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捕まえないだから想が無い空っぽとでもいうかそういう領域がある。いままで、想いが止まらない時の対応なのだけど意識レベルを下げるとでも言うか捕まえているというのがみえる。それは連続してパッパッパッと捕まえているのでそれを連続的に離していると言う様な
2019.01.29
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イブンルシュド(アヴェロエス)(1126-1198)(コルドバのイスラム哲学者)の言葉人間の中で不死であるのは、魂ではなく推論する能力である。推論はそれ一人の固有のもので無く、推論するすべての人間に共通のものだから
2019.01.27
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第二章 座禅の実際 三 生命の覚触 内山興正 座禅の意味と実際この第9図から多くのことがわかります。この図で一番大切なところは、覚触の部分気がつくという事 ZZ’になり切ることでは無いとおっしゃっておられますが、そうだとおもいます。ここからわかることは、この中のcc’c’’c’’’とどんどん大きくなってきます。もしこれをc’くらいで気がつくと、この上下の波が小さくなることがわかります。もしこれをもっと早くなると、波はさらに小さくなり大きな視点からみると、ZZ’線と同じになってしまいます。これが小乗仏教でいう煩悩妄想を断滅しきることになってしまうはずです。それを涅槃、悟りとよぶと気がつくにはどうすれば良いかは前に書いたとおり身体です。この覚触は座禅(座る)でも経行(歩く)でも実は同じ事をしています。 気がついていれば良い つまり、すべてに気がついて、24時間起きているときはずっと身体に気がついていれば良いことになります。これを続ける作業は、有る所から自動化するようになるように思います。動作に心が乗っている様な。その時、思考は出てこられない状態になっています。C,C’と破れても破られてもその破れは確かに減っていきます。
2019.01.24
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世間虚仮(せけんこけ)唯仏是真(ゆいぶつぜしん) 「天寿国繍帳銘」上宮聖徳法王帝説より世間は虚仮なり。唯仏のみ是れ真なり世の中は空虚でうそいつわりであり、仏の世界こそが真実の世界である。
2019.01.19
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王よ身体に関する憶念が歩むべき第一の道である。と善逝(仏)は示しています。憶念に務め、守らねばなりません。憶念が欠けると全ての法は壊れます。(ナーガルジュナ、勧誠王頌 54偈 友への手紙より)
2019.01.17
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人と言う存在、あなたが選び取ることで世界は決まっていくあなたという存在は、世界を作り出す存在(とんでもない存在)だから観ている者は誰?と 問い続ける
2019.01.17
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コンピュータの父と呼ばれるフォン・ノイマン博士が、「シュレーディンガー方程式という数式」をどんなにいじくりまわそうと、物質の状態が確定するような答えを導き出せないことを数学的に厳密に証明した。量子力学の数式のなかでも、物質の状態がひとつに決まることはなく、やっぱり可能性のまんまだということが数学的にも証明されたのである。そこで、数学者のノイマン博士は考えた。 量子力学では、猫は「生きている/死んでいる」という状態が重なり合って、多重に存在している、と述べている。だが、その状態を確定させる要因が、量子力学、つまり物理学のどこにもない でも、それなのに、『人間』が観測したときにだけ、猫の状態は決まっているいいか!『人間』が観測したときだけだ 人間の『ココロ』が、『多重に存在していた猫の状態』を決めたんだ(シュレディンガーはそれを「抽象的自我」と呼んだ)要点をまとめよう。・量子力学が正しいのであれば、ミクロの物質は、ずっ~と「可能性のまんま」であり、位置とかの状態が決まることはない。・でも、事実として、『人間(この私)』は、どの物質を観測しても、「位置Aにある」とか「位置Bにある」とか、ひとつの可能性だけを認識している。 「人間のココロは、量子力学(物理学)を越えた特別な存在であり、人間が観測すると、物質の状態は決まるのである!」と考えたのである。
2019.01.17
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過去は追うな。未来を願うな。過去はすでに捨てられ、未来はまだ来ない。だから、現在のことをありのままに観察し、動揺することなく、よく理解して、実践せよ。ただ今日すべきことを熱心になせ。明日、死のあることを誰が知ろうか。かの死神の大群と会わないわけはない。このように考えて、熱心に昼夜おこたることなく励む人、このような人を一夜賢者といい、寂静者、寂黙者と人はいう。中部経典 大迦旃延一夜賢者経よりウジョーティカの言葉から気づきはただそこにある。何かに気づこうとするわけではなく……、ただそこにあるのです。まるで大きな鏡のように、その前を通るものは全て、鏡の中に映し出される。鏡が対象を捉えようとするわけではないのです。気づきはただそこにある。あなたは何もしていないのです。この段階において、瞑想とはあなたが行うものではありません。瞑想とは、自然に生じているものなのです。しかし、ここに至るまでにはしばらく時間がかかるでしょう諸法実相(しょほうじっそう)とは、仏教において、全ての存在のありのままの真実の姿のことwikiより
2019.01.07
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PNSEについて
2019.01.05
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指を鳴らす指を鳴らそうと決断し行動して目の前で指をパチンと鳴らします。指を鳴らしている光景と、パチンという音は同時に起こっているようにみえます。当然当たり前の事なのですが実は指を鳴らすと言う行動の神経伝達、音の発生と聴覚の認識、視覚による指が動いている映像などは脳内の一連の動きから見ると、実は明白な時間差が生じているのです。しかし、すべてが同時に生じている(と認識できる)この各行動、動作は脳内において高速に処理され編集作業されているんです。信じられない話でしょうが同時という時間の感覚も脳内で編集された結果が、そうおもわさせている様です。悪く言えば、捏造されているとも言えます。良く言えば未来を予測して作り上げられた物が現実の認識する世界であるとも言えると思います。この一連の作業はあたかも生放送のテレビ番組のようなもの(生放送でも実際は生では無く数秒遅れで放送されています。)
2019.01.03
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