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2016年08月07日
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カテゴリ: 鈴木藤三郎
「二宮先生五十年祭講演 第六席」(「二宮先生五拾年祭紀念号」p27-37)明治38年4月2日
衆議院議員 鈴木藤三郎君
 諸君、今日は二宮先生の五十年祭を御執行になる、実に御盛大のご祭典で私もここにおいて末席を汚すことを得ましたのは誠にありがたい仕合せでございます。それで今晩は岡田先生が折角遠方から来たから何か話をしろというおすすめを受けましてございます。然るに私はご承知のとおり当時遠方におりますし、又諸君のごとくこの会堂に毎回出席して、あらゆる先生のご講話を聴聞する事は出来ませんが、然し私は以前は時折この報徳社にまいりましてこの道を聞いたこともあります。今日別に諸君にお話を申し上げるような種は元よりないのでございます。しかしながら誠にこの有難いところの祭典に列した光栄として何でもよいから是非話すがよいというおすすめを受けましたから、私も元よりこの報徳の教えを熱心に信ずる一人でございますから、自分の不才を顧りみず、今晩一言お話いたしたいと存じます。どうか暫くおききを願いまする。
 それで私は今晩ちょっとお話を申し上げたいのは、もう昼間のうちに報徳の大体の上より、かわるがわる諸先生方が種々お説がございまして、私は先刻申す通り不才なものでお話を致す力はございません。ただ二宮先師の教えにつきまして、もっともこの報徳と申しましたなれば実に大きなこと、どうもどのくらい大きいか分りません。これを天下に行いまする時は天下を経営する事が出来る、天下の治乱にも関係する、戦国にも応用ができる、又これを教育の一般にも応用しましたなれば、天下の教育という事になりまする。人類一般の事が則ち報徳ということになりましょうと存じます。このごとくなれば実に大なるものでございますから、その全体の事は到底かれこれ云う事は固より申し上げ得ません。ただ自分が実業に身を投じておりますから、大いなる報徳の教えより云えば、一節、報徳の一節という法が、これが実業と申しても宜しいことでございますから、先ず直接実業に従事する所の実業の経営の上に、この報徳を以て参って、ただこの方面の所感をお話致します。で、この二宮先師の教えの内に、荒地を開くに荒地の力を以てするとこういうことがございます。諸君はご承知の事でございまするが、さてこの意味を私は広く実業のいずれの方面にも、これをよく咀嚼しまして何事にも応用したなれば、最も今日の日本に適するものではないかとこう思います。それはどういうことかというに、もう先生が荒地ということをいわれましたが、これは一つの例でございます。未墾の地を開く、荒蕪を拓く、荒蕪の力を以てする、こうある、誠に意味のある所と考える。然ればどういう訳かというに、その事について一言申しますれば、荒蕪の力で荒蕪を開く。一番最初に荒蕪を開く資金を得にゃならん。それは手間取りをしても一反歩くらいの資本は、これは容易に得られるもので、勤労すればきっと行われる。初めにかかる資本を以て、一反歩の土地を開きまして、しかしてその一反歩の土地を開いて余った所の収入をまず善い塩梅に豊年と云うて空しくしてしまったなれば、荒蕪の力で荒蕪を開くことは出来ない。そこでどういう風に荒蕪の力で荒蕪を開くかというに、その開くことは一つの手段でございますと思う。それにその道がなくてはならん。それはどうかと云うに、報徳の道を一つ応用して見ますると、誠心を以て本とする、勤労を以て主とする、分度を守り、推譲を要とする。これが報徳の道でござります。何事もその道が土台になっておらにゃならん。その道を土台にしておきまして、しかしてそのなす仕事に現れて荒蕪を開く。荒蕪を開くに仮に一反歩を開いて五斗の米が獲れるとすれば、その半ばを衣食に取る。又その半ばを以て明年の開墾の資本とする。それには分度を立てる。もし分度を立てませんと、5斗獲るその獲ったものを食うてしまう。5斗のものは2斗5升剰して明年の資本として、また一反歩の荒蕪を開く。又今度は一石獲れる、一石獲ればその五斗を以て資本とする。そうなれば二反三反と開けて往く。こういう仕組みにして段々やりますれば、何千町歩でも開けるという事に聞き及んでおります。これは一つの例でございます。然ればこれは荒地を開くことばかりであれば、荒地のない所はいかんともすることは出来ない。この方法は荒地を開くのみの小さな方法ではない。この道とこの手段をすべての方面、何事に用いても農工商三業でも、あるいは何事業に応用してもその効績はある事と思います。
それで私が今晩申し上げますることはお断りして置きますが、教えがこうであるという事を申すじゃございません。そもそも私が報徳の道を耳に致したのは、明治8、9年頃でございます。段々この教えを聞いて研究しているうちに、いわゆる今の荒地を開くの力を以てするということが、私の脳にしみまして・・・・・・非常に感じました。その感じ方がただいまの様なものになった。どうかこれを外の仕事に用いてやったならば、やはり功績があろうと考えた。その当時私は菓子商をしておりました。それにこれを応用して見ました。その仕方は細かな事を申す必要はございません。とにかく応用しまして5か年を期して明治10年より明治14年までこの事を実行しました。この事は外の方面にも応用が出来るか出来ないか試そうと思うて5か年やってみました。やってみましたところが、誠に歴然としてその効が顕れました。というものは、その1年の初年は明治10年の1月1日を以て初年と決しました。それ以前は捨てまして、全くその道を開きまして、これにのっとりてやろうと決心しましたが、明治10年の1月1日、満5年やりました。
ところがその最初の時の資本は261円でございました。それが14年になってみました時に1万円を越しました。その当時はこの節と違いまして、とにかく駄菓子を1万円売るという事は大変でございます。信州辺りにてお得意が出来まして、その5年前までは300円ほどしか売れないものが1万円余にもなった。もっともそう売れるようになったのは廉(やす)く売ったから売れたに違いない。かように自分の営業に実験をしまして、それで誠にこの荒地を開くに荒地の力を以てすることが、独り荒地のみならず何れの道にも用いる事が出来るという観念が堅くなりました。けれどもそれで許す訳にはまいりません。その5年目に私はその証拠書類を提げまして倉真(くらみ)村にまわって、岡田先生にお目にかけました。こういう事をえましたと云うてお目にかけました。岡田先生それを見て、なるほどよくやった。こういうように応用することは面白い、結構であると。師匠と云うべき岡田先生にとにかく許しを受けました。そこで私もますます自分の決心が堅くなりまして、どうも私はそこで金力であると思うのは、分度と云うものを確乎と立って、それで例えば自分の財産が幾らあって幾ら資本がある。その半ばを取って分度を立って明年の営業の方に回して荒地を開く。それは荒地の力を以てする。これが土台になる。こう私は信念を固めました。少しは報徳の道を味わいかけた。これを味わいかけたので、その当時駄菓子を1万円売った。これもなかなか容易な事ではない。いやしくも国民としてこれを我が国家に一つ応用してみたい。出来るだけその方面に向かってやってみたい。こう心を起こしました。それからその菓子業は雇人に任せまして、専ら砂糖業を起こす事にかかりました。その初年は氷砂糖でございます。それをやはり同じ筆法でよろしいものとこう自分は決心しました。それからして東京に行きましてこれも段々拡張してやりました。それゆえに事業は多少大きになる。大きになれば力も大きくなる。そこで東京に移りました。東京に移りまして、ますます節約勤倹をして、その余裕を皆事業の拡張費に充てました。それでございますから、その間には種々な事もございますが、しかし今日に至るまでやっておりまする。それでまずそういうふうにして参ったおかげで、とにかく今日では東京に参ってもどうかこうか一つの仕事がまとまりました。
それから明治33年に台湾にまいって砂糖業を起こしました。これは随分困難でございましたが、ようやく昨年より確かになりまして、まず安心する事業となりました。一の営業となったのであります。これもいわゆる言い換ゆれば、経済は経済の力を以て開く、砂糖業は砂糖業の力によって発達する。何でもそのものから出たものは、そのものにかける、儲けで何事も出来る。お百姓なれば今年の儲けを明年の肥料に充てる。何事業もその通り制限を立て、分度を立てて翌年の業に充てる、一つの営業をなすのにも、その営業者が金さえこしらえればよろしいのじゃない。
どうかその事業を発達して拡張する、それが一つの土台でございます。これを名付けて誠心という。細かく云えば限りはございませんが、この誠心と勤労、分度、推譲、この四つは前にもお話がございましたから私は略します。何事もこの四つが備わらにゃ営業の発達はできないでございますから、ただ何事をする場合にもそれだけのものが並び行われんければ、それだけのものであります。この四つのものが備われば、およそ天下の事業としてならざるものはないと信じております。この道、この法を以て行ったなれば、いかなる事業といえども必ず成功するものでありますと、こう自分は考えております。ただ儲からんでは困る。あの業はあわん。この業は得だという、決して営業はこれは得な業、これが損なことという業はない。何でも差支えない。例えば酒屋をして身上を興す、又身上をへらす。必ず興すとも果たすとも罪はその業にない。その人にある。事業そのものに成敗はない。事業は人によって興りもし衰えもする。その興す人はどういう人であるか。この報徳の道を守り実行するとせん人であり、これによって成敗が分かれる。これが大体原則であると考える。
それで今日は不景気で仕方がない。こうどこでも云う。どうも私はそういう事はないと思う。天則から云うと、日本の人は今5千万人、統計家の話で聞けばある。それに年々1万について、138人の割に人が殖(ふ)える。1か年60万人の人が殖える。そういうふうにこれだけの面積に5千万人ある。そうして年々60万人殖えるという有様でございます。そこでこれまであり来った事業では、とても仕方がない。しかし、何にも仕事がなくなった道理ではない。人が殖えるだけ、仕事が殖えにゃならん、それを「あう」の「あわぬ」の食える食えぬと云う事は私はないと思う。全体すべての事は発達をせにゃならん。もし発達をせないなれば、日本の前途いかにという事になります。いわんや今日はご承知のごとく世界に最大強国というロシアを打ち懲らして、実に連戦連勝の有様であって、この上もない幸福であるが、これより先、終局を見ることは長いかも知れん。勝つ事はたしかに見とめがついた。その戦争は勝って世界列国も日本人は驚くべき所の人種ということは今日では各国ともに称賛しているという事を聞いております。今、称賛される以上は誇ってもよろしい。しかしながらこれより戦後の事はいかがでございます。どうしても日本の富、この日本の富は農工商の実業を発達させにゃならん。これが全く発達をせんければ富は思いもよらん。然るに実業界はどういう有様かと云うに、一体の上より云うと外国とは非常の違いがある。戦争では世界人の耳目を驚かしたる所の日本人が実業上の事になると云うと所詮遠く及ばない。誠にこれは遺憾な事であります。私も実業者の一人でございます。甚だ面目はない。遺憾に感じておりまする。実業上の方面より見れば、日本人は外国人に遠く及ばん。戦争とすれば世界の人を驚かすような働きがある。これは余程不思議でございます。然れば日本人の能は戦争の事より外にないかと云うに、そもそも戦争において命をすてる目ざましき戦争をして国を取る、日本人が外国人より勝れた働きをするなれば、やはり産業上においても自然発達を早くかけにゃならぬ。日本人がこの方よりはいけないことは、何が故にいけないかと云うに余程講究せにゃならん問題だと思う。それは要するに今日の昼の間に諸先生の講話中にもありましたが、戦争をする決心が産業上にない。あれ程の真心がない。この真心を名付けて大和魂という。報徳ではこれを誠心と云う。その誠心が実業上に現れさえすれば戦争に勝つごとく実業上にも勝たにゃならん。実業上の大和魂が不安であるから何と云うても、ものにならんように思う。それはどうかと云うに諸君が熱心に日々研究をなさる処の報徳の道、報徳の教えをこの実業上に直ちに応用して行ったなれば、この戦争と同じようにかつてヨーロッパ人にない所の功績を実業の上に果して発揮することが出来ようと思う。でございますからして諸君は年来報徳の道をご研究になっておりまして何事にも行うておりましょう。しかしなおその上にも大小の区別を論ぜず、報徳の道を信じて実業に従事して荒地を開くに荒地の力を以てすると云うこの意味を応用して、そうして誠心誠意勤勉せられましたなれば、いかなる事業も遂げられんことはどうしてもないと自分は確信致します。それから自分の事を申しましては甚だおかしいようでございますが、近頃は私はある自分の嗜(す)きと云うより、少しこの器械につきましていささか工夫を致しました。それは2、3年この方発明が出来ました、その内もっともまだこれは確かに例証を挙げまして申すことは出来ません。今年中くらい掛かりますが、どうか有益であろうと思う。常にハンゼシメンショードそれは石炭と申すことであります。当時電気が非常に盛んでございます。その電気の基は石炭でございます。それ故にこの石炭を作らにゃならん。電気はいずれも石炭が必要でございます。もっとも水の原動力もある。しかし土地によりましてはことごとく水を引いて応用することは出来ない。石炭については新聞にもだいぶん出てきますが、我が国の石炭は九州北海道等の石炭が沢山あって堆積しておって大いに売るにも困るということは4、5年前の事であります。然るに各方面より近頃工業が盛んになりまして、石炭の消費が非常に殖えて来まして船舶の費消する高も大変な事になりまして、近来全く九州あるいは北海道の石炭の堆積もなくなりまして、今日掘って明日積み出すような訳になりました。需要一方になりましてその処で石炭は何れの方面に向かっても近頃不足をつける傾向になりまして、だいぶんその不足を唱えるようになりました。大洋中より石炭を採らにゃならんと云うておる。こういう事になりました。こういう事になれば前途誠に考慮を要する事になります。石炭は人為で出来るものでない。どうしても地層によって掘る、それを掘らにゃ作ることは出来ない。それはどのくらいの年限を経て出来るか、なかなか容易なことで出来るものではない。それほど貴いものでございます。これが又妙なことがあります。どういうことかと云うにこの石炭を分析すれば百の中に八十くらい燃えるものがある。然るにそのどれだけ燃やしているかと云うにまず普通燃えるに五分即ち半分でございます。全国中の工場でその統計で見れば非常に沢山つかわれているその部分でカスがある。燃えない石炭がつかわれている。燃すべきものは三分の一であります。世界中外国もその通りでございます。そういう事になっておりまする。その事をちょっと以前にある学者から聞きまして、それから明治29年30年にかけて外国を調べてみました所が外国でも同じであります。それから自分もどうかしてこれを誰か工夫するものがあろうと思うて人に実は求めておりました。所がそれが出て来ません。それから本来私も専門家ではございません。工夫をしよう考えようと思うことはない、世間に求めておりました。ある時、このランプを点(つ)けておりまして、やったではないが、炎(エン)がたつと火が赤くなる。どうすればエンが立つ芯の出しようによって油は一つ油でも赤くなってエンが立つ。又ホヤの掛け様でエンが立つ。そんなことを妙だと感じまして、彼の小さい手ランプあるいは豆ランプのごときホヤのないものは火が赤くなる。ホヤを着せれば火が白くなる。私はこれを始めに感じました。それから段々この事について考えて見ました。これはその温度と空気の量と油と心とを加減して適当に行けばよろしいという事がわかりました。その処で竈(かまど)もかくのごとしと思うて、これは一番工夫して見ようと云うことがその処に起こりました。それで4、,5年前でございます。段々工夫に工夫を加えまして、昨年7月ようやく形が出来ました。その効用と云うものは今までの石炭の三分の一を用いて足りまする。この事柄を細かに申し上げれば大変でございます。要するにちょうどこのランプのようなもので、またこの竈のようなもので火が燃えて煙りになる。その燃えても煙りにならぬと云う事が自分の理想でございます。それを大学その他の工学博士に鑑定して見て貰いました。確かによろしい理論的にも適(あ)っているが、今それの実験中でございますから本年中には確かに計算が出来、方法が出来ましょうと思う、これを工夫した原因は何んかと云うに、やはり報徳の道であって倹約という事が頭にございます。世の中に石炭というものが出来ている。その出来ているものは空しく失わんことが倹約でございます。織物にしてももしこれが手置が悪く粗末にすればある一部が切れる。もう着物にならん。又着物にしても注意して大切に悪くなれば洗い張りをして手置きをよくすれば5年も10年も一つものを着る。もしその手置きを怠れば1年か2年で、もう着物にはならなくなる。倹約はその処でございます。人工を加えて出来るものを捨ててその用をなさで終ることは極く不経済なことであります。それでございますから、この石炭の事も倹約と云う道に教わって、倹約と云うことの頭より見れば煙突より出る。濛々として雲の上に立つ様なものが出る事も甚だ勿体ないものとこう感じます。別に工夫して銭を儲けようという事じゃない。それを工夫して空しく煙りにせずば大いに利益のあること、わざわざ煙りにするのは実に勿体ないことであると思う。大きな考えを以て来て人生の上に及ぼしたなれば大変なことである。石炭に限らず何事も三分の一とか、あるいは半分を倹約することになれば、十年のものは二十年もつかえる。人生の進歩の上にも関係する処の問題と思うて、つまり倹約思想から段々研究しましたのが・・・・・

しかしながら私のこれまでなし来ったことは変則でありまして、こういうふうに諸君にやってよろしかろうということは申されません。ただ私がこれまで実行して来たもとの考えの起こりがこの道を信じて。それに基いて来たということを申し上げたのであります。どっと変則と思いますから諸君もそういうふうにおやりなさいとは云われません。ただ何事にも使う精神は同一でございます。何職業も違った事はない。例えば駄菓子屋をやるにしても、よくこの考えを緻密に致してそうして一生懸命に勉強して、一生懸命に勉強するものが少ない。年が年中何事も一生懸命になりませんと全力を注いで仕事をすることができない。この精神さえ、あってしたなれば、いかなる大事業も出来る事と私は信じておりまする。思うに二宮先生のごときその人であろうと思う。たとえ学問があっても智恵があっても一生懸命に全力を注いで事をなさんものは充分な効果を得ることは出来ない。故に私は諸君と共にこの精神を以て報徳の教えを実行致したいと思うて、長い事を申し上げて甚だ恐れ入りました。これでご免を蒙ります。(拍手喝采)





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最終更新日  2016年08月07日 04時12分53秒


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