。父や兄に対する悪口を書いたりするのは、金のためとかメーガン姫にそそのかされたためとしか考えられない。メーガン姫の影響力が大きいと思う。ウイリアムとヘンリーは仲の良い兄弟だった。同じ親から生まれても性格や体格が似ているとは限らない。むしろ似ていないことの方が多いかも知れない。似ていなくても兄弟として一緒に育てられる中で仲間意識や相互理解も育っていくものである。でもヘンリー王子がアフリカ系の女性メーガンさんと結婚してからおかしくなった。皇室で育ったヘンリーさんは世間のことは殆ど知らないで育った。メーガン嬢はアフリカ系混血ということで様々な苦労を味わい社会の荒波とも戦ってきた。二人が結婚した後の指導権は完全にメーガンさんにある。ヘンリーさんは彼女に操られている感じだ。社会では男女同権、女性の地位向上などが叫ばれているが、家庭に入ると女性(奥さん)に支配されている家庭が多い。しかし社会の男女平等については多くの人が声高に叫んでいるが家庭での男女平等を叫ぶ人は殆どいない。各夫婦にはそれぞれの事情があり、一律には論じられないが、基本的には男女がお互いを尊敬し、相手の人が幸せになるように協力し合うことが大切だと思う。ヘンリーさんはメーガンさんが幸せになるように願い、メーガンさんはヘンリーさんが国民から嫌われたり支持されなくならないよう配慮しお互いが幸せになるように行動すべきだと思う。海を越えた遠い国の話だが、ヘンリーさんがあまりに気の毒に思えてここに書かせて頂いた。
2023.01.10
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今夜は1昨日亡くなった従兄のお通夜に行く予定である。従兄弟でも70歳代や80歳で亡くなった人もいるが本日通夜の方は89歳だった。一般的に急激に長命化が進んで100歳以上でもお元気な方もおられるが、80歳を過ぎるといつお迎えが来るのかと不安に思うことがある。大学の同級生も既に3分の1近くが亡くなっている。ほとんどすべてが80歳以下で亡くなっている。医者の不養生とはよく言ったものである。いつ自分の順番がくるのかと思う。従兄弟や同級生の死、そして近い将来回ってくるであろう自分の死について考えてみた。生まれたからには必ず死を迎えなければならないことは分かっていても、それがいつになるかは分からないだけに人々は不安に駆られることがある。今まで何もしてこなかったと思って、焦って業績を上げようと思う人もいるかもしれない。自分が去った後に残された人たちが困らないように思考している人もいるかもしれない。そもそも自分が死んだ後はどうなってしまうのかと考えている人もいるかもしれない。灰になって終わり。それだけであろうか?生命は永遠でいつかまたどこかに生まれ変わって生まれてくると信じている人もいる。死んだ生命は宇宙の中に溶け込みいつかまた何らかの生命体として地球上に現れるとする生命量保存の法則を唱えている人達もいる。いずれにしても死後の生命についての推察は想像に過ぎず、誰も確かなことは知らない。確かなことは灰になることだけである。その時がいつになるかは知らないが、それまでは少しでも自分を高められるなら高めていきたいと思っている。
2023.01.09
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数年前から6時25分から10分間のテレビ体操をしている。その内容は最初の6分は準備体操のようなみんなの体操で後半の4分がラジオ体操第一と第2を日替わりでやっている。夏の間は6時25分に起きるのは易しいが、冬の間は6時25分はまだ暗く、かなり寒いので起きるのが大変だがそれでも曲りなりに続けてきた。しかし今日は日曜日ということもあって油断があったのか、起きようとしたら6時35分頃で間に合いそうもないので諦めた。月に1~2回そういうサボりがある。健康維持の目的で始めたが効果があるかどうかは分からない。腰痛があり、首を後ろにそらすと痛い。上向きに寝ると左上腕が痛いので横向きでしか寝れない。頸椎のヘルニアではないかと思っているが、加齢に伴って色々なところに障害が起こっている。テレビ体操でそれらの障害を予防することはできなかったが、今後も体操は続けようと思う。目に見えて健康になったとか、ヘルニア予防になったとかの効果は認められないが、それをしていなかったらもっと老化が進んだかもしれないので、体操は続けようと思う。
2023.01.08
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今朝7時15分からのBSテレビのテーマは「見た目を気にするコンプレックス」だった。二人の女性坊さんと二人の男性坊さんの説法があった。一人の女性坊さんは子供の頃は口が大きいことを気にしていた。落語家になった時師匠から口が大きいことはそれだけ皆に色々なことが大声でしゃべれていいことだと言われてふっ切れたとのことである。坊さんになった時頭をつるつるに剃ってしまった時「若い娘がツルツルでは恥ずかしくないか」と言われたことがあるが、夫は「全然恥ずかしくない、その姿を好きだ」と言ってくれた。人の反応は10人10色、悪く言う人もいればよく言う人もいる。一人でも最愛の人から「いいよ」と言われれば満足だ。人目を気にすることはないと説法してくれた。もう一人の女性坊さんは布施の話をしてくれた。見た目より心の美しさの方が大切だ。見た目は遺伝子の関係もあり、容易に変えられない。心の美しさは誰でも7つの布施をすれば得ることができると経文に書いてある。一番目は目による布施、2番目は声による布施、3番目は振る舞いによる布施、4番目・・・云々と7つあるが誰にもできる布施で他人に対して目や言葉や振る舞いで慈愛ある行動が出来ればコンプレックスなんか吹き飛んでしまうと説いていた。男の坊さんのお話はお二人とも大体同じで、見た目のいい悪の基準、つまり背が高い低い、鼻が高い低い、勉強ができる出来ない等の評価の基準は時代や好みによって変わってくる。例えば勉強ができる出来ない等はエジソンやアインシュタイン等の伝記を読めば偉人の多くは学校で勉強ができない人が多かった。鼻が高かろうが低かろうが学校の成績が悪かろうが、それは他人から見た判断基準である。自分がどうなのかが問題だ。他人と比較した自分でなく、自分はどうなのかを確立する必要がある。体を鍛え本を読み、奉仕活動をする中でコンプレックスは消えていくものだという説法であった。生涯でコンプレックスを感じたことのない人はいないと思う。お坊さん達のお話にもあったが100人いれば百人が目指すものも好みも違う。他人を見て自分にないものがあったり、逆に自分にあるものがなかったりするのは当然である。その原則に立って死ぬまで自分を高めるための努力をしていくことが大切なのだなと思った。
2023.01.07
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今朝7時15分からの「10人のお坊さん」のテーマは「過去の思い出に苦しむ」でした。自分が未熟なために犯した失敗や、「ああしておけばよかったのにそれをしなかったために今の惨めな自分がある」など過去に捉われて惨めな気持ちになっている人達に対する説法でした。4人のお坊さんが回答していました。あるお坊さんは「過去に拘るというが仏法上は過去も現在も未来も同一である。現在の地面に立っている自分が過去も未来も統括しているのである。過去を切り離すことはできない。嫌な事ばかり思い出さないで楽しいことも思い出して、楽しく暮らすことが大切だ」と説法していた。ある坊さんは「なんとか嫌なことを思い出さないようにする方法はないか」の質問に対して、「思い出したくないと思えばなおさら追いかけてくる。自然のままがいい。良い思い出も悪い思い出も自由に出入りできるようにした方がよい」と述べていた。ある尼さんはウサギとカメの話をして「能力的には勝っていたウサギが負けた原因は油断でありカメを馬鹿にしていたからである。それを反省して今後の人生の糧にすればいい。その嫌なことから逃げるのでなく迎い入れて敗因をよく検討すれば無駄ではない」と語っていた。お坊さんたちにも過去の苦い思い出はあると思う。現在はそれを克服した状態なのだと思うが、それを克服するまでには様々な戦いがあったのだと思う。あるお坊さんは過去なんてないんだ。過去も現在も未来も一緒と述べていたが、一緒でも何でも過去のことは取り返しができない。後悔の念はずっと続いている。それを解決するのは簡単ではない。お坊さんの話などを参考にして、自分なりに解決していく問題だと思う。ある友人は「過去のことには一切かかわらないことにしている。前を向いてこれから先のことを考えながら生きている」と言っていたが、前向きで建設的な生き方だと思った。
2023.01.06
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今朝7時15分からの「10人のお坊さん」は「なぜ生きるのか」がテーマだった。ある60歳台女性の投書に対する回答形式で数人のお坊さんが説法して下さった。投書の内容は「20年間親の介護で辛いながらも生き甲斐を感じていた。所が先日その母親が亡くなってしまい、気が抜けたみたいで生きる意味が分からなくなった。兄も突然死んでしまい孤独状態で何のために生きているか分からない。今すぐにでも死んでしまいたい気持ちだ」というものだった。3~4人のお坊さんが回答してくれたが「お釈迦さんがこう言っている」など宗派の創始者の言葉を引いて説明してくれていたがあまりよく理解できなかった。あるお坊さんは「好きなことを見つけなさい。それに打ち込むことが出来ればそれが生きている意味ですよ」と説明していた。あるお坊さんは「自分であれこれ考えても解らない、自分が親しくしている人の方が貴方のことをよくわかっているかも知れない。その人に相談することによって生きる意味が分かってくるかもしれない」と述べていた。ある坊さんは「生きると言うことは一瞬、一瞬なのですよ。親が亡くなって20年間尽くしてきただけに心に空白が出来たかも知れないが、それは長い目でみた生きる目的で、実際は一瞬、一瞬に生きているので一瞬一瞬に楽しいことを思い描いていくことが生きるということですよ」と述べていた。ある坊さんは「生きるとは人のために布施すること、人のために何等か役立つことをしていく。そのように経典に書いてありますよ」などの回答だったが質問者の60歳台女性は分かっただろうか?親の介護は人のために生きていて生き甲斐を感じていたのだと思うが、その対象が死んでしまい生きる目的がなくなってしまったとのことだが、ボランテアで清掃や花植え運動に加わることも人のためになる行いである。自分に興味があり自分が楽しくなることを見つけ出すことが生きる目的につながるのではないかと思った。
2023.01.05
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いよいよ今日から正月気分でなくなり通常番組になるのでBS7時15分からの懐かしの朝ドラ『本日は晴天なり』だと思ってスイッチを入れたら『10人のお坊さん』をしていた。それは視聴者の悩みに応じて各宗派のお坊さんが回答してくれる番組だった。今回は40歳代の女性の方の質問で「会社では一生懸命仕事しているのに後から入ってきた女性が自分より先に役付きになった。美人を鼻にかけて気に食わない人で自分よりずっと仕事ができない人なのに私より先になった。一生懸命仕事しているのに自分は評価されないのが悔しい」というものであった。各お坊さんの回答はほぼ似たような回答で「仕事は人に見せるため、評価されるためにしているのではない。結果的に給料をもらうためかもしれないが、会社のためであり、人々の生活を豊かにするためであり、製品を使った人々に喜んでもらうために仕事しているのだと思う。良い評価という報酬を期待しての行動はそれが報われなかった時には必ず不満になり、不幸を感じてしまう。他人や会社に対しての行動は他人からの報酬を期待していたら幸せになれない。一番身近で見ている自分自身が満足する仕事をしていれば幸せになれる」というものであった。要は「幸せになりたかったら全ての行動は人様の為であり、それによって何かお返しを期待してはならない」というものであったが質問者は納得したであろうか?「ばかばかしい、何かしてやるのは返礼を期待するのは当たり前ではないか!!」と思ったかもしれない。「お坊さんの回答は高尚すぎて理解できないところもあるが、なるほどと思えることもある。気に食わない後輩が先に昇進したからといっていきり立つことはない。普段通り自分の満足できる仕事を続けよう」と怒り狂うことなく平常心を心がけるかもしれない。坊さんたちは長い年月修行を重ねて今の境地に到達したのだと思われるので、一般の人達がすぐ理解できたり、採用したりできないこともあるかもしれない。しかし聞く耳を持つことによって怒り狂って不幸な日々を過ごさなくてもよくなるかもしれない。15分番組だったがNHKも味な番組を企画したものだと思った。
2023.01.04
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昨夜テレビを何気なく観ていたら宇宙飛行士になりたい人たちへのインタビューが耳に入ってきた。50歳代の母親が星を好きで宇宙飛行士になりたくて応募したが書類審査で落とされて代わりに大学生の息子に夢を託したケースがあった。子持ちの30歳代の女性も子供の頃から宇宙飛行士になることを夢見ていて応募、50人の枠に入ったら旦那さんが協力してくれて、訓練の日には旦那さんが子供を見てくれて全面的にバックアップしてくれた。なんて素晴らしい旦那さんなのかと思った。様々な予備選挙をパスした人が50人枠に入り、その50人が一緒に体力強化運動や精神力強化訓練などを経て最終的に数名選ばれる試験に臨むことになる。いずれにしてもそれほどまでして宇宙飛行士になりたい人がいるのだなと思った。自分はなりたいとは一度も思ったことがなかったので、人間にはみなそれぞれなりたいものがあるが、他の人はそれほどそれになりたいと思ってはいないものだなと思った。人は生まれて成長していく過程でそれぞれ将来なりたいものを思い描く。会社員になりたい子供もいれば電車の運転手になりたい子供もいる。野球選手やサッカー選手を夢見る子供もいる。看護師や保育士、学校の先生などを夢見る子供もいる。映画スターや歌手などになりたいと思っている子供もいる。医師や弁護士や政治家になりたいと思っている人もいる。しかし昨夜のテレビ番組では宇宙飛行士になりたいと思ってもなれる人はほんの一握りで他の人はなれない。この現実をどう考えたらいいのかと思った。昨日のテレビでは宇宙飛行士の最終試験に落ちた人は「同じ目標を持っていた50人の仲間と色々訓練を受けたことは忘れない。この経験を実社会の中で生かしていきたい」と述べていたが、誰でもが思った通りの職業につけるわけではない。願い通りの職業につけた人は幸運だが、惜しくも落選した人は再度挑戦するか新たな進路を見つけていくことになる。正月にあたり自分のなりたい職業や進路についてもう一度よく考え、選抜試験がある場合は、それに落ちた場合についても考えを巡らせておく必要があると思った。
2023.01.03
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正月恒例の第99回箱根駅伝が本日午前8時に21チーム参加でスタートした。晴天の中5区を走り抜け、往路優勝は駒沢大学で、2位中央大学、3位青山学院大学だった。駒沢大学の往路優勝は19年ぶりで駒沢大学は1区で2位、2区の途中でトップに立つも中央大学に抜かれて二位で3区につなぎ、3区では中央大がトップを保ち、4区では青山大、駒沢大、中央大と三つ巴の中で駒沢大が最後にトップに立ち、山登りで厳しいコースである5区の1年生選手山川拓馬選手にタスキを渡し、山川選手は途中で中央大に追い上げられたがずっと首位を守って往路優勝を勝ち取った。今大会では山川選手だけでなく、他区、他チームでも1年生選手が活躍しているのが目立った。青山学院5区の選手は4年生で初めてで最後の箱根駅伝出場とのことで、それまでおそらくひたむきに努力してきたけれど箱根駅伝のレベルに到達できずにそのまま卒業になるかもしれない状況だったが、5区を走る予定の選手が故障して控えのその4年生の選手が5区に抜擢されたのだと思う。十分その責任を果たして一生の思い出が作れてよかったと思った。元日の富士山これは元日の午後家の二階から富士を映した写真である。雲一つない青空に霊峰富士が雪を被って厳かに聳えていた。天気が最高によくて素晴らしい正月だった。今まで3年以上コロナで暗い年月だったが今年は明るい年だよという兆候かもしれない。滋賀県から来たマルちゃんこの写真は31日に滋賀県から息子家族が連れてきたトイプードルとチワワの混血のマルちゃんである。暖かい日差しの中で芝生の上で遊んでいてしばし座った時の写真である。和やかな情景でこれも今年は明るいぞという印かもしれない。箱根駅伝での1年生、4年生の活躍、霊峰富士の晴れやかな姿、暖かい日差しの中でくつろいでいるマルちゃん、みな今年はいい年だよと教えてくれているのかもしれない。それを信じて今年は明るく生きようと思う。
2023.01.02
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朝、沢山の年賀状が届きました。このブログを読んで下さっている方からも賀状を頂きました。小生はパソコンとプリンターの同時故障で投函が12月30日夜になってしまったので元日には届いていないと思います。それでも出した人はいいのですが出していない人から沢山来ているのでその人たちに今からせっせと書かなくてはなりません。出した人と出さない人は印刷済みのチェックで区別できるはずですが、プリンターが調子悪いのでそれがあてにならず、かなりの不安があります。でもそれが正しい正しくないを判別できる頭脳は持っていないのでそれでミスしてしまった人には申し訳ないけれどチェック通りに印刷していない人にこれから年賀状を書いていこうと思います。100枚くらい新たに返信を書かなくてはなりませんが、プリンターの不調で二重~三重刷りで同一人を3人も印刷してしまったり同じはがきに二重刷りして画面がダブってしまって破棄処分にしたはがきが100枚位あり、年賀はがきが足りなくなってしまいました。セブンイレブンではがき売っているか分かりませんがとりあえず行ってみようと思います。大変な新年の出だしになってしまいましたが、これも試練と受け止めきちんと対応していこうと思います。皆様にとって良いお年になりますよう心よりお祈り申し上げ、自分はいかなる苦難障害に襲われようともくじけず明るく落ち着いて対処していこうと思います。お互いにとって今年は今までの集大成として最高の一年にしようではありませんか!!
2023.01.01
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