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前回の日記、またまた書きっぱなしのまま長く放置してしまって本当にごめんなさいm(__)m今年もあと少しになってしまいましたね。皆様忙しい毎日をお過ごしのことと思います。私は相変わらずです。それなりに色々とありました。ひたすら悩み続けたこともあり、今もまだ心が揺れていますが、その内容はいずれまた。今日はそれは忘れて、私の幸せだった一日のことを書こうと思います。11月も終盤の日曜日に息子の結婚式と披露宴が無事に執り行なわれました。場所は神戸の某式場、庭の紅葉が「魔法のような赤」とばかりに美しく、また前後は雨風の強い寒い日だったというのに、その日だけが快晴だったという幸運に恵まれた一日。新郎新婦二人とも忙しい中、また新婦のMちゃんは一ヶ月半前に体調を崩して入院というアクシデントまであったのに、よくこんなに準備できたなぁと感心することしきり。披露宴は、終始和やかであたたかい雰囲気で、私は心から幸せな気持ちになることができました。昨今の披露宴の話では、いいことや悪いことなどちょこちょこと耳にしていました。あくまで個人的な考えなのですが、耳にする話の中で、私がこれはやらない方がいいのでは…と思っていたことが、すべてありませんでした。具体的に言うと、ブーケトスやブーケプルズ・キャンドルサービス・余興のカラオケ・複数回のお色直し・妙なサプライズ演出、などです。どんな披露宴にするのかは事前にほとんど聞かなかったし、一切口も挟まなかったのに、どうして私の思った通りになったんだろう、と不思議でした。よかったことは、(これもあくまで個人的なことですね)二人が各テーブルを回って記念写真を撮るテーブルフォト、お色直しで退席する息子を私がエスコートできたこと(息子と腕を組むのはたぶん最初で最後。私は舞い上がってしまってへらへらと笑い過ぎ)、花嫁の手紙に私達新郎の両親側への言葉もあったこと、保育士のMちゃんの担任の子供達の可愛いメッセージのお祝いビデオ、二人の自作プロフィールビデオ、Mちゃんが前日に用意したゲスト全員への手作りの焼き菓子のおみやげ、など。プロフィールビデオに映った息子の生まれたての小さな姿、亡くなった祖母や祖父に抱かれた笑顔、幼稚園での寸劇での天使の衣装姿、子ども会のドッジボール大会、中学校での野球部の試合、大学でのテニスサークルのおふざけ姿、そして今の会社の同僚との飲み会…泣けました。よくぞここまで大きくなってくれたものだと。息子の披露宴での最初と最後の2回の挨拶も、思いがけなくもとても立派でした。親の知らないところで、ちゃんと成長してくれていたのですね。何度もハラハラさせられたけれど、この日を迎えられたことを心から嬉しく思います。やっと息子を送り出せた安堵の気持ちで一杯です。子供を産み育てて本当によかったと思えた一日でした。さぁ次は娘!だけど、こちらは何かと前途多難のようで…(泣)
2012年12月12日
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暑い暑いと文句ばかり言ってたのがつい先日のことのようなのに、いつのまにか季節は晩秋。息子の結婚式が約2週間後にせまり、私が何をしなければ、というわけでもないのですが、なんとなく気忙しく落ち着かない毎日を過ごしています。披露宴での挨拶の練習に余念のない夫を横目に、私は自分のメイクやら着物のことだけを考えていればいいので気楽なものです。どうにか無事に何事もなく結婚式の一日がすんでくれることだけを祈っています。そして母。まだ入院しています。あれからも色々ありました。頭を打った場合、特に高齢者は注意が必要です。その直後の画像検査では異常がみられなくても、少したってから(母の場合は一ヶ月後)の検査で「慢性硬膜下血腫」が見つかるのはよくあることだそうです。この血腫のせいで、認知症の症状が悪化するそうです。この治療は、頭に穴を開けて血を抜いてしまえばよく、簡単な手術の部類に入るそうです。実際に母もこの手術の後、劇的にしっかり、そしてはっきりしたものです。ただ、喜んでいたのも束の間。一体どこが悪いのか、しばらくしてうとうと寝てばかりいるようになり、尿の出が悪くなり、胸水がたまって、手足にむくみも出てきました。今は利尿剤を入れて、導尿しながらむくみをとる治療をしています。先が全く見えません。先日の介護認定区分変更で、とうとう母も要介護5になってしまいました。毎日の病院通いが私の日課になってしまいました。今の病院はお花の持ち込みOKなので、2箇所にお花を絶やさないように頑張っています。今日は看護師長さんに、「娘さんってお花の先生をされてるんですか?いつも綺麗に飾っておられるので」とたずねられ「いえいえ、自己流です」と謙遜してみたものの、内心はエッヘン(^^ゞよく考えると私の花の飾り方はすべて母から自然に学んだものです。母も庭で花を育て、それを無造作に家中のあちらこちらに活けていたものです。私は一応華道のお稽古には数年通ったけれど、その手法は今はあまり生かされていません。母が適当に飾っていたように、私も適当にやってるだけです。それでも、誰かに褒められるということはいくつになっても嬉しいものですね。うとうとしている母にも聞こえていたかな?
2012年11月08日
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お盆でした。いつも通り14日におはぎをつくりました。ご飯やあんこが乾いてしまうので扇風機はかけられないし、早朝からエアコンを使うのも気がひけて、汗をたらたら流しながら、これもいつも通りせっせと我が家の分実家の分をつくりました。もち米が主のご飯を握りながらいつも思い出すのは、義母と母のこと。時期はずれていた(義母が数年早かった)けれど、二人はまったく同じ事を私に訴えました。「おはぎをつくりたいけど、もち米と米の割合がどうしても思い出せない」と。これは好みの問題で、割合なんて人によってまちまちだと思います。母がやっていたように半々でもいいし、義母はいつも1対4くらいの割合でやってました。それぞれこうしていたよ、と母や義母に言ってみたのですが、二人ともあまり納得してくれませんでした。特に義母からは「あんたの言うことはあてにならへん」と、どうしても信用してもらえず…(悲)今思えばあれは初期の認知症の症状だったのですね。ほとんどつくり終えようとする頃、のっそりと起きてきて早速おはぎを食べようとする娘にこの話をして、最後に言いました。「だから私がどうしてもおはぎのご飯の割合が思い出せない、と言った時は、『あぁ、始まったんだな』と思ってね」娘は「朝からそんなこと言わないでよ」とぷりぷりしながらそれでもしっかりおはぎを2個食べ終えました。どうか一年でも長く、今のつくりかたでおはぎをつくれますように。同じことを続けられることって、きっとものすごく幸せなことなのですね。
2012年08月15日
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日記を更新したのがつい先日のように思うのに、現実はなんと3ヶ月前!?う~む、一体どうなっているのでしょう。時間の流れに、もはやついていけそうにありません…またまた久しぶりなので、近況報告をします。大事件1:母が入院中です。3週間ばかり前に施設内で転倒し、大腿骨を骨折、救急搬送されてそのまま手術入院となり、手術自体はうまくいって経過もいいのですが、例によって認知症が悪化し、今度は1週間前に病院内で車椅子ごと階段を転げ落ちて頭に裂傷を負い3針縫って、今は同じ病院内の医療療養病床に入院中。私はほぼ毎日病院に通っています。大事件?2:息子が結婚しました。入籍をすませました。挙式は晩秋の予定です。やっと姑になった私ですが、いまいちピンときていません。私たちの頃とは順番が違うからかなぁ?挙式を見届けたら、やっと実感が涌くのかもしれません。これ以外に小さな事件はいくつか起こっていますが、たいしたことではないので割愛します。それにしても毎日の猛暑!皆さんいかがお過ごしでしょうか。私はバテバテですが、そうも言っておられずにあちこち飛び回って?います。母の病院通いはいつまで続くのか、まだ見通しはたちません。母も義母の通った道をまっしぐらに進んでいます。認知症の型は違うのですが、(義母は脳血管型・母はアルツハイマー型)それなのにこの二人の言うことなすこと、まるでコピーなんです。義母の時の経験も少しは役に立っていると思うこともあれば、何の役にも立っていない、と反省することもしばしば。介護って本当に奥が深いですね…
2012年08月03日
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おひさしぶりです。あまりにも間が空いてしまい、何を書いたらいいのかわからずとまどってます。楽天ブログも色々と変わったのですね。前のプロフィールは消えてしまってるし、個人的にやりとりできるメッセージもなくなったんですねぇ。新しいプロフィールをつくる気力も出てこないし、それより放置中のホームページも気になるんだけどそのままだし。みんな変わっていくのに。私はちっとも変われずにもがき続けています。近況を報告します。母は元気です。介護付き有料老人ホームに入所しました。もう4ヶ月たとうとしているのに、毎日のように、「私は今朝ここに来た、夕方4時になったら送ってもらって帰ろうと思う」と言ってます。(以前通っていたデイサービスと混同しているようです)それを宥めて説明するのが私の日課です。幸いなことに、ちゃんと説明さえすればその場では納得してくれるし、決してホームがいやなわけではなく、「へぇ、そしたら今日はここに泊まらせてもらえるんやな?よかった。」と笑顔を見せてくれるのが救いです。ホームの介護体制については、言いたい事が山のようにあります。そのうちにどこかで爆発させます(笑)息子は一年遅れになったけど、やっとまもなく入籍の予定で、挙式は秋になりそうです。今度は間違いないだろう、と思ってますが、前のこともあるし一抹の不安もよぎります。どうか無事にゴールインしてくれますように。夫はそれほど変わらず、と言いたいところですが、検査の数値は微妙に悪くなりつつあります。新薬での治療を提案されているのだけど、本人がその気になってくれません。きっと以前の治療がよっぽど辛かったのでしょう。今もうつ傾向は残っているので、再治療することになったとしても、より不安が大きいです。さてこの先どうなることやら。娘は変わり映えしません。毎週のように友人の結婚式や2次会で大忙しですが、娘自身はまだ先のようです。私も変わりなしです。お腹周りがヤバイことになってきたので、健康体操に通っています。フラダンスもかろうじて続けています。フラダンス教室では、毎回注意され役を一手に引き受けてます。(…ちょっと悲しい。)そして一番変わらないのが犬のペコです。相変わらず呑気でおっとり、天真爛漫で可愛いです。一日10回はぎゅっとしては癒してもらっています。簡単に近況報告しようと思ったのにだらだらと長くなりました。やっぱり私は変わっていませんね。皆様はいかがお過ごしですか?
2012年05月31日
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「長生きをしてごめんねと母が言う」いつかどこかで目にしたこの句。たぶん検索すれば出てくるのだろうけど、すみません、今は私にはその気力もありません。この句とまったく同じ言葉を母が言った。昨日、私と弟の前で。こんな言葉を言わせてしまうなんて私たちは子供失格、人間失格なんだろうな…母は2週間前にまた転倒し(デイサービスでの不運なもらい事故だった)それ以来まったく歩けなくなり、一時は錯乱?状態というのか、ずいぶん不穏な状態だった。今は精神的には少し落ち着いてきたものの早く死にたい、安楽死させてくれ、お願いします、と誰彼となく手を合わせ続けている。辛い。でも、母はもっと辛いのだろう。
2011年12月04日
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義理と人情に負けて?仕方なくフラダンスのレッスンを始めたのは昨年5月のことでした。その時の日記はこちらいつやめようかと思いながら、やはり義理と人情という無言の圧力に耐え切れず、やめたいとは言い出せぬままにいつしか1年4ヶ月が過ぎました。と言っても、1月に義母が亡くなった後2ヶ月お休みしたし、それ以外でも結構休んでいるので実質一年弱ということですかね。(この2ヶ月休んだことがますますの悪循環に私を追い詰めたのですが、その辺りはなんとか乗り越えたので、割愛します。)最初は基礎中の基礎のステップひとつ満足にできない私でしたが、当時はメンバー全員がまったくの初心者ということもあって、先生の指導もゆるゆるなので、遊び半分にレッスンに楽しく通っていました。少しでも体を動かせばいいのだ、という軽い気持ちで。ところが、3ヶ月後にベテランさん達が次々と入会されました。10年、20年のキャリアの方々です。普通ならこんな初心者クラスに入る人たちではないんだけど、事情があったり、これからはのんびりと楽しみたいという85歳!の方など。長いキャリアのある方はやはり違います。それまでは、一曲を一年かけて覚えることができるかどうか?というペースだったのに、俄然レッスンの内容が変わりました。私たちも刺激を受け、それまでよりは真剣にレッスンを受けるようになりました。よかったのか悪かったのか、普通の教室に近づいたんじゃないかな、と思っています。今は一曲を2回のレッスンで仕上げる勢いでやっていて、結構ハードです。一時間強のレッスンですが、へとへとになるし、足腰も痛い…家に帰ってからも復習しなければとてもついていけない状態になりました。仕方なく、夫に笑われながらも毎日復習に励んでいます。軽い気持ちで始めたのに、なんでこんなことやってるんだろう、と思わないでもないけれど、今はあまりやめたくはならないのが不思議です。頑張ればそれなりに上達するというか、結果がすぐに見えるのが励みになってるのだと思います。教室としては今年初めに初舞台がありましたが、私のお休み中のこと。で、このたび私もやっと舞台デビューを果たしました。今回の衣装はこれ♪ 白いブラウスは手作りです。帽子も100均の商品にこれまた100均の造花をくっつけて作りました。フラダンスそのものよりも、こんなのをつくってる時の方が楽しいですね。舞台と言っても、とてもローカルな集まりだし、観客は大人数(300人くらい?)だったけど、皆さん素人ということで、それほど緊張もせずにニコニコ笑顔で無事に踊ることができました。私は踊りそのものではとても勝負できないので、ひたすらニコニコを心がけてます(笑)踊っている写真をここにアップ……なんてことは、もちろんナシです。
2011年10月05日
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まもなくお彼岸だというのに、毎日暑くて閉口しています。皆さんお変わりなくお過ごしでしょうか。私、この夏は節電に頑張りました。細かい努力を重ねて、7月半ば~8月半ばの電気使用量は昨年比12パーセント減、8月半ば~9月半ばは20パーセント減を達成しました。これはLED電球効果が大きかったものと思われます。それ以外では、食器洗い機を使わなかったこと、寝室を省電力効果の高いエアコンの部屋に移動したこと、でしょうか。結果を見たときは達成感で一杯でしたが…でも。虚しいです。私の周囲の人は誰一人節電に励んでいませんでした。近所の知人に節電の話をしても、不思議そうな顔をされるだけ。家族(夫と子供たち)さえ何一つ協力してくれませんでした。「電気は余ってるんだからそんなにしなくても大丈夫」というのがこの辺りの私以外の人たちの常識のようです。新聞記事にも、関西の家庭の節電は4~5パーセント程度という結果だったとありました。でもでも、私は不安なのです。関西電力がこの夏を比較的余裕で乗り切れたのは、中国電力など他社からの融通のおかげだと聞きました。このご時世です、いつ何処でどんなことが起き得るかまったくわかりません。他社さんをアテにしてばかりではそのうちに大変なことになるのではないか、と。東京電力管内では、計画停電を経験しているだけに皆さん節電意識がとても高いようです。人間って痛い目に合わないと行動に移せないものなのでしょうか。それとも私が意識し過ぎなのでしょうかねぇ?
2011年09月19日
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テレビや映画館で一方的に見るだけなのに、お気に入りの芸能人の訃報はかなりショックなものだ。時には何日も鬱々とした気持ちを引きずってしまうこともある。芸能人に対してさえそうなのに、このたびの娘の友人の訃報には私も大きな衝撃を受け、そしてあれから10日になるというのに、いまだに沈んだ気持ちが晴れそうにもない。娘の高校時代の友人が、今年5月の初めにとある南の島でダイビング中に溺れて、すぐに救助されたものの意識不明の重体が2ヵ月半続いた後、10日ほど前にとうとうかえらぬ人となってしまった。娘とは中1、高2、高3と三度同じクラスになった。(中高一貫校なので)特に高校のクラスでは大人数のグループでとても仲がよく、大学からは道はバラバラに分かれたけれど、この4月にも彼女を含む8人で一泊旅行をしたばかりだった。(高校卒業以来一年に一度必ず旅行に出かけていた。)私が彼女を初めて見たのは娘の中学校の入学式。娘のななめ前に座っていた編みこみおさげのほっぺの赤い可愛い子、本当に印象的だった。性格も明るく学業優秀、常に人気者で友達も非常に多く、国立大学に進んだ後某有名企業に入社し、前途洋々だったというのに…彼女のお母さんは事故から一ヶ月間現地の病院で付き添い、その後地元に転院できたけれど、亡くなるまでの間一度として意識が回復することはなかったと聞く。世の中に悲しみの形は色々あるけれど、逆縁は間違いなく悲しみの極地のひとつだと思う。ご両親の心情や如何ばかりかと考えると、私には言葉もなく、自分の無力さを恥じ入るばかりである。娘たちは5月に事故の一報を聞くやものすごい速さで千羽鶴を完成させ、何人かは遠い南の島までお見舞いに駆けつけた。地元に転院してからはひっきりなしに誰かが病室を訪れていた。お通夜と告別式は同年齢の女性たちであふれかえっていたそうで、中高時代の恩師も数名参列して下さったと聞いた。彼女が如何に周囲から愛される存在であったかということがよくわかる。返す返すも残念でたまらない。彼女は何度もダイビング経験があってなにがしかのライセンスも持っていたそうだが、娘には一度「本当は怖いの。いつも怖いと思いながら海に入ってる。」と言ったことがあるそうだ。「怖いと思うならやめればよかったのに。あの時『ダイビングなんてやめなよ』と言えばよかった」と娘は泣きはらした目で呟いていた。娘は、ダイビングなんて一生やらない!と今は思っているようだ。ダイビングに限らず、たとえば登山など、命の危険に晒される趣味は色々あるだろう。何をするにしても100%安全というものはない。だから危険を伴う趣味はやめとけ、というのは筋違いかもしれない。そんなこと言いだせば車の運転だってできないし。それでも、理不尽なこととはわかっているけれど、今の私は我が子やその友人たちには危険な趣味はやらないで欲しいと願ってしまう。やるせない思いで一杯だ。彼女をのみこんだ南の青い海が憎くてたまらない。しばらくは親娘共々この悲しみをひきずりそうで、とても辛い。
2011年07月25日
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断捨離という言葉が流行って久しい。その意味に納得し心動かされながらも、なかなか実行に移せないままである。義母がなくなって早5ヶ月が過ぎた。何度もやりかけては中断しているのだけど、そろそろちゃんと遺品の整理をしてしまわなきゃ、とこの頃になってようやく本腰を入れている。グループホームに入所した時に洋服類はある程度整理したつもりだったけど、甘かった。今、洋服や肌着類だけでも洋服ダンス大一棹小一棹、整理ダンス二棹、大きな衣装ケース3つ、押入れ収納ケース一つ…まだこれだけのものが残っている。これ以外に和ダンス一棹の和服と衣装ケースに入れた大昔の和服(33年前に亡くなった義父のものと思われる男物、袴まで入っていた。)、後はカバンや小物、寝具もある。靴だけが処分済みだ。途方に暮れながらも、一人で暑さに絶えながら奮闘を続けている。いつになれば終わることやら。片付けながら、いつも自分自身の時はどうなるのかな、と考えてしまう。私も「捨てられない」女なので、私物があふれている。私の場合は本・雑誌やCD、ノート類、書類、手芸材料、このあたりの在庫がすごいことになっている。順番どおりに行けば、これを片付けるのは娘と息子のお嫁さんということになるのかな。彼女たちの怒りに満ちた顔が想像できて可笑しくなってきた。いや笑い事ではない。早く義母の荷物整理にメドをつけて、自分のものもせっせと断捨離しなくては。
2011年06月29日
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買い物の帰りに通った中学校のグラウンドで体育大会?の予行演習らしきものが行われていた。金網のフェンス越しに数人の見物人がおられたので、私も思わず足をとめてしばらく眺めていた。そしてお決まりのようによみがえってくる、私の青春のあの一日…中学2年生の体育大会予行演習の日。私は、およそ似合わないながらも、当時クラスの美化委員をやっていた。体育大会の日には各自グラウンドに教室の椅子を運ぶわけであるが、なぜか美化委員がその監督を行う役目をしていた。監督といえば聞こえはいいけれど、実態はただの下働きだ。事情があって椅子を運べない生徒の分も美化委員が運ぶのだ。委員は各クラス男女1名ずつで、男子の美化委員は私が片思いしていたN君だった。(実を言うと、そのために私は美化委員になったのだ。)普段は委員会に出席する以外には一緒に仕事をする機会はほとんどなかったが、この時ばかりは二人でえっちらおっちらといくつも椅子を運んだり、またみんなの並べ方を見て注意したり、肉体労働の苦痛なんてなんのその、とても楽しい時間だった。無事に予行演習が終わり、片付けに入るときもまた二人でえっちらおっちら。その時、にわかに雲行きがあやしくなりいきなり雷が轟いた。「うぉっ!」と叫んでしまったのは、私。横でN君がげらげらと笑った。「普通さぁ、女の子ってこういう時は きゃぁ~♪ って言うもんじゃないの?でもそこがjiadaoのいい所だよな。ヘンになよなよしてなくて。」「それってほめてるの?」「もちろん。俺、女の子女の子した子って苦手や。jiadaoみたいな男っぽい子が好きやね、話しやすいし。」うふふ。「好き」だなんて…私の片思いはとうとう実ることはなかった。。N君は女の子と交際する気なんてさらさらなかったので。N君は私のことは女の子としては見てくれなかったけど、「友達」としてはよく話もしたし、卒業までずっと仲は良かった。私はそれだけでよかった。今となっては、N君のことはとても美しい思い出になっている。今日このグラウンドを行進する生徒たち、みんなそれぞれにいい思い出ができるといいね。
2011年06月10日
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先日、遅まきながら「阪急電車」を観てきました。原作(作者は有川浩さん。この人、女性だったんですね。長い間男性かと思っていました。)も大好きだし、我が地元を舞台にした映画ということで、以前からずっと楽しみにしていました。私なりの感想を書いてみますが、ネタばれになると思います。内容を知りたくない方はスルーしてくださいね。いい映画でした。「生きてることは悪くない」というメッセージがじわっと心に染み渡ってきます。キャストの方々はほとんどがハマリ役だと思いました。特に宮本信子さんが最高です。厳しくも優しい上品な老婦人を見事に演じきっておられました。あんな風に老いたいものだとつくづく思わされました。ただ、原作に忠実に丁寧につくられたことはよくわかるのですが、やはり原作を読んでいると不満も少し感じました。何がと言うと、原作にはもう一組のカップルが出てきますが、それがカットされていました。従って私が好きなシーンはエンドロールに唐突に出てくるだけで、映画だけを観る人には流されてしまうんじゃないでしょうか。(河原に石を積んで書いた「生」という文字を電車から見る、というシーンです。)巷の噂によると、このカップルの話を独立させてドラマだか映画だかにするという話があるとか…本当でしょうか?もうひとつ好きなシーンがあるのですが、こちらのカップルは登場していたけれどその部分はなかったのでがっかり。電車から見えるビルの屋上の鳥居のシーンなんですが、あれは私個人としてはものすごく思い入れがある場所なんですよね~残念です。ひょっとしてあの鳥居は今はもうないのかしら?未確認ですが、もしそうならば仕方ないのかな。舞台となっている阪急今津線は、どの駅にもに思い出深いものがあります。まず西宮北口。ここから徒歩10分の所に私の実家があります。大学生になってから結婚までの8年間は毎日のようにこの駅のお世話になりました。駅に直結した大型ショッピングモールには、今もしょっちゅう通っています。門戸厄神。お稽古に通った駅です。「厄神」さんには今もたびたびおまいりに行きます。中学生の時の初集団デートが、この「厄神」さんのお祭りでした。甲東園。母の実家の最寄り駅です。映画に登場する「お洒落な大学」にもよく遊びに行きました。私の娘もこの大学出身です。仁川。小学校の遠足といえば仁川から。大学時代にもここからよくハイキングに出かけました。小林。親戚の家があります。映画に登場した「大型スーパー」も昔から行きつけで、紅白の百日紅の並木は比較的新しいと思いますが、これも大好きで小説を読んだ時はとても嬉しかったのです。逆瀬川。今も夫とドライブする時によく通ります。川沿いに続くお洒落な家並みを眺めるのが昔も今も楽しみです。宝塚南口。中谷美紀演じる「翔子」が元カレの結婚式に白いドレスで乗り込むというこの作品目玉の場面ですが、その舞台のホテルこそ何を隠そう、私自身の結婚式の式場でした(笑)宝塚。今はなくなったけど、この辺りの子供は行かない子はいないという遊園地「宝塚ファミリーランド」がありました。子供の頃、そして自分の子供を連れて、一体何度通ったことでしょう。廃園を知った時は本当に悲しかったです。今はその場所に宝塚ガーデンフィールズ他の施設ができています。個人的なことばかりになりました。いやに力が入ってましたね。映画の感想とは何の関係もないことを長々とお聞かせしました、ごめんなさい。それから、これは原作にも共通の不満ですが、電車の中で騒ぐマダムたち、あれは完全に誇張表現です。あんな人たち、あんな場面に遭遇したことは断じてありません。どうかどちらさまも、ゆめゆめ「関西の電車にはあんな人たちが乗っているのか」なんて思われませんように。もうひとつ。翔子の元カレを寝取って結婚する翔子の後輩OLを安めぐみさんが演じるのですが、彼女のウェディングドレス姿がとても可愛くて綺麗だったので、ちょっとこれは違うんじゃないかな、と感じました。彼女はミスキャストだったかもしれません。ほとんどが私的な感情からの文句をあれこれと並べましたが、心温まる素敵な映画だったことは間違いありません。この映画のキャッチコピーは「終着駅はきっと笑顔」。いい言葉ですね。人生の終着駅も笑顔であることを祈りつつ、これからの下り坂を生きていこうとあらためて誓った次第です。
2011年05月25日
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関西は節電しなくてもいいのだと思っていた無知な私ですが、どうやら大きな間違いだったようです。関西電力は原子力発電への依存度が特に高く、今停止中の原発を再稼動しないとなれば、即電力不足が起こるそうです。近場の甲子園球場でも夏の高校野球開催にあたっての節電対策を講じているようです。う~ん、これは大変。テレビ番組でも節電対策特集をよくやってます。熱心に見ているのですが、あまり参考になりません。だって、エアコンの温度を28℃設定にして扇風機で空気を循環させましょう、ということですが、そんなの昔からとっくにやってます。夏のエアコンを28℃以下でかけた記憶なんてありません。扇風機は我が家に5台もあります。一人一台計算ですね。だからあわてて買いに走る必要もありません。夏場は電気ポットは一切使いません。照明器具も変えられるところは全部LED電球に交換済みです。窓ガラスには遮熱フィルムを貼っています。よしず、すだれも使います。ゴーヤは畑で育てるので、家では西洋朝顔のグリーンカーテンを育てます。待機電力は極力使わないようにしています。テレビも当然メインスイッチを切ります。私一人の時にはテレビは一切つけません。パソコンだってガマンしてあまりつけないようにしています。(今日はこれを書いてるので特別です^^)これ以上何をすればいいんでしょう?考えていて、あぁまだあるわ、と思いつきました。トイレのウォッシュレット。これだけはどうしても使いたいのです…何をガマンしようとも、これだけは。ただ、毎回使うわけではないし、その都度コンセントを入れるようにすれば節電になるのでしょうか?これは調べてみる価値ありですね。皆さんの節電対策もぜひおしえてください。
2011年05月23日
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毎日風が強く、桜も散り急いでいます。ななめ隣の神社からうちの庭に舞い落ちる桜の花びらの掃除に追われています。やっと暖かくなったのに桜も咲き終わったのになんだか体の中を風がスースーと吹き抜けていくようなそんな気がして心は裏寒いです。いけませんね~、気持ちを入れ替えましょう。夫の留守中に、一階縁側の木製の雨戸を閉めようとしていて、全部で7枚あるうちの途中の一枚がひっかかってしまい、まったく動かなくなってしまいました。最近こういうことが多いんです。なんせ相手は自然素材、天気や湿度によってふくれたり縮んだりするので扱いづらいことこの上ないのです。途中でひっかかったままでは困ります。どうしたものかとしばらく悩み、誰か男の人に来てもらおうかとも思った(たとえばカラちゃんとか、お隣の夫の従兄弟とか、または娘の彼氏とか)のですが、そこでもう一度思い直して雨戸を見ながら考えました。そんなことでどうする、これから先たびたびこういうことは起こり得るのだ、その都度誰かを頼っていてどうするんだ、なんとかする方法を考えるのだ! ← これは天の声。やがてひらめきました!手で動かそうとするとすべるので無理がある、すべらないものを考えればいいのだ、と。早速掃除用のゴム手袋をはめて再度チャレンジ。腰は痛かったけれど、どうにか雨戸をレールに戻して動かすことができました…またある日。一階も二階も、廊下の電灯が二つあるうちの一つが少し前から切れていました。一つだけでは暗くて陰気だし不便です。こういうことはずっと夫の仕事だったのに、今の夫はなかなか動いてくれません。気づいているはずなのに知らん顔です。仕方なく電球を買ってきてつけようとしたところ、脚立に乗っても背の低い私には届きません(悲)夫に言おうかと思ったけど、ここでまた天の声が聞こえてきて考え直しました。どうしたかというと、もう一段背の高い脚立をネット注文して翌日に届けてもらい、首尾よく電球の取替えが終わりました。なんだそんなこと、と思われる方も多いとは思いますが私にしてみたら一大事だったのです。先のことを考えたら、自立しなきゃいけないことは明白で、でもその道はイバラだらけのように思えます。今までずっと人任せで生きてきたからなぁ… とにかく少しでも一人で何でもやれるように頑張らないと。夫は今調子が悪いです。うつ状態だと思います。通院はしているので大丈夫かなーとは思うのですが。睡眠導入剤をずっとのんでいるので、肝臓に負担にならないのかが心配です。息子も少しうつっぽい、と聞きました。どうしたものか、心配です。うつ病と言えば、娘にも前科があるしなぁ…これじゃぁうつ一家じゃないの。うつがうつりそう、なんて洒落にもなりませんね。私一人がなんともなくて、申し訳ないような気分です。これは、被災された方々のことを考えては自分は普通にしていていいのかという罪悪感に似ているような…?ちょっと違うかな?沈む気持ちを奮い立たせて、昨日は大阪造幣局の桜の通り抜けに行ってきました。今年はライトアップは中止で、通り抜けは午後5時までだそうです。関西でライトアップを中止する必要なんてあるのでしょうか?妙な話ですね。そんなことしないで、たとえ100円ずつでも見学料を徴収してそれをまるごと義捐金にあてたらいいのに。桜も沢山咲いていて見事だったけど、人波もまた見事でした。そしてもっと見事だったのは、周辺の屋台の充実ぶりです。お店の数も種類も本当に多くてびっくりしました。鮎の塩焼きのお店なんていうのもあって、これは初めて見ました。次の日曜日には、我が家でまた法事があります。その準備が色々あるので、多少は気が紛れそうです。そんなこんなで、なんとか浮かび上がりたいものだと思っています。
2011年04月06日
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東北地方の未曾有の大震災のニュースに仰天し、それに対して発する言葉も見当たらず、動物園の檻の中をうろうろと歩き回るクマのように(いえ、こういってはクマに失礼ですね)何も手につかず、何をするわけでもなく、非生産的な毎日を過ごした3月後半の日々でした。実はまたもや、家族の中で色々と問題が出てきまして…なさけない限りです。どれもこれも、誰が悪いわけでもなく、どうしようもないことなのですが。すみません、詳細は割愛させていただきます。うまく書けそうにもないので。一部だけ報告します。息子の結婚は延期になりました。転勤問題だけではなく、それ以前のことが原因のようです。中止となったわけではないのですが、先行き不透明、どちらかというと暗いかもしれません。残念だ、の一言しかありません(泣)今日は割合に暖かくて気持ちがいい一日ですが私の心は鬱々と晴れません。本物の春が来てほしいです。もちろん、いの一番に被災地に。私にはその後でかまわないので…あらゆる神仏さまにあらぬ力を振り絞って祈り続けたいと思います。
2011年03月31日
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3年ぶりの積雪に驚いた2月も終盤を迎え、今は庭の梅の花もほころび、名前のわからない小鳥たちが毎日遊びにきています。「ベンジャミンのj部屋」の方で、写真と言葉をひとつUPしましたので、よかったらご覧下さい。↓ PhotoPoemこれは義母が亡くなってちょうど一週間後、庭にやってきて半日近く動かなかった鷺です。不思議でした。普段は鷺なんて庭に入って来ません。外飼いの犬がいるので、来たとしてもすぐにいなくなるのに、この鷺はじ~っとしていて、家の中を見つめているように見えました。そのあくる日もういなくなったなぁと思っていたら、車で帰ってきた息子が「車を入れようとしたら、道に鷺が立っていてこっちをじっと見てるねん。全然動いてくれへんから困ったわ」と。これであの鷺は絶対に義母に違いない、と確信しました。 春も近いのですね。昨日は一ヶ月半お休みしたフラダンスに行ってきました。体のあちこちが痛いです(^^ゞ そうそう、息子が海外に転勤になるそうです。あら~、7月の結婚は一体どうなることやら。あぁぁ、体だけじゃなくて頭も痛い…
2011年02月20日
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早いもので義母が旅立ってから3週間が過ぎました。慣習にならって三十五日をするつもりだったのですが、いろいろと事情があって3月初めに四十九日の法要をすることになりました。三十五日にしてしまえば早く終わって楽でいいかなと思う反面、今でも大きな穴がぽっかりとあいた心を持て余しているのに、後飾りまで終わってしまったらその後この穴はどうなってしまうのかと思うと心配です。だから四十九日に伸びてよかったと思います。 法要が終われば、この心にあいた穴はもっともっと大きくなるのか?それとも少しずづ塞がってくれるのか? そもそも一体どうしてこんな大きな穴が空いてるの?そのことが不思議でなりません。 あれほど介護が辛かったのに。早く抜け出したかったのに。 私ほど自分勝手な人間はそういないでしょうね… 葬儀の後出会うほとんどの方が「よくお世話をしてあげましたね、お疲れ様」と言ってくれます。そのたびに身の縮む思いをしています。 いいのかな、こんな言葉をかけてもらっても。夢中で走ってきたけど、家の中という「密室」では虐待まがいのことまでやってしまったこともあったのに。 相変わらず気持ちはぐちゃぐちゃのまま今日も義母の遺影に向かって 「ごめんね」、と手を合わせています。 2月に入ってから寒さが和らぎ始めました。やれやれ一息ですね。
2011年02月06日
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義母の緑さんが永眠しました。別ブログにも少しだけ報告を書きましたが、まだ一体何からお話すればいいのかまったく言葉が見つからず、なんというのか放心状態がずっと続いています。支離滅裂ですが、少しだけ書き始めたいと思います。12月初めの血液検査で肝臓の数値がびっくりするほど高くなっていたので、12月16日に詳しい検査をしたところ肝臓に腫瘍が見つかりました。詳しい病名は「肝内胆管がん」でした。寝込んでしまったのは19日からです。それまでは検査の数値が信じられないほど元気に変わりなく過ごしていました。それから一ヶ月足らずの1月14日午前6時39分、眠りについたままのとても安らかな旅立ちでした。看護師さんがエンジェルメークをしてくださったので、私も一緒に手伝いました。何年か前は毎朝こうやってお化粧してあげたよね、お義母さん。おなかの中ではこの忙しいのに…、と不満タラタラの私だったのに、機嫌のいいときはとても喜んでくれたっけ。ひとつひとつ、いろいろなことがふっとよみがえってきます。実母と同じ年数を共に暮らしたお義母さん。不出来な嫁でした。本当にごめんなさい。どうかゆっくりと休んでください…
2011年01月20日
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皆様、明けましておめでとうございます。今年はなんと新年早々5日に初日記。私としては画期的なことです(笑)我が家は年末からずっと落ち着かない日を過ごしています。年賀状を出すのも迷いに迷った末、元旦に投函しました。こういう時って本当に悩みますね…同じような方もおられるでしょう、皆さんどうしておられるのかな、なんて考えました。昨日は息子と娘を連れて義母を訪問しました。その前日はまったく声を出さなかったのに、その時は二人の呼びかけに反応してくれました。私は聞き取れなかったのですが、娘によると「あんたこんなところにいたらあかん」と言ったそうです。これではまるで「トイレの神様」の歌詞そのものじゃないですか。なんだかねぇ… 切ないです…それにしても今年の冬は寒いですね。おせち料理も暖房をかけない部屋に置いてたら、まるで冷蔵庫に入れてたかのような冷たさ。今日になっても十分食べられました。これで完食です。究極のエコですね!?今夜も冷えそうです。この辺りでもとうとう雪が積もるのかな?
2011年01月05日
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いいこととそうでないことは、往々にして同じ時期に起こるものなのでしょうか。息子の結婚式の日取りは7月初めに決まりました。できるだけアットホームな式と披露宴にしたいという二人の希望で、場所は神戸の海の見えるテラスでの挙式がウリのところに決めたそうです。素敵だとは思うのですが、お天気が心配です。まぁそれは神頼みですね。あくまで当人同士にまかせて私たちは一切口を出さないと決めたので、二人を見守っていくのみです。(本音を言えば、暑い時期なのでホテルのようにすべて室内で、というのがいいんだけど)次の日曜日に両家顔合わせの食事会をします。両家それぞれのきょうだいも含めて総勢8人です。緊張するけれど、楽しみでもあります。「いいこと」はこのように着々と事がすすんでいくのですが…「よくないこと」これは緑さんです。別ブログ「緑さんと葵さん」にも書いたのですが、姑が肝臓がんであることがわかりました。なんというのか、気持ちは本当に複雑で…ただただ残念な思いが強いです。この上にまだ病気を背負ってしまった姑が可哀相でなりません。あちらにも書いたように急変もあるというので、気の早い夫はもう葬儀の段取りを始めました。知らせる人のリストづくりやお手伝いをお願いする段取り、そして遺影の写真の用意。これは10年以上前に本人からこの写真を使ってと渡されたスナップ写真があるのですが、どう見ても30年近く前の写真です。もっといいものはないかと探していますが、なかなかないものですね。そして喪主の挨拶の原稿をこっそり書きかけていたらしいのですが、偶然に見てしまいました。本人の略歴の紹介の後に綴られていたのは「精神的に不安定になり介護が必要になった時、妻が献身的に介護してくれたことに感謝の言葉もありません。本人は感謝を表すことができなかったけれど心の中では手を合わせていたに違いありません」これを読んで、うわ~どうしよう、と慌てました。まず私は献身的な介護なんてしませんでした!いつだっていい加減で自己中で愚痴ばかり吐いて周囲に八つ当たりばかりしていました。夫だってよく知っているのに、こんな見栄をはらなくてもいいではないですか。この部分は断固削除してもらいます。こんな文を読まれた日には私、もうどうしていいやら身の置き所がないと思います。来年はいいことと悪いこと、どちらの方が多いのでしょうか。これを読んでくださる皆様にはどうかいいことばかりの年でありますように心から願っています。どちらさまもどうかよいお年をお迎えくださいね。…ちょっとばかり早い年末のご挨拶でした。
2010年12月21日
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ずいぶん寒さが増してきました。トップの写真もいつまでも秋の花というのも無粋なので変えてみました。最近使わせていただいてるトップの写真は、大好きなPIPOさんのサイト「吹く風と草花と」でお借りしています。いつもありがとうございます!さて、このたびやっと我が息子の結婚が決まりました。ここに辿り着くまでの紆余曲折ぶりときたら、ロングバージョンのテレビドラマにできそうなほどでした。ことに今年の秋にはどうなることかとハラハラ・ドキドキの大きな山場がありました。居てもいたたまれずに、ここでも愚痴を聞いてもらおうとして書いた日記の長い下書きが今でも残っています。日の目を見ることがなく終わって本当によかったです。ずいぶん心配したけれど、結局は「雨降って地固まる」この諺通りになりました。昔の人はいいことを言ったものですね。あぁやれやれです。安心して気がぬけました。結婚式の日取りはまだ決まっていません。今式場探しの最中です。もしも希望のところの空きがあれば6月になると思いますが、今からではどうなのでしょう?無理かもしれませんね。その場合は秋に延びる可能性大です。あ、お相手はここでもたびたび登場した5年来のおつきあいのMちゃんです。また何かネタになることがあればご報告いたします。但し … 万が一にも再びのどんでん返しがないことを祈るばかりですが。
2010年11月28日
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昨日、映画「桜田門外ノ変」を観てきました。夫と二人で、もちろん50歳以上の夫婦割引利用です。この割引は本当にありがたいです。だって二人で2,000円ですよー、安い!昔むかし、ロードショーの学割がこのくらいの値段だったよね…と夫とも話していました。夫が免許証を握りしめながら(どちらかが年齢を証明するものを持っていればいいのです)窓口で座席券を購入しようとすると、受付のお嬢さんがにこやかにこう言いました。「通常購入になります。お二人とも50歳を越えておられませんよね?」…本気で言ってる?それとも儲けようとしてる、または社交辞令?あわてて、「いえ二人とも越えてます!」と私が言うと「え、本当ですか!?すみません、証明になるものを…あ、お持ちですか、拝見します」無事に二人で2000円で観れました(^_-)-☆二人とも50歳以上だと告げた時に、受付のお嬢さんが本当に驚いた表情をされていたので、私としてはかなり気分がよくなったのですが、夫はそうでもなかったようで。「アラ還なのに50歳以下に見られるなんて問題やなぁ~」とブツブツ言ってました。男の人はあまりに若く見られるのは嫌なものなのでしょうかねぇ?本題の「桜田門外ノ変」ですが、私的にはイマイチでした。途中で眠たくなっちゃいました。ということは、それほど挽きつけられなかったということです。登場人物みんなに共感できないというか、心情がよくわからない、というか。大老の殺害に至るまでの過程をもう少し説明して欲しかったなぁ。有名な事件だから必要ないのかな。それにしても釈然としなくて。終わった後もなんだか虚しさだけが残ってしまいました。唯一よかったのは加藤清四郎くんの演技。相変わらずとても可愛くてけなげで胸キュンでした。彼には今以上大きくならないで欲しいな…無理だけど。今度は何を観ようかな。年齢のせいか、最近は邦画の方が見やすいのです。なぜでしょう、もしかしたら字幕を読むのがしんどいのかも。
2010年10月22日
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本来ならこれは別ブログ「緑さんと葵さん」に書く内容だと思うのだけど、あえてこちらに書きます。なぜなら、あちらのブログは家族も読んでいるので。先日、姑が入所しているグループホームで家族会がありました。夫は地域の会合があったので、私が行って来ました。集まった人数は少なくて、5家族6名。全部あわせたら18家族になるので、出席率は低いですね。皆さんお忙しいのでしょうか。難しい話をするわけでもなく、ただ集まってホームの職員さん(4名出席)と和やかにおしゃべりをしただけです。こちらの要望や感想もしっかり聞いてくださるし、言いやすい雰囲気をつくってくださるので有難いです。どなたも何も仰らないのですが、いつも一言多い私は、今回も要望を伝えました。内容は、以前来てくださっていたレクリェーション専門のパートさんが家の事情でやめられてからは、歌や体操などのレクリェーションがすっかり減ってしまったように思うので、できればまた増やしてもらえないか、ということです。善処します、と力強い約束をしてもらいました。一通り話し合いが終わり、雑談になりました。そこでホームに入る前の在宅介護の様子の話になりました。他の方は離れて暮らしていたり、また認知症が比較的軽かったのでそれほどではなかったようですが、私が思わず「ものすごく大変でした…地獄の毎日でした」と漏らしてしまい、問われるままに3年前の様子(ホームに入所してから今で2年と4ヶ月です)を語るうちに泣いてしまいました。自分でも思いがけない涙だったのでびっくり、そして恥ずかしかったです。これは、ある方が「jiadaoさんはお嫁さんだものねぇ。そりゃぁ辛かったでしょうね。」と仰った一言が涙のきっかけでした。そういえば来ておられた方はみんな本人の娘さん。一人だけ関係は他人だけど同居していた、という人がおられました。3年前の今頃。本当に、本当に… 悪夢でした。今ならもう笑って話せるかな、と漠然と思っていたのですが、そうでもないようです。この記憶が風化するには一体どのくらいの年月がかかるのでしょうか。こんな思いを息子の伴侶となってくれる人には絶対に味あわせたくないです。もちろん娘にも。そのために何を準備したらいいのでしょう。今のうちにできることって何があるのかなぁ?認知症になってからでは遅いのです。やっぱりお金?意思表示したものをちゃんと残すこと?その他にも妙案はないでしょうか…
2010年10月04日
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昨日の夕食メニューです。正直に書きます。1.野菜炒め山盛り(豚細切れ肉・キャベツ・玉ネギ・人参・青梗菜・もやし)2. しらすのみょうが和えをのせた冷奴(豆腐。しらす干し。みょうが。青じそ、白ねぎ)3. もずくの三杯酢(もずく。オクラ)4, 大学芋風サツマイモ蒸し煮(サツマイモ)5, 茄子とピーマンの味噌煮(茄子、ピーマン)6, 白菜キムチ(市販品)これだけあれば十分だと思っていたのにご飯を食べる段になったら、おかずが全然残っていませんでした。後どんなものを加えたらバランスがよかったのでしょうか?自分ではどうもわからないので、ぜひ皆様のアドバイスをお待ちしております。このうちの「しらすのみょうが和え」は9月6日に木下優樹菜ちゃんがNHKの「スタジオパーク」というテレビ番組で紹介していたものです。番組を見た時は「何打これ、料理ともいえない料理じゃないの」と醒めて見ていたのですが、一緒に見ていた娘がつくりたいと言うので、その日に早速材料を用意しました。超簡単です。手際の悪い娘ですら、あっというまに完成。なんたって野菜を細かく切ってしらす干しと和えてごま油・しょうゆ・塩で味付けするだけ。優樹菜ちゃんはこれを韓国海苔で巻いておつまみにするといいと言ってました。韓国海苔じゃなくて普通の海苔でも十分いけるし、冷奴にのせるとか、ご飯にのせてもいいです。馬鹿にしていたけど、簡単で思いがけずとても美味しいので、今日で三回目の登場となりました。みょうがが嫌いじゃない方はぜひお試しください。詳しいレシピはスタジオパークのHPにありますが、そんなもの見なくても適量でOKだと思います。4の大学芋風さつまいも煮というのは、お隣のおばさんに教えてもらいました。さつま芋を揚げずに、フライパンで最初にサラダ油・砂糖・を混ぜといて酢・しょうゆ・みりん・水をほんの少々だけ加えてそこにさつま芋の乱切りまたは拍子切りを並べて蒸し焼きにするというものです。途中で一度ひっくり返すだけなので、これも簡単。でも油が少なくてすむのでヘルシーであっさりと美味しいです。これは分量が必要ですね。知りたい!と仰る方があれば、また書いてみます。今日は何をつくろうかな~こちらの方もアドバイスをお願いします。
2010年09月17日
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夫は肝炎発覚以来、一滴もアルコールを口にしていません。昔は毎日ビールや焼酎やワインを飲んでいたというのに、今となっては嘘のようです。医師によっては少しくらいならかまわない、と言われるそうですが、夫は最初の主治医に「飲んでは駄目、やめときなさい」とにべもなく言い切られ、以来一切やめてしまいました。その精神力には脱帽です。昨年、アルコール0パーセントの完全ノンアルコールビールが発売され、夫は嬉々としてそれを飲むようになりました。今年になってさらにアルコール・カロリーゼロという商品が各社から発売され、あれこれ買ってみた末、今では3種類のノンアルコールビールが我が家に常備されています。私も時々飲んでみますが、今年発売されたサントリーのオールフリーが一番甘味が少なくビールに近い味わいがあって気に入ってます。なんといっても「カロリーゼロ」に惹かれます^^昔夕食にビールを飲んでいた頃はおかずも沢山食べて、食事の時間はいつ終わるかというくらい長く、私自身もビールは好きで同じように飲みたい方なので、おかずやおつまみもつくりがいがありました。禁酒を始めてからノンアルコールビールが出るまでは、夕食はあっさり終わるようになりました。おかずもそんなにいらないと気づき(残ってしまうので)、楽だったけど味気なかったです。私も一人で飲むのも気が引けるのですっかりやめていました。それがノンアルコールを飲むようになってからは再び長い夕食となりました。(私は発泡酒350ml一本を飲みます。)おつまみを用意する楽しみも復活しました。食事が長いとその分会話も弾みます。ありがたや、ノンアルコールビール。「これが出てきてくれて本当によかったね。」二人でいつも感謝しながら明るい夕食タイムになっています。つい先日、近所のEさんとお話する機会がありました。「Tちゃん(夫の名前。Eさんは夫よりも少しだけ年上の幼馴染。)はもう全然ビール飲んでないんだって?好きだったのにねぇ、かわいそうに」と言うので、「今はノンアルコールのが色々出てるので、それを飲んでますよ」「え~、ノンアルコールビール?あれ、すっごく不味いじゃないの。あんな不味いもの、飲まないほうがマシじゃない?」「……」何も言えませんでした。心の中ではなんという無神経な発言だろう、と怒りが沸々。夫の病気のことはEさんもよく知っているのに。そりゃEさんには超不味いのかもしれないけど、それを有難がって飲んでいる夫が不憫です。(実際、サントリー以外のノンアルコールビールは私もあまり美味しくはないと思ってます。)このこととは関係ないのですが、もう一人、無神経つながりでこれまた近所のYさん。近所のお葬式の手伝い合いで同じ班なので、あるお葬式で顔を合わせたときのことです。各戸2名ずつお手伝いを出すことになってたのですが、夫は2回目の肝炎治療の入院中だったので私一人で手伝いに行きました。「あら、今日はTさんは?」「今入院中なんです。手伝えなくてすみません。」「ふ~ん。いいわねぇ、手伝わなくてすんで本当にうらやましいわ。私も入院したかったわ~」とても冗談には聞こえない言い方だったので、この時も怒り沸々でした。家に帰ってから、娘相手にこのことを言って怒り狂ってしまいました。(娘はかなり私を怖がっていたかも?)どちらも悪気はないとは思うのですが…こんなことで怒る私は心が狭いのかなぁ?ともあれ、きっと私も気づかぬうちに無神経発言をやらかしているのかもしれません。できるだけ、気をつけたいものです。
2010年09月15日
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昨日の私の近況報告で、大切なことを書き忘れていました。実は私、このたびフラダンスを始めました!と言っても自主的に始めたわけではなくて、いわばつきあいでしぶしぶ始めたのですが。始めたのはこの5月、もう3ヶ月たったとはいうものの、月に2回だけのレッスンなのでなかなか覚えられずまったく進歩もみられませんが、これが案外楽しいのです。ハワイアンは音楽が陽気で楽しいので、いい気分転換になります。少々手が曲がっていようが腰が振れていなくてもステップを間違えても、とくに厳しい注意は受けません。このゆるさ加減がまさに私向きです。で、先日踊っているところを写真に撮ってもらいました。自分ではそれなりに格好良く踊っているつもりでいたのに、写真は正直です。帰宅して娘に見せると「これ、フラダンスというより槍投げのフォームじゃん」という冷たいお言葉…確かに。体が斜めになってるのです。それも私だけ(>_
2010年09月06日
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相変わらず暑いです。お盆が終わって以来暑さがさらに増してきて、9月に入った今も猛暑日が延々と続いています。毎日毎朝、もう駄目だ・こんな暑さではきっと今日こそは倒れてしまう、と覚悟を決めるのですが、幸いにもまだ倒れてはおりません。それにしてもこんなにエアコンをかけ続けた夏は初めてです。秋の訪れは一体いつになるのでしょうか。気が遠くなりそうですね。特定健診では格別に悪いところなし(悪玉コレステロールが少しだけ高値)と太鼓判を押された私がバテバテで掃除も何もせずに家でごろごろしているというのに、肝炎持ちで最近肝臓機能の数値が悪いほうへ上がり気味の夫がこの暑さの中、今日もゴルフに出かけて行きました。ゴルフ行きの朝は大変です。4時起きでまだ薄暗い中を畑に出て行き一仕事・その後犬の散歩・今日は子ども会の廃品回収の日なので、大量にたまっていた廃品を軽トラックで回収場所に持って行ってくれました。そしてやっと朝食。朝からがっつり食べます。普段からご飯の量は朝食が一番多いです。そして持参する飲み物の準備。前日からつくって冷やしておいたスポーツドリンク・お茶・アミノ酸系飲料・各種とりあわせて小型クーラーバッグに。首に巻く冷却材等も準備した後、軽く素振りをしてやっと出発して行きました。このように普段の生活からは一体この人何処が悪いの?という感じで、私でさえも夫が病気持ちであることを時々忘れそうになります。周囲の人から見ればなおさらのようです。もっとも、症状が外に出るようになれば、それは既に病気がかなり進行しているということになるわけで、今の平穏な時期を大切に過ごさなければといつも考えてはいるのですが。近所に肝炎仲間が何人かおられます。そのうちのお一人、Sさん(男性・アラ還世代)もインターフェロンが効かなくて肝臓庇護療法をずっと続けてこられたのですが、先日肝臓がんが見つかってラジオ波で治療したというショックなニュースを耳にしました。必ずしも肝炎→肝硬変→肝がんという道を通るわけではなく、Sさんも肝炎から肝がんになったということで、あぁやっぱり油断はできないんだなぁと改めて思い知りました。Sさんももちろん定期健診はずっと続けておられるので、早期にがんが発見できて治療できたわけですが、肝炎のウィルスが消えない限り再発は必至のようです。でも、「まだまだ頑張りまっせ~」と夫には明るく笑っておられたということです。頑張れ、Sさんも夫も。私も頑張りたいところなのですが、如何せんこの暑さ…誰かなんとかしてください。私の夏バテ以外の近況を少しだけ。目下のところ一番の興味は民主党の代表選挙。どちらになってもたいして期待できないと思いながらも心の何処かでは期待する気持ちも。今嵌っていることはリビングの整理整頓。イケアでテレビ台と収納家具を購入しました。組み立てはもちろん夫です。綺麗になるのは楽しいですが、整頓するそばからちらかしていく夫に腹を立てつつというのもストレスがたまります。まさにイタチごっこです。気が向けば、綺麗な状態の時をねらって写真を撮ってアップしようと思っています。片付け始めたきっかけは近所のお葬式で、これについては話せば長いのでまたいずれ。中断していたクロスステッチを再開しました。先日3年前から放っておいたものをひとつ仕上げ、今新しいものにかかっています。これも気が向いたら…少しだけ、と言いながらだらだら長くなりそうなのでこの辺にします。簡潔にさらさらと書ける人に憧れます。たとえば、楽友の桜さんのように。桜さんのページ
2010年09月05日
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おひさしぶりです。ネット離れしているうちに私のパソコンが壊れました。なぜ壊れたのでしょうか?カラちゃん(夫の兄)がある日ウィルス対策のソフトのシリアルナンバーを3つ持ってきてくれました。なんでも、カラちゃんは某社の株を持っていて、そこからサービスとしてウィルス対策ソフトを5台分もらったそうで、自分の家で2台インストールしたので、余った3台分のナンバーを我が家のパソコンに入れるようにと持ってきてくれたのです。夫のパソコンには正規のソフトが入っていて、有料で更新しているので不要です。で、私のパソコンに入れてあげる、と頼みもしないのに勝手に入れてくれました。入ることは入ったのだけど、その日から私のパソコンはまったく動かなくなってしまいました。あわてて、夫のパソコンを使ってネットで調べてみると、同時期にそのソフトを入れた人からの不具合の苦情が目白押し…正規にもらったものなら文句も言えるけど、本来は譲渡してはいけないものらしいので、苦情のひとつも言えぬまま、泣く泣く修理に出し、データはすべて消えてしまい、初期状態になって戻ってきました(涙)修理代は15,000円。タダほど怖いものはない、とはよく言ったものです。皆様も気をつけてください。というわけで、ますますネット離れしたころから、またもやテレビドラマ鑑賞に嵌ってしまいました。今見ているドラマ、また見ていたドラマ。(終了したものもあります)「パンドラ」「チェイス」「アイリス」「月の恋人」「プロゴルファー花」「素直になれなくて」「八日目の蝉」「離婚同居」「同窓会ーラブ・アゲイン」「龍馬伝」「ゲゲゲの女房」文字通り、テレビづけの毎日です(^^ゞ他にも見たいものがあるのですが、DVDの容量が足りなくて録画できません。夫がゴルフやら鶴瓶に乾杯やら朝までテレビやらテレビタックルなども録画しまくるもので。容量の大きいブルーレイに買いかえたいけど、やっとDVDの操作に慣れたのにまた一から覚えるのも大変だし。悩みどころです。(そんなことが悩み?と思われた皆様方… 本当に、本当にごめんなさい!)
2010年06月02日
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え~と、前回は何を書いたっけ?と、相変わらずとぼけたことを言ってます。色々あった気もするんだけど、何もなかったような気もします。年末からずっと心がふわふわ浮いていて、何もかもが上の空、といった按配で。元々物事を深刻に考えるのが苦手な私は、目の前に降りかかったことをなんとか避けようというか、見てみぬふりをしようというのか、とにかく駄目なんです。すぐに他の事に気持ちを逃避させてしまうのです。とは言っても、そうそうぼ~っとばかりもしていられません。実母が入院しました。また転倒して骨折したのです。今度は大腿骨のてっぺんで、手術は必要ないのですが母の性格をよく知るかかりつけの医師が、一週間ほど安静にするほうがいいと入院をすすめてくれました。前回のときには、入院すると足腰が弱ってそのまま寝たきりになりかねないので家で養生しなさい、と言われたのに?入院するのとしないのと、どちらがいいのかよくわかりません。どちらもやってみないと結果がわからないのではないでしょうか。本人は、転倒した後トイレが間に合わなくて尿で衣服を一式びしょびしょにしてしまったことをひどく恥じていて、迷惑をかけたくないから入院したい、と言いました。たまたまその時の洗濯と掃除は私がしてあげられた(義母の排泄の世話に比べたらこんなこと何でもありません)けど、男性である弟には絶対にさせたくないようです。以前の圧迫骨折の痛みが大分ひいてきた頃に、新たな骨折ということに対してもめげているようで、あまり元気がありません。食欲だけはあるようで、昨日も出された昼食をおかずは全部食べてご飯が少しだけ残ったのですが、下げにきてくれた職員さんに「それ、晩にまた食べますから置いといてくださいな」と頼んでいました。職員さんは「晩にはまた沢山出ますから、それを食べてくださいね」と微笑んで持っていってしまいました。母は「あのご飯どないするんやろ、もったいない…」といつまでもぶつぶつ呟いていました。戦前から戦後の混乱期を過ごしてきた母の心中を思うと、またホロリときてしまいました。早く退院できるといいな、と思う一方家に戻ったらまた同じ事を繰り返すのかな、という気持ちもあるし、今後どうすればいいのか考えがまとまりません。
2010年02月11日
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あっちもこっちも、下書きがたまる一方です。アップできないままに時が流れてまったく時機を逸した日記になってしまってあ~ぁ、何やってんだろ、私…昨年末に実家の母が庭で転倒しました。その時点では骨折はしていない、と言われたんだけど数日してから痛みが増してそのままいっこうに治らないので再度レントゲンを撮ってもらうと「第一腰椎圧迫骨折」という診断でした。最初の転倒の影響で痛む部分をかばって無理な動きをしたために元々弱っていた骨がつぶれてしまったのだろう、ということです。圧迫骨折だといっても、特に積極的な治療などなくて、コルセットをつくってもらってそれをはめた後は日がな一日、痛い痛いと言いながらごろごろしているだけです。3週間ほどほとんど横になっている生活が続き、妙な言動が増えてきました。忘れっぽいのは以前からあったけど、もっと被害妄想的な感じ…?(たとえば物の置き場所がわからなくなり、それを人のせいにする…私や弟など。そしてそのことをまたすぐに忘れる、といったような。)まるで、かつての義母の姿を見ているようでした。義母も腰椎圧迫骨折で長い間寝込んで、その後だんだんと様子がおかしくなったのでした。母もこのままあの義母のコースを辿っていくのだろうか。不安と悲しさで混乱したけれど、くよくよしていても始まりません。弟とも相談して、今までの家事援助サービスに加えて、痛みが少しおさまってからデイサービスに行ってもらうことにしました。母は「要支援1」なので、デイサービスは週一回が限度です。今日がその体験日です。義母の時は、既に本人が何もわからない状態になってからの利用だったので、持ち物も私が用意して体験の日は付き添いで同行したのですが、実母の場合は自分で喜々としつつ一週間前から荷物を用意していました。もちろん一人で行く気満々。驚いたことに、持ち物に名前を書かないといけないのですが、タオル等にはマジックではうまく書けないから、と言って糸で縫い取りをしていました。それもイニシァルをアルファベットで。大変綺麗に縫っていました。子どもの頃につくってもらった刺しゅう入りの手提げカバンが目の前によみがえってきて、ちょっとばかりジ~ンときてしまいました。う~ん。これはまだまだ大丈夫かな?そういえば、痛みがひいてきた頃からはあまりおかしなことも言わなくなってきたような。私も経験を活かして、どんなに頓珍漢なことを母が言っても否定したり笑ったりせずに穏やかに接してきたつもりで、それもよかったのかなと思っています。その点義母には本当に申し訳ないことをしたと思います。無知だったとは言え、さんざん怒ったり頭から「駄目!」と言ったりして、それがどんなに義母を傷つけてしまっただろうと思うと後悔の念で一杯です。きっと本人が一番不安だったのだろうと思います。…今になってやっとわかることです。本当にごめんなさい、お義母さん!母も今後どうなっていくのか、それはまったくわからないけれど出来る限りの見守りをしてあげたいと心に誓っています。と、奇麗ごとを言ってますが。実際はきっと愚痴や泣き言のオンパレードになることでしょう。どうかまたおつきあいの程よろしくお願いいたします。
2010年01月23日
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遅ればせながら、明けましておめでとうございます。やっとトップの写真を変えました。新年7日目…今年はまだマシな方ですね、はい。相変わらず周りで次々と起こるな出来事に振り回されながらも、去年はなかなかにいい一年でした。ひとつ悲しい出来事は亡き実家の姉の愛犬が9月に15歳で亡くなったことですが、これも年齢からいっても仕方のないことだったのか、と。今頃は空の上で姉と先代の犬たちと仲良く過ごしてくれていると信じています。いいことというのは、懐かしい旧友との再会が相次いだことです。16年ぶりに大学時代の親友と。17年ぶりにママ友と。6年ぶりにママ友と。毎日頑張っていれば、こんないいこともあるんだなぁとしみじみ…このママ友さんというのは、知り合った場所は別々ですがどちらも子供二人が同い年。大人になってから、それも「ママ友」から始まってこんなに長く続く友人ができるなんて昔は思ってもいませんでした。私のようないい加減でつきあいの悪いヤツを忘れずにいてくれる旧友達に感謝しています。今年も嬉しい再会があればいいな。いつも受身な私なので、今年は私からアクションを起こしてみようかな。とりあえず、今年もマイペースでやっていきます。皆さま、本年もどうぞよろしくお願いします。
2010年01月07日
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今日は冷たい雨の降る一日。とても寒いです。夫が一泊のゴルフ旅行に行ってしまいました。元々の予定では、午前中無料の健康体操教室に行ってその後同行する友人達とランチをして、夕方は実家へ行って母とご飯を食べようと予定をぎっしり入れていたのですが、全部キャンセルしてしまいました。3日前から頭が痛いのです。熱っぽい気もするのですが、測ってもたいした熱はありません。(体温計がこわれているんじゃないかと疑ってます)痛いのは頭だけじゃなくて、耳の奥とのどの奥の方も痛いし口内炎かな?、口の中も気持ちが悪くて。で、朝6時前に夫が出発した後、何もせずに床暖房の上にねっころがってずっとごろごろしています。お昼に昨日知人にもらった手作りのクリームパン1つと牛乳を飲んだだけで、コップもまだ洗っていません。風邪かな?もしかしてインフルエンザ?熱がないから違う?病院に行ったほうがいいのかなぁ。でも雨も降ってるし、出かけたくない。熱もないのに病院に行ったりしたら本物のインフルエンザをもらうかもしれないし…それならば家でゆっくりしてPCで遊ぶことにしようかな。でも、もしもインフルエンザならば早く薬をもらったほうがいいんですよね?う~ん。堂々めぐりの一日です。明日になってもよくならなかったら病院に行ってみます。病院と言えば、先月受けた市民検診の結果がよくなかったらしくて、個別の保健相談に呼び出されてしまいました。今週の金曜日、20日に行ってきます。(私はたいして気にしていないんだけど、夫がこの世の終わりかのように心配しています(笑)。じたばたしても仕方ないし、なるようになれです。)なんだかあちこちとガタがきてますねぇ。
2009年11月17日
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7日の土曜日にアリスのライブに行ってきました。その様子はこちらで↓ベンジャミンの部屋「こころもよう」 アリス お帰りなさいアリスには本当に本当に、語りきれないくらいの大切な思い出があるのです。高校時代の「友達以上恋人未満」だったA君への想いともかぶります。(私ってこんなんばっかり。「恋人以上」になれた異性って、夫だけかも?!)語りたいのはやまやまだけど、あの大切な記憶はうまく表現できそうにもないし、心の奥に閉じ込めたままにしておきます。アリスの曲は、有名になった後期のものよりもごく初期の素朴なものが好きです。好きな曲は数あれど、一番となるとやっぱり「明日への讃歌」かな。それも、アコースティックギターとコンボだけの伴奏のアルバム版のが好き。♪ 明日から私はひとりじゃないの 短く苦しい人生だって あなたとならば 悔やみはしない ♪「明日への讃歌」サビの歌詞です。
2009年11月09日
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ず~っと以前にここでお話したことのある、我が家の27年物冷蔵庫を9月の終わりについに処分しました。まだ動いてたし、ちゃんと冷えてもいたのですが、なにしろ音がやかましくて、これはもうさすがに買い替え時だなぁ、と。ちゃんと娘の許可もとりました(笑)電器店のお兄さんに27年使ったことを言うと、「それは新記録ですわ。今まで聞いた中で最高は25年でしたよ、ギネスものですね!」と、めでたく彼の中のギネスブックに認定してもらえました。10月に一斉にモデルチェンジをするらしく、その直前なら価格が下がるそうだし、今ならエコポイントもつくし、ということで何度も電器店に足を運んだ末に新しい冷蔵庫を購入しました。新しいものはやっぱりいいですね!なんと言っても音が静か。今までのあのやかましさは一体何だったのか…こんなことならもっと早く買い換えればよかった。そして間違いなく省エネです。うちは「エコウィル」というガス給湯器で発電するというものを使っているので、それを見たら電力消費量がわかるのです。いつ見ても確実に100Wは消費量が下がっています。容量は以前の400Lから501Lに増えたというのに、こんなに省エネ♪そしてそして、私が一番感激したのは、自動製氷の機能です。皆さんのお家でも氷は自動製氷ですか?今どきはこういうのが主流なんですね~私はこういうのが初めてなもので、初めて氷ができるまでの間はドキドキそわそわ。氷が落ちるときに「カシャ」という音がすると説明書にあったので、いつその音がするのかと一日中冷蔵庫に側で待っていて、やっと聞きました!それはかすかな音でしたが、間違いない。氷の部屋を開けてみると、おぉ、氷ができている!どうやってタンクから水を入れてそしてできた氷を落としているんだろう?スケルトンの見本があればぜひ見てみたいものです。でも…こんなことでいいんでしょうか?このような冷蔵庫しか知らない子供たちは、製氷皿に水を入れて冷凍室に入れる、という動作を知らないままに大きくなるのですよね。それは和式便所を知らないままに大きくなる子供たち、はたまたIHクッキングヒーターしか知らなくて、炎を知らない子供たち、等にも相通ずるのでしょう。それでいいんですかねぇ?それからもう一つ。今の冷蔵庫はラップなしで食品を入れてもOKなんですよね?本当に?いまひとつその勇気?が出なくて、購入してから一ヶ月以上たった今でも、私は相変わらずラップをかけてしまいます。匂いの強いもの以外はラップなしでOK,と説明書にありますが、どんな食品にも少しは匂いがありますよね。絶対に匂いうつりがする気がしてなりません。また、本当に水分が抜けてしまわないのかと心配で…ラップなしで使っておられる方、どうか私にラップなしで食品を冷蔵庫に入れることのできる勇気を与えてください…
2009年11月04日
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今日の夕食のメニュー。サバの煮付けイカと里芋の煮物(里芋は自家製)しいたけの網焼きスダチしょうゆがけ(大きな自家製しいたけを沢山知人からいただきました。スダチもいただきもの。)湯豆腐野菜サラダ(自家製レタス・ラディッシュ・なぜか一本だけぽろりと出来ていたきゅうり)お味噌汁白いご飯大根の間引き菜の即席漬け(自家製)和風で頑張りました。自分の好物を並べただけ、という感じも否めませんが、まぁいいでしょう。この中でひとつ苦手な作業があります。それはイカをさばくことです。魚は平気なのですが、イカの何が怖いかというと足の吸盤です。もう死んでいるというのに、なぜにあの吸盤は手にくっつくのでしょうか。あれが怖くて怖くてたまりません。吸盤にとりつかれているまさにその時にイカの目がじっと私を見ているのもたまりません。(実際には見ていないんだろうけど、そんな気がして…)あ~怖い。それさえ我慢すれば、後は美味しい煮物の出来上がり。煮物を含めて、下ごしらえはほぼ終わりました。はっきり言うと、私はイカに限らず料理全般が苦手です。あまりセンスがないと思います。でも農家の主婦だし、自家製の野菜はいちどきにワンサカ収穫できるので飽きずに食べる工夫も必要なので、私には荷が重いのですが毎日奮闘しています。皆さんはいかがですか。料理は好きですか?得意ですか?
2009年10月30日
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先週、大好きな格安日帰りバスツアーにて伊賀上野と曽爾高原に行ってきました。写真はこちらに載せています↓ベンジャミンの部屋「こころもよう」一面の銀色の波のようなススキの群れは壮観でした。伊賀上野もいい所でした。昔ながらの商店街や寺町の街並みが今も残されています。この日帰りバスツアーは今回でたぶん6回目くらいでしょうか。犬が家にいると、どうしても泊りがけというのは制限されます。(旅行に連れて行くというのもアリなのでしょうが、ちゃんと躾ができてないのであまり自信がない…)その点日帰りだと気楽にホイホイと出かけられます。長時間一匹で留守番させるのは同じことなので、少し可哀相かも。格安だけあって、お昼ごはんはあまりたいしたことはないです。格別に不味いとも思わないけど、物足りなさは否めません。6回目にもなると、さすがにちょっと飽きてきました。そこで、次回は11月。今度は少しグレードアップします。同じ日帰りツアーだけど、旅行社も変えてお値段も少し奮発して。これまでは夫と行くことが多かったけど、次回は近所の嫁友さん、通称「3バカ嫁ズ」で行きます。夫に悪いなぁ、と一瞬思ったけどよく考えたら全然悪くないです。なぜなら、夫は今日明日、やはり近所の「4バカゴルファーズ」で一泊のゴルフ旅行に行ってるからです。私たちも手始めは日帰りだけど、ゆくゆくは北海道か沖縄くらいにまで足を伸ばそうね、とひそかに話し合っています。いつもいつも夫婦一緒じゃなくて、それぞれが色々な場所に一緒に行ける友人を確保しておくことはこの先絶対に大切なことだと思うようになってきました。ところでその11月の日帰りツアー、夫に「何処へ行くの?」と聞かれたのですがさて、何処だったかしら…一度夜に相談という名目で飲み会をしてそこで決めたのだけど…ダメだ、思い出せません…
2009年10月27日
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ご無沙汰しました!しばらくログインさえしていなかったので、またまた管理画面が変わっていることに驚きました。取り残されないようにしなきゃ…ずっと日記を書かなかったのは、特に何があったというわけでもなく、ただ気がのらなかっただけです。のぞき続けてくださった方々には本当にすみません。私自身も私の周りも何も変わらず、(ひとつだけ悲しいことがありました。それはまた気が向けばいつか。)淡々と毎日が流れていきます。そんな中、先日まで私が嵌っていたのは、再放送のドラマ「白い巨塔」を見ることでした。原作は山崎豊子さん。2003年に放映されたの唐沢寿明さん主演の分です。当時は見ていなかったのですが、なかなか面白いドラマですね。一日に2話ずつ放映するので、結構時間をとられました。例によって途中で邪魔が入ることがよくあるので、全部録画をして見続けるという形で。その再放送も終わってしまいました。で、やはり原作を読んでみたくなり、ある日近所の古本屋に行きました。あるある、一冊105円で全5冊。続編もあるけれど、これはまた今度にしよう。いそいそと帰ってきて5冊並べてみると…あらら、第一巻が2冊あって、第二巻がない!ショック~店員さんもどうして一言言ってくれなかったのかしら、と嘆き怒っていると横から娘が一言。「気づかなかったんじゃないの?きっと交換してくれるから、また明日にでも行けばいいじゃん。」そうか…自分の迂闊さを棚にあげて人に腹をたててはいけませんね。翌日レシートと5冊全部持参してワケを話したら、快く交換してくれました。ただし、105円の分はなくて、少し新しい版の350円のものになってしまいましたが。これでようやく腰を落ち着けて読むことができます。ただ今2巻目の途中。ドラマは大筋は原作通りだけど、かなり現代風にアレンジされていたことに気づきます。昔の田宮二郎さん主演のドラマだったら、この原作の雰囲気に近いのかなぁ?そしてその翌日。今度はいつも行く近所のスーパーでのこと。買い物を済ませて帰ろうとしたら、あらら自転車のカギがありません…数日前に、カギにつけていた小さな人形がとれてしまって、ヒモだけくっついた状態になっていたのでカバンに入れてしまうと探しにくいから、手にヒモを巻きつけたまま買い物をしていたのです。何処にもない、ということはお店の中に落としたのでしょう。店員さんも一緒に探してくれたけどとうとう見当たらず。仕方なく合鍵を家に取りに戻り(もちろん歩いて)もしカギが見つかったら連絡してくれるように頼んで帰ってきました。嬉しいことに2日後にお店から連絡がありました。陳列台の中に落ちていて、商品の入れ替えをするときに気がついたそうです。あぁ失敗ばかり。でも、今のところこういう小さな失敗ですんでいるので、まぁよしとしなくちゃね。これぐらいのことだから、日記にも書くことができるというもの。そのうちに大失敗をしないように気をつけようと思います。
2009年10月18日
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私は音痴の上に運痴です。変換できなかったけど、「運痴」ってわかります?要するに運動ができないという意味ですね。カラオケはもう当分いいや、と思っていたら今度は同じ会の上部団体の面々でのボウリング大会に出る羽目になってしまいました。ボウリングなんて子供たちが小学生の頃のPTA主催のボウリング大会の時以来。かれこれもう20年近くもご無沙汰です。あの時も何かしらPTAの委員をやっていて、数合わせのために仕方なく参加したのだけど、どういうわけか準優勝してしまって商品に大きな鉢植えの花をもらいました。スコアはまったく覚えていないけど、全然威張るほどのものじゃなかったと思います。たまたま他の人の調子が上がらなかっただけだったのでしょう。今回も恥をかきにいくようなものだけど、まぁいいや~と気楽に楽しむことにしました。初めのうちはボールはあちらこちらへ定まることなく、それでもしばらくしたら真ん中にいくようになってきて、俄然やる気が出てきました。実は高校生の頃、学校の近くにボウリング場があって土曜日によく寄り道していました。制服のままでボウリングをやっても何も言われない、そんな自由な校風の高校でした。その頃のことを思い出しながら無心にボールを投げていると、なんとなくあの頃の感覚が戻ってきたような…?結局、2ゲームやって合計スコアが250点。私にしては上出来で、気持ちよくゲームを終えました。そして、なんと、24人の参加者の中でまたまた準優勝してしまいました…!優勝されたのは、マイボールを持っておられるほどの方で30点ほど点差がありました。別格とも言えるその方の次ということで、いやぁ嬉しかったですね~今回の賞品ははちみつ瓶入り6キロ!重くて持って帰るのが大変でした。運痴なくせに、参加した会で二度も準優勝できるなんて、私はよっぽどラッキーなのでしょう。帰宅して夫や娘にはちみつを見せて大威張り。そんなに威張るのなら近いうちに一緒にボウリングに行って見せてもらおうかな、と言われてるけど、家族で行ってもねぇ。だって賞品がかかってないもの(笑)
2009年07月15日
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今日は七夕ですね。私も願いごとを短冊に書いてみようと思い立ち、庭の笹を切ってきました。先日延び放題だったのをバッサリ切ったところだったので、小さいものしか残ってなかったけどそれくらいでちょうどよかったです。短冊は昔子供たちに買った千代紙の残りを利用し、5枚用意しました。さて何を書いたでしょうか。一番初めに書いたのは「家内安全・健康長寿」それから「肝炎が治りますように」その次は「息子の名・娘の名・弟の名 に Happy Weddingが訪れますように」「家族・大切な友人達全員が元気に暮らせますように」もう書くことがなくなりましたが、少したって思いつきました。最後の一枚は「ペコ(愛犬です)と私がダイエットできますように」です。さてさてこのうちいくつの願いごとが叶うかな…短冊をつけた笹を勝手口に貼り付けました。お星様にしっかりお願いしようと張り切って夜空を見上げたのに、あららがっくり。見渡す限りの空は分厚い雲におおわれていました。ま・いいでしょう。私には見えないだけで、あの雲の上には無数の星たちが今も瞬いているはずです。見えない星たちに向って厳粛に祈りを捧げました。願いごと、叶うといいなー。
2009年07月07日
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最近買って毎朝聴いているCDです。(私は近所の中古ショップで購入しました。)【CD】本田美奈子/アヴェ・マリア<2003/5/21>多くの方がご存知のように、本田美奈子さんは2005年11月、急性骨髄性白血病のために38歳の若さで亡くなられました。アイドル歌手としてデビューし、ロックやミュージカルなどにも取り組み、訓練を積んでやがて到達したのが「クラシックを歌う」…親しみやすいクラシックの曲に日本語の歌詞をつけて歌う…ことだったようです。彼女の名前は知っていたけれど、歌を聴いたことはほとんどなく、亡くなられたと聞いた時も「まだ若いのに…」と思った程度で、とくに関心はなかったのですが、ひょんなことで彼女の歌声に魅せられることになりました。そのきっかけというのは・地域の会館に通信カラオケの機械が入った・使わないともったいないので、私が今役員をやっている会でもぜひ使って欲しいと頼まれた・ならばいっちょ使ってみよう・でも会員さんたちには率先して歌う!という人は見当たらない・私はかなりの音痴だけど、役員としてはまず歌うべきか?・私でもなんとか歌える歌を探してみよう・You Tube で色々と検索・そして行き当たったのが「オリビアを聴きながら」これならなんとかなるかも(なるのか?)・尾崎亜美さんの曲だけど何人かがカヴァーしている、どれ他の人のも聴いてみよう・本田美奈子さんがカヴァーした「オリビア…」を見つけて聴いた・頭をぶん殴られたような衝撃が走ったということです。おわかりいただけましたか?で、このアルバムには本当に心が洗われる思いがします。女性のソプラノってキンキンとした声、というイメージがあったのですが、全然そんなことなくてやわらかくてどこまでも澄んだのびやかな高い声に毎朝癒され続けています。かえすがえすも惜しい人をなくしたなぁと思います。年を重ねて円熟味を増した本田美奈子さんの歌を聴きたかったです。カラオケのほうはどうなったでしょう?実は明日がその会の日です。今からまた歌えそうな歌を検索して練習に励むことにします。「オリビア…」は年配の方にはうけないだろうし。(その会は年齢層に幅があります)
2009年07月01日
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病気になることは間違いなく嫌なことだ。誰だってそんなものなりたくてなるんじゃない。でも、なってしまった以上は仕方がない。気持ちを切り替えて治療に励み節制して過ごし、そして生きていることへの感謝を知る。夫がまさにこのパターンだと思う。明日をも知れぬ重篤な状態ではないし、自覚症状もほとんどないという病気とも言えない病気だからこそこういう心境になれるのだろうけれど。C型慢性肝炎がわかって治療が始まり、その治療も効を奏さないとなって、この先一生この病気とつきあっていかなければならないだろうというのが今の段階である。そうなってから夫自身はもちろん私も確かに変わった。今までなんとも思っていなかった日常のありがたみを身にしみて感じるようになった。漠然と老後を考えるのではなくて、ある程度想定されることを元にして本当に少しずつではあるけれども、身の回りの整理を始めている。「エンディングノート」も2冊仕入れて私はすでに書き始めている。(私よりもまず夫が書くべきだと思うけど実は夫にはまだ渡していない。)前回の日記にも書いたけど、今私が思うことはひとつだけ。「生きていてくれるだけでいい。生きていてくれてありがとう。」こんな心境になれたのは夫が病気になったおかげ。これを怪我の功名と言っていいものかどうかはわからないけど、病気になったことにも意味があったのかもしれないなぁ、なんて柄にもなく真面目に考えてる私である。早いものでもう6月。順調にトップの写真を変えることができる、今この毎日を大切にしていきたい。
2009年06月01日
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夫は家に帰ってきたとき脱いだ靴をそろえない。入ってきた格好のまま靴を脱ぎ捨てる。トイレから出た後のスリッパも同様で、次に入ろうとドアを開けたらスリッパはこっちを向いている。食卓の椅子も食事が終わって席をたった後そのままにする。椅子を後に大きく引いたままリビングへ移動してしまう。食卓の上には何も置きたくないのに、郵便物とか近いうちに必要な書類とかそういったものを自分の席の隣に次々と積み上げる。息子の席なので普段は空いているのだけど、見かねて私がそれをリビングの棚などに移動させると「わからなくなってしまう」と怒り、それをまだ食卓の上に戻す。食卓の上だけならまだしも、ソファの上も2階のテーブル(コタツ兼用)の上も客間のテーブルの上もパソコンデスクの上も、とにかくあらゆる所に色々なものが積み上げられていて動かすと怒られる。私はしだいにイライラが募り心がトゲトゲしてくる。こういうときには呪文を唱える。「生きていてくれているだけでいい。生きていてくれてありがとう。」
2009年05月31日
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先ほど のどまる。さん の日記を読んで、昔むかし 新婚旅行のツアーでご一緒した年配の男性Aさんのことを思い出した。とても品のよい方で、何度も海外に行かれており、旅慣れた雰囲気が余裕のある暮らしぶりを思わせるご夫婦だった。国内だってたいして出かけていなかった(今もだけど)私たちや、他のツアーのメンバーもほとんどの人が行く先々で写真をパシャパシャ撮っていた。ゆっくり景色を楽しむというよりも、とにかく写真を残そうと必死だった。そんな中でAさんご夫妻はいつも悠然と景色を眺めておられた。あるときカメラにも少し飽きてきた私がぼ~っとしていると、ちょうど隣りに居合わせて話しかけてこられた。「写真に残すのもいいけれど、良い景色というものは心に写して帰りたいものですね」う~ん、なんと含蓄のあるお言葉。傍らで美しい奥さんも微笑んで頷いておられた。それ以来旅行の間ずっと私が「Aさんって素敵だね~」と言い続けたので、夫は少し拗ねていたが、「もう二度と来られへんかもしれんのに、写真はできるだけ沢山撮らないと」と意地のように大量に撮りつづけた。もちろんデジカメではなくフィルムカメラで、帰ってから現像した写真の山の中でどこから手をつけていいのか途方にくれたことを覚えている。今だったらデジカメでその都度厳選していい写真だけを残すことができるので、もっと効率よくできたのに。心にもしっかり焼き付けて、少数精鋭のいい写真だけを残す。これが理想ですね。
2009年05月26日
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今日、日記を更新したのですが間違って下書きしていた日のままで投稿してしまいました。よって、日付が遡って掲載されています。トップからきてくださる方は気づかないかもしれませんので、ここから読んでみてください。4月28日『同居』日付を変えて投稿しなおそうかな、とも思ったのですが、泡タイプさんとLuckyさんが早々とコメントをつけてくださった(嬉しいです♪)ので、そのままでいくことにします。ではどちらさまもよろしくお願いします
2009年05月20日
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神戸と大阪という近い場所で新型インフルエンザを発症した人が出たというニュースを聞いた時、あらずいぶん身近にやってきたものだわと思ったものの今ひとつ実感もなくてそのままやり過ごしていた。だけど、私の周囲の方々は行動が早い。そのニュースが出るとすぐにマスクや消毒液などを買いに走った人が多いらしい。昨日の時点では、すでに近辺のどの店でもマスクと消毒液は売り切れで手に入らなかった。うわ~どうしよう。娘は本社からマスクの支給があるというのでそれはまぁOK。花粉症用に使ってたマスクは残り3枚しかない。使い捨てにしなければ意味がなさそうだし、ネット注文でも配達まで一週間以上かかるというし。困った困ったと思いながら洗面台の下の棚をごそごそやってみると、なんと出てきました!「お徳用使い捨てマスク60枚入り」。いつこんなもの買ったっけ?記憶にないんだけど…?そしてさらに「手指の消毒用ハンドジェル」なるものも一本。これはたしか義母の認知症が進んできて、「手を洗う」という動作ができなくなったときに使っていてその予備に買っておいたもの。有効期限を見ると2009年10月、よかった~いつも私は家族から「よけいなものを買いすぎる、ストックが多すぎる」と怒られていたのだけど、こういうときには役にたつじゃないの。えっへん。それにしてもマスクと消毒液さえあればOKというものでもなく、恐ろしい事態になってきたものだ。私の市ではまだ患者の発症は聞いてないけれど、時間の問題だろう。市内でも今週は公立の小・中・高校・保育園・幼稚園がすべて休みになったらしい。保育園が休みとなると、親ごさんは一体どうしたらいいのだろう。みんな困っているだろうな…娘の働くショッピングモールも客足が半減したという。気のせいか近所の商店街もスーパーも人が少ない。地域の会の総会などもほとんど中止になった。(これは行かなくてよくなって喜ぶ人が多いと思う)。これからどうなることやら。戦々恐々としています。
2009年05月18日
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楽天ブログをはじめたのは2001年11月。早いものでもう8年近くになる。その頃はまだブログなんて言わなかった。日記にコメント機能はあったけど、トラックバックの機能はまだなかったと思う。楽天をはじめてから約1年後、今度はお仕着せのものではなくて自分でホームページをつくってみたいと考えて、今思えば赤面ものの幼稚さではあるけれど、ソフトを使って「ベンジャミンの部屋」というサイトをつくった。その頃もまだブログはそれほど一般的ではなかった。私は無料のレンタル日記を借りてせっせと文章を綴った。写真も入れられたけど、作業が面倒だったのであまり載せなかった。その頃「ベンジャミンの部屋」を見てくれたリアル友人に言われた。「ホームページを見たけど、文章ばっかりだねぇ」「面白くないかな?」と私。「うーん。そんなことないけど、私文章ばっかりって苦手だし。」「そっか~」面白くないなら、別に見てくれなくてもかまわないさと思いながらも友人の言葉は少しだけ気になった。文章だけで人を惹きつける力があればどんなにいいだろう。現にそういうネッ友さんを何人も知っている。(もちろん楽天仲間さんも含めて)私にはないものねだりの能力なので、やがてブログが流行り始めた時にすぐに複数のブログを試してみて、今もそのうちのいくつかを使わせてもらっている。写真の掲載も簡単だし、容量もたくさんあるし、本当に有難いことだと思う。さて、件の友人が最近ブログをつくったから読んでね、とおしえてくれた。早速見に行ったんだけど…んんん~写真なんて載せてないし、文章だけだし、その文章も…(想像におまかせします)そして彼女いわく、「ブログのやり方がよくわからないので、原稿を書いて会社の友達に渡して入力してもらってるの。今度会ったときにやり方をおしえてね」と。あのさぁ~ブログってパソコンをする人なら誰でも自分でできると思うんだけど?自分でアップできないのによくブログをつくろうなんて考えるのね?よっぽどこう言おうかと思ったけど、思いとどまった。無用に揉めたくもないし、好きにやったらいいもの。幸い、彼女はコメントの仕方もわからないようで、私にコメントを求めることもないのが助かっている。何が言いたかったのかというと、最近はブログも本当に簡単につくれるようになって沢山の人の色々なブログに出会えるのが楽しみだ、ということ。この時代に間に合ったことを感謝したい。
2009年05月14日
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この連休中に数冊の本を読み数本の映画を観た。(映画はDVDとWOWWOWで)その中にはいいものもあったのだけど、後味の悪いものが印象に残ってしまい、今でもそれをひきずっている。本で後味が悪かったのは、湊かなえ著「告白」最後の章がなければまだよかったのに。なんでこんな結末に持ってくるかなぁ…と腹がたった。映画でよくなかったのは2本。役所広司主演の「象の背中」と、スティーブン・キング原作×フランク・ダラボン監督 の「ミスト」。ご覧になった方はおられますか?ぜひ感想をお聞きしたいです。「象の背中」はとても感情移入できる話ではなかった。末期癌を告知され、治療を拒否した男性が会うべき人に会って人生のけじめをつけようとする、ここまではよかったけど問題はその後。全然泣けなかった。「象は、自らの死期を察知した時、群れから離れ、死に場所を探す旅に出るという」がこの映画のキャッチコピーらしいけど、象に失礼だと思う。ネタバレになってしまうので、これ以上は書けないけど、よかったら検索してみてください。「ミスト」は「ショーシャンクの空に」「グリーンマイル」に続く第三弾というふれこみで、その2作がとてもよかったので期待して観たのだけど、こちらも「驚愕のラスト」にどうにも納得がいかなくて、思い出すたびイライラしてしまう。後味がよかったのは、「マジックアワー」と「有頂天ホテル」かな。それでも、もうすこし胸にぐぐっとくる感動作を観たいものだ。そういえば、「おくりびと」は映画は観てないけど、ノベライズ版を読んだ。これはすごくよかった。映画も観なきゃ。
2009年05月08日
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長くお休みしていた頃、ここのメッセージ欄にコメントがいくつもたまっていました。その中で、夫の病気のことを心配してくださって、情報をくださったOさん。遅まきながら、本当にありがとうございました。まだ見ていてくださるといいのですが…いやいくらなんでもそれはないかな、こんなに長く放置してしまったのだから。本当に申し訳ありませんでした。メールアドレスがわかれば御礼を申し上げたいと思うのですが。この場を借りてあらためてお礼申し上げます。ご親切が身にしみました。夫の肝炎ウィルスは大変しぶとくて、2度目のインターフェロン治療もあえなく途中でリタイアという結果に終わりました。ウィルス量は10月に集中的にたたいたときにはかなり減ったのですが、そのかわりに白血球が限界値すれすれまで落ちてしまい、血小板や赤血球の数値もそれに近い感じで。やむなくインターフェロンの量も半分にしての投与になり、それからすぐにウィルス量は治療前を同じ量に戻ってしまいました。トホホ…新しい治療法として、自身の血液をろ過しながら(血液透析?)インターフェロンを使うというやり方もあるのですが、主治医にたずねるとそれはいったんウィルスが消えて再燃した人が対象だというのです。この上はなんとか肝臓の機嫌をとりながら暮らしていき、新薬の登場を待つしかなさそうです。新薬、早く出てこ~~~~い!!!いただいたメッセージは他にもいろいろ。多かったのは明らかに?と思うような、「メル友になりましょう」というもの。中でもあきれてしまったのは次のメールでした。「私は、(ここではまだ名前を明かせませんが)某有名タレントのマネージャーです。タレント本人が、あなたのブログを読んでおりまして、どうしてもあなたとコンタクトをとってほしいと言ってます。事務所にも内緒で、私の一存でお願いにあがりました。...に登録していただければ本人と直接メールができるように計らいます。どうか本人の望みをかなえてやってください・・(以下続く)」こんなもの信じて登録する人(登録というのも変だけど)なんているのかしら?大体なんで最初から名前出さないのよねぇ?何が有名タレントよ。そのほかのメル友希望メッセージもなんかおかしいのばかり。結構巧妙に書いておられるんです。「ブログを読んで感銘を受けた、ぜひ色々なお話がしたい」だの「以前から憧れています。私の相談にのってほしい」だのそんなこと言われたって、素直に信じろと言うほうが無理。もしも、万が一にも本当にそういう気持ちがおありならば、まずコメント欄に記入してくださるのが筋というものでしょ?それでも、このメッセージ欄はありがたいものです。一番最近、ある方がメッセージを入れてくださいました。「心の友」とも言うべき方で、最近どこにもお姿が見えなくて心配していたのですがある方が中継してくださり、連絡をとりあうことができました。とても嬉しかったです。いろいろなコメントやメッセージがあって、泣いたり笑ったり。いろいろな人からの気持ちを受け取りながら日々を過ごしています。ありがとう!
2009年04月29日
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先日娘と話していたら、こんな話題になった。「Uさん(娘の今の職場の元同僚。5歳ほど年上で既婚・子供あり)がね、言ってたんだけど、結婚したら絶対に自分の実家の側に住むといいって。ダンナの実家の側に住んでも何一ついいことなんてないよ、だって。どう思う?」内心、しめしめUさんよくぞ言ってくれた・もっと言ってやって!と思いつつ「そりゃそうよ、それが一番いいんじゃないの」とさらりと答えた。「ふぅん。そんなものかな。お母さんはどうして相手方に同居したの?」「どうして、って言われてもねぇ。選択肢がなかったというか。」「抵抗なかったの?」「深く考えなかったなぁ。それが間違いの元だったね。ははは(力なく笑う私)」27年前のこと振り返ってみると…夫は旧家の跡継ぎで、私が出会ったときにはすでに父親は他界しており、母親との二人暮らしが5年目になろうかという頃だった。農業を継いでおり、十分な広さの家もあり、私が家業を手伝いながらの専業主婦となり同居するということは自然な流れであり私自身も当然だと受け止めていた。もちろん不安はあった。お姑さんとうまくやっていけるのだろうか、と。その頃の義母の印象は、物静かで上品で控えめの典型的な日本の旧家の奥さん。少しよそよそしいというか、鎧のようなものを感じたこともある。例えば、同居するというのに、結婚直前まで台所や茶の間に入らせてもらえなかった。いつ行っても、通されるのは客間かまたは2階の夫の部屋。台所が見たいと言っても、なんだかんだといつも義母に拒絶された。そして、今も覚えている光景がある。午前中の割合早くに家に行った時、朝の農作業で布団をあげる時間がなかったのだろう、そのときにあわてて布団をあげている気配がした。玄関に出てきた義母の手には色違いのおそろいの枕が2つぎゅっと抱きしめられていた。夫と義母は同じ部屋ではなく、斜め向かいの部屋で寝ていたのだが、押入れは片方の部屋にしかなくてそちらへ運んでいたらしい。それにしてもなんで枕二つを抱えて出てくるわけ?なんとなく不快な感情が残ったけど、それでもあまり深くは考えなかっった。いや・考えないようにしたと言ったほうがいいかも。もしあのとき深く考えて同居はいやだと言ったら、夫との結婚はなかったことになっただろう。同居はやはり絶対条件だった。こうして玄関も水まわりもすべて共有の完全同居が始まった。上品で控えめだと思っていた義母の意外な面も何度となく発見した。もっともそれはお互い様だったと思うが。新婚旅行から帰宅したのは夜7時ごろだった。義母はご飯だけは炊いていてくれたが、後は何も用意していなかった。時差ボケで眠くてフラフラだった私に義母は言った。「冷蔵庫の中のもので何かつくってくれるか?」どっと疲れが吹き出た感があったが、しかたなく卵やソーセージを焼いてレタスやきゅうりでサラダにして後は味噌汁をつくった。その頃の義母はまだまだ元気だったのに、帰ってきた日くらいなぜ用意しておいてくれないの、と不満たらたらの最初の夕食だった。翌朝私たちは寝過ごした。義母は階下で朝早くからイライラしながら家事をこなしていたらしい。遅くにもそっと起きてきた私が見たものは、一階に置きっぱなしにしていたスーツケースの中から夫の衣類だけを取り出して洗濯に励んでいた(義母は洗濯はすべて手洗いしていた)義母の姿だった。洗濯なんて後でゆっくりするのに、置いといてくれたらいいのに…そう思ったけど口では「すみません」としか言えなかった。この「息子のものも洗濯」はそれから数日続いた。たまりかねて夫から私が洗うから、と言ってもらうとしばらくはすねているのかご機嫌ななめだった。扱いづらい人だなぁというのがその時の印象だった。こんな始まり方をした新婚生活。この続きはまた今度。最初の話に戻って、本当に娘が結婚後近くに住んでくれたらこんないいことはないんだろうなぁ。思うようにはいかないだろうけど。
2009年04月28日
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今日はもうひとつのブログの宣伝です。なんと。石川遼くんと私とのツーショットが見れますので皆さまこぞっておいでください。お待ちしています。ベンジャミンの部屋「こころもよう」4月24日ゴルフ観戦はなかなか面白いです。他のプレーヤーについては、色々言いたいこともあるんだけど今回はやめておきます。なぜって、自分が禁止事項を破っといて人のことなんて言える立場じゃないと思うので。またそのうちに小出しします^^
2009年04月24日
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