鈴木藤三郎の米欧旅行日記の中で特徴的なのは、アメリカやイギリスでは、日曜日のたびに「例の休日」と記されていることです。できるだけ多く各地の製糖工場等の現場を視察したかった職務専念主義の藤三郎にはどうにもこの「例の休日」が理解ができなかったようです。私の知人が、「これは近代における労働条件向上のためでしょうか」と言われたことがあり、「おそらく安息日を厳格に守るピューリタンの風習がこの時代アメリカやイギリスにはあったのです」とお答えしました。 先日(二〇一五年)十一月三日NHKのBS1スペシャルで「武士の娘鉞子とフローレンス」の再放送があり、興味深く見たのですが、長岡藩(ながおかはん)の家老の娘、鉞子(えつこ)がアメリカに結婚のために渡ったのが一八九八年(明治三十一年)で、藤三郎の米欧旅行の翌年です。 鉞子はオハイオ州シンシナティに住んでいたのですが、キリスト教の安息日である日曜日の過し方について次のように語っています。 「清教徒の流れをひくその村の日曜日は、どことなく私の幼い頃の日本の元日を想わせる安息の日でございました。家々ではこの日は煮炊きをいたしません。土曜日に十分焼いておいたパンと、用意した料理とをいただきます。そうして大概二食でした。服装をととのえて大人たちがこぞって教会へと家を出る頃、日曜学校を終えた子供たちが三々五々足どりも軽く帰って来るのに出会うのも、嬉しいものでございました。」(「『武士の娘』が見たアメリカ」『婦人の友』一九四〇年一月号) 札幌農学校第一期生、第二期生の「イエスを信ずる者の契約(Convent of Believers in Jesus)」に署名したメンバーもクラーク先生がもたらしたピューリタンの安息日を厳格に守ろうと努めました。「契約」には「安息日を覚えてこれを聖く守り、すべて不必要な労働を避け、これをできるかぎり聖書の研究と汝(なんじ)自身及び他人の聖なる生活の準備のために献(ささ)ぐべし。」とあります。 藤三郎は、日曜日のたびごとにオペラを見たり、美術館に行ったり、公園を散策したりと時を過ごし当時の米欧の文化的な状況を知ることができるとともに、それが米欧旅行日記を単なる業務日誌を越えた魅力的なものにしています。